上官殿とハイタッチ
今日は孤児院の幼稚部を訪問する。
エレナ様は上官殿に対するはしたない態度を別にすれば優秀な姫君らしい。
自前の明るさでさっそく子供達と馴染み、今はうちの姫様と本の読み聞かせしている。
私達は目立たぬよう壁際に座ってそれを見守った。
立ったままだと本物の騎士に興奮した子供達がよじ登ってきて危ないからだ。
たまに輪にあぶれた子どもがとたとたとやってきて私の膝に乗ってくるのがなんとも可愛らしい。
現に今は本の読み聞かせとあってか私は3歳ぐらいの男の子、ロッドさんには5歳くらいの女の子が膝に座り、それぞれじっと耳をすませていた。
ちなみに今日は上官殿が私の隣にいる。
最初こそ変に緊張したが上官殿が私に話しかけてくる様子はない。
不思議には思うものの、この場で聞くわけにもいかなかった。
お昼寝の時間になる前に公務は終わった。
名残惜しそうな子供達が見送ってくれる。その中には泣いている子までいた。
行きもそうだが、帰りも私たち護衛は馬で帰る。
それぞれ姫様の乗る馬車の周りに配置された状態で。
「子どもたち、可愛かったね。」
「ロッドさんが子どもがお好きとは驚きました。」
「僕は兄弟が多いから。」
お世辞でも意外と言うか、率直に血筋と言うかで迷ってしまった。
あれだけの女好きはどうやら家系的なものらしい。
「貴方のように勘が鋭い方ばかりというのは少々恐ろしいですね。」
「おや、知っていたのかい?うちのひいお祖母様は王族直系の姫だった。だから僕たちもだいぶ血は薄れたが勘はいいんだよ。」
冗談か本気か、わからないような感じでロッドさんは笑った。
城に帰ると私達は次の当番と護衛を変わった。
今日の姫様の公務はもうない。
あとはお茶をされるか、本を読まれるかのどちらかだ。
「ロッドさん、お昼行きましょう。」
王城から三番隊の所へ戻る際、私は手袋を脱ぎながら後ろにいたはずのロッドさんに言った。
向こうでは姫様とエレナ様は子供達とお昼を取っていたが私達は護衛中なので何も口にしていなかった。
とにかくお腹がすいて仕方がない。
後ろにいるはずのロッドさんから返事がなくておかしいな、と思い私は振り返った。
「いつの間にウェザーを名前で呼ぶようになったんだ?」
しかし振り返った先にいたのは違う人物だった。
私は思わずぴしりと固まる。
「あ、これは…上官殿、」
なんとか答えるも、上官殿の質問には触れられなかった。
とっさすぎて答える余裕もない。
「私も交代したからな、今日の仕事は終わったので久々に部下の顔を見に来たよ。久々にな。」
無愛想に答えるように努めたけれど、声にすらならない。
つかつかと近づいてくる上官殿はわざとらしいほどニッコリと微笑む。
胸がドクドクと煩い。
耳が熱い。
頬も熱い。
終いには指の先がピリっと電気が走ったように痺れる。
久々の上官殿から目が離せない。
間違いようがないほど私の全身が上官殿を好きだと叫んでいた。
(なにか、言わなきゃ…)
私は真っ赤な顔を隠すことも忘れた。
上官殿が小首を傾げて口を開く。
「驚きすぎだ。それとも、俺のことはもう忘れたのか?」
ぶんぶんと首を振る。
忘れたことなど一日たりともない。
30分以上上官殿のことを考えないよう努めることがどれだけ大変だったかも知らないで…。
「こんなものまで付けられて…」
上官殿はいつの間にか私の手を取り撫でるように指輪に触れた。
これには思わず「ヒッ…」と小さく声を出してしまった。
一気に耳元のドクドク音が増す。
「三番隊はよほどお前にとって居心地がいいらしい。」
「あ、それは、もう、良くして…いただいております。」
私は心の中で落ち着けと念じながらゆっくりと答えた。
みるみるうちに上官殿の眉間にシワが寄る。
(あ、え…?怒ってらっしゃる?!)
でもこれは事実だ。
二番隊が気遣ってくれているとするならば、三番隊はみんなが歓迎してくれていると表現できた。
上官殿の心配するようなことなどこの三週間何一つとしてなかった。
私は次は不安から胸がドクドクと脈を打った。
一気に青くなり、冷や汗すらうっすら出てくるほどに。
上官殿は不愉快そうな顔のままため息をついた。
小指を握る指にもギュッと力が入ったのが伝わる。
上官殿が目を瞑り、口を開く。
「お前だけはやらん。」
それだけ。
たったそれだけなのに、頭が処理するよりも速く、またしても私はボッと赤くなった。
(嬉しい…)
上官殿が私に戻って来いとおっしゃっている。
無性に涙が出そうだ。
きっと大した意味なんて無いはずなのに、私は上官殿に必要だと言われた気がしてどうしても舞い上がってしまいそうになる。
「任務が終わったら早々に帰って来い。約束しろ。」
上官殿は小指だけでなく今度は私の手をギュッと包み込んだ。
「はい、」
私はこの時なんと答えたのか記憶にすらない。
でも上官殿は笑って「よし!」と言って去っていったのを見てきっと私は上官殿の望む返事が出来たのだと理解した。
「フローリア、遅かったね。」
その後も、記憶が曖昧だが気がつくと三番隊の食堂に辿りついていた。
その入り口に居たのは私が先ほど見失ったロッドさん。
ああ、なんてちょうど良い所へ…!
「ロッドさん…私、」
「ん?どうしたのなにか嬉しい事でもあったのかな。」
ああ、そうだ。
彼は天性の勘の持ち主だった。
まだ何も言っていないのに、彼には何かが伝わったらしい。
「今誰かに…誰かに思い切りハグをしたい気分なのですが、それは流石に抵抗があるのでハイタッチしてもらえませんか…!」
私はもうこの喜びをどこにぶつけていいかわからなくなっていた。
誰かに分かち合って欲しいと思うほどに。
「よくわからないけれど、僕で良ければ…。よし、フローリア、良くやったね!」
「はい!ロッドさん!!」
ニヤリと笑うロッドさんが両手を掲げる。
パチーンという小気味良い音が食堂に響いた。