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其ノ十一

 教室に向かうために、飴色の木の床を上履きで軋ませる。千夜子さんと少し離れただけで、妙な寂寥感が胸を突く。おかしい。ひとりには慣れていたはずなのに。深呼吸ともため息ともつかない息を吐く。何気なく漆喰の壁に指を這わせてみた。無機質な冷たさが指先の温度を奪う。昼休みまで何時間あるだろう。教室にたどり着く前から、そんなことを考えた。

 教室の扉を開けると、幾つかの視線を感じた。千夜子さんが先日諭したこともあり、嬉々として私に千夜子さんのことを聞いてくる生徒こそいないものの、好奇心は隠しきれていない。私は彼女たちの視線をとりあえず無視して、自分の席へと向かう。途中、教室の扉とは反対側の、窓際にたむろする松沢恵理達を視界に捉えた。机のひとつを椅子の代わりにしてクラスの女王蜂気分の松沢恵理は、こちらに注意を向けず談笑している。私に対して興味も悪意もないのは、結構なことだ。視線を合わせないように席に着いた。

 程なくして、朝のホームルームが始まる。担任教師が教室の扉を開けると、姦しい教室内がにわかに静かになった。弛緩しきった空気に程よい緊張が加わる。ただ、その静寂もすぐに破られる。四十過ぎの温和な男性国語教師に続いて、見たことのないプラチナブロンドの西欧人美少女が教室に入ってきた。闖入者に生徒達がざわつく。ゆるい雑談のざわめきとは異なる、戸惑いの声が教室のあちこちで生まれていた。

「えー、急な話なんですが」

 担任が教卓に手をつきながら声を張る。波のように再び教室内が再び静かになった。外国人少女の正体を知りたくて、みんな先生の言葉に集中する。

「今日からウチのクラスに留学生を迎えることになりました」

 今度はざわめきでなく、黄色い声が大波になって教室に湧き起こる。私も、頬杖をついたまま目を丸くした。非日常というか、変わったことは連続して起きるものだなと感心する。

「皆さん静かに。これから彼女に自己紹介してもらいます」

 促されて、少女が教壇に上がる。ゆるくウェーブのかかった髪はほとんど銀に近い明るい金髪で、大きめな双眸は遠くでもわかる青色。鼻は小ぶりながら筋が通って高く形がいい。日本刀のような鋭利な美しさの千夜子さんとは違ったタイプの、柔らかい印象があるコーカソイドの美少女だ。当然というべきだろうか、服装はこの学校の制服を着ている。ブレザーとブラウスの間にクリーム色のカーディガンを合わせていて、胸元の蝶リボンは私と同じ紺色だ。脚が長すぎるせいで、チェックのスカートが若干短く見える。容姿に圧倒されて、教室はまた音を失う。こんな短時間に、色々な種類のざわめきと沈黙を体感するなんてあまりない経験だな。なんとなく場違いな感想を頭に浮かべながら、彼女の言葉を待った。

「ドイツから来ました。フィーネ・フォン・ビューローです。みなさんよろしく」

 流暢な日本語が異国の少女の口から発せられるのは、不思議な感じである。芯の通った声で自己紹介をすると、彼女は目を細めて笑顔を作る。多くの人が親しみを覚えるであろう、柔らかな笑みだった。それから彼女、フィーネは教壇の上からゆっくりと教室を見回す。その途中目が合った、と思うのは自意識過剰だろうか。先生が留学生を迎えるにあたっての諸注意を口頭で述べている間、私はフィーネの青い瞳と千夜子さんが時折見せる赤い瞳を頭の中で対比させていた。フィーネの席は私の席の三つ後ろに決まったようだった。

 ホームルームが終わると、フィーネの席の周りに人だかりができる。日本語が問題なく通じることで、クラスメイト達は物怖じなく彼女に話しかけている。際限のない女子高生の好奇心が、私からフィーネに移ったことで少し安心する。心の中で留学生に感謝しておいた。私は後方の集団から目を離し、机の上に一限目の教科書とノートを用意する。ついでにシャープペンシルの芯を補充しようと、筒状になった臙脂色のペンケースを取り出したところで、背後に人の気配を感じた。教室のざわめきの質が変わる。嫌な予感がして振り返ると、フィーネがすぐそばに立っていた。千夜子さんが訪ねて来た時もこんな感じだったかな。頭の冷静な部分が先日の類似経験を思い出している。

「あの、何か?」

 恐る恐る、要件を尋ねる。

「あなたの名前、聞いてもいいかな」

 フィーネが笑顔で問いかける。やはり、本当は日本人なんじゃないかと思うほど言葉に淀みがない。発音も完璧だ。というか、なんでわざわざ私に声をかけているのだろう。別に話しかけて欲しそうにしていたつもりはないのだけれど。クラスの話題の中心になるとか、人気者になるとか、そういうのは勘弁してほしい。

「白井、咲良だけど……」

 ここで対応を間違えると、クラスメイトからまた要らぬ反感や悪意を貰いそうなので、とりあえず無難に対応しようと努力する。急に愛想笑いをするのはまだ、難しいけれど。

「サクラ……いい名前ね」

 屈託のない眩しい笑み。フィーネはもちろん、名前を褒めに来たわけではない。私は問いかける視線で、続きを促した。

「サクラ、あなたに少し聞きたいことがあるの。昼休み、時間ある?」

 私に聞きたいこと? 今日編入してきた留学生が私に何を聞こうというのか。まさか校内の案内をして欲しいというわけでもないだろう。その程度なら別の人に頼めばいい。

「あー……ごめん、昼休みは先約が」

 クラス中が注目する中、彼女の申し出を断るのは勇気が必要だったけれど、昼休みは千夜子さんとの約束がある。それは私にとって最優先事項だ。

「そっか、じゃあ放課後はどうかな? そんなに時間は取らせないから」

 諦めるかとも思ったが、彼女は代案を用意してきた。聞きたいというのは、そんなに大事なことなのだろうか。

「放課後なら、大丈夫、だと思う……」

 フィーネよりずっと下手クソな、途切れ途切れの日本語で答える。本当は千夜子さんと帰りたいけれど、約束しているわけではないし、断りづらい雰囲気に負けてしまった。

「それじゃあ放課後、またその時声かけるから。先に帰ったりしないでね」

 フィーネが白い歯を見せて言う。よく笑う人だ。私が頷くと、彼女は顔の横で小さく手を振って後ろの席へ戻っていった。静観していたクラスメイトが、また彼女の周りに集まる。どういうこと? 聞きたいことって何? そんな声が、後方の席から聞こえてくる。

「んー、秘密」

 そんな風に答えた、フィーネの柔らかな声は喧騒の中でもよく通る。どうしてそんなに思わせぶりな言い方をするのだろう。またクラスの興味が私に向いてしまうではないか。心中で恨み言を唱えていると、一限目のチャイムが鳴った。芯の出ないシャープペンシルをノックして私はため息を吐いた。

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