11.幻影桜
星見祭当日、一日目。
祭りは三日に渡って行われる。
一日目は星かごの儀式。
二日目は星が降る日。
三日目は星を空に返すのだそうだ。
そして、一日目の星かごの儀式は無事に終わった。
星かごの儀式の内容はというと、三日間月の光に晒した地下水の中に、呪いと共に星かごを浸すのものだった。 早夜もまた、その儀式をしてもらった。
その時は、嬉しさと期待に心が弾んでいたが、この多くの視線を前にはその心も、重く沈んでしまう。
そう、早夜は今、多くの目に晒されている。その視線の主とは、この国に招待された客達。
今、早夜がいる場所、そこは屋外で、何処か魔術練習所にも似ているが、そこよりも広く大きい。ぐるっと取り囲むように客席が設けられており、一階部分と二階部分に分かれている。二階部分にいる客達は重要な者達であった。
そして、彼らはこの小柄な少女が、この前の魔力の主であると認識すると、一様に驚き、興味を示した。
早夜は今、緊張した面持ちでそこに立っていた。ゴクリと唾を飲み込み、思わず後ろを見る。
そこにはシェルとリカルドが居た。そして、カートとその部下達。皆、早夜の護衛だ。
本来ならば、ぴったりと寄り添う様に付いていなければならないのだが、今彼らは、早夜から距離を置いている。因みに、何故リカルドが居るのかと言うと……。
あの後、リカルドもまたアルファードに頼み込んで早夜の護衛となったのだ。
シェルとリカルドは、早夜が此方を向いたことに気付き、シェルは安心させる様に微笑み、リカルドはニカッと笑って親指を突き出し、頷いて見せた。
そんな彼らを見て、ちょっとだけ緊張が解れた早夜だったが、如何したってこの自分に集まる視線に顔が強張ってしまう。これほどの数の視線に晒されるなど、早夜にとっては初めての経験だ
それでもまだ、顔が隠れている分、ほんの少しだが気が楽だった。
早夜の今の姿とは、顔が見えぬようにフードを目深に被り、そしてベールで顔を隠している。
そんな早夜に注目する国賓の中には、先日会った者達も、当然ながら居た。
コーラン国の王女マオ。彼女は此方を、興味しんしんといった様に見つめている。
クリオーシュのマウローシェ。彼女は早夜と目が合うと、手をひらひらと振って見せた。相変わらず男の格好をしている。
タンバスのオースティンとバーミリオン。オースティンも相変わらず真っ直ぐと背筋を伸ばし、前を向いている。その孫のバーミリオンは、先程からずっと指輪に手を置いている。どうやら周りの状況を伝えているようだった。
そしてバスターシュのグース。彼はこれから起こる事を期待してか、わくわくとしているように見えた。その隣には、彼の仲間であるらしい男性が此方をじっと見ている。早夜には何だか、その眼差しがねっとりと絡み付いてくるように思えた。
「サヤ様、そう緊張なさらず、練習を思い出して下さい」
ルードが早夜の直ぐ隣でそう囁いた。
「は、はい……」
そうなのだ。早夜とルードはこれから、この多くの人々の前で、幻術を披露する。
そして、ルードと共にそれぞれ定位置に立つと、早夜はゆっくりと深呼吸をした。
ふと視線を上げてみる。
そこには、アルフォレシアの人達の席が見えた。
王のアルファードと王妃のシルフィーヌ。セレンティーナにミヒャエル親子。
その中のミシュアは、顔を輝かせて早夜を見ていた。
実はミシュアには、ここに来る前に幻術の内容を教えていた。以前言った桜を、見せてあげると早夜が言うと、物凄く大喜びしていたのだ。
その姿を思い出すと、早夜の肩の力がフッと抜けた。
目の前に立っていたルードはその事に気付き「サヤ様」と声をかけてくる。
早夜は、ルードを見ると頷いた。
ルードは、いつもの練習の様に杖をクルリと一回転させると、トンと地面を叩いた。同時に現われる魔法陣。
早夜は目を瞑った。
(ミシュアちゃん、喜んでくれるかな?)
そんな事を思いながら、あの懐かしい光景をイメージした。
途端に、人々の間から湧き上る感嘆の声。
早夜が目を開けると、そこには思い描いたとおりの光景が広がっている。
そして、その光景を目を丸くして魅入っているミシュアが居た。
見れば、他の者達も、一様に同じ顔をしている。
(あ、そういえば、シェルさんも桜を見るのは初めてだよね)
そう思い、彼の方を見れば、景色に魅入っているシェルがそこにいた。彼は、早夜が見ている事に気付くと、フッと笑って頷く。
凄く嬉しくなるのを感じ、早夜が前に向き直ると、ルードが期待した目で此方を見ていた。
それは、桜吹雪を待っているのだと分り、早夜は頷くと目を瞑る。
ザァッという音と共に、感嘆の声は、歓声の様などよめきへと変った。
(あ、そうだった、オースティンさんは目が不自由なんだよね……だったら……)
そう思い、風の向きを帰る。それはオースティンの座っている席の方へ。
(少しでもいい、感じ取ってくれたなら……)
チラッと見ると、自分の顔に当たる、桜の花びらを感じたのか、オースティンは顔に手をやっている。
その隣に居る、バーミリオンに目を移すと、桜ではなく此方に目を向けている事に気付いた。
何だろうと首を傾げていると、向こうは慌てて目を逸らすのだった。
「……バーミリオン、どうした? 先程から何も伝えてこぬが……」
ハッとしてバーミリオンは指輪に手をやり、今の状況を伝える。
「ほぅ、花の景色か……。 では、先程顔に当たったのは、その花びらか……。周りのどよめきといい、お前が魅入っていた事といい、よっぽど素晴らしい物なのだろうな……」
バーミリオンはその言葉に顔を俯ける。
確かに、この景色には度肝を抜かれた。祖父にも見えたならと思った。
しかし、それ以上に心を奪われるのは、それを作り出したあの少女の存在。
顔は見えずとも、バーミリオンにはあの時の少女だと分る。
その顔が見たいと思った。
真剣な顔をしているのか、それとも微笑んでいるのか、それだけでも知りたかった。
そして少女は此方に目を向けた時、ベールから覗く黒い瞳が、自分を捉えたのが分った。
何故だか胸がざわつき、バーミリオンはその事に戸惑い、彼女から目を逸らす。
チラリと視線を戻せば、彼女はもう此方を見ていない。それを何処か残念に思う自分がいて、彼は驚いた。
「……バーミリオンよ、また手が止まっているぞ……」
「……お館様、申し訳ありません。でも、どうしても見てしまうのです、彼女を……。あそこにいるのは、あの時のサヤと言う少女です。顔を隠しておりますが、そうだと分ります……。
今、彼女はどういう表情をしているのでしょう。見れない事が酷くもどかしい……」
「バーミリオン、お主……」
オースティンは見える事の無い目で、バーミリオンを見つめる。
普段あまり喋らず、感情を見せない彼が、このように饒舌に、そして何処か熱を帯びたその声に、オースティンは我知らず瞠目した。
それは、自分もかつて経験した事のあるもの。
そして、オースティンはクッと苦笑いすると、バーミリオンに向かい手を伸ばす。
手に感じる髪の感触に、ちゃんと彼の頭に手を乗せられたのだと、満足げに頷くと、その手をがしがしと動かす。
「お、お館様!?」
戸惑うその声に、オースティンは口の端を上げる。
さて、如何したものか。孫の初恋を喜ぶべきなのか、相手は混乱の種だと、国の代表の人間として、注意すべきなのか。
どちらにしろ、此方ももう少し見極めるべきだな、とオースティンは思うのだった。
ルードは周りの様子を見ながら、そろそろ頃合かと思い、早夜に視線を送った。
早夜もそれに気付き頷く。
すると、桜吹雪がピタリと止み、人々はそれで、地表が一面ピンクに染まっている事に気付くのだ。
それから、強い風が吹いたかと思うと、地面に降り積もっていた花びらが、一斉に舞い上がり、人々の視界を覆う。そして、視界が開けた時には、そこには既に桜の木々は無く、花びら一枚さえも消えうせており、その場に残るのは、一人の銀髪の魔術師と、顔を隠した小柄な少女だけ。
その二人は周りに向かい、数度に渡って礼をすると、その場を立ち去ってゆく。
人々は暫し呆然としていたが、ちらほらと手を叩く音が聞こえ始め、それかやがて盛大な拍手へと変ってゆくのだった。
「……桜か、これはまた懐かしい……」
柱に背を預けながら、リジャイは呟いた。
「でも、当時はこれほど綺麗だとは感じなかったな……。まぁそうか、あの頃の僕の心は、何かに心動かされる事なんて無かったものな……」
リジャイのその言葉を聞く者はいない。
彼は今、白の屋根の上で、不振な事をする者がいないか見張っていた。特にバスターシュの者は念入りに。かといって、ここからでは、国賓たちの状況は見えない。どうやって見張っているのかと言うと、それぞれの国に、見張りの札を貼っているのである。それとばれない様に、魔術で目には見えないようにもしてあった。
しかし、今しがたの幻術に、リジャイもまた心奪われていたのだ。
「これ程素直に感動できるようになれたのは、キヨウのお陰かな……」
リジャイはふと手に呪符を出現させる。
それは、早夜のお守りの中にあった呪符だった。
今直ぐこの呪符を破って術を発動させたい衝動に駆られるが、早夜の存在がそれを思い留まらせる。
せめて、この祭りが終わるまでは様子を見ようとリジャイは心に誓った。
早夜は、自分を呼び止める者がいるのに気付き、立ち止まった。
それは一人の少女。早夜と同じ位の少女の声であった。
「頼む! 待って、待ってくれ! お主、この前の魔力の主なのだろう? 幸福の遣いなのだよな? お願いがあるんだ。 どうか妾と……妾と友達になってくれ!」
青みがかった黒い髪を揺らし、頬を興奮に赤く染め、息せき切って走り寄って来た者は、コーラン国の王女マオであった。その後ろからは、慌てて追いかけてきた彼女のお目付け役のアモンと、彼女の護衛の兵士達がおり、マオの言葉を聞いて仰天していた。
早夜の護衛であるシェルとリカルドは、彼女の前に立ち、壁になろうとするも、彼女に袖を掴まれ止められてしまう。眉を顰め振り返る彼らに、早夜は首を振って見せ、そして前に出た。
「此方こそ、マオさん。私とお友達になってください」
そのように言って早夜は手を差し出す。
マオは一瞬、何を言われたのか理解できずにキョトンとしていたが、徐々に理解すると共に、興奮と驚きで、身体を震わせた。そして、ガシッとその手を握る。
「ほ、本当か!? 友となってくれるのか!? で、では、友となった暁には、妾の国に来てくれぬか? 父王に会わせたいのだ!」
その、国に来てくれという言葉に、シェルが何か言おうとする前に早夜は頷く。
「ええ、いいですよ。是非、遊びに行かせてください」
「本当か!? 本当だな? 約束したぞ!」
「それで、アルファード王様には、もうこの事は言ったんですか?」
「ん? ああ! 言ったぞ! そなたが了承すれば、いいと言ってくれた!」
「そうですか。 マオさんのお父さんの病気、治せるかどうか分りませんが、もし治せるのであれば、その為のお手伝いをしたいと思います」
早夜の言葉にマオは泣きそうになって、うんうんと頷いた。後ろにいる、アモンや護衛の兵士まで、感激して泣く始末。
そこで、マオはハッとして、早夜を見た。
「でも、何故そこまで知っておるのだ? 妾はアルファード王にも、その事は言ってないのに……」
すると、早夜は周りを見回し、他の国のものがいないかどうか確認した後、フードを下ろして、ベールを外した。
「何を!?」
「おい!!」
シェルとリカルドの慌てる声がした。
そして、目の前に立っているマオは、目を大きく見開き、ぽかんと口を開ける。
「お前っ、あの時の……確か、サヤ!」
マオのその様子に、早夜は苦笑すると、目の前の彼女に頷いて見せた。
するとマオは、いきなり早夜の肩を掴んだかと思うと、がくがくと揺らし、
「な、何でもっと早く教えてくれなかった? 酷いぞ、サヤ! 妾はてっきり、お前は使用人だとばかり……。妾をだましたのか!?」
肩を揺さぶられ、あの時の様に目を回す早夜。
慌てて、早夜をシェルが、マオをアモンが引き剥がした。
大丈夫かと、シェルとリカルドに言われ、何とか早夜は頷く。
「うぅ〜、目が……。私は騙してませんよ〜。あの時言おうとしたら、マオさん行ってしまって……」
「ムッ、そ、そうなのか!?」
そうだと頷く早夜を見て、マオはしょぼんと項垂れ、「すまない」と謝ってきた。
マオのそんな姿に、ああやっぱり何処か憎めないな、と思う早夜。落ち込むマオの手を取る。
「この世界に来て、同じ位の歳の女の子は、セレンさん以外では初めてなんです。だから、此方こそお友達になってくださいね」
それを聞いたマオは、マオは目をウルウルとさせて、何度も何度も頷いた。
「うん、うん、もちろんだ! 妾も友達なんて初めてだから、凄く嬉しいぞ!」
「そうなんですか? 実は、他にも蒼ちゃんと亮太君って言う、私と一緒に此方に来たお友達もいるんですよ」
その言葉に、ギクッと身体を震わせるシェルとリカルド。
「何!? 本当か!? 何処だ? 何処にいる!?」
きょろきょろとするマオに、早夜は寂しげに目を伏せると首を振った。
「今はちょっと用事があって離れてるんです。でも、戻ってきたらちゃんと紹介しますね。
きっと、マオさんも蒼ちゃん達とは直ぐに仲良くなれますよ」
マオはプルプルと身体を震わせ、くるっと後ろを振り返り、アモンと兵士達に言った。
「じぃ、やった、やったぞ! 一気に友達が出来た! しかも幸福の遣いだぞ!」
「うぅっ……姫様がこんなに嬉しそうに……。宜しゅう御座いましたね、それに王もきっとお喜びになります……」
アモンや兵士達が、涙を流しながら、嬉しそうに何度も頷くのを二人の王子は複雑な顔で見ている。
「なぁ……兄貴、これっていいのか?」
「別に危害を加える様子もない。本当に友人として国に呼びたいのだろう。どうやら父上のお許しもあるようだからな」
そこにカートも話に加わってきた。
「……それよりも、お転婆そうな姫さんだな。色々と周りを困らせる様な事してそうだよな。女版リカルドって所か?」
「は!? 何だよ、それ。 どういう意味だ!?」
「まぁまぁ、ここは落ち着いて、他国の者の前ですよ」
等と言って、ルードがリカルドを宥める。
「そうだな、くれぐれも国の恥は晒すなよ?」
シェルにもそう言われ、リカルドはムスッと押し黙るのだった。