黒騎士エル
王都ロンドンには続々と貴族や騎士たちが集結し始めていた。
エゼルウルフ王の壮行会への参加は強制ではない。
だからと言って不参加をするようでは貴族失格だ。
不参加したら王に恨まれてその後に不利益を被るのは目に見えているし、この機会に普段会えないような大物貴族と親交を深めることだって出来る。
また王不在の間に実権を誰に任せていくのか、ということを知っておき、いち早く親交を深める必要もある。
もはや戦乱の時代は終わったのだ、こうした政治的な判断が出来ない貴族は衰退する。
そう言った理由でロンドンに人が集まり、まだ壮行会が始まる前だというのにそこら中でお祭り騒ぎになっていた。
街の郊外で競馬が開かれたり、城の練兵場では試合会場を設営する傍らで歩行試合や馬上槍試合が行われたり、あげくの果てに街壁の外の集落では素手による賭け拳闘まで行われていた。
こうした騒ぎは各地から貴族と騎士が集まりきるまで続いた。
◇
連日のようにロンドン橋に出来ていた貴族たちの馬車の列がなくなった。
ようやく壮行会で行われる御前試合の予選が始まる。
壮行会は紋章試合だけでなく他にもイベントがあるので、王の御前で行われるのは三試合だけだ。つまり本戦を戦えるのは八名までだ。
しかしそのうち四人は既に内定している。
騎士王であるガイをはじめとする、主催者側に選ばれた騎士たちだ。
つまり予選を勝ち抜いて本戦に進めるのはたったの四人。
これだけの大規模な試合なので参加を希望する騎士の数は一〇〇人を超える。
その中からたったの四名。
予選ではかなりの数がふるい落とされることになるだろう。
ウィルはロンドンの外にある特設予選会場の一角で騎乗して辺りを見渡していた。
隣には同じように騎乗した騎士が四人並んでいる。
それぞれが木製の隔壁で区切られたレーンに並んでいて、ウィルと同様に試合の開始を待っているのだ。
レーンの反対側にも同じように五人の騎士が居る。
予選はこうして五人ずつが一度に対決して一気に試合を進めていくのだ。
試合場は全部で三つあるので一度に十五レーン使い、一試合で三〇人が対戦し、十五人が脱落する。
それでも参加人数が多いので予選が終わるのには数日かかる。
ロンドンの街壁の外にある予選会場は広い草原を切り開いて作られたものだ。
それでも木製の観客席は二階まであり、かなりの人数が観戦できるようになっている。
ウィルはその中から観戦に来ていたアリエルたちの姿を見つけて片手を上げる。
それに気づいたアリエルが嬉しそうに手をぶんぶんと振った。
横にいたサラも同じように手を振っているが、顔が真っ赤だ。恥ずかしいのだろう。
そんな二人を見てランスロットやケイたち老騎士は苦笑いしている。
ウィルが紋章官たちが控えている天幕に視線を移すと、ロジェを見つけた。
こちらに気づくこともなく、焦った表情できょろきょろと辺りを見渡していた。
その姿は自分の騎士たちに心配そうな視線を向ける他の紋章官たちから浮いていた。
ガイとボルグ、そして仮面の紋章官と会った日からロジェの様子はおかしくなった。
領事館にいる間も心ここにあらずと言った様子で、ぼーっとしていたかと思うと、急にふらりと居なくなって、戻ってきたかと思ったらため息をついている。
ずっとそんな調子なのだ。
ワケを尋ねたのだが、返ってくるのは生返事ばかりで要領を得ない。
今もまた、自分の騎士がこれから戦うというのに上の空でこちらを見もしない。
ウィルはその事に苛立ちを感じていた。
この闘いを見ていない事に関しては別に構わない。
これはあくまで予選で、相手は大したことのない騎士だ。
もちろん油断は禁物だが、敢えてロジェが見ている必要はないだろう。
そうではなく、何か思い悩む事があると言うのに、言ってくれない、聞かせてくれない。
その事がウィルの心を乱していた。
悶々とそんな事を考えていたら、いつの間にか試合開始の合図がされていた。
隣のレーンの騎士たちはこぞって走り出している。
一人ウィルだけが棒立ちのままだ。
観客たちが動かないウィルにザワザワと騒ぎ出す。
馬も行かなくていいのか、と問いたげな視線を向けてくる。
アリエル達もこちらを心配そうに見ている。
ロジェは未だに何かを捜すように周りを見ていた。
なんだかウィルは馬を走らせる気持ちが沸いてこない。
会場のざわめきがかなり大きくなった頃、ようやくロジェがウィルの方を見た。
目玉が落ちるんじゃないかというぐらいに目を見開いて、ぽかんと大口を開ける。
「あ、アンタ何やってんのよおおおぉぉぉっ!」
観客席の喧騒を物ともしない大きな声が試合場に響き渡った。
顔を真っ赤にして焦るロジェを見てウィルは少し気が晴れた。
子供っぽい真似だが、少しもやもやが減った気がする。
「俺たちはパートナーだ。だったら苦楽は共にしないとね」
ウィルは意地の悪い笑みを浮かべて馬を進ませる。
前方を見ると隣にいた騎士たちはとっくに対決を終えて走り去っている。
向こう側からはウィルの対戦相手が戸惑った様子で向かってきていた。
試合放棄かどうか分からず困惑している様子だが、それでも槍を構えたまま走ってくる。
向こうがしっかりと助走をつけて力が乗っているのに比べて、ウィルの方はまだ走り始めたばかりでほとんど力が乗っていない。
このまま激突して相打ちにでもなろうものなら、ウィルの小さな体躯など簡単に吹き飛んで落馬してしまうだろう。
例え相手の槍先がふらふらと定まらず、馬上の騎士が走っているだけなのにバランス崩しそうになっていたとしても、だ。
そのぐらい馬が走る勢いというのは強い。
ただ、それも当たればの話だ。
ウィルは目前に迫るふらふら揺れる槍先を盾の縁で弾いた。
それだけで相手の騎士は馬上であたふたとバランスを崩して槍を逸らしてしまう。
その隙をついて、ウィルは下から槍を突き上げて相手の兜を弾き飛ばす。
すぽーん、と見事な放物線を描いて兜が宙を舞う。
相手の騎士は何が起きたか分からずにきょろきょろしていたが、やがて自分の兜がない事に気づいて慌てふためく。
ウィルは槍を高々と掲げてレーンを走り切った。
観客席から怒号のような歓声が捲き起こる。
◇
「どういうつもりよ! あんな真似して!」
「ロジェこそ、誰を捜してるんだ。あの仮面の男か?」
ぎゃーぎゃーと大声で怒るロジェ。
しかしウィルの言葉に、途端にその怒りは戸惑いに変化する。
「……そ、それは、その。あ、アンタには関係ないわよ!」
「俺たちはパートナーだろ」
「………………」
ウィルの言葉にロジェは黙り込み、顔を伏せる。
それを見てウィルは何も言えなくなってしまった。
傍から見ているとウィルがロジェを追いつめてイジメているように見えるだろう。
怒りたいわけではない、ただ関係ないと言われるのは哀しかった。
もう少し口が達者ならうまく聞き出すことが出来ただろうか。
遍歴の旅に出てから、どうして良いか分からない事が増えた気がする。
今までそれだけ狭い世界に居たのだろう。
自分はまだまだ子供なんだと思い知らされる。
ウィルは黙ったままのロジェに背を向けて、次のレーンに向かった。
ウィルがレーンに入ると周りの騎士たちが一斉にこちらを見た。
ほとんどの騎士は兜をかぶっているので表情は分からないが、なんだか値踏みするような視線を感じる。
「あれが噂の……」とか「先ほどの試合が……」とか漏れ聞こえるので色々な意味で注目を集めてしまっているのだろう。
そんな中、一人だけ真正面からまじまじとこちらを見る騎士が居た。
隣のレーンに居る騎士だ。
全身真っ黒の鎧を着ていて、楯まで真っ黒で何の紋章も描かれていない。
馬に付ける飾り布やマスクまで真っ黒で異様な雰囲気だ。
周りの騎士が色とりどりに着飾っているので一人だけ浮き上がっている。
だが凄まじいまでの存在感で他とは一線を画するカッコ良さがある。
「……カッコいい」
「お前、絶対なんか勘違いしてるだろ! 別にカッコつけて全身黒にしてるわけじゃないんだからな」
思わず呟いてしまった言葉は意外に大きく響き、それに黒い騎士が必死に抗議してきた。
なぜだろう、漆黒の騎士といった感じでカッコいいと思うのに。
そう思っていたのが顔に出たのだろうか、黒騎士は兜をとって素顔を晒した。
何故か恥ずかしそうに顔が赤らんでいる。
「ほら、これで分かるだろう? 俺様は正体を知られるわけにはいかないんだよ」
兜を取った黒騎士は、ウィルより少し年上の青年だった。
獅子のような丸い獣耳を持っている事からサクソン人だと分かる。
整った顔立ちだが、どこかガキ大将のような不敵な表情をしている。
毛先に行くにしたがって黒くなっている茶髪を肩まで伸ばし、首の後ろで一本に縛っている。金色に近い瞳はどこか威厳を感じさせた。
その顔が、どうだ恐れ入ったか、と言ってるのだが、ウィルには何のことかさっぱり分からない。
「なんで正体を知られちゃダメなの? 有名人?」
「なっ、お、お前っ! 俺様が誰だか分からないのかっ!」
「うん、まったく分からない。誰なの?」
「……くっ、五男では、この程度の知名度かっ」
なぜか黒騎士は落ち込み始めてしまった。
どうやら相当に有名らしいのだが、本当にウィルには見覚えがない。
そもそもウィルは、コーンウォールからほとんど出た事がなく、顔を知っている有名人などほとんどいないのだ。
実は現国王のエゼルウルフですら見た事ないので顔を知らない。
しかしこれは別段珍しい事ではない。
宮廷に良く出入りする爵位の高い騎士や、ガイのように騎士王になるような騎士ならともかく、一介の騎士は有名な人物など自分の主君ぐらいしか知らないものだ。
「ゴメンね、知らなくて。じゃあ黒騎士は有名な人なんだ?」
「く、黒騎士……。その通りなんだが、なんかその呼ばれ方は嫌だ。俺様の名前のことはエルと呼ぶがいい」
「分かった、俺はウィリアム・ライオスピア。ウィルでいいよ」
ウィルが名乗ると黒騎士、エルはニヤリと笑った。
「もちろん知っているさ、あの『誇りのない騎士』だろ?」
「……他にそう呼ばれる人を聞いた事ないし、たぶんそうだよ」
そう答えると、エルは観客席の方に顔を向ける。
その方向はアリエルたちが居る場所で、ウィルもそちらに顔を向けると、それに気づいたアリエルが嬉しそうに手を振った。ウィルも手を振り返す。
それをエルが悔しそうに見ていた。
「ソレだ! アリエノール嬢との結婚を阻む『誇りのない騎士』!」
「エルもアリエルと結婚したいの? ああ見えてアリエルは公爵だよ?」
「ふん、身分を隠していると言っただろう。俺様はただの騎士ではない、アリエノール嬢と結婚する資格は充分にあるのだ」
エルは胸を張り、アリエルの方へ手を振った。
しかしアリエルは既にこちらを見ておらず、横にいるサラと何やら話し込んでいた。
エルの振り上げた手が途中でへにょりと垂れる。
誤魔化すように、やり場のなくなったその手をウィルに向けてきた。
「――貴様はいつまでも『誇りのない騎士』と言わせておくつもりだ。さっさと『誇り』を決めればいいだろうっ」
照れ隠しに言った言葉かもしれないが、その言葉はウィルに深く刺さった。
騎士叙勲の時、不意打ちのように熊公爵エゼルバルドに言われて宣誓出来なかった。
その後、ロジェが『誇りのない騎士』という評判を逆手に取って知名度を上げたために決める事が出来なかった。
しかし、サラの名誉のために戦ったり、カンタベリーのトーナメントで優勝した事によってウィルの知名度はかなり高まった。
今となってはウィルが誇りを持つことを阻む要因はない。
だがウィルは未だに誇りを決める事が出来ないでいた。
決めようと思うと脳裏によぎるのはカンタベリーで見たあの三騎士の姿だ。
「適当に決めたくはないんだ。それで道を踏み外した奴らを見たから」
「ふん、確かに最近はいい加減な誇りを振りかざす奴が多いが。考えすぎではないのか?」
「でも、俺はあまりにも物を知らないから、じっくり考えないと……」
「誇りなんて考えたって出てきはしない。自ら取りに行かなければな」
エルの言葉はウィルは、はっとした。
考えると言いつつも、どこか天啓のように閃くのを待っていなかっただろうか。
誇りを求めつつも、それは何か特別な事で、いつか運命的な出会いのように見つかる、と。
「俺様の誇りは『自ら切り開く』だ。だからこうして欲しいモノがあれば自ら戦い手に入れる」
エルはそういうと獰猛な笑みを浮かべて兜を装着した。
気づけば試合の準備は完了し、開始の合図を待つだけとなっている。
ウィルも慌てて兜を装着し槍を構える。
いつの間にかエルの話に引き込まれて時間を忘れていた。
今度は開始の合図と同時に馬を走らせる。
隣には同じように走りだしたエルの姿がある。
堂々とした姿勢で馬上でも安定して槍を構えている。
言うだけあって中々の腕前のようだ。
本人は正体を隠したいのだろうが、その立ち居振る舞いは自然と注目を集めていた。
ウィルは首を振って視線を前に戻す。
どうも目を離せない雰囲気がエルにはある。
気持ちを切り替えて自分の対戦相手を見た。
ウィルよりも一回りほど大きい体躯だが、驚く程の体格という事ではなく一般的だ。
鎧もほどほどに質の良さそうなモノで、楯に刻まれた紋章も三つ。
可もなく不可もなく、至って普通の騎士だ。この予選会場の平均的な騎士と言える。
相手との距離が詰まり、ウィルの目前に相手の槍が迫ってくる。
しかしまだウィルの槍は相手には届かない。
どうしても体格差があるので先手を取られてしまうのだ。
ウィルは伸びてきた槍を楯で受ける。
腕に衝撃が走るが、それに逆らわずに楯を斜めにずらしていく。
相手の槍はウィルの楯の表面を滑るように外れていった。
いつも先手を取られる、という事はこの展開に慣れているという事でもある。
相手の攻撃を受け流しカウンターを決めるやり方はウィルの必勝パターンなのだ。
体勢の崩れた騎士の身体に狙いすましたウィルの槍が迫る。
吸い込まれるように中心を撃ち抜いた槍は見事に砕け散って、騎士はその衝撃に身体を仰け反らせた。
そのまま上半身をぐらぐらと揺らして走り去った後にぼとりと落馬。
観客席のアリエルたちは手を叩いて喜んでいた。
ウィルは砕けた槍を投げ捨てると、隣のレーンで同じように砕けた槍を捨てるエルの姿が見えた。
エルの相手は悔しそうに砕けていない槍を投げ捨てている。
どうやらエルが勝ったようだ。
エルは兜の面甲を上に上げて顔を出す。
「ウィル、俺様はお前を倒してアリエノール嬢を手に入れる! 決勝で待つぞ!」
「何言ってんの、まだ予選終わってないじゃない。途中で俺と当たるかもよ?」
「うっ、い、いやっ! 俺様たちは運命に導かれて決勝で戦うのだ! 間違いない!」
またしても根拠のない事を胸を張って言うエルがなんだか面白かった。
先ほどまでロジェの事でモヤモヤしていたのが嘘のようにスッキリしている。
ウィルはこのエルというバカっぽい男を気に入りはじめていた。
今まで周りに居なかったタイプだ。
確かにエルと決勝で戦うのは楽しそうだ。
「運命か、そうだね。じゃあ決勝で会おう!」
「それまで騎士王にも負けるなよ」
「エルもね」
互いに腕を突き出して手甲越しに拳をぶつけ合う。
ガキン、と硬質の音が響いた。
◇
ウィルはその後の予選も問題なく勝ち進み、一位で通過して本戦への出場を決めた。
そして運命があったのかどうかは分からないが、エルは二位で予選を通過していた。
二人とも最後まで勝ち抜いたのだが、勝ち方の差で順位がついたのだ。
エルは悔しがっていたが、決着は決勝でつける、と息巻いて去っていった。
いよいよ、エゼルウルフ王の御前で行われる紋章試合が始まろうとしていた。




