16.凍てつく心、解ける涙
早夜は、リカルドに手を引かれながら、元来た道を戻ってゆく。
その間も、星は止め処無く振り続け、この星全てが人々の想いのような気がする早夜。
そうして、空を眺めながら歩いていた早夜は、リカルドが急に立ち止まった為、その背にぶつかってしまった。
「あぅっ! す、すみません」
鼻を押さえて謝る早夜であったが、リカルドからは返事はなく、如何したのだろうと彼を見上げる。
その目は厳しく前を見ている。不審そうな表情をしていた。
早夜も彼の目線を追う。
「あ、グースさん?」
そこには、一人でポツンと佇む、グースの姿があった。彼は此方に気付いたようだった。
「何だ、知り合いか?」
リカルドが早夜を振り返る。
「知り合いと言うか、あの人はバスターシュの人ですよ。和平の使いとして来たそうです」
そう言うと、「何!?」とリカルドは目を剥いた。
そしてその目の色は、更に不信感を増したものになる。
「でも、凄くいい人でしたよ」
慌てて早夜はそう言うが、リカルドが警戒を怠る事はなかった。
彼は早夜を庇うようにして、グースの脇を通り過ぎようとした時、
「お待ち下さい」
グースが声を掛けてきた。
「其方の方は、この度の異界より来られた客人とお見受けします。大事なお話があるのです。少しだけ、お時間を頂けませんか?」
彼を見て早夜はあれ?と思った。
何だか顔色が悪く、酷く具合が悪そうだったからだ。
だから思わず、
「如何したんですか? 顔色が真っ青ですよ? 何処か具合でも悪いですか?」
そう言いながら近づいていた。
「お、おい、サヤ! だめだ!」
リカルドが焦った声をあげる。
そして、早夜を見たグースは、驚愕に目を見開かせた。
「――あなたはあの時の……」
そう呟くと、辛そうに顔を歪める。
「ああ、そんな……」
グースは顔を覆った。
早夜はそんな彼を心配し、更に近付こうとすると、
「バカ、お前は無闇矢鱈に人に近寄るんじゃねぇ! 危ねえ奴だったらどーすんだ!」
リカルドがそう言って、止めようとする。
「そんなっ、グースさんは危なくなんかないです!」
「いえ、そこにいる方の言う通りですよ。貴女はもうちょっと、人を疑う事を覚えた方がよろしいです……」
グースはそう言うと、自嘲気味に笑いながら、早夜の手を取った。
あの優しげな雰囲気は、今のグースには全くなかった。何処か荒んだ、暗い雰囲気が彼を取り巻く。
手にチクリと痛みが走った。
「あ……」
僅かに声をあげ、目の前に居るグースを見上げた。彼は酷く悲しげに此方を見下ろしている。
「ああ、すみません。本当にすみません……」
「おい、おっさん! サヤに触るんじゃねぇ!」
リカルドがグースの手を払った。だが、早夜の手の甲に、赤い点があった事に、全く気付かなかった。なので、自分の後ろで早夜が胸を押さえ、息苦しそうにしている事にも気付けなかった。
「すみません。でも、こうするしか私には道がなかった……」
「?? 何の事だ!?」
目の前の男の言っている意味が分らず、リカルドは訝しげに眉を顰める。
だがその時、トサッと音がして振り返ると、早夜が胸を押さえ膝をついている所だった。
「サヤ!!?」
慌ててリカルドが駆け寄ると、早夜は目に涙を浮かべ、ヒューヒューと細い息を吐いている。
「凄いですね、即効性の毒だと言うのに、まだ意識があるとは……」
「何だと!? じゃあこれはてめーが――」
リカルドは立ち上がって、グースに詰め寄ろうとしたが、ガクンとバランスを崩す。見れば、早夜がリカルドの腕を掴んでいる。
必死になって、リカルドを止めているのだ。
「何で止めんだよ! お前の事そんなにした奴だぞ!」
そう怒鳴りながらも、早夜の苦しそうな様子に、今にも泣きそうに顔を歪ませている。
その時、「すみません」という声が直ぐ後ろでした。
ハッとしてリカルドが振り返るのと、早夜が彼の首にしがみ付くのは殆ど同時だった。
リカルドの目に、グースが、自分の首に回された早夜の細い腕を掴んだのが見えた。
そして地面に魔法陣が浮かぶ。早夜から、魔力が溢れ出るのを感じた。
「止めろ、駄目だサヤ」
魔法陣の輝きが増し、魔力は行使された。
気付けば、リカルドの目の前には、見慣れた人物達が揃っていた。
「リカルド!? 何でお前たちがここに!?」
シェルが驚きの表情で声をかける。
「まさか、サヤ様が移動魔法を行なったのですか!?」
ルードが早夜の魔力を感じ取りそう言った。
「何でお前ら抱き合ってるんだ?」
カートが呆れた様に言う。
リカルドは、呆然として彼らを見た。
そして、ずるりと早夜が崩れ落ちる。
リカルドはハッとして、その体を抱きとめた。
その拍子にフードが取れ、黒く長い髪が流れ落ち、ポトッと早夜が握り締めていた星かごも落ちる。
リカルドは腕の中の早夜を見下ろした。
最初は、魔法を使った事で、意識を失ったのだと思った。
しかし、そこには漆黒の瞳があった。それは光を拒み、何ものも映してはいない。
口も薄く開いた状態で、その口からは、微かな呼吸さえも感じられなかった。
他の者も、早夜のそのただ事ではない様子を見て取った。
「そんな……うそだろ? おいサヤ! 返事しろよ!」
リカルドが早夜を揺さぶった。
「おい! 誰か医者を!!」
ミヒャエルの声が響き渡る。
カートが慌てて部屋を飛び出していった。
ルードも早夜に駆け寄り、魔術でその体を探る。しかし、彼の顔は曇り、その杖を握る手は震えていた。
「ああ、そんな、生命反応が無い――……」
そう絶望の声を上げるルード。
その場に居る者達に、強い絶望と悲しみが広がってゆく。
「ああ、何という事だ……」
アルファード王が、目頭を押さえ、頭を振る。
「何だよそれ……生命反応が無いって――……。もっとちゃんと見ろよ!」
リカルドはルードにあたり散らす様に彼を怒鳴りつける。
だがその時、リカルドは胸倉を掴まれた。
「一体これはどういう事だ! 俺はお前にサヤを頼んだ筈だぞ!」
シェルがリカルドに怒りをぶつける。まるで、悲しみを怒りに変えた様だった。
リカルドは、辛そうに顔を歪める。
「バスターシュの奴が現れて……。グースって名前の、メガネを掛けた……」
シェルの目が見開かれ、胸倉を掴む手が放された。
「グース……あの時の――」
「ああ、サヤごめん……俺のせいだ……」
リカルドは強く早夜を抱き締める。目には涙を浮かべていた。
(俺があの時、サヤを連れ出さなければ……)
そう思う事で、どうなる訳でもないが、後悔の念に押しつぶされそうになる。
と、その時である。ドサドサッと音を上げて、天井から何かが落ちてきた。
見るとそれは、今しがた早夜をこんな目に会わせた張本人であるグースと、彼と共にやってきたという、バストラという男であった。
二人とも、呻き声を上げている。よく見てみれば、足と腕が変な方向に折れ曲がっていた。
「すまない。気づくのが遅れた」
そう言って現れたのはリジャイであった。
彼は静かに部屋を見回すと、リカルドに抱かれた生気の無い早夜の姿を見て、一瞬顔を歪めた。そして、次の瞬間には、その顔は無表情なものへと変わる。
その時、ルードはビクッと震える。
彼から何やら禍々しいものが立ち上るのを見たからだ。
「医者連れて来た!」
その時、カートが老人を連れて部屋に入ってきたが、その重苦しい雰囲気に、ウッとたじろぐ。
けれど皆一様に悲しみに暮れた顔をしているのを見て、それから、泣きながら早夜を抱くリカルドを見て、
「そんな……嬢ちゃん、うそだろ?」
そう呟き、クシャリと髪に手を差し入れ、顔を悲痛に歪ませる。
「あの……私は誰を診ればよろしいので……?」
躊躇いがちに老人が尋ねてくるが、誰もそれに答える事は出来なかった。
(ああ……ごめんなさい……)
そう声を出したかったが、それは叶わなかった。
頬に熱いものが当たるのを感じ、手を伸ばして泣かないでと言いたかった。しかし、手も足も、頬の筋肉一つさえも、動かす事は出来ない。
そう、早夜はまだ意識があったのだ。体が麻痺し、呼吸も心臓も止まっていたが、それでも早夜は意識があった。
止まっているとは言ったが、実際には呼吸も心臓も完全には止まった訳ではない。時折、思い出したかのように、心臓は脈打ち、酸素も僅かながら取り入れていた。ただそれは、あまりにも微かな動きであった為、誰も早夜が生きている等とは思わなかった。
それは、早夜の中の力が、毒を中和する為に極力体に負担を掛けないようにそうしているものである。全魔力を自分の内の毒に集中している為、魔力を出して知らせるという事も出来なかった。
「俺、まだお前に好きだって言ってない。だから、起きろよ。俺に好きだって言わせてくれ……」
早夜は耳元で、リカルドがそう掠れた声で囁くのを聞いた。
その時、肩に温かい物が触れるのを感じる。
リカルドが顔を上げ、そしてもう一度此方を見下ろすと、ゆっくりと手を放す。そして早夜は、別の男性の腕の中に居た。
「サヤ……そういえば俺も、口に出してちゃんと言った事は無かったな……」
苦笑して此方を見下ろしてくるのは、シェルであった。そして、悲しみに顔を歪ませると、強く抱き締め、頬を摺り寄せてくる。
「それが、こんなにも後悔の念を生むとは……。お前のお蔭で俺は癒されたんだ。お前のお蔭で前を向く事を覚えたんだ。それに、この想いを如何してくれる?」
震える声で言った後、消え入りそうな声で、
「愛しているんだ……」
と囁いた。
早夜は胸が締め付けられそうな思いがした。泣きたくなったが、生憎涙を流す事も出来なかった。
彼らに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、どうにかして生きている事を伝えたかった。
そして、早夜の視界の先に、リジャイの姿を捉える事が出来た。
彼は無表情で此方を見ている。そんな顔にさせてしまっているのも、自分のせいだと思い、早夜は悲しくなった。
彼だったらもしかしたら、如何にかして何かに気づいてくれるかもしれないと思って、心の中でめいっぱい呼び掛けてみるが、一向に反応は無かった。
その時、悲壮感に包まれる部屋の中に、場違いな笑い声が響き渡る。
皆が一斉に其方を見た。
そこには、手足を折られ無様に床に転がる、グースとバストラの姿がある。
グースは辛そうに、そして悲しげに此方を見ているのに対して、バストラは実に愉快そうに此方を見て笑っていた。
「いい気味だ。最初は王族でもない、ただの異界の小娘を殺すグースの意見に、意味など見出せなかったが……ククッ、グース良くやったぞ。どうやらこいつらにとっては、本当に幸福の遣いだった様だな。いいぞ、もっと悲しむがいい」
皆の心に、言い知れない怒りと憎悪が沸き起こる。
そしてその時、早夜とルードだけが分かった。
この部屋の空気がガラリと変わった。恐ろしく冷たく、禍々しいまでの殺気。
それは、リジャイから発せられるものであった。しかし、その表情はまったく変わらない。なので、他の者にはこの部屋を包む空気の変化に気付かなかった。
「……虫以下の存在が何を言っている?」
「何!?」
バストラは声の主を睨むが、その目を見て何もいえなくなってしまう。
声の主はリジャイであったが、その眼差しは、ゾッとするほど冷たく、そして汚物を見ているかのような眼差し。まるで本当に、自分が虫以下になってしまったかのような錯覚を覚えた。
「お前達のような存在が、彼女に触れる事さえおこがましいのに、彼女を死にまで追いやった。
そうして生きながらえさせているのも、奇跡に等しいと言うのに、それさえも分からず馬鹿な事を言う……」
この場に居る誰もが疑った。これがあのリジャイなのかと。
そして以前、王の前で見せた威厳も、侵入者の前で見せた残忍さも、今のリジャイを前には霞んで見えるほどであった。
「汚物は汚物らしく、地に還してやろう……」
そう言って、リジャイはその手に魔力を纏わせる。
早夜はそれを感じ、何とかして止めさせたかった。
約束したのだ。止めてあげると。叱ってあげると。
それに、このままにしてしまったら、リジャイは此方に戻ってこれなくなる様な気がした。
必死で、彼に意識を伸ばす。そしてハッとした。彼に嵌められた指輪の存在を思い出したのだ。
早夜は集中する。すると、ほんのちょっとだけ魔力を出す事が出来た。
(やった! これなら何とかできるかもしれない!)
そして、その魔力を指輪に入り込ませ、声を伝える為に施してある呪に、その魔力で揺さぶりを掛ける。
(お願い、伝わってっ!!)
(これは自分の不注意だ)
リジャイは心の中でそう呟く。
何の為の見張りの札なのか。恐らく、彼らの計画は、今朝から昼の間に立てられたのだろう。丁度、リジャイがマウローシェの影像を見、そして早夜に会っていた間。
そして、気付いた時には遅かった。
バスターシュの者の札を見た時、既に早夜は毒を受けた後であり、その場に辿り着いた時には、早夜が別の場所に移動した時だった。
リジャイは、その場に呆然と立ち尽くすグースと、そして背後で事の成り行きを、隠れて見ていたバストラを捕らえ、逃げられぬよう、余計な真似は出来ぬようにと、手足を折った。
一体何処に移動したのかと、早夜の髪を使って居場所を探ったのだが、それは答える事はなかった。嫌な予感がした。心が徐々に冷えてゆく。
今直ぐ、グース達を殺したくなる衝動に耐え、リジャイは早夜の行った移動魔法の残滓を追った。
グースらを連れ移動し、辿り着いた場所で見た光景。
今までに感じた事の無いほどの焦燥。そして恐怖と絶望。
リジャイはその時、完全に心を凍らせた。そうでもしなければ、その世界ごと全てを消し去ってしまいそうだった。
虫以下の存在が何か言った。リジャイはそう認識し、今笑った男を見据える。
氷の心が更に凍ってゆくのを感じた。
(こいつらは汚物だ。汚物がここに、早夜と同じ空間にいていい訳が無い)
そう思い、なら消し去ってしまおうと、彼らに手をかざす。
その時だ。
リジャイはガクンと膝をついた。
何とも形容しがたい音が、けたたましく、耳飾をした耳からこだまする。
「――っ!!」
耳を押さえ、そしてハッとしてリジャイは振り返った。その目に早夜を捉える。
「……さ、や……?」
思わず彼女の名を呼ぶと、先程よりも幾らか小さな音が耳飾から響いた。まるで返事をするように。
凍った心に光が射したような気がした。
リジャイは早夜に駆け寄ると、シェルから彼女を引き剥がす。
「な、何を――」
声を上げるシェルを一睨みすると、彼はグッと押し黙った。
リジャイはそっと早夜を床に横たえると、その光を失った瞳を覗きこむ。全く生気の感じられないその顔は、血の気が引いてしまい青白かった。その事実に心が痛んだが、それでも確かめる様にリジャイは声をかける。
「早夜? 聞こえる?」
澄んだ音が響いた。
リジャイの口元に笑みが浮かぶ。
「生きてるんだね? 死んだ訳じゃないだ? もしかして、毒を中和してるの?」
リジャイが尋ねる度に、耳飾からは音が響いた。
「ああ、良かった……本当に君は生きているんだね……」
リジャイの目から、熱いものが溢れる。まるで、心を凍らせていたものが、溶けて溢れ出す様に。
傍から見れば、それはかなり奇妙な光景であっただろう。しかし、リジャイのその様子に、周りの者も、徐々に希望を見出し始める。
「フン、何を馬鹿な事を。その毒はどんなに屈強な者でも、一瞬で死に至らしめる猛毒だぞ!? そんな小柄で、何も出来なさそうな小娘が、耐えられる筈など無いだろう」
バストラが馬鹿にしたように言う。リジャイが振り返り睨むが、そこにはカートとルードが居た。
「黙れよ、この糞虫野郎! 便所に頭突っ込まれてーか!」
「カートさん、それってかなり下品ですよ。でもまぁ、その考えには私も賛成ですが」
いつもはおどおどとしているルードも、冷ややかにバストラを見ている。
「さぁ、早くサヤ様を呼び戻してください」
「あんたのその様子じゃ、嬢ちゃんは死んでねーんだろ? 早く何とかしてやれよ」
カートとルードがリジャイに向かって言った。
リジャイが周りを見回すと、皆期待に満ちた目で此方を見ている。
そして、リジャイは再び早夜に向き直った。
「早夜、今君は、全魔力を毒を中和する事に集中させていて、その為に体の臓器や器官を著しく低下させている訳だけど、でもこのままじゃ体の方がもたない。僕も、毒を中和させる事を手伝うから、君はその分、余った魔力で身体を回復させるんだ。いいね?」
リジャイがそう呼びかけると、返事をするように音が響いた。
その事に満足げに頷いた後、リジャイは早夜の服を脱がせ始める。途端に、耳飾がけたたましく鳴った。
あまりの煩さに顔を顰めていると、シェルが「如何した?」と聞いてきた。
「……早夜が抗議してる。服を脱がされたくないみたい」
それはそうだろうと誰もが思ったが、今はそんな事を言っている場合ではない為、誰も何も言わない。
そしてリジャイは、早夜の顔を覗き込むと、
「ごめんね、早夜。でも直接肌に触れないと、毒は中和できないんだ。それも、出来るだけ心臓に近い方がいいんだよ」
それでも音は鳴り響く。
「サヤ、頼むから我慢してくれ」
シェルも早夜の顔をのぞき込み言った。
「そうだぞ、サヤ! 頑張れ!」
リカルドも、心底心配そうに声をかける。
すると、アルファードやミヒャエル、カートやルードまで、励ましの言葉をかけてくる。
漸く音が小さくなった。
それでも、時折間延びした様な、少々気の抜けた音が響く。
リジャイが思わずクスリと笑うと、リカルドとシェルが不思議そうに此方を見た。
そんな彼らに、苦笑して見せると、
「今度は拗ね出した」
その言葉に、他の者もフッと笑う。
先程までの、悲壮感漂う雰囲気が嘘の様に、和やかな雰囲気が漂う。
そうしてリジャイは、早夜の服を肌蹴させると、真っ白い素肌が現れた。
「ああ、きれいな肌だね。僕の施した呪印が無くなってる。よかった。とりあえず、その事に感謝しなきゃ。意識が無くなってたら、君が生きている事に気付けなかったろうからね」
そう言うと、その肌の上に手を置いた。そして、光る魔法陣が現れる。
「いいかい、早夜。魔力に余裕が出てきたら、それを直ぐに体の回復に使うんだよ」
皆が固唾を呑んで見守る中、リジャイが毒を中和しだして直ぐに、早夜に変化が現れ始めた。
青白かった顔に赤みが差し、瞳にも僅かながら光が入り始める。それと同時に、瞳の色が赤く変化した。
早夜は徐々に体の感覚が戻ってゆくのを感じていた。心臓がドクンと脈打ち、その感覚も狭まってくる。指が僅かに動いた気がした。
「サヤ!?」
「如何した、リカルド?」
「今、サヤの手が動いた!」
その言葉に、自分の気のせいではない事が分かり、ホッとする。
そして早夜は、何時かの様にそれぞれの手を握り締められていた。漸く、少しだけ手の感覚が戻ってきて、彼らの手を弱々しくだが、握る事が出来た。
『っ!!』
リカルドとシェルが顔を見合わせて、嬉しそうに早夜の手を力強く握り返す。
そして、肺が機能し始めたのか、一気に大量の酸素が肺に入り込み、早夜は体を大きく仰け反らせた。
「サヤ!?」
「サヤ!!」
「ああ早夜、落ち着いて。少しづつ息を吸い込むんだ」
肺が痛かった。
早夜は苦しさのあまり、目に涙が浮かぶのを感じる。そして、瞬きをすると、その涙が零れ落ちた。
「おお、サヤ!! 良かった……」
アルファードが、とうとう堪えきれずに嗚咽を漏らし、泣き始める。
「父上……」
ミヒャエルがそんな父を、宥める様にその背を擦った。そのミヒャエルの目にも、光るものが見える。
「ああ、凄い。今まさに、私は奇跡を見ています」
「奇跡っつーより、嬢ちゃんが頑張ったんだ」
ルードとカートが呟いた。
「そんな馬鹿な。在り得ない……」
バストラが、呆然として言った。
そして、忌々しげに早夜を見ると、
「やはり、異界人の化け物め!」
そう言い放ち、皆が彼を睨みつける。
その中で、リジャイが凄まじい殺気を放つのを、早夜の目は捉えていた。
その禍々しい黒っぽい気の様なもの。リジャイの頬の刺青が、じわりと滲んだ様に見えた。
「リジャ……さん――」
かなり掠れていたが、声を出せるようになり、早夜はホッとする。そして、目の前のリジャイがハッとして此方を見た。
そんな彼に、早夜は笑みを浮かべながら言う。
「リジャイ……さ、ん……メッ、ですよ……怒っちゃ、だ、めです……」
リジャイは目を見張る。そして、泣きそうになって言った。
「君は、何処までお人好しなんだい?」
そう言うと、身を屈めて、
『こんな時まで僕を救おうとしなくてもいいんだ……』
そう耳元で囁くと、グッと口を引き結び、術に専念する。
「よかったなぁ。嬢ちゃんが許してくれて。でなきゃ、あの三つ目の男、かなり怖いぜ?」
折れた腕を、とんとんと爪先で小突きながら、カートが言う。
バストラは、痛みに呻いた。
「そうですよ。それはもう、殺してくれと泣いて縋るほどの拷問を受けますよ……」
少々遠い目をしながら、ルードはルードで折れた足に、杖の先をぐりぐりと押し付けている。
「な、何で、俺ばっかり、に、やるんだっ!?」
脂汗を流しながら、バストラが叫ぶ。
すると、カートとルードは顔を見合わせ、グースをチラッと見た後、
「だって、なぁ?」
「はい、そうですね」
「あの男は、もう既にどんな罰も受ける覚悟って顔してるぜ?」
「ええ、それにあなたよりかは、人間が出来てそうな顔をしています」
そう言ってまた、二人はトントン、グリグリとし始める。
「グアァッ!! やめっ!! ギャッ!!」
バストラの痛そうな声が響いた。
「ああ、大分中和できたみたいだ。もう大丈夫だとは思うけど……早夜、何処か痛い所や、まだ痺れている所は無いかい?」
リジャイが魔法陣を消し、手を離すとそう訊いてきた。
「はい、大丈夫です。まだあまり力は入りませんが、痺れるほどじゃありませんから……」
まだ舌足らずの様子で答える早夜。起き上がろうとするのを、シェルとリカルドに手助けされる。
早夜は彼らを見ると、落ち込み、俯いた。
「ごめんなさい……」
小さい声で、早夜は謝る。
「何故、お前が謝る?」
「そうだ、早夜が謝るような事なんざ、なんもないだろーが!」
「そうだね、寧ろ謝んなきゃいけないのは、こっちだ。気付くのが遅れちゃったからね……」
シェルは眉を顰め、リカルドは少々怒った様に、そしてリジャイは、すまなそうにそう言った。
「だって私は、皆さんに心配を……悲しませてしまいました……。
だから、ごめんなさい」
そう言った直後、早夜は温かなものに包まれていた。
シェルとリカルドに抱き締められたのだ。
「ああ、確かに。あんな思いはもう御免だな」
「もう、勝手に死んだりすんなよ!」
「えっ!? いや、あのっ、ひゃあ!?」
二人の男に抱き締められ、ドギマギとしてしまう早夜であったが、不意に臍の辺りに熱いものが触れ、吃驚して声を上げた。
見れば、リジャイが剥き出しになった腹に、顔をくっつけている。
「抱き締める代わり」
リジャイが目線を上げて、ニッと笑っていた。
ここで漸く、早夜は今の自分の姿を思い出し、叫び声を上げる。
「ひゃあああ!! は、離れてっ、放して下さいぃ!!」
急に暴れ出す早夜を、男たちはますます力を込めて抱き締める。
「駄目だ。心配させた罰だ」
「そうだ。もうぜってー、放さねー!」
「それに、こうして暴れてもらった方が、生きてる実感湧くしね」
「えぇえ!? な、ならせめてっ、ちゃんと服を着させて下さい! は、はずかしっ、ぁんっ、やぁ! お臍舐めないで下さい、リジャイさん!!」
その言葉にギョッと目線を下げるシェルとリカルド。
リジャイが早夜の臍にキスをしていた。
「なっ! どさくさに紛れて、何をしている!」
「離れろっ、変態!」
シェルとリカルドが、リジャイの頭を掴んで引き剥がす。
その隙に、早夜は急いで前をしめた。
「いててっ、あはは、ただの出来心だよ」
すっかり、いつもの調子に戻っているリジャイに、何処かホッとする早夜。
彼があの時、気付いてくれて本当に良かったと思った。
そして不意に、
『生きててくれて、ありがとう』
耳元でそんな声がする。
ハッと見ると、リジャイが自分の指輪から、顔を離す所だった。
そして早夜を見ると、フッと笑って片目を瞑って見せる。
そんな彼を見て、
(もしかして、さっきのは二人を放させる為にワザと!?)
等と考えてしまうが、本当の所など分る筈も無い。
そして――。
バリン!!
そんな音が響き、皆が一斉にその音のする方を見た。
見ると、バストラがガラス玉のような物を噛み砕いている所だった。
途端にバストラの周りに結界が張らる。誰も彼に触れられなくなってしまった。
その時、
「うぷっ、ごふっ!?」
グースが、急に何かを吐き出した。
それは赤い液体。最初、誰もが血だと思った。
しかし、それは僅かに蠢いている。
バストラがニヤリと笑い、叫んだ。
「全て消し飛ぶがいい! これでこの国も終わりだ!」
リカルドとカートは、その蠢く液体に見覚えがあった。
早夜には、それが何であるか分かった。
それは、リュウキをクラジバールへと送る事になった原因。
全ての事の始まりとなった魔法。
早夜は呆然と呟く。
「――贄の魔法……」