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異界の旅人  作者: ろーりんぐ
《第五章》
67/107

19.別れのキス

 早夜は、グースと別れた後、昨夜、リカルドに言われていた事を思い出し、あの丘へと向かおうとする。

 その途中、シェルとばったりと鉢合わせた。

 ギクリと身を震わせる早夜。そんな彼女を見て、シェルは自嘲気味に笑う。

 しかし、早夜はそこで、はたと気付いた。

 シェルの頬が、少々赤く腫れている。


「サヤ嬢」


 声を掛けられ其方を見ると、そこにはマウローシェが立っていた。そして、すぐさま抱き締められる。


「ああ、サヤ嬢、可哀想に……。この女の敵には、私が一発お見舞いしておきましたからね」


 抱き締められた事と、その言葉に、早夜は目を白黒させる。

 そして、ハッとしてシェルを見た。

(もしかして、頬っぺたが赤いのは彼女に殴られたから?)

 そう思っていると、マウローシェが身を離し、早夜を見下ろす。


「聞きましたよ。クラジバールに行くそうですね。あそこはある意味、隔離された国です。常識が通じぬ事もある事でしょう。お気を付け下さいね」

「え? あ、はい……。あの、その、何でシェルさんと……?」


 首を傾げながら、シェルとマウローシェを交互に見る。

 すると、マウローシェは弾ける様に笑い出した。


「ああ、それはね、昨夜いきなり、私の元に彼が現れたんですよ。パッといきなりね。

 ククッ、リジャイとか言いましたっけ? 会ってみたいな。中々に、面白いじゃないですか。洒落が効いている。

 お仕置きと称して、前の彼女の元に送るなんて……」

「えぇ!? じゃあ、あの時、リジャイさんがシェルさんを送った場所って……」


 シェルの方を見ると、彼は罰の悪そうに顔を背けた。


「そう、私の元ですよ。お仕置きは私がしっかりしておきましたから。何なら、サヤ嬢も殴っておきますか? 彼を……」


 そう言って、シェルを睨むマウローシェ。

 早夜はぶんぶんと首を振った。


「いえ、そんなっ! 悪いのは私なんです。何の相談も無しに、勝手に自分で決めてしまって……。あんな事があって、物凄く心配させちゃったのに……。

 私が、シェルさんにあんな事をさせちゃったんです。ごめんなさい……」


 謝罪と共に目を伏せる早夜を、マウローシェはまじまじと見た。


「ちょっと聞いたかい、シェル! 君はこんなにも、純粋で心優しい少女を、手篭めにしようとしたんだ! これはやっぱり、もう一発くらいはお見舞いした方がよさそうだ……」


 語尾を低くして、パキポキと手を鳴らすマウローシェを、早夜は慌てて止めるのだった。




「俺は、殴られても良かったんだ……」


 シェルが呟く。


 早夜は、マウローシェを止めた後、シェルと二人きりで話がしたいと告げた。

 マウローシェは「何かされたら大声で叫ぶように」と言って、早夜の願いを聞き入れてくれた。

 躊躇いがちにシェルに手を伸ばす。そして、その赤く腫れた頬に触れた。

 早夜は治癒の魔法を施そうとしたのだが、魔力を指に絡ませた時、その手を掴まれ、止められてしまう。


「そんな事は、しなくともいい。寧ろ、これはこのままにしておきたいんだ……。お前を傷付けた事への罰として、マウローシェ王女の制裁を受け入れた」

「……でも、シェルさんはもう、十分に傷付いています……」


 眉を下げ、悲しげに早夜は言う。

 シェルは早夜の言葉に目を見張り、そして苦笑した。


「まだ言っているのか? 純粋で傷付き易いと」

「だってシェルさん、自分のした行為に傷付いているでしょう?」


 シェルは暫し黙って早夜を見下ろす。次の瞬間、顔を歪ませ、その腕にこの少女を強く抱き締めた。


「何だってお前は、そう俺の心をかき乱す! あの行為に傷付いているだって!? 男なら誰だって、好きな女にああしたいと思っている! 今だって、このままお前を、自分のものにしたいと思っているんだぞ?」


 早夜をその腕に掻き抱いたまま、シェルは覗き込むように彼女の顔を窺う。

 昨夜のようには怯えていない。早夜はシェルを真っ直ぐに見つめ返してくる。


「そう言うお前の方が、どれだけ純粋で傷付き易いか……。でも、直ぐに立ち直って、前に進むだけの強さも持ち合わせているんだな、お前は……。

 お前が死んだと思った時の、俺の気持ちが分るか? お前が息を吹き返した時の喜びを……。狂おしいくらいにお前への思いが溢れた。それなのにお前は、俺の手の届かない所へ行こうとする……」

「……ごめんなさい……」

「……謝るなと言ったろう?」


 切なげに瞳を揺らして、シェルは早夜を抱く手に力を込める。


「少しでも俺を好いていてくれているか? だとしたら、もう一度、チャンスが欲しい……。お前にキスをさせてくれ。お前を傷付けるだけのキスではなく、優しいキスを贈らせてはくれないか?

 俺から離れて行ってしまう前に、その思い出を、お前の中に残させて欲しい……」


 シェルのその願いに、早夜は少し考えた後、躊躇いがちにコクリと頷いた。


「……それで、シェルさんが傷付かなくて済むのなら……」


 その言葉に、シェルは目を見開く。

(……俺の気持ちは、見透かされている訳か……)

 フッと笑うと、恥ずかしそうに頬を染めている早夜の頬を、両手で包む。

 潤んだ瞳で見上げる早夜。少しだけ開いた唇に、シェルは口付けを落とした。


「ん……」


 温かく柔らかな感触に、早夜は緊張して唇が震えるのを感じた。触れてくる唇は、その緊張を解す様に、何度も何度も優しく啄ばんで来る。

 そして、濡れた感触に、唇を舐められているのだと分ると、早夜はビクッと身体を強張らせてしまった。シェルの手が、震える早夜の身体を宥めるように優しく撫でてゆく。

 何もかもが優しくて、次第に頭の中がボーとしてきた。早夜はふと目を開け、陶酔した眼差しで、シェルを見つめていた。

 シェルの青い瞳もまた、早夜を優しく見つめ返してくる。

 その後はずっと、二人は口付けを交わす間、そうやって互いを見詰め合っていた。


 どのくらいそうしていたのか、時の感覚さえ分らなくなる位、早夜はその優しいキスに陶酔してしまったようだ。

 シェルはそんな早夜の唇を、最後にもう一度だけ名残惜しそうに軽く啄ばむと、漸く身を離した。そして、フッと笑う。


「良かった。今回は腰は抜かしてないみたいだな……」

「……え?」


 最初何を言われているのか理解できなかったが、徐々に頭が覚醒してくると、カァッと顔を真っ赤に染めた。恥ずかしくなって、シェルの顔をまともに見れなくなり、顔を俯ける。唇にはまだ、生々しい感触が残っていた。


「もう行くといい。リカルドを待たせているんだろう?」

「あ、は、はい。そうでした……」


 早夜はそう言って、シェルに向かって一瞬、何と言おうかと迷った後、


「じゃあ、行ってきます」


 と言って彼の元を去ってゆく。


 シェルはその後姿を見送り、そして自分の唇に触れた。

(胸に思い出を残したかったのは、俺の方だ……。サヤには恐らく、気付かれていたな……)

 そう思っていると、後ろでガサッと音がした。


「また盗み聞きですか? 趣味が悪いですよ、マウローシェ様」


 シェルは其方を見ずに言う。


「何、君がサヤ嬢を手篭めにしないか見張ってたんじゃないか。それに、そう言う君もかなり趣味が悪いと思うけどね。

 あんな口付けを交わした後に、サヤ嬢を君の弟の所に送るのか? それでは弟君が可哀想じゃないか」


 その言葉を聞いて、シェルはフッと笑った。


「そうでもしないと、あの弟は全てを掻っ攫ってしまうのでね。無意識に、人の心を捉えるのが上手い奴なんですよ、私の弟は……」






(なんか私、すごい事しちゃったかも……)

 ハァと溜息をつく早夜。シェルの事が頭から離れないまま、あの丘へとやってきた。

 相変わらず、ここは風が強い。

 乱れる髪を手で押さえながら、早夜はリカルドの姿を探す。

 そして見つけた。


 彼は、柔らかな草の上に寝転がっている。

 近付いてゆくと、彼が目を瞑っているのが見えた。


「……リカルドさん……?」


 早夜は彼の傍らに腰を下ろすと、彼の顔を覗き込んだ。

 寝ているのかと思い、そっと手を伸ばしてみる。

 そして、その手が彼に触れそうになる寸前、その手を掴まれた。

 早夜が吃驚していると、彼はパチッと目を開け、少々怒った顔で、「遅い!」と文句を言った。


「お、起きてたんですか?」


 吃驚して慌てながらそう言うと、リカルドは起き上がり、ボソリと呟いた。


「……緊張して寝るどころじゃねーよ……」


 聞き取れずに、早夜は首を傾げるのだが、彼はムスッとしたまま答えることはしなかった。


「あの、話って何ですか?」


 気を取り直して勤めて明るくそう訊ねる。

 リカルドはじっと早夜を見つめた。しかしその手は掴まれたままだ。

 早夜は何だか落ち着かず、そわそわとしてしまう。

 その時、


「行くな……」


 ポツリと聞こえ、「え?」と彼に目を向けると、彼は真剣な眼差しで続ける。


「クラジバールなんかに行くな。そして、出来るのなら、俺の傍にずっといて欲しい……。好きなんだ、お前の事が……」


 少々緊張した面持ちのリカルド。

 早夜はその言葉を聞いて、頬が熱くなった。

 その言葉の意味する所、それは自分の傍にずっといて欲しいといった意味、これはプロポーズなのではないか。早夜はそう思ってしまった。


「初めて会った時から、たぶん俺は、お前を好きになってたんだと思う。

 あっ、あの力のせいだとか言うんじゃねーぞ! この気持ちは、間違いなく俺自身の気持ちなんだからな!」


 怒ったように彼は宣言する。

 早夜は戸惑い、「えと、はい……」と頷いた。

 それを見ると、リカルドは肩の力を抜いて、ハァーと息を吐き出す。


「漸くサヤに、俺の気持ち、伝えられた……」


 ホッとしたような、一仕事終えたような、そんな顔をするリカルドに、早夜はキョトンとしてしまう。

(あれ? プロポーズじゃない? ただの告白?)

 カァッと顔が熱くなる。早とちりしてしまった自分が恥ずかしい。

 そして、どう言ったものかと考え、早夜はあの事を言う事にした。

 隠したままにしとくのも、何だか悪い気がしたのだ。


「ええっと……あの、知ってましたよ?」

「は?」

「あの、だから……リカルドさんの気持ち。その……私知ってました……」


 恥ずかしそうに、早夜はリカルドを窺う。

 彼はポカンとした顔で口を開けていた。

 そして、ハッとして我に返ると、


「な、何で――……?」

「……星見の塔に行った日の事です。リカルドさん、気付いてないみたいですけど、実はあの時、声に出して言っていたんですよ。口にだけはしないって――……」

「あー……え!?」


 リカルドは思い出そうとして、そして一拍間を置いてから、顔を真っ赤にして叫ぶ。


「えぇー!!」


 そして慌てた様に早夜に詰め寄る。


「お、俺、口に出してたのか!?」

「はい」

「ど、何処まで!?」

「えと、私が好きになるまで口にはしないと、絶対に振り向かせるとか、誰にも渡さないとか……」


「全部じゃねーか!!」


 リカルドは叫んだ。物凄く恥ずかしそうであった。


「あー、くそっ! 忘れろ――って忘れなくていいのか? あー、でもすげー恥ずかしい……」


 片手で顔を覆いながら、リカルドは言った。

 そうしている間も、やっぱり手は掴まれたままで、早夜としても何とも言えず、彼の羞恥心が移ったのか恥ずかしくなってきた。


「あの、でも、気持ちは凄く嬉しかったですよ。だって、小さい頃から、夢を通してリカルドさんの事見てましたから。それに私、好きだったんですよ」

「え!?」

「リカルドさんの笑顔が」

「ああ……」


 好きだと言われ、期待して、違うと分って落胆した顔を見せるリカルド。

 早夜はそれに気付かず、そのまま続けた。


「リカルドさんの笑顔は、何時でも私を勇気付けてくれました。そして私を元気付けてくれました。

 だから、目の前でその笑顔を見せてくれた時、凄く嬉しかったし、ドキドキしました」


 まるで、物語の登場人物が、目の前に現れた様な感覚とでも言うのだろうか。それは、他の者達でも言える事であったが、その中でもリカルドは特別だった。

 何たって、リュウキと一番親しかったのは彼なのだ。

 自分もまた、彼とはずっと親しかった様な、そんな気がしていた。


 リカルドはリカルドで、そんな事を言われ、物凄く照れていた。

 こんな風に面と向かって、笑顔が好きだと言われるのは初めてである。それも、自分の好きな相手だ。


「だから、私がクラジバールに行く時も、笑顔で見送ってくれませんか? 私に勇気をもって、あちらに行かせて下さい。そうすれば頑張れます」


 掴まれた手で、逆に彼の手を握り返した。

 ハッと表情を硬くして、リカルドが早夜を見る。


「何で、お前が行く必要があんだよ。お前は死にかけたんだぞ? なのに、生き返った傍から、そんな危ない真似しようとする事無いだろ?」


 「それに……」と、リカルドは早夜の手をグイッと引っ張る。

 頬に温かさを感じ、リカルドの心臓の音が、間近に聞こえる。

 自分が今何をされているのか、自覚すると共に、どきんと胸が脈打った。

 同時に先程のシェルの事が思い出され、カァッと体が熱くなり、何だか彼に悪い気がして、早夜はその腕から逃れようと身じろぎする。しかし、リカルドは更に強く抱き締めてきて、離そうとしなかった。


「お前はあの時、俺を庇ってくれたんだよな? だとしたら、お前は俺の命の恩人だろう? 俺に恩を返させないつもりか?」

「あ、あの時は夢中で……自分でも何をしているのか、理解できないくらいでした。だからリカルドさんは、恩なんか感じなくともいいんですよ。

 寧ろ、その後、物凄く心配させてしまったので、そんなのは無しでいいです」


 居た堪れなさにそう言うと、リカルドは身体を離し、早夜の顔を覗き込む。やはり怒った顔をしていた。

 しかも、キス出来る様な距離で、思わず顔を逸らしてしまうのだが、


「それって、無意識に俺を助けたって事だよな。自分が死ぬかも分らないのに、俺を助けようとしたんだろ? それって少しは俺の事が好きって事か?」


 リカルドは早夜の顔を両手で包み、自分の方に向かせる。


「なら、キスしてもいいな」

「えぇ!?」

「だって、早夜がクラジバールに行っちまったら、今度いつ会えるのか分らないだろ? 嫌ならはっきり言ってくれよ。俺の事は好きじゃないって」

「そ、そんな……」


 好きじゃない訳じゃない。寧ろ好きだ。

 でも、それは彼の好きと一緒のものなのだろうか。

 それにシェルの事も……。

 だって、ついさっき、シェルともキスをしたばかりなのだ。それで直ぐに、リカルドともキスをするなんて……。


「嫌か……?」


 早夜が押し黙っていると、リカルドの消え入りそうで、切なげな声が聞こえてくる。

 何だかいつもの彼では無いみたいだ。

 こうして見ると、彼は本当に綺麗な顔をしている。胸がドキドキと高鳴った。

 深い緑色の瞳に見つめられて、目を逸らす事が出来ない。

 言葉よりも雄弁なその眼差しに、顔がカァッと熱くなる。


「……い、やと、言う訳では……」


 知らず声が掠れてしまった。


「なら、いいな?」


 リカルドが僅かに顔を傾け、早夜の唇に自分の唇を近づけてゆく。


「でも、さっきシェルさんとも――」


 唇がいよいよ触れそうになった時、早夜が咄嗟に叫んだ。

 言ってしまってから、ハッとリカルドを見ると、彼は怒気の含んだ目で此方を見ている。


「……兄貴ともしたのか?」

「え? あ、あの……」

「……兄貴の事が好きなのか……?」

「好き、と言うか、その……チャンスが欲しいと言うので……」

「何のチャンスだよ?」

「えっ、あ、うっ……」


 昨夜の事など言える筈も無いので、早夜は口篭ってしまう。


「もしかして、昨日やっぱり何かあったんだな? 兄貴もちょっと、様子変だったし……」


 リカルドは悔しそうに口を引き結ぶび、早夜の額に自分の額を押し付けた。


「くそっ、やっぱり兄貴が一番の危険人物だった……」


 そして、早夜の目を覗き込みながら言う。


「兄貴は良くて、俺は駄目なのか?」


 早夜は再びその緑色の瞳から、目が逸らせなくなった。


「兄貴の方が、やっぱりいいのかよ……」


 リカルドの指が、早夜の唇をなぞる。

 その行為は彼の願望が如実に現れていて、早夜は体がぞくんと粟立つのを感じた。


「そうだよな……何時だって兄貴らの方が上なんだ……。少しでも認めて欲しくて、幾ら頑張った所で、元々優秀な兄貴らに敵う訳無いのに……バカみたいだな、俺」


 リカルドは寂しそうにフッと笑って、その手を離した。


「リカルド、さん?」


 早夜は、その彼らしくない様子に、不思議そうに見やる。

 リカルドはそんな早夜に、苦笑して見せると言った。


「みっともないな、俺。好きな女の前で、こんな愚痴……」


 早夜はキュウッと、胸が締め付けられるのを感じた。

 今、彼は自分の前で弱みを見せているのだ。

 恐らく、兄達に対してずっと、引け目やコンプレックスを持っていたに違いない。そしてそれを、周りを騒がせるあのいつもの言動に隠していたのだと気付いた。

 本当は、とても繊細で、思いやりと優しさを持った人なのだ。

 なのに、こんな苦しそうな、辛そうな顔など、見たくなかった。


「リカルドさん――」


 気付けば早夜はリカルドの顔を、両手で包んでいた。

 そして此方を向かせると、戸惑った様に揺れる、彼の瞳とぶつかる。


「サヤ……?」

「リカルドさんは、リカルドさんですよ。私、今言いましたよね? リカルドさんの笑顔が好きだって……。それにマシューさん達の事とか……、リカルドさんには、リカルドさんにしか出来ない事があると思うんです。

 だから……そんな辛そうな顔、しないで下さい……」


 早夜はリカルドの目を見つめながら言った。

 緑色の瞳の中に、悲しげな顔をしている自分が映っている。では、今、自分の瞳の中には、辛そうな顔をした彼が映っているのだろうか。

 何となくそんな事を考え、早夜は自然とその顔を近づけていった。

 目の前の緑色の瞳が見開かれる。

 唇には柔らかな感触。

 早夜はゆっくりと瞬きをすると、自分が今、何をしているのかに気付いた。


「っ!!」


 慌てて、リカルドから離れる早夜。

 リカルドはというと、ボーとした面持ちで、呆けている。

 無意識とはいえ、今自分は、彼に此方からキスをしてしまったのだ。

 その事実は、早夜の中で、かなり衝撃的な事だった。

(私は、彼の事が好きなんだろうか?)

 そんな事を思い、改めてリカルドの事を見た。

 その時、リカルドは漸く我に返り、彼もまた早夜を見る。

 ドキリとして顔が熱くなった。

(恥ずかしい。今は見られたくない)

 そう思い、早夜は顔を覆い隠す。


「サヤ、お前今……」

「や、見ないで下さい――」


 リカルドは、耳まで真っ赤にする早夜を見た。

(なんだ? 俺今、サヤにキスされたのか?)

 その事実がじんわりと、頭の中に浸透してゆく。同時に胸にも喜びが満ちてゆく。


「サヤ……」


 静かな声で呼びかけ、自分の顔を覆い隠す、彼女の手に触れる。

 早夜はビクンと身体を震わすと、「あ……」と声を上げ、リカルドの手から逃れるように身を引いた。

 それをさせまいと、リカルドは早夜の手を掴んだ。

 その拍子に、顔から手が離され、その顔をリカルドの前に晒す。

 慌ててもう一方の方の手で、顔全体を隠そうとするのを、リカルドももう一方の手を使い、阻止してしまう。

 後には、今にも泣きそうに眉をめいっぱい下げ、羞恥で顔を真っ赤に染め、その目は熱を佩びた様に潤ませる早夜の顔があった。


「あ、やっ、見ないで――」


 早夜はギュッと目を瞑り、顔を俯ける。


「いやだ。見る……」


 そんな子供っぽい事を言って、リカルドは再び、彼女の顔を両手で包む。


「今のって、どういう事だ? 俺に同情したのか?」

「いいえ! そんな事――……」


 リカルドの言葉を、必死で否定する早夜。

 何でこんな事をしてしまったのか、自分でも良く分らなかった。

 気付いたらそうしていたとしか、言い様が無い。

 無意識だったのだ。

(だとしたらやっぱり私は――……)


「ごめんなさい、自分でも良く分らないんです……リカルドさんへの気持ち……。でも、同情とかじゃ、絶対に無いです」


 顔は赤いながらも、真っ直ぐにリカルドを見て、真剣な顔でそう言った。


「リカルドさんは、優しくて思いやりのある人です。人と比べる事なんてありません。リカルドさんがリカルドさんであるだけで、十分に素敵な事なんですから……」


 早夜はいつの間にか、にっこりと微笑んでいた。

 リカルドの瞳が揺れる。

 早夜の言葉が、ゆっくりと彼の中に浸透していった。

 こつんと額を押し付けてきて、彼もまたフッと微笑む。


「お前って、本当に幸福の遣いなんだな。前に俺が、お前を幸せにするって言っといて、今、俺の方がすげー幸せだよ」


 そして、リカルドは早夜の瞳を覗きこむ。

 そこには自分自身が映っていて、それが何だか嬉しくて、更に笑みを深くした。


「俺今、お前にすげーキスしたい」

「え?」

「今度は俺から……」


 最後にそう呟くと、早夜の返事を待たずに唇を押し付けてくる。まるで、唇の感触を確かめる様にゆっくりと。

 シェルの時とは全く違う。

 シェルはもっと慣れた感じで、大人な感じのものだった。でもリカルドは、慣れていないのが分る、不安げで躊躇いがちなキス。

 ぎこちないけれど、それでも彼の気持ちが伝わって来るかのようなそれに、知らず、彼に答える様に、早夜もまた唇を押し付けていた。

 早夜の手はリカルドの首に回され、リカルドの手は早夜の腰にしっかりと回されている。

 互いの熱い吐息が絡み合い、何度も離れては口付けを繰り返して、徐々に深いものへと変わってゆく。



 やがて、どちらとも無く溜息を漏らし、二人は離れた。

 今だ熱っぽく、お互いを見詰め合っている。


「お前だけを行かせない。俺も絶対に方法見つけて、クラジバールに行ってやるからな……」


 彼の囁く声に、早夜はコクリと頷くのだった。




 その後早夜は、リカルドと共にゴミための街へと行き、皆にクラジバールへ行く旨を伝えた。

 当然の事ながら、皆は反対したが、それでも決めた事だからと早夜が言うと、彼らも漸く諦め、それぞれが激励の言葉をくれた。

 サニアには泣かれてしまった。

 それでも最後には早夜を抱き締め、激励を言ってくれた。

 そして、こんな事も言った。


「絶対に無事に戻ってきてね。あなたにも見せたいの。私とマシューの赤ちゃん……」


 嬉しそうに微笑み、自分の腹を撫でるサニア。

 早夜は驚きと共に、祝いの言葉を言う。

 すると、彼女はフッと笑って、


「本当の所は、まだ分らないんだけどね。でも、星かごに星が入ったのよ。それにね、不思議な事があったの。

 その時、アリサの声が聞こえた気がしたの。そして、お腹を撫でられる感触も……。だからきっと……」


 そんなサニアに、早夜もきっとそうだと答えた。


「後、この事はマシューには内緒よ。あの人、自分には子供は出来ないと思ってるから……。出来てから吃驚させようと思って」


 サニアはそう言って、フフッと悪戯っぽく笑って見せたのだった。




 それから、早夜とリカルドは城に戻ったのだが、そこにはリジャイが待っていた。


「おかえり、早夜。君さえよければ、君の聞きたがっていた話をしてあげる。如何する?」


 早夜は息を呑んだ。


 早夜が聞きたがっていた事。それは、何故彼が自分の名を、字を知っていたのか。

 早夜のその表情を見て、リジャイの紫色の瞳がスッと細められた。





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