19.別れのキス
早夜は、グースと別れた後、昨夜、リカルドに言われていた事を思い出し、あの丘へと向かおうとする。
その途中、シェルとばったりと鉢合わせた。
ギクリと身を震わせる早夜。そんな彼女を見て、シェルは自嘲気味に笑う。
しかし、早夜はそこで、はたと気付いた。
シェルの頬が、少々赤く腫れている。
「サヤ嬢」
声を掛けられ其方を見ると、そこにはマウローシェが立っていた。そして、すぐさま抱き締められる。
「ああ、サヤ嬢、可哀想に……。この女の敵には、私が一発お見舞いしておきましたからね」
抱き締められた事と、その言葉に、早夜は目を白黒させる。
そして、ハッとしてシェルを見た。
(もしかして、頬っぺたが赤いのは彼女に殴られたから?)
そう思っていると、マウローシェが身を離し、早夜を見下ろす。
「聞きましたよ。クラジバールに行くそうですね。あそこはある意味、隔離された国です。常識が通じぬ事もある事でしょう。お気を付け下さいね」
「え? あ、はい……。あの、その、何でシェルさんと……?」
首を傾げながら、シェルとマウローシェを交互に見る。
すると、マウローシェは弾ける様に笑い出した。
「ああ、それはね、昨夜いきなり、私の元に彼が現れたんですよ。パッといきなりね。
ククッ、リジャイとか言いましたっけ? 会ってみたいな。中々に、面白いじゃないですか。洒落が効いている。
お仕置きと称して、前の彼女の元に送るなんて……」
「えぇ!? じゃあ、あの時、リジャイさんがシェルさんを送った場所って……」
シェルの方を見ると、彼は罰の悪そうに顔を背けた。
「そう、私の元ですよ。お仕置きは私がしっかりしておきましたから。何なら、サヤ嬢も殴っておきますか? 彼を……」
そう言って、シェルを睨むマウローシェ。
早夜はぶんぶんと首を振った。
「いえ、そんなっ! 悪いのは私なんです。何の相談も無しに、勝手に自分で決めてしまって……。あんな事があって、物凄く心配させちゃったのに……。
私が、シェルさんにあんな事をさせちゃったんです。ごめんなさい……」
謝罪と共に目を伏せる早夜を、マウローシェはまじまじと見た。
「ちょっと聞いたかい、シェル! 君はこんなにも、純粋で心優しい少女を、手篭めにしようとしたんだ! これはやっぱり、もう一発くらいはお見舞いした方がよさそうだ……」
語尾を低くして、パキポキと手を鳴らすマウローシェを、早夜は慌てて止めるのだった。
「俺は、殴られても良かったんだ……」
シェルが呟く。
早夜は、マウローシェを止めた後、シェルと二人きりで話がしたいと告げた。
マウローシェは「何かされたら大声で叫ぶように」と言って、早夜の願いを聞き入れてくれた。
躊躇いがちにシェルに手を伸ばす。そして、その赤く腫れた頬に触れた。
早夜は治癒の魔法を施そうとしたのだが、魔力を指に絡ませた時、その手を掴まれ、止められてしまう。
「そんな事は、しなくともいい。寧ろ、これはこのままにしておきたいんだ……。お前を傷付けた事への罰として、マウローシェ王女の制裁を受け入れた」
「……でも、シェルさんはもう、十分に傷付いています……」
眉を下げ、悲しげに早夜は言う。
シェルは早夜の言葉に目を見張り、そして苦笑した。
「まだ言っているのか? 純粋で傷付き易いと」
「だってシェルさん、自分のした行為に傷付いているでしょう?」
シェルは暫し黙って早夜を見下ろす。次の瞬間、顔を歪ませ、その腕にこの少女を強く抱き締めた。
「何だってお前は、そう俺の心をかき乱す! あの行為に傷付いているだって!? 男なら誰だって、好きな女にああしたいと思っている! 今だって、このままお前を、自分のものにしたいと思っているんだぞ?」
早夜をその腕に掻き抱いたまま、シェルは覗き込むように彼女の顔を窺う。
昨夜のようには怯えていない。早夜はシェルを真っ直ぐに見つめ返してくる。
「そう言うお前の方が、どれだけ純粋で傷付き易いか……。でも、直ぐに立ち直って、前に進むだけの強さも持ち合わせているんだな、お前は……。
お前が死んだと思った時の、俺の気持ちが分るか? お前が息を吹き返した時の喜びを……。狂おしいくらいにお前への思いが溢れた。それなのにお前は、俺の手の届かない所へ行こうとする……」
「……ごめんなさい……」
「……謝るなと言ったろう?」
切なげに瞳を揺らして、シェルは早夜を抱く手に力を込める。
「少しでも俺を好いていてくれているか? だとしたら、もう一度、チャンスが欲しい……。お前にキスをさせてくれ。お前を傷付けるだけのキスではなく、優しいキスを贈らせてはくれないか?
俺から離れて行ってしまう前に、その思い出を、お前の中に残させて欲しい……」
シェルのその願いに、早夜は少し考えた後、躊躇いがちにコクリと頷いた。
「……それで、シェルさんが傷付かなくて済むのなら……」
その言葉に、シェルは目を見開く。
(……俺の気持ちは、見透かされている訳か……)
フッと笑うと、恥ずかしそうに頬を染めている早夜の頬を、両手で包む。
潤んだ瞳で見上げる早夜。少しだけ開いた唇に、シェルは口付けを落とした。
「ん……」
温かく柔らかな感触に、早夜は緊張して唇が震えるのを感じた。触れてくる唇は、その緊張を解す様に、何度も何度も優しく啄ばんで来る。
そして、濡れた感触に、唇を舐められているのだと分ると、早夜はビクッと身体を強張らせてしまった。シェルの手が、震える早夜の身体を宥めるように優しく撫でてゆく。
何もかもが優しくて、次第に頭の中がボーとしてきた。早夜はふと目を開け、陶酔した眼差しで、シェルを見つめていた。
シェルの青い瞳もまた、早夜を優しく見つめ返してくる。
その後はずっと、二人は口付けを交わす間、そうやって互いを見詰め合っていた。
どのくらいそうしていたのか、時の感覚さえ分らなくなる位、早夜はその優しいキスに陶酔してしまったようだ。
シェルはそんな早夜の唇を、最後にもう一度だけ名残惜しそうに軽く啄ばむと、漸く身を離した。そして、フッと笑う。
「良かった。今回は腰は抜かしてないみたいだな……」
「……え?」
最初何を言われているのか理解できなかったが、徐々に頭が覚醒してくると、カァッと顔を真っ赤に染めた。恥ずかしくなって、シェルの顔をまともに見れなくなり、顔を俯ける。唇にはまだ、生々しい感触が残っていた。
「もう行くといい。リカルドを待たせているんだろう?」
「あ、は、はい。そうでした……」
早夜はそう言って、シェルに向かって一瞬、何と言おうかと迷った後、
「じゃあ、行ってきます」
と言って彼の元を去ってゆく。
シェルはその後姿を見送り、そして自分の唇に触れた。
(胸に思い出を残したかったのは、俺の方だ……。サヤには恐らく、気付かれていたな……)
そう思っていると、後ろでガサッと音がした。
「また盗み聞きですか? 趣味が悪いですよ、マウローシェ様」
シェルは其方を見ずに言う。
「何、君がサヤ嬢を手篭めにしないか見張ってたんじゃないか。それに、そう言う君もかなり趣味が悪いと思うけどね。
あんな口付けを交わした後に、サヤ嬢を君の弟の所に送るのか? それでは弟君が可哀想じゃないか」
その言葉を聞いて、シェルはフッと笑った。
「そうでもしないと、あの弟は全てを掻っ攫ってしまうのでね。無意識に、人の心を捉えるのが上手い奴なんですよ、私の弟は……」
(なんか私、すごい事しちゃったかも……)
ハァと溜息をつく早夜。シェルの事が頭から離れないまま、あの丘へとやってきた。
相変わらず、ここは風が強い。
乱れる髪を手で押さえながら、早夜はリカルドの姿を探す。
そして見つけた。
彼は、柔らかな草の上に寝転がっている。
近付いてゆくと、彼が目を瞑っているのが見えた。
「……リカルドさん……?」
早夜は彼の傍らに腰を下ろすと、彼の顔を覗き込んだ。
寝ているのかと思い、そっと手を伸ばしてみる。
そして、その手が彼に触れそうになる寸前、その手を掴まれた。
早夜が吃驚していると、彼はパチッと目を開け、少々怒った顔で、「遅い!」と文句を言った。
「お、起きてたんですか?」
吃驚して慌てながらそう言うと、リカルドは起き上がり、ボソリと呟いた。
「……緊張して寝るどころじゃねーよ……」
聞き取れずに、早夜は首を傾げるのだが、彼はムスッとしたまま答えることはしなかった。
「あの、話って何ですか?」
気を取り直して勤めて明るくそう訊ねる。
リカルドはじっと早夜を見つめた。しかしその手は掴まれたままだ。
早夜は何だか落ち着かず、そわそわとしてしまう。
その時、
「行くな……」
ポツリと聞こえ、「え?」と彼に目を向けると、彼は真剣な眼差しで続ける。
「クラジバールなんかに行くな。そして、出来るのなら、俺の傍にずっといて欲しい……。好きなんだ、お前の事が……」
少々緊張した面持ちのリカルド。
早夜はその言葉を聞いて、頬が熱くなった。
その言葉の意味する所、それは自分の傍にずっといて欲しいといった意味、これはプロポーズなのではないか。早夜はそう思ってしまった。
「初めて会った時から、たぶん俺は、お前を好きになってたんだと思う。
あっ、あの力のせいだとか言うんじゃねーぞ! この気持ちは、間違いなく俺自身の気持ちなんだからな!」
怒ったように彼は宣言する。
早夜は戸惑い、「えと、はい……」と頷いた。
それを見ると、リカルドは肩の力を抜いて、ハァーと息を吐き出す。
「漸くサヤに、俺の気持ち、伝えられた……」
ホッとしたような、一仕事終えたような、そんな顔をするリカルドに、早夜はキョトンとしてしまう。
(あれ? プロポーズじゃない? ただの告白?)
カァッと顔が熱くなる。早とちりしてしまった自分が恥ずかしい。
そして、どう言ったものかと考え、早夜はあの事を言う事にした。
隠したままにしとくのも、何だか悪い気がしたのだ。
「ええっと……あの、知ってましたよ?」
「は?」
「あの、だから……リカルドさんの気持ち。その……私知ってました……」
恥ずかしそうに、早夜はリカルドを窺う。
彼はポカンとした顔で口を開けていた。
そして、ハッとして我に返ると、
「な、何で――……?」
「……星見の塔に行った日の事です。リカルドさん、気付いてないみたいですけど、実はあの時、声に出して言っていたんですよ。口にだけはしないって――……」
「あー……え!?」
リカルドは思い出そうとして、そして一拍間を置いてから、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「えぇー!!」
そして慌てた様に早夜に詰め寄る。
「お、俺、口に出してたのか!?」
「はい」
「ど、何処まで!?」
「えと、私が好きになるまで口にはしないと、絶対に振り向かせるとか、誰にも渡さないとか……」
「全部じゃねーか!!」
リカルドは叫んだ。物凄く恥ずかしそうであった。
「あー、くそっ! 忘れろ――って忘れなくていいのか? あー、でもすげー恥ずかしい……」
片手で顔を覆いながら、リカルドは言った。
そうしている間も、やっぱり手は掴まれたままで、早夜としても何とも言えず、彼の羞恥心が移ったのか恥ずかしくなってきた。
「あの、でも、気持ちは凄く嬉しかったですよ。だって、小さい頃から、夢を通してリカルドさんの事見てましたから。それに私、好きだったんですよ」
「え!?」
「リカルドさんの笑顔が」
「ああ……」
好きだと言われ、期待して、違うと分って落胆した顔を見せるリカルド。
早夜はそれに気付かず、そのまま続けた。
「リカルドさんの笑顔は、何時でも私を勇気付けてくれました。そして私を元気付けてくれました。
だから、目の前でその笑顔を見せてくれた時、凄く嬉しかったし、ドキドキしました」
まるで、物語の登場人物が、目の前に現れた様な感覚とでも言うのだろうか。それは、他の者達でも言える事であったが、その中でもリカルドは特別だった。
何たって、リュウキと一番親しかったのは彼なのだ。
自分もまた、彼とはずっと親しかった様な、そんな気がしていた。
リカルドはリカルドで、そんな事を言われ、物凄く照れていた。
こんな風に面と向かって、笑顔が好きだと言われるのは初めてである。それも、自分の好きな相手だ。
「だから、私がクラジバールに行く時も、笑顔で見送ってくれませんか? 私に勇気をもって、あちらに行かせて下さい。そうすれば頑張れます」
掴まれた手で、逆に彼の手を握り返した。
ハッと表情を硬くして、リカルドが早夜を見る。
「何で、お前が行く必要があんだよ。お前は死にかけたんだぞ? なのに、生き返った傍から、そんな危ない真似しようとする事無いだろ?」
「それに……」と、リカルドは早夜の手をグイッと引っ張る。
頬に温かさを感じ、リカルドの心臓の音が、間近に聞こえる。
自分が今何をされているのか、自覚すると共に、どきんと胸が脈打った。
同時に先程のシェルの事が思い出され、カァッと体が熱くなり、何だか彼に悪い気がして、早夜はその腕から逃れようと身じろぎする。しかし、リカルドは更に強く抱き締めてきて、離そうとしなかった。
「お前はあの時、俺を庇ってくれたんだよな? だとしたら、お前は俺の命の恩人だろう? 俺に恩を返させないつもりか?」
「あ、あの時は夢中で……自分でも何をしているのか、理解できないくらいでした。だからリカルドさんは、恩なんか感じなくともいいんですよ。
寧ろ、その後、物凄く心配させてしまったので、そんなのは無しでいいです」
居た堪れなさにそう言うと、リカルドは身体を離し、早夜の顔を覗き込む。やはり怒った顔をしていた。
しかも、キス出来る様な距離で、思わず顔を逸らしてしまうのだが、
「それって、無意識に俺を助けたって事だよな。自分が死ぬかも分らないのに、俺を助けようとしたんだろ? それって少しは俺の事が好きって事か?」
リカルドは早夜の顔を両手で包み、自分の方に向かせる。
「なら、キスしてもいいな」
「えぇ!?」
「だって、早夜がクラジバールに行っちまったら、今度いつ会えるのか分らないだろ? 嫌ならはっきり言ってくれよ。俺の事は好きじゃないって」
「そ、そんな……」
好きじゃない訳じゃない。寧ろ好きだ。
でも、それは彼の好きと一緒のものなのだろうか。
それにシェルの事も……。
だって、ついさっき、シェルともキスをしたばかりなのだ。それで直ぐに、リカルドともキスをするなんて……。
「嫌か……?」
早夜が押し黙っていると、リカルドの消え入りそうで、切なげな声が聞こえてくる。
何だかいつもの彼では無いみたいだ。
こうして見ると、彼は本当に綺麗な顔をしている。胸がドキドキと高鳴った。
深い緑色の瞳に見つめられて、目を逸らす事が出来ない。
言葉よりも雄弁なその眼差しに、顔がカァッと熱くなる。
「……い、やと、言う訳では……」
知らず声が掠れてしまった。
「なら、いいな?」
リカルドが僅かに顔を傾け、早夜の唇に自分の唇を近づけてゆく。
「でも、さっきシェルさんとも――」
唇がいよいよ触れそうになった時、早夜が咄嗟に叫んだ。
言ってしまってから、ハッとリカルドを見ると、彼は怒気の含んだ目で此方を見ている。
「……兄貴ともしたのか?」
「え? あ、あの……」
「……兄貴の事が好きなのか……?」
「好き、と言うか、その……チャンスが欲しいと言うので……」
「何のチャンスだよ?」
「えっ、あ、うっ……」
昨夜の事など言える筈も無いので、早夜は口篭ってしまう。
「もしかして、昨日やっぱり何かあったんだな? 兄貴もちょっと、様子変だったし……」
リカルドは悔しそうに口を引き結ぶび、早夜の額に自分の額を押し付けた。
「くそっ、やっぱり兄貴が一番の危険人物だった……」
そして、早夜の目を覗き込みながら言う。
「兄貴は良くて、俺は駄目なのか?」
早夜は再びその緑色の瞳から、目が逸らせなくなった。
「兄貴の方が、やっぱりいいのかよ……」
リカルドの指が、早夜の唇をなぞる。
その行為は彼の願望が如実に現れていて、早夜は体がぞくんと粟立つのを感じた。
「そうだよな……何時だって兄貴らの方が上なんだ……。少しでも認めて欲しくて、幾ら頑張った所で、元々優秀な兄貴らに敵う訳無いのに……バカみたいだな、俺」
リカルドは寂しそうにフッと笑って、その手を離した。
「リカルド、さん?」
早夜は、その彼らしくない様子に、不思議そうに見やる。
リカルドはそんな早夜に、苦笑して見せると言った。
「みっともないな、俺。好きな女の前で、こんな愚痴……」
早夜はキュウッと、胸が締め付けられるのを感じた。
今、彼は自分の前で弱みを見せているのだ。
恐らく、兄達に対してずっと、引け目やコンプレックスを持っていたに違いない。そしてそれを、周りを騒がせるあのいつもの言動に隠していたのだと気付いた。
本当は、とても繊細で、思いやりと優しさを持った人なのだ。
なのに、こんな苦しそうな、辛そうな顔など、見たくなかった。
「リカルドさん――」
気付けば早夜はリカルドの顔を、両手で包んでいた。
そして此方を向かせると、戸惑った様に揺れる、彼の瞳とぶつかる。
「サヤ……?」
「リカルドさんは、リカルドさんですよ。私、今言いましたよね? リカルドさんの笑顔が好きだって……。それにマシューさん達の事とか……、リカルドさんには、リカルドさんにしか出来ない事があると思うんです。
だから……そんな辛そうな顔、しないで下さい……」
早夜はリカルドの目を見つめながら言った。
緑色の瞳の中に、悲しげな顔をしている自分が映っている。では、今、自分の瞳の中には、辛そうな顔をした彼が映っているのだろうか。
何となくそんな事を考え、早夜は自然とその顔を近づけていった。
目の前の緑色の瞳が見開かれる。
唇には柔らかな感触。
早夜はゆっくりと瞬きをすると、自分が今、何をしているのかに気付いた。
「っ!!」
慌てて、リカルドから離れる早夜。
リカルドはというと、ボーとした面持ちで、呆けている。
無意識とはいえ、今自分は、彼に此方からキスをしてしまったのだ。
その事実は、早夜の中で、かなり衝撃的な事だった。
(私は、彼の事が好きなんだろうか?)
そんな事を思い、改めてリカルドの事を見た。
その時、リカルドは漸く我に返り、彼もまた早夜を見る。
ドキリとして顔が熱くなった。
(恥ずかしい。今は見られたくない)
そう思い、早夜は顔を覆い隠す。
「サヤ、お前今……」
「や、見ないで下さい――」
リカルドは、耳まで真っ赤にする早夜を見た。
(なんだ? 俺今、サヤにキスされたのか?)
その事実がじんわりと、頭の中に浸透してゆく。同時に胸にも喜びが満ちてゆく。
「サヤ……」
静かな声で呼びかけ、自分の顔を覆い隠す、彼女の手に触れる。
早夜はビクンと身体を震わすと、「あ……」と声を上げ、リカルドの手から逃れるように身を引いた。
それをさせまいと、リカルドは早夜の手を掴んだ。
その拍子に、顔から手が離され、その顔をリカルドの前に晒す。
慌ててもう一方の方の手で、顔全体を隠そうとするのを、リカルドももう一方の手を使い、阻止してしまう。
後には、今にも泣きそうに眉をめいっぱい下げ、羞恥で顔を真っ赤に染め、その目は熱を佩びた様に潤ませる早夜の顔があった。
「あ、やっ、見ないで――」
早夜はギュッと目を瞑り、顔を俯ける。
「いやだ。見る……」
そんな子供っぽい事を言って、リカルドは再び、彼女の顔を両手で包む。
「今のって、どういう事だ? 俺に同情したのか?」
「いいえ! そんな事――……」
リカルドの言葉を、必死で否定する早夜。
何でこんな事をしてしまったのか、自分でも良く分らなかった。
気付いたらそうしていたとしか、言い様が無い。
無意識だったのだ。
(だとしたらやっぱり私は――……)
「ごめんなさい、自分でも良く分らないんです……リカルドさんへの気持ち……。でも、同情とかじゃ、絶対に無いです」
顔は赤いながらも、真っ直ぐにリカルドを見て、真剣な顔でそう言った。
「リカルドさんは、優しくて思いやりのある人です。人と比べる事なんてありません。リカルドさんがリカルドさんであるだけで、十分に素敵な事なんですから……」
早夜はいつの間にか、にっこりと微笑んでいた。
リカルドの瞳が揺れる。
早夜の言葉が、ゆっくりと彼の中に浸透していった。
こつんと額を押し付けてきて、彼もまたフッと微笑む。
「お前って、本当に幸福の遣いなんだな。前に俺が、お前を幸せにするって言っといて、今、俺の方がすげー幸せだよ」
そして、リカルドは早夜の瞳を覗きこむ。
そこには自分自身が映っていて、それが何だか嬉しくて、更に笑みを深くした。
「俺今、お前にすげーキスしたい」
「え?」
「今度は俺から……」
最後にそう呟くと、早夜の返事を待たずに唇を押し付けてくる。まるで、唇の感触を確かめる様にゆっくりと。
シェルの時とは全く違う。
シェルはもっと慣れた感じで、大人な感じのものだった。でもリカルドは、慣れていないのが分る、不安げで躊躇いがちなキス。
ぎこちないけれど、それでも彼の気持ちが伝わって来るかのようなそれに、知らず、彼に答える様に、早夜もまた唇を押し付けていた。
早夜の手はリカルドの首に回され、リカルドの手は早夜の腰にしっかりと回されている。
互いの熱い吐息が絡み合い、何度も離れては口付けを繰り返して、徐々に深いものへと変わってゆく。
やがて、どちらとも無く溜息を漏らし、二人は離れた。
今だ熱っぽく、お互いを見詰め合っている。
「お前だけを行かせない。俺も絶対に方法見つけて、クラジバールに行ってやるからな……」
彼の囁く声に、早夜はコクリと頷くのだった。
その後早夜は、リカルドと共にゴミための街へと行き、皆にクラジバールへ行く旨を伝えた。
当然の事ながら、皆は反対したが、それでも決めた事だからと早夜が言うと、彼らも漸く諦め、それぞれが激励の言葉をくれた。
サニアには泣かれてしまった。
それでも最後には早夜を抱き締め、激励を言ってくれた。
そして、こんな事も言った。
「絶対に無事に戻ってきてね。あなたにも見せたいの。私とマシューの赤ちゃん……」
嬉しそうに微笑み、自分の腹を撫でるサニア。
早夜は驚きと共に、祝いの言葉を言う。
すると、彼女はフッと笑って、
「本当の所は、まだ分らないんだけどね。でも、星かごに星が入ったのよ。それにね、不思議な事があったの。
その時、アリサの声が聞こえた気がしたの。そして、お腹を撫でられる感触も……。だからきっと……」
そんなサニアに、早夜もきっとそうだと答えた。
「後、この事はマシューには内緒よ。あの人、自分には子供は出来ないと思ってるから……。出来てから吃驚させようと思って」
サニアはそう言って、フフッと悪戯っぽく笑って見せたのだった。
それから、早夜とリカルドは城に戻ったのだが、そこにはリジャイが待っていた。
「おかえり、早夜。君さえよければ、君の聞きたがっていた話をしてあげる。如何する?」
早夜は息を呑んだ。
早夜が聞きたがっていた事。それは、何故彼が自分の名を、字を知っていたのか。
早夜のその表情を見て、リジャイの紫色の瞳がスッと細められた。