灼眼の求めたモノ
「なんなんだよ、あれは」
ライナの声には誰も答えられないと思った矢先だ。童女が一際強く多命の賢者の欠片を砕く。
「複製人間なの。少なくともこいつらはそう呼んでたの」
科学というものは、人間も作れるのか。そう背筋が震えた。
「察するにマリアを作ってやろうとでも口にしたか、愚かじゃな」
魔王が粉々になった多命の賢者を見る目はどこか哀愁を漂わせていた。声調こそ乾いていたけれども、その目は今ここで見られる情景を映していないだろう。
「それくらいなら半殺しで勘弁してやったの」
「……すでに製作済みじゃったのか?」
首肯すると共に童女の氷の腕が周囲を指示した。雪に覆われているその下が今はどのようになっているのかを俺は知らない。だけど、童女の性格から察するに全ては破壊されているのだろう。
「なんか意外だな。魔族なら気に入ったものが手に入るに越したことはないって価値観だと思ってた」
もしも俺が死別した両親を作ってやろうと言われたらいらないと答えるだろう。どういう出来なのかは知らないけど、例え記憶や性格全部が全く一緒の両親が作れたとしても、俺はそれに納得がいかないと思う。だけどそれは俺に限らず人間はそう感じるはずだ。作れるものは、所詮作られたものであって、それ自体がそう在ろうとしたものではないのだから。
「人間共は人間とそれ以外で区別し過ぎるのじゃ。加えてその定義は曖昧で、流動的。もっとも後者は魔族もじゃがな。要はじゃ、気に入った者はの、その死すらも愛おしく思えるのが魔族じゃ」
俺の質問に対する答えとしてはちぐはぐで、俺が口にせず頭で考えたことに対する答えとしては少し理解が難しかった。
「よく、わからないな」
素直にそう言うと、魔王は無感動にただ目を閉じるだけだった。
「勇人」
この場においてただ一人寒さに震えているライナが、一点を見開いた目で見つめていた。その視線を追い、俺は地面がなくなったかのように思えた。そこにはより多くの機材が取り付けられた容器があり、そしてその中に俺の複製人間がいた。
「おいおい、複製人間ってのはゼロから作り出せるのか?」
自分の口から随分と乾いた声が出る物だと、妙に客観的になっている自分がいる。
「それはどうかの。無から有を生み出すことを難しいとは言わぬが、似すぎじゃ。おそらくこの複製人間共の元となった人間は身体の一部を採取されておるのじゃろう。そうでなければ外見的特徴が一致するとは思えぬ」
身体の一部を採取された覚えはなかった。しかし魔王の言葉には筋が通っているように感じられる。
「燃やしていくかの?」
漂う魔王が流し見るようにして俺へとその視線を注いでくるのに、俺は首を振って答えた。
童女が深く息を吐くと、その身を包んでいた氷の鎧に翼が崩れ、床に落ちる。まだ空気は冷たくはあったが、これ以上冷えることはなくなっただろう。
「行くか」
ライナは俺、そして童女へと順番に顔を向けて短くそう言った。
異を唱える者はなく、複製人間の入った容器を尻目に俺たちはその空間を横切る。入って来たところを除けば出口は二つあった。誰に対しての物かわからないがそれぞれプレートが掛かっており、それぞれ実験室、倉庫と記されている。俺たちは誰と示し合せることなく実験室へと向かう。
「爆弾が倉庫にあったかもしれねえけど」
後ろ髪引かれるようにして倉庫の入り口を振り返るライナだったが、万一のため一人で行くつもりはないようだ。それにもしあったとしても俺たちがその爆弾をどうにか出来る保証がない。それなら実験室に資料でもあれば見つけ物ということだ。
実験室を前にした俺とライナは顔を見合わせ、それから深呼吸をした。ライナは全身鎧と鞭を生み、俺はただ全身に錬気を広げる。そして童女だけが無防備に研究室のドアを蹴破った。
「ひぃっ! きょ、今日は来客が多いねえ」
研究室は養成校で座学を行う教室程度の広さだった。ただ机や椅子の代わりに大量のよくわからない機材が壁に沿って所せましと並べられ、通り道として開けている場所を除いて床が見えない。
そしてその通り道に今は一つの遺体が横たわっていた。生前賢王と呼ばれていたそれを見ていると、片側にだけレンズがはめ込まれている眼鏡をした男が、その虹色のレンズを光らせる。
「残念だったよぉぉ。今度こそ新しい身体に新しい僕! そうなると思ったのにぃぃぃ」
問い詰めようとした時だ。童女が駆け出し、佐伯の顔面を殴りつけた。
「ぴぎぃ!」
佐伯は奇声を発した。しかし、それだけだった。童女がその細腕を振り切った後にいつも見られた破壊の後はない。ただ佐伯は奇声を発したのち、何故かくるくるコマのように回り、その場へと崩れた。
「ひ、酷いじゃないかぁ、い、痛いぃ。ぼ、僕はね、そんじょそこらのオタクと違ってね、ロリコンじゃないんだよぉ。小さなおててで紅葉作られちゃったよわぁーいなんて喜んだりしないんだよぉ」
よくわからないことを言う佐伯に対し、童女はのしかかり拳を振り下ろす。何度も何度も佐伯を童女は殴打し続けて、そして顔を顰めた。拳を擦るように撫で、そして拳を見下ろす。
「げぶう。も、もう許さないぞぉ」
そう言って佐伯が何かを叩くように宙で指を滑らせた。その次の瞬間、童女はどこからともなく現れた網に掬われ、そのまま捉えられてしまう。もがいてはいるがもがけばもがくほどその網が絡まり、最終的には童女は身動ぎ一つ取れなくなった。
「何を遊んでおる、落涙」
「耄碌し過ぎなのご老体」
その言葉を受けて俺自身、今ようやく気が付いた。ライナの全身鎧も鞭も霧散しており、俺が練っていた紫色の錬気も今はなくなっていた。賢王の遺体に気を取られ過ぎていた。もう一度錬気を始め、そして失敗する。
ライナへ視線を流すとライナも同様に焦燥を浮かべていた。
ライナが錬気をし損なうことはあり得ない。だからこれには理由があるはずだ。俺は顔を上げ、童女を見た。おそらく彼女も同様なのだろう。
「きき、君たちもぉ」
佐伯が再度宙で指を滑らせる。足元から生まれた網を飛び退ることで逃れようとしたが、網の範囲から離れることが出来なかった俺は足を取られ、そのまま宙吊りにされた。
ライナは上手く網を逃れたが、機材を踏んでしまいバランスを崩し、取り直そうとまた足元の機材を破壊してしまう。機材には空洞もあるらしく、耳障りな音を立てた。
「ひぎぃ! き、気を付けてくれたまえぇぇ、そんな些細な機材でも僕が一から作らなきゃならないんだよぉ、そこのところわかってるのかい、きみぃぃ!」
網が何もない空間から生まれるようにしてライナを捉えようとするが、ライナは捕まらない。勘と錬気に頼らずとも高い身体能力を駆使し、逃れ続けた。
「これだからスポーツマンは嫌いなんだぁぁぁ! この野蛮人め」
そう叫び、佐伯は両手で複雑な動きをして見せた。これまでが指三本でそれぞれ見えないスイッチを押しているのだとしたら、両手の指全てを用いて鍵盤を叩くような動作だ。
そして最後に大きく宙を指で叩く。
網が生まれるのと酷似して、黒い靄が生じ始める。
黒い靄に、双眸のような灰色の光。赤の絵の具を塗りつけたような光。
靄が晴れ、姿を現したそれは膜に覆われていた。
その上半身は直立する山羊、そして下半身は馬。全身に銀色に輝く鎖が巻き付いている。
「ぶう、ぐぉぉぉぉぉん」
その雄叫びは、空間を震わせライナを機材共々壁に打ち付けた。
宙吊りになった俺の間近で、魔王が笑みを浮かべた。口が裂けたように大きく歪み作られた笑み。
「おった。やはりおったか、深淵」
背に滲んだ汗が、首元まで流れて来た。