紋章試合デビュー戦
屈辱的な騎士叙勲式の翌日、ウィルたちは未だにウィンチェスター城の一角に寝泊りしていた。
熊公爵エゼルバルドや金騎士ガイは誇りを持たないウィルを揶揄した。
しかしそれはあくまでも結果的に相手を貶める結果になったのであり、二人はウェセックスにおいて一般的なことを指摘したに過ぎない。
だからここでウィルたちが二人の言葉に腹を立てて早々に立ち去ると、悪く言われるのはアリエルになってしまう。
アリエノール公爵はエゼルバルド公爵の一般論に逆上して別れの挨拶もせずに領地に帰った、と。
そんな噂が立てばアリエルの、いやコーンウォールの政治的立場はかなり悪くなる。しばらくは留まらざるを得ないのが現状だった。
それならせめて何がしかの成果を持って帰りたい、とアリエルは精力的に貴族と面会をしている。彼女もウィルを馬鹿にされて悔しかったのだ。
その間に、ウィルと老騎士は今期の紋章試合にエントリーするため、ウィンチェスターの試合場へと足を運んでいた。
紋章試合の試合場は街の真ん中にあり、塀で囲まれた四方に門がありそこで出入りを制限していた。つまり街の中に内壁があってそこに隔離するように試合場があるのだ。
しかし今は全ての門が開放されて、そこかしかにゴミや酔い潰れたオッサンが転がっている。
「なんだか散らかってるね」
「昨日こちらでも宴があったようじゃの」
眠そうな目をした人々が片づけを始めているが、簡単には終わりそうにない。
おそらく昨晩ガイはこちらで騎士王として表彰されて祝いを受け、その後にウィンチェスター城での宴に参加したようだ。それで遅れて登場したのだろう。
ウィルはてっきり注目を集めるためにわざと遅れてきたのだろうと思っていたので、ちょっと反省した。確かに嫌な奴だったが、不当に貶めてはいけない。
「なんじゃいウィル。城の方に頭なんぞ下げて」
「ちょっと反省してた。騎士は公平でないといけないから」
試合場の隅の一角は優先的に片付けがされており、そこには大きなテントが建てられて数人の受付官たちが机の前に座っていた。
今日が今期の紋章試合のエントリー初日だが、すでに若い騎士やその紋章官たちが登録に訪れている。
「なんか若い騎士が多い」
「実績がないから少しでも早く登録して、一試合でも多く出場したいのよ」
突然現れた声に驚くと、そこにはいつかの少女紋章官ロジーナがいた。
「ふふん、ようやく来たわね。さぁ、アタシと組んで出場登録するわよ」
問答無用でウィルの腕を掴んで受付に引っ張っていこうとするロジーナ。
それを老騎士が慌てて止める。
「お嬢さん、ウィルにはウチの騎士団の紋章官をつける。お前さんと組む必要はないんじゃよ」
「あら、それじゃあアンタたちはこのまま登録だけして領地に逃げ帰るの?」
「なんじゃと?」
「昨日の話、聞いたわよ。誇りのない騎士と馬鹿にされて悔しくないの? ガイに笑われたままで帰るつもり?」
ロジーナは挑発的な視線をウィルに向ける。
今までのウィルなら自分のことなら他人がどう言おうと気にはしなかった。
しかし、ウィルの脳裏には昨晩の哀しそうなアリエルの顔が焼きついていた。
「お前さんはサクソン人だろう。なぜブリトン人であるウィルに執着する?」
老騎士は胡散臭いものを見る目でロジーナを見た。
するとロジーナはその未発達の薄い胸を張る。
「アタシの誇りは『私は挑戦する』よ!」
そしてビシリとウィルを指差した。
「アタシは『騎士王の紋章官』になる! その為のパートナーにはアンタが最適なのよ! 必ず騎士王にしてみせるわ!」
老騎士は突然のロジーナの宣言にぽかんと口を開いて呆れてしまった。
先日、騎士モドキと組んで負けたばかりの少女が何を言っているのだ、と。
騎士だけでなく紋章官にも誇りはある。元々騎士と紋章官は分かれておらず、騎士が紋章官をしていた時代もあったからだ。
老騎士が呆れかえる一方で、ウィルはロジーナのその根拠も無しに言い切る姿に、強い羨望と嫉妬を感じていた。
これこそが、ウィルがずっと求める、誇りを持つ者の姿なんじゃないか、と。
一見すると傲慢にしか思えない態度。
だがそれは芯を持ち、見据えた先に向かって迷いなく進む姿でもある。
それをウィルは試してみたくなった。
「どうすればいい? どうすればやり返せる?」
ウィルの言葉にロジーナはニヤリと獰猛に笑う。
「アタシに任せなさい!」
ウィルたちはいきなり試合をするつもりはなかったので、一旦準備を整えるためにウィンチェスター城に戻り、鎧や槍を持って再び試合場に戻ってきた。
するとロジーナは試合場のひとつを借りて陣幕を張っていた。
ウィンチェスターの試合場は同時にいくつもの紋章試合が行えるように、八つの小試合場と四つ大試合場、そしてメインイベント用の試合場が一つある。
その中の小試合場のひとつを貸切っているのだ。
試合場の脇にある大きな木の近くにテントが建てられて、木の枝には木製の楯がぶら下げられている。そこには『赤い二足翼竜』の紋章が描かれていた。
ロジーナが木炭筆でささっと描いたモノだ。下書きもせずに一発で描いたとは思えないほどにキレイに描けている。
これが現在ウィルが持つ、唯一の紋章だ。
コーンウォールの円卓騎士団に入団した者に与えられる一番格の低い紋章で、領内にある教会所有の小さな領地の所有権を表している。
一代限りで継承出来ず、勝手に売却することも出来ない。また領地の所有権と言いつつもそこから実際に税金を徴収できるわけではなく、収穫高に応じた金銭を封建領主である公爵から与えられるだけだ。
要するに土地の所有権という担保で、公爵から金銭が支払われる権利だ。
この紋章を持っていることで年に金貨十枚相当の収入となる。
騎士の収入としては少ない額だが、贅沢をせずにつつましやかに一年暮らせるぐらいの金額だ。
まぁ実際には装備の補修や馬の維持、楯持ちの扶養費や宴会への出席費など、すべてが持ち出しになるのでこの額だけでは騎士として暮らしてはいけない。
つまりその程度のありふれた格の低い紋章、ということだ。
ロジーナはウィルたちが戻ってきたのを確認すると、陣幕の前に立った。
そしてその小さい身体のどこにそれほどの、と思うような大声を上げた。
「有象無象の騎士諸君! 今ウィンチェスターで最も話題の騎士『誇りのない騎士ウィリアム・ライオスピア』が挑戦者を募集する! 我こそはと思う騎士は楯を叩くがいい、彼は誰の挑戦でも受けるぞ!」
ロジーナの勇ましい声はその大きさとその声の高さで試合場全体に響き渡った。
いま試合場には登録だけしようと訪れた騎士や、初日からでも試合をこなして試合数を稼ごうという新米騎士たちが少なからず居る。
そうした騎士たちの注目が一気に集まった。
昨日の宴の様子は参加していた客たちによって瞬く間にウィンチェスター中に広まっている。その話は紋章試合に携わる者に、より熱心にささやかれた。
今度の紋章試合には幼い騎士が出るらしい、その騎士は金騎士ガイのライバルに名乗りを上げたらしい、その騎士は騎士叙勲の際に誇りを宣誓できなかったらしい、そういう噂だ。
ウィルの持つ『赤い二足翼竜』の紋章は、紋章試合で奪う紋章としては格が低い。リスクを犯してまで奪いたいと思うほどではない。
だからこの紋章で対戦相手を募集しても試合を成立させるのは難しい。
相手が差し出す紋章の方が格上になってしまうからだ。
しかし紋章を持つ者が『今最も有名な騎士』となれば話は別だ。
この場にいる騎士たちの最も欲しいモノが知名度だ。
持っている紋章の格が低くても知名度が高ければ試合が組みやすくなる。
その上相手は誇りを持たない、騎士になったばかりの少年だ。
さぞかし美味しい獲物に見えていることだろう。
これこそがロジーナの作戦だった。
元々ウィルは一部の人間に無敗の少年騎士として有名だった。
しかしそれを前面に押し出して試合を組もうとしても、持っている紋章の価値が低くくて格上の相手はリスクが高すぎて戦ってくれない。
かといって格下や同格の騎士は、その評判を聞いて怖気づいて避けてしまう。
そこであえて昨晩の『誇りのない騎士』という不名誉を強調して、格下、同格の紋章を持つ騎士たちに美味しい獲物だと思わせたのだ。
思惑通りに一人二人とウィルに挑戦するためにこちらに歩き出している。
だがロジーナとしてはそれでは足りない。
「誇りのない騎士からの戦いを避ける騎士殿は、一体どんな誇りをお持ちなのだろうなぁ」
その言葉に様子見をしていた騎士たちが顔を真っ赤にしてこちらに歩き出した。
全部で五人、この試合場に現在来ている試合可能な騎士全員が向かってきていた。
彼らは順番にぶら下げられた『赤い二足翼竜』の楯を勢いよく棍棒で叩く。
ロジーナは手際良く彼らの名前と紋章を聞きだして書き取っていく。
試合場で行われるフリーの試合ではこうして応戦側の騎士が楯を掲げて陣幕を張り、挑戦側の騎士はその楯を叩くことで試合が成立するのだ。
あっという間に紋章試合が五試合組まれた。
シーズン開始の初日としては異例の成立数だ。
この様子を老騎士は呆れた様子で見ていた。
「なんて娘だ。騎士の不名誉をダシにするとは」
ロジーナはその言葉に得意げな顔で返す。
「さぁ、こいつら相手に五連勝するのよ。アンタは昨晩、『誇りのない騎士』っていう悪名を広められたわ。それを消し去ることは難しい、でもここで圧倒的に勝って見せれば、悪名は異名へと変化する」
「……それが奴らに一泡吹かせる手段、というわけか」
老騎士はロジーナに反論できずに唸る。
確かに悪名を押し付けてそれを拡散するハズだったものが、反対に相手がそれを異名に変換してしまえば、拡散したことが相手に利することとなる。
決定的な反撃とは言えないが、奴らにとっては面白くない事態だろう。
「じゃあ今度は俺の番だね」
ウィルはロジーナの手腕に関心しつつも、心の中に対抗心のようなものが生まれるのを感じていた。騎士団長相手の訓練でコテンパンにされた時にも感じたことのない悔しさ、こいつには負けたくない、という闘争心だ。
紋章試合は一試合三セットで行われる。
八十メートルほど離れた位置で向かい合う騎兵が、一メートル六十センチの隔壁で仕切られた直線のコースを互いに右側から侵入し左側を走ってくる相手と中央で突き合う。
その時に鞍から上の部分に攻撃を入れて自らの槍が折れれば一ポイント。
相手が落馬した場合は三ポイントが入る。
逆に相手の鞍から下を突いてしまったらマイナス一ポイント、隔壁》を突いたらマイナス二ポイント減点されてしまう。
三ポイント先取もしくは三セット終わってポイントの多い方の勝ちとなる。
もちろん、途中で戦闘不能となればその者は即座に敗北となる。
騎槍は先の部分が木製のものを使い、更に穂先には王冠型のキャップを付けて鎧を貫通しないようにしてある。
しかし全力で襲歩する馬に乗り、その勢いを槍に乗せて叩きつけるので、どれだけ鎧に守られて、槍が折れやすいようにしてあっても『不幸な事故』は起こりうる。スポーツと呼ぶには少々野蛮な戦い、それが紋章試合だ。
応戦者側の入場門で騎乗して開始の合図を待つウィル。
横にいるロジーナはヘルム越しでも聞こえるようにやや大きめの声を出した。
「いい? 今日の相手は試合に慣れてない連中ばかりよ。全て一本勝ちしなさい」
一本勝ち、すなわち相手を落馬させて勝利しろ、と言っているのだ。
なかなか無茶な話である。そもそも落馬で三ポイントも入るのはそれが滅多に起こらない派手な勝ち方だからだ。
しかしウィルはなんでもない事のように頷く。
「いいけど、それも何かの作戦?」
そういうとロジーナは焔のように赤い獣耳をピンと立ててニヤリと笑った。
「ガイに一泡吹かせたいんでしょ? ここはアイツの本拠地だからね、派手に荒してやったら爽快だと思わない?」
ロジーナの物騒な言葉にウィルは驚き、笑って頷いた。
「うん、面白そうだ」
試合開始前には先触れが出されて客が集められる。
とは言え、初日の試合なんて大抵は無名の騎士同士の未熟な試合ばかりだ。
見に来る客は少なく、いるのは酔っ払いか、暇な老人ぐらい。
それでもさすがは交易都市ウィンチェスター、それなりの人数が見に来ていた。
急ごしらえとはいえ、観客席には垂れ幕がかけられて飾り立てられる。
係官は騎士の準備が完了しているのを確認すると高らかにラッパを吹き鳴らす。
ウィルの前に垂らされていた旗が大きく振られた。
「ガツンとかましてやりなさい!」
馬を走らせると、ロジーナが大声を出して馬を追い立てる。
こうやって少しでも早く馬を最高速度にのせるのだ。
面頬を下ろして前傾姿勢になると楯を身体の前へ、騎槍を水平に構えた。
騎槍は三メートルもの長さがあり、木製の部分が多いとはいえ、その重量はかなりのものだ。そのために持ち手から後ろが太く重く作られていたり、胴鎧に槍置きが取り付けられているのだ。
ウィルは槍置きに騎槍を設置すると相手を観察する。
相手の騎士はウィルよりも二、三歳ぐらい年上に見えた。
鎧も朝日をぴかぴかとはね返している。
おそらくまだ紋章試合をほとんどしたことがなく、新品同然なのだろう。
こちらは既に体勢を整えているというのに、未だにもたもたと槍置きに騎槍を乗せようとしている。
楯を装着した左手は手綱を掴んでいるものの、それだけで精一杯という様子で全然身体をカバーできていない。
こちらが何もしなくても槍を当てることすら出来るかどうか、という有様だった。
それを見たウィルは小細工抜きで真っ直ぐ突くことに決めた。
老齢で熟練の騎士たちに囲まれて、激しい訓練に明け暮れた日々を思い出すように、ただ全力で馬を奔らせて、騎槍を真っ直ぐに構えた。
ようやく体勢を整えた相手の騎士は焦ったように騎槍を伸ばす。
まだ早い、ウィルはそう思って微動だにせずひきつける。
予想通りに相手の騎槍は途中で力を失い穂先を下げてしまった。
その上、穂先が隔壁に当たりそうになって慌てて持ち上げようとしている。体勢が崩れ、楯がおろそかになる。
ウィルは目の前で無防備にさらされる相手騎士の胴体めがけて騎槍を突き出した。
パカーン!
竹を割ったような乾いた音が響き、ウィルの騎槍は相手の胴鎧を打ち抜いた。
そのままウィルが手を離すと同時に騎槍の木製の部分が見事に砕け散る。
これは完全に芯を突いたからこそ起きる現象だ。
相手の騎士はその衝撃に身体を仰け反らせて空中で一回転して落馬した。
ウィルが悠然と馬を減速させている間、試合場は水を打ったように静まり返っていた。そして次の瞬間、歓声が響き渡る。
決して大きくも多くもない歓声。
ウィンチェスターの街は紋章試合が頻繁に行われる街だ。人口も多く、目玉の試合が行われる時などこの何十倍もの客が入る。
その時の歓声など街のどこに居ても聞こえるぐらいの轟音だ。
それでもウィルにとってはこの歓声も充分驚くに値する。
今までは観客と言えばアリエル一人だったのだ。
ウィルが自分の陣に戻るために試合場をぐるりとまわると、観客席から降り注ぐような拍手が落ちてくる。それにどこか戸惑い、そして興奮していた。
相手はまだ四人もいる。まだ戦える。その事が嬉しかった。
結局、ウィルはそのまま四連戦して全て一本勝ちを成し遂げた。
少なかった観客も一勝するごとに増えていき、最後の試合には観客席は一杯になっていた。その時の歓声は地鳴りがしたような凄まじいものに感じられた。
こうしてウィルのデビュー戦は五戦全勝、オール一本勝ちという記録で始まった。
応戦者側の入場門まで戻って下馬すると、興奮した様子のロジーナが出迎える。
「やっぱりアタシの目に狂いはなかったわ」
あくまでも自分の手柄のように偉そうな態度に苦笑するウィル。
面頬を上げてワザと意地悪に言葉を選ぶ。
「こないだまで騎士モドキと組んでたクセに」
ウィルの指摘に目を泳がせて、ふさふさの尻尾を萎ませる。
「あ、あれはアタシが目をつけた騎士が組んでくれなかったから仕方なく……」
その萎らしい様子が可笑しくてウィルは声をあげて笑った。
ロジーナはからかわれたと知って、目を吊り上げて怒る。
そんな二人の様子を老騎士は驚きをもって見ていた。
ウィルのこんな年相応の態度は初めて見たのだ。
周りに大人ばかりいたせいか、ウィルは幼い頃から老成した態度を取ることが多かった。それはアリエルに対してでもそうだったのだ。
老騎士は別の意味でもロジーナを見直していた。
「俺は、騎士王になれると思う?」
ウィルはふと真剣な表情をロジーナに向けた。
ロジーナは驚いたように目を丸くしたが、すぐに自信溢れた顔になる。
「あったり前よ、アタシと組んでるのよ。必ずウィリアムを騎士王にしてみせるわ」
ドンと薄い胸を叩く。
ウィルは頷くと篭手をはずして手を差し出した。
「ウィルでいいよ、俺の紋章官になるんだし」
その言葉にロジーナは満面の笑みを浮かべて手を握った。
「じゃあアタシのこともロジェでいいわ。アタシの騎士さん」
こうして、『誇りのない騎士』と『傲慢な紋章官』の凸凹コンビは結成されたのだった。