6.私の救世主
「あの王様、ちょっと良いですか?」
歓迎の挨拶が済んだ頃、蒼がタイミングを見計らい、片手をあげアルファード王に訊ねた。
早夜は不思議そうに、そして亮太はハッと何かに気付いたように蒼を見る。
(蒼? まさか、ここであの話をする気か!?)
「何だね? 言ってみなさい」
アルファードが蒼を見て言った。
すると蒼はスッと人差し指を出し、リジャイを示した。
「あの人に質問があるんですが、いいでしょうか?」
指差されたリジャイは「え、僕?」と言いながら、面白そうに此方にやって来た。
「何々? 早夜の愉快なお友達が僕に何の用?」
「ば、馬鹿! 勝手に動くな!」
「え!? あ、待って下さいっ!」
カートとルードが、慌てて追いかけてくる。どうやら彼らは、リジャイがおかしな事をしないように、見張っている役目をしていたらしい。
蒼がアルファードを見ると、彼は頷き促す。
蒼は、リジャイを真っ直ぐ見据えると言った。
「リュウキさんは貴方に、早夜が妹だという事以外に何か言ってませんでしたか? 例えば、母親の事とか……」
それを聞いて、早夜はあっと声を上げる。リュウキの母親という事は、自分の母親でもある、つまりアヤの事だ。
リジャイは考える様に顎に人差し指を置く。
「うーん、そうだなぁ……ああ、リュウキの魔眼は母親譲りだって言ってたな」
「えっ!? お母さんも魔眼が使えるんですか?」
びっくりする早夜。今まで、一度だってそんな素振りは見せなかった。
「ん? まぁ、そーいう事になるんじゃないの? 後、お兄さんがいるって言ってた」
「お、お兄さん!? 私にはもう一人お兄さんがいるんですか?」
「うん。今、彼がクラジバールで名乗ってる名前、ムエイはお兄さんの名前だそうだよ。
でもお兄さんは体が弱くて、魔眼は使えないって言ってたけど……」
新たな事実に目を丸くする早夜。
他の面々もびっくりした顔をしている。
「後もう1つ。早夜、君のこの名前は、君の本当の名前じゃないよ」
「えっ?」
「君の本当の名前は、オミサヤ、と言うらしい」
「っ!! 何ですか、それ? そんなの私、知りません……どういう事なんですか?」
早夜の呟きに、リジャイは肩を竦める。
「ごめんね。僕に聞かれても分からないよ……」
「……それはつまり、早夜は私達のいる日本とも、違う世界の人間って事?」
蒼は考えを巡らすように厳しい顔をしていた。
それを見て、早夜は何やら胸がざわつくのを感じ、不安げな顔を見せる。
蒼は顔を上げると銀髪の青年ルードを見た。
「ルードさん…でしたよね? 宮廷魔術師のあなたに聞きますが、私達を日本…元の世界に戻る事は出来ますか?」
いきなり声をかけられ、あたふたしながらルードは答える。
「え? あ、ああ、はい! ええっと、それが……異界への召還は、魔力がかなり要りますのであの部屋が壊れてしまった今、それは難しいと思われます」
「そうですか……」
「すみません……」
その後ろで、亮太だけは安堵の息をついていた。
「申し訳ないが今、性急にあの部屋の修復に当たっている所でな。それまでは、この城でゆっくりしていて欲しい」
気の毒そうなアルファードに、蒼は慌てて首を振った。
「いえ、それは王様のせいではありませんので。ただ、早夜のお母さんに会って、事の真相を聞いてみたかったんです。それが出来ないのは残念ですが、仕方ありません。またの機会にします」
「そうか、そうだったな。この娘の母親は、リュウキの母でもある訳だからな。これは余も、一度会ってみたい。我々も考えてみよう……」
そう言って、アルファードは頷く。
だがその時、リジャイが声を上げた。皆が彼に注目する中、彼は言った。
「あー、話が落ち着いた所に悪いんだけどさー。その君達の世界に戻る話? 何とかなりそうだよ……」
「っ!! それはまことか!?」
「うん、ホントー」
国王を前にしても、やはり態度は変わらないリジャイ。
「おいっ! 陛下に対して無礼だろーが!」
カートが注意するが、リジャイはひょいと肩を竦めるばかり。
「別に僕、この国の人間じゃないもーん。それに、僕の生まれた世界って、王様いなかったから王様に対する礼儀なんて知らないんだもーん」
「っ、貴様!」
何処までもふざけた口調のリジャイに、カートは苛立ちをつのらせる。
「……やっぱり、俺はお前が気に入らねー。その人をおちょくったような態度といい、ふざけた言動といい、全部が俺を逆撫でしやがる……」
「あはは、別に君に気に入られたって、気持ち悪いだけだからね!」
満面の笑みでリジャイが言ってのける。
2人の間には見えない火花が散っていた。
いつまでも終わらなそうな二人の睨み合いに、正直うんざりしかけた王が声をかける。
「ああー、もう礼儀とかよいから、早く話してくれんか……」
「ほら見なよ、君より王様の方が話わかるじゃん」
「い、い、か、ら! 早く話せ!!」
ギリギリと歯を食いしばり、怒りを押さえるカート。
「そーだね、そろそろ君で遊ぶのにも飽きたしね」
「っ!!」
ブチッと切れて、掴み掛かろうとするカートを、ルードとリカルドが押さえる。
「カ、カートさん! 今はおさえてっ!」
「落ち着けカート! 気持ちは解るが、今はそっちの話のが大事だろーが! 後でいくらでも殴らせてやるからっ!」
リカルドの言葉に、漸く落ち着きを取り戻したカート。彼はクッと笑うと言った。
「お前に宥められるとはな……これじゃ、いつもと逆だ。早く言えよ、ヘビ野郎。後で思う存分殴らせてもらうからな……」
リジャイは、カートのその言葉に肩を竦めた。
「あはは、それは本当に後が怖いなー。
でも、リカルドだっけ? 早夜とは随分打ち解けたみたいだけど……でも、君にあの娘は渡さないよ……」
最後は声を低め、細めていた目を開くと、その紫の瞳でリカルドを見据える。
思わず睨み返すリカルドだったが、
(ん? 何で俺、こんなにムカついてんだ?)
と、首を傾げた。
そんなまだ無自覚そうなリカルドの様子を見て、リジャイはフッと笑うと口を開いた。
「ま、冗談はこの位にしてっと」
「冗談かよ!」
「そーゆー冗談は止めてください!」
リカルドと早夜が突っ込む。
しかし不思議そうな顔でリジャイはこう続けた。
「ん? もしかしてさっきの早夜を渡さないって言った事? あれは別に冗談じゃないよ。
冗談って言ったのはあそこの茶斑君に対して。早夜の話は僕、本気だよ」
そう言ってのけた彼は、不思議な笑みを浮かべた。
その笑顔を見た早夜は、更に顔を赤くして何も言えなくなってしまう。
そしてその様子を見ていたアルファード王と王妃シルフィーヌはこんな会話をしている。
「……シル、どうしよう……息子にライバル出現だよ……」
「あら、でも恋敵がいたほうが、燃えるものですわよ?」
「おお! そうだな、がんばれ息子よ!」
そんな王と王妃をよそに、リジャイは苦笑しながら言う。
「とまーそういう事で、早夜に怒られちゃった事だし、僕、本気で話すね。
まず、君達の移動手段、それは、クラジバールの召喚用魔法陣の事。あれだったら、あの部屋よりも簡単に送り返せる」
「っ!? ちょっと待て、お前、クラジバールに潜入するのは無理だとかぬかしてなかったか?」
「うん、無理だよ、魔力を持ったものなら、ね……」
ニヤリと笑い蒼と亮太を見ながら「でも」と続ける。
「彼らなら可能だよ。魔力は一切感じられないから、これなら結界もすり抜けられるよ」
「しかし、それは危険すぎやしないかね?」
アルファード王の懸念に、リジャイは頭を振った。
「多分、大丈夫だよ。あちらはまさか、魔力の無い者が潜入して来るとは思わないし、僕が直接その魔法陣のある所まで送ってあげる」
「あ、あの、それはちゃんと戻ってこれるんですよね……」
早夜が不安そうに言う。
その言葉に蒼がぴくんと反応した。
「うん、その点も安心して。戻ってくる為の呪符を用意してあげる。使い方も簡単。あちらで用事を済ませたら、ただその呪符を破るだけ。そうすれば、そのまま此方に戻ってこれるよ」
それを聞いて、早夜は安心したように息をついた。
しかしそれを打ち破るように声を上げる者がいる。
「ちょっと待ってくれ! その事なんだが、行くのは俺だけにしてくれないか?」
「っ!! ちょっ、亮太!? あんた――」
いきなり口を開く亮太を、焦り止めようとするのは蒼だ。
だがそんな蒼を亮太は睨みつけると、憮然とした顔で言った。
「お前やっぱり、桜花さんに言わないで行くつもりだったな? 桜花さん。こいつ、あっちに行ったらそのまま戻ってこないつもりなんです」
「えっ?」
早夜が確かめるように顔をのぞき込むが、彼女は目線を合わせてくれない。
途端に不安になる。
「あ、蒼ちゃん……?」
「どうしてもそれを実行するってんなら、桜花さんに納得いくように説明してからにしろ」
「うーん……確かに何も言わないで行くのは卑怯だよね」
リジャイも亮太に乗っかるように言う。
「蒼ちゃん、本当?」
震える声で言う早夜に、蒼は目を向けた。そこには、今にも泣きそうな早夜の姿がある。
(だから言いたくなかったのに……)
言えばきっと早夜は泣く。泣いているのを見たらきっと決心が揺らぐ……。心を奮い立たせるように目を瞑ると、蒼は言った。
「だって私は、この世界では何も出来ないでしょう? 私だって、早夜を守りたいって思うよ。
でもね、この世界は魔法が当たり前のようにあって、それが主力になってて……そんな中で私は、魔法は使えない、何か武術が出来る訳でもない。
それにもう、早夜のあんな姿見たくないよ……。それを見てるだけで、何も出来ないのが何よりも嫌なの……」
蒼の中であの時の光景が甦り体が震える。あの時は、本当に早夜が死んでしまうかと思ったのだ。
またあんな事があったら、その時自分は自分を保てるだろうか。
それを思うと怖くてたまらないのだ。今すぐ逃げ出してしまいたくなるほどに。
そう、今自分は逃げだそうとしているのだ。
何だか蒼は情けなくて笑い出しそうになった。
「蒼ちゃんは何も出来なくなんてないよ……」
けれど蒼の考えを余所に早夜がぽつりと言った。
蒼は目を開け早夜を見るが、その顔は俯いていて良く見えない。
「蒼ちゃんはね、私の救世主なんだよ。だからそんな事言わないで……」
救世主……前にも一度、確か此方に来る前の晩に耳にしたような気がする。
しかし、蒼にはその意味が分からなかった。
「だって、私は――」
「違うの、ただ傍にいてくれるだけでいいの……。お願いだから……蒼ちゃんまで離れていかないで――……」
早夜はそう言いながら顔を両手で覆った。
一瞬泣いているのかと思ったが、よく見ればそれは泣くという感じではなかった。
どちらかと言えば恐怖を前に怯え顔を覆う感じ――。
早夜の記憶の中、それは色濃く残る傷。
一人、また一人と早夜の元から去っていく寂しさと孤独感。
――やっと離れていかない友達を見つけたのに――
「皆ね……私の夢の話をすると、離れていったの……気持ち悪い、頭がおかしいんだって……。その内、私の周りに誰も居なくなって、それで――」
「早夜! もういい、もういいからっ、それ以上言わなくていいから……」
ぎゅうっと早夜の言葉を遮り抱きしめる蒼。
「それ以上言ってしまったら、早夜が傷付くだけでしょう?」
「っ、……蒼ちゃん、もしかして知ってたの? 私が虐められてたって事……」
「……ええ、早夜のお母さんから聞いたの。
……さっきのリュウキさんの話……。
あの、心配させたくない、煩わせたくないって、あれは本当は早夜自身の事なんでしょう?
おばさん言ってたよ、何も話してくれなかったって……」
けれどその言葉に首を振る早夜。
「違う、違うの、それだけじゃないの……。虐められてるって知られるのが、怖かったし、恥ずかしかったの……。
それに、認めたくなかった……自分が虐められてるって、認めたくなかっただけなんだよ……」
早夜の目から、とうとう涙が零れ落ちる。
「だけど、とうとう認めなくちゃならない事が起きたの……。階段から突き飛ばされて、骨折っちゃって……その時、先生も近くに居たから、虐めの事もばれて……大騒ぎになっちゃって……。
何よりね? 決定的だったのが……」
言葉をいったん区切り、涙の溢れる目で蒼を見た。
蒼も泣いていた。
「私を突き飛ばしたのが、私と一番仲良かった子だったの……。それでもう、戻れないんだなって思った。
お母さんにもばれて……すごく謝ってた。お母さん何一つ悪くないのに……。
それから引っ越して、蒼ちゃんの居る学校に転校して来たんだよ」
早夜は思い出すように目を瞑ると、深く息を吐いた。
「私ね、もう友達は作らないって決めてたの……。なのに蒼ちゃんは、会って早々、友達宣言したよね。断ろうにも、どんどん話し進めちゃって……。
正直困っちゃった。だってすごく嬉しかったし、楽しかったから……。だから、怖かったの……。蒼ちゃんも私から離れていくんじゃないかって……。
蒼ちゃんに夢の話をしたのは、賭けだったの、もしかしたらって気持ちと、離れてしまうんなら早いうちがいいって……」
蒼は、早夜がどれだけ傷付いていたのかを知った。
アヤからいじめがあったと聞いてはいたが、その内容までは知らなかった。正直、階段から突き落とされた話は、衝撃だったし、怒りも覚えた。
そして、自分と出会った時の早夜の気持ちを知って、悲しかった。
「だけどね、蒼ちゃんは真剣に聞いてくれたし、笑い飛ばしもしなかった。何より、ずっと私の傍にいてくれた……。それがどれだけ私を救ってくれたのか分かる……?」
その時、漸く救世主の意味を理解した。
そして今まで、夢の話をした後、いつもありがとうと言っていた意味も……。早夜にとって、どれだけ重い言葉だったんだろう、と思った。
蒼はもう一度、早夜を抱きしめると、泣きながら謝った。
「ごめん……ごめんね、早夜。私、何にも分かってなかったね……」
「蒼ちゃん謝らないで……寧ろ謝るのは私の方だよ……。
ごめんね、私の気持ち押し付けちゃって……。でも、分かって欲しかったの、蒼ちゃんは、私の救世主なんだって……。だからもう、何も出来ないなんて、言わないで……」
今まで涙を流しながらも、しっかりした口調で喋っていた早夜だったが、此処で我慢できずに、嗚咽を漏らし始めた。
「ひっく……そ、そしたら、もう……うくっ、傍にいて、なんて、い、言わないからっ、ううっ……引き止めたりも、しないからっ……」
嗚咽で聞き取り辛くなる言葉を聞いて、蒼は泣き笑いの様になる。
「馬鹿ね、そんな無理して言わなくてもいいのよ。私は早夜の救世主なんでしょ? だったら、傍にいなくちゃだめじゃない」
「ふぇっ? じゃあ……」
蒼は頷くと、早夜の顔を見ながら言った。
「早夜のお母さんの話を聞いたら、ちゃんと戻ってくるからね。なんだったら、早夜の好きなお菓子、お土産に持ってくるわよ!」
フフッと笑うと、こつんと額を合わせた。
「私こそ、ずっと傍にいさせてね。早夜の親友でいさせて?」
蒼のその言葉を聞くと、早夜はクシャッと顔を崩し、声を上げて泣き出すのだった。
亮太は、その様子を安堵の表情で見ていた。
(ひとまず、良かったな。でも桜花さんにあんな過去があったなんて……)
何も知らずにいた自分に苛立ち、そして、早夜がどれほど勇気を出して言ったかを思った。
(俺なんかより、ずっと強いよな……桜花さんは……)
その時、隣に立っていたリジャイが、亮太に話しかけた。
「いやー、よかったよかった。うまく話がまとまったみたいだねぇ。
ねぇ、それにしてもさぁ、美少女2人が抱き合ってる姿って、けっこーグッと来るよね。そう思わない?」
「なっ!? どういう神経してんだよ、あんたはっ!」
この感動的なシーンで、そんな事を考えていたリジャイに、亮太は驚き、呆れるのだった。