3.蒼の決心
パキンという音と共に、枷がばらばらと崩れ落ちた。
早夜はそれを確認したのか、フッと笑うとそのまま昏倒してしまった。
「おっと」とリカルドが崩れ落ちる彼女の身体を抱き止め、不審そうな顔でリジャイを見る。
「大丈夫、意識を失っただけだから。そのまま休ませたげなよ」
その言葉を聞いて、リカルドはホッと息を吐き、早夜を横抱きに抱え直すと立ち上がった。
そしてその軽さに驚く。
「かっるいなー……それじゃ俺、どっか使える部屋探して寝かせてくるわ」
そう言い残し、リカルドは出口に向かう。それを見送っていたリジャイは、カートに視線を移した。
「何時までこうしてるのかな」
少々呆けたようにリカルドの背を見送っていたカートは、我に返るとリジャイを離す。
彼はただリカルドの行為に驚いていた。
あの第三王子は基本的に正義感は強い方なのだが、それでも相手が女性となると照れが先立ってうまく立ち回れなくなるらしいのだ。
それが今の彼はどうだろう。ああも自然にあの娘を気遣い、守るとまで言ったのだ。
普段の彼だったら絶対に言わない……と言うか出来ない。
(よっぽどあの嬢ちゃんの事が気に入ったんだなぁ……こりゃあ、陛下が知ったら大騒ぎ……どころじゃないな、あの人親馬鹿だし……)
そしてアゴを撫でながら二ヤッと笑うと呟いた。
「それはそれで面白いか?」
カートに開放された後、リジャイは真っ直ぐにミヒャエルの元へと行った。
「あ、クーちゃん!」
ミシュアが気付き、顔を輝かせる。
リジャイはミシュアに笑いかけた後、ミヒャエルを見る。
「ねぇ、僕を雇わない?」
その言葉に目を眇めるミヒャエル。
「何を言っているんだ?」
不審そうに眉を顰める彼に、あの爬虫類を思わせる笑顔で笑って見せるとリジャイは言った。
「だからね、僕をスパイとして雇わない?」
しかし、言った直後に何者かに胸倉を掴まれる。
目の前には冷たい青い瞳があり、リジャイを睨んでいた。
「何を企んでいる?」
「シェルよせ!」
しかし、シェルはリジャイの胸倉を掴んだまま自分の双子の兄を見る。その腕には、ミシュアが怯えた様子で、ミヒャエルにしがみついていた。
それを見て僅かに顔を歪めた後、チッと舌打ちをする。一度リジャイを睨んでから乱暴にその手を離した。
解放され、ポンポンと服を払いながらリジャイは飄々とこう言った。
「うわー、怖いねぇ、お兄さんとはえらい違いだねぇ。顔はそっくりなのに……ねぇ、そんなんで影武者は務まるのかなぁ……?」
何処かバカにしているようにも聞こえる彼の言葉。その内容はこちらの内情を知っているような口ぶりである。
表情を険しくさせる双子に、不適に笑って見せるリジャイは更に続ける。
「君等が思ってる以上に、クラジバールはこの国の事を良く知ってるよ。何で僕がミーちゃんと仲良いか分からない?」
突然自分の事を言われ、身体を震わせるミシュア。
「今まで何度か僕、このアルフォレシアには来てるんだよね……」
「っ! キサマ!! やっぱり――」
シェルががまた胸倉を掴もうとするのをひょいとかわすと、リジャイは眉を下げて言った。
「僕は別に好きでやってた訳じゃないさ。あの枷のせいで仕方なく、だよ。
でも今はこうして自由になった。たから僕は好きな方につかせてもらう事にするよ」
リジャイは窺うようにミヒャエルを見た。
「自由になったのなら、何もそのような事をしなくても良いのではないのか?」
「僕はね、早夜のことが気に入っちゃったんだ。あんな可愛い娘他にいないし、何より血は美味しいし……あの娘の助けになるなら、僕なんでもしちゃうよー?」
「惚れた女の為か……フン、スパイにしては随分ロマンチックな事を言うじゃないか」
シェルが皮肉めいてそうこぼす。
けれどリジャイは首を振った。
「ううん、そういうんじゃないよ……これは……」
そう言ったまま黙ってしまう。その瞳は何処か寂しげだった。
だがそんな態度が嘘だったかのようにすぐに笑顔に戻ると、
「僕、リュウキの事も気に入ってるんだよねー。あの兄妹が無事に出会えるまで、僕は協力を惜しまないつもりだよ」
等と言って足元に手を翳す。途端に現われる魔法陣。
「んじゃあ、僕はいったん帰るとするね。リュウキが心配してると思うし……ロイロイなんて、やきもきして待ってるだろうなー……」
「おい待て! まだ話はっ――……」
「バイバーイ」
シェルが呼び止めるも、リジャイはそのまま魔法陣と共に消えていった。
「何とも実態の掴めん男だな……」
ぼそりとミヒャエルが呟く。
「でもクーちゃんすごく優しいよ? いつも遊んでくれるの」
ぽよっとした眉を下げ、ミシュアが言った。
「それにね、ミシュアにこんなのくれたよ」
そう言って、何やら取り出す。
所々くしゃくしゃになっていたが、それは紙を折り込んで作った人形だった。
「魔よけのお守りなんだって」
それを見たシェルが、その人形を受け取り、ルードを呼んだ。
その場で何やら考え込んでいたルードは、呼ばれた事にハッとして此方にやって来た。
「何ですか?」
「ちょっとこれを見てくれ。何か怪しい点はないか?」
シェルに言われ、その紙で出来た人形を手に取る。
そして杖を翳し、何やら唱えると、ポゥッと人形が淡く輝き出す。
「あー……何やら術が施してありますね……」
「なに!?」
シェルはルードから人形を奪い取り、それを開いてゆく。
「で、殿下! ああっ、そのように無闇矢鱈と開いては……」
「あー! こわしちゃだめー!」
シェルの暴挙に慌てふためくルード。急いで周りに防御の術を展開する。
そして、ミシュアは今にも泣きそうな顔でシェルに手を伸ばす。
そんな彼女の背中をミヒャエルが慰めるように撫でてやる。
「シェル、もし危ない術であったらどうするんだ。開けた途端に火でも吹いたら洒落にならん。
ミシュアも、何か悪い術だったら大変なんだ。何事も無ければちゃんと元通りにするよ」
紙の人形を開いたが、何等おかしな事が起こる事はなく、開かれた紙には見た事のない文字の様なものと、小さな魔法陣が描かれていた。
「どうだ? ルード」
「これは……見た事の無い術式ですね……。しかし、この組み合わせから言って、ほぼ間違いなく守護の魔法です。それもかなり強力な……」
驚くシェル。どうやら本当にお守りのようだった。
「あー殿下。俺もあの男はあまり好きじゃありませんが、あのサヤって言う嬢ちゃんを助けたいって話は、信じてもいーんじゃないかって思いますよ」
お守りを元通りにし、ミシュアに返したシェルは、何処か不機嫌そうだった。
「サヤ……リュウキの妹、か……」
「それにしても、この部屋どうしましょうか……」
ポツリ、呟くシェル。
そしてその背後で、あちこち罅が入り、使い物にならなくなった部屋を呆然と眺め、ルードはそのようにこぼすのだった。
一方、蒼たちは――。
「早夜……」
青白い顔でベッドに横たわる早夜を見つめ蒼は呟いた。亮太もその横で心配そうに覗き込んでいる。
リカルドは、そんな蒼達を見ると訊ねた。
「そーいやお前ら名前は? サヤの友達なんだろ?」
(いきなり呼び捨て!)
軽くショックを受ける亮太。
(自分はいまだに下の名前で呼べないのに……)
そんな亮太を余所に蒼が答える。
「私は蒼です。それでこっちが亮太。早夜とは同じ学校の同級生です」
「アオイにリョータ?」
二人の名を聞くと、暫く口の中でブツブツと繰り返した。
「おし、覚えた! それにしてもサヤは凄いな。こんなちっこい体で、よくあんだけがんばったよな……」
感心したように早夜を見る。そして、ふと亮太を振り返った。
「それとリョータ、お前もスゲーな!」
突然声をかけられ、「へっ!?」と声を上げる。
「皆がまったく動けない中で、よくあんだけ動けたよな。お前は凄い!」
自分より年上の人間に尊敬の眼差しを向けられ、何と言ったら良いのか亮太は分からなかった。
面映ゆく擽ったい。
「で、でも俺、あの後あいつに倒されましたし……」「あれは仕方ねーだろ? だって、リョータは見たところ魔法とか使えなさそうじゃねーか。魔力とか感じねーし」
落ち込む亮太の肩に手を置き慰める。
そして今一度、早夜を見てから蒼達の方に向き直って笑い掛けた。
その笑顔は何処までも爽やかである。
「んじゃま俺、そろそろ行くわ。親父とかに報告しなくちゃなんないし、異界から客人が来た事……しかもリュウキの妹だってな……後、着替えも持ってこさせるからな」
そして、部屋を出て行く寸前、思い出したように振り返ると、顔を引き締め姿勢を正した。
そうして優雅に一礼するその姿は、今までの砕けた感じが無くなり、本当にこの国の王子なんだな、と窺わせるものだった。
「異界から来た客人よ。我々は貴殿等を保護すると共に、心より歓迎する」
頭を下げたまま、朗々と読み上げるように告げられる歓迎の言葉。
しかし、いい終え頭を上げると、彼は少し照れたように笑った。
「ようこそアルフォレシアへ!」
(素直に人を認める事と、王子だってのにこの気さくな態度。そしてこの笑顔。人を惹きつける才能があるわねこの人……これは亮太にすっごい敵が現われたわ。どーする亮太?)
そう思い、蒼が亮太を見ると、カチコチに緊張して、
「こ、こちらこそ宜しくお願いします!」
と、礼を返している所であった。
それを見て、蒼は一つ溜息をつく。
(……だめだわこりゃ……)
リカルドが部屋を去り、残される蒼と亮太。
蒼は早夜の眠るベッドの端に腰掛け、彼女の乱れた髪を直してやる。
「ねぇ、亮太?」
蒼は視線をそのままに声をかける。
「なんだよ……」
何故か亮太は緊張していた。
微かに聞こえる早夜の寝息と、こんな静かな空間を蒼と2人で共有するという事に、居心地の悪さを感じていたのだ。
蒼はそんな彼に苦笑する。
「なーに緊張してんのよ」
「べ、別に緊張してねーよ……そんで? 何だよ……」
慌てる亮太であったが、幼なじみという間柄のせいか、お互い、相手の微妙な変化を察知する事は容易い。そして、その微妙な変化を亮太は今蒼に感じていた。
何だか何処か寂しそうに見えるのだ。
「もし、日本に帰れる事になったら、あんた如何する?」
「は!? 何だよいきなり。
そんなのお前と桜花さんを連れて帰るに決まってんだろ?」
「リュウキさんが、早夜のお兄さんだって分かったのに?」
「うっ、それは……」
ううーんと考え込んでしまう亮太。
「……もし帰れる事になったら、私は帰ろうと思うの……早夜を置いて……」
「っ!! お、おまっ、それは――」
「早夜のお母さんに聞いてみるつもりよ。リュウキさんの事とか、色々……きっと何か知ってる筈だわ……」
非難しようとするのを遮って続いた言葉に、亮太はぽかんとする。
「……蒼、お前すげーな……」
まさかそこまで考えていたとは、と感心してしまう。
そんな亮太の様子に蒼はプッと吹き出した。
「何言ってんのよ、さっきの王子様じゃあるまいし」
「いや、さ……俺なんか今の状況だけで、いっぱいいっぱいだっつーのにさ……お前はそんな事まで考えてたんだな……」
何か敗北感の様な物が湧く。
亮太は、何処かふて腐れた様子だった。
「私だって同じよ……ただ、私が早夜にしてあげられる事は何だろうって思ったの……。
それでね? その時は亮太、あんたもついて来て欲しいのよ」
驚く亮太。
横たわる早夜と蒼を交互に見ながら、慌てたように言いつのる。
「そ、そんなの! 桜花さんが一人になっちまうだろ? お前だって、この世界に来る時言ってたよな? この世界には、桜花さんを知ってる人間はいないんだぞ!」
「うん。だけど彼らは、早夜をリュウキさんの妹だって認識したわ。だから、ここの人たちは絶対に早夜を大事にしてくれる。安心してあの人達に早夜を任せられるって思ったの……」
「い、いや、それは俺もそう思うけどさ……でも……ううーん……」
悩み、唸る亮太に、蒼はニヤッと笑った。
「分かった、他の男の人に早夜を取られるんじゃないかって心配してるんでしょう? ここの人たち、イケメン揃いだもんねー……特にさっきの王子様とか?」
グサッときて胸を押さえる亮太。図星のようである。
蒼は、そんな彼をニヤニヤとして見ていたが、ふと真顔に戻ると小さく囁くように言う。
「……お願いよ、亮太一緒に来て――……」
「蒼?」
いつもと違う蒼の様子に亮太は、眉を顰めた。
暫く俯いていた蒼は、顔を上げ亮太を見る。その目には涙が滲んでいた。
「一人で帰るのが心細いの……。でも、亮太後傍にいてくれるだけで私、凄く心強いから……だから一緒に来て? お願い……」
目を潤ませ、上目遣いで懇願する。
そこにいつものふざけた様子はなく、その表情は何処か艶やかだ。
「……蒼……」
亮太も真顔になり、そっと名を呟く。そして静かに蒼に近づくと手を伸ばした。
そして―――
“ペチィッ!”
「イタッ!!」
亮太は伸ばした手を蒼の額に合わせ、デコピンを食らわせていた。
「何が心細いの、だ。似合わな過ぎて鳥肌立ったっつーの! まったく、こんな時に何ふざけてんだよ」
「あはっ、やっぱバレた?」
舌を出しておでこを擦ると、亮太は当たり前だと言う様に、腕を組んで睨んだ。
あはは、と笑った蒼はふと亮太から視線を逸らす。
「でも、一緒に来て欲しいのは本当。それで、日本で得た情報をこっちに持って帰る役目をして欲しいのよ……私は、そのまま日本に残るわ……」
「はぁ!? なっ、ちょ、ちょっと待てよ! それじゃ桜花さんが――」
悲しむ、と続けようとしたが、さっきのように蒼はそれを遮ると叫ぶ。
「私がこの世界に残って何が出来るってゆーのよ!
ここに来て、早夜の力見せつけられて、苦しんでる早夜に馬鹿みたいに震えて、名前呼ぶ事しか出来なくて……それに、早夜は私が思うよりもずっと強かったわ……。
そんな早夜に対して私が何を出来るって言うの?」
此方に来る前は、早夜の傍にいて守るんだと意気込んでいた。
しかしそれは、とんだ自惚れだった。
「……せめて、亮太みたいに、剣道でもやってれば自信にもなったのかも知れない……。
こんな事なら、百合姉に武術でも習っとくんだったかな……」
そんな弱気な事を呟く蒼に、亮太は怒りを露わにした。
「何ふざけた事言ってんだよ! そんな事言う奴がいくら武術を習ったとしても、例え俺や百合姉より強くなったとしても、人を守れるなんて思わない!
それにお前は分かってない! 俺だってどうこう言える程偉くも強くもねーけど、これだけは言える! お前はちゃんと桜花さんを守ってる!」
その言葉に顔を上げる蒼。言われた意味が分からず首を傾げている。
「何言ってんの? あんただって見てたじゃない。私何にも出来なかった……」
「ああー! だからそういう事じゃなくてだな! もっと――」
その時、扉がノックされ、使用人風の人達が入って来た。着替えを持ってきたらしい。後、早夜の汚れた体を拭いてやるようだ。
亮太は、蒼を見ると言った。
「とにかく、まだ帰れるかどうかも分からないんだ。まずはそれからだろ?」
蒼は亮太を見て頷く。
「分かった、私あのルードって人に聞いてみるから……それでもし戻れるって分かったら……」
縋る様な目の蒼に、ハーッと深く息を吐くと分ったと言う様に頷いた。
「お前の、桜花さんのお母さんに聞いてみるっていう話は俺も賛成だ。だから、一緒には行ってやる。
だがな、お前が日本に残るって話は認めない。もしそんな事するなら、俺はお前を首に縄つけても連れて戻ってくるからな!」
「亮太……」
「じゃあこの話は終わりだ!」
そう言って亮太は部屋を出て行った。
それを見送った蒼は、使用人たちが早夜の着替えを行うのを黙って眺めているのだった。