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和子はTシャツにホットパンツという出で立ちで登場し、サンダル姿で砂浜を歩いてきた。陽光が汗に濡れた彼女の額を照り輝かせて、それはきらきらと光った。
朝陽が身を乗り出して、まじまじと和子の顔を見つめる。そうして「これは美人だ」と感極まった声を上げた。
陽は「本当に来たんですね」とつぶやいた。和子はどこかはにかむように笑って、「……来ちゃった」と自分の頭を小突いた。
朝陽が前へ進み出て、「妹の朝陽です。兄貴がお世話になっています」と丁寧にお辞儀をした。和子は微笑んで、「可愛い妹さんね」と言った。
「元気だけが取り柄なんです」
苦笑混じりに陽がそう返すと、朝陽は「一言多いよ」と頬を膨らませる。和子はどこか微笑ましそうに笑って二人を見つめた。
「近くに住んでいるって、本当だったんですね」
陽がそう言うと、和子は「歩いて五分くらいの距離にあるのよ」とその方向を指差した。朝陽が「へえ、いいですね」とすかさずに言った。
「そこからは、海が見えるの。本当は大学近くで下宿しているのだけれど、今日は実家に帰っていたからね」
そう言って、和子は「アイスでも食べる?」と軽快な足取りで歩き出した。朝陽は子供のようにはしゃぎながらその後を追っていく。
砂浜近くの階段に腰を下ろして、アイスを食べた。そうした中、陽は和子を見てそっと口を開く。
「なんでまた、僕なんかと会おうと思ったんですか?」
それがどうしても気になって聞くと、隣の朝陽が「兄貴がアタックし始めた」と小さな声で余計なことを言った。
「なんだか日阪君といると、落ち着くから」
和子はただそれだけを言った。しばらく陽は言葉を返せず、その顔を見つめるしかなかった。朝陽が「お、好感触」とすかさずつぶやいた。
「あ、ありがとうございます……」
陽がどこか赤い顔でそう言うと、和子は笑って、視線を水平線の方へと向けた。
「なんだか最近疲れていてね」
その言葉に思わず振り向くと、和子はすぐに手を振って「なんでもないの」と笑った。「悩みごとでもあるんですか?」と陽は身を乗り出して聞いた。
「まあ、なんというか、その……」
和子は視線を逸らして、言葉を濁した。
「個人的なことだから、話せないんだけど」
朝陽がアイスの棒を持ちながら、ちらちらとこちらの様子を窺がっていた。その時ふと、和子が顔を上げて言った。
「波打ち際に行こうか、朝陽ちゃん」
朝陽は「うん」とうなずいて立ち上がった。
「僕はここにいるよ」
陽がそう言うと、和子は少し残念そうな顔をして、すぐに朝陽と一緒に歩いていく。
波に足を浸して戯れる彼女達の姿を眺めながら、陽はどこか空虚感を抱いていた。今の状況を楽しめていない自分がいる。
自分は和子と仲良くなることを望んでいて、しかしなかなか距離感をつかめずにいた。あの小説のあとがきについても言及できずにいる。
何もかもが中途半端で、そのやるせなさをどうすることもできずに、唇を噛むしかなかった。
そのままずっと彼女達を見つめていたが、目の前を家族連れやカップルが次々と通り過ぎていき、自分だけ何故こんなに落ち込んでいるのだろう、と陽は思った。
そうして溜息をついた時、「兄貴!」と声が聞こえてきて、陽は慌てて立ち上がった。
朝陽が大きく手を振り、波打ち際へ来るように促している。周囲の視線が一斉にこちらに向かってくるのを感じ、陽はどこか顔を火照らせて、「何してんだよ」と問い掛けた。だがその時、朝陽が突然水を掬って浴びせてきた。
すぐに飛び退こうとしたが、すかさず彼女は水鉄砲を作って飛ばしてくる。
「ほら、どうだッ!」
「おい、濡れるだろ、やめろ!」
そうやって跳ね回っていると、和子も応戦してきて、みるみる陽の体が濡れていった。
「やめろ!」
そうやって反撃しようとした時、ふと体のバランスが崩れて、足が和子の膝と絡まった。その瞬間、勢い良く陽は倒れる。
水飛沫が上がり、そして小さな息遣いが聞こえてきた。彼女の吐息が鼻先にかかり、どこかくすぐったかった。陽はそうしてそっと瞼を開く。
間近に顔があり、視線がまっすぐ繋がった。周囲の景色が消え失せ、お互いにただじっと見つめ合った。心臓が早鐘を鳴らし始めた。
こんなに近くで彼女を見るのは初めてだった。その瞳の中に相手の心がたゆたっている気がした。しかし、陽はすぐに我に返って飛び退いた。
彼女はしばらく目を瞬かせていたが、突然噴き出し、陽も「なんか笑えるな」と苦笑した。
和子は、このままじゃ風邪を引くから家に寄っていった方がいいわ、と言った。
確かにこの状態だと色々と不都合だと思い、その好意に甘えることにした。
三人揃って道路を渡って二分ばかり進み、ようやく和子の家が見えてきた。年季の入った屋敷は広くて、縁側が木陰になっており、涼しげだった。
家には和子の母と弟がいた。女子達はさっそく風呂に入ることになり、一人残された陽は弟との雑談に興じた。
「一瞬、姉さんの彼氏かと思いましたよ」
春義はどこか優しげなその目元を緩ませて、言った。
「姉さんにもようやく、と思って感激したんですけど、後輩と聞いてちょっとがっかりですね」
陽は首を振って、苦笑いを浮かべた。
「山本さんなら、いくらでも彼氏を作ることができるんじゃないですか?」
春義は渋面を作って、顔の前で大きく手を振った。
「その気配が全くないんですよ、これが。なんだか恋愛の話題は苦手みたいですね、姉さんは」
陽は「そうなんですか」と上擦った声を上げてしまう。そこに付け込むのは卑怯である気がしたが、どうも抑えようがなかった。
「このままうちの姉をもらってください。日阪さんなら、安心できますし」
「いや、その……」
陽が口篭っていると、ふと麦茶のグラスが手元に置かれた。振り向くと、「すみませんね」と母の美和子が苦笑してこちらをじっと見つめていた。
「春義は和子のことになると、いつも心配しすぎるんです。気にしないで下さいね」
こうして二人を見てみると、どちらも顔の造作は申し分なく整っていた。特に目元の辺りが瓜二つで、にこにこ微笑んでいる姿を見ると、すぐに親子だとわかる。
「和子が友達を連れてくるなんて、本当に珍しいんですよ。私、突然だったから本当に驚いてしまって」
「和子さん、友達多そうなのに」
「でも、知り合いは多くても、本当に仲が良い人は少ないみたいなんですよね」
美和子が頬に手を当ててそうつぶやくと、春義が咎めるように「母さん」と彼女の肩を小突く。
「でも、あなたが来てくれて安心できました。ゆっくりしていってくださいね」
のんびりとした口調でそうつぶやくと、春義が「夕飯食っていったらどうですか?」と言った。
「夜遅くなってしまうので、今日はちょっと……」と頭を掻いて視線を逸らす。
「あら、そうなの? だったら、お土産持って帰ってちょうだいね」
「いえ、あのお構いなく」
「春義、ちょっとそこのお土産屋で買ってきて頂戴」
美和子に言われると、春義は「オーケイ」とうなずき、すぐに居間を出ていった。陽はしばらく面食らっていたが、「どうも、すみません」と美和子に頭を下げた。
「気が向いたら、うちの和子を“もらって”くださいね」
美和子は冗談めかすようにそう言うと、お盆に載った菓子を勧めてきた。陽は恐縮しながらも、「じゃあ、一枚」と瓦煎餅を手に取った。




