1.王との対面
王の所に向かう道すがら、ナイールは早夜に念を押す。
「王に何か言われても、さっきの様に激昂して手を上げたり、文句を言ったりしない事。それは君の死を意味する。いいね?」
「わ、分かりました……」
クラジバールの王とは、どんな人物なのだろうかと考える。聞いた限りでは、とても酷い人間のように感じる。
でも、アルファード王の様な王しか知らない早夜にとって、あまりピンと来ない事も確かだ。
(こんな事で、何かを変えようだなんて、やっぱり思い上がりだったのかな……?)
それでも、ここまでやってきてしまった以上、後戻りは出来ないのだ。
まずは、リュウキに会う事を考えよう。彼に会えば、蒼達の居場所もきっと分かる。
それに、あの夢のような光景の中で、リュウキ達は、大きな樹の傍にいた。きっとあれが目印になるに違いない。
そう心に決め、早夜はナイールの後に付いて行くのだった。
廊下を歩いていると、何やら雰囲気がガラリと変わった。今までは薄暗く、地味な印象だったのだが、いきなり華美で派手になっていった。
アルフォレシアの洗練された美しさとは掛け離れ、何処か金ばかり掛けた印象である。正直言って、悪趣味だ。
そして、この国の人間も、ちらほらと見るようになった。
やはり派手な衣装を身に纏い、それに比べると、ナイール王子は実に落ち着いた、悪く言えば地味な服を身に纏っている。
そして彼らは、此方を見ると、ある者は嫌悪に、ある者は品定めするように見てきた。彼らの傍らには、シンプルな麻の服を着た者も居て、そんな彼らは、此方を哀れむように見ている。
アルフォレシアとは、明らかに違うと、肌で感じる早夜。
一体リュウキは、ここでどんな扱いを受けているのだろうかと、心配になってきた。
(蒼ちゃんと亮太君も大丈夫かな? まだ、この国の人には見つかってないよね?)
彼らの為にも、早く探し出さねばならない。
そして、一際豪奢な造りの扉の前に立つと、ナイールは控えの者に、「王に取次ぎを」と告げた。
扉は開かれ、早夜はナイールの後について、中に入ってゆく。
入る直前に、ナイールが早夜を見て、『分かっているね?』と小声で言って来たので、早夜が頷き返すと、彼は満足そうに微笑んだ。
部屋の中は、廊下以上に派手で、何やら香を焚きつめた香りがして、何だか頭がクラクラとした。
その中央には、玉座に座る者がいる。
その人物を見て、早夜はウッとたじろぐ。
パンパンに膨れた人間を見て、(お、お相撲さん?)と思わず日本伝統のスポーツを思い浮かべてしまった。
ただそこに座っているだけで、物凄い圧迫感である。
早夜は中々直視できなかった。
(あ、でも……この人がナイール王子のお父さんなんだよね……)
物凄く、信じられない思いのする早夜であった。
「陛下、例の異界人を連れてまいりました」
「早くここに連れてまいれ!」
王は玉座の前を指差し、唸る様に言った。
その指を見て、ソーセージみたいだな、と思ってしまう。
ムハンバードは、早夜を見て眉を顰める。
「なんだこの小娘は……。これが本当にあの魔力の持ち主なのか!?」
「はい、そのようです」
「フン! まぁよい。娘よ、そなたは、あの強欲な国の所有物であったな」
見下した目で早夜を見る。
(ご、強欲な国!?)
そう言われてムッとなるが、先刻のナイールに言われた事を思い出し、ここはグッと我慢する。
王は、膨らんだ頬を醜く歪め、早夜を上から下に、舐めるように眺めた。
その値踏みするような眼差しに、背筋がゾクリと凍る。
「その強欲な国は如何であった? アルフォレシアの王は、そなたをどの様に可愛がった?
異界人を大事にする国なのだろう? 全く、彼の国の王も、とんだ趣味の持ち主であったか……」
ムハンバードは、酷く嫌らしく笑い、早夜を見下ろした。
ナイールは内心舌打ちをする。
いかにもか弱い少女を見て、王の嗜虐心が煽られた様である。
王はとことん、彼女を甚振る気だと感じたナイールは、早夜をチラリと盗み見た。
彼女は首を傾げ、訝しげに王を見ている。
何を言われているのか、分からないといった顔だ。如何やら、今言われた事の意味を理解していないようだった。
その事にホッとすると同時に、まずいとも思った。
今の彼女の反応は、王の望む物ではない。
ナイールは早夜を庇うように一歩前に出た。
「陛下、この娘の処遇ですが、魔術師のようなので、一度、摩学者に会わせてみたいのですが……」
「おお、そうであったな。あれほどの魔力を備えて居るのだ。さぞかし凄い魔術を使うのであろうな?」
ムハンバードは身を乗り出す。
「どれ娘! 何かわしに見せてみろ!」
「え!?」
早夜はいきなりの事に驚き、如何しようかとナイールを見上げる。
彼はしまったと思っていた。早い所この場を離れたくて言った事が、仇となってしまったようだった。
(確かサヤは、ある程度の事は出来ると言っていた。ならば、適当に何か術を披露してくれれば、この男も気が済むかもしれない……)
ナイールはそう思って、早夜に頷いてみせる。
そして早夜は、何をやればいいのだろうと考え、ここはやはり、あの桜の幻術がいいかと思った。と言うか、今の状況の中、それしか思い浮かばない。
「……では、幻術をお見せします……」
緊張しながら、そう言って術を引き出す為に目を瞑った。
頭の中に思い浮かぶ、魔法の知識。そして、内から溢れ出そうとする魔力。
もう何度か経験したこの感覚。それに従い、早夜は魔法を行使する。
しかし何だろう。何か違和感を感じた。それでも早夜は、魔法陣を引き出し、魔力を開放した。
途端に現れる見た事も無い景色に、ムハンバードも早夜の傍らにいるナイールも、思わず息を呑む。
しかし、早夜は今、体に起きた異変に戸惑っていた。
物凄く体が重いのだ。何か、過酷な運動を行った後のような疲労感が、体を占めていたのだ。
よって、術を維持する事が困難になり、幻術は直ぐに消え去ってしまった。
「如何した娘よ、もう終わりか?」
ムハンバードが不機嫌そうに聞いてきた。
早夜は、体の重さに眉を顰めながら王を見る。
「なんだその顔は……わしにはこれで十分だと? わしには、これ以上見せられぬと申すのか?」
「い、いえ、そういう訳では……」
一方ナイールは、早夜の様子がおかしい事には気付いたのだが、ムハンバードの機嫌も悪くなってゆくのが分かった。
そして王は立ち上がり、ナイールが止める間も無く、早夜に鞭が飛んだ。
パシィッ!!
「キャア!」
早夜がその場で倒れる。右頬が、ヒリヒリと痛かった。
そして、王は続けざま、早夜に鞭を振るう。
「やはり、アルフォレシアの方が良いと申すのか! アルフォレシアの方が優れていると!」
鞭が当たる傍から、服は裂け、肌を露出し、そこに更に鞭が当たる事によって、今度は皮膚が裂ける。
見る間に背中は真っ赤になっていった。
ナイールは、今直ぐ止めに入りたかったが、今割り込めば王の行動はもっとエスカレートする恐れがある。ここはじっと耐えるしかなかった。
(ここを出たら、直ぐにイーシェを呼ばなければ……)
「何が幸福の遣いだ! 異界人が幸福を呼ぶ!? 馬鹿げた迷信だ! 今まで一度だって、幸福など訪れた事など無かったではないか! 娘よ、お前が本当に幸福の遣いと言うならば、今直ぐわしを幸せにしてみろ!」
痛みで喘ぐ早夜に、ムハンバードは怒りで醜く顔を歪めながら怒鳴った。
早夜はゆっくりと顔を上げる。
「……王、様なのに……幸せ、じゃ、ないんですか……?」
途切れ途切れに早夜は喋る。
その王を見る表情は、恐れても怯えてもいない、何処か静かな表情だった。
ググッと体を起こすと、その静かな表情でムハンバード王を見据える。
「ある人が、言って、いました……自分が、幸せになりたい、なら……まず、他人を幸せにしなさいと……。王様になった、からには、多く、の……人を幸せにする事が、出来る筈です……。それなのに、王様は幸せじゃないんですか?」
途切れ途切れながらも、静かな口調で語りかける早夜。
ナイールはその言葉を聞いて、何故だか昔、ピトから聞いた、この国の最初の王、サーゴ王の話を思い出した。「王は民の奴隷」その言葉を。
しかし、更なる鞭の音を聞いて、ナイールは現実に引き戻される。
ムハンバードが、怒りで身を震わせながら、無茶苦茶に鞭を振るっていた。
「この異界人の小娘が! わしに意見だと!?」
「お止め下さい、陛下!!」
ナイールは咄嗟に早夜を庇っていた。その身に鞭が当たり、服が裂ける。
殆ど無意識の行動であったが、このまま行けば、早夜は殺されてしまうかもしれないと思ったのも事実だった。
そしてその行為は、予想通り、ムハンバードの怒りを煽る結果となった。
王は、パシンと鞭を床に打った。
「王子よそこをどけ! この小娘は、わしが王に相応しくないと言った! 王になる資格がないと! そのような暴言、万死に値する!」
「落ち着いてください、陛下! この娘は、そのような事は言ってはいません!」
「うるさい! 言ったも同然だ!」
ムハンバードは、早夜に向かって鞭を振リ降ろした。
ナイールはその腕の中に早夜を抱え込む。
その背に痛みが走った。
「異界人の様な低俗な者を庇うとは、王子とあろう者が、嘆かわしい! 何故わしには、お前しかおらぬのだ!」
早夜はナイールの腕の中で、鞭の音を二度三度と続けざまに聞いた。
その度にナイールの抱き締める手に力がこもり、小さく呻くのを聞いた。
背中は痛いと言うより、熱く感じ、体は重いままだった。
早夜はナイールの肩越しに、全てを見た。
ナイールを痛めつけながら、ムハンバードの表情が、ほんの一瞬、何かを思い出したように泣きそうに歪められたのを。
そして、そのムハンバードの後ろに、冷たい表情で立っているカンナの姿を。その腕に、呪印を出現させ、刃のような形にしてゆくのを……。
(ああ、いけない!)
朦朧とする意識の中で、万物の力が早夜の意思に答えた。
パキン――
何かが割れるような音が部屋に響いた。
ナイールは、自分の腕の中からその音を聞いた。
見ると、早夜の瞳が紅く染まり、その足元には何かの欠片が落ちている。その色は銀色で、見覚えがある。早夜の首を見ると何もない。
ナイールはその欠片が、枷である事に気付いた。
それから早夜は、紅い瞳のまま手を伸ばしてくる。
ナイールは咄嗟に身を離そうとしたが、その前に早夜の手のひらが胸に置かれた。
ドクンと心臓が脈打ち、背中が一気に熱くなる。そしてむず痒い感覚に変わってゆくのを感じ、ナイールは自分が治癒を受けている事が分かった。
ムハンバードは鞭を振るう手を止めていた。
何故ならば、目の前でナイールの背の傷が、見る見る塞がってゆくのを見たからである。
そして、ナイールの腕の中の少女が此方を見ている事に気付いた。
紅い双眸が、此方をヒタリと見据えている。ゾクリと肝が冷え、思わず、また鞭を振るうと、それは見えない壁のような物で阻まれてしまう。
足元を見ると、自分を囲むように魔法陣が現れていた。
「な、何なのだこれは……!?」
「それを今直ぐおろしなさい……」
少女の静かな声が響いた。
「な、何を言っておるのだ、小娘……」
それと言うのは、この鞭の事かと、自分の手の中の鞭を見た。
「……下がりなさい、今直ぐ……」
ムハンバードは、少女から只ならぬ物を感じていた。そして、無意識に後ろに下がった。
しかし、見えない壁が背に当たり、ムハンバードが後ろを振り向いた時、そこには今まで味わった事の無い様な恐怖があったのだ。
紫色の髪の女が、そこに立っている。全身を青白く光らせ、その腕からは刃のような物が見受けられた。
その灰色の双眸は、冷たく彼を見据え、殺す事に何の躊躇いも無さそうに見える。
「今直ぐそれをおさめて、下がりなさい……」
少女の静かな声がまた響く。
すると、紫色の髪の女は、チラリと少女の方を見ると、一度恍惚の表情を浮かべ、腕の刃を消し去った。そして、静かに少女に向かい頭を下げると、その格好のまま後ろに下がり、姿を消してしまった。
その時、漸くムハンバード王は、自分が鞭振るった少女に助けられたのだと知り、その手から鞭が滑り落ちる。
王はその場に蹲ると、ブルブルと震え出すのだった。
ナイールは、目の前の少女を呆然として眺めていた。
その頬には、鞭の後が、痛々しく残っている。
そして、ドキリとした。早夜が此方を見たのだ。
しかし、その双眸はいつの間にやら、漆黒に戻っている。
ナイールの胸から、手が外されたかと思ったら、少女の姿がフラリと揺れた。
慌てて抱きとめると、その手にヌルリとしたものが触れる。手が赤く染まっていた。
早夜は分の傷を後回しにして、ナイールの傷を治したのだ。
なるべく傷に触れぬように、そっと早夜を抱えあげると、後ろを振り返る。
ムハンバード王は、その大きな体を出来るだけ小さく丸めて、ブルブルと震えていた。
「……それでは陛下、私はこれにて失礼します」
それだけ言って、ナイールは退室したのだった。
~キサイ国~
「おおっ、三眼神様!」
「うーん、何とも懐かしい響き……」
リジャイは幼い姉弟に連れられて、彼らの家に案内された。
この姉弟の祖父に話を聞く為だった。
しかし、老人はリジャイを見た途端、その場に跪き、そのまま手を合わせて拝まれてしまった。
「うーん、これもまた、懐かしい光景だなぁ……」
「ああっ、三眼神様! どうかこの国をお救い下さい! この国は、あの仮面の男がやってきてから、どうにもおかしくなってしまったのです!」
老人の言葉に、ピクリと反応するリジャイ。
「あの仮面の男?」
「はい、オルハリウム・バーツという、異世界からやってきた男です」
「フーン、異世界かぁ、最初から早夜が目的で来たのかなぁ……」
リジャイの呟きに、今度は老人の方がピクリと反応を見せた。
「……サヤ? サヤとはもしや、オミサヤ様の事ですか?」
「うん、そうだよ」
「もしや、もしや、リュウキ様もご一緒で?」
「うーん、今は一緒の世界にはいるかな?」
「おお、なんと! では、お二人は、三眼神様の元に居られたのですね!?」
「うーん、それはちょっと違うけど……ま、いっか」
目の前で感極まったように涙を流す老人を見て、水をさすのもなんだろうと思い、訂正はしなかった。
「実は、そのオルハリウムなのですが、今、我が国の神官長などをしております」
「神官!? これはまた……。ははは、僕を崇めてるって事かな」
「噂では、前任だった神官長を殺め、その座を奪い取ったと言われております」
「王は……ロウガはどうした?」
すると、老人は辛そうに顔を歪めた後、悲しげに溜息をついた。
「もう、何年もの間、体調を崩されているとか。玉座を離れてしまわれています。今では実質、ムエイ様が王だと……」
「ムエイ……」
リジャイは目を伏せる。
たった一度だけ、この腕に抱いた事のある、小さな命を思い出していた。
「……ムエイは、どんな王となったのだろう……」
まるで独り言のように呟くリジャイに、老人は語る。
「ムエイ様は、オルハリウムの傀儡です」
「傀儡……」
「はい、それに、戦でも始める気なのか、国中から人々を募っております」
「っ!? 何の為に!?」
「それは分かりません。ただ分かる事は、もうそんな風に人々を募る事を、何年も行っているという事です。魔力の高い者などは、直ぐに王宮に上がれるそうです」
そして、老人はチラリと、視線を奥にいる幼い姉弟に向ける。
「実を言うと、あの子らの両親も、三年ほど前に王宮に言っております。しかしながら、一度だけ、王宮で神官になる事が出来たという便りが届いたっきり、何の音沙汰もありません」
もしかしたらという思いなのか、老人は何ともやるせない様な顔をいていた。
「王妃……キヨウはどうなったと聞いている?」
リジャイが静かな声で尋ねると、老人は悲しげに首を振った。
「キヨウ様……それは誰にも分からないのです。リュウキ様とオミサヤ様を、お隠しになられたという話が出てから、誰もその姿を見てはおりません」
「そう……」
リジャイの眼差しは、どこか遠くを見ているようであった。
そんなリジャイに、老人はまた手を合わせ、拝み始める。
老人のその姿に、リジャイは苦笑して見せると、
「僕の事は絶対に、他言無用でお願いね? 後、しばらくはここに厄介にならせてもらうよ。あ、食べ物とか寝床とかは別に用意しなくてもいいよ。それは自分で何とかするし、それに、厄介になるって言うのは、この場所を拠点にしたいって事だから」
「そんなっ、こんなみすぼらしい所より、神殿に行けば――」
「そんなとこに行ったら、僕の事がバレちゃうでしょ? こういうみすぼらしい場所でいいんだよ。あ、ごめん。つられて、みすぼらしいって言っちゃった」
「いえ、三眼神様は、気さくなお方だ……。どうか、我らの国をお救い下さい……」