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十割

 壁に激突したライナは肺の空気が逆流するような音をさせ、間もなく網で捉えられる。

 頭を強打したのか、ライナは意識はあるらしいが抵抗らしい抵抗もなく天井に吊られた。

「ふぅぅ、これで静かに研究を続けられるよぉ。そっちのロリ子ちゃんはあれだねぇ、魔族かなぁ?」

 網が蠢き、ミノムシのように顔だけ出された童女が唾を吐き出す振りをした。

「気持ちの悪い呼び方をするななの」

 身体を動かそうとしては網が揺れるだけで、眉間には皺を寄せている。


「無駄無駄無駄ぁ、その網はこの深淵の魔王を捉えた網なんだよぉぉ。歴代最強と言われた魔王を捕まえたその網、魔族じゃあどうも出来ないよぉぉ」

 宙吊りにされたまま、頭に血が上って来たのかどうにもぼうっとする。

「魔族じゃなきゃなんとかなるのか?」

「ひぎぃ! そんな責めるような目をするなよぉぉ。仕方ないだろうぅ? 魔族を捉える拘束具が欲しかったんだからさぁ。僕は一発明品に一目的しか込めない! これが科学者の美学ぅぅぅぅ!」

「素朴な疑問なんだが、俺とライナは魔族じゃないぞ」

 一目的なら魔族を捉えるだけじゃないだろうか。そんな疑問がぼやけた思考の奥で生まれた。


「ぷぎゃぁぁぁぁぁ!」

 電撃に打たれたように佐伯は痙攣し、元より濁った目をさらに濁らせ、それから白目になった。

「あ、ああ、あぁぁぁ……」

 網の拘束が解け、俺とライナは機材の上に降り立つとまたそれが砕ける音がした。ただ拘束が解けたのは俺とライナだけで、童女は変わらずミノムシと化していて、その唇を尖らせている。


「深淵んんん、出番だぁ」

 虹色のレンズに光を反射させ、佐伯は天を抱きしめようとするように腕を開く。その動作と声に反応してか深淵の魔王が馬の下肢を走らせ、迫る。じゃらじゃらと深淵の魔王を覆う鎖が音を立て、山羊の頭部が興奮を表す白い息を吐く。

 錬気を身体に広げるが、広げた端から霧散していった。視界の端でライナも同様の状態に陥っているらしく冷や汗を流している。


 深淵の丸太のような腕が迫り、死を覚悟した。錬気なしで受けるには重量も速度も高過ぎだ。

 深淵の拳が頬に触れ、そのまま振り抜かれた。首から嫌な音がしたのを体内で感じ、そしてその声が耳に届く。


「小僧、これが最後じゃ。代わるぞ」

 俺は幽世で漂う幽体となり、俺の肉体は魔王と代わるには遅すぎたのか、首を百八十度曲げていた。

「ようやくじゃ。一心、貴様の策、ようやく破ったぞ」

 人体であればあり得ない真後ろへと首を向けたままの俺の肉体が言う。

 肌は黒く、その目は夕日よりも赤く輝いている。そのあんまりな光景に、俺は無許可で身体へ乗り移られた事に対する疑問を、口にすることが出来なかった。


 鈍い音と共に首が元の方向へと戻り、その顔は俺からは見えなくなった。

「ひぎ、君、君は、灼眼じゃあないかぁ!」

「久しいの、佐伯」

 虹色のレンズを輝かせ、そして濁った瞳は歓喜でくすんだ光を浮かべている。

「一心、一心と言ったねえぇ。あの極悪錬金術師に何をされていたんだい可哀想に。ああぁぁぁ、みなまで言わなくていいぃ! 僕は信じていたよ君が死んだはずがないと信じていたよぉぉぉぉ!」

 涙を滝のように流しながら佐伯は不可思議な踊りをしている。


「のう佐伯」

「何だいぃ? 何でも言ってくれよぉぉ。百年振りの再会だ、何でも聞こうじゃあないかぁ」

 一体どんな関係なのか、佐伯が灼眼の魔王との再会を喜んでいることはありありとわかった。

「あの娘を造ったのは貴様かの?」

「あの娘え? ああ、あああぁぁぁ。あの結晶っ子かいぃ? 残念だ、実に残念だよぉ! アレは僕じゃない。僕の科学は一心の一族の錬金術にある意味で後れを取っているんだぁぁ! 悔しい! 実に悔しいぃぃぃ!」

 佐伯が頭を抱え転げまわり、床に散らばる機材を破壊していく。


「そうか、ところで佐伯。我はあの娘を屠りたいのじゃが、何か手立てはあるかの?」

 床に転がったまま、上半身だけを起こした佐伯は、思案して見せたのち、ため息を吐いた。そして濁った瞳をわずかに細める。


「アレは錬金術の最高傑作だよ。今の僕にはアレをどうこう出来る理論は思いつかない。君のくれた深淵は大いに役立った。だがそれでも僕はまだ錬金術を超えられない」

 伝えきったのか、佐伯は頭を振った。

「そうか、ならば終いとしよう」

 佐伯が真意を質そうと口を開いたその瞬間、彼はその形の炭と化した。一瞬だけ見えたのは青い炎だった。


 主を失った深淵が雄叫びを上げ、研究室が揺れる。

 全身から紫の錬気を噴出し、暴力の化身となった深淵が駆け、そして剛腕を振るう。

 その剛腕が刹那に赤い粉となった。

「ふん、佐伯め。何が異界化じゃ。綻びだらけではないか」

 俺の肉体から淡い六色の光と、濃い紫の錬気が立ち上る。

 幽体となり、ない喉ではあったが、喉が鳴る思いだった。


「ぶふー、ぶふー」

 深淵の荒い鼻息は興奮からなのか苦痛からなのかもうわからなくなっていた。

「偽りの大魔王よ。近しき者としてその役目に終止符を打とう」

 わざわざ鏡の前で憐憫の顔など浮かべはしないだろう。だからそれは俺が初めて見る俺の表情だ。

 魔王の周囲に、青い火の粉が舞う。それは明滅を繰り返し、それが見た目通りの火の粉ではないことを報せた。


 魔王は天井を仰ぐと、深淵に向き直った。

 それからは時の流れが乱れたような戦闘が繰り広げられた。

 深淵が雄叫びと共に魔王へと肉迫すればその肉体を食われる。

 深淵が距離を取れば取った分だけ魔王が歩み寄り肉体を食む。

 深淵がその瞳から光線を放てば魔王が握り潰す。


 大魔王と呼ばれた深淵は、魔王を前になす術がなかった。

 気づけば深淵は残すところ山羊の頭部だけとなっている。本来あった肉体は今、その多くが魔王の腹の中だ。

「ようやく十割じゃ」

 そう口にすると魔王は山羊の頭部を放り投げ、捨てた。

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