4.王子ナイール
城の中はさっきまでいた場所と違い、煌びやかで派手だった。それに、外で感じた以上に涼しく過ごし易い。常に新鮮な空気を感じる。
建物自体に何か術が掛けられているようである。
バレてはいないとは言え、敵陣の中という事もあり多少神経を尖らせていたが、その城の中の様子に物珍し気に辺りを見回してしまう。
「王子の執務室はこっちなのだ」
そう言ってロイの示す先は、城の奥。
そちらは少々薄暗く、先程のような派手さはない。奥に行けば行くほど、それは顕著になってゆくようだった。
そして、大きな扉の前に辿り着くと、ロイが振り返って『よいか?』と声を顰めて訊ねてくる。ムエイはそんな彼に頷くと、背筋を正した。
ロイも頷き扉をノックする。
すぐに返事がきた。
「どうぞ、入って」
思った以上に若い声。
その声を確認し、ロイはその扉を開けた。
「ナイール王子、例の異界人を連れてきたぞ」
ロイが声に此方に顔を向ける王子ナイール。彼はムエイよりも若く見えた。
砂漠の国特有の褐色の肌をしており、その髪もこげ茶色。ただ、瞳だけはオアシスの泉の様に澄んだ水色をしている。
彼は入ってきた者達を見てフッと笑った。
「初めまして。私がこの国の王子、ナイールです。リジャイから君の事は聞いているよ。名前はムエイと言うんだね」
そして、ムエイの頭から爪先まで、じっくりと観察した。
「なるほど。本当に髪も瞳も黒いんだね。まるで、アルフォレシアの“魔眼使い”のようだ……」
思わずギクリとするムエイとロイ。
何とか表に出さずにいると、カムイがムエイの肩に手を置いて言った。
「ナイール王子! こいつ凄いんだゼ!! この俺を片手一本でひっくり返しちまったんだ!」
それを聞いたナイールは、目を見開いて感心したように息を吐くと、もう一度ムエイを見返してくる。
「それは凄いね。岩をも砕くカムイを片手一本でだなんて……でも、何でカムイまでここにいるのかな?」
「別にいいじゃねーか! それに俺はこいつが気に入った!! ナイール王子もきっと気に入ると見た!」
不思議そうなナイールにニカリと白い歯を見せるカムイ。それからガハハと豪快に笑われてしまえば、肩を竦め苦笑を返すしかない。
ナイールはそうやって困ったような顔をしていたが、
「そう決め付けられてもね……ムエイ、他に君は何が出来るのかな?」
と、不意に目を向けられ問われたムエイは、考えるように口元に手を置く。
「そうですね……私は剣を扱いますが、魔法も少々使います。まぁ、役に立つかどうかは、王子が決める事ですが……」
その様に言いながらナイールを見るムエイの目は、どこか挑むようであった。
その言葉の真意は『自分の力をどう生かすかは、王子しだいだ』と、こうだ。
王子もそれに気付いたようで、探るようにムエイを見る。
そして、ふっと肩の力を抜くと、
「なるほど、なかなか面白い人だね君は……まぁいいだろう。君もロイロイやカムイと同じよう扱うよう言っておくよ。後で、自由に歩き回れるよう、手配しておこう。
ん? どうしたんだい?」
ふと目に映ったロイは、あんぐりと口を開き固まっていた。
「ロイロイどこか具合でも……あ、そうか。すまないね、ロイ。リジャイからいつも話を聞いていたから、この呼び名が移ってしまったようだ。気を悪くしたかな?」
困ったように聞く王子に、それでも引きつった顔ながらロイは首を振った。
「イ、イヤ、気にしていない……大丈夫だ……」
「……そうか、ならいいのだけれど……」
そこでナイールは、ムエイを見て何かに気付いた。
「おや? 君、それは何だい?」
彼が見ている物、それはあのセレンのお守りだった。
ムエイはハッとしてそれを隠そうとしたが、一足遅くナイールに取り上げられてしまった。
「……これは……」
それを難しい顔で見つめ呟くと、目だけをムエイに向ける。
「確かこれはアルフォレシアに伝わるお守りだった筈……」
途端に部屋の中は緊迫した空気に包まれる。
カムイはこの中で一人、きょとんとした顔で取り残されている。
「……このお守りはよく妻が夫に渡すものとされている。そしてそのお守りに使われる主な物、それは女性の髪とされる……このお守りに使われてる髪は見た所銀髪だよね。アルフォレシアで銀髪の女性は、私の知っている限りでは、王妃のシルフィーヌとその娘のセレンティーナ……だけだった筈……」
ピリピリとした空気の中、ナイールはスッと目を細め此方を見てくる。底冷えのするその青い瞳を前に、ムエイは背に冷たい汗が流れるのを感じた。
年齢こそ若いが、他国の情勢や人間関係などを把握している知識の豊富さ。そして人と対峙し見極める事。
その事で、彼がどれだけ勤勉で相当の場数を踏んでいるかが窺える。
「確かアルフォレシアの魔眼使いが、王女のセレンティーナと婚約していた筈だけど……」
ナイールの追及は止まらない。
だが、ナイールが更なる追求に口を開こうとした時、聞き覚えのある声が降ってきた。
「それは、僕が拾って彼にあげた物だよ」
スタッと着地する三つ目の男。
「っ!! リジャイ、キサマ何処から出てくるのだ!?」
驚きの声を上げるロイ。天井を見たが、どこにも入ってこられるような場所はない。まるで空間そのものから湧いて出たかのような……。
ムエイやカムイも驚いている中、ナイール王子だけは慣れているのか平然としていた。
「リジャイ、それはどういう事かな」
「どういう事も何も、そのお守りは木の上に引っかかってたんだ。恐らく鳥が運んだんだろうね。僕も何だろうと思って拾ったんだけど、それをムエイがジーッと見てたから、欲しいのかと思ってあげたんだ」
何処までも軽く、何でもない事のように肩を竦めて見せる。そして、どこからともなく一本の剣を取り出すと、それをムエイに投げて寄越した。
「ほい。君、剣使うって言ってたでしょ? 良いの拾っておいたよー」
息をするように自然と嘘をつく彼を、呆然とした様子で見つめるムエイとロイ。よくあんな風に湧いてくるなと思っていた。
ナイールも何処か釈然としない様子でリジャイを見つめていたが、やがて諦めた様に溜息を吐いた。
「リジャイ、君がそう言うのなら私はその言葉を信じるしかないな。それよりも私の言った事はやってきてくれたのかい?」
そう言って澄んだ泉の様なその目をリジャイに向ける。
リジャイはそんな彼に、あの爬虫類を思わせる笑みを浮かべて答えた。
「んもーばっちり。用事はきっちり済ませてきたよ」
その言葉にナイールは満足そうに頷き、改めてムエイに向き直った。
「ようこそムエイ。君はこれより、このクラジバールの住人だ」
こうしてムエイは、一時的だがクラジバールの人間になったのだった。
「君達に言っておきたいのだけれど、いくら自由に出歩けるとは言え、私の居るこの別館以外はあまり出歩かないで欲しい。分かっているとは思うけど、この国の人間はあまり異界人を快く思っていないからね」
ナイール王子がムエイ達に忠告した。
「ナイール王子、貴方は如何なのです?」
ムエイがそう聞くと、ナイールはフッと笑い、
「私は変わっているのさ、君達に親しみさえ感じているよ? ただ、敵だと言うのなら……私はそれを排除するだけだ」
そう言った彼は、またあの底冷えのする瞳でムエイを見つめた。
だがすぐに笑顔に戻り、
「まぁ、そんな人間はまず此処にはいないだろうけどね」
と、声を出して笑ったのである。
「いや、心臓に悪いぞ、あれは……」
先刻の事を思い出し、汗を拭うロイ。
今、ムエイ達は城の外を歩いている。
「あれは間違いなく、俺の正体に気付いているよな……」
あのナイールの鋭く追求してくる眼差しを思い出し、ムエイは口元に手を置き考えた。
(だったら何故、そのまま捕らえようとしなかったんだ? もしくは何か企んでいるのか……それとも、あのリジャイのせいなのか?)
自然と視線がリジャイに向く。
(それ程の信頼を寄せていると言う事か? それとも弱みを握られているとか……)
すると、その視線に気付いたリジャイが此方を振り返った。
「ん? 何? ムエイ」
「いや、何でもない……」
ムエイは首を振った。
「なー、さっきから心臓に悪いだの、正体だの何の話だ?」
一人蚊帳の外なカムイが不思議そうな顔をしている。
「いや、こっちの話だ」
「そーそー、ムイムイはなーんにも気にする事ないよー」
「っ!? ム、ムイムイッ!? それはカムイの事か? 何でキサマのあだ名は本名より長いのだ!」
「ははは!! ムイムイか、おもしれー!!」
「っ!!? 何だ、何故怒らんのだ!? こんな変な名は嫌だろう!?」
愉快そうに笑うカムイにロイは、信じられないという様な顔をしている。
「えー? いーじゃんムイムイ。可愛いじゃん」
「カワイイッ!? 可愛いだと!? この筋肉馬鹿に可愛さを求めるのかキサマはっ!?」
「ガハハ!! かわいいは良かったなっ!」
そんな三人の様子を、ウンザリした様に見ているムエイ。
「なぁ、名前の事はいいから、戻らないか? 俺は何か疲れた……」
ロイは勢いよく振り返り、ムエイを指差しリジャイに言った。
「じゃあムエイはどうなるっ!? ムエムエかっ? エイエイか!」
するとリジャイは、眉を顰めて不機嫌そうに言う。
「えー!? ムエイはムエイだよー。何その変なあだ名ー」
「〜〜〜〜っ!!」
声にならない声を上げるロイ。相当の腹立たしさと苛立ちを覚えているようである。
まだ出会って間もないながらも、その金色の獣人に愛着を感じてきたムエイは、何だか彼が可哀想になるのだった。