8.祭りの国賓
「どう言う事ですか!? 父上!」
アルフォレシア城にある王の執務室に、シェルの怒号が響き渡る。
「まぁ落ち着けシェル。お前の気持ちも分るが、今は耐えろ」
そのシェルを宥めるのは、彼の双子の兄であるミヒャエル。
そんな彼らの前には父でありこの国の王、アルファードが鎮座していた。
「しかし兄上、バスターシュを予定通り我が国に入れる等と! 奴らは我が国に潜入し、サヤの事を探っていたんですよ!? その証人として、潜入した者も捉えてある!」
すると、アルファードが口を開く。
「だがな、シェルよ。あちらは、知らぬ存ぜぬの一点張りだ。もし、遣いをつき返そうものなら、直ちに全面戦争だと言っている」
「元よりあちらはそのつもりでしょう! そんなもの迎え撃てばよろしい!」
アルファードが目を見開く。
あのシェルがこれ程感情を剥き出しにするとは、一体何が息子をここまで感情的にさせるのか……そう思い、アルファードはシェルを注意深く見た。
「しかし、シェルよ。その戦に出るのは、我が国の民達だ。 出来る事ならば、戦などは回避したい。
それに、もし戦となれば、向こうは声高に周りの国にアピールするであろうな。アルフォレシアは自分達の友好を断り、戦を仕掛けて来た非情な国だと。
真実はどうあろうと、周りの国もそう捉える事だろう。そうなれば、我が国が孤立する事は目に見えている」
シェルはギリッと拳を握った。父の言っている事は最もだ。普段の自分であれば、真っ先にその事について理解し、進言していた事だろう。
(しかし、サヤの事になると、こうも周りが見えなくなるものなのか――……)
シェルは気を落ち着かせる為に、深く息を吸い、そして吐き出した。
(まさか、俺がここまであの少女に傾倒するとは……)
シェルはフッと自嘲気味に笑う。
そして、父である王を見据えると言った。
「では父上。祭りの間は、私にサヤの一番傍に付いて、護る事を許してください」
その言葉を聞いて、アルファードは漸く合点が付いた。
今やっと息子が感情的になった訳を理解したのだ。
「……分った。ただし、他の者もサヤの護衛につかせる」
「分っております。私は一番傍で、と申した筈です」
アルファードの目に映るシェルの眼差しは、今まで見てきた中で、一番熱いものを感じた。
口髭をたたえたアルファードの口元に笑みが浮かぶ。
シェルは父王に向かって深く礼をすると、部屋を後にした。少し遅れて、ミヒャエルもまた、部屋を出て行く。
部屋に一人残されたアルファードは、深く息を吐き出し、椅子の背もたれに身体を預けた。
「……如何しようね、シル。まさかシェルもサヤに恋をしていたとは……。
父としては、シェルが心を曝け出してくれた事は嬉しい。でも、余は、リカルドとシェル。一体どちらを応援すればいいんだろうねぇ……」
心底困った、というような声音であったが、その表情には嬉しそうな色が見える。
結果がどうあれ、どちらに転ぶにしろ幸せになって欲しいというのは、親として当然の願いであった。
「兄上、申し訳ありません。本来ならば、兄上の傍に居なくてはならないのに……」
王の執務室を出たシェルが、後ろにいるミヒャエルに言った。
次期王である兄には、常に影武者である自分がついていなければならない。そして、シェルは今、影武者である事を放棄した事になる。
「気にするなシェル。私は今まで、一度としてお前を影武者として見てきた事は無かった。お前はお前で好きなように生きていいんだ。
それに……好きなのだろう? サヤの事が」
ミヒャエルの心は今、喜びに満ちている。
シェルは双子の兄弟ながら、いつも何処か、遠慮していたり一歩引いた所に存在していた。ずっと、対等でありたいと思っていたのだ。
「はい、その通りです。私は、サヤの事が好きです」
「ならば、好きな女の傍に居たいと思うのは当然の事だ。
それに、私は嬉しい。お前がこうして、私と対等に向き合っている事。そして、気持ちを打ち明けてくれた事。
これからはちゃんと、兄弟として、お前と向き合いたい。私とお前は、共に同じ胎の中で過ごし、生まれ出た存在なのだから……」
ミヒャエルはそう言うと、シェルの肩に手を置いた。
シェルは一瞬、瞳を揺らめかせたが、一度目を瞑り、そしてミヒャエルを見た。その口元は、笑みの形をとっている。しかしそれは、いつもの人当たりの良い笑みとは違い、何処か人を食ったような笑みであった。
「……シェル?」
「では兄上……いや、対等にと言うならばこう呼ばせて貰おう、ミヒャエルと。
そして、対等に向き合う序でに、お前に話しておかなければならない事がある。俺の初恋の相手の事だ。 それはな……実を言うと、お前の妻アイーシャなんだ」
「……は?」
いきなり聞かされる衝撃の言葉。
思っても見なかった事に、ミヒャエルはポカンとした顔で目の前のシェルを見つめている。
シェルは、そんなミヒャエルの様子に苦笑すると、更にこう言った。
「俺はお前達家族を見ると、いつも辛かった……。そしていつも思っていたんだ……。
もし生まれてくる順番が違ければ、と……」
ミヒャエルは戸惑ったように、シェルの肩から手を離すと、混乱する頭を押さえる。
「いや、その、そうだったのか? それは、すまない――」
「そこで謝るのは、相手を惨めにさせるぞ?」
「うっ、いや、だから、その――」
しどろもどろになって、何か言おうとしているミヒャエルに、シェルはフッと笑うと、今度は此方からミヒャエルの肩にポンと手を置いた。
「良くも悪くも俺達は双子だったというわけだ」
そう、自分達は双子だ。
施された教育の違いはあれど、根本的な所……心の根っこの部分は同じであった。
自分がアイーシャに惹かれたように、自分の片割れもまた同じ人に惹かれた。
自分が恋い焦がれた分だけ、片割れは彼女を愛したという事。
「俺が想っただけ、お前があの人を幸せにするって事だろう? 安心しろ。今はお前が兄で良かったと思っている」
「シェル……」
「それに、悪いと思うのなら、今まで通り幸せな家族の姿を俺に見せてくれ。
俺の想いを嘘にしてくれるなよ?
でももし……それが出来ないと言ったり、少しでも不幸な素振りを見せたら、そうだな……その時は――」
シェルの笑みが深くなる。
思わず喉を鳴らすミヒャエル。
とても意地の悪い笑みであった為だ。
そしてシェルは言った。
「アイーシャやミシュアに、お前の恥ずかしい過去を全て、包み隠さずバラしてやる……」
ミヒャエルの顔がヒクリと引きつった。
それを見て、シェルはさも可笑しそうに笑うと、ミヒャエルの肩から手を放し歩き出す。そして、顔だけ振り向かせると、兄に言った。
「そうそう、最近知ったんだが、素の俺はかなり意地が悪いらしい。対等に向き合うと言った事、後悔するなよ?」
「……いや、もう後悔している……」
ボソリと呟くミヒャエルに、シェルは楽しげに笑ったのだった。
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「ああ、城が見えてきた。ここにこうして足を踏み入れるのも、ミシュアの誕生祝以来か……。さて、妹は元気にしているかな?」
そう呟いたのは、燃える様な赤い髪に深く澄んだ緑色の瞳を持つ、聖都クリオーシュの第二王女マウローシェであった。
彼女はミヒャエルの妻、アイーシャの実の姉である。そして、クリオーシュでは外交官という任に就いている。
マウローシェは見目麗しい女性でありながら、男性用の軍服に身を包んでいた。
しかし、だからと言って男に見せようとしている訳ではない。彼女は決して、自分が女性である事を疎んじている訳ではないのだ。
証拠に、男性服ではあるが、女性としての膨らみや曲線を強調するものを選んで着ているようだった。
「そういえば……第二王子はまだ妹の事が好きなのだろうか? 何にしろ、彼に会うのも楽しみだな、と……」
ふと思い出したように呟くと、マウローシェはフフッと可愛らしく笑うのだった。
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「ここが、アルフォレシアか……妾の国とは大分違うな」
馬車の窓から顔を出し、青みがかった黒に近い髪を靡かせ、今年十六になったばかりのコーラン国の王女マオは言った。
「ああ、姫様! そのように身を乗り出しては、危のう御座います!」
そう言って必死にマオを窓から引き離そうとしているのは、最近めっきり髪の薄くなった、彼女のお目付け役のアモンであった。
「何だ、じぃは心配性だな。これ位大丈夫だ。それに妾には初めてのアルフォレシアである。そして何たって、父王の代わりだぞ! 気が逸って当然だろう!」
頬を紅潮させ、マオは叫ぶ。
この馬車の中には、他にもマオの護衛の者が乗っているのだが、彼らは今アモンに倣って、彼女を窓から引き離すべきかとおろおろと二人を見ていた。
「ところで、お前達はどう思う? あの魔力の主はどんな奴であろうな?
やはり、空に届かんばかりの大きさなのか? 角とかも生えているのだろうか? それとも、腕が六本生えていたりしてな!
何にしても、妾は父王の期待に答える為にも、その者を連れて帰らねば……」
そう言う彼女の表情は、何処か苦しげに歪んでいた。
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「……空気が変ったな、アルフォレシアに入ったのか?」
「はい、お館様……」
静かに前を向いて尋ねる老人に、彼の孫であるバーミリオンは答えた。
「やはり活気のある国だな。匂いさえも騒がしい……」
そう呟くのは、山岳地帯タンバスの代表、オースティン。
タンバスは傭兵国家である。
オースティンもまた、かつては傭兵として各国を渡り歩いていた。
今でもその時の面影を色濃く残し、がっしりとした体躯と短く切り揃えた白髪交じりの茶色の髪、そして顔に刻み込まれた深い皺が、それを匂わせていた。
だが、彼の孫であるバーミリオンは、それとは反対に線も細く、髪の色もタンバスの者にしては珍しい金色に近い色をしていた。その為、彼は周りの者は勿論、家族の中でさえ阻害されていた。
しかし、彼の祖父のオースティンだけは、自分に一番似ているとして、彼を傍に置き、何処に行くにも彼を連れて行った。
よく見れば、オースティンの耳には不思議な紋様の描かれた耳飾がしてあり、そしてバーミリオンは、その紋様と同じ物が描かれている指輪を嵌めている。
「この国では、異界人を幸福の遣いと呼ぶそうだ」
「はい、存じ上げております……」
前を向いたままのオースティンは、フンと笑う。
「何が幸福なものか。異界人など、混乱と争いの種ではないか」
「……あれ程の魔力の持ち主です。他の国の者は、何としても手に入れたいと考えるでしょう……」
「フン、我らは要らぬがな。それに、今回はあのバスターシュが和平と称してくるらしい。
一体何を企んでいるのやら……。恐らく、新たな混乱が訪れる事は間違いなさそうだ。
我らは見極めねばならない。争いは我らが糧。得となる方を選ばねばならないぞ、バーミリオンよ……」
バーミリオンが指輪をキュッと擦る。すると、オースティンの耳飾が答えるようにキラッと輝いたのだった。
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「――旦那、それってもしかして、星かごですかい?」
乗合馬車の御者が、隣に座る男に尋ねる。
「え? ああ、これですか? 実は娘の手作りでして」
そう答えたのは、人の良さそうな顔立ちの30代の男だった。
メガネを掛けており、何処か学者風でもある。
何故、御者の隣に座っているのかと言うと、視界が遮られると酔ってしまうのだそうだ。
「はは、そうですかい。やっぱり、アルフォレシアの星見祭に行かれるんで?」
「はい! アルフォレシアに行くのは私、初めてでして、今から楽しみでなりません!」
ウキウキとして語る男に、御者もつられて笑う。
「あ、かごの中には、もう願い事が入ってるんですねぇ。ちょっと気が早くないですかい?」
願い事を書いた紙は、祭りの初日に儀式と共に入れるのが習わしであった。
「いえ、娘が書いてくれたんですよ。お父さんの願い事が叶いますようにって」
思わず口元が緩むのを止められない様子の男に、御者は尋ねる。
「へぇ、それは父親想いの娘さんで……で? 旦那の願いって何なんです?」
すると、男はにこやかに笑うと、こう答えた。
「世界平和――」
御者は瞬きをすると、男をまじまじと見詰め、そして吹き出してしまう。
「そりゃあ、世界中皆の願いでさぁ!」
「ええ。そして、途方もない願いでもありますねぇ……。でも私は、少しづつでもいい。
その願いを叶えて行きたい、そう思ってるんです……」
その静かな物言いに、笑いを引っ込める御者。
「そりゃ、本当に途方もない願いで……。で、旦那は一体、何処から来たんですかい?」
今年の星見祭は世界各国から人が集まる。
そして目の前の男もまた、他国から遣って来た者だろうと御者は推測し、尋ねた言葉だった。
すると男は少し躊躇った後にこう答えた。
「私ですか? 私は実は、バスターシュの者です。この度、アルフォレシアに、和平の遣いとしてやって来ました」
途端に御者の表情が険しいものに変わる。
彼はアルフォレシアの者である。
そして、バスターシュとはついこの間戦があったばかり。
「わりーですが旦那、中に入って下せぇ。いくら和平の遣いっつっても、オレん中じゃあ、バスターシュは敵なんでね。隣に居て欲しくねーです」
「……これは、はっきり物を言う方だ……」
男は肩を竦めると、悲しそうに笑った。
「すんませんね、旦那。あんたがいい人だってのは分かるんですがね。バスターシュには友人を殺されてるんでね……。あんたに恨みは無いが、あんたの国には恨みが有るんでさぁ」
今までの親しみを込めた笑みも眼差しも、全て引っ込めて御者は言う。
よく見れば、手綱を握るその手は、キツク握り締められていた。
男はそれを見ると、静かに目を瞑る。
「ええ、分っていますよ。人の心は、そう簡単に割り切れるものではありませんから……。
でもいつか……バスターシュもアルフォレシアも和解して、お互いに手を取り合える日が来るのを、私は心から願っています……」
男はそう言うと幌の中へと戻ろうとする。その背に御者が独り言が聞こえた。
「……それでこそ、途方も無い願いでさぁ……」
それ程恨みの根っこは深いという事か。
男は少し振り返ったが、何も言わずそのまま幌の中へと入っていった。
そして中に入ると、空いている所に腰を掛ける。その目の前には、男の共の者が居た。
「どうした?」
「いえ、バスターシュの者とは一緒に居たくないと……」
共の者はピクリと眉を上げた。
言えばこうなる事は目に見えていた筈だと、その表情は訴えている。
下手をすれば、馬車から放り出されていても可笑しくない。追い出されなかったのは、運賃を前払いした為の商売魂故か、強靱な理性の持ち主故なのか……。
男の名はグースと言った。
バスターシュでは異界人について研究をしている学者である。
9才になる娘がおり、妻のお腹には新しい命が宿っていた。
本当なら、傍に居てやりたい所だが、国から直々に言われたのでは断る事も出来ない。それに元々、和平については何度も進言していた事ではあった為、グースに異論は無かった。
「ばかめ、何故言った」
グースの共の者が言った。
すると、グースはフッと笑うと言う。
「……途方も無い、願いの為ですよ……」
「グース……貴様、また訳の分らぬ事を……。この馬車も、人を見る為だとぬかしておったな。わざわざ乗合馬車など使わずとも、用意されていた馬車があったというのに」
グースの言を下らないとばかりに忌々しげに言う共の者に、グースは皮肉めいた笑いを浮かべた。
「分らずとも結構ですよ、バストラさん。恐らく貴方には、言った所で一生分らない事だと思いますから……」
すると、バストラと呼ばれた者は眉を顰め、チッと舌打ちをすると、ある物をグースに渡す。見ればカプセル状の薬であった。
「……? 何ですか? これは……」
「酔い止めの薬だ。飲んでおけ」
グースは目を見開く。
「へぇ、貴方がこんな優しさを見せるなんて珍しい……」
「お前の馬車酔いは有名だ。こんな狭い所で吐かれたら、目も当てられないだろうが……早く飲め」
グースは周りを見て、成る程と思い、その薬を飲んだ。
その時、彼の持つ星かごの中の紙が、風故かカサリと鳴った。
ああ、またキャラが増えてしまった……。
まぁ、他国の人たちが、異界の人間に対して如何思っているのかが書きたかったので、出す事は前から決めていた事ではあるんですけどね。
作者の中で、マオとマウローシェは結構お気に入りです。