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僕たちはなくした何かの夢を見る  作者: gresil
二人と二人
11/23

願望

食事が終わって冬華が片付けをしている間、俺は特に何をするわけでもなく、やはりボーっと待っていた。


 ダイニングから続くリビングのソファーに腰かけ、暇つぶしにテレビをつける。


 陽菜の家でも洗い物は手伝っていたから、漠然と何かをしてもらいながら待っているという事に慣れていない。


 テレビでは片付けが出来ない若妻の特集が流れていた。


 陽菜も……料理は出来なくてもいいから、せめて片付けくらいは出来るようにしておかないと、将来絶望的に困ることになりそうな気がしてならない。もしくは、この番組に特集され兼ねない。





 片付けが終わったので冬華の自室へ移動する。


 部屋の中は特に女子らしさを主張することのないシンプルな内装だった。


 家具もベッド、勉強机、本棚、中心に丸いガラス製の小さなテーブルだけ。壁にもポスターなど貼り付けられてはいなかった。


「適当に座って」


 言われて部屋の中心に置いてあるガラス製のテーブルの前に腰を落とす。


「靖人、女子の部屋慣れ過ぎじゃない?」


 冬華はクスクス笑いながら言った。


 別に室内をキョロキョロ見回していたわけではないが、ふっと本棚に目をやると、色鮮やかなオレンジ色をした背表紙が目に付いた。マンが本や文庫本の並びにあるせいか、倍近くも大きいその本はやたらと目立って見えた。


 それはどこか見覚えがある。確かあれは――


「卒業アルバム」


「え? なに?」


 ベッドにボフっと乱暴に座った冬華が反応する。


「いや、アレ卒業アルバムだよな? 小学校の。もしかして涼と小学校一緒だった?」


「え? そうだよ。知らなかった?」


「知らなかった……」


「だって宇佐美くんの家、ここの隣駅でしょ?」


 言われて俺は、頭の中で地図を展開する。


「……ああ、ギリギリ学区内なのか」


 俺の通っている私立高校は中高一貫校で、中学へは受験して入ることになる。一般の公立と違って学区がないから、割と遠方から通う生徒も多い。実際、俺は電車と徒歩で片道四十分かかっている。


 各方々から学生が集まるため、小学校が同じ生徒は比較的少ない。いても二・三人といったところか。


 なので、誰が誰と同じ小学校だったかなんて、中学一年の頃から気にしていないのがほとんどだ。皆、知らない者同士で仲良くなるのに必死だった。


まあ、中高一貫校と言っても、カリキュラムがハードだと高校進学時に別の高校を受験する生徒は多い。


高校からはクラス数や学科も増えるため、相当数の生徒が受験して入学している。


そのため、高校からはガラっと顔ぶれが変わるのだ。


翔太や奈津も高校受験組である。


「その割に、二人が話すところってあんまり見ないよな」


 俺と涼、陽菜と冬華。割と近い距離にいる筈なのに、二人が話すところはほとんど見ない。むしろ、お互い避けているかのように感じるくらいだ。


「うーん、同じクラスになったことなかったからあんまりね……いや、接点が無かったわけではないんだけど、正直宇佐美くんの事、苦手っていうか……なんというか……」


 曖昧な感じに言葉を濁す。


「あんまり深く聞かない方がいいかな」


「うん、思いだしたくない」


 冬華はズバっと言い切った。


 個人的に、ここ最近の話題の中で断トツに興味がある話ではあった。涼の小学校時代の話なんて聞いたことなかったし、本人も全く話そうとしない。


 それなりに話したくない事情があるんだろうとは思っていたけど、それを知っていそうな人物も話したがらないのは非常に残念だった。


 涼にはいつも弄られているお返しに、いつか一矢報いたいと常々思っている。今度、機会があったら涼の過去を聞き出すことにチャレンジしようと、心に強く誓った。


 ちなみにあの卒業アルバムには、涼の黒歴史が隠されているなんてことはなかった。


「そんなことより! なんか淹れてこようかな。コーヒーがいい? 紅茶にする?」


 話題を切り裂くように冬華はベッドから立ち上がって言った。


「じゃあ、コーヒーで」


「オッケー。ちょっと待っててね」


 冬華は部屋のノブを掴んで振りかえる。


「部屋あんまりあさ……るようなことはしないか。まあ、見られて困るもの無いし。パンツ部屋中にばら撒かれても構わないし」


 そう言い残して部屋を後にした。


「…………本当にパンツばら撒いたらどんな反応するんだよ」


 そんなことは断じてやらないが、本日二番目に興味が湧いた。






 ――――――――


 何気なくスマホをポケットから取り出しブラウザを起動する。


 ――――――――


 検索エンジンの画面を開き眺めていた。


 ――――――――


『好き』の感情が分からない。どうやったら誰かを好きになれるのかが分からない。


 俺は告白された後、冬華にそう言った。


 それは今でも変わらない。


 ――――――――


 検索エンジンに文字を打ち始める。


 ――――――――


 なんだ――人を好きになる方法をネットに頼ろうと言うのか――


 ――――――――


『ひとをす』まで文字を入力する。


 すると予測項目で『人を好きになれない』というものが目に付いた。


 それをクリックしページを開く。


 ――――――――


 リンク先をいくつか選択し、中を流し読みする。





 人を好きになれない理由――





 人とのコミュニケーションがとれない。


 周りの環境が悪い。


 自己愛が強い。


 自分に自信が無い。


 焦り過ぎている。人間関係を大事にし過ぎている。期待し過ぎている。本当の自分を隠している。他に夢中になるものがある。嫌われるのが怖い。人間不信。自己中心的。保守的。自虐的。無感情。


 違う――――


 俺が知りたいのはそうじゃない――





 すると、あるリンク先で興味を惹かれる言葉を見つけた。


 いや、もはや興味を惹かれるというレベルを完全に凌駕し、まるで取り憑かれたかの様にそのページを凝視する。


 そして、その言葉に関する記事のいくつかに目を通した。


 ――――――――





 暫くして冬華が部屋へ戻ってきた。手にはコーヒーの入ったマグカップを二つ持っている。


「はい、どうぞ」


 マグカップをガラステーブルの上に乗せ、そのまま俺の向かいに腰を下ろした。


 俺はマグカップに目もくれずに、スマホの画面を見続けている。





「なあ……冬華。『アセクシュアル』って知ってるか?」





「ん? あせくしゅある?」





「無性愛アセクシュアル。他者に対して恒常的に恋愛感情や性的欲求を抱かない人をそう呼ぶらしい」





「え……? ちょっと……何言ってるの……」





「セクシュアリティの一種。友情や家族愛はあっても恋愛感情は抱かない。実際いるんだな、こういう人」





「いや……やめてよ……そんなの関係ない話しで――」





「同性愛や両性愛は比較的認知されてるのにな。無性愛なんて言葉があることすら知らなかったよ。もしかしたら、案外俺も――」





「やめて!!!!!!!!!!」





 冬華の叫び声で我に返る。


 俺は一体何を言っていたんだ――


 なんでこんな事を――





「靖人が誰も好きになれないっていうの!? そんなわけないじゃん!! お願いだから……そんなこと……言わないでよ……」


 冬華の声が少し震えているのを感じる。


「ごめん……無神経だった……」


 自分の事を好きだと言ってくれている女の子の前で、自分は誰も好きになれない人間です、なんて言うつもりだったのか。


 罪悪感に押し潰されそうになる――





「いいよ……そんな事ないって、私が証明してあげる」





 冬華は俺の横に移動して制服のネクタイを取った。


 そのままシャツのボタンを二つ外し、そっと顔を近づける。





 俺には正常な思考回路が残されていなかった――


 どう反応すればいいか、考える余裕は全くない――


 もう、このまま――流れに身を任せてもいいんじゃないか――





 唇と唇が触れそうになるくらい近づいたその瞬間――昨日の演劇のキスシーンが頭をよぎった。


 激しい頭痛が俺を襲う――


 気付くと、反射的に冬華の両肩を掴み、その距離を離していた。


 冬華は一瞬、驚いた表情をしたが、すぐに目を伏せる。


「ごめん……」


 そんな言葉しか絞り出せない。


「ううん……私の方こそごめんね……靖人だって悩んでるんだよね。苦しんでるんだよね。なのに、私ったらそこに付け込んで、こんな真似して本当に卑怯……嫌になっちゃうな……」


 返す言葉が見つからない。


「今のナシ! 全部ナシ! ね? もう忘れよう」


 そう言って……いつもの様に優しい顔で笑うのだった。





 また――この表情だ。


 私は気にしてないよ。大丈夫だよ。だから靖人も気にしないでね。暗にそう言っているようなその表情。ここ数日で何度も目にした。


 俺にはその表情が、つらい感情を強く押しこめている様にしか感じられなかった。


 見る度に、心が締め付けられる。


 その表情をさせているのは俺だから――


 あと何回、その表情をさせればいい――


 あとどのくらい、その表情をさせればいい――





 その表情を見ていられなくて、その表情を見ているのが嫌で――


 俺は掴んだ両手を引き戻し、冬華を抱きしめた。





 抱きしめると言っても、軽く肩と肩が触れ合うくらいの微妙な距離。


 それに対し、冬華の腕は返してこなかった。





 そのまま、どのくらいの時間が経っただろうか。


 恐らく、数分と過ぎてはいなかっただろう。





「今日は、帰るよ」


 冬華から身体を離し、鞄を手にして立ち上がる。


「うん、また学校でね」


 そう言う冬華を背にし、振りかえらず、何も言わずに部屋を後にした。






 ――――――――――――――――――――






 家に着くと風呂が沸いていなかったので、そのままシャワーを浴びる。


 冬華の家からの帰り道、ずっと渦巻くこの嫌な感情を早く洗い流してしまいたかった。


 シャワーから出ると、全てを洗い流せているわけはなかったが、気持ちは少し冷静にはなっていた。


 自室に戻り、ベッドに倒れ込む。





「最低だったな……」





 冬華と一緒にいて、感じる一番の感情――


 それは恐怖だった――





 冬華はルックスもいい、スタイルもいい、明るくて自分に素直な性格で、今日は家庭的な一面も見られた。一緒にいるのに苦痛はない。一緒にいることに、なんの不満も感じない。


 なのに何故、俺は冬華の事を好きになれない。


 もしかしたら、好きになっていることに気付いていないだけなのか。


 じゃあ何故、冬華を受け入れることが出来なかった。





 このまま一緒に居続けていても――


 冬華の事を好きになれないんじゃないか――





 そう思うことは恐怖だった。


 


 俺は誰も好きになれないことを、冷たい人間だと蔑まされても構わない。


 だからその恐怖から逃れるために、無性愛アセクシュアルなんてものがあるんだと、自分はそういう人間なのかもしれないと、言ってしまったんだと思う。


 これについては猛省すべき点だろう。


 


 しかし、無性愛という言葉を見つけた時に、俺が感じた本当の意味合いはそうじゃなかった。


 なんというか……小さな子供の頃から探していた探し物をやっと見つけたような感覚。


 そう表現するのが一番近いだろうか。


 少なくとも、この言葉に逃げ道を見つけたわけではなさそうだった。


 


 じゃあ、実際なんなのか。


 それを計りかねていた俺は、ベッドに横たわったままスマホのブラウザを見つめる。


 画面には、先ほど出していた無性愛について書かれたページが表示されれていた。


 逃避・回避みたいな言葉を重ねてみても、やはり馴染んでこない。





 絶望・妥協・皮肉・同調・軽蔑・喪失・好意・感動・興奮・諦念・乱心・萎縮・嫉妬・屈辱・躊躇・孤独・爽快・後悔・反感・共感・不満


 


 思いついた言葉を適当に重ねてみても、なかなか合う言葉が見つからない。


 しかし、さらに何語か重ねてみたとき、胸の奥にスーっと入ってくる単語に辿り着いた。


 その言葉を頭の中で反芻する。


 俺が、無性愛という言葉に対して抱いている感情は、この言葉で間違いない。


 そう思う反面、その真意までは理解できなかった。


 今一度、スマホの画面を見ながら口にする。その言葉は――





 「……願望」


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