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異界の旅人  作者: ろーりんぐ
《第五章》
65/107

17.贄の魔法

 !!注意!!

 今回、胸の悪くなるような表現、言葉が出てくると思います。

(一体、如何してこんな事になってしまったのか……)


 グースは、目の前で蠢く赤い液体を眺めながら、ぼんやりと考える。

 自分はただ、異界人について研究しているだけの学者だった筈だ。

 しかしある時、とある記述を見つけてしまった。バスターシュの民の始祖が、異界人であるという記述だ。

 異界人は敵である、と言われ続けてきたグースにとって、それは衝撃的な事実だった。

 それにより、今までの考え方もガラリと変わった。

 そして何より、国が行っている戦全てが、無意味なものに思えてきた。

 我等は同じ、異邦人だと言うのに、何故手を取り合えないのだろう、分かり合えないのだろう。


 だから、グースは進言したのだ。和平を結ぶべきだと。

 まさか、その考えが通るとは思ってなかった。

 でも、妻も娘も喜んでくれた。これで無駄な争いは終わるのだと。


 自分の夢。


 それは、この世から争いがなくなる事。

 人々が手を取り合い、未来を築きあげる事。

 これから生まれてくる者たちが、幸せに暮らせるように……。


 なのに、あの男(バストラ)は言った。


「この国の要人を殺せ」


 そして渡される、毒と針の仕込まれた指輪。


「これで、握手でもした時に刺せ。相手は一瞬で死ぬ」

「なっ!? 何故そのような事を!? 和平に来たのではないのですか?」


 すると、バストラは見下したような目でグースを見、そしていやらしく笑った。


「和平だと? 馬鹿な事を……。可笑しいとは思わなかったのか? お前のようなただの学者が、そんな大役を何で仰せつかったのか……。

 これは見せしめだ。これ以上、可笑しな事を言う奴が居ないようにと言うな」

「そんなっ、だとしても、私はこんな事出来ません!」


 そう言って、渡された毒と指輪をつき返す。

 しかし、バストラは更に、いやらしく笑った。


「そんな事をすると、お前の妻と娘が悲しむぞ? 無事に会いたいだろう? グース……」


 サッと血の気が引くのを感じる。

 それは……それの意味する事とは――。


「妻と娘に、何かしたんですか……?」


 グースは震える声で、そう訊ねる。


「さぁ? それはお前次第なんじゃないか?」


 グースは突き出していた手を、下におろす。


「そうだ。大人しく言う事を聞け。お前の愛する、家族の為にな」



 一体誰を殺すべきか。

 グースはそれから、そのような事を考えていた。

 なるべく、大事にならない人物がいい。それでいて、要人とも取れる者……。



「何!? あの異界人を殺すだと!? あんな小娘一人殺した所で、どうにもならないのではないか!?」

「あの娘は“幸福の遣い”です。幸福を呼び込むあの娘が居なくなれば、この国にこれ以上の発展は望めないでしょう。

 それに、気付きませんでしたか? 昨日、あの娘に付き添っていた護衛の者。あれはこの国の王子です。それも二人。大分大事にされているようですよ」


 暫く渋っていたバストラであったが、


「まぁ、いいだろう。余計な真似はしない事だ。見張っているぞ」


 ククッと笑って、そう言うのだった。



 あの異界人の娘、まだ子供のようであった。

 グースは、自分の娘と重なり、胸が痛くなる。しかし、グースは心を殺した。

 妻と娘、そしてこれから生まれてくる命の為、悪魔になろうと決めた。

 グースは指輪を嵌め、チャンスを待つ。


 そして、そのチャンスは廻ってきた。護衛が王子一人になったのだ。

 グースは、彼らの前に立つ。大事な話があると呼び止めた。

 ここまでは予定通りだった。

 だが、グースはその娘の顔を見て、愕然とする。

 それは、この国に来た時、自分を介抱してくれた娘だった。

 自分の事を、父親のようだと言って、涙を見せた娘であった。

 ああ、と思った。

 これは罪だと。そして、悪魔になる代償だと。

 少なからず、縁を持ってしまったこの娘を殺す事……。

 グースはその娘の手を握った。


「あ……」


 少女が声を発し、そして此方を見つめる黒い瞳。

(ああ、これが私の今に姿。悪魔に魂を売る自分の姿……)

 グースは、少女の瞳に映り込む、自分の姿を見て、そう思った。


 その後、少女は毒を受けたにも拘らず、まだ息を意識をしっかり持っていた。

 しっかり殺すには、傍に居るこの王子も邪魔だと思い、彼に手を伸ばすも、少女がすんでの所で彼を庇った。そして、魔方陣と共に姿を消してしまった。

 呆然とする中、入れ替わるように、目の前に三つ目の男が現れ、手足を折られる。後ろの方で隠れていたらしいバストラも捕らえられ、自分と同じ様に手足を折られた。そして、何処かに移動させられる。


 そこで見た光景。


 既に死んでしまったと思われる少女の姿。

 役目を終えたと思うと同時に、その姿に心が痛んだ。そして、少女がこんなにも、愛された者である事を知った。


 それから奇跡が起きた。少女が生き返ったのだ。

 グースは、少女に救われたような気がした。

 自分は殺してはいなかったのだ。そして、愕然とする。

 もしあのまま、この少女が死んだままであったなら、自分は果たして、家族に笑顔で会えただろうかと。この手で、娘を抱き上げられただろうかと……。

 一生拭えぬ罪を背負って、家族に偽りの笑顔を向けていただろうと思った。

 そうグースは、思い改めて、今度は少女を感謝の念で見た時である。

 隣で転がるバストラが、何やらごそごそとしているのが見えた。

 折れた腕で服を漁り、何かを取り出す。

 それは、透明なガラス玉の様だった。

 バストラは一度、グースの方をチラリと見ると、ニヤリと笑い、それを口に入れ、そして――。




 赤く蠢く液体は、小刻みに震え、まるで何かを求めるように、グースの体を這い上がろうとする。

 ゾッとして思わず、


「よせっ、くるな!」


 と叫んでいた。

 顔を真っ青にし、痛みの走る手足を必死に動かし、その液体から逃れようとする。

 するとバストラが、さも可笑しそうに笑いながら言った。


「ああ、可哀想に。父に拒絶されるとは――……」


 グースはピタリと動きを止め、バストラを見る。


「ああ、駄目です。グースさん、聞いては駄目です!」


 その時、少女の声が響く。目を向けると、必死な顔でそう訴える、漆黒の髪の少女の姿。

 彼女は、二人の王子に支えられ、悲痛な表情で此方を見ていた。





 早夜は、必死になって叫ぶ。

 あの、バストラという男の言葉。そして、贄の魔法を見て、最悪な答えが早夜の中で導き出された。

 以前見た、この贄の魔法。その時、早夜の中の知識は告げたのだ。

 胸の悪くなるような、その素となる魔法の原材料を。

 彼が今、それを聞いては駄目だ。早夜はそう思い叫んでいた。

 しかし、バストラは構わず話し続ける。


「分からんか? それはな、“贄の魔法”と言う。それに人を喰わせる事によって、術の威力が増し、大爆発を起こす。

 だが、残念な事に、まだ完全ではないのだよ。グース、お前が完成させてくれないか?」


 バストラが、今までで一番のいやらしい笑みを見せた。

 誰もバストラを止める事は出来ない。彼の周りに存在する結界は、強力な物だった。


「クソッ、こりゃリュウキん時と同じ結界か?」

「これは私にも、解除不能です……」


 近くにいたカートとルードが、結界を壊そうと試みるが、無駄に終わった。

 早夜も何とかしたかったが、今は魔力をあまり出す事は出来ない。まだ毒と体の回復が完全ではない為だ。

 リジャイはどういう訳か、黙って見ているだけであった。


「バストラさん、あなたは一体何が言いたいのですか……?」


 顔を真っ青にして、微かに震えながら、グースは聞く。

 頭の何処かで、聞いてはいけないと警報が鳴っていた。

 バストラがニヤッと笑う。


「この魔法を造り出すのに必要な、原材料を教えてやる。それは――」

「止めて下さい!」


 早夜はそれを遮る様に叫ぶが、バストラは早夜をちらりと見て、さらに笑みを深くするだけだった。


「あの娘はこの原材料を知っているらしい。お前にも教えてやろう、グース。それはな、十にも満たない子供の生き血と胎児の心臓だよ。

 ああ、そうだ。お前の妻の胎の子は、男児だったそうだぞ……」


 ここに居る者全てが衝撃を受け、そしてグースは、一瞬にして絶望の淵へと追いやられた。


「ああ……あぁ……」

「そうだ。もっと絶望しろ。深い悲しみと絶望と恐怖。それが最後の材料となる。

 ああ、そうそう、何故お前がそれを吐き出したのか教えてやらねばな。それはな、お前の中に術の元があったからさ。ここに来る途中、馬車の中で、お前は何を飲んだ?」


 そう言われて思い出す。酔い止めとして渡された、カプセル状の薬。


「もう分かっただろう? あれは酔い止めの薬なんかじゃない。あれはな、お前の息子の心臓だよ、グース……」

「うああぁーー!!」


 グースは叫ぶ。叫びながら吐いた。

 それは赤くはない。彼自身が吐いた吐しゃ物だ。

 今更吐いた所で、ソレを吐き出せる訳ではないのに、グースは吐き続けた。

 涙が止め処無く溢れる。


「良かったな、グース。お前はずっと、息子と一緒にいたんだよ。それにあの赤い液体。元はお前の娘だ。可愛がってやれ」


 聞いている者は皆、胸が悪くなってくる。


「何と非道な事を……」


 これはアルファードの呟きだ。


「ああ、グースさん……」


 早夜は涙を流していた。

 彼が嬉しそうに自分の娘について、語っていた事を思い出す。子供が生まれてくるのだと、喜んでいた事も。


「外道だな……」

「ああ……許せねえ……」


 シェルとリカルドが呟いた。





 術は今まさに完成しようとしていた。

 グースの深い悲しみと絶望に呼応するように、赤い液体が大きく震えた。そして、グースに近づき、彼の体を這い上がり始めた。

 グースはもう、抵抗はしない。逆にその液体に向かって、抱き締めようと手を伸ばした。


「うぁ――……ミ、モザ……ミモザ――」


 それは恐らく、娘の名であったのだろう。彼はそう呼び続けた。

 液体は今、グースの体を包み込もうとしている。


「あ……」


 その時早夜は見た。

 彼の上空に、何やら光るものがある。それは降りて来る事無く、ただふわふわと漂うだけ。

 それには見覚えがある。今日はそれが、沢山空から降ってきた。

 早夜には一瞬、それが幼い少女の様に映った。悲しそうな顔で、グースを見下ろしている。


「グースさん、それはもう、あなたの娘さんではありません……」


 早夜は言ったが、その言葉にグースは一切反応しない。もう何も見ようとはしていなかった。

 彼に向かって、早夜は歩き出していた。


「おい!」

「サヤ!?」


 シェルとリカルドが引き止めようとするが、リジャイがそれを阻む。


「早夜は大丈夫だ。見てれば分かる」


 訝しげにリジャイを見る二人であったが、その理由は直ぐに分かった。

 早夜が近づくと、その赤い液体は、まるで怯える様に離れていくのである。


「早夜は今、悲しみを感じているこそすれ、恐怖も絶望も感じてはいない。寧ろ、何か希望の様なものを感じているみたいだ。恐らく、アレにとっては太陽にでも近づかれてる様に感じてるのかも」



「おい、嬢ちゃん……」

「サヤ様……」


 グースの近くにいたカートとルードが、早夜に声を掛ける。

 早夜は彼らの向かって微笑むと、「大丈夫です」と言って、グースの傍らに膝を付いた。


「ああ、ミモザ……」


 離れていってしまう液体を、悲しそうに見やるグース。そして、離れてしまった原因である早夜を睨んだ。

 早夜はそれには動じず、グースの手を取ると、両手で包み込んだ。


「グースさん、ソレはもう、娘さんじゃないんですよ。魂は既に、還る場所へ還ったんです。そんな姿のお父さんを見たら、ミモザちゃんはきっと悲しみますよ」


 早夜は悲しそうに眉を顰めながら言った。そして、不意に訊ねる。


「星かごは持っていますか?」


 グースは訝しげに早夜を見る。

 早夜は目を瞑ると、彼に向かって癒しの魔法を行使する。

 ポゥッと折れた部分を中心に陣が現れ、輝きだす。


「ぐぁっ」


 グースは堪らず、呻き声を上げる。

 折れた骨が元の位置に戻り、くっ付こうとする感覚は、何とも言えない、形容し難い痛みを伴わせた。

 骨がくっ付くと、早夜は言った。


「星かごを出してはくれませんか?」


 まったく早夜の意図が分からず、グースはぼんやりと彼女を見詰め続ける。

 早夜は彼から手を放すと、その手を上空へと差し出した。ふわりとその手に、光の粒が降りてくる。

 その時漸く、他の者はその光の存在に気付いた。


「星……?」


 グースは呟く。

 早夜は頷くと、その手をグースの前に突き出し、


「これは魂の欠片です。死んでしまった人や、これから宿る命の結晶です。そして、この星はグースさんの星かごに入りたがっています……」

「……魂の欠片……?」


 そう呟くと、ハッとして、その光の粒を見た。


「ミ、モザ……?」


 グースが恐る恐ると言うように囁くと、その光が答える様にチラチラと瞬いた。それを見たグースは、震える手で星かごを取り出す。

 早夜は彼に尋ねた。


「それに書いてある願い事は、何ですか?」


 グースは星かごの中の紙を見、そして震える声で言った。


「……お父さんの願い事が叶いますように……」

「……では、その願いとは何ですか?」


 グースはグッと嗚咽を堪えようとするが、涙は止め処無く溢れて来る。


「世界から争い事が無くなる事……。未来を生きる子供達が、皆幸せになる事……」


 すると、ふわりと光の粒が浮き上がり、グースの持っている星かごの中に入った。


「……星が入ったから願い事が叶うんじゃありません。星は見守り、ほんのちょっと手助けをするだけ。自分で、その願いを叶えねばならないんですよ……。グースさんが、その願いを叶えるんです。

 どうか、本当の意味での和平の遣いとなって下さい。私なんかよりもずっと、幸福の遣いと呼ばれる様になって下さい。それは本当に難しい事だと思います。でも、グースさんになら出来ると私も信じています。

 グースさん、お願いします。幸せになって下さい。お父さんと言うものがどんなものか分からない私に、グースさんは少しでもそれを感じさせてくれた。だから、幸せになって下さい。恐らくそれは、娘さんの、ミモザちゃんの願いでもあると思うんです……」


 グースは言葉も無く、ただ星かごを抱き締め、嗚咽を漏らし続けた。

 最早、あの赤い液体もグースに近づこうとしない。

 グースは今、絶望も恐怖も無く、深い悲しみと遣る瀬無さは残ったが、それでも前に歩き出そうとしていた。


「チッ、余計な事を」


 それらを見て、忌々しげに呟くバストラ。

 皆が彼を睨む中、赤い液体が動き出す。魔法陣を描き出したのだ。


「そんな、まだ完成してない筈なのに……」


 ルードが呟く。


「あん時と同じだ……」


 リカルドの中で、あの時の映像が蘇る。

 シェルがチッと舌打ちをし、アルファードとミヒャエルに振り返った。


「早くこの部屋を離れよう! 父上とミヒャエルも早く避難を! 国賓の人達にも呼びかけて下さい!」


 そう言った時、結界内のバストラが楽しそうに笑い出す。


「ははっ、無駄な足掻きだ! 発動したら止まらない、それがこの魔法! 不完全ではあるが、お前達や、他の国の者も巻き込めるだけの威力はあるぞ!」


 その時、今まで黙っていたリジャイが、スッと前に出てきて、バストラのいる結界をコンコンと叩いた。


「……大分、丈夫そうな結界だねぇ、君だけ助かるつもり?」

「そうだ! この中からお前らが消し炭になるのを見届けてやろう!」


 すると、リジャイが目を細めて言った。


「もしこの中に、この赤いゼリーを入れたらどうなるんだろうね?」

「何を馬鹿な事を、そんな事出来る筈が無いだろう。それを動かす事など不可能だ」


 バストラは馬鹿にしたように笑う。


「へぇ、そんな事誰が決めたのかな? やってみなくちゃ分からないよ?」


 そう言うとリジャイは、その赤い蠢く液体の中へ入ってゆく。


「リジャイさん!?」


 早夜がギョッとして声を上げた。

 リジャイは、一度早夜をチラッと見ると、ニッと笑う。

 赤い液体は、リジャイの存在に気付いたのか、ピタリと止まった。


「さぁ、いい子だ。こっちにおいで……」


 リジャイがそう言って手を差し伸べると、ソレは嬉々としてリジャイの元に擦り寄ってくる。


「馬鹿め、自ら餌になるか!」


 バストラがフンと笑った。


「リジャイさん、やめて下さい!」


 早夜がリジャイの元に駆け寄ろうとするが、リカルドとシェルに止められる。


「止せサヤ、巻き込まれるぞ!」

「そうだ、それにあの男の事だ。何か秘策があるのかもしれない」

「え? 無いよ」


 一瞬、シンと静まりそして、


「秘策も無いのに、お前はそんな事をしているのか!?」

「ああ! 早く逃げなくては!」

「それよりも、客人達の避難だ!」

「あ! 私、結界くらいなら何とかできると思います」

「いや、お前は無理するんじゃねえ!」


 等と、それぞれ言い合う中、リジャイは吹き出した。

 皆が訝しげに見る。


「あはは、じょーだん、じょーだん。ちょっと言ってみただけ。秘策ならちゃんとあるよ」


 そう言っている間も、リジャイの体は半分以上も赤い液体に覆われている。


「こんな時に、冗談など言っている場合ではないだろう!」


 そうだ、そうだと、他の者達も口を揃えて言った。


「それに見た感じ、あんまり大丈夫そうには見えねーよな……」

「本当に大丈夫ですか……?」


 不信そうなリカルドと、心配そうな早夜を見て、リジャイはフフッと笑うと、手の平をくるっと返した。次の瞬間には、その手にはナイフが握られている。そして、それを手首に当てると、一気に横に引いた。

 勢いよく溢れ出る血。

 皆が呆気に取られる中、赤い液体はその血に惹かれる様に、その血と同化してゆく。手首に巻き付き、吹き出る血を吸い取り、赤い液体はますます鮮やかな色になった。

 そうしていると、ソレに異変が現れ始めた。

 一瞬、ブルルッと震えたかと思うと、ソレはリジャイから剥がれ落ち、床にバシャリと広がった。そして、赤く輝いたかと思うと、大きく立ち上がり、人の形となる。


「なっ!!?」


 バストラが驚きの声を上げる。他の者も益々呆気に取られた顔をした。


「うん、こんなもんかな」


 リジャイはそう言うと、血の吹き出る手首を軽く振り、魔法でサッと治してしまう。

 早夜もまた、信じられない思いで目の前の光景を見ている。


「血で縛り付けた?」


 早夜には、リジャイが魔力を纏わりつかせた自分の血液を、あの赤い液体に取り込ませ、外から操っているように見えた。そして、いとも簡単にやってのけた様に見えるが、これが結構難しい事だと分かる。

 かなりの集中力がいるし、しかもあのように人の形を取らせるなど、改めて彼の凄さを見せ付けられたような気がした。


「さてと、これで移動が可能になった訳だけど……」

「馬鹿なっ!! 有り得ない! ば、化け物!!」


 バストラが叫ぶ。

 その言葉を聞き、リジャイは紫色の瞳で彼を見据える。そして、クッと笑った。


「前にも同じ事を言った奴がいたっけ……。そいつがどうなったか、その身で教えてあげようか?」


 すると、リジャイは結界に触れ、陣を出すと、その中へ一歩踏み出した。バストラのいる結界内へと入ってゆく。

 それも、赤い人形(ひとがた)を引き連れて……。


「ひっ!!?」


 バストラが真っ青な顔をする中、リジャイはニッと笑い、指をパチンと鳴らした。バシャリと音がして、赤い人形は液体に戻り、そして新しい魔法陣を描き出す。


「さて、これで被害はこの結果の中だけになった訳だ……如何する?」


 リジャイは、バストラの前にしゃがみ込んで、頬杖を付きながらそう言った。


「い、いやだ! 助け――ヒィッ!」


 バストラは悲鳴を上げる。赤い液体が、バストラの体を這い上がろうとしていたからだ。


「ああ、ダメだよ。恐怖と絶望は、ソレの餌なんだろう? そんな風に怖がっていたら、君がそいつの餌になってしまうよ?」


 ニヤニヤと笑いながらリジャイが言う。

 そして、魔方陣が輝き始めた。


「い、嫌だぁー!! 死にたくない! 何でもする! 何でもするから助けてくれ!」


 バストラが、みっともなく涙を流しながら、リジャイに取り縋る。

 しかし、リジャイは冷たい瞳でバストラを見下ろすと、


「ギャア!」


 自分に取り縋ってくるバストラの手の甲に、ナイフを突き刺した。





「リ、リジャイさん……」


 早夜が呆然として呟く。リジャイのしている事に、顔を青くさせている。

 そして、大きな手に、その目を塞がれた。


「見るな、奴の拷問が始まった」


 シェルの声がする。

 では、この手は彼のものだろうか、と思っていると、バストラの悲鳴が響いてきた。


「ひぃ! ギャアッ!! うあぁ、助けて――ぐあっ!!」


 断続的にバストラの悲鳴が上がる中、リジャイの声は一切しない。ただ、何かを突き刺すような音が、バストラの悲鳴と重なるように聞こえた。

 早夜は無意識に、隣にいる誰かに縋り付いた。震える手で、その服を掴む。

 すると、まるで安心させるように、その手を誰かが包み込んでくれた。


「だ、大丈夫だ。声は酷い事されてそうだけど、実際にはそんなに酷い事はされてねーから……」


 それはリカルドの声だったが、僅かながらその声は震えていた。





「まぁ、こんなもんかな……」


 リジャイの呟きが聞こえた。そして、バストラの啜り泣くような呻き声。


「術がそろそろ完成しそうだ……」


 リジャイがそう言った数秒後、爆発音と共に、目を塞いでいたシェルの手が退かされた。

 まるで、何事も無かったかのような静かな室内。

 結界のお蔭なのか、爆発の痕跡など一切見受けられなかった。

 そして、リジャイとバストラの姿も……。


「あ、あの、リジャイさんは?」


 早夜はリカルドを見上げ、そう尋ねた。彼は青い顔をしながらも、「さぁ」と首を振る。

 周りを見てみると、皆一様に青い顔をしていた。

 ルードなんかは、今にも倒れそうであった。


「……男として、物凄く嫌なものを見た……」


 カートも冷や汗を掻きながら、真顔でそんな事を呟いている。

 嫌なものとは何だろうと思いながら、リジャイの姿を探して辺りを見回す。


「リジャイさん! リジャイさんは!?」


 そしてハッとして、指輪に向かって呼びかける。


「リジャイさん、何処ですか? 大丈夫ですか? リジャイさん!」

「呼んだ?」


 そんな声と共に、目の前に現れるリジャイ。

 その手には、襟部分を掴まれ引きずられる様にされている、バストラの姿。その目は最早空ろだ。

 そして、血や傷跡等は一切見受けられず、折れた手足まで元通りに治っていた。その代わり、体の至る所に、呪印の様な物が施されている。


「いやー、空間の狭間で、これに術を施してたんだけど、心配させちゃった? ごめんね、早夜」

「……? 術とは一体何をしたんだ?」


 シェルがバストラを見ながら尋ねる。


「だって、さっきこの人、何でも言う事聞くって言ってたでしょ? それ、本当にしてもらおうと思って、逆らったら痛みが走るようにした。さっき、僕が刺した所全部に、引き千切られる様な痛みが走る筈だよ」


 事も無げに言うリジャイに、皆顔を真っ青にした。


「ひ、引き千切られる……」


 ゾッとした様にカートが呟いた。

 そして、何故か股間を押さえるのだった。





(あ、そういえば、私の星かごは……)

 大分状況が落ち着き、早夜はホッとして、星かごの存在を思い出した。

 床を見渡すと、それは少し後ろの方に転がっている。星もちゃんとその中に納まっていた。この星は、大事な人の魂の欠片。そう思って、早夜はそれを拾い上げる。

 そして、顔を上げた時、目の前に女性が立っていた。

 紫色の波打つ髪。灰色の瞳で此方をじっと見下ろしている。その肌には、青白く光るように、呪印があった。


「見つけた……私の覇王……」


 恍惚の表情を浮かべ、微笑み早夜の手を取った。

 他の者も漸くその事に気付き、此方を見る。


「しまった! カンナが居たんだった! 早夜、彼女に命令して! このままじゃ、クラジバールに連れてかれる!」


 リジャイが叫ぶ。

 他の者たちも、早夜に近づこうとしたが、カンナの足元から広がるように呪印が現れ、自身と早夜を囲む。それは、結界の様に、何者の侵入も阻んだ。リジャイにさえ無理のようだった。

 早夜は目の前のカンナを見上げる。


「……あなたが、カンナさん?」

「はい、どうかカンナとお呼び下さい。私の覇王」

「覇王……は、止めて下さい。私は早夜と言います」

「……畏まりました。サヤ様……」


 カンナは跪き、早夜の手の甲に口付けした。

 まるで、騎士の様な仕草に一同が戸惑う中、リジャイが呆気に取られたように呟く。


「あれ? 命令するまでも無い?」

「……命令など不要です……。早夜様の存在自体が、常に私に命令している。従えと……。

 仰せのままに、サヤ様。私のこの身、あなた様に捧げます……」


 うっとりと早夜を見上げ、カンナは言う。

 どうやらクラジバールに連れて行かれる心配はなさそうだと、誰もが安心した時、早夜はカンナに向かって言った。


「カンナさん、私をクラジバールに連れて行ってください」


『っ!!』


 皆が目を剥き、早夜を見た。

 それぞれがダメだと声を上げる中、早夜は彼らを振り返る。


「……私、リュウキさんに会いたいです。それに、蒼ちゃんと亮太君にも……。こっちに来れない、何か理由があるんですね? だったら私から会いに行きます」


 固く決意したその表情。

 星かごの願い。それを一つ叶えに行く。そして、蒼達にも会わなくては……。

 あの時感じたのだ。蒼から漂う何か黒い物。自分に何が出来るかわからないが、それを見過ごす事なんか出来ない。


「仰せのままに……」


 カンナは跪いたまま、恍惚の表情で早夜を見続けていた。





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