出産までの道のり
ペイちゃんが産まれたのは2014年12月の終わり。
雪が降るとても寒い日の事でした。
歩さんはすでに母が他界していたため、頼れるのは旦那さんと友人のみでした。
歩さんの父はまだ存命ですが、様々な理由があり何年も連絡を取っていなかったため、結婚してから連絡を取り合うようにはなったのですが、それまでの間の空白の時間がお互いに距離感を取らせ、その時点では歩さんにとって頼れる人ではありませんでした。
友人、というのがこの作者であるmckeeです。私mckeeと歩さんとの出会いについては別な会で詳しく書けたら、と思っていますが、出会いは10年程前の事でそれ以来ルームシェアをしたり、家族ぐるみで付き合ったり、友人というよりはもう姉妹のような関係です。
私は、そのペイちゃん出産時の陣痛で苦しんでいる時も歩さんの横にいました。
歩さんは、ペイちゃんの妊娠34週ほどからお腹の中での成長が良くない、と医師から伝えられました。
様々な原因を言われました。
妊娠糖尿病、妊娠中の喫煙、元々の体重や体格に対するもの。
これに関しては全て歩さんは出産後に後悔し、どれほど涙を流していたかわかりません。
育っていない、と医師から伝えらた段階で作者である私も喫煙についてや食生活、全て物凄く口を酸っぱくして監視体制を敷き、プレッシャーをかけるようにしたことをはっきりと覚えています。まずは無事に生まれる事が1番大事な事なのだ、と諭しました。
歩さんを庇うようですが、歩さんの旦那さんは全くその頃協力的ではなく、日々喧嘩ばかりでした。
お腹の中の赤ちゃんは女の子と知ってからずっとでした。産まれてもいないお腹を見ながら、次は男だな!と言ったり、つわりで吐いていても俺の飯はまだか!というような環境で妊娠糖尿病の為、食事制限が通常の妊婦さんよりも厳しく、仕事、家事に追われ、唯一の逃げ道が喫煙だったのです。
理屈では分かっていても、どうしてもやめれずに1日に三本ほど吸っていました。
それもずっと医師に怒られ続けましたが、俺は歩にはやめろって言ってる!と言いながら横でスパスパ喫煙する旦那さんがいては、やめれないのは無理もない、と私も思っていました。
ですが、1日三本の唯一の逃げ道を辞めました。それでも次の週になり、やはり育ちが悪い、と医師からまた話がありました。
早期で出すにしても少々早い、と。
医師同士でもいつが適正なのか話し合う、との事でした。
つまり、早めに出産し、外に赤ちゃんを出す事によって育たない原因がハッキリし、外部からの栄養補給で大きくする、という事を言っていたのです。
保育器などは必須であろうことから、NICU=新生児集中治療室との連携もとりながら出産の時期を出すから、年明けが予定日でしたが、年内に出す事になるから準備をしておいて欲しい、と言われたのです。
正直、どんなに陣痛が早く来ても年明けだろう、と思っていた歩さんはパニック気味になってしまっていました。
私は、歩さんに第三次救急外来として高度な医療を持っている病院だから安心して良いのではないか、それでお腹の赤ちゃんが育つならば安心ではないか、と諭しました。
そのまま定期健診は1週ごとに行われ、医師団の決定に従い、歩さんは不安いっぱいのまま37週で入院となり、陣痛促進剤とバルーンでの出産に挑むこととなったのです。
バルーンの痛さに涙を流して辛い、辛い、と夜中にも連絡が来たりしました。そのやり取りは2日続きました。
その度に励まし、明日の面会時間には必ず行くから頑張れ!!返しました。
通常、家族でなければ陣痛中等の面会は出来ませんが、頼れる身内がいないこと、旦那さんは仕事で来れないこと、様々な理由をあげて、歩さんは病院に2日間懇願して私を親戚として扱ってもらい、病院に面会に行く事ができました。