複製人間
「わかれば案外ちょろかったなの」
童女は何を思ったのか、吐き出した白い欠片を踏みにじり、何度も足を叩きつけると満足気に息を吐いた。
「あああ、酷いなあ。あれでも僕の一部なのに」
多命の賢者が眉を下げているのを見て、童女は勢いよく鼻息を出す。心なしか嬉しそうだ。
「とは言え、一々欠片を剥ぎ取るというのも非効率じゃの」
「うるさいなの、ご老体」
確かに灼眼であれば一度燃やしてそのままストックが切れるまで放っておけばいい。それから考えると一体一体の体内を弄るというのは効率的とは言えないだろう。かといってストック切れを起こすまで殺し続ける方が効率的だとは言えないが。
水を差され、不満だったのか童女は隠されていた階段へと向かい、それに合わせて肌着のような服が揺れた。
「さっさと行くの」
言葉としては誘う調子であったが、童女は振り返ることも足を止めることもなく階段を下る。多命の賢者だけが彼女の背を間なく追った。
「ライナ、俺たちはこのまま佐伯か爆弾か知らないけどそこまで行って来る」
サンジの最後を見届けるためか、身を起こしていたライナの目はまだ光を失っていた。目を伏せた俺は、背後から、呆れたように息を吐き出す気配を感じた。
「我の灼眼と娘の眼を使えばそこの小僧を人間に戻してやることが出来よう」
「本当か?」
「単純に何がしかを埋め込んでいる系統ならの。賢王のように挿げ替えられている場合は手の打ちようがない」
一縷の望みが出来た。ただ出来なかった場合のことを考えると、俺の口からそれをライナに伝えることは出来なかった。言葉なく、俺は魔王と入れ替わり、俺はもう慣れ始めた幽体となり宙を漂う。
俺の肉体に入り込んだ魔王は赤い瞳でライナを見、そして文字通りの意味で目の色を変えた。黒い瞳だ。ただ黒と言っても普段の俺や春奈の色とは違う色だ。例えるなら夜の闇の中でも姿がわかる影に似た色だった。
「小僧。小僧の脳付近に金属板が埋め込まれておる。ついでに腹の奥に多命の賢者の欠片じゃ。彼奴の欠片を我の灼眼で焼き、次いで金属板を燃やせば人間に戻れるぞ」
ライナは床に腰を下ろしたまま、魔王を見上げる。
「魔王がそんな人助けみたいなことをしていいのか?」
「くだらんの。我は小僧を救うつもりはない。まず我は小僧の心の臓を所望しておる。食わせよ。そしてその対価として小僧を束縛する存在を焼こう。つまりは契約じゃ」
「はは…………契約、か。頼めるか?」
ライナは少しだけ頬を上げた。そして腹の辺りを擦る。
「開いた方がいいか?」
「不要じゃ。娘の眼で位置は特定出来ておる」
春奈の眼、それがどんな能力を持っているのか俺は知らない。それについて思考を巡らせていると魔王による契約の履行が始まった。
魔王がライナの胸を貫き、それから引き抜いた。その手に脈動を打つ臓器を手にしている。
「ごほっ、へ、グロいな」
ライナは光を取り戻した目を魔王に向けていた。相当痛みを感じているだろう。なのにライナは微笑んでいる。
「大したものじゃ、一割と言ったところじゃろう」
魔王の言葉の真意を辿る前に、魔王はライナの心臓をまるで熟れた林檎を食すようにして齧り付く。ライナの心臓から、そして俺の肉体の口端から、血液がぼたぼたと垂れ、床の紙束を真っ赤に染め上げる。魔王が腕に沿って流れ落ちるライナの血を舐め挙げた時にはライナは絶命していた。
そして間もなくライナが再形成された。みるみる血の気を失っていっていたライナの顔色は血色を浮かべ、胸の穴も塞がり鍛え上げられた胸が筋肉で盛り上がっている。
ライナが再形成された後の契約履行は、厳格さもなければ時間的消費もなかった。魔王の灼眼がその目の色のまま例の聞き取れない何かを呟き、ライナが一瞬だけ腹とこめかみの辺りをそれぞれ一度抑えた。ただそれだけのことだった。
「終わりじゃ。これで小僧は気に入らぬ者を殴り、屠り、一度殺されれば死ぬ者と戻った」
「本当にもう大丈夫なのか?」
あまりにあっさりし過ぎて、何というかありがたみというか真実味に欠けていた。
「信じる必要はない。行って試してみればよかろう」
そう言って俺の肉体も童女に遅れること階段を下って行く。ライナは言葉無く魔王へ向かって頭を一度だけ下げると、その後に続いた。
その光景を見送ると、不意に俺は自分の肉体へと戻った。さらに地下深くまで続く階段を危なげなく進んでいると、背後でライナが錬気で光を生んだ。
長い階段だった。螺旋階段となっていた百段ほどを下り、それでもまだ終わらない。ただ冷たい空気が奥から漂ってくる。氷で覆われているといっても信じられただろう。
背後から身震いする気配を感じた。振り返ると、ライナが錬気で鎧を生み出していた。
「寒すぎだろ。勇人はそんな恰好で寒くないのか?」
言われて自分の姿を見下ろす。かなり軽装だ。氷の張っている空間と感じもする。だけど寒さに震えることはなかった。
「なんとかな」
「そういや昔からお前は寒さ暑さに強かったもんな」
もちろんそんな問題で済むような気温ではない。だけど俺はそれでも震えなかった。
そんな雑談を交わしていると、一際強い寒波と共に破壊音が轟いた。階段は揺れ、足を滑らせそうになるほどの振動が遅れて到達し、俺たちは顔を見合わせた。
そこから先は錬気を用いて階段を滑る。歩くよりもよっぽど速いその移動で、俺たちは階段の終わりにみるみる近づいて行く。そしてそれに応じて気温が加速度的に下がって行った。
「寒い寒い寒い、どういうことだよ」
ライナがそう漏らすのも無理はないだろう。吐く息は白く、俺の服に染みていたのだろう水分が凍り、霜を作り出していた。
階段の終わり、そこに到達した俺たちは開けた空間へと躍り出た。
卒業戦で使用したコロシアム程度の広さを持つその空間では、雪が舞っていた。床も、壁も白で塗りつぶされているが、ある程度の高さより上は本来の壁の色をしている。もしも雪が地上から生まれるのならこのような光景が見られるのかもしれない。
そしてそんな空間で俺たちが目にした物は凍り、粉々に砕けた多命の賢者と、それを踏みにじる童女の姿だ。
「なるほどの、彼奴はああして屠れば良かったのか」
童女は俺たちが追い付いたことに気付いていないのか、執拗に多命の賢者を砕いていた。童女の背には氷の翼が生え、そして右肩から手の外側にかけて凍っていた。
「何、してるんだ?」
俺たちが見ていない間に、何があったのか。それも尋ねる意味で俺は訊いた。
「あれを見ろなの」
童女を覆うようにして作られた氷の腕が一方向を指した。周囲は完全に白銀の世界と化していたが、ある一定以上奥まったところからは、元広がっていたのだろう空間が見えた。
「なんだ? あれ」
自分の声が震えるのを感じた。ガラス容器の中には気泡を発生させている液体、そして裸体の人間の姿がある。しかもただの人間ではない。
「サラス、副団長?」
ライナが呟く。もちろん俺たちの既知の人物が納められているのも驚きだが、それよりも遥かに俺たちの不安や嫌悪感といった類の情を動かしているのは、量だ。
サラス、サンジその他見知った者見知らぬ者、それらが大量に居た。それも、一人が何人もだ。全く同じ顔、身体的特徴を持つ者が何人も居た。それは酷くおぞましい光景だった。