18.魂の宿命
「仰せのままに……サヤ様」
そう呟くと、カンナは自らの身体から、呪印を解かせ、早夜を包もうとする。
「あの、待って下さい」
けれども早夜は、カンナを真っ直ぐに見据え、彼女を遮る。カンナ早夜を見据えた。
「せめて、この星見祭が終わるまで、待ってはくれませんか? 星を……おじぃちゃん先生を、還してあげたいんです……」
早夜は、その手に持つ星かごを、両手で包み込む。
感謝を込めて、寂しさを胸に押し込んで……。
カンナはそんな早夜を見つめ、そして目を伏せると頭を垂れた。
「御意……」
早夜とカンナを包んでいた呪印が消え去った。
「サヤッ!!」
途端に早夜は、この場にいる者達に囲まれる。
「どういうつもりだサヤ! 何を考えている!?」
「クラジバールに行くなんて、駄目だ!」
シェルとリカルドが、必死の形相で詰め寄った。
しかし、早夜は彼らを静かに見据えると、優しく微笑んだ。
「心配してくださって、ありがとう御座います。でも、私行きたいんです。
此方に来て、今まで皆さんに色々として貰ってばっかりで、今度は私が、皆さんに何かしてあげたい。今回、私がクラジバールにいく事によって、何を何処まで出来るかわかりませんが、アルフォレシアとクラジバールの橋渡しになれたらと、そう思いました」
そう言うと、早夜はグースを見た。
この考えに至ったのは、彼のお陰だ。その彼は、今だ涙を流し、星かごを抱き締めている。
その時、ガシッと肩を掴まれた。
シェルだ。
彼は酷く怒った顔で、此方を見下ろしている。
「行くなサヤ! あの国では、異界の者を道具の様に扱うという。何をされるか分らないんだぞ!」
「そうだ、サヤ! もう少し待てば、俺らがリュウキを助けに行く! アオイとリョータもだ!」
リカルドも険しい顔で言った。
しかし、早夜は首を振って、否定する。
「……それだけでは駄目です。リュウキさんや蒼ちゃんたちを助けるだけでいいんですか? それに、もし彼らを救えたとしても、また不幸になる人が現れるだけです。もっと別のものを、変えなえればならないんだと思います」
早夜は真剣な顔で前を見据える。
リジャイに付けられていたあの枷、囚われた異界人や、奴隷の者達には皆、付けられた物だと聞いた。そして、自分であればそれを外せる。
今までもその事について考えた事がある。でも、それだけでは駄目なのだと気付いたのだ。
まず、それを人に付けさせようとする人間の心を変えなければ、何も変らないのだと。
「サヤ、お前のその考えは確かに正しい。だが、そう考えた所で、どうにもならないこともある。それに正直、お前一人で何か出来るとは、到底思えない」
ミヒャエルが厳しい顔で、早夜を見据えている。早夜はその眼差しを真摯に受け止め、頷いた。
「それは分っています。でも私は、自分の力で前に進みたいんです。それにこの万物の力と呼ばれる私の力、私はこの力と向き合ってゆく事に決めました。こんな力を持って生まれたからには、何かきっと理由があるんです。私はその理由が知りたい……見つけたいんです」
早夜はそっと目を閉じる。確かに感じる自分の中の力。
願わくば、この力は人を幸せにする為の力であって欲しい。そう思った。
そして早夜は、ギュッと温かいものに包まれる。目を開けると、目の前には優しく深い緑色の眼差しと、立派な髭。
アルファード王だった。
「サヤ、余はそなたのような者を迎えられて、とても誇りに思う。そして、そなたには、この国にずっといて欲しい。
サヤよ、そなたはもう、リュウキと同様、もう一人の余の子供だと思っている。父としての心よりの願いなのだ」
アルファードは跪くと、早夜の目を真正面に捉える。
「愛しい娘を、敵地に送る親などおるまい?」
何処までも優しく、自愛に満ちたその眼差しに、早夜は涙が溢れる。心が締め付けられ、早夜は溜まらずその首に抱きついた。
アルファード王は、まるで本当の娘であるかのように、その頭を優しく撫でた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……。でも、行きたいんです、どうしても。それに私は――」
早夜はあの、おじぃちゃん先生に見せられた自分の父のあの姿が忘れられない。もしかしたら、あんな風でなかったら、このアルファード王のような人だったのかもしれない。そう思うと、余計に切なくなった。
アルファード王は、ごめんなさいと謝りながら、泣きじゃくる早夜を抱き締めつつ、フッと笑った。
「ああ、参った……。愛しい娘の願い。聞き入れたいと思う父がいる……」
早夜は目を見開き、身体を離すと、アルファード王をまじまじと見た。彼は苦笑して、早夜を見つめ返す。
「父上!?」
「親父!? 何言ってんだよ!」
シェルとリカルドが怒鳴る。
アルファード王は、彼らを無視するように、早夜の濡れる頬を拭った。
「サヤ、そなたの思うとおりにやればいい。だが、約束してくれ、必ずここに戻ってくると。そして忘れないで欲しい。どんなに離れていようと、そなたは余の娘だ」
早夜はアルファードの言葉を受け、拭われる傍から、また涙を零す。もう一度その首に抱きつくと、ごめんなさいではなく、今度はこう言った。
「ありがとう御座います……お父さん――」
リジャイはその光景を、少しは慣れた場所から眩しげに眺めている。
「……お父さん、か――……」
ふと呟き、手元を見る。その手にはいつの間にか呪符が握られていた。あの早夜のお守りの中に入っていた物だ。
「……会いに行こうか……」
ポツリと呟く。
リジャイは目を瞑った。
(いや、まだだ。まだやる事が残っている……)
リジャイは目を開け、早夜を見る。
(彼女の為に出来る事を。それに、彼女には約束している……。果たして受け入れてくれるだろうか……?)
フッと苦笑する。
「そんなものは夢物語だ。でも、君が如何思おうと、僕は君を……」
その呟きを、誰かが聞く事は無い。
ただその眼差しは、何処までも優しく、早夜を見つめ続けていた。
「明日、お前に話したい事がある。あの丘で待ってるからな」
リカルドがそう言って、早夜と別れる。
今、早夜は自分の部屋の前にいた。あの後、リカルドに送られたのだ。
シェルは此方を見てはくれなかった。
辛そうに顔を歪め、拳を握り締めていた。とてもじゃないが、話しかけられる様子ではなかった。
早夜はハァと息を吐き、自分の部屋に入ろうと扉を開ける。
「サヤ」
ハッとして顔を上げると、そこにはシェルが立っていた。
「……シェルさん?」
怒ったような辛そうなその顔。早夜は恐る恐る声をかけた。
シェルは大股に早夜に近付くと、ドアノブをつかむその手を掴み、自分は扉に手を掛けると乱暴に開け、部屋の中に入ってゆく。
そして扉を閉めると、早夜を抱き締めた。そして、いきなりの事で声が出ない早夜の顎を掴むと上向かせる。
「二度目のキスは、優しくすると決めていたのにな」
そう皮肉気に笑い、呟くと、その唇に覆いかぶさる。
「んんっ!!」
その乱暴な口付けは、以前されたものを思い起こさせた。でも、あの時とは明らかに違う。
早夜を見つめるその眼差しは、熱く切なげだった。それに、あの時は冷静さも感じられた口づけであったが、今は余裕など一切感じられない。
早夜は最初、怯え必死に抵抗し、その胸を叩いたり服を引っ張ったりもしていたが、シェルはその腕を緩める音は無い。次第に早夜の手は、抵抗を止めしがみ付く様に服を掴むだけとなった。
口の中に進入してきた彼の舌に、早夜の舌は絡め取られ、何度も吸われた。
「んぁっ……ふぅ、んっ……」
その度に鼻に掛かった声が漏れ出てしまい、早夜は死ぬほど恥ずかしかった。そして、カクンと膝が折れ、完全に彼に身体を預けている形となる。
漸く唇が離され、早夜は勢いよく肺に酸素を送り、潤んだ瞳でシェルを見上げる。その頬は上気しており、ともすれば誘っている様でもある。
「――何で……?」
いつの間にか、そう口についていた。
その言葉を聞いたシェルは、顔を歪め、早夜を見下ろす。
「“なんで?”それをお前が言うのか? サヤ、お前はあの時、意識があったのだろう? ならば聞いていた筈だ。俺はお前に愛していると言った」
するとシェルは、早夜を抱き上げた。
まるで、以前の事を再現するような行動であったが、早夜は今、彼の鬼気迫るような様子に、恐れを感じている。そして、あの時と同じように長いすに下ろされた。
しかし、その後は全く違う行動……。
シェルは、そのまま早夜を長いすの上に組み敷いた。
「……シェルさん?」
早夜は不安げに、自分を組み敷く男を見上げる。
影になり、彼の顔がよく見えない。その事が余計に、早夜に言い知れぬ不安を感じさせた。
「お前が俺から離れると言うのならば、今ここで、お前を俺のものにする。お前の中に、俺という存在を刻み込んでやる。恨むなら恨め、その方が俺の事を忘れないだろう?」
暗い影の中で、シェルの瞳が鋭く細められたのを感じた。
具体的に何をされるかなど分らなかったが、それでも体が粟立ち、これから起こる事に恐怖し身体を震わせた。
「い、いやっ!!」
早夜は叫び、彼から逃れようともがくが、男と女、しかもこれほどの対格差もあればそれは無力に等しい。
シェルはその手を掴むと、簡単に押さえつけてしまう。
「嫌です……シェルさん、お願い止め――んんっ」
懇願するも、その口は直ぐに塞がれ、彼の舌に翻弄される。
知らず、その目に涙が溢れた。
感じるものは、恐怖なのか悲しいのか、何も出来ない自分への憤りか、それとも聞き入れてくれない彼への苛立ちなのか。自分でも、色んな感情が入り混じっていて、よく分らなかった。
「……止めてなどやらない。これは俺から離れようとするお前への罰だ」
そう言うと、シェルは早夜の服に手を掛け、器用に片手で脱がせて行く。服を肌蹴させると、その白い肌が外気に晒され、早夜は震えた。
ひやりと冷たい手が早夜の肌を滑る。驚くほど優しい仕草で、控えめなふくらみを撫でた。
ザワリと粟立つ身体。
「ふ…ぁ…やぁ……」
「てに吸い付くような肌だな……そういえば、あの三つ目の男もこの肌に触れられているのだったな……。ならば、この肌にも刻み付けてやる。俺のものだという証を……」
シェルはその口に歪んだ笑みを浮かべ、その白い肌に痕を付けようと顔を近づけていった。
早夜は更なる刺激を覚悟してギュッと目を瞑る。
しかし、
「……?」
一向に何も起こらない。早夜は不思議に思って、そっと目を開ける。
そこには、首元にナイフを突きつけられたシェルと、そして彼にナイフを突きつけているリジャイの姿があった。
「リジャイさん……何で?」
呆然と呟く早夜。
「全く、いつもいつも、キサマには邪魔をされてばっかりだな」
忌々しげにシェルが言った。
リジャイはそんな彼に冷たく言い放つ。
「君が何処で何をしようが、僕は一向に構わない。でも、君は早夜を泣かせた。それにこれは……」
リジャイはチラリと早夜を見ると、眉を寄せた。
「如何見ても、嫌がる彼女に無理矢理襲いかかろうとしている様にしか見えないけどな……。一国の王子ともあろう者が、強姦かい? 君こそ牢屋に入るべきじゃないのかな?」
皮肉げにリジャイは言う。それに、と彼は続けた。
「君は僕に感謝すべきだ。僕がこうして君を止めなければ、今頃君は殺されていたよ。彼女に……」
そう言って、後ろに目を向ける。
そこには、紫色の波打つ髪に、グレーの暗い瞳の女性が、シェルを睨みつけ立っている。その身体には、青白く光る呪印が浮かび上がり、右手の先から解け、刃のような形となり、それをシェルに向けていた。
「サヤ様を傷付ける者、何人たりとも許す訳にはいかない。サヤ様、どうかご命令を。この男を殺せと仰って下さい」
カンナは一度もシェルから目を逸らせる事無く、早夜に向かって言った。
早夜はシェルを見上げる。彼は辛そうに顔を歪め、此方を見下ろしていた。今彼は、酷く傷付いている。早夜はそう思った。
彼にこんな事をさせてしまったのは自分なのだと、彼を傷付けてしまったのだと思った。
「カンナさん、止めて下さい。シェルさんは悪くないです。私が彼を傷付けてしまったんです。私が悪いんです……ごめんなさい、シェルさん。ごめんなさい……」
シェルはハッと早夜を見つめる。ポロポロと涙を零しながら、彼女は謝り続けていた。それを見て、愕然とした気持ちになる。
「仰せのままに……」
カンナが早夜の言葉を聞き、目を伏せ頭を垂れる。その手の刃は元の呪印に戻っている。
そして、足元から呪印を解けさせると、自身を包み込み、その場からその姿を消し去ってしまった。
それを見ていたリジャイはナイフを引っ込め、シェルから身を離す。
シェルはと言うと、ぼんやりと早夜を見つめていた。いまだ服を肌蹴させたままで、ポロポロと涙を流し、自分に向かって謝り続ける彼女に、徐々に何をしてしまったのか理解し始める。
「サヤ……」
呼びかけ手を伸ばすと、早夜はビクッと身体を震わせた。
シェルは漸く冷静になり、これほどまでにこの少女を怯えさせてしまった自分を呪った。
「ああ、謝らないでくれ、サヤ。つい感情的になってしまった。悪いのは俺なんだ。すまない、サヤ……」
シェルがそう言うと、早夜はやっと此方を見た。
涙で濡れるその瞳を悲しげに揺らし、見つめてくるその姿に、改めて胸が痛くなる。
「反省してる所悪いけど、君にはお仕置きが必要だ」
その時リジャイがそう言って、シェルに向かい手を伸ばしてきた。
そして――。
目の前の視界が突然変った。
何が起こったのか理解できず、呆然とするシェル。
「シェル?」
声を掛けられ、其方に目を向けると、驚いた表情で此方を見る女性が……。
彼女はラフな格好で、ベッドの上で身をくつろげ、本などを読んでいる赤い髪の女性。
「マウローシェ様……?」
シェルが呆然と呟くと、漸く今いる場所が理解できた。
ここは、彼女に用意された客室。そして、自分は今、そのベッドの上に居るのだと。
「なんだい、シェル。夜這いに来たのなら、相手を間違えているよ?」
彼女は身体を起こすと、驚いてはいるが落ち着いた様子で、シェルを見ていた。
「くそっ、やられた!」
シェルは悔しげに言い捨てた。
直前に言われたあの男の言葉が頭に浮かぶ。
「お仕置きだと!? これでは、サヤに謝る所ではないじゃないか!」
怒りが込み上げ、ドスッとベッドに拳を叩きつけるシェルに、マウローシェは別段驚いた様子も無く、ベッドから降りると、
「まぁ、落ち着いて。一体如何したのか、聞かせてくれないかな? それにあの後、サヤ嬢とはどうなったのか知りたいし」
そう言うとマウローシェは、一本のビンを取り出した。
「国から持ってきた取って置きだ。君と飲もうかと思ってたんだ。丁度いいだろう?」
シェルはいまだ、怒りで顔を強張らせているが、マウローシェの言葉に、やがて諦めたように、息を吐き出すのだった。
いきなり目の前から消え去ってしまったシェルに、早夜は目を瞬かせる。一体何が起こったと言うのか。
漸くのろのろと起き上がると、肌蹴られた服をギュッと掻き抱く。不安げに、シェルを消し去ってしまった張本人であるリジャイを見上げた。
「あ……リジャイさん……シェルさんは?」
かなり掠れた声になってしまった。
するとリジャイは早夜を見て、フッと笑うと言った。
「大丈夫。何もひどい所には送ってないよ。彼にはちょっと頭を冷やしてもらおうと思って。彼を許す許さないは、早夜が決める事だしね」
長いすの端に腰を下ろすと、リジャイは早夜の濡れる頬を拭おうと手を伸ばす。しかし、ビクッと身体を震わせる彼女を見て、苦笑しながら手を引っ込めた。
「人を警戒する事は悪い事じゃない。ましてや相手が男なら尚更ね。君は今まで、無防備すぎたから、丁度良かったのかもしれない」
早夜は恥じ入るように、「ごめんなさい」と呟いた。
「何も謝る事は無いよ。悪いのはあの王子様だ」
「いいえ、彼にあんな事をさせてしまったのは……傷付けてしまったのは、私なんだと思います……」
リジャイはハァッと溜息を吐く。
「君のそういう所は美徳だと思うけど、時に行き過ぎるよね。それで君がどんなに傷付いたとしても、君はきっと許してしまうんだろう……。
僕は心配だよ。そうやって、君がボロボロになってしまうんじゃないかって」
リジャイは何処か悲しそうに、早夜を見つめる。そして、フッと表情を和らげるといつものふざけた感じで言った。
「それよりも、早く服を直してくれない? 僕まで君を襲っちゃうよ?」
ハッとして、早夜は慌てて前を締めた。
元通りになった所で、リジャイは口を開く。
「今回の君の決断、立派だったよ。でも、無謀すぎる。僕が何時でも君を助けられる訳じゃない。
クラジバールは、この国のように異界人に優しいわけじゃないんだ。寧ろ、その逆。蔑み、ましてや同じ人と思ってない所もある。それでも君は行くというのか?」
リジャイは静かながらも、その事が余計に彼の心の激情を物語っているようだった。
早夜は彼を暫し見つめ、「はい」と頷いた。
リジャイは短い溜息をつくと、優しく微笑み、見つめ返す。
「分った。君がそこまで決断しているのなら、僕はもう何も言わないよ。寧ろ、その勇気に敬意を表したい位だ」
そして、ふと切なげに瞳を揺らせると、ポツリと言った。
「……君に触れてもいいかな? 心臓の音が聴きたい……」
寂しげなその声に、早夜は一瞬身体を強張らせたが、今のリジャイはまるで、親に置いて行かれそうな子供の表情していた。
まだ怖いと言う思いはあったが、その何処までも不安そうな顔に、早夜はコクリと頷いていた。
リジャイはホッとした顔になって、「ありがとう」と呟くと、そっと近付き、その胸に顔を埋める。
早夜の体が震えている。心臓の音も早鐘のように脈打っていた。
その事に気付き、怖いのにこうして許してくれた彼女に、改めてその優しさに胸が切なくなる。
「何処にも行かないで欲しい……。どうか僕の前から、消えてしまわないで――……。
あれほど怖いと思ったのは初めてだった。人が死ぬのがこんなにも怖いと思ったのは……」
リジャイは囁く。
早夜が死んだと思った時、自分の全てが崩れてしまうんじゃないかと思った。心を閉ざしてしまわなければ、果たしてあの時、自分はどうしていただろう。
出会わなければこんな思いをしなくて済んでいたのか?
否、出会わなければ、自分の心はこんなにも安らぐことは無かった。
「逃げないと決めたのに……決心が揺らいでしまいそうだ……。だからどうか、勝手に逝ってしまう事はしないで欲しい……」
リジャイのその言葉に、訳は分らないながらも、早夜は安心させるように彼の頭を撫でるのだった。
星見祭最終日、人々は川辺に集まり、星かごを川へと流す。
かごの中に入った星を、空に返す儀式だ。
何故空に返すのに、川に流すのか。
それは昔からの決まり事であり、理由など誰も知らない。
早夜もまた、星かごを手に、川辺に立っている。
その隣にはグースが立っていた。少し離れた所には、カートとルードがいて、早夜とグースを見守っている。
シェルには結局、あの後会っていないし、リカルドはきっと、あの丘で待っているのだろう。
早夜は隣のグースを見た。
彼は、ぼんやりと手元の星かごを眺めている。
上流の方では、ミシュアがミヒャエルとアイーシャに連れられ、星の入った星かごを、川に流す所であった。
「さぁ、グースさん。私たちも星かごを流しましょう?」
そう言うが、彼は何時までも星かごを眺めたまま、一向に動こうとしない。
早夜もまた、自分の手元の星かごを見た。
今は夜ではないため、太陽の明るさにより、星の輝きは殆ど分らない。それでも、手で覆うと、その影でひっそりと輝く光の粒を見る事が出来る。グースはそれをずっと見ていた。
それは彼の愛しい娘であったものの魂の欠片。手放す事が出来ないでいるのだろう。
早夜だってそうだ。ずっと出来る事なら、もう一度会いたいと思っていた人物に会えた。それなのに、もう離れなければならない。
早夜はグースに言った。
「私の星かごに入った星。これは私が子供の頃、私に幸せになりなさいと言ってくれた人のものです」
グースは早夜に目を向ける。
「その人が言っていたんです。人は死ぬと魂の故郷に還ってゆくのだと。そして、そこには全てがあるのだとも言っていました。だから、そこにいけば寂しくはないし、安らげるのだそうです。
でももし、そこに還って行けない魂があるのだとしたら、それは魂の迷子となってしまう。そう、その人は言っていました」
グースはハッと息を呑み、「魂の迷子……」そう呟くと、星かごを握る手に力を込める。
「だから、還してあげましょう? 全てのある、魂の故郷に。
私の世界では、生まれ変わりと言う言葉があります。もしかしたら、その故郷で、新しく生まれ変わる準備をするのかもしれません。
だからグースさん、星かごを川に流しましょう」
早夜の言葉に、漸くグースは決心が付いたようだった。
「……生まれ変わる。この子は……ミモザはまた、私の前に現れてくれるでしょうか……?」
「もしかしたらまた、グースさんの子供に生まれたいと、思ってくれているかもしれませんよ……」
早夜がそう言うと、グースの目に涙が浮かんだ。
「そう、だといいですね……。私もまた、ミモザに会いたい。そして、妻や息子にも……」
そう呟くと、そっと星かごを水面に置く。星かごは、水の上に浮かび、川の流れに沿って、下流へと流れていった。
早夜もまた、それに習うように、星かごを流す。
やがて、星かごは、水中に沈んで行くのだろう。そして、光の粒は、空へと……いや、魂の故郷へと還ってゆくのだ。
「ありがとう、おじぃちゃん先生……。私、前に進んでいくよ。頑張って人を幸せにしていく。自分自身が幸せになれるように……」
そして早夜は、グースに言った。
「だからグースさんも、幸せになって下さい。ミモザちゃんは、ずっと見守ってくれていますよ。そして、望んでくれている筈です。グースさんの幸せを……。グースさんの願いが、叶う事を……」
そこで漸く、グースの顔に笑みが浮かんだ。
「ええ、だから私の星かごに入ってくれたんですね。叶うとも限らない、私の願いに……。これはまた、偉く期待されてしまいました……」
「だって、子供にとって、お父さんは偉大なものですよ。ヒーローです」
そうして二人は、暫く笑い合った。
「お互い頑張りましょう、サヤさん。これから、貴女がしようとしている事は、とても難しい事でしょう。どんなに頑張っても、報われないものかもしれません。
私も、自分の願いを叶える為、死力を尽くします。これは、私の魂に刻まれた、宿命なのかもしれませんね。生まれ変わっても、私はきっと、そうし続けるのでしょう。今、何故か漠然とそう思いました……」
そうして、星を返す儀式は終わった。
早夜とグースはここで別れた。彼は、カートとルードと共に行ってしまう。
それなりの罰は受ける事となるだろうと言っていた。そう言った時の彼は笑っていた。どんな事でも、受け入れる覚悟が出来た顔をして。