1.最悪の朝
「……はぁ……」
もう何度付いたか分からない溜息。
考えれば考える程に、それは後から後からついて出る。
「……はぁ……あれからもう3日……」
先程から溜息ばかり付いているこの少女。名を、桜花 早夜と言った。
今時珍しく全くいじっていないその髪は、漆黒の闇の様に黒く何処か塗れた様に艶やかで、その身には化粧やピアスといったアクセサリー類も着けている様子は無い。
容姿は綺麗というよりは可愛らしく、その肌は白磁のように白くきめ細やかであった。
何処か人形めいた容姿を持つこの少女はしかし、次に聞こえた声の主によって人間味溢れた表情を見せる事となる。
「さーや!! おっはよう! 今日もラブリーね!」
このように場違いなほど元気良く挨拶してきたのは、早夜の親友で美名月 蒼といった。
彼女は背が高くてスタイルも良く。髪はショートで茶色。瞳の色は栗色、顔つきはすゞやかで凛々しい。
美人には違いないのだが、男性よりも寧ろ、女性に人気がありそうな容姿をしていた。
彼女はその事を別段気にする事も無く、寧ろ自分のその容姿を気に入っている風である。
早夜は蒼の出現に驚いた素振りを見せた物の、すぐに肩を落としてしまった。
蒼はそんな落ち込む早夜の様子を見ると、眉を顰める。
「ああー、もしかして夕べも見なかったの? 例の夢」
早夜は沈んだ顔でコクンと頷いた。
良く見れば、その目には薄っすらと涙が滲んでいる。
蒼はそんな早夜を見て、体をブルリと震わせると、ヒシッと彼女を抱き締めた。
「イヤーン! 涙目の早夜もカーワーイーイー!!」
「あ、蒼ちゃん! は、恥ずかしいよぅ。やめて、ね?」
そう言って顔を赤くする早夜に、蒼は益々力を強める。
その時、パコッと小気味よい音を立てて、蒼の頭を小突く者がいた。見ればそこには、短髪の少年が眉を吊り上げて立っている。
彼の名前は、杉崎 亮太。蒼の幼馴染である。
髪は短髪で色素は薄く、瞳の色もまた薄い茶色だ。背は蒼よりも低く、早夜よりも少し高い位か……。
彼はこの背の低さを、何よりのコンプレックスにしている。
部活は剣道部に所属しており、その手には布に包まれた竹刀を持っていた。それで蒼の頭を叩いたようである。
「朝っぱらから何してやがる! この変態女! 桜花さん困ってるだろうが!」
「もうっ、痛いわねっ! 女の子殴るなんて最低よ!!
あ、分かった。あんた羨ましいんでしょ。こーのムッツリがっ!!」
「っな!! 何でそうなる!
それにお前のどこが女だって? 俺は、俺よりでかい女を女とは認めない!!」
「あら、それじゃこの世から女が一気に減っちゃうわよ? どれだけあんたより背の高い女がいると思ってるのよ」
「くっ、何だとデカ女!」
「ふ、二人ともいくら仲がいいからって、こんな道の真ん中で喧嘩しなくても……。通行の邪魔になっちゃうよ?」
睨み合う蒼と亮太に、早夜はおろおろとした様子で2人を宥めようとする。
するとその言葉を受け、亮太がショックを受けた顔をした。
「そんな……桜花さん。前から言ってるように、俺とこいつはただの幼馴染だって言ってるじゃないですか!」
蒼は知っている、彼が早夜を好きな事を……と言うか、この事はもう周知の事実であり、知らないのは早夜本人だけであった。
「そうだよねぇ……あんたが仲良くしたいのは、他にいるんだもんねぇ……」
意味ありげに笑う蒼に、顔を真っ赤にする亮太は慌てて彼女の口を塞ごうとする。
「馬鹿っ、言うなよ!」
「え? 他に好きな人いるの?」
首を傾げる早夜。
亮太は内心そんな早夜を可愛いと思いながら顔を赤くした。
「そうなのよ、早夜! 亮太ったらね、私という許婚がいながら他に好きな人がいるって言うのよ! 酷いでしょ!?
うぅっ、なんてかわいそうな私……早夜、私を慰めて……」
蒼はまた早夜を抱きしめた。その際しっかりと亮太の方を見て勝ち誇った様に笑う事も忘れない。
亮太はクッと悔しそうにするが、やがて諦めてハァッと息を吐いた。
「ところで桜花さん。何か元気が無いようですけど、何かあったんですか?」
寧ろそれが本題だったのか、真剣な顔で訊ねてくる亮太に、早夜はまた先程のように溜息を吐く。
「そうなのよ、早夜ったら例の夢見なくなっちゃったんですって!」
それを聞いて、亮太は「何だ、夢か」とほっとした顔で呟いた。
それを聞きつけ、蒼は「とうっ!!」とかけ声を上げつつ空かさず彼にチョップを食らわせた。
「何だ、夢か。じゃないわよ!! 早夜にとっては重要な問題なんだからね!?
今までずっと当たり前に見続けていた夢なのよ!? 彼女にとっては、家族や友達がいなくなる事に等しいわっ!」
チョップを食らった頭を抑えながら蒼の剣幕におののきつつ、「そうか、そうかもしれない」と基本素直な性格の亮太は簡単に納得した。
「すみません桜花さん。俺、考えなしでした」
少し落ち込んだ様子の亮太は、早夜に向かって頭を下げる。そして顔を上げると、気を取り直した様子で訊ねた。
「それで、夢って……見なくなったってどういう事ですか? 俺も基本、夢なんて見ませんけど……」
「そうか、あんたには話した事無かったっけ……早夜、いい?」
気遣わしげに訊ねる蒼に、沈んだ様子のまま早夜は頷いて見せた。
いつもの彼女であれば、気丈にも「気にしないで」と笑って見せる位はするのにと、余程落ち込んでいるのだと蒼は思った。
「じゃあ早夜の親友であるこの私が、あんたに説明してあげるわ! 耳の穴かっぽじって有難く聞きなさいよ!!」
蒼は偉そうに踏ん反り返りながら、亮太に語りだした。
「何でそんなに偉そうなんだ……?」
そんな亮太の突っ込みには構わず、蒼は話を続ける。
「早夜にはね、子供の頃から見続けてる夢があるんですって……」
そう、早夜には子供の頃から見続けている夢があった。
その中では早夜は、リュウキという一人の青年になっていて……。