4.その胸に縋って
「サヤ……大丈夫か……?」
リカルドの気遣わしげな声が聞こえる。
今、早夜とリカルドは、塔を出て廊下を歩いていた。
あの後、シェルとリジャイはルードを伴い、塔を慌しく出て行った。
それにリカルドも着いて行きたがったが、シェルに早夜を部屋に送るように言われたのだ。
「だ、大丈夫ですよ。何ともありませんから……」
そう言いながらも、その目はリカルドを見る事が出来なかった。
今、彼の顔を見てしまったら、きっと泣いてしまう。
あの時――。リジャイに手を振り払われた時……。
その時の事を思い出して、早夜は手を強く握った。
払われた手が、今もまだ痺れている様に感じる。
それは感覚的なもので、実際痛いとかというのは全然無いのだ。ただ、拒絶された事のショックが、手に胸に痛みを伴わせ、痺れを感じるのだ。
その時、いきなり手を取られ、思わずリカルドを見てしまう。
「……そんなに強く握り締めるなよ……。傷になっちまうだろ?」
早夜の小さく華奢な手を取って、リカルドはその緊張を解す様に、優しく擦ってくれる。
「……リカルドさん……」
「……何だよ、全然大丈夫じゃないじゃん……」
リカルドはそう言って早夜の頬に触れた。
かさついた親指で目の下を拭われ、漸く自分が泣いているのだと気付いた。
そうしたらもう、枷が外れたように止め処無く涙は溢れ出て――……。
早夜は、頬に触れるリカルドの手に、縋り付く様にしてしがみ付いた。
「私、傲慢でした。
幸福の遣いだなんて言われて、いい気になって。人の心を救えるなんて思い違いをしていました……。
リジャイさんにとっては、いい迷惑だったのかもしれません……」
でも、と早夜は思った。
あの時のリジャイの顔は、あの夢の中の少年と酷く被って見えた。
恐怖に、絶望に、悲しみ。
そんな感情が綯い交ぜになった眼差し……。
それを思い出すと堪らなくなるのだ。
そして早夜は、身体を震わせ、顔を俯かせて目を瞑って声を殺して泣く。
その姿に、リカルドは衝動的に細く柔い身体を抱き締めていた。
「あいつの事なんかで泣くな!」
「リ、リカルドさん?」
抱き締められ、怒鳴られ、早夜は戸惑う。
抜け出そうともがくが、更に腕に力を込められた。
「……頼む、頼むから、あんな奴の為に傷付くなよ……」
リカルドは囁き、顔を覗き込む。目から涙を溢れさせ、悲しげに眉を寄せるその顔を……。
そして、その涙の濡れる頬に唇を這わせる。その涙を拭うように何度も何度も――。
早夜は目眩がした。
その唇のあまりの優しさに。そしてそれとは逆に、苦しいくらいに抱き締めてくるその腕の熱さに……。
何か胸にざわつくものを感じ急に怖くなった早夜は、思わずその原因であるリカルドの背に、手を回してしがみ付いてしまう。
それに更に煽られるように、リカルドは何度もその顔に口付けを落とした。ただ、その唇にだけは触れずに……。
そして暫くして顔を離すと、彼は「止まった」と囁いた。
一瞬、何の事を言われているのか分らなかった早夜。しかし直ぐに涙の事だと気付いた。
リカルドの手が早夜の頬を撫でる。普段からは想像できない、優しく繊細な手付きに、早夜は戸惑いながらも陶酔したように目を瞑っていた。
それはわざとか偶然か……ふと彼の指が唇に触れた。
「あ……」
思わず声を漏れた。彼の背に回している手を握り締める。
揺れる瞳を自覚しつつ目を開けると、目の前に深い碧色の瞳が見えた。その視線は、己の唇に注がれている。
後はそれが自然の流れであるかのように、リカルドは顔をゆっくりと近づけてくる。
早夜の瞳が揺れる。それと同時に心も揺れるのを感じた。
果たしてそれは期待だったのか恐れだったのか、早夜は流されるままに目を瞑った。
だが、唇が触れそうになる寸前でピタッと止まり、覚悟していた感触は額へと注がれる。
肩透かしされた気分で早夜が目を開くと、予想に反して目の前には切な気に揺れる瞳。そんな熱の籠もった視線でリカルドが此方を見ていた。
「……口にはしない……」
「え……?」
僅かながら動揺していた早夜に、ポツリと呟くリカルド。
早夜は彼を見つめる。リカルドもまた早夜のその漆黒の瞳を見つめ返す。
「いつか、サヤが俺を好きになってくれるまで、口にはしない……」
リカルドはこつんと額を押し付けてきた。
「絶対に振り向かせてやるからな……。誰にもサヤは渡さない……」
その瞳の真剣さに、早夜は目を逸らす事が出来なかった。
その後リカルドは早夜に何もせず何かを話すでもなく、ずっと無言のままに部屋まで送られる。ただ、繋がれたその手だけはとても熱かった。
部屋の前まで辿り着くと「じゃあ」とだけ告げて、名残惜しげにその手を放した。
「おやすみ、サヤ……」
「……おやすみなさい……」
お互い囁くような挨拶だった。
早夜は部屋に戻った後ベッドまで駆けると、そのままダイブし身体を投げ出す。手探りで枕を探し、掴むとそこに顔を埋め唸っていた。
そしてどれくらいそうしていたのか、暫くして顔を上げると、目の前の枕を手に取って、今度は両手で抱き締めつつ仰向けになる。
半分枕に埋めた顔が、熱いを通り越して、最早全身が熱かった。
先程のリカルドの言葉を思い出す。
「あ、あれって、あれって……わ、私を好きって事? えぇ!? そんな、だって……」
――口にはしない――
ボッと顔が熱くなる。
それと同時にあの切な気な瞳とその腕の強さ。そして、顔を這う感触を鮮明に思い出してしまい、枕に顔全体を埋めると、「うー」と唸ったままベッドを転がるのだった。
「あ、頭を冷やそう! うん!」
羞恥から無意識に声を張り上げていた。誰に言うでもないその言葉は、自分自身に言い聞かせるもの。
気分を落ち着かせる為、早夜は窓辺に近づくと、その窓を開ける。
途端に夜のひんやりとした空気が頬を撫で、火照った身体に心地よかった。
早夜は暫くそこで熱を冷やそうと、椅子を持ってくると枕を抱き締め、そこに腰掛ける。
日本で見てきたものと違い、とても大きな月が目の前にある。
はふりと息を吐くと、暫くそうやって月を眺めていた。
早夜は、誰かが自分を呼んでいる事に気付き、目を覚ました。
顔を上げれば巨大な月。
(ああ、あのまま寝ちゃったんだ――)
「良かった、やっと目を覚ました」
ホッとした声に、早夜が振り返ると、そこにはリジャイが立っていた。
「リ、リジャイさん?」
思わずギクリとしてしまう。
リジャイはそんな早夜を見て、自嘲気味に笑った。
「そんな所で寝てたら、風邪を引くよ」
「あ、はい」
早夜が立ち上がると、リジャイはそのまま去ろうとする。
「ま、待って下さい、リジャイさん!」
早夜が慌てて呼び止めると、リジャイは立ち止まる。
「顔だけ見たら帰るつもりだったんだ。
……そのまま声も掛けるつもりも無かったのに……」
最後は聞こえぬ声で呟きながら、リジャイは魔法陣を出そうとする。
駄目だ、行ってしまう……。
早夜はそう思った。なぜだかこれっきり会えなくなりそうな予感までした。
だからとっさに言ったのだ。
「あ、ありがとうございました!」
それが功を奏したのか、リジャイは溢れさせていた魔力を引っ込めた。
振り向くその表情は呆気にとられたもの。
彼を呼び止められた事にホッとしながら、早夜は続ける。
「……あの時、ちゃんとお礼も言うべきでしたね……。
治してくれて、有難うございました」
早夜は立ち上がって胸に抱き締めていた枕を椅子に置くと、背筋を伸ばし、深く頭を下げた。
遜る事やかしずく事でもない、礼を重んじる日本古来の形であるそれは、とても洗練され厳かで美しいとさえ感じる。リジャイはその姿に、何処か神聖さまで感じて、一瞬言葉を失う。
そして顔を上げた早夜は、今度は謝罪の言葉を口にした。
「それと、御免なさい……」
「っ! ……な、んで、君が謝るの?」
当惑し呆然と疑問を投げかけるリジャイに、早夜は恥じ入るように目を伏せ答える。
「私が、リジャイさんの親に……お母さんに代わって叱るだなんて、凄く烏滸がましい行為でした。それに、愛情を持って叱られた事がないなんとか……後から考えたら、実は物凄く失礼な事を言っている事に気付いて……。
これじゃあ、リジャイさんが怒って当たり前ですよね……」
「――違う!」
リジャイは叫んでいた。
そして早夜に歩み寄ると、その肩を力任せに掴む。
「いたっ!」
思わず早夜が眉を顰めると、リジャイはハッとし、慌ててその手を離し、そのまま自分の顔を覆った。
「ごめん、早夜……でも、違うんだ。君は謝る事なんて無いんだよ。全部本当の事だから……。
それに僕は怒ったんじゃない……怖かったんだ」
「……怖い?」
窺うように早夜はリジャイの顔を覗き込むが、手で覆ってしまっている為その表情は分らない。
「……早夜、僕の中にはね、悪魔がいるんだ。時々それが表に出たがる。
侵入者を捕まえた時だって、感情に任せて一人、殺してしまった――……。
それに、さっきだって……もう一人の侵入者を尋問する間、いつの間にか僕はずっと相手をいたぶる事を楽しんでいた」
リジャイは漸く手を下ろす。そしてかいま見える彼の表情は、何処か虚ろに見えた。
「僕はいつか君を傷つけてしまうかもしれない……。それが堪らなく怖いんだ……」
リジャイは早夜に手を伸ばす。が、途中で躊躇い手を握り締め、その手を下ろそうとした。しかし、それは小さく柔かい手に阻まれてしまう。
自分の物よりも小さな手が、己の手を包むようにして握っているのを、リジャイは呆然と眺めていた。
「さ、や……?」
「大丈夫ですよ、大丈夫……。
リジャイさんだけじゃありません。誰の中にも悪魔はいます。
傷付けたいほど、人を憎んでしまう事だってあります。私だってそうでした……。
でも、それが人なんじゃないでしょうか?」
「……違うよ早夜。僕は揶揄ではなく、本当に傷付けてしまうんだ。時には殺してしまう事だって――」
リジャイは言葉は途中で遮られた。
早夜に手を引かれ、半ば強引に抱き締められていたのだ。
「……リジャイさんは、本当に叱ってくれる人がいなかったんですね……。
大丈夫ですよ。もし、リジャイさんが人を傷付けてしまいそうになったら……その時は私が止めてあげます。ちゃんと叱ってあげますから……だから、怖がらないで……」
早夜はリジャイの背を撫でる。まるで、親が子にするように。
リジャイは瞳を揺らめかせると、恐る恐る早夜の背に手を回す。
そして、徐々に抱き締める腕に力を込めていった。
「早夜――……早夜……」
譫言の様に名を呼ぶリジャイ。
その腕の力は益々強くなり、息も出来ない位だった。それでも早夜は、優しく背を撫で続ける。やがて、その手は力無く落ちていった。
「……早夜?」
リジャイはハッとして、早夜を見た。彼女はぐったりとしていて、一瞬恐怖で顔を強張らせた彼だったが、気を失っているだけだと分るとホッと胸を撫で下ろす。
リジャイは意識のない早夜を優しく抱き上げると、ベッドに運びそっと寝かせるのだった。
ゆるゆると頬を撫でられる感触に、そっと目を開ける。目の前には紫色の瞳があった。
早夜は自分がベッドに横たわっている事を知ると、ああ気を失っていたのか、と理解する。
見上げた先のリジャイの表情は、何処までも不安そうであった。
早夜は黙って手を上げると、彼の頭を撫でる。
以前は夢の中の少年に対して、でも今は……目の前にいる彼に対して……。
リジャイはクシャッと顔を歪ませると、肘を付いて早夜の首もとに顔を埋めた。
「……良かった……君を殺してしまったかと思った……」
「大丈夫ですよ。こんな事くらいで死にません」
「怖かった――……。ここ暫くは、感情の制御も出来たんだ。でもあの侵入者を前にして、熱のせいもあったのかもしれないけど……でもあれが切っ掛けだと思う。
箍が外れたみたいに感情が溢れ出して止まらないんだ……。
僕はもう、君には触れられない。君に対する感情が、例え愛しさから来るものだとしても……それが君を傷付けてしまうんだ……きっと今みたいに力に任せて君を抱きしめて、壊してしまう……」
早夜は身体を起こすと、リジャイの顔を正面に捉える。紫色の瞳は、何処か悲しげに揺れていた。
漠然と理解する。彼はきっと、抱き締めて貰った事がないのだと。だから抱き締め方が分からないのだと。
早夜は彼の頬に手を添える。
「私思うんです。人に触れる事や接する事って、誰でも怖いものなんじゃないかって……。それが揶揄にしろ物理的にしろ……。傷付けてしまうのが怖い、それで自分も傷付くのを恐れているんです」
だから――と、早夜はリジャイに手を差し出す。
「少しづつ触れて、確かめて、確認し合ってゆくんですよ……」
差し出された手を、リジャイは一瞬躊躇した後握り締める。
「私はリジャイさんを怖がっていますか?」
早夜がそう尋ねると、リジャイは首を振る。
不安気に、無言のままするその行為は、何処か幼子のするものと酷似する。
「それは私が、あなたを信じているからですよ。あなたは私を傷付けないと確信しているんです。だから、あなたも私を信じて下さい。
私はあなたを傷付けないし、私も傷付きません。
……信じられませんか?」
リジャイの顔が、泣きそうに歪められた。
「信じる、信じるよ……でも僕は、自分を一番信じられない……」
「じゃあ、私があなたの分まで信じます」
その言葉に、リジャイの手に知らず力が籠もった。
感じた痛みに、早夜は思わず「んっ」と声を漏らしてしまった。
それに気付いて慌てて手を離そうとするリジャイであったが、思わぬ温もりに動きを止めた。早夜がもう一方の手も添えたのだ。
その温もりは手放すには余りにも脆く優しく、離れ難いものだった。
「メッ、ですよ。リジャイさん……」
ふふっと笑いながら告げる早夜の声。
まるで、そのまま微睡んでしまいそうな程、慈愛に満ちて、何故だかリジャイは泣きたくなった。
「大丈夫ですよ。言ったでしょう? 今みたいに力を抑え切れない時は、ちゃんと叱りますから……だから少しづつ覚えていきましょう?」
胸が熱く、感情が昂ぶるのを感じる。
今すぐ抱き締めたい。でも、力の制御が曖昧な今、それをすれば彼女を抱き潰してしまうかもしれない。
そうならないように、必死に抱き締めたくなる衝動を抑えながら、リジャイは早夜の胸に顔を埋めた。
控えめだが、その柔らかな感触に、何処か安心感を覚える。顔を横に向けると、耳に心臓の音が響き、心が安らぐのを感じた。
そんなリジャイの行動に、早夜は最初、顔を赤らめ戸惑った様子を見せたが、彼の顔が安らいでいくのを見て、胸元に縋りつく頭を優しく撫でる。
「……凄く落ち着く……時々、こうして心臓の音を聞いてもいい? 何もしないから……」
早夜はクスリと笑って「何もしないなら……」と言うと、リジャイもまたクスリと笑う。
「他の人には内緒でね?」
そう言って、上げた表情は何処か悪戯気であった。
「もし知られたら、僕はシェル王子様に牢屋にぶち込まれちゃうだろうからね……」
「えぇ!?」
何故と、声を上げる早夜に、リジャイは苦笑しながら言った。
「さっき言っただろ? 侵入者を尋問するのに、そいつを甚振ったって……。
それを見た人達がすっごい引いてた。シェル王子様に至っては、今後一切、君には近づくなと言われる位ね……。
流石の僕も、自分を制御しきれずにした事だから、彼の意見を受け入れて、君に会わないようにつもりだったんだ。なのに君は、こうして僕を受け入れてくれた……」
そして、リジャイはまたその胸に縋った。
「誓うよ……僕は君をずっと見守る。例え傍に居られなくなっても……。君にこの先、拒絶されたとしても……。今度は逃げない……」
リジャイは片手だけを早夜の背に添える。
今度は力任せに抱き潰してしまわぬよう、恐る恐る、傷付けないように、そっと……。
今、リジャイの目の前には早夜の寝顔がある。彼は黙ってそれを眺めていた。
あの後、彼は早夜に添い寝をさせてくれないか、と頼んだのだ。
最初、その願いに躊躇いを見せた早夜であったが、彼のその縋るような目に負けて、こうして願いを受け入れたのだ。
リジャイは身体を起こすと、眠ってしまった早夜の顔を見下ろす。その時、パタリとシーツに雫が落ちた。
色を変えたその場所に指を滑らせば、濡れた感触。
自分の頬が冷たく、それが自分の涙なのだと気づいた。
――嗚呼……誰かに、自分の心を打ち明けたのは初めてだ……。
それが、こんなにも安らぎを与えてくれるとは――……。
リジャイは早夜に顔を寄せると、その耳元でそっと囁いた。
「……好きだよ、早夜。誰よりも、何よりも、君が好きだ……。
最初は君がキヨウの娘だと知って興味を持った。そして、君はあまりにもキヨウに似ていて、僕は君をキヨウの代わりにしていた……。
でもね早夜、今は違うんだ……今は、君の事しか考えられない……。
いつか全てを君に話そう……僕の全てを。そして、キヨウ……君のお母さんにどうして出会ったのかを――」
(ああ、そうしたら、僕はきっと嫌われてしまうかもしれないな……)
ふっと笑って、リジャイは愛しげに早夜を見つめると、そっと口付けを落とした。
そうしたらまた、涙が零れた。
早夜が目を覚ますと、窓の外はもうすっかり明るくなり、朝が来ている事を知った。
「んー――」と伸びをし、はたと気付いて隣を見る。
そこには何もなく、ただ真っ白いシーツがあるだけ。
「そっか、リジャイさん帰ったのか……」
そう呟いた後で、早夜はカァッと顔を赤らめる。
昨夜は何とも大胆な事をしてしまった、と自己嫌悪に陥る。
でも、少しでも彼を癒せたのだとしたら、それでもいいかと思い至った。
それから……と、リカルドの顔を思い出し、更に顔を赤らめてしまう。
リジャイに会う前、星見の塔からこの部屋に送られている中で彼にされた行為。顔中にキスされ、ついでとばかりに無自覚な告白までされて、どんな顔をして会えばいいというのか……。
そういった事を考え、一人ベットに突っ伏して悶々としていると、扉をノックする音が響いた。
思わずリカルドかと思い、ドキリとしてしまう早夜。
しかし、「サヤ、起きているか?」と聞こえてきた声の主はシェルだった。
早夜はベッドから床に足を下ろすと、寝癖や乱れた所を直しつつ、慌てて扉を開けた。
「あの、シェルさん。お早うございます……」
「ああ、おはよう……入っても?」
そう尋ねてくるシェルは、何処か不機嫌そうに見えた。
「あ、はい、どうぞ……」
早夜は素直に身体を横にずらすと、シェルを部屋に招き入れる。
彼は無言のままに中に入ってゆくと、長椅子に腰を掛けた。何処だか酷く疲れているように見える。
「あ、あの……シェルさん?」
不機嫌にも見える彼に声を掛ける事は非常に勇気がいった。それでも好奇心が勝り、早夜は恐る恐る声を掛ける。
此方を向いたその表情が、唯でさえ不機嫌そうなのに更に険しくなってゆく。
「サヤ、今後一切あの男には近づくな……」
あの男とは一体何の事を言っているのかと思ったが、ふと夕辺リジャイが言っていた事を思い出した。
「あの男……あいつは狂ってる! 既に白状した者を、更に痛めつけるとは……」
何を思い出したのか、シェルの顔が青ざめてゆく。
「あ、あの……一体――」
「あの三つ目の事だ! あの後、侵入者を尋問したのだが……あの男、まるで相手を甚振る事を楽しんでいるようだった。
しかもその甚振り方が尋常じゃない……。ルードなんかは、それを見て気絶した」
一体、どんな甚振り方をしたのだろうと思ったが、今はその事より気になる事があった。
「……シェルさん、それでその侵入者は一体何を白状したんですか?」
早夜がそう尋ねると、シェルは眉を顰め言った。
「……あの侵入者は、バスターシュの者だった」
「バスターシュ!!」
今でも鮮明に覚えている。
あの時、リュウキが巻き込まれたあの魔法。
あれほど酷い魔法は無いと思ったのだ。
――贄の魔法――
あれを見た際、早夜の内から溢れだした知識によって導き出された魔法の原材料。それを知った時、強い吐き気と共に、それを作り出したバスターシュに深い嫌悪の感情が沸き上がった。
「これで、いよいよ怪しくなってきたな……」
「何がですか?」
「今回、バスターシュがいきなり和平を求めてきた事だ」
「――っ! 和平を、ですか!?」
早夜は信じられないと驚いて見せると、シェルは頷いた。
「ああ、もう一度、検討しなおさなければ……」
シェルがそう呟き虚空を睨みつける。
早夜の胸に、漠然とした不安が沸き起こるのだった。
ギャー! なんと言うか、こっぱずかしい! リカルドが、あのリカルドがぁ!
実はあの行動、予定には無かった行動だったので、なんて言うか、物凄く恥ずかしい……。
今回はリジャイだけで行くつもりだったのに……。
でも、それぞれが、早夜の事を本気に好きになっていく事を皆さんにお伝えしたかったので、丁度良かったのかな? ああ、でも、口だけにはしないって……。
早夜のお母さんの名前が、キヨウと言う事も判明いたしました。 リジャイとは一体どんな関係なんでしょうね?
それから、この《第五章》までが、第一部となります。(予定)