上官殿と壁
エレナ様が来てから一週間。
私の機嫌は悪くなる一方だ。
「フローリア、行こうか。」
「はいロッドさん。」
今日も私は姫様の護衛に行く。
今日は姫様の大好きな歌劇のアンコール公演。
私のことを気に入ってくださる発端となった作品『薔薇は気高く咲いて』。
貴族の女騎士と庶民出身な部下の騎士との切ない恋愛歌劇。
この主役に抜擢された役者は出世間違いなしという歌劇の代表作。
私もこの作品は好き。
どこがいいって報われない所が良い。
舞台の終盤、想いは通じあいながらも訪れる悲しい二人の別れにどこか安心する。
私もこうなるのだという戒め。
違うのは私の場合は想いが通じ合ってなどいないこと。
貴族と庶民、騎士、悲恋、と聞けばどうしても自分と重ねてしまう。
そんな大好きな作品を仕事とはいえ姫様とご一緒できるのは嬉しい。
普段の私なら大喜びだっただろう。
うん、普段ならば…。
ストレートに言ってしまうとあの方さえ居なければ、ということである。
「ダニエル!さぁ、わたくしの隣に座って!」
「エレナ様、私は仕事中ですので後ろで部下と控えております。」
「せっかくばあやを別席に移動させたのだものこんな最高の席をあけるのは作品への冒涜よ?命令だから座って!」
区切られた二階のボックス席もとい貴賓席。
少し広めとは言え基本的に二人ずつなため、姫様はお一人で、エレナ様は侍女の方とお二人で貴賓席をそれぞれ使う手筈だというのに…。
(別席ですって?!なにを勝手なことを!!というか、もうホール内だというのにあんなに騒いで…マナーも知らないのかしら…)
私のこめかみがピクピクして止まらない。
壁があって隣は見えないが窓があるわけではない。
よって会話は全て筒抜けだ。
声から察するにエレナ様が上官殿と座って歌劇鑑賞をしたがっているのだろう。
二番隊の護衛がもう一人いるはずなのに声がしないあたり侍女殿の護衛に回らされている可能性もある。
つまり私の最悪の想像では今、あの二人は美しい装飾に囲まれた貴賓席で二人っきりだ。
向かい側の貴賓席じゃなくて良かった。
そんな光景を見てしまったらもうショック過ぎて私の心は粉々に砕けてしまうだろう。
しかしながら会話筒抜けも中々辛い。
上官殿が仕事に徹しているようだから大丈夫だが少しでも乗り気なら私は多分涙目くらいにはなっている。
(なんという地獄…)
ギリギリと握りしめる。
いけない、仕事に集中しろ。
私がピリピリしていては勘のいい姫様にバレてしまう。
私は唇を噛み締めて隣の会話にたえることにした。
ふいに姫様が振り返る。
扇を口の前にし私にしか届かないほどの音量で囁く。
「フローリア…その…大丈夫ですか?」
「…大丈夫です、申し訳ありません。ご心配なく、もう切り替えました。」
私も小声で答えた。
ああ、やはりバレてしまった。
実を言えば姫様は私の恋を知る唯一のお方だ。
というよりそもそも姫様に嘘は通じない。我が国の王族は代々人の心が読めると言われている。それが本当かどうかは言い伝えレベルの噂なので立証はできない。
抜群に勘が良いだけかも知れないし、本当に心が読めると言われてもなんら不思議はない。
現に私は姫様を騙せなかった。
出会ったその日には、もうわかっていらしたから。
「辛ければ扉外で待っていてもいいわ。でも出来ればフローリアとこの劇が見たいの…お父様達が前の席にいなければ隣に座って欲しいのに…」
「姫様、私も姫様と拝見できるのを楽しみにしておりました。ですので大丈夫です。すぐ後ろにおります。」
ああ、姫様が優しい。
私は別の意味で泣きそうになった。
ダメだ、この荒んだ心に姫様の言葉は優しすぎる。
もう姫様と結婚したい。
貴族より無理な話だけど…。
そんな姫様との心温まる会話の間でも隣からは相変わらず上官殿を口説くエレナ様の声が聞こえていたけれど、もうあれは異国語だと思うようにした。
ちなみにロッドさんは扉外で護衛している。
会場の灯りが消え、舞台に照明が灯るとさすがのエレナ様も静かになった。
まぁ静かになったらなったでどのような状態で二人が舞台を見ているのか一瞬…ほんの一瞬だけよぎってしまったのだけれど…。
(手を繋いでたら泣こう…)
誰もそんな情報流してくれないだろうし知りたくもないけど。
私は辺りのことも警戒しながら、大好きな物語に集中することにした。