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異界の旅人  作者: ろーりんぐ
《第二章》
105/107

9.ここは何処?

またまた遅れてしまいすみません。


 チェーン付きの眼鏡を外し、男は全てを知っているような眼差しで早夜を見下ろしている。

 そして静かな声でこう訊ねてきたのだ。



「何かお困りですか? 姫」





 自分の身に振り掛かった出来事に頭がついてゆかず、その場に座り込みながら呆然としていた早夜。

 最初彼が自分を攫った人物なのかと思ったのだが、そのように訊ねてくる彼の言葉を聞いて一瞬頭の中が真っ白になった。


(姫? ……それって一体誰の事?)


 ゆっくりと瞬きをしながら、コテンと首を傾げるのだが、この部屋には自分とこの目の前の男性以外、人の姿は見当たらない。

 こげ茶色の髪と褐色の肌というクラジバール特有の風貌をしたこの部屋の主であろうその男性は、優しく穏やかなハシバミ色の瞳を此方にひたと向けている。

 よって、今しがた彼の言っていた『姫』というのは間違いなく自分の事を指しているより他にない。

 早夜は漸くそう理解すると共に、自分を指さし驚きの声を上げていた。


「え、えぇ!? ひ、ひめぇ!?」


 何とも素っ頓狂な声を上げてしまう早夜のその目は、今にも零れんばかりに見開かれている。

 すると、そんな戸惑う早夜を見て取って、この至って平凡ながら穏やかな雰囲気を醸し出す人物は、僅かに首を傾げながら、少々含みを持った笑みを浮かべ言った。


「ええ。だって、貴女はムハンバード陛下が大事になさっている方ですから。姫とお呼びしても可笑しくはないでしょう? 未来の王妃殿下には相応しい呼称だと思いますが……」


 早夜は王妃殿下と言われてポカンとするが、直ぐにハッと我に返って彼を見上げる。

(ムハンバードが大事にしている……それってもしかしなくともサラサさんの事だよね?)

 彼は自分とサラサを間違えているとそう悟った早夜は、その言葉で彼が自分を攫った人物でない事が分かリ少しだけホッとする。

 あの謎の人物は少なからず自分を見知っているような雰囲気だったし、負の感情も大きかった。今目の前にいる人物は、どちらかと言うと歓迎する雰囲気である。


 しかし、そうではあっても、早夜の不安は完璧に拭い切れる物ではないし、未来の王妃殿下発言や、あのナイールに似た姿のムハンバード等。他にも理解出来ない事が多すぎていつも以上に考えが働かない。

 それに、何故自分があの部屋からやってきたなどと分かるのだろうか。彼はそうだと確信し、断言してしてしまっている。

 思わず「どうして……」と呟けば、早夜の気持ちを知ってか知らずか、男はフフッと意味ありげに笑って一言告げる。


「クローゼット」

「っ!!」


 早夜は目を見張る。

 至って完結で取り留めない言葉であるが、早夜には彼が何を言いたいのか察する事が出来た。混乱する中で多くある謎の答えの一つがその言葉と結びつく。


 あのクローゼット……。

 やはりあの場所には何か仕掛けがあったのだ。

 奥の方に見えた何らかの模様は移動する為の呪印であった。それがこの場所と繋がっていたという事だろうか。


「姫様が今まで居たあの場所は陛下にしか出入りできないように造られていますが、陛下には知り得ない抜け道が存在します……それがクローゼット……その場所とココが繋がっていたんですよ」


 どうやら早夜の考えは当たっていた様だ。

 男は早夜の納得した様子を見て頷き、彼女がペタンと腰を下ろしている前に跪いて床をトントンと指先で叩く。

 よく見れば、絨毯に魔法陣が描かれているのが分かった。あの、貴族達が集っていたサロンに敷いてあった物を思い出す。

 あれとは違い大きさは一人分なのか、絨毯全体にではなく、今座っている早夜をぐるりと包む程度の大きさだ。

 この魔法陣があのクローゼットの印と対になっている物のようである。

 絨毯に魔法陣を織り込む事はこの国では主流なのだろうか。いざという時には便利かも知れないと早夜は思った。

 見回せば別の場所にも魔法陣は存在し、もしかしたら他にも抜け道があるのかもしれないなと何となく早夜は思った。


「ただ、発動するにはいくつかの条件があり、その一つが……」

「血……」


 早夜は男が視線を追って血の流れる自身の足を見た。

 未だそこからは血が流れ続けており、絨毯を汚してしまっている。洗うのが大変そう、と場違いな事を考えていると男は言った。


「ええ、あなたが怪我をして血を流す事が条件の内の一つです」


 その男の言葉に、一体どれだけの確率でクローゼットの中で血を流すという条件を満たせるのか甚だ疑問だが、条件の一つと言っていた事から他の条件が無数に存在するのだろう。


 血というものにはその人の魔力が多く取り込まれている。魔力の量は、その人の魔力の大きさに比例するようだが……因みに味の良し悪しも変わると言うのはリジャイ談だ。

 魔術の媒体、呪符や呪印の解除や開放などにもよく使われ、今回はそれが魔術の開放に使われたようだ。


「唯一あのクローゼットは、部屋の影響を受けないように造られていますからね。場所が限られてしまうのは仕方がありません」


 もっと他にも方法があればよかったんですが、と目の前の男はどこか困ったように笑いながらそう言った。

 たった今考えていた事にまるで答えるような彼の発言である。

 何で分かったのかと早夜が目を見張ると、男は面白そうに目を細め「姫は表情豊かでいらっしゃる」と言った事で顔に出ていたのだと理解する。

 思わず顔をつるりと撫でると男はまた笑った。

早夜は気恥ずかしさを感じながら、不思議と彼に対する警戒心が薄れている事に気付く。これも彼の醸し出す雰囲気のせいか……。

 それから改めて足の怪我を見た後、そのじくじくとした痛みに眉を顰める。

 早夜のその様子に気付いたのか、男は懐から布を取り出し、血の流れる足に撒き付け、「失礼」と一言告げてから早夜を抱き上げた。

 いきなりの事に驚き、「キャア!?」と声を上げる早夜。

 男は抱き上げた一瞬、早夜の軽さに驚いたかのような表情をした。


「……やはり閉じ込められていた事の影響か……これでは……体力を付けさせる方が先か……」

「えっと……あの……?」


 なにやらブツブツと呟き出した彼に、早夜は戸惑いと不安の表情で声を掛ける。

 すると、男はハッと早夜を見て、それから安心させるように微笑みかけてきた。


「ああ、いきなり失礼します姫様。ですがその傷では歩く事はお辛いでしょう。

 お恥ずかしい話ですが、私は魔法は不得手で、特に回復魔法は目もあてられないほどなのです。ですが、ご安心下さい。私の友人にとても優秀な魔術師が居るのですよ。僭越ながら私がその者の所までお運び申し上げます。

 ああ、そうだ。申し遅れましたが、私の名前はガルムシェードと言います。お気軽にガルムとお呼び下さい。

 役職名は特にはありませんが、私は主に奴隷や異界人の管理をしています。後はとある方の相談役とか……。

 まぁ、それは置いといて……もしよろしければ、姫様のお名前も窺っても?」

「えっ、あ、あの……」


 口をはさむ余裕もない男の言葉に、早夜は困惑気味に言葉をまごつかせる、。

(……さっきから私、殆ど喋ってない気がする……それに“姫”って……ううっ、なんかおこがましいと言うか恥ずかしい……私姫じゃないのにな……)

 早夜はそんな風に考えているが、ここだけの話、彼女は生まれ故郷のキサイ国では、れっきとした姫、王女である。本人の自覚は皆無であるが……。


 早夜はサラサと間違われ、思いっきり否定したいのだが、名乗れば事の経緯を話さねばならなくなるだろう。果たして今回の事の次第をこの人物に素直に教えてもいいものか。自分にうまい具合に話を誤魔化すほどの技量は無い。

 目の前のこの人物、悪い人間では無さそうではあるが、彼を何処まで信用していいものやら。この国の住人でナイール以外にこんなにも丁寧に扱われた事などない。

 かと言ってそれだけで判断するのはいくら早夜といえど躊躇われる。

 まぁ、比べられるほどに多くの住人に会った訳でも無いのだが……。

 でもその出会った数少ないこの国の住人は、あの時早夜を害そうとしていた。その時の恐怖と嫌悪感はまだ早夜の中に残っている。おまけに意図も分からず攫われたりもしているのだ。

 その事を思い出して、再びじわじわと警戒心が芽生えてくるのだが、まずは一度ナイールに会って今回の事を聞いてみるべきなのではないだろうか。

 そんな事を考え、ナイール王子の事を思い浮かべた早夜は、ふとここである事に気が付いた。


(あれ? 確か奴隷や異界人の管理って、ナイール王子がしてなかったっけ? んん?)

 ナイールが最初にそう言っていた事を思い出す。リジャイも彼の事を早夜に教えるときにそんな事を教えてくれた事を思い出した。

(じゃあこの人はナイール王子の関係者?)

 同じ仕事をしているのだから、無関係とはいえないだろう。


 まじまじとガルムシェードと名乗る人物を見上げた早夜。

 一見優しく穏やかそうな印象の彼。全てを話し全てを委ねたくなる様な、無条件で彼を信じてしまいそうな、そんな雰囲気を纏っている。

 しかし、もし本当に彼がナイールとなんら関係していたのだとしても、今までそういった人物が居た事を聞いた事がなかった。

(だとしたら、この人をそんなに信用しちゃ駄目なんじゃないのかな?)

 ガルムはじっと見つめる早夜の視線に気付いたのか、不思議そうに首を傾げながら此方を見返してくる。

 ハッとして早夜は顔を俯けた。

 じっと不躾に見つめてしまった事(しかも不信感たっぷりに)が何だか気まずい。それに、彼のいい人然とした雰囲気に罪悪感まで伴ってくる。

 そんな早夜の様子に、何を思ったのだろうガルムシェードはフッと苦笑いを浮かべた。


「まぁ、初対面の私を信用できないのは最もでしょう。ましてや、貴女を呼び出した陛下を、我々を恨んでおいででしょうから」

「あっ、う……」


 自嘲気味に笑う男性の姿に、早夜は益々もって罪悪感が芽生えて仕方がない。

 彼は自分をサラサと間違えたままだ。

 どう答えてよいものかと、彼に抱き上げられた状態でおろおろとしてしまう。

(と言うか、この格好も恥ずかしいっ)

 初対面の男性に抱き上げられている事も、そして自身の服装の事も。せめて何か羽織る物が欲しいと願わずにはいられなかった。


「無理に名乗らずとも結構ですよ。姫様が名乗ってもいいと思われるまで待ちましょう」


 優しくそう告げるガルムに、早夜はただただ気まずいばかりだ。

 そんな様子に気付かずにガルムはフフッと笑みを零しながら言葉を紡ぐ。


「それにしても、陛下があなたのような可愛らしい方を見初めるとは以外でした」

「………」


 それは言外に自分が子供っぽいと言うことだろうかと擦れた事を考えてしまう。今まで散々そのような(胸や背が小さい云々)事を言われ続けた結果である。

 逆に、ガルムは急に荒んだ表情をした早夜に少々困惑気味だ。

 とにかくと彼は何処へやら早夜を連れ出そうとしている事は間違いないようで、迷いなく歩を進めてゆく。

(えっと……何処に行くのかな?)

 彼の行動を黙って見ている早夜であったが、部屋の中のとある一角の何の変哲もない一つの扉の前へとやって来た。

 ぼんやりとそれを眺めていた早夜は、ハッと目を見開いた。よく見てみれば、微かにだが魔力を帯びている事に気付いたのだ。

 魔術がかけられていると分かるが、ガルムは何の躊躇いもなくそれに手を伸ばしてゆく。


「あ、あのっ!」


 何かの罠かと思い咄嗟に声をかけた。


「何か?」


 不思議そうに此方を見下ろしている彼に、早夜はポツリと、


「その扉、魔法が……」


 そう呟くと、彼は「ああ」と合点が言ったように頷き、そのままガチャリと開け放った。

 「あっ!」と声を上げる間もなかった。

 そして目の前に広がる光景は、早夜にとって見覚えある場所。


「この扉は、私専用の移動扉なんですよ」

「………」


 早夜は声を上げる事も忘れて、呆然と目の前の光景を眺めていた。

 そんな様子の早夜の目の前を、不可思議な独楽の様な形をした円盤に乗ってふよふよと飛んでいるのは、あの可愛らしい色とりどりの花を頭に咲かせた魔導生物達。そしてその向こうには、大きく聳え立つ吹き抜けの天井を突き抜ける勢いの大樹。

 そう、ここはクラジバールの魔導研究所であった。



 早夜はパチパチと瞬きを繰り返し、ガルムの肩越しに今しがた潜ったであろう扉を振り返ってみた。

 だが、振り返ったそこには何も存在せず、ただ移動魔法を行った時のような魔法の名残が、蛍の光の様に儚く舞っているだけ。

 早夜の脳裏に思い浮かぶ物があった。

 つまりあれは……。


「どこでも○ア……?」

「はい?」

「ハッ! い、いいいいえっ! な、何でもないです!」

「?? そうですか?」


 思わず思い浮かべた某国民的アニメの青いネコ型ロボットの出す未来道具をうっかりと口にしてしまって、怪訝そうにするガルムに慌てて首を振る。

 そんな様子を見ながら、彼は不思議そうに首を傾げると直ぐに気持ちを切り替え、早夜に穏やかな笑顔を見せてきた。


「ここは我が国の魔学者が魔術を研究している施設です。実はその魔学者というのが私の――」

「ん? ガルムかの? そんな所で何をしてるんジャ?」


 ガルムの言葉を遮り、話しかけてくる者がいる。


(この声、この口調……間違いない)


「ああ、魔学者ピト殿。ご機嫌麗しゅう」


 ガルムが体ごと振り返りニコリと笑いかけた。何処となく大仰に話しかけているのが、わざとらしさを感じる。

 ガルムが振り返った先、そこにはあの枯れた葉っぱの髪に真白い肌、黒く円らな瞳をした、見た目十歳の彼が奇妙な表情をして立っている。


(ピト!)


 ガルムの前で悦びの声を上げる訳にもいかず、心の中で彼を呼ぶ。

 ピトもまた早夜を見た。しかしその視線は直ぐに外れ、そのままガルムにその視線を移す。何だか早夜の心に違和感が走る。

 ピトは渋い顔をして言った。


「止めてくれんかの。お前さんに“殿”や“ご機嫌麗しゅう”なんぞ言われると背中が痒くなるわい」

「おや、それは失礼しました」


 ハハハと声を上げて笑うガルムと呆れた顔をするピト。そんな二人を交互に見て、早夜は瞬きを繰り返す。

(あれ? この二人って……?)

 どうやらかなり親しそうである。


「で? ガルムよ、その娘は何者なんジャ?」


 ピトが怪訝な顔をして訊ねてきた。その目もヒタリと早夜を見据えて。

 その時、またあの違和感と共に言い知れぬ不安のような物が胸にもやもやと燻る。

 早夜とピトとの視線はバッチリと合った筈であるのに、しかしながらその視線は、何処までも疑念と困惑と、そしてそれを上回る好奇心とに色付けられている。そう、まるで初対面のような……。

 それは決して演技にも見えなくて、早夜は胸の中のもやもやは大きくなるばかり。可笑しいと何か警報が鳴っているようにも感じた。

(……なんだろう、物凄くドキドキしてきた)


「おや? 分かりませんか? あなたは一度会った事がある筈ですよ?」

「いや、全くの初対面なんジャが……それにしてもこの娘、かなりの魔力を秘めておる……まるであの世界樹の様な……」

「ちょっと待って下さい。初対面な筈はありませんでしょう?」

「フム……ガルム、お前さんがそう思う根拠は何ジャ?」

「思うも何も、ピトが呼び出さねばこの方はここに居ないでしょうに」

「フム……」


 眉間に皴を寄せ、難しそうな顔でまじまじと此方を見てくるピト。

(え、えっと……そうだよ。ここは初対面の演技をしないといけないんだから、この反応で合ってる……合ってるけ、ど……)

 けれどもいくらそう自分に言い聞かせても、早夜の不安は消えない。消えない所か益々その気持ちは増徴されてゆく。

 そう感じるほどに、彼の、ピトの反応は演技には見えなかった。以前ナイールを前に互いに自己紹介をした時など、演技でもそれとなく自分に目配せやら何かしらのサインを送ってくれた筈である。今はそれが一切ない。


「確かに異界人を召喚するのはワシの仕事ではあるがの。一応呼び出した者の顔は覚えてはいるが……ガルム、その服装からしてその娘は隠されている子供ではないのか?」

「それはありません。私とて全ての隠された子供の存在を知っているわけではありませんが、それなりに把握はしているつもりです。これほどの特徴を持った子供であれば親が誰であるか分からぬ筈が無いでしょうし、今現在彼女に近い容姿の者はこの国には存在しませんよ」

「そうは言っても、ワシはこの娘を知らんのう。これ程の漆黒の夜のような髪と瞳を持った者はそうはおらんだろう。かのサーゴとて、黒い目と髪をしておったが、ここまで漆黒ではなかったからの。以前に見ていたら、そう簡単に忘れる容姿でもない筈なんジャが……」

「……それに何より、彼女はあの魔法陣から現れたのですよ!?」

「な、なんジャと!?」


 ガルムとピトが早夜に注目する。

 今彼らの言った言葉の中に、聴き慣れない物があった。


 “隠された子供”とは何だろう。

 それに、サーゴとは確かこの国の初代の王の名前だったか。

 黒髪の事を言っているが、リュウキも自分と同じように漆黒である。何故彼の事を話題に出さないのか……。


 そのような疑問が浮かぶが、今はそれよりピトの真意が知りたいと、何かを訴えるような視線をピトに送ってみる。しかしピトは怪訝な顔をするばかりで、何故早夜がそんな視線を送ってくるのか分からない様子だった。

 それどころか、「何ジャ? 何か言たそうな目をしてるのう?」と聞いてくる始末。


「ではこの少女は一体誰だというんですか!?」

「少なくともワシは知らん」

「………」


 ガルムが此方を見下ろした。

 その目は今までと違い鋭く睨みつけており、不信感が露わになっている。

 すとんと地面に降ろされた。

 それから早夜から距離を置くように離れる。


「あなたは一体誰ですか!?」

「わ、私は……ッ」


 声を上げようとした瞬間、足の傷が痛み顔を顰める。ぺたんとその場に尻を付き、足を押さえた。

 やろうと思えば自分で治癒魔法を行えるが、今は彼らの不信感を煽るだけになるかもしれない。

 そう思った早夜は、ここはナイール王子を呼んだ方がいいのではと考え、ガルムに声を掛ける。

 きっと彼をを呼べば、ピトも必要以上に演技をする必要は無いだろう。

 そう思っての行動だった。


「すみません、ナイール王子を呼んでくれませんか?」


 しかし、その言葉を受け、彼らの言った言葉は耳を疑うものだった。


「ナイール王子……? それは誰ですか?」

「王子……王位継承者は今の所ここにいる、ムハンバードの従兄弟のガルムだけジャよ」

「え……?」

「ピト、私はもう既にその権利を放棄していますから、実質王位継承者と呼べる人間は、今のこのクラジバールには居ませんよ」

「ちょ、ちょっと待って下さい! ナイール王子……ムハンバード王の息子ですよ?」


 声が震えるのが止められない。

 可笑しい、何かが可笑しいとずっと警報が鳴っている。


「何を言っておるんジャ? ムハンバードには子供はおらぬよ」

「っ!?」

「訳の分からない事ばかりですね。間者か気違いか……一度捕らえて尋問するべきでしょうか……」


 ガルムの瞳がスッと細まり、纏う空気が一際冷たくなる。ゾクリと背筋が震えた。

 助けを求めるようにピトを見るも、彼もまた早夜を不審者を見る眼差しで此方を見ている。


「フム、この国の結界内に入り込むとは、実に興味深いの。是非ともその方法を聞いてみたいものジャ」


 その声は早夜の知る彼の声より低く冷たい。

 早夜は他に助けを求めるように周りを見渡した。


「リュ、リュウキ……いえ、ムエイさん! リジャイさんに、ミリアさんにイーシェさん、ロイさんカムイさんは!?」

「……? 誰ジャそれは?」

「……っ、カ、カンナさん! カンナさん出てきて下さい!」


 ピトも知っている筈の名を言っても、ピトは首を傾げるばかり。

 そして、呼べば直ぐに出て来てくれる筈のカンナ。

 ピト達は警戒するように周りを見渡したが、いくら呼べども何も出て来る気配がない。

(そ、そんな……何で?)

 ザワリと言い知れない不安感と絶望感に身を振るわせた。


 自分の知る人たちが居ない。

 ここは己の知る場所ではないのか。


(ここは、何処……?)


 茫然とする早夜の前に居るガルムとピトの眼差しが、より一層不振そうに眇められる。


「もしかして仲間が居るのか?」

「ジャが、生憎とその助けも来ないらしいの」

「ピトさん、本当に分からないんですか……?」


 縋る様にピトに訊ねる。

 けれど返ってきたのは素っ気無い態度。


「分からない…とは何に対してかの? お前さんとは初対面な筈ジャし、今言っていた名前にも覚えは全くないのジャが」

「………」

「やはり速やかにこの者を捕らえましょう」


 ガルムがそう言うのが速いか、早夜の足元に光る魔法陣が現れる。見ればピトが此方に手をかざしていた。

 緊縛の魔法であろう。見えぬ鎖が束となって早夜を捕らえようとする。

 万物の力を持ってすれば、その程度の魔法など振り解くには容易い事ではあるが、如何せん今はあまりにも頭が混乱していて抵抗する意思など持ち合わせてはいなかった。

 そして、そのまま何の抵抗もなく掴まってしまうかに見えた早夜であったが、意外な所からその救いの手は差し伸べられた。

 それは差し伸べられるにはあまりに小さく頼りない手。そしてそれは無数に存在した。


「お前達? 何をしておるんジャ? 危ないから早く離れるんジャ!」

「なっ!? 何故彼らがその娘を庇うのですか!?」

「……?」


 焦るピトとガルムの声に顔を上げてみると、そこには早夜を庇うように立ち塞がっている魔導生物たちの姿があった。

(え!? 何で……?)

 不思議に思って眺めている間も、彼らは自分の主人であるピトから早夜を護ろうと必死になっている。


「駄目デツ!」

「止メルンダナ!」

「コノ人捕マエナイデ!」

「イイ人ナノ!」


 彼らはそんな風に早夜を庇うのだが、魔法陣は輝きを増し解除される素振りは見せない。ピトが目の前の出来事に呆然としているせいかもしれないし、この魔法陣が途中で解除できないものであるからかもしれない。どっちにしても、この魔法に彼らもまた巻き込まれようとしていた。


「マザーガ言ッテルデツ!」

「コノ人種ヲ持ッテルノ」

「私達ノ種ダヨ」

「ダカラゴ主人タマ、オ願イ!」


「いかん! お前達そこをどくんジャ!」


 ピトが叫ぶ。

 どうやら既に解除は不可能らしい。

 何の魔力を持たない、儚い存在である彼らには、その緊縛の魔法は強すぎるのだろう。ピトの表情は明らかに焦りが見えた。

 早夜も呆然と自分を庇う魔導生物達を見ていたのだが、ピトの言葉にハッとして、すぐさま身を守る為の魔法を発動させた。

 それは瞬時にピトの魔法陣をも覆い、打ち消すほどのものである。勿論魔導生物達も無事だ。

 おまけに、魔法を発動させたと同時に、早夜の魔力は自動的にその足の怪我までも治癒させてしまったようで、もう痛みを感じる事はない。

 ピトの表情がホッと安堵したものに変わった。

 早夜もまた安堵していたが、複雑な心境である。彼の用いた魔法が正真正銘手加減なしに敵を捕らえる為のものだと分かったからである。


 ピトは本気で自分を敵と見なしていた。

 では、彼は自分の知るピトではないのだ。


「ここは一体何処……?」


 早夜は先ほど心の中で呟いた言葉を再び口にするが、その問い掛けに答えてくれる者は今ここには存在しなかった。



何か思ったよりも胡散臭い人になってしまったかもしれないガルムシェードさん。第二部の鍵となる人です。

これでこの章は終わり。次はオリハリウムの日記でその次が新章となります。


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