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鋼赤の息吹  作者: hiyori
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九章 ノリス奪還作戦

 突き抜けるような青さが映える空。

 控えめに貼り付いている雲の白さが空の青さを引き立たせる。

 強烈なくらい存在感を示した太陽の光が、大きく翼を広げた赤い鳥を輝かす。

 それはあたかも真昼に現れた星のごとくだった。

 雷龍とナイアードの対決から数日後、やっと修理が終わったナイアードの操縦室の中に、ミリィと海斗の姿があった。

 解放軍の新型魔法巨兵、ナイアードの正式な搭乗者となったミリィと海斗は、新型の操作に慣れるべく、鉄の鳥形体で戦艦ミラージュの前方を飛んでいた。

「ね、これって本当に空を飛んでるのかな?」

 ミリィは前方スクリーンを見ながら、後方の海斗に問いかけた。

 巨大スクリーンには真っ青に広がる空しか移っていない。これだけではただ地上から空を眺めているのと変わりが無い。

 ミリィには鉄の鳥が空を飛んでいるとは到底実感できなかった。

「飛んでると思うぜ」

 海斗が席の前に配置されたタッチパネルといわれる装置に表示さた鳥の頭部を指で触れ、その隣に突き出た小さなレバーを下にスライドさせる。

 今まで青一色に塗りつぶされていた前方スクリーンに、突如白と茶色い物が現れた。

 下から上に空の青さが追いやられていく。

「わ、すごーい!」

 上から下へと目まぐるしく流れる白い雲の隙間から、豆粒ほど小さくなってしまったかのような、木々が、山が、町並みがゆったりと流れる。

 いまだかつて見たことの無い映像に、ミリィは身を震わせながら感嘆の声を上げていた。

「っだろ!」

 と、いいながらも海斗は自分が操る巨兵が空を飛んでいることに感動を覚えているようで、その声はどこか弾んでいるように思えた。

 ミリィは動力の供給も忘れてしまうほどスクリーンに見入っていると、何か今までとは違った物が映し出されている事に気がついた。

「ねぇ、海斗、あれって――巨兵?」

 ミリィが指で示したスクリーンの一部を、暫しの間凝視した後、海斗は大きく頷いた。

「そうみたいだな。たしかここは次の目的地、ノリスってとこじゃねぇのか?」

 巨兵があるなんて聞いてないけどなと、海斗はぼそりと呟き小首を傾げる。

 たしかにこの大陸で巨兵を目にすることは極めて稀である。もし、ノリスの港町が巨兵を所有しているのであれば、ミラ二世はあれほど雷龍を手放すことに渋い顔はしなかったはずである。

 万が一、ミリィの推測が的を射ているのであれば、事は急を要する。そう思うやミリィは緊張の走った面持ちで後方を振り向いた。

「海斗、やばいよ! ルミーさんに知らせたほうがいいよ」

 海斗も只ならぬ異変を感じ取ったのか素直に頷くと、操縦席から突き出たレバーを握る右手に力を込め、鉄の鳥を大きく旋廻させた。



「ナイアードどうしました?」

 突如ミリィの席の右側に備えられた、黒い箱から女性の声が響き渡った。

「え、なに!?」

 ミリィは動揺しつつ、声の流れた黒い箱を見た。

 それは整備兵から説明を受けた「無線機」という装置であったことをようやく思い出した。

「あ、ねぇ、箱の人、ノリスに巨兵がいるみたいなんだけど――」

 こんな小さな箱の中に入ってさぞかし窮屈だろうと思いながら、ミリィは黒い箱に向かって話しかける。

「箱の人って――」

 そう呟くと、ミリィの言葉の意味が理解できないのか、女性の声が途切れ、かわりに数人の男女の声で失笑が洩れる。

「え、そんなにたくさんの人がこの小さな箱に入っているの!?」

 ミリィのいたって真面目に驚く台詞に、箱から聞こえる声が、失笑から爆笑に変化した。

「いえ、私達はミラージュにいますよ。通信機という装置で、ミラージュから私の声をナイアードに届けているんです」

 ミラージュから離れた距離にいるナイアードに声が届くなど全く信じられない。

 どのような魔法を使っているのかと、いまだに納得できない様子でミリィは小首を傾げた。

「帰艦されるなら、飛行甲板に誘導灯を点けますので、それに沿って着艦ください」

「は、はぁ――」

 全く何のことを言っているのかさっぱり理解できないまま、ミリィはとりあえず生返事で返す。

 前方スクリーンに映るミラージュの全容が次第に大きさを増していくと、不意に角度のついたアングルド・デッキと呼ばれる甲板部分に、一直線に伸びる二本の明かりが灯った。

 甲板に近づくにつれ、それは燃え盛る松明を並べたものであることが理解できた。

「あれが、なんたら灯ってやつか?」

「多分そうじゃない?」

 実に頼りない返事を返すミリィにかまわず、海斗は両手に握るレバーを巧みに動かし、鉄の鳥の高度を徐々に落としていく。

 一陣の風と共に甲板に舞い降りた鉄の鳥は、両足からせり出した鋭い爪を甲板に擦らせる。

 鉄を削り、おびただしい火花と異臭、ガラスを引っかいたような異音をあげながらようやく鉄の鳥の体が誘導灯の途切れた地点で停止する。

 そして大きな両翼を折り畳み、大空に向かって鋭く尖った嘴を開く。

「サーモスキャンモードオン!」

 海斗の叫びに応じて、鉄の鳥はその体を鉄の巨人に変化させた。

「ナイアード着艦確認! 誘導兵は速やかに格納ポイントまで誘導――」

 ミラージュの甲板の奥、一際高くせりあがった司令塔――いわゆるブリッジから拡張された女性の声が甲板の兵士に指示を促す。

 巨兵形態になったナイアードの足元では、司令塔からの指示を受けた兵士が、燃え盛る松明を振りながらナイアードを誘導していく。ナイアードがミラージュから向かって右端、黄色いラインで四角く区分けされた場所に足を踏み入れると、兵士の松明はぴたりと静止した。

「ナイアード格納ポイントに誘導完了。格納します」

 再び甲板一帯に女性の声が響き渡った瞬間、おもむろにナイアードの足元から装置が回転するような低い唸り声があがる。それと同時にゆっくりとナイアードの足元が沈んでいき、赤い巨体の姿がみるみる甲板に飲み込まれていった。

 ナイアードが格納庫に降り立つと、背後の側板から手かせ、足かせのような物がナイアードを動けないように固定し、続けて右手側の壁が低い音をたてて動きだし、手すりのついた足場がナイアードの胸元に密着するやいなや、ナイアードの胸元が勢い良く開かれた。

「姫さんはどこにいるんだ?」

「多分、司令塔ってとこじゃない?」

 ナイアードから降り立ったミリィと海斗は、顔を見合わせ頷くと、手すりのついた足場を全力で駆け出した。



「どいてくれ!」

 すれ違う兵士を払いのけながら、海斗がミラージュの通路を走りぬける。ミリィは梅雨払いされたごとくに出来上がった道を走り、海斗の背中を追いかけていた。

 海斗に肩がぶつかった兵士の中には、文句を口にする者もあったが、そんな悠長にかまってはいられない。事は事である。

「どいてく――」

 と、先を急ぐ海斗がすれ違う男を払いのけ、声を上げかけた瞬間、海斗の両足が宙を泳いだ。

「え、な――!?」

 突如海斗の体が急停止したことで、ミリィは走っていた勢いのまま海斗の背中に顔を埋めた。さらに、衝突の反動で後方に吹き飛び、尻餅をついてしまう。

「いった――いきなり立ち止まらないでよ!」

 鉄の床にお尻を打ちつけ、痛みに顔を歪めながら、海斗を見たミリィの目が驚きでさらに大きく見開かれた。

「俺を払いのけようなんざ十年早ぇんだよ! コゾウ」

 響いたのは、ミリィが今まで聞いたことの無いドスの効いた野太い声であった。

 ミリィが驚いたのはそれだけではない、あの鍛えられた筋肉でそこそこウェイトがあるはずの海斗が片腕一本で男に持ち上げられていたからである。

 男は白いタンクトップの上から袖の無い黒のベストを羽織ったような井出たちであった。その服の隙間から覗く筋肉ははち切れんばかりに盛り上がり、太い首の上には角ばった顔が乗っていた。

 無精髭の上にへばりついている口元の笑みは、余裕とも、挑発ともとれる一種の凄みを含んでいた。

「離しやがれ!」

 男に抱え上げられた海斗が叫び様に右の肘を男の眉間に向かって放った。

「ふん!」

 男の口から気合いが漏れた。

 男の左手がまるで蛇のように動いた。

 そして、海斗の右肘を受け止める。

「これって!?」

 この男の動きをじっと見入っていたミリィが、口にした時にはすでに、海斗の右腕は男の左脇に抱え込まれていた。

「脇固め?」

 海斗は男に右腕をねじ上げられる。

 さらに、背中でねじ伏せるように体重をかけられた。

 海斗の体が前のめりに床に沈んでいった。

「くそ!」

 海斗は吐き捨てた。

 後頭部を床に着ける。

 そして体を前方に一回転させた。

「なに!?」

 胴着姿の外見からよもやこのような返しを予想していなかったのであろう、あきらかに男の眼は驚きと困惑に満ちていた。

 男がひるんだ隙を見逃す海斗ではなかった。

 仰向け状態の海斗はまるで全身のバネの力を蓄えるかのように、両膝を抱え込み、一気にバネを解放して跳ね起きる。

 そして男の右手首を掴んだ。

 ふしゅっと息が漏れた。

 掴んだ腕を高く持ち上げる。

 反時計回りに体を一回転させる。

 そして勢いよく男の右腕を振り降ろす。

「うごぉ!」

 右腕を勢いよくひねられ、男の巨漢がいとも簡単に宙を舞った。

 前方一回転の後、背中が冷たい鉄板の床に叩きつけられる。

 さらに間髪いれず仰向けに横たわる男の首に、海斗の両足が絡みつく。

「三角絞め?」

 ミリィが呟いた技の名前は似てはいたが、海斗の股に挟まれているのは、男の頭部だけであり、単に首を固めるだけの技だった。

 それはまるで海斗がレッスルに付き合うことで、相手の技量を推し測っているようにも見えた。

「おらぁ」

 海斗が気合を込める。

 男の首を挟みこんでいる右足を、自らの平手で叩く。

 乾いた音が響いた。

 男の靴底が天井を仰いだ。

 そのまま両足を床に向かって振り下ろす。

 同時に男の背中が宙に跳ね上がった。

 それは、レッスルの試合でピンフォールを跳ね返す時に良く見られる光景に似ていた。

 その拍子で首のロックが緩んだことを察知した海斗は、素早く両足のロックを解き、体を丸め後転する。

 ロックから開放された男もまた、横に転がるようにして体を起こす。

 同時に立ち上がり、向かい合った両者――海斗は右足を後方に引き、腰を落とした双手に構えた。

 男はタックルに適した前傾に構えていた。

「すげぇ――」

 気がつけば二人だけの空間に野次馬の輪が出来上がっていた。芸術とも言えそうな技の応酬に見入っていた野次馬達の口からは、ため息にも似た感嘆の声がもれ、それはやがて大きな拍手へと変わっていった。

 このコゾウ、レッスルを齧った新人よりもレッスルを知ってやがる――男が睨みつける青年の顔には余裕とも感じ取れる不敵な笑みがへばりついていた。

 その極限まで張り詰めた空気を打ち破るかのごとく、唐突に打楽器を打ち鳴らすようなメロディーが廊下に鳴り響いた。

「至急兵団は会議室に集合ください! 繰り返します――」

 男は構えを解き、つまらなそうに舌打ちする。

「ちっ、試合終了のゴングか」

 男の言葉の意味を理解した海斗もまた、構えを解いた。しかし、顔には不敵な笑みを称えたままであった。

「あぁ、いつでも相手になるぜ! おっさんよぉ」

 海斗は言い捨てると踵を返し、男に背を向け歩き出した。

「ゾレフ・バートン!」

 男が海斗の背中に向かって割れんばかりに名乗りを上げると、海斗の足が止まった。

「海斗・桐生――」

 背中越しに名乗りを返すと、海斗の足が再び動き出した。

「あ、ちょっと、待ってよ」

 野次馬に紛れ、事の始終に見入っていたミリィがふと我に返り、慌てて海斗の背中を追いかけた。

「海斗・桐生――面白い男だ」

 ゾレフは言い終わると、大きな口を広げて野太笑い声を上げた。



 ミリィが会議室のドアを開けると、会議室は以前呼び出された部屋とは別空間のようであった。中央を囲むように白い机とパイプ椅子が並べられ、部屋の奥には大きな黒板が立てかけられ、それを背にすように、右の席にルミー、左にはミラ王が神妙な面もちで席に着いていた。

 急の呼び出しの為か、空席がちらほらといった感じで見受けられる。

「遅いぞ」

 まるで食ってかかるかのような台詞の主は、言わずと知れたアレンであった。

 アレンはルミーからほど近い席に着き、一瞥するように海斗をちらりと見やった。

「ちょっと野暮用でな」

 海斗は涼しい顔で、遠間のアレンの言葉をやり過ごす。

 と、その時。

「あ、アニキー! こっちこっち!」

 唐突に耳についた聞きなれた声に、思わず二人は声の方を見やる。

「おう、モモか」

 席から立ち上がり、元気よく手を振るモモ。その隣にはミミが席に着き、にこにこと満面の笑みで傍らのメカ兄と話し込んでいるようであった。

 二人が話し込むほどの話題といえば一つしかない。

 モモがひたすら話し込んでいるミミをうるさいとばかりに軽く睨んだ後、ここにすわりなよと海斗を自分の右隣の席に座るように促した。

「邪魔するぜ」

 海斗がモモの隣の席に着き、少し遅れてミリィも海斗の右隣の席に着いた。

「もうすぐ始まるかな」

 周囲を見渡し、徐々に埋まっていく席の様子に率直な感想を漏らしたミリィであったが、向かいの席に座った人物の顔を見た瞬間、思わず海斗の肩を叩いていた。

「ね、ちょっと、前!」

「あ?」

 一体何なんだとぼやきながら、海斗は正面に目を向けた。

「あいつ!?」

 海斗の正面の席にふてぶてしく陣取った男は、腕を組み、無精髭の隙間からうっすらと笑みを漏らした。

「なんか気に入られたみたいね」

「ふざけるな」

 からかうようなミリィの言葉を一蹴し、海斗は正面の男――ゾレフを睨みつけた。



「それでは始めましょう」

 あらかた席が埋まったところで、ルミーが居並ぶ面々を見渡し、会議の開始を告げた。

「偵察に出ていたナイアードから入った情報によると、この先の目的地、ノリスで巨兵を確認したとのことであったが」

「あ、やっぱり通信機ってやつは、あんなに離れていても会話できるんだ――」

 ミラの言葉を聞いた瞬間、室内は騒然たる空気に包まれるが、ミリィだけは通信機と言われる異世界の装置が本物であったことに関心の声をあげていた。

 ミラは騒然とする周囲を見渡し、静寂が訪れると、言葉を続けた。

「この大陸で巨兵を有しているのは、我が解放軍とガル軍のはず――となると、ノリスはガル軍に制圧されたと考えたほうが妥当であろう」

 ミラの言葉に大きく頷いたルミー公女は、どよめく室内を険しい顔で見渡した。

「ノリスはガルの本拠地、ミール大陸に渡る為には重要な拠点であり、ガル軍をこの大陸に進行させないための砦でもあります。もし、ノリスがガルの手に落ちたのであれば、この大陸もガル軍に制圧されることは時間の問題でしょう」

 ホークさん、マリーさん、あんた達の笑顔は俺が必ず――ルミーの言葉を聞いた海斗の脳裏に、ホークの優しい笑顔がよぎった。

「――海斗」

 ミリィが見つめる海斗の拳が震えているように感じた。

「これ以上、ガル軍の進行を許す訳にはいきません。解放軍の勢力をもって、ノリスを解放しなければなりません!」

 ルミーの凛とした声が室内に木霊し、暫く反響の余韻を残し、そして静寂が訪れた。

 今度こそルミー様に私の勇士を――そう呟いたアレンは、フッフッフと低く笑いながら悠然と右手を上げた。

「その任務――」

 アレンが名乗りを上げようとした瞬間、大きく机を叩く音が響き渡った。

 続いて何者かが椅子を吹き飛ばさんばかりに立ち上がる。

「俺にやらせてくれ!」

 ルミーは全く動じる気配を見せず、にっこりと海斗に微笑んだ。

「海斗・桐生、やってくれますか?」

 海斗はルミーに向かって不敵な笑顔をつくった。

 この傭兵ごときが!

 海斗にまんまと先を越されてしまったアレンは、奥歯を噛みしめ内心で精一杯罵った。

 そんなクルクルと目まぐるしく変化するアレンの表情を見ながら、やっぱりこの人気持ち悪いわねと、ミリィは内心で呟き視線を逸らした。

「あぁ、被害を最小に押さえながら解放するには、新型がうってつけだろ?」

 たしかに、空からの奇襲であれば攻める側はこれほど有利なことはないし、無防備な隙に乗じて一撃でしとめていけば、被害もさほど大きくはならないであろう。

 海斗にしては、めずらしくまともな意見ねと、ミリィはその意見に頷いた。

「それならば、この作戦には新型で行ってもらおうか――」

「ちょっと待て!」

 ミラの言葉が突如、野太い濁声によって遮られた。

 濁声が聞こえた席。

 そこには腕を組み、両足を投げ出すようにテーブルに預ける男がいた。

「あいつ、何を企んでやがる――」

 海斗はふてぶてしさの極みのような男――ゾレフを睨みつけた。

 ゾレフは海斗の無言の威嚇に気づくと、嘲笑でこれを返す。

「こんなガキを行かせたところで何ができる!」

「何だと!」

「ちょ、アニキ!」

 今にも掴みかからん勢いでテーブルに体を乗り出した海斗。

 それを制しようとモモが海斗の左腕を必死に掴む。

「こんなところで乱闘なんか、な、冷静になろうぜ」

 懇願されるように制された海斗は、大きく息を吐いて、全身の力を抜いた。

 その様子を見ていたゾレフは下らんとばかりに鼻を鳴らし、視線を落とす。

「確かに、新型で空から奇襲をかければ被害が拡大する前に全滅させることもできるかもしれねぇ。しかし――」

 そこでゾレフは落としていた視線を海斗に戻し、無精髭に隠れた口をねっとりと動かした。

「ノリスの住民を避難させねぇ限り、被害が小さくても人命が奪われることには変わらねぇ」

 ゾレフの意外にもっともな意見に海斗は閉口し、俯いてしまった。

 たしかに彼の指摘した通りだわ――ミリィも被害を最小限に押さえることだけに捕らわれていた策の甘さに歯噛みした。

「しかし、そのような無血開城が可能なのかのぉ」

 虚空を睨みながら、髭を撫でるミラに向かってゾレフは、不敵な笑みを向け、テーブル上に投げ出された足を降ろすと勢いよく立ち上がった。

「まず酒だ! それもとびっきり強くて、上等なヤツだ!」

 雷鳴のごとく室内に轟いたゾレフの声に、その場に居合わせたほとんどは圧倒されんばかりに身を縮ました。しかし海斗だけはそれを真正面から受け止め、勢いよく口を開く。

「ふざけるな! てめぇ、何考えてやがる!」

 再び海斗を制するようにまとわりつくモモの腕を振り払う。

 海斗に嘲笑めいた視線を向けていたゾレフは、鼻を鳴らすと右手の平を突き出した。

「そういきり立つな、コゾウ。俺に考えがある」

 言い終えるとゾレフは、呆気にとられている面々を後目に、濁声を響かせ豪快に高笑いを始めた。



 容赦なく太陽が照りつける乾いた大地。

 時折吹き荒れる風が砂を巻き上げ、熱で歪んだ景色を霞ませる。

 そこに大きな荷物を乗せた大八車を引く男がいた。

 強烈な日差しを避けるかのごとくすっぽりとフードで隠された顔から止めどなく汗が滴り落ち、瞬く間に乾いた大地に吸い込まれる。

 男は足を止め、額から滴る汗を無造作に手で拭う。

 ため息を吐くと、マントの下に手を忍ばせ、竹でできた水筒を取り出し豪快に煽った。

「あれがノリスか」

 町の方角から運ばれてくる風を受け、心なしか潮の香りが鼻についた。

 男は陽炎のように揺らぐ遠くの町を睨むと、空になった水筒を無造作に投げ捨てた。

 竹の容器は乾いた音を立てて大地に転がった。

 男はそれに見向きもせず、止まっていた足を動かす。

 そして一歩、一歩と乾いた大地を踏みしめていった。



「おい、ここは見知らぬ輩は通すことまかりならん」

「身分を明かすか、早々に立ち去れ」

 小高い塀に囲まれた門の前。

 そこで男を迎えたのは兵士達の心ない言葉であった。

 ノリスの門前には、兵士数名と石でできた巨兵が一体、部外者を拒むように配置されていた。

 男は遥か頭上までそびえる巨兵を見上げると、フードの下で口元をつり上げた。

「いや、旦那! あっしはこの町に酒を売りに来た酒屋でげす。怪しいもんじゃございやせん」

 兵士達はいかにも体格の良い男の風体をシゲシゲと見つめた後、訝しげに首を傾げる。

「酒屋だと?」

「へぇ、ちょっくら外界でも有名な日本酒といわれる酒が手に入ったもんで。これがなかなか口当たりがいいうえに実に力強い銘酒でげす」

「ほう」

 酒屋であれば体格の良いことに合点がいったのか、疑いの眼は一転して男の後ろに積まれた荷物に注がれた。兵士達が興味を示したところに男はすかさず杯を取り出し、樽の一つから杯に中の液体を注いだ。

「まぁ一つ試してみてくだせぇ」

 そう言うと男は兵士の一人に液体の入った杯を差し出す。

 これも検査のうちだと言い訳しながら、兵士は杯を受け取り、口元まで近づけた。

 一輪の風とともに、兵士の鼻に豊潤な香が運ばれる。

「ほぉ、これは良い香りだ」

 熟成されたなんとも深みのある香りに、つい本音で感想を漏らしていた。

「遠慮なさらずに一口」

 男の言葉と、酒の良い香りに背中を押され、兵士はごくりと生唾を飲み込んだ。

「勤務中なのだが」

 といいつつ、一口ならといいわけをして杯に口を付ける。

 口の中全体に鮮やかな香りが広がった。

「おおおおおぉぉ! なんという爽やかな! まるでフルーツだ。しかしそれでいてとても力強い」

 その言葉を耳にした二人の兵も先を争うように杯に群がる。

「おおおおぉぉぉ! 確かに! これは素晴らしい!」

 我先にと杯を口に運び、口々に感想を漏らす光景に、男はフードの下でニヤリとほくそ笑んだ。

「商いが終わりましたら、旦那方にもたっぷりと振る舞わせていただきやす」

 兵士達は必死に満面の笑みを隠すと、任務の表情を装った。

「まぁ、商いであればしかたあるまい」

 と建前上そう言いながらも兵士達の顔は明らかに、にやけているようであった。

 兵士の一人が腰から鍵を取り出し、門の錠を開封した。

 厚い木の扉が重々しい音を立てて開かれる。

「お心遣い感謝いたしやす」

 フードの男――ゾレフはそう呟き、兵士達に一礼すると、大きな大八車を引き、ノリスの門を潜った。



 ノリスはウェーロドから程近い港であり、その為、他の大陸からの物資を供給するにはとても都合が良かった。港の規模もそれなりに大きく、巨大貨物船が数隻は停泊できそうなほどである。

 輸入、輸出業が主である為か、町は経済的潤いを感じさせ、レンガ敷きに整備された交通路や、住宅街、商店街も色鮮やかに飾られ、商人達や旅人でにぎわいをみせている――はずであった。ゾレフの想像していた風景とはかけ離れ、人の数はぽつり、ぽつりと町人が歩いている程度であった。

 ガル軍が関係していることは容易に想像できる。ゾレフは左腕をまくると、丸いガラスの仕込まれた金属製のブレスレットに目を落とした。

 メカ兄こと、デックから預かった腕時計といわれる装置である。

「ちぃ、もう昼を回っちまったか」

 ゾレフは舌打ちすると、空を仰ぎ頭上に昇る太陽の位置を見定めた。

 ノリス到着まで予定よりも時間がかかってしまっていた。しかし作戦の開始まで残りの時間が限られている。ゾレフにはそれまでにやらなくてはならないことがあった。

「夕方までにはノリスの連中を説得しなきゃならねぇ」

 そうなると向かう場所は一つだと、確認するように言葉を続け、ゾレフは重い大八車を引き、歩みを進める。

 ふと、手ごろな民家を見定めると、玄関扉を叩いた。

「ちいとお尋ねしやす!」

 木製のドアは、ハタハタと音を立てた後、ドアの向こうから女性の声で、どちらさまと返事が返された。

 がちゃりという音とともに、ドアが半開きになり、隙間からパーマ頭の熟年の女性が顔を覗かせた。

 ドアに施錠していることといい、まるで何かを恐れるようであった。

「あっしは酒の行商に来たんでげすが、町長さんのお宅はどちらでげしょう?」

「あぁ、酒屋さん? 町長さんの家ならこの道を港に向かっていくと見える、赤い屋根の一番大きな家だよ」

 女性は酒屋と知るや安堵の表情を浮かべ、丁寧に指で示し、場所を教えてくれた。

「たすかりやした」

 深々と頭を下げるゾレフに、女性はしかしねぇとこぼし、言葉を続ける。

「帝国軍ってやつらがいきなり居坐って大変な時にこの町に訪れるなんて、あんたも不運だねぇ」

 女性はゾレフに同情めいた視線を向ける。

 そして、さっさと商い終わらせちまって帰ったほうがいいよと言い置くと、半開きのドアをぴしゃりと閉め、中から施錠を施した。

「なんなんだい、この町は!」

 仏頂面で言い捨てると、ゾレフは鼻息を荒げ、目的の町長宅を目指した。



 車を引く度にレンガで組まれた道を荷物が小刻みに揺れ、ガラガラと重量感を感じさせる音色が辺りに流れる。

 人通りが少ない為、その周囲はゾレフが奏でる音一色に染まっているようであった。

 潮の香りを辿るように女性が示した道を暫く行くと、目的の家はすぐに見つかった。白く塗られた住宅がひしめき合うように密集している中、一際大きな建物が目についた。

 両隣の家と比べ一階分は頭が抜きん出、屋根は潮風による腐食を防止する為か、赤いペンキで塗装が施されている。大きさの割には敷地を囲う塀が無い。住宅が密集している為であろう。

 建物はいたって普通であるが、ゾレフが不振に感じたのは玄関の扉の前に、重々しい甲冑を身につけた兵士が二人立っていたことである。

 ゾレフは大八車から手を離すと眉をしかめ、兵士に歩み寄る。

「あ、町長さんの家はこちらでげすか?」

「何だ貴様は?」

 兵士はゾレフに対して冷ややかな視線を向けた。

「あっしは酒屋でこちらで商いをと思いやして、町長にご挨拶を」

「このノリスは帝国の管轄だ! 挨拶なら団長にしてこい!」

 どうやらノリスは商いの商談や町を統治する会談などにも、常にガル軍の監視下におかれているようであった。

 ゾレフは内心で舌打ちした。ここで民衆を動かす力を有する町長に面会できなくてはノリスの民を説得するなど夢物語である。

 ここは何としても町長に会わなくてはならない。そして、ガル軍の監視をかい潜り、町長に全民衆が解放軍に協力するよう訴えてもらわねば――ゾレフは胸中に込み上げてくる焦りを必死に押し込み、窮地を打開すべく言葉を継いだ。

「しかし、場所やら単価など相談せにゃ商いなどできやせん。田舎に腹を空かせた息子がいるんでげす」

 兵士は情に流されたのか、いささか困ったそぶりで顔をしかめる。

「そうは言っても、今町長は留守だ。悪いが日を改めてくれ」

 ゾレフの根も葉もないはったりも通用しなかった。

「わかりやした」

 ゾレフは今にも掴みかかりたい衝動を必死で抑え、務めて冷静を装いながら兵士に対して深々と頭を下げた。

 くそっ――ゾレフは内心で吐き捨てると、マントの下で肩を震わせながら町長宅を後にした。



 ノリスの港から望む海に赤い太陽の光が差し込み、閑散とした周囲の景色を寂しく照らしていた。

 船着き場には貨物船の姿は無く、ただ赤く染まった海だけが広がっていた。

 船着き場から遥か海の向こうを望むゾレフの目には、宝石のように輝く海の美しさがいまいましいく映ってしかたがなかった。

 思わず忌まわしき過去の出来事が脳裏を過る。慌ててそれを振り払うように酒の注がれた杯を一気に煽った。

「畜生!」

 腹の底から思い切り叫び、空になった杯を夕日に溶け込む灯台に向かって投げた。

 杯は放物線を描いて落ち、海面はゆがみを見せた。出来上がった波紋はじんわりと広がり、そして空しく消えていった。

「あんさん、魚が逃げてしまう」

 ゾレフが振り返ると、白のランニングシャツに麦藁帽子をかぶり、痩せこけた壮年が、船着き場から釣り竿をたらしていた。

「おっさん、こんなとこで釣れるのか?」

 壮年は浮きを眺めながら、麦わら帽子の奥の口元を緩め、小さく微笑んだ。

「釣れはせんよ。こうして暇つぶしをしているのさ」

 釣れないんだったら静かにしても意味ねぇだろと毒づくゾレフは、ダメもとで町長の居場所を訪ねることにした。

「俺はどうしても町長に会わねぇといけねぇ。どこにいるか知らねぇか?」

 壮年はそこでようやくゾレフに視線を移すと、声をあげて笑った。

「何がおかしい」

「私だと言ったらどうしなさる?」

 ゾレフの目が驚きで大きく見開かれた。

「何で町長がこんなところにいるんだ?」

 町長は再び楽しげに声を上げて笑う。

「この町が帝国に制圧されてからというもの、屋敷には兵士の監視が厳しくてな。時々抜け出してはこうして息抜きをしているんだがね」

 町長はそうでもしてないとやってられんとばかりに肩をすくめた。

「さっきから聞く帝国ってのは、ガル軍のことか?」

 ゾレフの問いに町長はゆっくりと頷いた。

「あぁ、たしか帝国の総統はガルとかいっとったな」

 ガル軍は解放軍が戦力集めをしている間にも、着実に領土を拡大しているようであった。

 なにが帝国だ――ゾレフは内心で汚いものでも吐き捨てるように罵った。

「ところで町長に何の用かな?」

 町長から要件を促されたゾレフは、しめたとばかりにまくしたてた。

「実はノリス解放の為、俺達に協力してもらいたい! そこにある酒を町中の兵士に飲ませて酔い潰れている間に、町民を町から避難させてくれ!」

 町長はゾレフが話している間、波にゆられる浮きをじっと眺めていた。そしてゾレフの声が途切れると、浮きに視線を置いたまま、口だけを動かした。

「それはむりじゃな。少なからず民の血が流れる」

 予想に反した町長の言葉にゾレフの顔に一瞬戸惑いの色が現れたが、なおも食い下り、説得を試みる。

「あんた達の協力が必要なんだ。あんた達が安全な所まで避難した後は俺達で片づける」

「ほう、お前さん解放軍か?」

 暫しの沈黙が訪れ、木製の船着き場に波がぶつかる音だけが周囲に響く。

「ならなおさら協力できんな」

「なぜだ!」

 ゾレフは掴みかからんばかりの勢いで町長に向かって身を乗り出した。

「帝国に反乱した町はことごとく焼け野原になっていると聞く。ここに住む民はみな家族、家、守らないといけないものを持っている。だから、帝国の管轄になっても逆らうようなことをしなければ、窮屈だが、平穏に過ごせる」 

「それでいいのかよ? 男は徴兵されて、町の金はごっそり帝国に巻き上げられるんだろ? それのどこが平穏だ!」

 ふつふつと込み上げてくる憤りはすでに隠すことができず、ゾレフの言葉は徐々に凄みを含んでいった。

「家族を、守るにはそれしかないんだよ」

 激しく叩きつけた言葉を冷ややかに受け流されるや、ゾレフは一転して静かに語りだした。

「俺の古里も帝国の奴らに占領された――」

 心に落とした暗い闇は、ゾレフの瞳に例えようのない悲しみを浮かびあがらせていた。

「幼かった俺は何もできず、目の前で母親を殺された。しかし、町の男達は最後まで帝国と戦った」

 そこまで言ったゾレフは言葉をつまらせ、その先を継いだ。

「しかし、俺は一人運良く町から逃げ出した。そしてほとぼりが冷めたころ、町に戻った俺が目にしたのは、おびただしい死体の山と、真っ黒にただれた大地だけだ。もっと自分に力があれば、大事な家族を、町を守れたのに。そう思って俺は強くなる事を望み、解放軍に入った。もう見たくねぇんだよ!」

 大事なものを守るよりも、死の恐怖から逃げ出した情け無い自分。

 残ったのは、何もできない無力な自分への憤りと、狂おしいほど胸を締め付ける後悔の念だけであった。

 ゾレフは沈黙を守る壮年に向かって取り止め無く突き上げる感情をぶつける。

「俺と同じ目をしたガキが、故郷でもないあんた達の町を守ろうと命張ってんだぜ! 大の大人が恥ずかしくねぇのかよ!」

 ゾレフは言い終えると、踵を返し、大八車に積まれた樽の山をポンと叩いた。

「こいつは置いていくぜ。今晩零時に町の門の前まで民衆を集めてくれ」

 ゾレフはそう言い捨て、最後に拳で力強く樽を叩くと、夕日の光に染まった周囲に姿をかき消していった。

 壮年は竿を跳ね上げ傍らに置くと、沈みかけた夕日にむかって呟いた。

「ふん、若いのぉ――」



 広く開けたノリスの町の外れは静寂に包まれ、雲の隙間から覗く月の光に淡く包まれていた。

 本来この敷地は旅人、商人達の利用を目的としたバザーや露店、イベントなどに使用されるはずであるが、ガル軍に占領されてからは、それを想像できないほど殺風景な更地と化していた。

「そろそろ時間か」

 ゾレフは腕に付けた外界製の腕時計を月の光に照らした。

 潜入作戦の為、むやみに連絡を取り合うことは避け、時間で行動することになっている。

 一秒でも段取りが狂えば即作戦の失敗につながることも大いに有りうる。

「酒を全部置いてきたのはまずったな」

 もし、町長が動かなければ、手持ちの酒でできる限り町に居座る兵士達を酔い潰すことができた。

 しかし今となっては手遅れであろう。

 酒を取りに行っている間に、作戦が開始されてしまう。

 今のゾレフには、町長が動いてくれることを信じるしかなかった。

 その時、時計の秒針が零時きっかりを指した。

「くそ!」

 ノリスの町中に続く暗闇を睨み、吐き捨てるように呟くと、ゾレフはノリスの門に向かった。

「おつかれさんでげす」

「む、昼間の酒屋か」

 門番の兵士はゾレフの姿を確認するや、目で訴え掛ける。

「わかっておりやす、さ、これを――」

 そうゾレフが言いかけた瞬間、手に持った杯が宙を舞った。

「む、うぐ」

 ゾレフは兵士の背後に素早く回り込む。

 背後から左腕を兵士の喉に回す。

 さらに右腕で兵士の兜を押さえた。

 スリーパーホールドである。

「ぬりゃぁ」

 気合がこもる。

 ゾレフの両腕の筋肉が膨れ上がり、梃子の原理で兵士の頸動脈を絞め上げる。

 もがき苦しむ兵士の両目が白目を向き、全身から力が消え失せた。

 意識が一瞬にして落ちたのである。

「貴様!」

 もう一人の兵士がソードを無造作に抜き放った。

 切っ先を空に突き上げた八双崩れに振りかぶる。

 そしてゾレフに向かって突進した。

 ゾレフの肩から羽織っていたマントが翻った。

 刹那、突如兵士の視界が暗闇に包まれた。

「ふん!」

 気合もろともゾレフの左足が振り上がる。

 前蹴りに似たレッスル流のトーキック。

 顔面を覆うマントを剥がそうと兵士がもがく。

 プレートメイルと軽装な兵士の鳩尾に、ぐさりとゾレフの左つま先がめり込んだ。

 兵士の動きが止まった。

 ゾレフが兵士の顔を覆うマントをはぎ取ると、兵士の顔は苦悶表情で歪み、その口からは胃液が流れ落ち、腹を押さえて前かがみに体を折っていた。

「シィッ!」

 間髪入れずゾレフの口から息が漏れた。

 ソードを持った右腕を自らの胸に巻きつけ、自由を奪う。

 兵士の頭部を右脇の下に抱え込む。

 前屈み状態の相手の首を正面から絞め上げるフロントフェイスロックの体勢である。

「ぐぉぉぁ」

 苦悶の叫びをあげながら、兵士が技から逃れようと全身に力を入れた。

 瞬間、ガクリと両腕が力無く地面に向かって垂れ下がる。

 手から滑り落ちたソードがぐさりと大地に突き刺さった。

 兜の防御が届かない首、頸動脈を絞め上げられ意識が落ちたのである。

「ここまでは予定通りだ」

 ゾレフはぐったりとした兵士を軽々と右肩に抱え上げ、先ほど気絶させ、地面に横たわっている兵士を左手で掴む。そしてとりあえず安全そうな場所まで移動すると、そこで気を失っている二人の兵士を地面に降ろした。

「暫くおとなしくしてもらうぜ」

 まぁ、暫くと言ってもこの先、解放軍に回収されて尋問が待っているがなと付け加えながら、ベルトに挟んでいたロープを取り出し、二人の兵士を縛り上げ、猿ぐつわを施す。

 そこで不意にゾレフの体が突風に煽られ、周囲から砂塵が舞いあがった。

 ゾレフは巻き上がる砂塵に目を細め、右腕を顔の前に翳す。 

 それが合図であるかのように、門の前にたたずむ石の巨兵に大きな陰が落ちる。

 と思われた瞬間、大きな地響きが大地を、周囲の空気を振動させた。

 気がつけば、石の巨兵の眼前に赤い山が出現していた。

 月光を受け、赤黒く怪しい輝きを放つ巨人――解放軍の新型魔法巨兵ナイアードは、素早く立ち上がり、右足を力強く後方に踏み込み、腰を落とした後屈こうくつに構えた。

「コゾウ、六秒の遅刻だ!」

「るせぇ! おっさんの段取りがおせぇんだよ!」

 何が起きたのかわからず、暫し呆然としていた石巨兵が動き出した。

「き、奇襲か!?」

 石巨兵から操縦しているであろう、拡張された兵士の声が流れた。

 石巨兵はレッスル特有のタックルに備えた前傾に構える。

「遅い!」

 ナイアードから海斗の声が木霊した。

 ナイアードは右足で大地を蹴り、膝を前方に突き出し、一瞬タメをつくる。

 そして蓄積された力を一気に解放した。

 ナイアードの前蹴りが石巨兵の鳩尾を叩いた。

 鈍い金属音が木霊した。

 石の体から、火花が散った。

 砕けた石片が舞い上った。

 その激しい衝撃と振動に、石巨兵はたまらず数歩退いた。

 間髪いれず、フシュっとナイアードから息が漏れる。

 石巨兵に距離を詰める。

 左手で石巨兵の頭部を掴んだ。

 右手で腹部を鷲掴みにした。

「デリャァァ!」

 気合いとともに石巨兵の操縦室を覆う腹部の装甲がもぎ取られ、直立シートに束縛された兵士の姿が露わになった。

 間髪入れずナイアードは掴んでいる石巨兵の頭部をまるでボールでも投げ捨てるかのように、前方に放り投げる。

 頭部にくっついている石巨兵の体は後方に弾かれ、バランスを崩し尻餅をついた。

「フシュッ」

 石巨兵が起きあがろうとするよりも速く、ナイアードが動く。

 石巨兵の正面から覆い被さるように頭部を右脇の下にはさむ。

 そして、すくい上げるように相手の左肩に、右腕を差し込み、自らの左手とロックする。

「羽折り固め!」

 相手の肩と首を極めるレッスルの間接技だ。

 上半身を固められ石巨兵の左肩から、ギシギシと鉄が軋む音を立てる。

「痛みを感じぬ巨兵に間接技など無意味だ!」

 石巨兵の腹部からあざけり笑うような兵士の声が響いた。

「意味があるんだな、これが」

 突如現れた侵入者に兵士の顔が驚愕で歪む。

「さ、サーモスキャンモードおぶっ!」

 兵士が言い終わると同時に、ゾレフの右拳が兵士の顔を横殴りに打ち付けた。

 あっけなく兵士が一撃で気絶したと同時に、直立して兵士の体を束縛していたシートが、イスの状態に戻った。

 ゾレフはサーモスキャンモードが解除され、自由を得た兵士の体をロープで縛り上げ、操縦室から転がり落とす。

 まぁこの高さなら死にはしねぇだろうと呟き、ゾレフは操縦室のシートに体を預けた。

 巨兵を動かす為には、操縦者である事を巨兵に認識させなくてはならない。

 ゾレフは懐中から手のひらに収まるくらいの箱を取り出した。

 それはガル軍の巨兵を乗っ取る為にデックから手渡されたハッキング装置と言われる代物であった。

 黒い長方形の箱からは無数の線が生えている。線の先に取り付けられた金具を、操作機材のメンテナンスに使用される穴に差し込む。

 すると瞬く間にシート前のサブスクリーンが数字とAからFで構成される十六進数といわれる数字で埋め尽くされていった。

「はやくしやがれ」

 ゾレフが舌打ちした瞬間、サブスクリーンを埋め尽くしていた数字とアルファベットの羅列は消え、代わりに、新規搭乗者声紋登録の文字が点滅した。

 眼鏡のやろう、やるじゃねぇかとゾレフは呟き、口元をつり上げた。

「サーモスキャンモードオン!」

 野太い濁声が周囲に響きわたった瞬間、石巨兵に新たな生命の息吹が宿った。

「うし! ナイスだ、おっさん!」

 拡張された海斗の声が響き、ナイアードは石巨兵の動きを束縛する両手のクラッチを解いた。

「ここまでは――な」

 問題は町の連中だとゾレフは内心で続け、ノリスの町へと続く深い闇を睨みつけた。



 町へと続く深い闇の彼方で何かがうごめき、それはやがて津波のごとく二体の巨人に迫ってきた。

「ガル軍か?」

「さぁな」

 海斗の問いをゾレフは流すように答え、石巨兵は前傾に両手を構え、ナイアードは腰を落とし、双手に構えた。

「人? それもすごい数!」

 思わずナイアードから漏れたミリィの呟きに、ゾレフはニヤリと薄笑いを浮かべた。

「町中の兵士はみな酔い潰れておるぞ」

 不意に聞き慣れた声が耳につき、ゾレフは操縦室から外に向かって身を乗り出した。

「町長!」

 ゾレフが地鳴りのような声を張り上げると、町長は深く被った麦わら帽子を人差し指で押し上げ、薄く笑い返した。

「恩にきるぜ! 町長! あとは俺達にまかせろ!」

「そうと決まれば兵士どもをふんじばって――」

 海斗がそう言いかけたとき、再び闇の奥がうごめいた。

 それはさっきとは違う、なにか嫌な雰囲気だった。

「なんだろうね」

 前方スクリーンを凝視していたミリィがぽつりとこぼす。

「あれは――」

 それは肉眼でもはっきりと確認できるくらいまで距離を詰めてきた。まるで複数の山がひしめき合っているようなその様は。

「巨兵だ!」

 ゾレフが叫んだ瞬間、周囲の空気が凍り付いた。とたんに悲鳴と怒号が木霊した。

「落ち着いて!」

 町長が人の波に押し流されそうになりながら、逃げ惑う人々を誘導させる。

「海斗!」

「おっさん!」

「おぅ!」

 二体の巨人は逃げまどう民衆の最後尾に躍り出ると、自らの体を盾にするごとく両腕を大きく広げた。

 万が一、魔法攻撃があれば民衆を傷つけてしまう。

 後方に向いたナイアードの頭部カメラが捕らえた映像をミリィと海斗は凝視しながら、民衆が安全な地点まで避難し終わることを見守り、ゾレフは正面に迫るガル軍の巨兵を睨み据える。

「避難完了したよ!」

 不意に叫んだミリィの声に合い呼応して、ナイアードの右足は大きく大地を踏みしめ双手に、ゾレフの石巨兵は、前傾に構えた。

 もはや眼前といったところまで迫った巨兵郡、その数六体。

 全てが石巨兵。

「いくぜ! おっさん!」

「俺に指図するな!」

 叫びざま、赤と白の巨兵は押し寄せる帝国巨兵郡に向かって踏み込む。

 ゾレフの巨兵は振りかぶった右腕を真正面の石巨兵にラリアットで叩きつける。

 ナイアードは鉤突き(ボディーブロー)で隣の巨兵の腹を打つ。

 同時に激しい衝撃音と火花が散る。

 攻撃を受けた二体の帝国軍石巨兵が大地に沈むことを確認する間もなく、ゾレフの巨兵は、倒れていない隣の石巨兵の懐に素早く入り込み背後を取った。

 相手巨兵の脇の下から腕を通す。

 首根っこのあたりで自らの手をロックした。

 それはフルネルソンといわれる羽交い締めに似た固め技だ。

「来い! コゾウ!」

 叫ぶと体の前に固めた帝国巨兵をナイアードに向けて突き出した。

「せいや!」

 ナイアードから気合いが迸る。

 赤い鋼の右足が砂塵を巻き上げ、大地を蹴った。

 重い中段回し蹴りが帝国巨兵の胸元を打った瞬間、帝国巨兵の両足が重力を失ったかのように、大地から離れる。

 ゾレフの巨兵は後方に向かって見事な曲線を描く。

 帝国巨兵の頭部が大地に叩きつけられる。

 頭部の破片が粉々に散乱した。

 受け身を取ることを許さない、フルネルソン・スープレックス。

 ゾレフの巨兵が見事な石の橋を創ると、無防備状態のゾレフの巨兵に、帝国巨兵が迫った。

 そうはさせまいと、帝国巨兵の前に赤い巨人が立ちふさがった。

「いくぜ! ミリィ」

「どんとこい!」

 後屈に構えたナイアードの右拳が青白く光を帯び、冷気が宿る。

「愚かな、石巨兵に魔法など効かぬ!」

「はぁぁ――」

 ナイアードから漏れる低い息吹の鼓動が、周囲の空気をビリビリと振動させる。

「せい!」

 極限まで凝縮された氣が気合に変わる。

 ナイアードの右正拳突きが唸りをあげた。

「クリスタルボンバー!」

 冷気が宿ったナイアードの右拳に高温の炎が流し込まれる。

 石巨兵の左胸に水蒸気爆発の衝撃が走る。

 砕け散った氷の粒子が月光に反射し、光輝いた。

 石巨兵の体は大きく後方に弾かれ、背中を大地に打ち付け、砂埃が舞い上がる。

「へっ、巨兵に魔法は効かなくても、操る人間は生身だろうがよ!」

 動かなくなった巨兵を一瞥するかのような仕草のナイアードから海斗の声で罵声を浴びせる。

「行くぞ、コゾウ!」

 すでに立ち上がっていたゾレフの巨兵が、残る二体の帝国巨兵に向かって構えていた。

「俺に指図すんじゃねぇ!」

 ナイアードから海斗の叫びが木霊する。

 二体の巨兵はそれぞれの獲物に向かって矢のような鋭いタックルを放った。

 鉄と石がこすれる。

 赤い火花が散った。

 前方からの衝撃を受け、二体の帝国巨兵は態勢を崩す。

 ナイアード、ゾレフの巨兵は、それぞれの相手の右足首を左わきの下に抱え込む。

 反動をつけ、右腕を抱えた足の下から巻きつける。

 そのとき、二つの竜巻が現れた。

「ドラゴンスクリュー!」

 二体の帝国巨兵は掴まれた足を軸に体を捻られるように、仰向けに大地に倒れ込む。

 すかさずナイアードとゾレフの巨兵は素早く起きあがる。

 横たわる巨兵の左足を掴む。

 そして自らの足に巻き付けるように体を回転させる。

 二体の巨兵の挙動は、全く同じであった。

「足四の字固め!」

 海斗の叫びが周囲に響きわたった刹那、ナイアードとゾレフの巨兵の背中が同時に大地を叩いた。

「すごい――たった一回、肌を合わせただけなのに、なんでこんなに二人は息が合うの?」

 前方スクリーンに映るゾレフの巨兵の姿と、その下に映るポリゴンといわれる技術で描かれたナイアードの姿。二体の技をかけている様は寸分も違わない事に、ミリィは思わず驚嘆の言葉をこぼしてしまっていた。

「でりゃぁぁぁぁ!」

 海斗とゾレフの雄叫びが見事に交わり、ナイアードと、ゾレフの巨兵の右腕が天に向かって突き上げられた。

 帝国巨兵の両足が青光した。

 やがて白い煙が立ちこめた。

 そして閃光が走り、大きな音が木霊した。

 蓄積され、行き場を失った動力源が音をたてて爆発したのだ。

 巨兵は足を失えば戦う事は難しい。

 戦力外に陥った帝国巨兵から足枷を解くと、赤と白の巨人はゆっくりと身を起こした。

「これで全部か――」

「おそらくな――」

 二人の男がそう呟くと、二体の巨兵はそれぞれの戦いを称え合うかのように違いの拳を打ち弾いた。



 ノリスの町へと続く深い闇から、冷たく低い声が響き渡った。

「役にたたねぇ雑魚共を片づけたくらいでいい気なもんだ」

 それは吐き気をもよおすほど、とてつもなく嫌悪感を感じさせる声だった。

 暗闇の中から姿を現した巨兵は、外界の騎士と呼ばれる甲冑に身を包んだその体を月光に晒し、白い輝きを放っていた。その様相は見る者をして、身震いするような鋭さと冷たさを含んでいた。

「まだ一体隠れていやがったか」

「鉄兵――か」

 鉄の装甲に身を包んだ巨兵はナイアードの数歩手前で立ち止まると、感情を逆撫でするかのごとく、尖った顎で赤い巨人を指した。

「しかしこの世界は良いな。思う存分人を傷つけ、殺してもいいんだからな」

「貴様!」

「外界人!?」

 響き渡る海斗の声は怒気を孕み、ゾレフの声は驚きで歪みをみせる。

「ああ、俺がこの間までいた世界は、おまえ等の言う外界、地球ってとこさ」

 ミリィは正面スクリーンに映る白銀の巨兵を憎悪の眼で睨みつける。

「どの世界だって、決して人を殺したりしていい所なんて存在しないわ!」

「たしかに俺の世界じゃ、人を傷つけたりすれば法律によって裁かれちまうが――」

 兜の隙間から覗くカメラのレンズが、まるでナイアードの向こう側のミリィに照準を合わせるごとくに小刻みに回転をする。

 そしてナイアードの頭部カメラに指を突き付け、言い放つ。

「この世界では、帝国が法律だ!」

「なにが帝国よ! 人の国を乗っ取ってあんた達が勝手に名乗ってるだけでしょ! 盗人猛々しいとはこのことよ」

 ミリィは憤りを抑えられず、感情のままに言葉を叩き付けた。

「元気のいい女は好みだぜ」

 その言葉を聞いた刹那、先ほどまでの怒りはどこかに消し飛び、変わってミリィの背筋にザワザワと嫌な悪寒が走った。

「ふざけやがって!」

 海斗の叫びに応じてナイアードが正体に構えると、それを制するように白い腕が伸び、ナイアードのカメラの視線を遮った。

「俺にやらせろ」

 ゾレフを乗せた石の巨兵はずいっと前に出ると、静かに腰を落とし前傾に構えた。

「レスリングか」

 鉄巨兵から漏れる冷たい男の声。

 鉄巨兵は半身に構えた。

「な、なんだ、あの構えは――」

 その構えはミリィはもちろん、ゾレフも海斗も目にしたことのない構えだった。

 キックに似たスタンディングの構えだが、前に出した左足のつま先が地面から離れそうなほど浮いている。それだけ重心を後方に掛けている証拠だ。

 そして、顔面をガードするように添えられた両手はカラテ、キックの構えでは拳を縦に構えるが、拳は横――リズムを刻むフットワークに魅了されるように、海斗は未知の格闘技をまじまじと見つめた。

「なんだ、この世界じゃムエタイは無いのかよ」

「ムエタイ!?」

 聞き慣れないその言葉に三人の声が見事に調和した。

 構えからすると打撃を有する格闘技であることは分かる。しかし、未知の格闘技、掴み、投げも警戒しなくては、一撃で勝負が決しかねない――ゾレフはむき出しになっている操縦室をかばうように両腕を立て、ガードの姿勢を取った。

「怖じ気付いたか」

 鉄巨兵はゆらりと距離を詰める。

 おもむろに左腕の空間が歪んだ。

 突きか――石の両腕の隙間から挙動を見据えるゾレフが思った。

 瞬間、突如操縦室全体が衝撃に揺れ動いた。

「見えない、何があったの?」

 スクリーンを凝視していたミリィは、必死に目を凝らす。

「蹴りだ。それもとてつもなく速い」

 解説する海斗の額から、うっすらと汗が滲んでいた。

「どうした、解放軍さんよぉ。突っ立ってるだけならサンドバック代わりにもならねぇぜ!」

 そしてまた鉄巨兵の左足の空気が歪んだ。

 鞭のようにしなやかなローキックが、石巨兵の右足の装甲を打ちつけた。

 闇の中に赤い閃光が走る。

「くそ」

 ゾレフは臓物を揺さぶらんばかりの衝撃に奥歯を噛み締め堪えた。

「おっさん! ガードだ! 足を上げろ!」

 ばかやろう! ただでさえみえねぇ下段蹴りをガードの隙間から肉眼で見えるわけねぇだろ――そう喉元まで出かけたが、口に出すほどの余裕など微塵もない。

 そう、今ガードを解いてしまえば、鉄の拳、あるいは蹴りがむき出しになっている操縦席を直撃することは明白だ。

 今はひたすら耐え、わずかな勝機に活路を見出すしかない。

 それを理解しているのか、海斗の拳は硬く握られたままであった。

 あたかも形勢不利のゾレフに対し、今にも助太刀したい心を押し殺すかのように。

 ゾレフを信じているのね――そう思いつつ、ミリィは前方スクリーンに視線を戻した。



 何回受けたであろうか。左ローキックが、石の足によって弾き返された。

 速さにも慣れ、予備動作である程度タイミングを掴んで、ガードができるようになったんだな――海斗は声を張り上げる。

「いいぞ! おっさん!」

 海斗の激励にゾレフは硬い表情を崩すことはなかった。

 左腕が一瞬伸びたかと思うと、一瞬遅れて石の足を打つ。

「くそ! フェイクか――」

 何回かガードしているとはいえ、石巨兵の右足は石の装甲がひび割れ、一部剥がれ落ち、痛々しいほどの姿を晒していた。

「シェア!」

 鉄巨兵からこれまでにない気合が洩れた。 

 左のローキックが石の装甲を打った。

 装甲は粉々に粉砕された。

「ぐっ」

 いままでにない衝撃にゾレフの口からうめき声が洩れ、石巨兵が体勢を崩した。

 その拍子にガードが下がり、今まで隠れていた頭部を晒け出した。

 終わりだ――鉄の足が大地を蹴った。

 体重の乗ったハイキックがまるで鎌のように石の頭部を捉た。

 石の頭部が粉々に砕け散った。

 勝った――そう思った瞬間、鉄の兜に埋め込まれたカメラが信じられない光景を捕らえた。

 頭部を失った巨兵が猛然と迫っていたのだ。

「ぬりゃぁぁ!」

 野太い気合と共に、石の右腕がうなりをあげ鉄の胸板を打ちつけた。

 全体重の乗ったラリアットだ。

 鉄巨兵は弾かれるようにその身を躍らせ、倒れこむように背中を大地に打ち付けた。

「これが――」

 石巨兵はすかさず鉄の両足を掴んだ。

 持ち上げた両足の間に右足を差し込み、交差させ、捻りあげる。

「レッスルだぁぁぁ!」

 ゾレフの咆哮が耳をつんざいた。

 石の体が半回転した。

 仰向けの鉄巨兵がうつ伏せにひっくり返った。

「決まったな――右わきの下に鉄の足を抱え、ずしりと背中に腰を落とすこの技は、スコーピオン・デスロック(さそり固め)だ」

 海斗は静かに語りだした。

「奴は格闘家としては確かに強いが、巨兵に関しては素人だ」

「頭部を破壊して油断したってこと?」

 海斗はミリィの問いに大きく頷くと、言葉を続けた。

「長年染み付いた格闘の癖みたいなもんだな。頭部の破壊は決着と思い込んじまう」

 ミリィは海斗の説明に大きく頷いた。

「そして、もう一つ、鉄の巨兵は石巨兵に比べ、装甲が軽く、奴のようなスピードを生かした攻撃をするには悪くはねぇ」

 しかしと海斗は言葉を次いだ。

「みろ、捕まっちまえばパワーは石巨兵のほうが上だ。それに比べて、あの石巨兵の体重を乗せた固め技――おっさんのやつ巨兵の特徴をうまく利用してやがる」 

 ミリィは海斗の解説に、ぞくりと戦慄を覚えた。彼はただの格闘家ではない。相手を叩きのめす為に、研究し、磨き上げられたその技は、まぎれも無く傭兵のそれであるのだと。

「ねりゃぁぁ!」

 ゾレフの雄叫びが乾いた周囲に響き渡った。それに応ずるがごとく鉄の腹が、足が、メキメキと軋み、やがて赤と青の閃光がほとばしった。

「う、うわぁぁぁ!」

 次の瞬間、閃光に取って変わって恐怖の色を称えた男の絶叫が周囲を支配する。

「終わったな。下半身をやられたら巨兵はただの鉄屑だ」

 海斗の言葉を背に受けながらミリィは、前方スクリーンに映し出されている二体の巨兵の姿に目を向けた。

 石の巨兵がゆっくりと腰を上げたその足元には、うつ伏せで動く気配すら感じられない巨人の姿があった。

 ミリィにはまさに鉄の塊といった形容詞がぴったりと当てはまるように感じられた。

「やったぁ! ゾレフさん!」

「うしっ!」

 ゾレフの勝利を確信した海斗が、シートの束縛を解除し、びしっと下段払いの構えを取った。

「楽勝!」

 ミリィは喜びの声を上げると、振り向きざまに、海斗の右手をパンと叩いた。



 ガル軍の手から解放されたノリスの町は穏やかな朝を迎えていた。

 まだ薄靄が残る港には、まばゆく輝く朝日が差し込み、町の風景を一際白く染めていた。

 人々もまた、太陽の祝福を喜ぶかのように、皆が穏やかな表情であった。そこには今までの苦悩、束縛、哀しみの呪縛から解き放たれ、晴々とした笑顔が溢れていた。

 港に程近い場所に大きな倉庫があった。

 無造作に黄色のペンキで二十一と書かれたその横には、闘技場と書かれた看板が人目を憚るかのように立てかけてあった。

 使用しなくなった倉庫を娯楽の為に改装したものだ。

 おおっぴらに賭け試合を行うことは治安上好ましくないことから、地下に施設を設ける町が多いが、一見するとただの倉庫である外観は賭け試合にはうってつけである。

 夜間は人が賑わいをみせるその中は、今はまるで別世界であるかのように静寂を保っていた。人の気配を感じさせない、ただ、おびただしい数の椅子が敷き詰められた空間。

 その中心に四角いリングが、天井から伸びるライトに光々と照らされ、薄暗い室内に浮かび上がっていた。

 そこに二人の男が対峙していた。

 六メートル四方の隅には鉄柱と、その内側には三本のロープを支えるポストが備えられている。床は、板張りの上にゴムシート、その上にショック吸収材、さらにその上に白いキャンバスが轢かれたもので、投げ技による事故を防止するものだ。

 賭け試合にしては、なかなか本格的なリングである。

 およそレッスルのリングとは不つり合いな、袖の破れた純白の胴着をまとった男は、ゴムに覆われた鋼線のロープに幾度か背中を押し当て、ゆっくりと口を開いた。

「こんなとこに呼び出したところをみると、譲る気はさらさらねぇってことか――おっさん」

「――」

 ガル軍からこの大陸を守る為に、解放軍の戦力の一部をここに残すこととなったのだ。

 ゾレフがそれに願い出ていたのだが、海斗はそれに賛同できなかった。

 海斗もまた思っていた。

 自分もこの大陸を、リリの町を守りたいと。

 鍛え抜かれかた肉体を誇示するかのように上半身を露わにし、黒のスパッツにシューズを身につけた男は、憮然とした面持ちで沈黙を守っている。

「それとも何か? どっちがここの町に残るかこれで決めようってのか?」

 胴着の男――海斗は、不的な笑みを浮かべると、背中をロープから離す。

 対する無骨な髭面の男――ゾレフは、まるで海斗の問いに応ずるがごとく右足を半歩踏み出し、腰を落として構えを取った。

 海斗も無言で腰を落とし、後屈に構えてゾレフに応じた。

 もはやこの二人の間には余計な会話は無用だった。

 ガル軍の侵略からこの大陸を守る牙城となるのはどちらが相応しいのか。

 お互いの拳に聞けばいい――二人の想いがリングと一体に、二人だけの世界に変化を遂げる。

 先に動いたのは海斗だった。

 牽制の左の下段回し蹴りを繰り出す。

 しかし蹴りの間合いからは遠い。

 蹴りは空を切る。

 すかさず空ぶった左足で踏み込む。

 右前蹴りをゾレフの胸元に向け放った。

「シュッ」

「フシィッ」

 二つの息が交錯した。

 ゾレフは海斗の右足を両手で受け止めた。

 甘いぜコゾウ――ゾレフの笑みはそう言っているようだった。

 瞬間、右足を捕まれた。

 タックルで海斗を倒そうとする構えだ。

 そうはいくかといわんばかりに左足でキャンバスを蹴る。

 ショートレンジからの左膝蹴り。

 ゾレフは瞬時に両手を放し、頭をさげる。

 海斗の膝は空を切った。

 膝が空振り、体勢が不安定になったこの隙を、ゾレフは見逃さなかった。

 海斗の股をくぐるように、低い姿勢で背後を取る。

 そして海斗の腰に両腕を回した。

 ジャーマン――海斗は直感した。

 瞬間、天井からまばゆく照らす光が海斗の両目を突き刺した。

 ゾレフの体は弓のようにしなり、海斗の後頭部は真上からキャンバスに向かって、強烈に叩きつけられた。

「シィッ!」

 ゾレフは吐き出した息とともに、海斗の体を離す。

 そしてキャンバスに横たわる海斗の股の間に体を滑りこませ、硬く握られた拳を海斗の顔面に叩きつける。

 故郷を失い、居場所を失った俺が見つけた、やっと見つけた――守るべき居場所なんだよ!

 ゾレフの拳はまるでそう叫んでいるかのようだった。

 顔面をガードする海斗の両手に拳を叩きつける。

 何度も何度も。

「でぇぇあぁぁぁ!」

 絶叫とともに全身を使って放たれた右の拳は、海斗の顔面を覆うガードを弾き飛ばした。

 やられる――そう思うよりも速く、海斗の体が動いた。

 まるで(たすき)をかけるようにゾレフの伸び切った右腕に足が絡み付いた。

「三角絞めか!?」

 瞬時に海斗の狙いを察知したゾレフは、極められた半身を起こす。

 そしてゾレフの背筋が波打った。

 上腕筋が隆起した。

 おびただしく走る血管が肌に浮かび上がった。

「でりゃぁぁぁ!」

 ゾレフの気合が響き渡った。

 海斗の体はゾレフの半身に巻きついたまま、キャンバスから浮き上がる。

 海斗を肩に乗せたまま、ゾレフが立ち上がる。

 ――これは!?

 そう思った瞬間、海斗の視線が再び天井を仰いだ。

 海斗の頭は下半身を軸に孤を描き、レッスルで言うパワーボムに似た態勢でキャンバスに叩きつけられた。

「グッ!」

 両手で激しくキャンバスを叩き、体への衝撃を緩和した海斗はそのまま四肢を大の字に投げ出した。

「はぁはぁ――」

 胴着下の下腹部を上下させながら、肩で息をする海斗を上から冷ややかに見下ろしたゾレフは、勢い良く口を開いた。

「来い! コゾウ!」

 そう叩きつけ、両手のひらを上に向けて五指を煽り挑発すると、分厚い胸板をずいと前に突き出した。

 それに応ずるように、海斗は重くなった体を引きずるように起こし、腰を落とし、後屈に構えた。

「ぜぇいやっっ!」

 俺だって守らなきゃいけないものがある――そう叫ぶかのごとく、右足がキャンバスから跳ね上がり、分厚い胸板を打ちつけた。

 一向に揺らぐ気配の無い壁。

 そこに何度も何度も右足を打ちつける。

 やがてゾレフの胸板が、徐々に赤く変色していく。

 しかし、肉の壁はまったく微動だにしない。

「はぁぁぁ――」

 息吹の鼓動を口から漏らし、下腹に蓄積された氣を一気に解き放つ。

 ホークさん、マリーさん――思いを右足に乗せる。

「せいやぁぁぁぁっ!」

 気合が弾け飛ぶ。

 体重の乗った右中段回し蹴りが、肉の壁にめり込む。

 ついに肉の壁が後方に揺らいだ。

 ゾレフは苦痛に顔を歪めながらもつれる足で、背をロープに預ける。

「でぃあぁぁ!」

 ゾレフの気合いが木霊した。

 野獣のような雄叫びだった。

 ロープの反動を利用して猛然と突進する。

 振り上げた右腕を海斗の胸板に叩きつけた。

 乾いた音が響き渡った。

 海斗は両足に魂身の力を込める。

 倒れゆく体を支える。

 そうはさせまいと、続けざまに近距離からのラリアットが再度海斗の胸板を打ちつける。

「ぐうぅ」

 焼けるように熱い息が喉を通り、海斗の口から低い呻き声が漏れた。

 しかし、海斗の体は倒れなかった。

 くそ――吐き捨てると、ゾレフは再度ロープに体を預ける。

 そして勢いのまま右腕を振り抜いた。

「海斗ぉぉぉ!」

 ゾレフの咆哮。

 肉が肉を打ちつけた。

 叫びと乾いた音が交わった。

 その音は、空気を激しく揺さぶった。

 倉庫狭しと反響した。

 海斗の体を後方に弾く確かな手ごたえを感じた。

 ゾレフは赤く変色した丸太のような右腕を押さえ、一瞬苦痛に顔を歪める。

 しまった!――ゾレフは一瞬の隙をさらけ出したことに気づき、海斗の姿を目で追った。

 そこで目に飛び込んできたものは――眼前に迫る海斗の背中だった。

 ゾレフには背中越しに見えた海斗の横顔から一瞬、優しい笑みが漏れた気がした。

 それはまるで、俺の拳を、思いを、受け取ってくれ――そう語っているように思えた。

「カイトルネードォォォ!」

 遠心力に乗った海斗の右拳が、ゾレフの左こめかみを打ち抜いた。

 ずしりと重い手ごたえが海斗の右腕に伝わった。

 拳に弾かれたゾレフの体は、振り子のように頭からキャンバスに倒れ込んでいった。

 くそっ――漏らし、ゾレフは這いつくばる。

 両足に力を込める。

 膝を立てる。

 しかし、膝がガクガクと震え、尻もちをついてしまった。

 ゾレフは頭に強い衝撃を受け、脳震盪を引き起こしていたのだ。

「俺の負けだ! 好きにしやがれ!」

 ゾレフは半ば投げやりに叫び、立ち上がることを諦めたかのようにキャンバスに横たわった。

 海斗はロープをくぐり、リングから降りる。

 そして一瞬ゾレフを見やると背を向けた。

「俺の拳は確かに預けたぜ。リリの町を頼む――ゾレフさん」

 背中越しに語った海斗はそのまま歩み出した。

 再び倉庫には静寂が訪れた。

 あいつ、初めて俺の名を呼んだか――天井を仰ぐゾレフの眼に、まばゆいライトの光が突き刺さる。

 お前の拳、確かに受け取ったぜ、海斗――目を細め、そう小さく呟いた。



「兄貴!」

 船着き場に姿を現した海斗に、モモは真っ先に駆け寄った。

 心配そうな面持ちで下から海斗の顔を覗き込む。青色に澄んだ瞳は潤みを帯びていた。

「おっさんに負けた」

 笑顔でモモの白銀に輝く髪に優しく手を乗せる。

 安堵からかモモの目から涙がこぼれた。

「なんで負けるんだよ!」

 精いっぱいの強がりが、幼いけなげさを感じさせる。

「出発しちゃうよ――」

 二人の会話を遮るように、甲板と船着き場を繋ぐ橋の上からミリィが声を張り上げた。

「いくぜ、乗り遅れちまう」

「うん」

 モモは小さく頷くと、海斗の後ろに従う。

 二人が橋を渡り終えると、木製の橋は取り払われ、戦艦ミラージュはゆっくりと陸を離れ、遥か彼方に見える海原に向かって船体を進めた。

 気がつくと、甲板には大勢の人が集まっていた。今まで共に戦ってきた戦友との別れを惜しむかのように、全員が小さくなっていくノリスの港を見送っていた。

「ね、海斗、本当にゾレフさんに負けちゃったの?」

 不意に傍のミリィが口を開いた。海斗が負けるなんてことは到底ミリィにとって信じられることではなかった。

「ああ、確かに負けた」

 そう言うと海斗は、すっかり小さくなってしまったノリスの港に背を向けた。

「おっさんの心意気に――な」

 潮風に赤い髪をなびかせながら、ミリィは海斗に満面の笑みを向ける。

 海斗らしいね――そう言いた気な笑顔は、上り始めた朝日に照らされ、海斗の目に一際輝いて映っていた。


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