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Playball

作者: 八重
掲載日:2016/10/25

久しぶりの投稿です。何か間違っていたら大目に見ていただけると幸いです。

「ストライク! バッターアウト! 相馬、これで三者連続三振

!」

 ペナントレース優勝を賭けた試合。エースである相馬が粘りのピッチングを見せて、球場中が歓声に包まれた。


季節は桜が満開の春。入学、卒業といった一大イベントの季節として知られている。そんな中、建物を見つめる女性がいた。彼女の名前は、薮崎(やぶさき)(みなみ)。見上げる建物は、女性プロ野球リーグ、エ・リーグのチーム、そして南の憧れていたモーニング・グローリーズの球団寮だった。

南はトレードでやってきた、キャンプ終了日の今日付けでチームに帯同することになった選手である。

(広いなあ。まあ、スポンサーが大きいところで、前の球団よりはお金もあるだろうし、当然か)

モーニング・グローリーズは、大手企業モーニングがスポンサーを務めているため、このエ・リーグの中では潤沢な資金を持つ、金満球団のうちのひとつだ。エ・リーグとは、正式にはエレガントリーグだが、落ち着いていて気品のある優美な女性をイメージして作られたリーグである。もう一つ女性リーグであるス・リーグは、スタニングリーグといい、素敵な、魅力的で素晴らしい女性をイメージされて作られたリーグである。

女性リーグは、女性の野球への意欲の向上から、多数の企業が後ろ盾となって開催されたリーグで、当初は実力どうこうより、まずは人気を取らなければならないということで、アイドル性も兼ね備えた美人が採用される傾向にあった。

現在は減少傾向にあるものの、完全になくなったとは言えず、未だアイドル寄りの活動をさせることで球団の利益を上げていることも少なくない。

だが、ここ数年で実力が評価されてきたことも事実であり、このグローリーズは、実力も人気も本物とされている。

南がドアを開けると、三十代くらいの女性の姿が目に入ってきた。

「あら、どなたですか?」

「本日よりお世話になります、薮崎南です!」

この球団寮はモーニング・グローリーズのものであり、とっくに申請が通っているはずの彼女が名乗る意味はあまりないのだが、便宜上必要と感じたため、南は口にすることにした。

女性のほうはといえば、挨拶する南を見て、合点がいったように両手を軽く叩いた。

「あなたが薮崎さんですか。私はこの寮の管理人です。知っていると思いますが、これからあなたもこの寮の一員です。ついてきてください、色々紹介しますので」

優しげな笑みを浮かべた管理人は寮の紹介をし終わると、南を部屋へと案内する。

「先ほども少し説明しましたが、この寮はチームメイト同士の親睦を深めるために相部屋制となっています。薮崎さんのルームメイトは一之瀬(いちのせ)(あい)さんです」

南は愛のことを一方的に知っていた。同じエ・リーグに所属している堅守が魅力の二塁手。

何度か対戦したことがあるが、その際の彼女のフィールディングは若手ながら卓越していて、南も見習おうと思っていた。

その愛がルームメイトと知り、ここでの生活に胸を躍らせる南であった。

「では、後は夕ご飯の時間までごゆっくりー」

そういうと管理人は先ほどと同じく、笑みを浮かべながら南の前を後にした。


突っ立っていても埒が明かないので、ドアノブを回して部屋に入る。

「失礼しまーす……」

何故か小声になりながら、挨拶をして部屋を見渡すと、綺麗に切り揃えられた茶髪で、おかっぱの利発そうな女性がいた。

お互い数秒見つめあい、先に言葉を発したのは茶髪でおかっぱの女性のほうだった。

「……ひょっとして、薮崎南選手ですか? 私は一之瀬愛といいます!」

 前のめりになりながら自分の名前を名乗る彼女に、南は少し気圧されたが、深呼吸して落ち着きを取り戻し、自己紹介をした。

「……はい、薮崎南です。一之瀬さん、今日からよろしくお願いします」

「そ、そんな! 私なんかに畏まって敬語なんか使わなくても大丈夫ですよ! 後輩なんですから!」

「……うん。そういうことなら、よろしくね。一之瀬さん」

 愛のいうことに、それもそうかと納得し、南は敬語を止めた。

スポーツの世界では、プレーしている年数がものをいい、チームの所属年数より、プロ野球界隈への所属年数のほうが先輩になる。

「愛です」

「えっ?」

 突拍子もない愛の発言を、南は理解できず聞き返す。

「このチームでは親睦を深めるために、下の名前で呼び合うことになっているんです。管理人さんのほうからお聞きになっていませんか?」

愛の言葉を聞き、南は管理人の説明を思い出すが、そのような話は特にしていなかったような気がした。そのため首を横に振ると、愛が手を握って満面の笑みで言う。

「愛って呼んでくださいね、南先輩!」

「う、うん。よろしくね、愛」

再び愛の勢いに押されてしまった感じもあるが、南は愛の言葉に応じ、下の名前で呼んだ。

「私、他の人にも挨拶してくるね」

「あ、はい。いってらっしゃいです」

にこにこと笑みを浮かべて、送り出してくれる愛の姿を見て、南は、このチームでの快適な生活が想像でき、気分が高揚するのだった。


ドアに軽くノックをし、一歩後ろに引いて待つ。すると、部屋の主であろう赤い髪をお団子の形に二つで結んでいる女性と、ピンクのツインテールが眩しい、十代前半と思しき南の鎖骨ほどの身長の小柄な女性が、ドアを蹴破りそうな勢いで出て来た。

「見かけない顔だね、ボクたちの部屋に何か用?」

「今日からグローリーズの所属になります、薮崎南です。よろしくお願いします」

「なるほど、今日からチームメイトなんだ! よろしくね、ボクは佐野(さの)美咲(みさき)だよ」

 そして佐野美咲は、痛烈な打球の飛んできやすい場所、いわゆるホットコーナーの守備をする三塁手だ。

優れた身体能力を活かし、飛んでくる打球をいとも簡単に捕球することから、通称「掃除機」と呼ばれる名手として知られる。さらに俊足の持ち主で、毎年コンスタントに三十盗塁を記録している、界隈でもスター選手である。

「私は白波(しらなみ)恭子(きょうこ)っ! よろしく、南ちゃん!」

「……どうして子供がここにいるんですか?」

「「あはははははっ!」」

美咲と恭子は顔を見合わせて、南の発言に噴出した。南は何がおかしいのか全く分からず、首を傾げる。

「ああ、ごめんごめん。この人は子供じゃなくて、本物のチームのリリーフエース、白波恭子さんだよ。名前は聞いたことあるでしょ?」

 白波恭子はチームの頼れる守護神で、昨年の防御率は驚異の零点台、セーブ数はリーグトップの四十を記録している。

「確かに聞いたことはあります。でも、この人が……?」

南は、目の前のあまりに現実味のない光景に、信じられないといった顔をする。

「まあ、信じられなくても無理はないと思うよ! ちなみに私は二十九歳!」

 何故か自信満々な顔の恭子に、南は苦笑いするしかない。

「よろしくお願いします……」


 ひどく疲弊した南であったが、挨拶しないことには一日を終えることも出来ない。そう思い、次の部屋を訪れる。

 先ほどと同様に、ドアにノックして、一歩下がって待っていると、美咲と恭子の部屋と正反対に、ゆっくりと静かにドアが開いた。

「あの、どちらさまですか……?」

 黒髪のおさげの女性が、おさげをぴょこぴょこと揺らしながら

出て来る。

「今日付けでグローリーズの所属になった薮崎南です、よろしくお願いします」

 頭を下げる南に、朱莉は申し訳なさそうな顔をしたあと、呼吸を整えてから挨拶する。

「……私は、南井朱莉(みないあかり)です。よっ、よろしきゅ……あぅ、よろしくお願いします!」

 思いっきり噛んでしまって、恥ずかしそうに顔を下に向ける朱莉。この噛み癖は、彼女の魅力の一つでもあり、チームメイトやファンの笑顔の源になっていたりする。

そして朱莉はその性格と反対で、普通の選手なら勝負を避けそうな選手に真っ向から挑む強気なリードをしたり、監督の采配を聞かなかったりと頑固な一面の強い選手である。

もっとも、その行動を起こした後にいつものように急にさっきまでの行動を後悔したりすることがほとんどだったりして、それもまた魅力となっている。

 噛んでしまい、恥ずかしそうな朱莉を見て、南は面白そうに笑った。その様子を見て、朱莉は慌てて頭を下げて謝罪する。

「す、すみません……何か笑ってしまうほど失礼な事を……」

「いえ、そうではなくて……南井先輩が後輩の私に対してあまりに緊張していたもので、笑ってしまいました、すみません」

「いつもこんな感じなんです、すみません。あ、下の名前で結構ですよ」

「ありがとうございます、朱莉先輩」

 感謝の言葉にえへへ、と笑う朱莉。南は、上手くやっていけそうだと思った。

「ところで朱莉先輩、この部屋は一人部屋なんですか?」

「違いますよ。私の部屋の相方は今ランニングに出かけていまして」

「呼びますか?」

「いえ、大丈夫です! 朱莉先輩の手を煩わせるわけにはいきません。これで失礼します」

 そういって後ろを振り返ると、南は何か弾力性のある塊にぶつかった。

「ぶわっ!?」

 その衝撃に、南は女性らしからぬ声をあげてしまった。

 驚きのあまり後ろに身じろぐと、塊の正体とその持ち主が出て来た。塊の正体は、髪の毛先が内側にカールした、美しい黒髪ロングをしている女性の胸だった。

「あ、あなたは! 去年のホームランクイーン()()()()……さん!」

 ()()()()。昨シーズンのホームラン数は四十本、圧倒的なパワーを見せつけてホームランクイーンの座を射止めた、球界屈指のスラッガーだ。ニコニコといつも微笑んでいるのが、印象に残る選手でもある。

「……どちらさま?」

「今日からお世話になります、薮崎南です!」

「ああ、トレードですか。私は羽野芽衣です。このチームでの年数は気にしないで、プロ年数の長い南先輩は敬語じゃなくて大丈夫ですよ」

「そうですか? じゃあ、今度からそうしますね。ところで、どうして夜ご飯の前にランニングを?」

「……聞かないでください」

 お腹を抓んで思いつめたような顔をする芽衣を、南はそれ以上追及することはしなかった。できなかったというほうが正しいのかもしれない。

「薮崎さん、ご飯が出来ましたよ。一之瀬さんと一緒に食堂へいらしてください」

「あ、はい。ありがとうございます」

管理人にご飯ができたことを告げられて、南は部屋の訪問を止めて、いったん部屋に戻ることにした。


「ただいまー」

 南が部屋に入ると、先ほどと同じように満面の笑みをした愛が出迎えた。南は実家のような安心感がして、ほっとした気分になる。

「あ、南先輩。挨拶は終わったんですか?」

「いや、ご飯の時間になったみたいで」

「そうだったんですか。じゃあ、行きましょうか」

 その話を聞くと、愛は気を利かせて立ち上がり、ドアを開けダイニングへと向かった。


ご飯を食べて、南がお手洗いを終えて部屋に戻ると、そこには

愛の姿はなかった。どこへ行ったのかと思い、南は部屋を出て、寮の中を歩き回る。すると、トレーニングルームで彼女の姿を見かけた。

 疑似的に作られたバッターボックスで、素振りをする愛の姿がそこにはあった。

「愛」

「先輩? どうしてここに?」

「いや、愛の姿が見えなかったから」

「ああ、心配かけてごめんなさい。ちょっと素振りをしていまして」

「どうしてこんな時間に?」

 普通ならご飯の時間も終わって、後はお風呂に入り寝るだけの時間だ。

「シーズンも開幕ですし、私はバッティングが上手なわけじゃないので……」

 二番バッターとしてバントで進塁する役目を持ち、そのバントは一級品といわれる腕前を持つ愛だが、ヒットを打つことは得意ではなく、ホームランに至っては一年を通して一本出ればいい方である。

「そうなんだ。私も一緒にやっていい?」

「いいんですか?」

「もちろん。お互いに教えあおう?」

「はいっ!」

(なんだか、このチームでもいいプレーが出来そうな気がする!)


――こうして、南のプロ六年目のシーズンが始まるのであった。


女性リーグがこうして二リーグ制で開始するまでになったのは、多くの人たちがビラ配り、ポスターでの宣伝、路上での声掛けなど、尽力を惜しまなかったからだった。

グローリーズに所属する選手たちのうちの数名も、この運動に参加した者たちだ。そういった努力が実り、現在の女性リーグがあるため、南を初めとする現在の若手選手は、グローリーズに憧れを持っている。

「今日からチームの一員となります、薮崎南です! よろしくお願いします!」

 今日はキャンプの半ばも過ぎ、チームの雰囲気も仕上がっている頃である。南も、そのチームの一員となるために深々と頭を下げ、チーム全体に対しての誠意を見せる。

それは南が現役生活を続けるにあたって、先輩や後輩関係なく、選手たち全員を尊敬しているという意思の表れでもある。球団寮での挨拶は、ここで暮らしていく仲間として、ここでの挨拶は、グラウンドで共に戦うチームメイトとしての挨拶である。

 そして深く頭を下げていたせいか、南は接近する影には気づかなかった。

「ひゃあ!?」

 突如として胸を揉まれ、驚いて振り返るも、そこに犯人と思しき姿はなかった。

「うーん、まあまあといったところですかね。形も弾力も悪くないです。ただ大きさに難ありといったところでしょうか」

「だ、誰!?」

 ユニフォームを着ていることから同じチームの選手であることはわかったが、怪しい人物であることには変わりない。南は金髪の女性を睨んだ。

「怪しいものじゃないです! 私はグローリーズの一番センター、(その)()(ゆず)()です」

 柚季と名乗った、金髪の上部分だけを後ろで結んで、下の髪を垂らしたハーフアップと呼ばれる髪形をした女性は、警戒心剥き出しの南の視線をものともせず、手を差し出してきた。すぐにはいそうですか、と南が手を取るはずもなく、両者は視線を外さない。南は睨み、柚季はにこやかに微笑むだけ。

 そんな奇妙な状況を解決したのは、愛だった。

「南先輩、柚季さんは悪い人じゃないんです、ただチームメイトの、……その、胸やお尻を揉んでしまうだけなんです!」

 愛は恥ずかしかったのか、少し言い淀んだ。

「……それ、大丈夫なの?」

「スキンシップみたいなものですよ」

 こともなげに言う柚季に、南は少しイラッときたが、こういう人物なのだろうということで納得して、それ以上触れないことにした。

「よろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ頼りにしています」

 先ほどまでのふざけた態度からは一変し、柚季は真面目な顔になった。

 柚季は、ここまでの南に対する対応からは想像できない、卓越した実力と野球への情熱の持ち主である。一番センターを務めているのも、その俊足、巧打、強肩堅守の実力を持った選手だからだ。選手一同からは、胸やお尻を揉むことさえしなければ、と専らの評判である。

「いつもの悪い癖ですよ、柚季」

 そういいながら、煌びやかに輝く美しいブロンドの髪をサイドテールにした、胸が大きく長身でスレンダーな女性が柚季の横に立った。

「望月エリーです。何卒よろしくお願いします」

 エリーは頭を四十五度に下げて、深々と三秒間挨拶する。その金髪とは対照的に、優美な所作は日本の大和撫子を思わせる。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 エリーは、元々はソフトボールの選手として名を馳せていて、当時はキャッチャーを務めていた。世界大会にも数度出場したことのある実力の持ち主でありながら、日本のスモールベースボールに憧れており、女性プロ野球リーグに参加した経歴を持つ。

キャッチャーとしての経験から、朱莉にアドバイスを送ったり、その朱莉が怪我で欠場などの時には、キャッチャーに入ったりする。現在はソフトボール時代や女性プロ野球リーグのプレーで培った強肩と堅守を武器に、外野手としてチームの守りを支えている。

「エリーさんは誰と相部屋なんですか?」

 この人と相部屋の人が気になってきた南は、質問をしてみる。気になるというのは、エリーが柚季の犠牲になっていないかどうかという意味だ。

「私ですか? 私は相馬さんと引間さんの三人部屋なんです」

グローリーズ球団寮は、三人部屋も選手の入居数から結構な数存在する。その一つが相馬(そうま)(しずく)引間(ひきま)(すみれ)、望月エリーの三人が暮らす、別名「スター部屋」である。女性プロリーグ球史に名を残す、最多勝利及び最優秀防御率、連続守備機会無失策記録、最高出塁率の記録をそれぞれ持つ三名が生活していることからその名が付けられている。

「相馬さんと引間さんって、球界の大エース相馬雫さんと『鉄壁(ガーディアン)』、引間菫さんですか!?」

「呼んだ?」

「うわっ!?」

 黒髪ボブカットの女性が声に反応して出てくる。

 噂をすればなんとやらで、南の後ろから軽いノリで雫が現れたのだった。

 相馬雫。女性プロ野球リーグを目指す女性選手、そしてリーグ内の誰もが憧れるスター選手。八種類の変化球を使いわけ、「精密機械」と揶揄される優れた制球力と、大きく振りかぶるフォームから繰り出される最速百三十五キロの速球を持つ、女子プロ野球界の誇る大エースだ。

 そして、『鉄壁(ガーディアン)』引間菫。言わずもがな二つ名の通り、守備の上手い選手である。エリーや柚季も当然上手いのだが、菫の守備は、まったく不安を感じさせない。そしてプロに入ってから一度もエラーをしたことがないという、無失策記録を打ち立て、現在も継続中の名手である。

「そ、相馬選手!?」

 憧れの選手に会えたあまりの驚きからか、南は飛び上がりそうになる。そして頭の中からきれいさっぱり菫のことを忘れてしまった。

「そんなに驚かなくてもいいじゃない?」

 心外だとばかりに落胆した顔を見せる雫。もちろんわざとだ。

「でも、まさか後ろにいらっしゃるとは……」

 南も、よもやスター選手が自分の後ろにいるとは思うまい。

「あの、私のことも忘れないで頂けるとありがたいのですが……」

 雫の後ろから、黒髪ストレートの菫が音もなく出て来る。チームメイトですら突然の登場に、驚いてしまうことも多々あったりなかったり。菫の黒髪はしっとりと柔らかく、絹のように滑らかであり、どのように手入れをしているのかと、球界でも専らの噂になっている。

「す、すみません……!」

 先輩に失礼な態度を取ってしまい、南は慌てて頭を下げる。

「……いえ、大丈夫です」

「気を取り直して。よろしくお願いします、雫先輩、菫先輩!」

 南は一つ咳払いをして、挨拶をする。

「よろしくね。南ちゃん」

「よろしく、お願いします……」

「はい!」

 憧れの先輩たちと出会い、これからのチームへの期待に胸を膨らませる南だった。


「全員集合!」

 監督の声に、チームの全員が掛け声とともに整列する。緊張感がチーム全体に伝わる。

「知っていると思うが、我々は去年のペナントレースに優勝している。しかし、去年優勝しているからといって気を抜くことなく、今年も一球団として優勝を目指してほしい。相馬!」

「はい!」

 さっきまでのちゃらんぽらんな感じと違い、一流選手の風格を

漂わせる雫がそこにいた。

「今年の開幕投手はお前だ。気を抜かず調整しろ!」

 キャンプの最終日、全員のいる前での開幕投手の指名。これほど投手にとって緊張する場面もないだろう。

「ありがとうございます!」

 雫は深々と頭を下げ、その開幕投手の役目を承った。戴冠式のように場は引き締まり、練習場には静寂が訪れる。

「南井!」

 監督が今度はチームの正捕手、朱莉を呼んだ。

「はひ……違います、はひぃ!」

「……別に怒っているわけではないんだし落ち着け」

 先ほどまでの緊張感のあるムードが、朱莉のおかげというべきか所為というべきか、失われた。

「は、はい」

「最後の締めを頼む」

「はい!」

 名前を呼ばれたときの頼りない顔とは全く違う、気迫のある真剣な眼差しで、朱莉は整列するチームメイトを見つめる。

その迫力に、気圧されそうになる南だったが、頬を軽く叩き、気合を入れ直す。

「今年も怪我なく、一戦も負けないつもりで優勝目指して頑張りましょう!」

「はい!」

 チームメイト全員が声を揃えて、朱莉の発言に呼応した。


そして、グローリーズ開幕戦。開幕戦はナイターとなった。

相手は昨年優勝争いを演じたマーガレット・ロータス。開幕戦の球場は、去年一位だったグローリーズの本拠地、中央モーニング野球場で行われる。両翼八十メートル、天然芝の球場だ。

「開幕戦を迎えたグローリーズのスターティングメンバ―は、

一番センター 園井

二番セカンド 一之瀬

三番ショート 薮崎

四番ファースト 羽野

五番レフト 引間

六番サード 佐野

七番ライト 望月

八番キャッチャー 南井

九番ピッチャー 相馬

以上のメンバーで行くぞ。異論のあるものはいるか?」

監督が周りを見渡すが、特に意見のあるものは見当たらない。

「では、気合入れて初勝利をもぎ取ってこい!」

「はい!」


「一番。センターフィールダー、園井」

一回表。先攻グローリーズの攻撃。アナウンスが場内に告げられると、球場中が歓声に包まれた。

「参りましょうか」

柚季は打席に立ち、足元をスパイクで二、三度軽く土を整え、バットを一度右バッターボックスのほうに向け、引いてから脇を締めて構えた。

 相手チームのエース、白金(しろがね)(れい)()は最速百二十キロの速球と抜群のコントロール、そしてサークルチェンジ、シンカーを武器にしている。

 麗葉の振りかぶったフォームから、人差し指と親指で輪を作って投げるサークルチェンジが繰り出される。勢いもなく、ゆっくりと打者の視線の右方向へと沈んでいく。

 柚季は、そのボールを何事もなく見逃す。

「ボール!」

 審判が高らかにボールの声を告げ、ワンボール。

 続いて麗葉は人差し指と中指を揃えてボールを握り、回転を賭けて投げるシンカーを繰り出した。直球と全く同じ腕の振りで投げるため、打者からは見極めが難しく、攻略難度の高い投手の一人とされている。

 しかし柚季は、そのシンカーをものともせず、バットをボールの勢いに逆らわないように出して、見事な流し打ちでヒットを生んだ。

「……まあ、出塁率の高い園井さんですものね。切り替えましょう」

 麗葉は、自分に言い聞かせ鼓舞するように、あえて声に出して確認する。

そしてグローリーズの二番、愛は手堅く送りバントを決め、ワンナウトランナー二塁から、バッターは三番である南を迎えた。

「三番、ショートストップ、薮崎」

 アナウンスと共に打席に立ち、スパイクになじませるように、後ろ足で土を掘る。この行為は、軸足を固定するために行う選手が多い。

(ランナーを返すのもそうだけど、できるだけ粘ってスタミナを疲弊させたいな)

 初球は百十五キロのインコース高めのストレートを見逃し、ワンストライク。続く二球目はインコース低めへのサークルチェンジがボール一個分外れて、ワンストライクワンボール。三球目はアウトコースギリギリ一杯にシンカーが決まり、ツーストライク。

南は前の球団に所属していたときより、ツーストライクからの粘りに定評があり、高いミート力を存分に生かしたプレーをする。それはグローリーズに所属して初試合となったこの試合でも例外ではない。

「ファール!」

審判のファールを告げる声も、南には聞こえない。ピッチャーである麗葉との勝負に集中するあまり、周りの声が聞こえていないのだった。

(やはりデータでもらった通り、粘りのあるバッティングを持ち味にしているんですわね。開幕投手にしてもらったのに、一回表で失点するわけにはいきませんわ……)

 心を落ち着かせるため、麗葉はロージンバッグを手に取り、二、三度軽く上に放ってからマウンドに軽く投げた。そして深く深呼吸をし、グローブの中にある自分の球の握りを確認する。

 南も、バットで土を軽く叩き、グリップを強く握り直して構えた。

((次で決める……))

一回表というゲームが始まったばかりのタイミングではあるが、さながら九回裏ツーアウトを思わせる、あまりの緊張感に観客も固唾を飲んで見守る。

 麗葉が振りかぶり、勢いよく投げ放った球は、渾身のストレート。いつものストレートより五キロ速い、魂の籠ったボールだった。

(サークルチェンジかと思ったのに! でも、これなら)

 サークルチェンジ待ちだった南は、体制を崩されながらも、なんとかバットをおっつけて右方向へボールを跳ね返す。

 跳ね返したボールは、ファーストの頭の上を通ってライト方向へのヒットになった。快速を飛ばし、ホームへ柚季が帰ってくる

と思われたが、強肩のライト美馬千佳(みまちか)がワンバウンドしたボールを難なくキャッチし、ホームへ矢のような送球が帰ってきてしまう。流石に俊足の柚季でもホームを狙うのは難しく、三塁で足止めを食らわざるを得なかった。

「四番、ファーストベースマン、羽野」

 芽衣の名前がコールされると、ロータスの外野陣が定位置からかなり後ろのほうに後退した。強打者である芽衣を警戒しての、シフト変更である。

 ワンアウト一、三塁。四番なら絶対決めなければいけないこの場面で、ネクストバッターサークルから、芽衣がやってくる。その眼差しは、獲物を狩る野獣と形容しても遜色ないくらいには、鋭い目つきであった。

(四番の羽野選手は気を付けないといけないですわ……)

 バットを構え、打者を射抜きそうな目で見るその姿は、普段の柔らかい笑みを浮かべると芽衣とは対照的で、到底同一人物とは思えない。

 初球はインコース高めにストレート。ノーストライクワンボールから、二球目も同じコースに今度はサークルチェンジを投げ込み、今度はストライク。ワンストライクワンボール。

(ワンエンドワン、ここは一球置きにいきますわ)

(甘い球で置きにくる……? いやでも)

 真ん中高めにストレート。芽衣は考えが纏まらず、見送ってツーストライクワンボール。

(三振癖のある羽野選手なら、これで三振してくれるはずですわ)

 持ち前のコントロールを活かして、インコース低めぎりぎりいっぱいにサークルチェンジを放り込んだ。

芽衣はストライクかどうか迷ってバットを振った結果、空を掠めて三振。速い球の後の遅い球が極端に苦手という、悪い癖が出てしまう形で、一打席目を終えた。

「ごめんなさい、菫さん……」

「……いえ、構いませんよ」

 菫は芽衣の肩を気にするなとばかりに軽く叩き、素振りを数度終えてからバッターボックスに向かう。

ツーアウト、ランナー同じく一、三塁。一回の表だが、ここで点を取れるかどうかで、チーム全体の勢いが変わってくる大事な場面である。

(ここで一点取るためには……)

 菫はバットを短く持ち、安打を打ちやすく構える。

 初球は、真ん中より少し低めにストレートを投げ込まれ、菫が見逃してワンストライク。

(今日は球も走ってるし、変化球もキレてる……いける……!)

 ブルペンのコーチ陣からの評判もすこぶる順調で、太鼓判を押されて、今日この開幕投手のマウンドに立っている。開幕戦でむざむざと打たれるわけにはいかない。

(ああああああ!)

(何が何でも、打ちます……)

 お互いのプライドを打席に、投球にぶつける。開幕戦の勝利は、チームとしても、一選手個人としても譲れない。

 ど真ん中ストレート、球速は百二十七キロ、麗葉としては最速記録更新である。

 しかし、球が何キロであろうと、そんなことはどうでもいい。この球で三振を取れるかどうかに全てが掛かっている。

 菫はスイングスピードをいつもより早くして引っ張ってレフトの頭上を越えるヒットを狙う。

(……当たってください、当たってぇぇ――ッ!)

 バットを思いっきり振り抜くと、木製バットの乾いた音が――

 しなかった。バットは折れ、ファースト方向へくるくると回転して、ファーストの足元で止まった。

(お願い、落ちてください……)

 打球はレフト方向へ、フラフラっと上がっていく。レフトが追いかけるが、打球の勢いは意外となく、レフトの手前で勢いを失い落ちてくる。

 レフトの高萩(たかはぎ)穂波(ほなみ)は、滑り込んでグラブを突き出し、ボールをグラブに収めようとするが、あとわずかのところで届かず、審判のフェアのコールがそれまで静まり返っていた球場に響き渡った。

 ツーアウトのため、既に三塁を蹴っていた柚季は、悠々とホームインを決める。

 そしてさらに南も、三塁を蹴ってホームへ向かっていた。

 だが、レフトの穂波もすぐさま体勢を立て直し、ホームへと好返球が飛んでくる。ロータスの正捕手、柏木晶乃(かしわぎあきの)が返球を受け取り、ブロックの構えをすると、南も体当たりの構えでホームに入り、両者が鈍い音とともに激突する。

「セーフ! セーフッ!」

 審判の声が再び球場中に響き渡り、会場中が歓喜と落胆という、対照的な反応に包まれたのだった。

南と柚季がユニフォームの汚れを手で軽く払い、ベンチの方向へと向かうと、選手が出迎えてくれていた。

「ありがとうございます」

 柚季は、手を挙げてハイタッチをした――と思われたが、芽衣の胸にタッチしていた。

「ハイタッチならぬパイタッチです」

「寒いわよ、柚季」

 触られ慣れているからか、柚季の胸への攻撃も無視して、芽衣は柚季の手を万歳の形に直して、ハイタッチをする。

「よくやったわね」

「はい。チームのリードオフマンですから、仕事はこなさないといけません」

 なんだかんだ信頼関係が出来ている二人のやり取りに、周囲は生暖かい視線と微笑みを送った。

 このまま勢いに乗るかと思われたグローリーズであったが、切り替えの早い麗葉に、後続の美咲がインコースへのサークルチェンジを振りぬくと、キャッチャーフライを打ち上げ、スリーアウトチェンジとなり、グローリーズ一回表の攻撃は終了した。


その後も切迫した投手戦が続き、五回までグローリーズの取った一点だけがスコアボードに刻まれている。

そして迎える五回裏。雫はここを抑えれば勝利投手の権利を得ることができる、大事な局面である。

「ここを抑えればかなり相手にプレッシャーを与えられるはずです。頑張りましょう、雫先輩」

「ええ。わかってるわ」

 ボールを雫に託すと、キャッチャーズボックスに朱莉は戻って、マスクを被る。ロータスの攻撃は、一番からの好打順。

「一番、ショート、大隅日葵(おおすみひまり)

 相手打者の日葵は、俊足を武器にセーフティバントを多用してくる選手で、昨年のリーグ盗塁数も美咲に次いで二位である。また、それだけでなく選球眼にも優れており、塁に出すと厄介な選手だ。

(初球、内角高めいっぱいにストレートでビビらせましょう)

 初戦においてここまで朱莉のリードは、去年の攻めのリードと違い、保守的でおとなしいリードで試合を運んでいた。去年までと違うリードをすることで、以前までのリードの印象を忘れてもらうという、トリッキーで計算高い策略である。

 そしてそのリードは、大成功を収めた。内角高めいっぱいに決まったストレートで、日葵は仰け反り、雫に対する恐怖心が植え付けられたというわけである。踏み込んでバットを振りにいくと顔や腕にぶつかりかねない。その上、デッドボールに認められない可能性も孕んでいるからだ。

そしてアイドル性も売りにしている女性リーグでは、デッドボールやヘッドスライディングといった怪我そのものや、怪我を招きそうなプレーでアイドルとしての商品価値を落とすことは、推奨されていないどころか、できることなら避けたいという経営陣の考えがある。もちろん野球選手として怪我を避けたいという考えもありはするが。球団によってはそういったプレーをした場合に、年棒を減額されるケースもある。

「ストライク、バッターアウト!」

 結局日葵は三振に倒れ、後続も雫の多彩な変化球による変幻自在の投球と、冷静沈着かつ攻撃的なリードの朱莉のコンビネーションで三振とセカンドゴロに打ち取り、五回の裏の守備を終えた。

「サンキュ、朱莉」

「いえ……。上手くいってよかったです。それに雫さんも、いいボールでした」

 二人はがっちりと握手を交わし、お互いの健闘を褒めあった。


そして迎えるは最終回、九回裏。ブルペンに電話が入ると、肩を温めていた恭子がコーチに呼び出され、登板の旨を告げられる。いつもの幼女的言動が一瞬だけなりを潜め、覚悟を決めた表情になった。

そして、マウンドには、リリーフカーで悠々と登場した幼女……ではなく、このチームの守護神である白波恭子の姿があった。

「調整ばっちしだよ!」

「それは頼もしいです、恭子先輩。いつも通り三人でぴしゃりと抑えてしまいましょう」

「うん!」

 数球の投球練習を終えて、深呼吸をする。

(今年もまた、この舞台でお客さんを魅了することができる)

 恭子は、見た目やアイドル性を目的としてくる観客を、自分やチームのプレーで虜にさせて、野球の魅力を知ってもらいたい。女性プロ野球界を賑すような選手になってくれるのも良い。そういった信念のもと、恭子は数年間選手として血の滲むような努力を重ね続け、いくつものチームを渡り歩いてきたのだ。

ロージンバッグを手に取り、軽く手で握って滑り止めにしたら準備完了。

ロータスの打順は四番の滝川(たきがわ)宏美(ひろみ)から。宏美は長打力に加え、ミート力にも優れた好打者である。

恭子は振りかぶると、その小さな背丈からは想像できない大きく曲がるカーブで、初球はストライクを取る。

 恭子の最高球速は百二十五キロと女性選手の中では平均的で、守護神としては遅めである。大体他チームの選手では、百三十キロを超す選手が務めていることが多い。

 恭子のその守護神たる所以は、決め球の存在である。先ほどストライクを取った、大きく曲がるカーブだ。打者の出したバットの大きく下に落ちていくその軌道は、打者からすれば消えていくような錯覚に陥るため、驚異的である。さらに、投球動作(リリース)がストレートと全く同じであること、球速がさほど変わらないことなどから、打ちづらくなっている。さらにフォークやスライダーなども持ち球としていて、狙いが絞りづらくなるように工夫している。

 二球目。真ん中高めのストレート。

(これは置き球だし、振ってきても変なコースにはいかないようにコントロールできた!)

 しかし。自信を持って投げ込んだストレートを、宏美は待っていたかのように、センター方向へクリーンヒットを打った。

(見破られてたかな……? まあランナー一塁だし、まだ気にしなくても大丈夫!)

 五番バッターは原田紗(はらださ)()。宏美に次ぐ長打力と、五番としては珍しく快速を備えた選手である。

 謎の自信に満ち溢れた恭子は、朱莉のサインがアウトコース低めへフォークであることを確認して、球をリリースした。

――しかし。

 うまく力が伝わらなかったため、フォークが抜け球となってど真ん中に向かってしまう。

(万事休す……!)

 紗季は宏美と同様にセンター方向へ球を弾き返した。後ろを振り返った恭子は、もう打球が捕れないであろうことを確信し、本塁でのクロスプレーに備えて、バックネット方面へベースカバーへ向かおうとしたその時。

「アウト!」

 審判がアウトのコールをした。ショートの南がボールに懸命に飛びつき、グラブの中に捕球したのだ。そのまま南はランナーが飛び出していたファーストへボールを正確に送球。難なく芽衣が捕球し、見事なダブルプレーが完成した。

「ツーダン(ツーアウト)です、恭子先輩! あと一人で開幕戦勝利ですよ!」

 南はグラブをポンと軽く叩き、恭子を励ます。

「ありがとね、南ちゃん!」

「いえ! お褒めに預かり光栄です!」

 南はおどけて恭子に向かって敬礼をして、場を和ませる。

「あはは、なにそれ」

 恭子は南の敬礼に思わず笑う。すると、なんだか緊張していた体が、弛緩(しかん)したような気がした。

(初戦で体が硬かったのかな。なんにせよ、南ちゃんありがとう)

六番、一条茉子(いちじょうまこ)。走攻守全て平均的な選手だが、流し方向へのバッティングに非常に秀でている選手だ。

初球は内角のボールコースから大きく曲がるカーブでワンストライク。二球目は、外角高めへストレート。茉子は見逃して、ツーストライク。

(ここはカーブで三振を取ります、恭子先輩)

(了解だよ!)

 三球目は、カーブを外角低めに決め、空振りを取って試合終了。

開幕戦は、グローリーズの勝利となった。


 開幕戦に勝利したグローリーズメンバーは、祝杯をあげるため、居酒屋に来ていた。監督が予めポケットマネーで店を貸し切りにしていたため、ファンが押し掛けてくるなどの混乱などは起きずに済んだ。

「……というわけで、グローリーズ開幕戦勝利を祝して、僭越ながら私、南井朱莉が務めさせていただきましゅ!」

「また噛んでますよ、朱莉先輩」

 楽しそうにグラスを持って笑いながら、芽衣が指摘する。

「ご、ごめんなさい、芽衣ちゃん……」

「いえ、別に謝らなくていいんですけど……」

 深々と謝られると、むしろ芽衣のほうが悪いことをしたような気分になってしまう。

「まあ、とにかく祝杯をあげましょう」

 雫が仕切り直し、朱莉が再び挨拶をする。

「では、グローリーズ開幕戦勝利を祝して、かんぱーい!」

 朱莉の乾杯の合図と共に、雫がジョッキに入っていたビールを一気飲みした。危ないのでやめてくださいと周囲の選手は言うのだが、これがないと試合が終わった気にならないとのことで、最早選手たちは諦めている。

「菫、飲んでるかーい!」

「あ、はい……」

焼酎のお湯割りをちびちびと飲んでいた菫に絡んでいく雫。これでもチームの最年長者である。

「飲みすぎじゃないですか? ……まだ一杯しか飲んでないみたいですけど」

 ビール中ジョッキを飲み干して酔うのが、球界の大エース相馬雫である。お酒に強そうなイメージがある、と他球団の選手からは専らの評判なのだが。理想と現実は違うということがはっきりとわかる一幕である。

「うるせぇ! 酒持って来い、酒ぇ!」

「いつものことながら、たった一杯で悪酔いしちゃいましたね……。朱莉ちゃん、お願いします」

「はい」

 朱莉は何の迷いもなく、雫の頭へ置いてあったお冷をぶっかけた。

「つ、つめたっ!? 何するのよ、朱莉!」

「いつものように酔ってらしたので。すみません」

 雫が酔い、朱莉が手近なところにある水を頭の上からかけて酔いを醒ますというのが、飲みの席での一連のお約束のようなものになっていた。

「……まあ、私が悪いか」

 一杯飲むと酔ってしまうことを知っているのに、やめようとしないのは、お酒を飲むことで選手ともっと心の深いところで交流できるだろうから、と雫は言っていた。それでも、一向に酒に慣れる気配はないが。

「酔いも少し冷めたし。南ちゃん」

 雫は、菫と同様ちびちびと飲んでいた南に話しかける。

「はい?」

「最後のあのプレー、すごかったね」

「いえ、全力を出した結果がよかっただけですよ」

「またまた、謙遜しちゃって」

 雫はこいつ~とばかりに指で南の頬を突く。

「謙遜はよくないですよ、南さん」

「ひゃあっ!?」

言葉と共に柚季が南の胸を揉み始める。背後に近寄ってくるまでに一切の物音を立てず、気配を消していた柚季は、さながら忍者とでも形容できるだろう。

「……その人のやっていることは問題ですが、そうですね。自信を持っていいプレーだと思いますよ。それに、あなたは六年間もプロ生活を続けているじゃないですか」

 柚季をジト目で見ながらいう菫に、南は少し思案顔をしたあと、口を開いた。

「まだまだだと思うんです。それに、この球団に来てからはまだそんなに経っていませんから」

「……そうですか。でも、今日のプレーは素晴らしかったです。この褒め言葉だけは受け取ってください。じゃないと私、悲しいです……」

 泣く素振りを見せる菫。もっとも、誰が見ても嘘泣きとわかっている。ただ、この歳を感じさせない、可愛い仕草をした菫に、周囲は「魔性の女」の片鱗を感じた。

「……わかりました。ところで、柚季さんはいつまで私の胸を揉んでいるんですか?」

「本能です。私は気づいたんです! 小ぶりながらも形のいい胸、揉み心地のいいキュッと締まったお尻。全てが完璧なんです」

 柚季は、南の体つきの魅力について力説する。

 柚季は感触を思い出し、そこにさも実物があるかのように再現しようと努力していた。何やってんだこいつ、という目でチームメイトたちが柚季を見た。

「私、揉んでいいなんて言ってないですよ?」

 正常な判断力を持つ人なら、許可を出すはずなどない。たとえ酔っていても許可を出さないかもしれない。

「……そこに完璧な体があるから、ですかね」

 柚季は何故か勝ち誇ったかのようなドヤ顔をしているが、南にはまるで理解できなかった。さらに言えば、する必要もないと考えた。

「何言ってるんですかこの人」

「さぁ……?」

 最年長の雫にも理解しがたい柚季の言動だった。

「ね、そんなことよりさ。ボクと三遊間の守備連携の練習しない?」

 ぴょこっと飛び跳ねそうな勢いで、それまでの流れなどなかったかのように美咲が話しかけてきた。チームメイトとしては、柚季のセクハラから話を逸らせることができるので、非常にありがたいことである。これも、チームのムードメーカーたる美咲の、敢えて空気を読まない行動が功を奏している結果だ。

「いいですね」

 南としては特に断る理由もない。むしろ、チームのためには願ったり叶ったりである。

「考えたんだけどやっぱり、ボクはもっとライン寄りに守りたいんだ。南ちゃんには負担をかけてしまうlことにはなるのはわかってるんだけど」

 ホットスポットであるサードには強い打球が飛んできやすい。サード強襲やライン際の打球を捕球しやすいようにするために、身振り手振りを交えながら、美咲が説明する。その身振り手振りの様子からは、元気いっぱいで一所懸命な様子が感じられる。

「つまり、私が三遊間を少し広く守るって感じですかね?」

「そうだね。ボクはライン際の打球とかサード強襲の打球を捌く感じで。さすがは去年のゴールデングラブ賞だね!」

 よくわかってくれたと、美咲は満面の笑みを見せて南に抱きつく。南は去年のゴールデングラブ賞で、トレードで来るとわかってから遊撃手組は気が気でいられなくなり、ほかのポジション組は、戦力増強に心を躍らせたという。

「私も混ぜていただけませんか? ショートの中継についてのお話なのですが……」

「でしたら、南先輩と二遊間の守備についてお話をしたいんですけど」

「あの、守備連携でしたらキャッチャーである私を混ぜないと問題があると思うんです……」

 続々と興味を持った選手たちが守備連携について話を始めたため、傍観していた雫、芽衣、菫が話の輪に入らずにテーブルに残る。

「まあ、野球大好きだし。いつも通りよねえ」

「そうですね。うちのチームらしいと思いますよ」

「……ええ、そうですね」

 守備連携の話に花を咲かせる野球乙女たちを見て、酒の肴にする三人であった。

なお、柚季は十分ほど反省のため後ろ手を縛られていた。


 シーズンも半ばに突入した頃、南が練習場でストレッチをしていると、愛が雑誌を片手に忙しなくやってくる。

「どうしたの、そんなに慌てて?」

「見てください、この記事!」

 芸能人でも結婚したのかな? と思い、南は軽い気持ちで雑誌に目を通す。

 そこには、引間菫引退! という見出しが一面で取り沙汰されていた。さらに写真には、恋人と思われる男性や、結婚の話が記載されていた。

「どういうこと!?」

「それは私にも……」

「そうだよね。菫先輩に聞きに行こう!」

 本人がいるわけだし、それが一番だということで、早速二人は菫の基へと向かった。

「菫先輩!」

「どうしたんですか……?」

「この記事! どういうことなんですか!?」

 記事を見せると、菫は合点がいったように頷いた。

「その記事は、嘘なんですよ」

 菫の言葉に、安堵した南はその場へへたり込んだ。

「よかったです」

「ただ、迷っているのは事実です」

「えっ」

 唐突な展開に、南は顔が百面相状態になってしまっていた。

「私事で申し訳ないんですが、今私には恋人がいるんです。その方と、結婚を考えているんですよ」

「……じゃあ、引退は間あながち間違いとはいえないんですね!?」

「そう、ですね。迷っていて、相手の方にもそろそろ答えを、とも言われていますから……」

 菫が、彼との話を思い出しているのか、いつも以上に優しげな笑みを浮かべる。幸せな笑顔に南は、どうしていいかわからなかった。女性としての幸せを取るのか、それとも一プロ野球選手として、さらに野球人生を歩むのか。これは、当事者にしか出せない選択だ。

(そうだよね、私たちはそういう幸せを掴むっていう可能性もあるんだよね……)

「答えを出したら、南ちゃんにも言いますから」

「はい!」

 ともかく、今は真摯に野球に向き合うしかない。そう思い、練習に打ち込む南だった。


 このリーグには、アイドル性を前面に押し出し、野球にはなさほど力を入れていない球団がある。それが本日の対戦相手、アンリアル・マトリカリアズだ。

選手は全員メディアへの露出を意識してメイクやアクセサリーにお金をかけていて、主にそちらの面で受けている。

ラッキーセブンのパフォーマンスでは、選手自らがチアガールや水着などに扮して踊ったり、ポーズを取ったりする。

(やっぱり、いつ見ても慣れないなあ……)

 南は、マトリカリアズを見て思う。

「ありがとうございましたー!」

 ラッキーセブンのパフォーマンスが終わると、観客の数名が帰り始める。最初から試合などどうでも良く、このパフォーマンスを見に来る人や、試合前の握手会などに訪れるだけといった人も、この球団との試合には存在する。もっとも、球団の経営方針そのものなので、上層部は問題にさえならなければ咎めたりなどはしない。

(残ったお客さんには野球を楽しんでもらわないと……!)

 一塁側スタンドを見ると、特定の客は遠目でもわかるくらいには、グラウンドで行われているプレーを見ていない。見ているのは、スマートフォンの画面か、ベンチにいる女性選手だった。もちろん熱心なファンもいることにはいるのだが、一部のそういった面々のせいで、風評被害を受けているのも現状である。

「アウト!」

 最終回。恭子がファーストゴロに打ち取り、ゲームセット。勝利したグローリーズは、シンデレラインタビューとなる。通常男子プロ野球ではヒーローインタビューと呼ばれるが、ヒロインインタビューは語呂が悪かったため、協議の末シンデレラインタビューが採用されている。

「放送席、放送席、シンデレラインタビューです。本日のシンデレラはこの二人! 最終回をビシッと三人で抑えた白波恭子選手と、先制タイムリーヒットを放った佐野美咲選手にお越し頂きました!」

 アナウンサーが今日のシンデレラの名前を告げると、内野スタンド前に設けられたお立ち台に、二人が登場する。

観客席からは割れんばかりの歓声が起こり、オーロラビジョンには、恭子と美咲の二人が大きく映し出され、そちらに注目するファンもいた。

「見事なタイムリーヒットでしたね、佐野選手!」

 アナウンサーが美咲にマイクを向け、今日の活躍について尋ねる。

「ボクは適当にバットを振っただけだったので、まさか当たるとは思わなかったです!」

 その発言に、観客席が笑いに包まれる。美咲がお立ち台でシンデレラインタビューを受ける際は、いつもこういった雰囲気だ。

「さすがは守護神といった感じでしたね、白波選手」

 美咲の時と同様にマイクを向けるが、身長が低いためアナウンサーは苦しそうな体勢になる。

「当然! 私、チームの守り神だし!」

 当然といった感じのドヤ顔をする恭子。

 そして、熱狂的なファンの声援が音の雨となって恭子に降り注ぐ。恭子はその声援に満足そうな顔を見せた。

「今年はタイトルを狙っているんですか?」

「ボクは、今年も盗塁王を狙ってます」

「私も、最多セーブを取りたい!」

「お二人とも、流石といった感じの目標ですね。これからもチームのために頑張ってください! 以上、シンデレラインタビューでした!」

 アナウンサーがインタビューを締めると、球場にいる観客に手を振り、観客へのファンサービスを欠かさない二人だった。


 シンデレラインタビューを終えたグローリーズの面々は、ファンに手を振りながらグラウンドを後にすると、備え付けられた更衣室へ向かう。シャワーも併設されているため、選手は全員汗を流してから寮に帰っている。

「今日も勝てましたね」

「胸を揉むのはやめて」

 柚季は更衣室で芽衣の胸を揉みながら言う。芽衣本人に注意されているのにも関わらず全く動じない柚季に、南は若干尊敬の念すら覚え始めた。

「今日の美咲さんのヒットはすごかったです」

 朱莉が、今日の先制タイムリーを打った美咲を褒める。褒められた美咲は、恥ずかしさと嬉しさが混ざった笑顔になった。

「そうかな。ボクはもう、とりあえず当たればいいくらいの気持ちだったんだけど」

 美咲は照れくさそうに頭を掻いた。マトリカリアズもアイドル性を売り出し、野球にはそこまで力を入れていないのは事実でもあるが、プロの体裁を保つためか、一応実力のある選手も存在しているため、リーグの中では強いチームであった。

 特にエースの篠崎(しのざき)菖蒲(あやめ)は、その出るところは出て、締まるところは締まっている抜群のプロポーションと、絹のように滑らかな黒髪を持ち、実力、容姿ともに大人気の選手である。

最速一三十五キロを誇る、球質の重い速球と、大きく落ちるパームボールが武器の、球界でも屈指の選手である。他球団からは何故マトリカリアズに所属しているのか疑問に思われているほどだ。

「ストライクゾーンギリギリのパームをセンター方向にクリーンヒットですよ? 思わず身を乗り出しそうになりましたよ」

「ありがとう、ボクもまさか打てるとは思わなかった……って痛い、シャンプーが目に入った!」

 かっこいい活躍だけでなく、オチを付けてチームを盛り上げるのはムードメーカーの鑑だろう。


 そんな中、柚季はいつも通りであった。

「シャワーですよ! 芽衣!」

「だから揉むのはやめてっていってるじゃない」

シャワーに入ると、柚季が先ほどにも増してテンションが高くっているのがわかる。数分ほど芽衣の胸を揉んでいたが、その芽衣の胸を弄ぶのに飽きたのか、次の獲物をエリーに定め、一直線に向かった。芽衣からすればありがたいことだが、他のチームメイトはいつ自分に来るかと戦々恐々としているものが数名いた。

「あら? 柚季さん」

「えっへっへ、エリーちゃんの大和撫子おっぱい頂きました!」

「ダメすよ、柚季さん。いつも言っているではないですか。女性の胸は軽々しく揉むものではないと」

 めっ、と子供をあやすように注意するエリー。エリーは柚季より年下なのだが、これではまるでどちらが年長者かわからない。

「そんな堅いこと言わないでくださいよ、減るものじゃないでしょう?」

「……もういいです」

 咎められても全く気にすることがない柚季に、エリーは呆れて注意することをやめた。頻繁にやり取りされるため、周囲の人物としては日常茶飯事になっている。

「でへへ、このアメリカナイズドされた大きくも張りのある爆乳は堪りません……」

柚季はとても若い女性とは思えない、中年エロ親父のような言動をする。女性としてこれでいいのだろうかという視線が数人から送られた。

「や、やめっ……」

「やめませんよ、ここなんかどうです?」

 指を巧みに操り、柚季はエリーの胸を嘗め回すように揉んでいく。

「くぅ、あっ……」

「ほらほら、どうですか?」

 その指は、エリーの予想を超えた速度で胸を弄ぶ。手のひら全体を使い、その豊満な巨乳を自在に変形させる。

「んっ……」

 少し艶めかしい声がエリーの口から出てきて、周囲もざわつき始めてしまう。

「やめんか」

「はう!?」

 芽衣が頭をチョップで叩くと、柚季の動きが壊れた某犬型ロボットのように止まった。


グローリーズの面々は、シャワーを浴び終えてユニフォームから私服に着替えると、迎えに来た寮のバスに乗り込んで帰る。

 アスリートと言えど女性なので、集団とはいえ疲れた状態でそのまま歩いて帰らせるわけにはいかない。そういった観点からアフターケアもしっかりと行っているのが、グローリーズだ。

また、そういった選手への対応がきちんとしているのも、テレビやネット等で、アイドル性を押し出して露出していることから予想される事件などへの対策である。予算のあまりないチームでも、選手への対応は徹底しており、リーグが選手に信頼されている所以だ。


寮へ着きバスから降りると、管理人さんが笑顔で迎えてくれる。

「おかえりなさい! さあ、温かいご飯できていますよ。是非どうぞ」

「わーい! ごはんごはんー!」

 恭子が一目散にダイニングへと向かうが、管理人さんに止められる。

「手を洗ってきてください」

 にこにことした一見普通の笑顔のなのだが、いつもの管理人の笑顔と違い、どこかプレッシャーのようなものが感じられた。

その圧に耐えられず、恭子は洗面所へと向かい、丁寧に手を洗って戻ってきた。それに続いて、各々が洗面所へ絵と向かい、手を洗いダイニングへ入る。するとそこには、大きなテーブルに所狭しとバイキング形式で並べられた料理の数々があった。

「……おいしそうな香りがして食欲をそそられるのは確かなんですが、相変わらずすごい量ですね」

 料理が並べられた壮観な光景を見て、菫は静かに感心する。

「こんなに豪勢な料理なんて、今日はいったいどうしたんですか?」

 訳も分からず、南は首を傾げる。確かにチームのメンバーに

なってそれなりの時間が経過したが、まだまだ知らないことの方が多いのだ。

「今日は恭子先輩の誕生日なんですよ!」

 愛が、自分のことのように嬉しそうに言う。一方、誕生日であるはずの恭子は、先ほどまでの嬉しそうな笑みが失せ、死んだ魚のような眼をしている。

それもそのはず、今日で恭子は三十路の仲間入りを果たしてしまったからである。

「うわーん、忘れてた! 全然嬉しくないよー!」

 至極当然な話なのだが、女性にとって三十路になることが嬉しいことはない。肌荒れが酷くなったり、ハリやツヤがなくなったりとそれはそれは恐ろしいことになることが一般的に知られている。

「まあそう言わずに、三十路同士仲良くやりましょうよ?」

「やだー!」

 雫が肩に手を置くと、恭子は体をジタバタさせて嫌がる。その姿はいつも以上に幼女の行動を思わせ、雫と同様に、到底三十歳の女性とは思えない状況であった。

「まあまあ、美味しいケーキもありますから」

「ケーキ!? 食べる!」

 ケーキと聞いた途端、恭子は目を輝かせる。コロコロ顔色を変える上、言動からは三十路らしい落ち着きがないため、その本人の魅力でもある幼女らしさにますます磨きがかかってしまっていた。


管理人の作る料理は、普段から女性プロ野球界でナンバーワンとの呼び声が高い。そんな中で寮の住人のため、いつもより気合を入れた管理人の料理は、普段とはわけが違った。

 バイキングの料理は、唐揚げや卵焼きといった基本的なものから、本格中華やフレンチにも引けを取らない、炒飯やヴィシソワーズなどが並べられている。

 各々が好きな料理をプレートへよそい着席すると、開幕戦の時の挨拶のように、朱莉が号令を取ることとなった。

「僭越ながら、私南井朱莉が音頭を取らせていただきましゅ! あうぅ、また噛んじゃった……。……おほん、気を取り直して、恭子さんの三十歳のお誕生日、おめでとうございます! 乾杯!」

 いつも通り噛んでしまう朱莉に、全員が優しい笑みを浮かべる。その柔らかな雰囲気のまま、朱莉が音頭を取った。

「乾杯!」

 朱莉のいつもより大きな声が部屋に響くと、手に持ったコップを掲げて、南たちは恭子とカチンと小気味のいい音をさせて乾杯する。

「ぷはー! やめらんないね、この一杯は!」

 見た目から想像出来ない親父臭い言動をする恭子。恭子がお酒を飲むときは年齢確認などの面倒が起きないように、他の誰かが買ってきて、ダイニングや部屋で飲むというスタンスになっている。


 そして管理人が作った料理に、グローリーズ一同は舌鼓を打つ。

「この炒飯、お米がパラパラしてて美味しい!」

 南はその炒飯の出来に、思わず料理漫画張りに立ち上がりそうになってしまう。

 わざわざ本格的な中華鍋を購入し、鍋を振るうためにトレーニングを欠かさない管理人は、管理人ではあるが料理人の鑑である。グローリーズ一同の寮への満足度の高さは、この管理人がいてこそだろう。

 そのトレーニングの甲斐あってか、炒飯はパラパラに仕上がっていた。

「はふっ、あひゅいけどおいしい!」

 美咲が口いっぱいに炒飯を頬張り、リスのような状態になってしまっていた。美咲の隣では、愛も同様に無言で炒飯を頬張っていた。普段大人しい愛をも、食事へ虜にしてしまう。管理人、恐るべしといったところだろう。


「よいしょっと」

 料理を口にするのをいったん止めて、南はグラスを片手に、二人で飲んでいた雫と恭子のもとへと向かう。

「ん? どうしたの?」

「いえ、せっかくなので先輩方に聞いておきたいことがあって」

「お、真剣な顔だね。恭子」

「うん」

 恭子は、先ほどまでの幼げな表情から、真剣な顔になる。

「雫さんや恭子さんがプロになった頃って、女子プロ野球はどんな立ち位置だったのかなって思って気になって、聞きに来ちゃいました」

南は、場が緊張感を持ちすぎないようにおどけてみせる。気休め程度であり、あまり意味がないかもしれない。それでも、大先輩二人を相手に話をしようとしているのに、固まってしまっても仕方ない。

「……そういう話か。少しばかり長くなりかもしれないけど、いい?」

 話し始める前に、雫は南へ確認を取る。それだけ女性リーグの歴史に様々なことがあったのを、雫の様子から察することができた。

「構いません」

 南は、覚悟を決めて両手を固く握りしめた。

「女性プロ野球リーグが出来たばかりのころは、恐らく南も見ていたかもしれないけど、好奇の視線に晒され続けてきた」

 連日テレビで取り沙汰され、面白可笑しく報道されたりもしたことが、かつて発足した時期に存在した。雫や恭子がプロ野球選手になったのも、この発足してから数年後の、偏見がまだまだ続いていた頃だ。

「最近はほとんどなくなってきたように思うよ。まあマトリカリアズのようなチームはまだ存在してるけど、以前よりパフォーマンスが過激ではなくなっているしね。ねえ、雫?」

 昔を懐かしみ、手元のワイングラスを傾けながら恭子がそういうと、雫も一度深く息をつき、オレンジジュースを一気に流し込んだ。

「そうね……。マトリカリアズは昔、水着グラビア撮影会とか、テレビではドキッ!? ポロリもあるよ、女子プロ野球選手だらけの大運動会とか、他にもアダルトビデオ紛いのビデオを出していたこともあったわね」

一部の選手たちが出演したのはイメージビデオであった。流石に女性プロ野球選手が大手を振って、知名度向上や資金獲得のためといえど、そういったビデオに出るわけにはいかなかった。そこで一部の役員たちが推し進めたのは、イメージビデオだったのだ。それならば、疑似的な行為だけであり、直接的には体を露出するわけではなく、不利益な点は少ないということで、いくつかの作品が発売された。

「そのビデオがね、とにかく売れたの。数十万だったかな? 波のグラビアアイドルなんか目じゃないくらいにね。なんで売れたのかは、よくわかってないみたいだけど、多分話題性と、プロモーションが上手だったんだろうね。皮肉にも、それでお客さんも増えたよ」

雫は苦い顔をして、再びオレンジジュースを飲む。口の中に甘みは広がるが、あの時心に刻まれた苦い気分が晴れるわけでもない。

「私はそれがエスカレートしてアダルトビデオに出た選手もいたとか聞いたな。まあ実際のところわからないんだけど」

 恭子はワインの入ったグラスを見つめながら、事実を淡々と言う。もちろん恭子としても納得のいくところではない。ただ、事実は事実として受け止めなければならない。流石は球界発足当時から活躍している、リーグを代表する守護神と言うべきか、ドンと構えた態度だった。

「……そうなんですか」

 南は、少し気分が落ち込んでしまう。

「でもさ。南ちゃんたちの時代には少なくなっていってるじゃない? ってことはさ、これからはもっと少なくなるはずだよ」

「そうそう。気にせず野球を楽しもうよ!」

「先輩方……ありがとうございます! ちょっと外走ってきますね!」

 先輩二人のフォローに、南は気が晴れた。南は更にこの気分を吹っ切りたいということで、外を走ることに決め、颯爽と寮を後にした。

「おー、行ってらっしゃい。若いねえ」

「私たちは歳だしねえ。もうあんな事できないよ」

「ところでさ」

「何? 雫」

「……あの子、お酒入ってるけど大丈夫かな?」

「あー、うん。まあ走るだけだし、大丈夫でしょ」

「「……とりあえず、飲むか」」

 二人は飲んで忘れることにした。


 南は、走り込みの休憩で立ち寄った公園で、大声で話している男たちの声が耳に入った。

「あのキャッチャーの子、いいケツしてるよな。犯したいわ」

「わかる、インタビュー見てるとおどおどしてるし、犯すと泣き叫びそうで興奮すると思うわ! 大体さ、未だに俺思うんだよね、女が野球をするなんておかしいってさ」

 一瞬男たちが何を言ったのか、南には理解できなかった――いや、したくなかったのだろう。

「わかるわー。野球は男のスポーツじゃん? 女が割って入ってくんなよって感じだわ。でも、喜んでネタにはさせてもらうけどな!」

「言えてるわー!」

下卑た笑いを隠そうともしない男たちを見て、南は思わず走り出していた。

そして、行く当てもなく走った南は、周囲のことなどどうでもいいというように、大声で叫んだ。

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! ふざけるな!! 私たちがどんな思いで野球をやっているかも知らないくせに!」

変えようのない、生まれ持ってしまった性別。リトルリーグ、中学軟式、高校野球、大学。野球をやっていく上で、いつだって障害として行く先を阻んだ。女子プロ野球リーグという、閉鎖された空間であるならば、文句は少なくなるだろうし、そういった好奇の目線に晒されることは少なくなる。南はそう思っていた。

しかし。マルカトリアズの件、そして今の男たち。少しは先輩たちとの会話で払拭できていたはずの、女性プロ野球界への好奇、偏見の目は、やはりなくなっていなかった。

目の当たりにしてしまうと、嫌でも事実として認識してしまう。


「私は、なんで、野球を……」

それ以上は、言葉にならなかった。


 翌日、グローリーズの試合がそろそろ始まろうかという時刻になっても、南は姿を現さなかった。

「誰か、南ちゃん知らない?」

「……来ていないんですか?」

「菫。そうなのよ、全然姿が見えなくって」

「心配ですね……」

 結局試合になっても、南が来ることはなく、しばらく登録抹消ということになった。


「はぁ……」

 南は、ここ数日どうにも気が晴れないうえ、ため息が止まらない。球団に無断で試合を数試合欠場しているのも、気にならないほどに、先日の男たちの言葉が刺さっていた。

「野球は女のやるスポーツじゃない、か……」

 確かにそうなのかもしれない。弱気な思考が、南の頭の中に渦巻いて、気は重くなるばかりだ。

「気分転換しよう……」

 向かったのはバッティングセンター。フラっと立ち寄った場所にも、野球が関係しているあたり、彼女は野球と切っても切り離せない人生を送っていることがよくわかる。

(とりあえず、百三十キロ、変化球混合のレーンかな)

 入ろうとするが、先客がいたので、備えられているベンチに座って、先客のバッティングを見る。

(わあ、よく飛ばすなあこの子。中学生くらいだけど、センスがある)

 プロの観点から言っても、素材は十分過ぎるほどのものがあった。やがてその中学生がプレイを終え、レーンから出てくる。

すると、南の顔を見るなり、一目散に駆け寄ってきた。

「薮崎南選手ですか!?」

「あ、はい」

 勢いに気圧される南。愛の時のような状態だ。

「私、南選手の大ファンなんです! ポジションも同じで、プレーも参考にしてるんですよ!」

「ありがとう……」

「せっかく会えたので、サイン良いですか!?」

「うん」

「わああ~! ありがとうございます!」

 自分のサインでここまで喜んでくれる子がいるなんて。南はそんなことを思ってもみなかった。こんな純真無垢な子のために、何かできないだろうか? 南に思い当たることは一つしかない。

「よかったら、少し教えてあげようか?」

「いいんですか? ありがとうございます!」

 本来なら危ないのでやってはいけないが、フォームチェックということで、関係者に許可をもらい、一緒にバッティングケージの中に入って、彼女のバッティングを見る。

「いいね! でも、もっとコンパクトに振った方がヒット性の当たりが増えるよ」

「やってみます!」

 女の子が言葉通りにコンパクトなスイングを意識して振ると、先ほどよりヒット性の当たりがかなり増え、目に見えた結果になった。

「そうそう、いいよ! 次はね……」

 そうして彼女に指導しているうちに、南は思い出した。自分もこうして、プロのプレーを見たり、体験教室で指導を受けて、野球の楽しさを知って、プロになることを決意したことを。

(野球って楽しい。きっと、それだけでいいんだ)

 南は知る。それはきっと、一番大事なこと。忘れていけないこと。

 南は、満足感を得て、女の子の指導を終えるのだった。

「今日はありがとうございました!」

「ううん、こっちこそ!」

(そうだ、私はプロ野球選手! 夢を与えるんだ!)

 

球場に向かって試合へ挑む前に、一度シャワーを浴びてこようと、南は寮へと帰宅する。

 部屋へ戻ると、南はふと思い立ち、テレビを点けニュースを見てみる。

(でも今頃、グローリーズの人達、怒ってるだろうな……。クビかも)

 やる気を取り戻したのはいいが、数日も試合をすっぽかしてしまっている。プロとしてあるまじき行為だ。ファンも怒っているのではないか、という気持ちになってしまう。

「本日も、グローリーズ所属の薮崎選手への応援が続けられていいます! 球場は超満員! 外にも観客が横断幕を持ち、薮崎選手の帰りを待っています!」

 テレビの画面には、南を待ち続けるファンの姿があった。それを見た南っは、すぐさま意識が研ぎ澄まされた。

「……私を待ってくれてる。行かなくちゃ……」

 手早くシャワーを浴び、外に出て、タクシーを捕まえて球場へ向かう。一刻も早く、球場へ着いてファンの声援に応えたい。そんな気分だった。


 球場に着くと、薮崎南を待つファンで球場は埋め尽くされていた。

「南ちゃん!」

 そこへ、菫がいつもより大きな声をあげて現れた。試合前は毎回こうして南のことを探していたのだ。

「菫先輩!」

「すみませんでした!」

「……どうして謝るんですか? 私の不用意な一言が、いけなかったんですよね? 引退なんて言うから」

 南が試合に出なくなったのは、先日話した結婚の話が原因ではないかと、菫はずっと感じて、気にしていた。

「そんなことないです! でも、私、野球をやりにここに来たんです! 後のことは球場に入ってからでいいですか!」

「……そうですね」


「すみません! 薮崎南、ただいま戻りました!」

「南ちゃん! よかった、どこ行ったのかと……」

「しばらくしても帰ってこなかったから、私たちのせいかと思っちゃったりもしたし」

 恭子と雫が、心配して辺りを探し回ったのも、一度や二度ではなかった。昔のあまり良くない話をしたばかりに、野球が嫌になって試合に出なくなったのではないか、そう責任を感じてしまったのだ。

 その後も、チームメイトたちに、心配されていたことを告げられ、温かいチームに感謝にするばかりの南だった。

「監督! すみませんでした! プロとしてあるまじき行為であり、クビだとは思うのですが、お願いします! 野球をさせてください!」

「……どうした、何突っ立ってる。早く準備して出ていけ」

「監督!」

 雫が間に入ろうとするが、南は動じなかった。

「わかりました。覚悟はしていましたから」

 荷物を纏め始める南に、監督は声を掛ける。

「違うだろ、ユニフォームに着替えろと言ってるんだ」

「……監督」

 南の険しかった顔が、明るく変わるのを見て、監督の顔と言葉も優しくなった。

「早くしろ。間に合わなくなっても知らんぞ」

「はい!」

 さあ、野球の時間だ。


 試合は、南が五打数四安打一本塁打三打点の大暴れ、快勝だった。

「今日のシンデレラインタビューは、久しぶりの試合出場、薮崎南選手です!」

「ファンのみなさん、心配をおかけしてすみませんでした! これからも、グローリーズの一員として、頑張っていくので今一度よろしくお願いします!」

 大歓声が沸き、シンデレラインタビューが終わってもファンは南の名前を呼んで、球場で応援歌を歌っていた。


 試合を終えた南が、走り込みをしていると、以前見かけた男性二人組を見かけた。

(どんなことを言ってるんだろう……)

 怖い気分もあったが、話を立ち聞きしてみる。

「今日、女子プロ野球の試合、見に行ったんだけどさ」

「ああ、俺も行ってたよ」

「なんか、マルカトリアズを見に行くつもりだったんだけど、ずっとグローリーズの選手のプレーに圧倒されてた」

「……ああ、俺もだ」

「男も女もさ、関係ないんだなって思ったよ。だから、これからは純粋な気持ちで応援していこうと思う」

「そうだな」

(きちんと見てくれている……野球で、伝えられるんだ。野球は、人を変えることができるんだ!)


 寮に帰り、部屋に戻る途中菫に声を掛けられたので、談話室で話を聞くことになった。

「……私、結婚しないことにしたんです」

「えっ、本当ですか!? でも恋人の方は……?」

「はい。……野球が、楽しいですから。野球は、今しかできませんが、結婚はいつでもできますし。でも、南ちゃんやみんなと野球をするのは、今しかできませんからね」

「菫さん……!」

 思わず感動した南は、菫に抱きついていた。

「ふふっ、苦しいですよ、南ちゃん……」

 菫は南を受け止めて、頭を優しく撫でる。二人の間には、先輩後輩ではあるのだが、友人でもあるような奇妙な関係が生まれていた。

「本当によかったです! これからもよろしくお願いします!」


「これからも、野球がずっと、楽しくプレーできるように頑張りましょう! 菫先輩」

「そう、ですね……。試合、始まりますよ」

「はいっ!」

 プレイボールッ! 審判の声がグラウンドに響いて、今日も野球が始まった。


この作品は部誌にも掲載したものを、誤字脱字を修正したものです。誤字脱字の指摘、感想、叱咤激励などお待ちしております。

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