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鋼赤の息吹  作者: hiyori
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四章 炎と影

「さてと、これからのルートは――」

 海斗は懐から四つ折りに畳まれた紙切れを取り出した。

 二人は雷龍に乗り込んだまま、ドラゴンの谷の丁度裏側にいた。ここに来るまでは、約一時間くらいは要したであろうか。それは二人にとって、とてつもなく長い時間だった。

 ドラゴンを討伐してから、雷龍が通れる大きさの出口を探したのだが、どこを探してもそれらしき道はなかった。正拳突きで穴を掘るという海斗の提案をミリィは頑として賛成しなかった。

 散々二人は討論をしたあげく、ついに根負けした海斗が崖を登るというミリィの提案に渋々顔を縦に振ったのである。

 最初は慎重に登り始めた雷龍だったが、海斗の大ざっぱな性格のためか、後半は壁に突きで穴をあけながら登るという荒技でなんとか谷の最深部から脱出したのだ。

 しかし、雷龍が通れる大きさの道は上からしか無く、その雷龍が深い谷底に置かれていたということは、どう考えても雷龍が足を滑らせて谷に転落して、操縦者は雷龍を放置したまま豚面したとしか思えない。

 こいつの前の持ち主はなんて間抜けなんだと、ミリィは呆れ返ると同時に、持ち主に捨てられた雷龍に少し同情の気持ちが湧いてきた。

「えぇと、あとはここからサバラ砂漠を目指すだけか――」

 ミリィの後ろの座席で地図を睨んでいた海斗が、次のルートを確認するように呟いた。

「途中に町とかないの?」

「地図のルートのまま行けば無いな」

 次の目的地サバラ砂漠までなら、少し遠回りするような形でウエーロードに入って町に寄ることもできるはずだ。

「お風呂入りたーい」

 ドラゴンとの死闘で、ミリィの身につけているチュニックとパンツが泥と、汗まみれで気持ち悪いことこの上ない。

 おまけに頭は砂だらけでとてもかゆい。

 うら若い女の子ならこの状態で、お風呂に入りたいと思うな、と言うのは無理な話しである。

「俺はこのままでも平気だけどな」

 海斗は、女ってめんどくせぇなとぼやきながら、身にまとっている汚れた胴着に鼻を近づけ、くんくんとお臭いを確認する。

「ぜんぜん臭わない――ぐばぁ!」

 海斗が言葉の途中で激しく噎せ込んだ。ミリィは、それ見たことか! と言わんばかりの表情で大げさに鼻を摘んで見せた。

 海斗の「お臭い」は、正拳突きよりも強烈だったらしい。

「しょうがねぇなぁ――遠回りしてウエーロードからミラの城下町へ行くか」

「やったぁ!」



 ドラゴンの谷からウエーロードに出るまで、そう時間はかからなかった。

 徒歩で進むには困難な森も、全長がゆうに二十メートルはある雷龍にとっては何の障害でもない。まるで草むらを踏み分けていく感覚である。

 雷龍の残した大きな足跡は新たな道を造っていった。これが後にドラゴンを討伐したドラゴンバスターを称え「ドラゴンロード」と呼ばれるようになる。

 ウエーロードはその昔、先住民族が生み出した巨大兵器「暗黒龍」を討伐したといわれる英雄、ミラ王が整備したといわれている。

 ミラ王は、先住民族との戦いのあと、この大陸に城を築き、交易など物資の行き来を容易にするために山を切り開き、谷に橋をかけ、莫大な資金を投じて整備したのであった。

 今では商人を乗せた馬車が行き交うこの大陸にとってなくてはならない重要なライフ・ラインとなっている。

 雷龍は整備されたロードから少し外れた場所を歩いていた。いくらなんでも巨兵が道のど真ん中を歩こうものなら、馬車を踏みつぶしかねない。

 しかし、いくら離れているとはいえ、この巨体と地響きのような足音は、馬車に乗った商人達の目玉を大きく見開かせ、注目と好奇の眼差しを向けさせる。

 ミリィは、横目でちらりと海斗をみやると、相変わらず直立したシートに束縛されながらモゴモゴと体を動かしていた。

 見慣れてしまった光景では、その滑稽だった姿も笑えなくなってしまっていた。

「ねえ、海斗はあのドラゴンシェフのオーナーから雷龍のこと聞いたんでしょ?」

 心地よく風景が流れる前方モニターを眺めながら、不意にミリィは海斗に問いかけた。

「ああ、あのおっさんから聞いた」

 海斗は前方のモニターから視線を離すことなく答える。

「なんでだ?」

 ミリィの中の疑問を海斗がどう思うのか、それを確かめたくなったのである。

「あのさ、雷龍がなんであんな所にあったのか不思議に思わない? 雷龍が出入りできるほどの穴もなかったし――」

 海斗はあらぬ方向に視線を漂わせ、暫し沈黙していた。

「考えてみればおかしいな。唯一雷龍があの谷に入れる出入り口は頂上から走る裂け目くらいだしな」

「そうでしょ? どう考えても雷龍が登山中、足を滑らせて谷底に落下したとかそんな感じでしょ?」

 普通考えると、急勾配の危険極まりない谷底まで雷龍ほどの巨体を降ろす理由も、メリットも見つからない。

 強いてあげるなら、ドラゴンの討伐くらいだろが、当のドラゴンは谷から出られない為、人々に危険が及ぶとも考えにくい。

 雷龍を犠牲にするようなリスクを犯してまで討伐する必要もないわけだ。

 ミリィにはその意図が、全くもって理解不能であった。

「それでもう一つは、ドラゴンシェフのオーナーが何で雷龍の事を知っていたのかよ」

 海斗は拘束された体をモガモガさせながら、再び虚空を眺めた。

「――そうだな。雷龍のこと詳しかったな」

「もしかしたら、雷龍の前の持ち主と何かしら関係があるのかもしれない――」

 ミリィは自分がはじき出した推測に遠からずの確信を得ていた。しかし、今わかっている状況で推測できることはここまでで、納得しうる結論に達してはいない。

 しかも肝心の依頼主についての情報はほとんどない。

 現状では、渡された地図で示されたサバラ砂漠に向かうということしかわかっていない。

「ふぅ――」

 面倒な依頼を承けてしまったと、ミリィは思わずため息をついた。

 暫くの沈黙の後、ミリィのどよんと淀んだ周囲の空気をかき消すかのように、突然海斗が大きな声をあげた。

「見ろ、ミリィ。あれ、城下町じゃねえか?」

「え、ほんと? ほんとだ! いこ、レッツゴー!」 

 今までの意気消沈はどこの空。ミリィは意味不明な単語を発しながら、はしゃぎまくった。



「しっかしでっけぇ門だな」

 海斗は前方のスクリーンモニターを眺め、ため息まじりに呟いた。

 雷龍の目の前には、魔法巨兵よりも一回りは大きい重厚そうな鉄製の門が聳え立っている。

「城下町だから門もスケールが大きいのかもね」

 ミリィは軽く肩を竦めながら言葉を続ける。

「で、どうすんの? ノックでもする?」

 まず、城下町に入らなければならないのだが、すでに海斗の答えは決まっていた。

「そんなめんどくせえことするかよ」

 海斗が呟いた瞬間、ミリィのお尻がふわりとシートから浮き上がった。

 え、まさかと呟くミリィの額から一筋の冷たい汗がツーっと流れる。

 前方モニターの雷龍の画像に視線を走らせたミリィが、慌てふためき捲くし立てる。

「こらこら、海斗! 構えを解きなさい! なおれ! 正対(せいたい)!」

 雷龍は巨大な門に向かって、腰を落とし、右足を引き、拳を向け、双手(もろて)の構えを取っていた。

 ぶち破る気満々である。

「こら、やめやめ――」

「せい――やぁぁぁ!」

 ミリィは、もう、知らない、あたし知らないからねと呟きながら両手で耳を塞いで(うずくま)った。

 しかし、いつまで経っても雷龍の拳に衝撃が走ったようには感じられない。

 恐る恐るミリィは面を上げ、前方のスクリーンモニターに視線を移した。

「え? 開いてる?」

 確かに雷龍の拳は、門に向かって突き出されたはずだが、ヒットした形跡が全く感じられないのだ。

「鋭い正拳の風圧で開いた――のか?」

 しかしそれは常識では有り得ない。

 海斗は雷龍の頭部に装備されているメインカメラを動かし、操縦席前方のスクリーンに映しだされている風景を変化させていく。

「海斗! あれ!」

 不意にミリィが流れるスクリーンを指差した。

 ミリィが指差したのは、雷龍の足元付近。小さな豆粒がこちらに近づいてきているようだ。

「待ってろ。映像を大きくして音も拾ってみる」

 海斗はサーモスキャンモードを解除して、シート前方に装備された計器類をいじり始めると素早く映像が拡大された。

「――ようこそミラへ」

 集音装置を介して、拡張された音声が操縦室内に流れた。

「あの兵隊さん、手を振ってる。歓迎されてるみたいだよ」

 厳つい鉄兜を被り、全身を鋼の鎧で包み込んだ男が身を乗り出すかのように、雷龍の足下で大きく両腕を振っている。

 すかさず海斗は雷龍に片膝を着かせ、搭乗口にあたる雷龍の胸を開いた。

「ミラの城下町へようこそ」

 ミリィと海斗が雷龍から降りると、壮年が笑顔で二人を迎え入れるかのように両手を広げた。二人が受けた印象は、口髭を蓄えた人当たりの良さそうなおっちゃんといった感じだ。

「よくぞおいでくださいました。ささ、こちらに巨兵に使っていた格納庫がございます。魔法巨兵をそちらに格納ください」

「あ、ああ――」

「は、はぁ――」

 二人はわけのわからないまま返事を返すと、雷龍を格納すべく再び操縦室に向かった。



「どうですか、この格納施設は! これだけの規模の物はそうそうないでしょう」

 兵士のおっちゃんは二人の先頭を歩き、自慢げに施設内を案内していた。見渡すと雷龍がスッポリ入ってしまうほど高い天井、重厚な鉄製の外壁、高い天井からはいくつものライトが施設内を照らしていた。

 広さは家が五軒くらいは入ってしまうかもしれないであろう。

 小さな要塞のような施設を目にしたミリィの口から思わずため息が漏れる。

「――しっかし、このおっさんよくしゃべるな」

 海斗が半ばうんざりしたような顔でミリィの耳元に囁いた。

「はは――」

 あんたあたしに助け船求めてもしかたないでしょとミリィは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。

「私はランス・グレイスと申し、我がグレイス家は代々ミラ王に忠誠を尽くしておりまして――」

 知らないうちに施設の話題からそれまくっている。それでも構わずおっちゃんの口は一向に閉じる気配は感じられない。

 二人は顔を見合わせながら、とぼとぼと壮年兵士の後に従う。

「ご苦労」

 人が潜れるほどの大きさの鉄扉。

 ランスはそれを守るようにして立っている若い兵士に一声かけると、兵士は敬礼をして扉を通るための道をあけた。

 二人はランスに促されるまま扉を潜ると、今までの冷たい鉄の空間とは違う景色が眼の前に飛び込んできた。

「――これがミラ」

 小高い塀に囲まれた広大な町。高級なレンガ造りの家屋が建ち並び、商人の乗せた馬車が行き交いどこも活気に満ち溢れているようだ。沢山の人々が行き来する道路には石畳が敷かれ、きれいに整備されている。

 道路脇には所々に木々が茂り、心地よいほどの緑が目を和ませてくれる。

 ミリィはウェーロードを整備したミラ王が創った城下町だということを一目で納得させられてしまった。

「見ろよ、ミリィ」

「すごい。大きいお城――」

 海斗が指で示した先には、町の中心辺りに大きい城が見える。城はこの壮大な町を開拓したミラ王の権力を誇示するかのように堂々と聳えていた。おそらくそこには、かの英雄ミラ王が住んでいるのであろう。

 ランスは暫しあっけにとられている二人の表情をじつに楽しげに見つめていたが、何かを思い出したかのようにポンっと手を叩いた。

「そうだ! 早速王に謁見していただけますかな?」

「え!? いきなり英雄ミラ王にですか?」

「めんどくせぇ」

 二人は口々に感想を漏らすが、ランスは返事などどうでも良いといった感じでスタスタと歩き出す。あからさまに、えー!? 何、この自己中なおっさんといわんばかりの表情を浮かべたミリィは、同じくブチブチ言っている海斗の胴着の袖をつんつんと引っ張った。



 ランスは頑強な石造りの城内に伸びる廊下を、二人を先導するように歩いていた。

 廊下を囲う石壁には四角い穴が開けられており、城下町の風景を窺うことができる。階段を上がるにつれて城下町が一望できるほどに風景が小さく写っていった。

 迷路のように複雑に入り組んだ内部の造りは、この城がいかに攻め落とすには困難であるかを物語っている。一人でうろうろしようものなら一瞬で迷子になってしまうことは間違いない。

 それを知ってか知らずか、ランスは二人が逃げられないこの状況で延々と独演を振るっていた。

 二人がウンザリとした面持ちで、ランスの後に従っていると、不意に周囲が静まり返った。

 ミリィと海斗はほっと胸を撫で下ろす。

 ややあって、大きく立派な造りの扉の前でランスの歩みが止まった。

「ここが王の謁見の間です」

 ランスが扉の横に立ち、右手で扉を指しながら一礼した。

「え、ちょっと。あたしこんな汚い格好だし」

 ミリィの(まと)っている服は、ドラゴンと死闘で汚れたままである。この出で立ちでミラ王と謁見することは失礼に値する。慌ててミリィは乱れた髪を手櫛(てぐし)で素早く整える。

 海斗はその辺は全く気にしていない様子だ。ミリィは軽く海斗を横目で睨むと、痛がる海斗に構わず平手で汚れた胴着をバンバン叩いた。

「お気になさらずに。王は気さくなお方です。ささ、どうぞ」

 はははと苦笑を浮かべながら、ランスは大きな両開きの扉をゆっくりと開けた。



「おお! そなた等がドラゴンバスターであるか!」

 二人は、広い部屋の上段に具えられた立派な玉座に座す王に、ドラゴンとの死闘と、雷龍のことを掻い摘んで説明していた。王に対し礼を尽くす意味で、二人は謁見してからも面を伏せたままである。

「よいよい、そう硬くならずとも」

 王に促され、面を上げたミリィの目が驚きで大きく見開かれた。

 全身を鋼の鎧で身を包み、両肩には赤く刺繍のほどこされた大きなマントをはおり、一見すると騎士のように見えるが、頭に目映いほどの宝石を散りばめられた王冠が、堂々たる威厳を感じさせる。

 ミラ王といえば先の戦争を勝利に導いた英雄である。先住民族との戦争は今から三十年ほど昔である。現在壮健であれば六十、七十歳の老齢のはずであるが、眼前の王はどう見ても三十代くらいの若さである。

 ミリィの訝しげな様子を悟ったかのように王は口を開いた。

「わしはミラ二世だ」

 再びミリィの目がまん丸に変わった。

「二世って、初代ミラ王はいかがされたのでしょうか?」

 王は大きく笑い悠長に頷いた。そのもったいをつけるような仕草はミリィのイライラを募らせていく。

「父は元来自由奔放な方であった。わしが成人すると即座に王位を譲り、雷龍とともに姿を消してしまわれた」

 えぇーっと素っ頓狂な声を上げるミリィ。伝説で聞いた英雄のイメージと全くかけ離れた姿に愕然とする。そもそもその手の話は、後々に尾ひれ背びれが付け足され、美化されていくのが常ではあるが、ここまで伝説と差があるのは驚きを通り過ぎてあきれ果ててしまう。

「そうだ、まずは雷龍を探し出してくれた礼を申さねばならんな」

「はぁ!?」

 ミリィと海斗の声が驚きで見事なハーモニーを奏でた。

「いや、私達はダーククリスタル捜索の依頼を受けてその途上で雷龍を発見しただけで、別にここに届けた訳では――」

 王の言葉にしどろもどろな返答をするミリィの額から、じわりと脂汗が滲む。今雷龍を失えば、この過酷な依頼を遂行することは困難を極めるであろう。

 思わず傍らの海斗に、何とかしてよ! の眼差しを向けるが、難しい話はついていけないといった表情で虚空に視線を這わせている。ミリィが軽く額を押さえていると、ミラ二世が落胆の表情で呟いた。

「せっかくこれで平和になると思ったのに――」

 王の意味深な呟きにミリィの中で疑問がわき上がる。

「平和に、てこの城下町は交易に潤い、多くの人々が活気に満ち、とても平和そうにみえますが?」

 ミリィの問いに王はさらに表情を暗くし、重くなった口をゆっくりと開いた。

「外見はそうかもしれん。しかし、最近問題があってな」

「どのような問題ですか?」

 王はミリィの問いに深く頷くと話を続けた。

「最近町の治安が脅かされておる。夜な夜な畑は荒らされ、店からは食料が消えている。警備の兵も増やしたが、騒ぎは一向に治まらん。さぞかし民衆は不満を募らせているであろう」

 王は苦しげな表情を滲ませながら目を細めた。

「その犯人は盗賊団ですか」

「盗賊ならまだ良い、そやつらは魔物らしいのだ」

「魔物? 魔物の仕業なら、住民の命を奪い、今頃大騒ぎになっているのでは?」

 ミラ二世は渋い顔で頷いた。

「そうだ、普通の魔物ならな。奴らはむやみに殺戮したのではその時得れる利益はその時だけであることを知っている。ゆえに闇に暗躍し、人知れず食料を強奪しているのであろう。聞いたことがあるかね? ウェアウルフのことを」

 ミリィは無言で頷いた。

 ウェアウルフとは獣族に属する魔物で、狼が二足歩行に進化したことで、脳が発達し前足は人間の手のように器用に動き、容易に武器を使用することができる。知能も獣族の中では極めて高い。また、獣特有の素早さは人間の手におえる代物ではない。

 ウェアウルフならば、人間の盗賊を装い悪事を働くこともあり得るかもしれないと、ミラ二世の言葉に納得するミリィだが、まだひっかかる疑問がある。

「しかし、なぜそれが雷龍と関係があるのでしょう?」

「奴らは先の戦争の生き残りだ。巨兵の驚異はわかっているのだろう。巨兵がまだ在りし時は全くよりつかなかったのだが、ヤン国が戦乱に巻き込まれてからは巨兵が手に入らなくなってしまったのだ」

 ここでミリィの中の疑問が一気に氷解した。なぜミラ二世が雷龍を探していたのか。しかし、ここで雷龍を手放してしまえば、この先確実に待っているのは皿洗いで五ヶ月のタダ働きである。ミリィの脳裏にあの憎々しげなオーナーの顔が思い浮かんだ。

 それだけは絶対に避けなくてはいけない。ミリィはぎゅっと目を閉じて顔を歪める。

 と、その時今まで大人しかった海斗が(せき)を切ったかのようにまくし立てた。

「さっきから黙ってきいてりゃ難しいことばっかり並べやがってよぉ! なんだ、あれだろ? そのうぇうあなんとかって奴をぶっつぶせば俺たちが雷龍使ってもいいんだろ!」

 一瞬軽い頭痛を覚え、額を押さえたミリィに、もうダメだの悲壮感が漂った。

「なるほど! その手があったか! かのドラゴンバスターであればもしや、奴らにかなうやもしれん! 青年よ、感謝するぞ!」

「はぁ?」

 てっきり城から追い出されると予想していたミリィは呆気にとられ目が点になってしまった。

 海斗は惚けているミリィに向かってビシっと親指を突き出した。

 まさかこんなところで海斗に助けられるなんて――ミリィは助かったと、なにこの展開の入り交じった複雑な感情でどんな顔をしてよいか全くわからなかった。



「しかしこんなんで本当に良いのですか?」

 城下町を取り囲む小高い城壁の頂上。

 ランスが心配そうにミラ城周辺の大広間明かりを見つめていた。今そこでは、飲めや歌えやのドンチャン騒ぎが催されているのである。

 夜も更けているというのに、空は雲一つなく満月の淡い光が周囲をぼんやり照らしている。 

 小高い城壁からは、民家など、視界を遮るものがないため、ミラ城の周辺の明かりがはっきりと確認できた。

「これだけの大騒ぎなら、強奪の仕事しやすくなるでしょ? それより打ち合わせの通り、兵の配置はできてる?」

「はい、すでに全兵配置に着いてます」

 ミリィはランスに向かって頷くと、腰から白いリボンを取り出した。そして、髪をかきあげポニーテールをつくると、私たちも配置につきましょと短く告げて踵を返した。



 高い城壁に囲まれた城下町の出入り口は二箇所。雷龍が入れるくらいのあの大きな扉と、その隣の人や馬車が出入りする小さめの扉である。魔物はそのうちの小さな扉から、門番の兵士の隙をついて忍び込んでいるようだ。

「本当に奴ら現れるのでしょうかね?」

「大丈夫! 門番の人飲んだくれてるし襲うならこんなチャンスないでしょ?」

 ミリィは小高い城壁の頂上から下の様子を伺った。城壁の頂上にはミリィ、ランスの他剣士三名、魔法使い三名が待機している。

 その場にいる全員が固唾を飲み、ミリィの指示を待つ。不意に下をのぞき込んでいるミリィの手がすっと上がり、全員の体に緊張が走った。

「ようし! 準備開始!」

 ランスの号令に周囲が慌ただしく動き出した。



 一方、ミラの城下町の門の前では、門番の兵士が気持ちよさそうに壁に寄りかかりながら、居眠りをしていた。

 辺りは透き通ったかのように静まり返り、ひんやりと心地よい夜風が肌を撫でる。

 その時、静寂な空気を破るかのように、木陰から不気味な影が蠢いた。

 影は音も無く、門の前で寝転がっている兵士に駆け寄った。門番の兵士が飲んだくれて(いびき)をかいていることを確認すると、手で合図を送る。

 すると瞬く間に一つ二つと影はその数を増やしていった。

 そのうちの一匹が難なく門を開くと、まるで雪崩のように夥しい影が門をくぐり始める。

 が、門の内側の地面に次々と影が飲み込まれていった。その様は、まるで滝の水が滝壺に飲み込まれていくかのごとくであった。

「まさか、こんな原始的な罠の落とし穴が効果があるとは――」

 ランスは感心と呆れが入り混じったような、複雑な感想を述べた。

 落とし穴は予め門の内側に、雷龍の正拳突きで掘っておいたものだ。あのミラ城で行われているどんちゃん騒ぎは、城下町の人が誤って落とし穴に落ちないためと、魔物による被害が出ないようにということも考えてのミリィの案であった。

 獣特有の甲高い奇声を発しながら次々と、魔物達の姿が穴に吸い込まれていくが、さすがに知能がそこそこあるだけに、罠に気付いた数匹は門の前でたじろいでいる。

「それ! 網を撒け!」

 ランスの号令に従い、屈強な剣士達が大きな網を城壁の上から投げ落とす。

 門の外に残った魔物達の頭上に大きな網が広がり、あっという間に魔物達の体の自由を奪ってしまった。

「ファイアー弾発射!」

 ランスが次に号令をかけたのは魔法使い達だった。

 網にからまり、体の自由を奪われた魔物達に向かって、(おびただ)しい量のファイアーボールが降り注いでいった。

「ギャォォォォォ!」

 頭が割れそうなほどの甲高い断末魔の雄叫びが、周囲に響き渡った。

「お見事でございますミリィ殿! 一網打尽ですな!」

 ランスの賞賛に兵士達も拍手喝采するが、ミリィの表情はいまだ険しいままだった。

「まだ残ってるわ。大きな仕事が――」

 ミリィは険しい表情のまま、門の前で激しく燃え上がる炎をじっと見据えた。



「待ってたぜ」

 門の前で寝そべっていた兵士がむっくりと立ち上がると、身に着けている鎧を脱ぎ捨てた。

 白い胴着、はち切れんばかりの盛り上がった肉体が露になる。

 門番の兵士かと思われていた男は海斗だった。

 海斗が睨みつける闇の中から、グルル――と低い唸り声が聞こえた。

 その声の主はゆっくりと海斗に向かって歩みを進めていった。

 満月の光に照らしだされたその姿は、闇のように黒い毛に覆われ、大きく裂けた口から覗く鋭い牙は怪しい光を放つ。鋭い目は血に餓えた狂気の色をたたえている。

 こいつこそウェアウルフ達を束ねる頭であった。

 ミリィは徒党を組む集団ならば、必ず組織を束ねる頭が必要であると考えたのだ。頭は指示を与える重要な役割であるため、比較的安全な場所で指示を出す。となると落とし穴も網も通用しない。

 そこでタイマンであれば最強の海斗の出番ということになる。

 海斗が右腕をスッと上げると、海斗とウェアウルフを中心とした半径五メートル付近から炎が吹き上がった。

 予め周囲に撒いていたオイル目掛けてミリィがファイアーボールを放ち、引火させたのだ。

 四方を炎が囲む逃げ場のない空間が一瞬にして出来上がった。これではいくら素早い動きを誇るウェアウルフとて、動きの制限された空間ではその本領を発揮することはできない。

 ウェアウルフは状況が不利と見るや、右手を懐に伸ばし、隠し持っていたナイフをスラリと抜き放った。

「おもしれぇ。いっちょおっぱじめるか!」

 海斗は正対(せいたい)の構えから、腰を落とす。

 同時に右足を後方に踏み込む。

 双手(もろて)の構えだ。

 ウェアウルフは右足を半歩ほど前に出し、右手のナイフを前方に構えた。

 そしてじりじりと距離を詰める。

 素人がナイフを使うと、大抵は刺すといった使い方をする。

 この攻撃法は相手にかわされた時、大きな隙ができ、掴み、投げなどで容易く対応されてしまう。

 それを斬るように使えば隙を減らし、プレッシャーもかけられる。

 ウェアウルフの構えはまさに、切る為の構えだった。

 こいつ、魔物のくせにナイフを使い慣れてやがるぜ――海斗は半ば感心しつつ、ウェアウルフの一挙手一投足を見据える。

 ジリジリとにじり寄るウェアウルフの足が、不意に速さを増した。

 ウェアウルフが間合いに踏み込む。

 蹴りも突きも届かない、ナイフ特有の間合いだ。

 ――狙いは目か!?

 直感し身をそらす。

 ナイフが左から水平に走った。

 ナイフが空を切る。

 同時に海斗の左つま先が地面から跳ねた。

 スパンっと乾いた音が響き渡った。

 キック式の速いローキックが、ウェアウルフの右膝を叩いていた。

「グゥッ!」

 ウェアウルフの口からうめき声が漏れた。

 ウェアウルフは後方に飛び退く。

 魔物だけはあり、人並みはずれた素早さだった。

 ウェアウルフは打たれた足を気にしながら、体勢を整える。

「やっぱりだ。大きく前方に伸びた鼻と突き出た口が死角になって、下段の攻撃は見えてねぇな――」

 下段攻撃は面白いように当たりそうだが、ナイフが邪魔で体重を乗せて蹴れねぇなと、海斗は内心で愚痴りながら、ウェアウルフを凝視する。

 ウェアウルフは、軽やかにステップを踏み始めた。

 ――踏み込みのフェイントをかけようってか――おもしれぇ!

 海斗はウェアウルフの動きを目で追う。

 全身の神経を研ぎ澄ます。

 軽やかにステップを踏んでいたウェアウルフの右足が不意に霞んだ。

 眼前に白い閃光が走った。

「クッ!」

 海斗の口から息が漏れた。

 身を反らす。

 ナイフの一撃をかわした。

 海斗の前髪をナイフがかすめた。

 数本の髪の毛が宙に舞った。

 横一線。

 再び両目を狙った攻撃だった。

 ――させるか!

 海斗の左手が振り下がる。

 左つま先がしなやかに跳ねる。

 ローキックが再びウェアウルフの右足を叩いた。

 乾いた音が木霊する。 

「グゥゥ!」

 ウェアウルフは顔を歪ませながら後方に飛び退き、再び体勢を整えようとする。

 しかし、そのステップから今までの軽快さは失せていた。

「――ハマったな」

 いくら軽いとはいえ、同じ足を蹴られれば、ダメージは確実に蓄積される。そしてスピードを殺された相手が取る行動はひとつ――海斗はその時を狙っていた。

「オォォォ!」

 獣の咆哮が耳をつんざいた。

 ナイフを腰で構えたウェアウルフが迫る。

 海斗の腹の底から気合いがこみ上げる。

「ズェェェイッ!」

 周囲の空気がビリビリと振動した。

 海斗のカウンターの右前蹴りが、ウェアウルフの鳩尾(みぞおち)に突き刺さった。

 一瞬の出来事にウェアウルフは呻く間もなく、弾かれるように後方によろめいた。

 海斗の口から、フシュっと、息が漏れた。

 踏み込んで、距離を詰める。

 ほぼ密着状態の間合いだ。

 ナイフを握る右手を掴み、抱え込む。

 そのままウェアウルフの右腕を内側にひねる。

 全体重を真下にかける。

「脇固め!」

 ウェアウルフの体がうつ伏せ状態で地面に倒れこんだ。

 握られていたナイフが宙に舞い、大地に突き刺さる。

 抱え込んだ両腕に体重をかける。

「オオーリャアアアアアアア!」

 瞬間、乾いた音が周囲に響き渡った。

 まるで木の枝がへし折れたような音だった。

 手ごたえは十分あった。

「オォォ――」

 魔物は悲痛なうめき声を漏らし、大きな口からよだれを流す。

 海斗は力を失ったウェアウルフの右腕を離し、体を反転させた。

 ウェアウルフの左腕を股の間に挟み込む。

 右腕をウェアウルフの首に絡ませる。

「海斗ロック!」

 相手の片腕を封じ、うつ伏せ状態の相手にフェイスロックを極める関節技――咄嗟に思いついたこの技に、海斗は自分の名を入れていた。

 ――右腕は破壊され、左腕はがっちりとロックし、頭部もきっちり入った。

 海斗は間接を()めた手ごたえに、口元を吊り上げる。

「でりゃぁぁぁぁ!」

 海斗が渾身の気合をこめる。

 ベキベキと嫌な音が周囲に鳴り響いた。

 気がつくと魔物の顔は遥か天空を仰いでいた。

 海斗は技を解き、その場からゆっくりと立ち上がる。

 そしてビシっと下段払いの構えをとった。

「ウシッ!」

「楽勝!」

 その光景を城壁の上から窺っていたミリィは、ビシっと親指を海斗に向かって突き出した。



 ミラ城周辺の大広間では、多くの人々がごった返していた。広間の周辺には出店、屋台などが並び、それらが囲む中央には、飲食ができるようにいくつものテーブル席がそなえられており、まるで屋外の仮設レストランのようである。

 広大な敷地を淡く照らす松明の光が、場外に造られた池の水に入り込み、澄みきった色を一際目立たせている。

 周囲の賑やかさに負けず劣らず、そこにはつい先ほどまで料理を盛り付けてあったであろう空容器が、次々とテーブル上に積み上げられていった。

 二人はミラ城の周辺で行われているどんちゃん騒ぎに招かれていたのだった。

 せっかくの好意を断るのもいささか気が引ける――というのは建前であって、何を隠そうあのランスが、王のお招きですから是非ともといいながら、無理やり二人を引っ張ってきたのだった。

 もし断ろうものなら、王の好意を無駄にするとは嘆かわしいなどと朝まで説教されかねない勢いだったからたまらない。

 渋々足を運んだ二人だが、魔物を退治したささやかな礼として、特別に食べ放題、飲み放題の許しをだされていた。

 これにミリィは人一倍瞳をキラキラと輝かせた。

 いや、海斗にはギラギラと血走っているかのようにしか思えてならなかった。

「しかし、よく食うな」

 いくらタダとはいえ――と言葉を続けながら海斗は感心半分、呆れ半分といった様子でみるみる積み上げられていく空容器を見つめていた。

「ん、だってぇ、外界のたこ焼きとかお好み焼きなんて滅多に食べれないもん」

 話している時間がもったいないといった感じで、すぐさまその口の中にまん丸のたこ焼が放り込まれた。

「みてるだけで腹が膨れる――」

 油が多く、こってりとお腹にヘビーな食べ物をあれだけ平らげているその様は、見ている海斗の胃袋をずっしりと重くさせていった。

「茶でも飲むか」

 気分を紛らわそうと、カップに手を伸ばす。しかし、木を刳り貫いて作られたカップの中身はすでに空になっていた。

 舌打ちをした海斗が、お茶をもらいに行こうと席を立ちかけた時だった。ミラ城の門の前に人影が現れ、今までの騒がしさは嘘のように周囲は静まり返り、静寂な空気に包まれていった。

 ミラ二世である。

 彼は広場に集まった、大勢の民衆を見渡すと、声高に叫んだ。

「皆の衆! 聞いてくれ! 以前よりこの町の治安を脅かしていた魔物を、こちらのドラゴンバスター殿が見事退治してくだされた」

 集まった民にそう告げると、王は広間の中央辺りを指差した。

 一瞬の沈黙のあと、ウワァーと歓声かあがり、民衆の視線が無数に設置されたテーブルの一つ――ミリィと海斗が座るテーブルに注がれた。

 何事かとひたすら料理を口の中に運ぶミリィの手が一瞬止まるが、再び何事もなかったかのように右手に握られた箸が動き出す。

 民衆の視線を浴び、気分を紛らわすどころか、この場から逃げられざる状況になってしまい、海斗は呆然と立ち尽くす。

 と、そのとき、すっと海斗の目の前にお茶が入ったカップが差し出された。

「――ん!?」

 訝しげに差し出された腕を辿っていき、不意にピタリと海斗の視線が止まる。

「ミラ王!」

 さっき門前で民衆の目を海斗達に向けさせた張本人、ミラ二世だった。

「ドラゴンバスターに乾杯といこうかな」

 ミラ二世はお茶の入ったカップを無理やり海斗に預けると、断りも無く二人と向かい合うような形で席に着いた。心なしか両の頬は赤みを帯びている。

 このおっさん、酔っ払ってやがるのかよ――重くなった胃袋に、追い討ちをかけるように突然現れた酔っ払い。海斗の胃はすでに限界を超えていた。

 もうだめだと呟きながら、歴戦の猛者海斗はあっけなくテーブルに突っ伏し撃沈してしまった。

「なんじゃ、若いのにだらしないのぉ」

 ミラ二世は話す相手がいなくなったためか、つまらなそうに眉を寄せる。

「食った食った――って、ミラ王!?」

 満足そうにお腹を擦りながら、久しぶりにテーブルから視線を外したミリィ。不運にもその視線の先が、ミラ二世と合ってしまった。

 にっこりではなく、ニンマリといった感じの笑顔。さらに赤みを帯びた頬――自然とミリィの顔が引き攣っていく。

 まさに、さっきまでの幸福の絶頂から一転して、奈落の底に突き落とされていくという言葉がピッタリの気分だ。

「ミ、ミラ王、御機嫌でございますね」

 このまま呆けているわけにもいかず、ぎこちないことこの上ない挨拶をかわしてみる。

「おぉ! 御機嫌ですよぉー!」

 予想通りの答えが返ってきた。完全に出来上がっている。しかも酔うと絡むタイプのようだ。最悪――と小さく愚痴を漏らしたミリィは、頭痛で重くなった頭を右手で支える。

「いやぁ、今回の働きご苦労であった!」

 ミラ二世は呟き、気持ち良さそうにガハハと豪快に笑った。

 町の問題が解決したものだから、機嫌が良いのは当然かもしれない。しかし、いくら雷龍が必要な理由がなくなったとしても、簡単に手放すであろうか。元々はミラ家の持ち物であるし。何か使用許可証みたいなものでもあればと思いを巡らしてみる。

 まって――許可証とミリィは再び呟き、内心でニンマリとほくそ笑んだ。

「いえいえ、これで町は無事に平和を取り戻して安泰ですね。私達も雷龍を使わせて頂けて有難いかぎりです」

「そ、それなんだが――」

 ミリィの確認するような言葉に明らかに表情を濁すミラ二世。ミリィは畳み込むように言葉を続けた。

「わかっております、偉大な英雄、ミラ王の息子様であられるミラ二世様であられれば、絶対に約束を違えられるはずはありませんから」

 と、舌を噛みそうなほど丁寧な台詞を言いながらも、その目は疑いに満ち溢れている。

「そ、その通りだ、武士に二言などはない!」

 ミラ二世はどこで覚えたのか外界で使われていた口上で言い切った。

「やはりそうですよね! それなら今の言葉を書面にしても差し支えありませんね」

 武士に二言はない――元々外界の武士はプライドが高く、書面を書くことを恥とし、口約束を必ず守るといった意味の口上である。ミリィが言った言葉は、意味を知っている者からしたら、ふざけるな! と激高されることは間違いない。しかし、それを敢えて(もっと)もらしく聞こえるように言ったのだ。

 確証はないが、彼はその口上の意味を知って使っているように思えなかったからだ。

「勿論だとも!」

 その一言を聞いたミリィは、やっぱりと腹の中でほくそ笑んだ。

 そして懐から紙と筆を取り出すと、テーブルの上に広げる。

 ミラ二世は、一国の王を信用しなさいなどとブツブツいいながらも、しっかりとサインをしてご丁寧なことに拇印まで押してしまう。

 素の状態だったら冗談抜きに処刑ものだ。

 邪魔が入らないか警戒して周囲を見回すと、ランスのおっさんが隣のテーブルで突っ伏していた。

 テーブル上にはとっくりが転がっていることから、酒にはあまり強くないようだ。

 安全なことを確認したミリィは、満面の笑顔を造り、ご好意ありがとう存じますと丁重にお辞儀をして、「雷龍使用許可証」なるものを懐にしまった。使用許可証が無いなら作ってもらえばいいのだ。やり方はちょっと汚いけどねと、付け加えて内心で舌を出した。



「あの頃は困ったものだったのだよ」

 ミリィはため息を吐いて、空になった猪口に酒を注ぎ酌をした。

 雷龍の使用許可証を書いてもらったはいいが、その後が大変だった。

 用が済んで、それではと帰ってしまえばいいが、それでは酔っているとはいえ、一国の王に対して失礼である。そこそこ御付き合いしてからずらかろうとしていたのだが、ミラ二世の愚痴は止まらなかった。

 愚痴とはいっても、父親である初代ミラ王が、あまりにもわがままで奥さんに逃げられたとか、愛人が何人もいたとか、そんなことが主であった。

 愚痴の聞き役ほど疲れるものはない。肝心の海斗は未だにテーブルに顔を埋めたまま戦線離脱している。ふわりと疲労と眠気がミリィの体を包み込んでいった。

「――そこでだ。なぜわしはいつも鎧を身に付けているかわかるかね?」

 ふぁ? と上の空で欠伸まじりの返事をするミリィ。

「実のところわしは、剣術も魔法もまるっきり使えん。この鎧は貧弱な体を隠す為なのだよ」

 ふぇえ? と再び気の抜けた返事を返しかけたミリィの目が、ワンテンポ遅れてぱっと見開かれた。

「剣術がまるっきりって、初代ミラ王の御子息が――ですか?」

 初代ミラ王は剣術に長け、その猛々しく振るう剣の様は「荒ぶる剛剣」といわれるほど有名で、その息子となれば、当然剣術に長けているはずであると、ミリィは思いこんでいた。

 信じられないといった表情のミリィに対し、ミラ二世は少し照れ臭そうな笑みを浮べて頷いた。

「お体でも弱かったのですか?」

 今までとは違った話の雰囲気に、自然とミリィの背筋は伸ばされ、両の手は膝の上に置かれていた。

「別に病弱でもなく、いたって健康であったぞ」

「それではなぜ?」

 ミラ二世の勿体付けるような言い方に、普段だったらイライラするところであるが、このときばかりはずいっと身を乗り出すように問いかける。

「わしには必要が無いからだ」

「必要がないって!?」

 ミリィは、ミラ二世の発した言葉が期待と相違したことに愕然とした。

「そうだ、これはある男に言われた。ルイス・ラングレィという男に」

「金色の賢者――ルイス・ラングレィ!?」

 ミリィが呟いた男、ルイス・ラングレィ。その名は魔法を学ぶ者であれば誰もが耳にしている。

「そうだ、このエフシエルに住む我々に魔法を流布せし賢者。ルイス・ラングレィだ」

 彼こそ、エフシエルに古来より住みし先住民族、エルフィンが使う魔法のメカニズムを科学という理論で解明し、流布した魔法の第一人者であり、初代ミラ王と共に暗黒龍を討伐したという人物だ。

 金色のその髪から人々は彼を「金色の賢者」と呼んでいる。

「まさかその金色の賢者がこのミラに立ち寄っていたなんて」

 驚きの色を隠せないミリィにミラ二世は、さらに平然と言い放つ。

「立ち寄るも何も、この城に住んでおったからな」

 そういうと、軽く人差し指でミリィの背後に聳え立つ城をつんつんと指す。

「住んでいた――なんで?」

 驚きを通り越して次に出る言葉が見つからない。

 ミラ二世は呆けているミリィに向かって身を乗り出し、人目を気にするような素振りで口元に手を添えながら囁いた。

「ここだけの話、父上は政治が苦手でな、ルイスが代わりにここの政治を任されていたんだよ」

 現に政治を任されていたなら、ここだけの話もへったくれも無いじゃないのとミリィは呆れ返る。

「金色の賢者がここに住まわれていた理由はわかりましたが――」

 しかし、よくよく考えれば、剣術の達人と魔法の第一人者が側にいながら何も学ぶことはなかったとはいささか腑に落ちない。ミリィは確認の意味で問いかける。

「金色の賢者は、魔法も教えてくれなかったのですか?」

 ミラ二世は深く頷き、すっかり冷め切ってしまった酒の入った猪口を口につけると、ぐっと飲み干し遠くを見つめた。

「ルイスはミラの政治に身を投じる傍ら、わしの教育も行っていた。わしは幼い頃からルイスにつききり、国の舵取りについてだけを教え込まれていた。民とどう接したらよいか、王としての心構えなど細かな事までな」

 ミラ二世は空になった猪口を見据えながら言葉を続ける。

「ルイスがわしに魔法や剣技は必要無いと言うことに納得できず、ある時父上にお尋ねしたのだ。なぜ、父上は城の兵達には剣術の指南をするのに、わしには教えてくれないのかと」

「それで初代ミラ王の答えは?」

 ミリィの問いに、ミラ二世は一転して穏やかな顔つきで語りだした。

「父上は幼いわしにこう言った。暗黒龍は倒れ、エルフィンも人間も差別無く、平和な世になった。そのような世だからこそお前には剣技や魔法は必要ない。お前自身は強くないかもしれんが、いざという時、皆がお前と同じ志で共に戦ってくれるだろう。それが今学んでいることだ。俺には無い人徳という強い武器をな――と」

 そう言い終えるとミラ二世は微笑を浮かべ、目の前に聳え建つミラ城を仰ぎ見た。

「ついつい口が軽くなって余計なことまで話してしまって悪かった」

 ミラ二世はよっこらしょと言いながら席を立った。

 ミリィは軽く会釈をして、ミラ二世の背中を見送り、そして思った。

 なんだかんだと愚痴っていても、内心では初代ミラ王のことを尊敬してるんだな――と。

 ミリィは微笑して空を仰ぎ見た。

「星が綺麗」

 漆黒のカーテンに無数の宝石を散りばめたかのような星空が広がり、澄みきった空気が星達を一際大きく輝かせていた。

 その星達の瞬きはまるで、ミリィに微笑み返しているかのようだった。


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