前篇
魔法のiらんどさんに投稿済み・“壁ドン・顎クイ・頭ポンポン”企画参加作品です。一応、短編扱いです。改稿しながら投稿しましたが、何かお気づきのことがございましたら、ご報告お願いします。
「か、かかかっかおる、様……」
「ん? おはよう、土井さん」
「あ、おはようございます」
「どうしたのかな」
「あ、ああああのっ! 壁ドン、してください!」
私を上目遣いに見てくる女の子は、恥ずかしさからか、これからに対する期待からか、頬が上気している。うん。完全に女の子の顔だ。とても可愛らしい。
私は、クスリと笑いながらも、つい、眉を下げてしまう。きっと、困った笑みになってることだろう。
その私の顔を見た女の子が不安そうな顔をしたもんだから、私は、彼女の肩をそっと押して、壁際まで追い詰めると、そっと、口を開いた。
「私だって、壁ドンがどんなものかくらいは知ってるけどさぁ……」
言いながら、壁に追い詰めた彼女をそのまま壁に押し付け、左の肘から手にかけてを、壁にもたれる形になってる彼女の顔の横につき、右手で顎をそっと持ち上げ、私と目線を無理やり合わせた。
「そんなこと頼んで、私に何を期待しちゃってるのかな……?」
小首をかしげて微笑むと、目の前の彼女は、口をパクパクさせた。私は、容赦なく、顔を彼女に近づけた。
「なあに?」
「ひ、は、ふぅ……!?」
……女の子の声が、もはや、言葉になっていないんですけど。あまりの反応の良さに、私は苦笑いをこぼしそうになる。
私――これでも、女なんだけど。
私、伊澄かおるは、一般的な女子高生だと思う。ただ、容姿に問題があった。168センチの高身長に、怜悧な印象を植え付けてしまうらしい、キリリとした顔立ち。……整った顔をしているんだろうけど、些か、女の子っぽさからは離れてしまうのである。それに、私がスカートなどの動きにくい服装を嫌ったのも祟った。
幼稚園の頃からも、私は他の男子を押しのけ、ままごとなどではパパ役、王子様役。中学の時の文化祭でやった劇だって、逆転白雪姫と称し、私が王子役。しかも、劇が終わった後の撮影会もすごかった。
そこから、私は、開き直ったのだ。案外、演じるというのも、女の子にちやほやされるのも悪くはない。こうなったら、楽しもうじゃないか、と。
その結果というのが、今だ。
まあ、単純に、性別が完全なる男であるイケメンに話しかけるより、同性の私の方が、色々と声をかけやすい上に、頼み事もしやすいということなんだろうと思っている。たぶん、間違いではないはずだ。まあ、性別が一応、女であるだけあって、女の子の気持ちがわかるというのも大きいのかもしれない。
そんなわけで、女の子から絶大な支持を受けています。
もちろん、彼氏いない歴イコール年齢です。
あ、でも、可愛い女の子たちが慕ってくれているので、何も文句はありません。はい。
そんな高校1年生、伊澄かおるには、兄が1人います。兄、伊澄真の評価は、残念なイケメンです。確かに、顔立ちは私と似てて、しかし、私より男らしい感じで、おそらく、大人しくしていたらモテたはずだと思う。
しかし、まあ、暑苦しい。暑苦しいのだ。良く言えば、熱血男子なんだけど。みんな、初めて、兄の熱血っぷりを見たら引く。まあ、怜悧な印象のインテリっぽい兄が熱血、だもんね……。ちょっと、うるさいお兄ちゃんである。
あ、一応、妹としてフォローしておこう。ああ見えて、いい人なんだよ。うちの兄ちゃん。
うちの兄さんが行動を起こしたのは、まだまだ、残暑の厳しい、とある日。体育祭が終わった数日後の放課後のことである。
ヤツらは、うちのクラスに乗り込んできたのだ。
そう。ヤツ“ら”。複数形。
教室から女子の黄色い悲鳴があがってくる。他のクラスの女子もヤツらのことを一目見ようと、うちのクラスに群がってくる。
「かおる!」
「……兄さん、どうしたの、一体」
……嫌な予感がひしひしとする。たまに、兄さんは、常人には理解できないことを始めることがある。いや、1人で勝手にやってくれる分には構わないんだけど……。こうやって、人を巻き込むことがままあるのだ。私は、ため息をついた。
兄さんの後ろからは、兄さんがいつもつるんでるお友達が3人。類は友を呼ぶとは、よく言ったもので。この4人、そのことわざを見事に体現しているのである。
この人たちは、タイプは違えど、整った顔立ちをしている。ただ……ね。みんなは、アイドルのように彼らのことを扱っているようだけど……もう1度言うね。
“類は友を呼ぶ”のである。
兄さんは、残念なイケメンである。
……いや、まだ、兄さんのお友達とは大して関わったりしなかったもんだから、決めつけるのも良くはないとわかってるんだけど……、この兄さんと仲良くやっていけているのだ。少なくとも、普通であるはずなどないだろう。
「かおる……」
兄さんは、なんだか、深刻そうな顔をつくって言った。本気なのかどうかは、私にはわからない。クラスメイトたちは、完全に、兄さんの空気に騙されて、私たちのことを息をのんで見守っている。
しかし、さっきから、私が感じているのは、嫌な予感。ため息をつきながら、とりあえず、先を促すことにしてみた。
「何……」
「ごめん。兄ちゃんが間違ってたわ」
その言葉を聞いた瞬間、頭を抱えたくなった。それは、兄さんのよくわからない発言もそうだけど、兄さんの後ろに控えているお友達が、うずうず、わくわく、どきどき……そんな擬音語が当てはまりそうな感じで……いや、なんか、楽しそうというか、ね。
あ、面倒なことになるな、とは思った。
「かおる、今のままじゃダメだと思うんだ」
「何が。急に、どうしたっていうの」
「かおる。お前は女の子なんだ。実は、少し前から、気になってはいたんだ。まあ、かおるがいいんなら、それでも……なんて思ってたけど」
あ、なんか、これからの展開が読めたような気がする。無駄な足掻きかとは思ったけど、この事態はぜひとも、回避させていただきたい。
「いや、それは、兄さんが気にすることなんかじゃないでしょう。兄さんがさっき言ったように、私は、これをやりたくてやってるんだから」
「でも、そろそろ、彼氏の1人や2人や4人や5人……つくるような年頃だろう。兄ちゃんはな、かおるの花嫁姿が見たい」
「彼氏が何人もいちゃダメでしょう。それに、結婚なんて気が早すぎるし……。切羽詰ったら、最悪、お見合いという手段もあるんだから、今から焦らなくっても……」
「兄ちゃんはな、こんな、年頃の女の子がな、男の子より女子にモテるってどうなのかなって思うんだよ」
「あー……はいはい」
「かおるだって、元はいいんだ。オシャレすれば、絶対に綺麗になれる! 男子にモテモテなんてのも夢じゃないと思ってる!」
「あー、はいはい」
「ちょっとした工夫で女の子は変わるんだって銀治だって言ってたし」
「あーはいはい」
「何が問題かって、兄ちゃんは、かおるが男に対する興味が皆無なことだと思うんだ」
「はいはいはい」
「だから、こいつらを連れてきた。こいつらなら、かおるをなんとかしてくれると思うんだ。なんたって、この学校でトップクラスのモテ男だからな! かおるといい勝負だと思ってる」
「はいはい」
「兄ちゃん、この夏が勝負だと思ってるんだ」
「んー……。ってか、もう、夏も終わりだけどね」
「こいつらも、快く協力してくれるって言ってる。だから、頑張ろうな、かおる!」
「あ、再放送はじまる……」
「ちょっと!? かおるちゃん、兄ちゃんの話聞いてた!?」
「嫌だ。勝手にしてて。私は知らない。じゃ、先に帰るから」
「かおるちゃーん!?」
兄さんの叫び声が聞こえてはいたけど、無視だ、無視。私は、兄さんを軽くスルーして、教室を出たのだった。
本格的に面倒なことになったとわかったのは、翌日のことだった。体育祭も終わってしまったことだし、そろそろ、学園祭の企画が始まるだろうと思う。
私は、いつもと同じように、挨拶をしてくれる女の子たちに笑顔で返事をしながら、靴箱に手をかけた。その時、背後に誰かの気配と圧迫感。すっと、目線を持ちあげると、私の頭より少し上の位置にゴツゴツした男の手が置かれていた。
そっと、上履きを手にしたまま、振り返ると、昨日も兄さんの後ろにいた兄さんのお友達その1。……ごめんなさい、先輩。お名前は存じ上げません。
「おはよ、かおる」
まわりから黄色い悲鳴があがった。目の前の先輩は、なんだか、得意げに、にやっと笑ってみせるのだ。
先輩は、左手はズボンのポケットに突っ込んだまま、右手を靴箱の上にかけて、私の顔をのぞきこんでいるのだった。
壁ドン……いわゆる、今時女子のときめきポイントなわけだけど、なんか、違う。私は、きっと、冷めた視線を送っていたことだろうと思う。
「かおる? “おはよう”は?」
にやりとした笑みのまま、さらに、顔を寄せてくる。
……確かに、綺麗な顔をしている。女々しいわけでもなく、男臭いわけではない。分類としては、中性的な顔なのかもしれないけど、決して、女に間違われることのないであろう顔立ちは、おそらく、イケメンの中でも、広い幅の人に受け入れられやすい顔なのではないかと思う。
まあ、確かに、後輩として……というか、人として、真っ向から、あきらかに私に挨拶をしてきてくださっているのに、無視するのはいけないだろう。
「おはようございます。先輩」
すると、先輩は、優しげに、でも、どこか、イタズラに笑って顔を近づけてくる。きっと、そのままだと、私のおでこに着陸するであろう唇。それを阻止するために、腕を伸ばして、先輩の顎を手で引っ掴んで止めた。
「……かおる?」
「先輩、わかってないですね」
「は?」
私の言葉の意味が理解できなかったらしい先輩は困惑した声をあげた。先輩が顔を私から離したから、私は、その顔を見ながら、口を開いた。
「壁ドンや顎クイって、確かに、女子の好物なんだと思います。実際、流行ってますし。でも、注意事項があるでしょう?」
「注意事項?」
先輩の訝しげな顔に、この人は、どれだけ自分に自信があるんだよ、と呆れた。きっと、私が言った言葉に驚くんじゃなかろうか。……やっぱり、兄さんのお友達。どこか、残念臭が漂う。
「“ただし、イケメンに限る”」
私の言葉を聞いた先輩は、不服そうな顔だ。
……確かに、ね。顔だけなら、先輩も十分、イケメンだとは思いますよ?
「正しくは、“自分が好みの男性であること”でしょう。異性の好みなんて人それぞれ。みんながみんな惚れる異性なんて存在しないでしょうし、そもそも、イケてる面でイケメンではなく、イケてるメンズでイケメンですから。そこんとこ、お間違えなく」
「んー……かおるは、俺のことが嫌いってことなのかな?」
「いや、なんていうか……それ以前の問題というか……。先輩って、見かけによらず、お子様ですよね。女子のウケを狙って、壁ドンしちゃう辺りとか。
これは、あくまで、私的思考なのですが、おそらく、壁ドンの良さっていうのは、狙ってやるわけではなく、“この子を逃がしたくない!”っていう必死な思いから出た行動であり、自分が少しでも好意を抱いてる相手が、自分だけを見てくれてる、求めてくれてる……ちょっと、乱暴なことをしてでも手に入れたいという独占欲……そういうシチュエーションや相手の気持ちが彼女たちの大きなときめきポイントとなっていると思うんですよ」
「…………」
「先輩、私のことを見てないのは一目瞭然でしたし……。私、お子様は兄さんだけで十分ですから」
「…………」
何も喋らなくなってしまった先輩の腕をさっとどけて、靴を履きかえると、しんと静まり返った靴箱を後にした。
さて。兄さんがやってきたのは、お昼休みのことだった。
「か・お・る・ちゃぁぁあああん!?」
お昼休みが始まって早々、騒がしく登場した我が兄。ずうずうしくも、この教室でお昼を食べるつもりらしく、手には弁当袋。
私は、すでに、女の子に囲まれて、お弁当を食べ始めていた。その光景を見た兄さんは固まった。
「……何、このかおる帝国的な何か」
「んー……いつも、女の子たちと一緒にお昼は食べるんだけど、確かに、今日は少し、人数が多いかもしれない」
「…………」
何の用だろうか、と箸を休めることなく、兄さんの方へと視線を投げかける。
「お前、朝、さっそく、銀治が突撃したのに、何言ったんだよ!?」
どうやら、あのお子様な気取った先輩は銀治先輩というらしい。
「いや……大したことは言ってないと思うんだけど」
「いやいやいや、大したことないわけないだろ!? 銀治のヤツ、相当、ショック受けてたけど……!?」
「メンタル弱いなぁ……」
「……かおるちゃん…………?」
「んー……。なんか、少し勘違いしてたみたいだから、それを指摘しただけなんだけどな」
「は?」
「いや、壁ドンしときゃ、おちるだろ、的な? バカだろ。っていうか、女の子をバカにしすぎだと思うんだ、あれは。だから、壁ドンや顎クイが、なぜ、女の子に受けるのかを説いてみた。
別に、壁ドンや顎クイっていう行動自体にはそこまでの意味はないと思うんだよね。条件さえ満たしていれば、あの形じゃなくてもときめくものだと思うし」
「……ようは、銀治は、賢いかおるちゃんに、見事、論破されたってわけだな。ぎったんぎったんに言われたってわけだな……?」
「いや。ぎったんぎったんにはしてない。事実しか言ってないぞ」
兄さんは、私のことをジト目で見てくるけど、嘘は言っていない。
早く食べないとお昼休みなくなるよ、と兄さんを促せば、兄さんは、傍にあった椅子を引っ張ってきて、私の斜め後ろという微妙な位置でお弁当を食べ始めた。
すると、女の子のうちの誰かが、ぽつりとつぶやいた。
「ほんと、かおる様って、素敵だわ……」
「惚れ直しましたもの……」
「ふふ、ありがとう」
私としては、自分の思ったことを言ったまでなんだけど、共感してくれた人は結構、多かったようだ。それが、なんだか嬉しくて、はにかんでお礼を言った。
そんな光景を1歩引いたところから、兄さんが眺めていた。
「…………また、かおる信者が増えたか」
兄さんは、こりてないのだろうか……。
私は、目の前の彼を見て、頭を抱えたくなった。そんな私のことを、まわりの人間が面白そうに見ている。……特に、男子。女子は、なんだか、少し心配そうに見守っている。
この数日で、なぜだか、先日に起こった、靴箱での銀治先輩とのやり取りについて広まっており、兄さんが私の改造に乗り出した、とこの学校で一種の興味をひいているようなのだ。クラスメイトどころか、先輩方、挙句には先生にまでもからかわれる始末だ。
“さあ、男子より女子にモテる伊澄かおるをおとす男は誰だ”と特に変わったところのない、娯楽の少ないこの学校では結構、大きな話題となっているようである。暇人め。勘弁してくれ。
話を戻そう。
目の前にいるのは、銀治先輩とは180度違うタイプの男子生徒だった。くりくりとした大きい瞳は、緊張しているのか少し潤んでいて、ぷるんぷるんの桜色の唇は湿っている。鼻もこぢんまりとしていながらも形が整っており、綺麗だ。決して、太っているわけではないのに、ふくふくとしていそうなほっぺは、ほんのりと桃色。……そして、私より身長が高いくせに、不安そうにうつむいた彼から向けられるのは、上目遣い。首が痛くなったりしないんだろうか。極め付けに、染めていないんであろう黒髪は、ふわふわとしている。自然な感じがするから、おそらく、元からの癖だろう。手触りの良さそうなそれには、つい、手を伸ばしそうになる。まとめると……天使のような男である。……女の子には、大変申し訳ないけど、その辺の女の子より可愛らしい。男の癖に、優に女の子を上回るレベルである。
そういえば、確かに、こんな人もいた。いつも、兄さんたちの影に隠れてはいるけど。
完全なる草食系か。もしや、私の母性本能をくすぐりにきたか。兄さんもわかっているではないか。確かに、私は、こういうタイプの子に強く出ることができない。女の子に弱いというのと同じ理由である。
可愛いものとか、か弱そうなものとかは、大事に扱わないと壊してしまいそうな気がして怖いのだ。いや、可愛いものが嫌いなわけじゃないけどね。むしろ、好きですよ、はい。
「……あの、先輩。どうかしましたか。兄に何を言われて来たんですか?」
「え、僕が先輩だってわかる……!?」
なぜか、先輩は、その大きな瞳をキラキラと輝かせた。……なんか、嬉しそうである。
「……いや、だって、いつも、兄の影に隠れてるじゃないですか。兄の友人なんでしょう。知ってます」
「……ああ、うん……。隠れてるわけじゃないんだけどな」
「あ、そうなんですね。いつも、後方にいるから」
「いや、でも……先輩だってわかってて、先輩扱いしてくれなかったりするし……」
そう言うなり、先輩は、うつむいてしまった。私は、そんな先輩をどう扱ったらいいものか、少しばかり、対応に困った。やっぱり、私は、こういうタイプに弱い。
「あー……先輩って、可愛らしいから、イジワルしたくなっちゃうんですね、みんな」
「そうなんだよ! みんな、僕が泣いたら、喜ぶの! ほんっと、酷いよね!」
そう大きな声で抗議した先輩の瞳には、もう、すでに、涙がたくさんたまっていて、今にも、泣き出してしまいそうだ。……その反応がダメなんだと思うんだけどなぁ。ついつい、苦笑いしてしまう。先輩は、そんな私の視線に気付いたらしく、むぅ、と頬を膨らませて、こちらを見ている。
私の顔を下から睨み上げるように、自分の顎を引いた先輩の髪が、私を誘うように、ふわり、揺れる。私は、その誘惑に抗うことなく、自然な流れで手を伸ばしていた。
「……僕、先輩なんだけど。子供扱いしないでくれる?」
「あ、いや……そんなつもりは。髪、ふわふわしてて、気持ちよさそうだなぁ、と。つい」
すると、先輩は、さらに、むむぅ、と顔をしかめるので、急いで、手を離した。触り心地のいい髪の毛でした。
……なぜか、外野のみなさんがスマホをこちらに向けて構えていらっしゃいます。何をやってるのかなー、あなたたちは。
そちらに困ったように笑いながら、顔を向けると、かしゃり、音が鳴った。
「きゃあ! かおる様の困り笑い、ゲット!」
女の子の嬉しそうな声。それに続いて、他からも悲鳴に近い声が上がった。
「かおる様ー! こっち、向いて!」
「かおる様、こっち!」
「こっち、向いてください!」
……あっちこっちから、同じような声が上がるもんだから、どこを向けばいいのかわからない。
すると、目の前の先輩が、ぎょっとしていた。
「何、これ……」
「すみません、うるさくしてしまって。びっくりさせてしまいましたね」
「いや……。いっつも、こんな感じ? なんで、こんなに人気あるの?」
「さあ……」
すると、先輩は、顔を再度、歪める。
「なんか、納得がいかない……」
「……はい?」
先輩は、可愛らしいお顔で私を睨んでくる。正直、そんな可愛らしいお顔で睨まれたところで、怖くもないし、威嚇にすらなっていない。むしろ、萌え、である。ごちそうさまです。
「僕も、かっこよく生まれたかった!」
……私だって、こんな男みたいな容姿に生まれたくて生まれたわけじゃないんだけどな。今は、これはこれで、まあまあ、楽しんではいるけど。
「先輩、適材適所といいましてね、人が活躍する場所というのは、それぞれ違うものなんですよ。私は、こんな感じに生まれてしまったので、可愛らしい花柄のワンピースよりも、ティーシャツにジーンズの方が似合いますし。それと同じだと思いませんか?」
「……何が?」
「確かに、先輩は、かっこいいって言葉は似合わないでしょう。でも、そんなに可愛らしいお顔を持ってるんですから、それを使わないでどうします?
世の中には、男臭い人が好きな人もいれば、綺麗な中性的な顔が好きな人もいますし、先輩みたいに可愛い人が好きな人だっています。極端な人だと、可愛い人じゃなきゃダメって人だっていると思いますよ?
それを持ってる人は数少ないんですから、先輩の強みになると思いますけどね」
そう言いながら、つい、いつもの癖で、先輩の頬に、そっと触れ、顔にかかっていた髪を耳にかけてあげた。
「肌だって、手に吸い付くようにモチモチのふわっふわ。素敵だと思いますよ?
濡れた大きな瞳は、吸い込まれるかのようにキラキラ光ってて、こちらを誘ってるのかと錯覚すらしてしまいます。それに、その、ふっくらとした桜色の唇を吸ってみたいと思う女性だって、この世の中にどれだけいるんだろう、とか、考えたことってありますか?」
できるだけ優しく微笑んでみせながら、下から、先輩の顔をのぞきこむようにして、首をかしげてみせる。そっと、その、少し震えているように思える桜色の唇の形を確かめるように、下唇の下を、触れるか触れないか辺りでそっと、なぞる。
先輩チャームポイントのひとつだと思う。
先輩は、びっくりしてしまったのか、体がびくりと小さく跳ねた。“ああ、すみません”と小さく謝ってみるも、びくりとするだけで、返答はない。
「あ、そういえば、先輩。お名前、なんていうんですか?」
「……小春。川原小春」
「可愛らしい名前ですね。先輩にぴったり」
「…………」
私は、先輩の唇周辺から手を離し、その手をそのまま、顎にかけて、少し視線が上になるように、クイっと上げてみせた。すると、例に漏れず、小春先輩はびくん、と大げさな反応。
「せっかく、身長高いんですから、女の子を上から見下ろすくらいの態勢でなきゃ。上目遣いだと、……確かに、可愛らしいですけど、常にそれだと、少し、自信なさげというか、頼りなく見えてしまいます。まあ、上目遣いも可愛らしいですから、そういうのは、いざという時に使いましょう。高身長は女の子からポイント高いですよ。だったら、使わなきゃ損、です!」
「あああ、あの……!」
先輩は、なぜか、私の肩を両手で掴んで、ぐいっと私から距離をとると、私を上から見下ろしてきた。
「そうそう! その調子! 上目遣いより、断然、男の子っぽく見えます!」
「…………!!」
……なぜか、顔が真っ赤だけど。まあ、それは、あえて、つっこまないでおこう。
しかし、なぜ、そんなに、泣きそうな顔をしているんだろうか。それこそ、誘ってるんじゃないかっていうか……煽ってるんじゃないかって顔だ。下手したら、相手によっては食べられちゃうぞ。ぱくん、と。
「か、か、かっ……
かおるちゃんのっ、バカぁぁあああ!」
「え、小春先輩……?」
先輩は、なぜか、全速力で走っていってしまいました。
さて。兄さんがやってきたのは、放課後のことだった。
「か・お・る・ちゃぁぁあああん!?」
ホームルームが終わってすぐに、走ってきたのか、ぜえぜえと息をきらしている。あれ? 一緒に帰る約束してたっけな、とスマホを確認してみるも、特に、何も連絡はきていない。私は、足音が聞こえそうなくらい、どしどしと、目の前までやってきた兄に首をかしげてみせる。
「一緒に帰りたかったら、連絡くれれば、校門で待ってたのに。だから、そんなに急いで来なくても……」
「ちっがーう!」
あー、うるさい。まわりで成行きを見守ってるクラスメイトたちに、目線だけで、申し訳なさそうにしてみると、大丈夫だよ、と言うように、同じような視線を返された。
私は、鞄に持って帰る物を詰めながら、クラスの子たちに迷惑だから、とりあえず、落ち着くように言う。兄さんは、私の目の前で深呼吸をすると、ブレザーのポケットからスマホを取り出し、何やら操作をして、私の前に突き出した。
「……兄さん、スマホ、私の目に近づけ過ぎ。見えない」
興奮してるのは見てわかるけど、それじゃあ、焦点が合わなくて見えない。兄さんの手をつかんで、それごと自分の顔から遠ざけて見ると、そこには、私と小春先輩が映っていた。……しかも、私が小春先輩に顎クイをしているではないか。……あれ? 私、こんなこと、したっけな?
あ、わかった。上目遣いはやめた方がいいって助言した時のだ。まわりから見ると、こんな風になってたのかー……。確かに、あの時、たくさんの……主に、女子が、スマホ構えてたもんね。
それにしても、私の肖像権はどこに行ってしまったんでしょうね。
兄さんは、苦笑いする私の顎をぐっと、少し強く掴んで、至近距離で目を合わせてきた。まわりがぎょっとしたのを肌で感じる。……この人、興奮しすぎると、距離感がおかしくなるからなぁ。近いんだよ。
「な、ん、で、女のお前が小春に迫ってんだよ! 兄ちゃんは、悲しいぞ! もっと、女の子らしい、可愛がり方ってもんもあっただろうが!」
「いや……別に、私は、小春先輩に故意に顎クイをやろうとしたわけじゃなかったんだけど……」
「故意であろうと、なかろうと、結果、こうなっちゃってるんだよ! 噂では、お前が小春の唇を弄んだらしいじゃないか! 逆なら、まだ、わかる! なんで、お前が小春の唇を弄ぶようなことになってんだよ!」
「ええー……。私、そんなこと、した覚えないんだけど」
「いやいやいや、お前のそれは信用ならない! 絶対にどっかで、それらしきこと、してるんだろ! 現に、小春のヤツ、噂について、否定できずにいるんだぞ!」
「ええー。そこは、否定しといてくださいよ。兄さんが」
「なんで、俺!?」
「小春先輩、自己主張、できなさそう」
私が、鞄を肩にかけながら言うと、兄さんは、ああ、確かに、とつぶやいた。まさに、苦虫を噛み潰したような顔とは、このことである。
「かおるちゃん……少しは、女の子らしくなろう?」
「兄さん、ぼーっとしてると置いて帰るよ?」
「え、待って。 女子って、そんなチョロイの……?」
私の後をちょろちょろとついてきながら、女の子に聞こえないように、私の耳元で、そんな声を発する男が1人。それを、まわりから、みんなが興味深そうに、あるいは、憎たらしそうに、見ている。
お察しだろう。彼は、兄さんのお友達その3である。
たぶん、前2人が兄さんいわく“撃沈”したそうで。これで、兄さんといつも一緒にいるメンバーと一通り話したことになる。
名前は、梅野景虎というらしい。苗字も名前も渋い。しかし、先輩の印象は、いたって普通の人、という感じである。とは言っても、兄さんやその他2人のお友達と比べて普通と言ってるだけで、一般的に見て、容姿は整っている方だと思うし、程々に明るく、程々に優しく……なんだかんだ言って、インパクトが薄いというか、兄さんたちほどアクがないというか……だから、女子にはなんだかんだ言っても1番受け入れられやすいタイプだと思う。
兄さんと一緒にいる私だから思うのかもしれないけど、程々が1番いいよね、うん。って、私が言えるようなことじゃないか。
先輩は、なぜだか、今日、靴箱で挨拶をしてきてから、予鈴が鳴るまで、だらだらと私とお喋りをしていったり、お昼休みにひょっこり顔を出したと思ったら、自然な感じにうちのクラスに入って、自然な感じに一緒にお昼を食べて、私を含めたみんなでお喋りをしたり……。
今も、文化祭の準備をしてる中に、クラスどころか、学年も違うくせに、うちのクラスに入り浸って、私の後を、まるで、金魚の糞のようについて歩くのだ。
銀治先輩や小春先輩と違うのは、景虎先輩の場合、引き際を心得ているというか、鬱陶しいと思われてしまう少し前に引くのがお上手で、ちょっと、邪魔だなぁ、と思いはしても、帰れ、と強く言えないということだろうか。兄さんたちの中では、1番普通だと……常識人だとさえ思っていたけど、もしかしたら、少し厄介な人かもしれないと思いはじめたのは、放課後になってからのことだった。
「先輩ー! これ、運ぶの、手伝ってもらえますー?」
「はいよー」
……なんで、うちの文化祭の準備の手伝いを普通にやっちゃってるんだろうか、この人は。というか、みんなもみんなで、なんで、そんな自然な感じに先輩に頼み事をしてるんだろうか。なんか、ここまでくると、もう、不気味だな、と思ってしまう私は、おかしいのだろうか。
「待って。佐伯さん、それは、私が運ぼう」
「え、でも、かおる様……」
「ほら、先輩だって、先輩のクラスのことしなきゃいけないでしょう? 先輩にも、先輩のクラスの人たちにも悪いから、行ってもらおう?」
「あ、そ、そうですよね。なんか、つい、当たり前のように……。先輩、すみません。ありがとうございました」
と、うまく、クラスの女の子を味方につけたところで、そろそろ、撤退してくださいよ、と言うつもりで、先輩の方を向くけど、先輩は、私のことなんて気にした素振りも見せずに、私が女の子から引き受けた荷物を見つつ問うた。“どこまで、持っていくのか”、と。
……ああ、やっぱり、この人は、簡単に心を許していい相手なんかじゃないぞ、と思った。
「かおるちゃんがやってることってさ、もしかしたら、自分がやってほしいって憧れてることだったりするんじゃないかなぁ、と思うんだけど、どう?」
景虎先輩は、天気がいいね、と同じようななんでもない口ぶりで言った。
先輩は、借りた工具を生徒会室に返しに行くんだと言った私に、生徒会室を通っても教室に行けるから、と私とクラスの男子で運ぼうと思っていた荷物を自分と私で行くから、と男子の持っていたものと、私が持つはずだったものの半分を抱えて教室を出てしまったのだ。そんなことを言われてしまったら、私も行かないわけにもいかず、残りの荷物を抱えて、先輩の後に続くしかなかった。
そして、生徒会室に行って、無事に工具を返した帰りのことだった。先輩は、とても優しげに、そんなことを言ったのだ。
「真のヤツはさ、かおるちゃんを少しでも女の子らしくしたいなんて頭抱えてたけど、かおるちゃん本人がそれでいいって頑なに言ってるのなら、無理やりこっちが勝手に進めるのも、俺としては、どうなのって思うわけさ」
急に、先輩はそんなことを話しだした。……今までの先輩たちの影響なのか、なんなのか、“この先輩も、また、違う切り口できたなー”なんて思ってしまった私は、ひねくれているのだろうか。
「でも、かおるちゃんが……もしね、自分の容姿にコンプレックスを持っているんだとすれば、それは違うんだってことは言っておきたいと思うんだ」
先輩は、歩きながら、私と話しているんだけど……そっち、私のクラスの教室でも、先輩のクラスの教室でもないと思うんですよ。一体、この先輩は、どこへ行くつもりなんだろうか。少しの不安を抱いてしまった私はいけないのだろうか。
先輩はというと、そんな私の気持ちがわかっているのかいないのか、立ち止まり、私の顔をのぞきこんでくる。……決して、身長の低くない私の顔をのぞき込むために、かがまなきゃいけないって、この先輩、身長高いな。
のんきに、先輩を観察していた私の頭に、そっと、まるで、壊れ物でも扱うかのように、先輩が触れる。そんな扱いをしてくれる人なんていなかったものだから、少し戸惑うとともに、少しくすぐったくもあり……そして、なんとなく、先輩の表情を見ながら、構えてしまう。
そろり、と。先輩の指先が私の頭の天辺から、頬、顎の辺りまで伝ったところで、なんだか、背中に嫌な汗をかいてしまったのがわかった。
……なんだろう。なんだろう、この、とてつもなく、嫌な感じは。
私の勘って、意外とよく当たると思うんだ。
がっちこちに固まって、冷や汗をかく私の顔を、まるで、蕩けてしまいそうな顔をした先輩が見てる。
なんだろう。 私、今、とても危ない状況に立たされている気がするんだ。
「王子様扱いされてるみたいだけど、髪は艶々でとても綺麗だし、肌も白くてさらさらしてる。うわ、すべすべだね」
うっとりとした顔して、私の頬をなでる先輩に、もう、私の鳥肌はマックスだ。全部の毛穴が開いてるんではなかろうか。
「怜悧で理知的な瞳に、綺麗な鼻筋に、桜色の唇。王子様なんてやらなくても、理知的な貴婦人のような美しさがあると俺は思う。……そう、女の子に限らず、その整った綺麗な唇を奪ってしまいたいと思ってる男は数えきれないほどいると思う」
……あれ? こういう展開には、なんだか、既視感ががががが。
いや、でも、わかる。この人、銀治先輩とは違って、ガチで言ってるよ……!
この人は、自分がどんな言葉を口走ってるのか、わかっているんだろうか。っていうか、素でガチで、こんなことを口走れる人がいてもいいのであろうか……!
「ねえ、かおるちゃん、無理に、とは言わないけど、もう少し、自分を女の子として見てあげたらどうかなって思うんだ。真が言う通り、王子様の才能があるんだとしても、せっかく、女の子として生まれて、そこまでの素材を持ってるんだ。もったいないと思うよ」
あれれれれ……なんなんだろう、この既視感は。
「ストップ! ストップストップストップー!」
少し離れた所から、大声が聞こえた。それは、景虎先輩の声でも、私の声でもない。声がした方に目を向けると、小春先輩がこちらに向かって走ってきていた。息を切らせて、顔を赤くさせている小春先輩の色っぽさといったら……。
ん? あれ? もしかして……
私は、記憶の中から、先日の小春先輩とのやり取りを思いだして、納得した。さっきの景虎先輩、先日の小春先輩と私のやり取りと似てるんだ。……小春先輩、こんな気持ちだったのかなぁ……。
景虎先輩はというと、小春先輩を一瞬、ちらっと見たけど、なかったことにするかのように、改めて、私と向かい合った。
「景虎、ストップ!」
小春先輩は、景虎先輩から、力ずくで私を引き離すと、私の腕を引っ張って走りだした。……景虎先輩と引き離そうとした時、ちょっと、痛かったけど、私のためにやってくれたのは、十分にわかっているので、声が出ないように我慢した。
走りながら、小春先輩は、後ろを確認する。私も、それにつられるように、後ろを見てみるけど、すでに、景虎先輩の姿は見えない。だけど、念には念を、ということか、小春先輩は、まだ、走るのをやめない。
「……小春先輩、先日はすみませんでした」
「なんの話?」
「さっき、小春先輩の気持ちがわかったんです」
「……なんの話?」
小春先輩は、はじめは、本当になんのことかわからないって声だったけど、2度目は、不服そうな声だった。……まあ、怒ってないなら……もう、なかったことにしたいと思うなら、私も、わざわざ、言及することはしません。ええ。本当に、ごめんなさいです、先輩。
小春先輩は、そこから少し走って、適当な空き教室に私を連れて隠れた。教室の隅で肩を寄せ合うように隠れながら、小春先輩は、口を開いた。
「……僕らの中では、1番景虎が厄介っていうか……見境ないんだよね。それこそ、男だろうが、女だろうが」
「……小春先輩」
まさか、と思って小春先輩の顔色をうかがうと、小春先輩は遠い目をした。
「……言っておくけど、僕、まだ、食われてないからね。これでも、腕力には自信あるんだ。たぶん、いつも一緒にいるメンバーの中でも1番力あると思うよ」
「へー。こう言ってはなんですけど、意外です。力のある男の人って、なんか、心強いですね」
「え……あ、ありがと」
こういう褒められ方には慣れていないのか、少し戸惑ったように言った。いやぁ……可愛い。
なんだか、癒されるなぁ、と小春先輩を眺めていると、先輩も私の視線に込められた感情に気が付いたのか、むっとした顔をして、わざとらしい話題転換をした。
「僕はさ」
「はい、なんでしょう」
「……ねぇ、いい加減、そのイラッとする目、やめてくれないかなぁ」
本当に嫌そうに、でも、控えめな口調で言うもんだから、やめてあげることにした。どっちかって言うと、恥ずかしいと思ってるんだろうなぁ、っていうのは、先輩を見てればわかる。
先輩が“不機嫌です!”って顔をして黙り込んでしまったのも、なんだか、可愛らしくて、少し吹き出しそうにもなりながら、話の先を促した。
「で、どうしたんですか?」
「……あのね、僕は、景虎も銀治も真が言いたいことをわかってないんじゃないかなって思うんだよね」
“あのね”って可愛いな、おい……!
たぶん、男でそんな言葉を使って許されるのは、小春先輩くらいのものですよ、きっと……。
いやいやいや、そんなことを言ってる場合ではない。どういうことなんだろう。兄さんの言いたいことがわかっていない……?
小春先輩は、私が意味を理解してないのがわかったらしく、少し考える仕草をしてから、説明をはじめる。
「真はさ、僕らに“かおるが今のままじゃ心配だ。女の子には、女の子の幸せとか、楽しみとかあるじゃん? それが、まわりの目のせいで、思うようにできてないんじゃないか”って言ったんだよ。それが、かおるちゃん改造計画、もとい、かおるちゃん女の子計画のはじまりだったんだよね」
「なんか、すみません」
熱血な兄さんのことだから、結構、強引に先輩方を巻き込んでしまったんじゃなかろうか。そう思っての苦笑いだったんだけど、小春先輩も、私に苦笑いを返してきたのだ。
「いや、銀治と景虎は、あの通り、はじめっから、ノリノリだったからね。ちなみに、かおるちゃんには、いい迷惑かもしれないけど、銀治のヤツ、今度こそはってかおるちゃんへのアプローチ考えてたから、たぶん、近々、2回目の銀治襲撃が来ると思う」
……まだ、やるのか、あの人は。
苦笑いのまま、顔をつきあわせて、少しだけお互いに笑った私と小春先輩。小春先輩は、それから、真剣な顔に戻って言った。
「真はさ、かおるちゃんのことが心配なだけなんだよ。女の子らしいことがしたい、女の子としての幸せが欲しいって、かおるちゃんが思ってるなら、少しでも力になってあげたいって思ってるだけで、男子よりモテるかおるちゃんのことを、真や僕らがどうこう思ってるわけじゃない」
「……はい、わかってます。うちの兄は、熱血で暑苦しくて、残念なギャップを持った男ですけど、優しくて家族思いなのも知ってますから。……ただ、空回りが多いのが玉に瑕ですけど」
「……うん、合ってる。間違ったことは言ってないけどさぁ……ほんと、かおるちゃんって、容赦とか手加減ってものがないね」
「兄限定ですから、心配しないでください」
私の受け応えに、小春先輩は、なぜか、苦笑いをした。首をかしげてみるけど、小春先輩は、それについて詳しいことは語らなかった。
「でもさ、あくまで、真は、そういう心配をしていただけで、僕らは、真が心配してたような悩みをかおるちゃんが実際に持っているのかどうか、さりげなく確かめてほしい。何かできそうなことがあれば、協力してほしいって言ってただけなんだけど、どうも、他2人が暴走してね」
「ああ……」
あれ、暴走だったんですね。
「ほんっとうに、かおるちゃんが、現状が1番幸せだって、このままが1番いいんだって言うんだったら、そっとしておいてやってほしいとも言ってたよ」
「そう、ですか……」
まあ、兄さんらしいと言えば、そうかもしれない。幼い頃から、兄さんは私には甘かったから。
「銀治は、俺に落とせばいんだろ、なんて横暴っていうか、力ずくなこと言うし、景虎は景虎で、女の子には女の子の魅力があるんだから、それに気付きさえすれば、シンデレラに……とか、わけのわかんないことばっかり言ってるし。ってか、基本的に、景虎はやること気持ち悪いんだよね。自重しろって言ってるんだけど……」
「気持ち悪い、とは、結構、辛辣ですね」
「いや、これ、ほんと。かおるちゃんの精神衛生上、詳しいことは言わないでおくけど、そろそろ、……っていうか、バレたら真からストップが入ると思うんだ。ってか、絶対にキレるな、真のヤツ」
小春先輩は、何かを諦めたかのような、疲れたような顔をしていた。思っていた以上に小春先輩は、常識人だったようだ。小春先輩のため息が……重い。いつも、ご苦労様です。
「それにしても……」
「ん?」
改めて、小春先輩を見て、つい、つぶやくと、小春先輩も首をかしげて、先を促してくれた。
「だいぶ、前に会った時と印象が変わりましたね」
「ふふ、そう……?」
お上品に笑ってみせて、小首をかしげた小春先輩の神々しさといったら、もう……。まぶしい……。
「はい。なんか、前より、ずっと、男らしくなったっていうか、しっかりしたというか……頼り甲斐があるというか……」
「ほんと? かおるちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな」
小春先輩は、そのことについては、深く語る気はさらさらないらしい。私に、そう言うとそれ以上は口を開かなかった。
「……そろそろ、大丈夫かな。かおるちゃん、教室まで送るよ」
「え、大丈夫ですよ」
「いいから、いいから。ほら、僕、頼り甲斐あるんでしょ? 思う存分に頼ってよ」
小春先輩が、まるで、別人のようだ……。だって、もう、兄さんたちの後ろにいるようなイメージなんて吹っ飛んじゃった。
きっと、いくら断っても引かないんだろうなあ、ということはわかったので、大人しく小春先輩の言葉にうなずくと、小春先輩は、私の頭に、ポンポン、と軽く2回、手を落としたのだった。
さて。兄さんがやってきたのは、風呂上りのことだった。
「か・お・る・ちゃぁぁあああん!?」
本日の課題、数学の問題集をやっている最中のことだった。勉強机から顔を上げて、兄さんのことを睨みつける。
「兄さん、一応、女の子の部屋なんだから、ノックくらいして。私の着替えが見たいとかじゃないんでしょ? もし、そうだったら、縁切るけど」
「違う違う! ごめんなさい! やり直します!」
面倒くさいから、そんなことしないでいい、と言う前に、兄さんは慌ただしく部屋を出ていって、全力でドアを3回叩いた。……うちの兄さんは、私の部屋のドアを叩き割りたいんだろうか。もう、面倒くさいので、文句を言うのもやめにして、“どうぞ”とだけ声をかけた。
「か・お・る・ちゃぁぁあああん!?」
……名前叫ぶのも、もう1度やるのか。わざとなのかはわからないけど、やっぱり、面倒だったので、追及はしないし、文句も言わない。
「兄さん、近所迷惑だから、声を抑えて」
注意だけはしておく。兄さんも、自分が大きな声を出した自覚はあるらしく、口を押えたけど、もう遅いし、意味がないと思う。
このままの流れでやっていたら、いつになっても、兄さんの用事とやらは終わりそうにないので、こちらから話を切りだしてみることにする。
「で、なんの用?」
すると、兄さんは、ばっと、私の顔を見た。……うわ、なんか、面倒くさい。
顔を引きつらせる私に気付くはずのない兄さんは、ずいっと、顔を私に近づけてきた。……この人、ほんと、興奮した時の距離感がおかしい。いや、色んな意味で常におかしい人かもしれないけど。
「景虎に接触されたって!? 大丈夫なのか!? まだ、ちゃんと処女か!?」
「…………」
……妹に向かって、なんてこと聞いてくれちゃってるのよ。っていうか、まあ、私だから、ありえないとか思われてても仕方ないのかもしれないけど、景虎先輩に接触される前に、処女喪失していたとか言ったら、この人はどんな反応をしたんだろうか。
「兄ちゃんは、迂闊だった。あいつには特に、1人でかおるの所に行くなって言っておいたのに、小春以外は俺の言うこと、全く聞かないんだよ。ほんと、あいつらになんか、軽い気持ちで相談するんじゃなかったよ……」
兄さんも、なんだかんだで、苦労しているようだ。まあ、兄さんも、人のこと言えないくらい変わった……というか、残念な男ではあるけど、さすがに、仲いい友達は気軽に相談できない人間って、ねえ……。
「で、無事なんだよな!? 無事なんだよな、かおる!?」
「……兄さんには関係ない」
「かおるちゃぁああああん!?」
デリカシーないことを当然な顔して……しかも、ご近所にまで聞こえてそうな大声で言うもんだから、あえて、そう答えてやると、また、叫んだ。
「お、おにっ……おにい、ちゃん、は、どうすれば……」
「とりあえず、部屋から出ていけばいいと思うよ」
キリのいいところまで詰め込んだら2万文字弱になってしまいました……。読みにくかったら申し訳ないです。