三章 龍対竜
ミリィと海斗はイリナの街を後にして、ドラゴンの谷へ向かうべく山道を歩いていた。
大きく背を伸ばした木々が、何重にも重なり、空を仰ごうとするも枝分かれした木の枝の葉に阻まれる。生命の源である太陽の光は遮られ、そこにあるはずの空の青さはどこにも無かった。
木々が鬱蒼と茂った森の中。傾斜はさほどきつくは無い。草や茂みを踏み固めて造られたかのような獣道を、二人はひたすら歩いていた。
「うふふ――」
上機嫌のミリィの腰には、ドラゴンシェフのオーナーからもらった「ドラゴンシェフマスコット」がぷらぷらと揺れている。
「エル、アール、ういーん。カチカチ、ぐいっ」
海斗があらぬ方向に視線を泳がせながら、意味不明な単語を連発していた。
ニヤニヤしながらスキップしている女と、ブツブツ意味不明な独り言を呟く男――不気味なことこの上ない。この二人を見れば山賊すらも逃げ出してしまうであろう。
宿で一泊したミリィが、ドラゴンシェフで一晩明かした海斗を迎えに行ってからこんな状態だった。
ミリィがルンルン気分で軽快にステップを踏んでいると、鬱蒼と茂っている木々のせいで薄暗い辺りの景色が、一気に明るく開けていった。
「うわー! これがドラゴンの谷!」
眼に天に届くかと思えるほど大きな山が飛び込んできた。頂上から大きな斧で真二つに割ったかのような割れ目が、谷であることを象徴させる。
ミリィは、今まで薄暗い森を歩いてきたことの開放感から、大きく両手を広げ、目の前に広がる壮大な景色の瑞々しい空気を目いっぱい吸い込んだ。
裂け目を持った大きな山は、地質が硬い為か、大きな木々は少なく、黒い地肌を覗かせている。地質が硬そうな為、崖崩れの心配はまずなさそうだ。
「見てみて! ドラゴンの谷だよ!」
「エル、アール、ういーん」
ミリィが遅れてきた海斗を呼ぶが、いまだに意味不明な呪文を呟いている。こ、の、や、ろーっと、呟き、海斗の顔をキッと睨むミリィの目が三角につりあがっていた。
ミリィは大きく空気を吸い込むと、胸の中に空気をめいっぱい溜め込んだまま、海斗の耳元にトコトコ歩いていく。そして、おもむろに溜め込んでいた空気を吐き出した。
「ドー、ラー、ゴー、ンー、のー、谷、だぞぉぉぉぉぉ!」
天空をも揺るがすかのような大爆音に、辺りの空気がビリビリと振動し、木々の枝がザワザワと音を立て、森の鳥たちが一斉に空高く羽ばたいていった。
「ハッ!? ドラゴン――」
海斗は、カッ! と目を見開くと、目の前の大きな山に走る裂け目を鋭く睨みつけた。
「これがドラゴンの谷――ここにドラゴンが――」
そう一言呟き、うおぉーと、叫びながらものすごい勢いで山の裂け目に向かって駆けだした。
唖然とした表情で固まったままのミリィが、二呼吸置いたところで、ふと我に返り海斗の後をひたひたと追いかける。
「海斗! まちなさーい!」
山の裂け目に入っていくと、微かな生臭い異臭がミリィの鼻をついた。
「――うっ」
思わず手で口元を覆い、足下に視線を落とす。頭上より差し込むわずかな光を頼りに目を凝らすと、腐乱した死体が所々に転がっていた。
ドラゴンに戦いを挑み、深手を負って逃げ損ねた者のだろうか。鎧や盾、ソードに混じり、原型を留めていない肉片のようなものがあった。
それは人間のものか見分けがつかないほど、ぐちゃぐちゃに散乱していた。
魔物をハントするミリィにとって、生物の死体を目にすることはさして珍しいことではないのだが、ここまで見事に肉骨が散乱した物はさすがに目にしたことがない。
ミリィは絶句しながら、わき目もふらずに奥へと伸びる一本道をひたすら進んだ。
ミリィが谷の奥を目指して五分位経ったであろうか、ゴツゴツとした岩の壁に遮られていた視界が大きく開けた。
空気の温度が少し上昇したように感じる。
そこは周囲が岩で囲まれ、小さな町ならすっぽり入ってしまいそうなほど大きい広間のようであった。天井から差し込む太陽の光が周囲を明るく照らしている。
その広間の中央に巨大な緑色のモノがうごめいていた。
「これがドラゴン!」
首が胴体の半分位の長さはありそうなほど長く、前足が手の役割を果たすかのように小さいが、その指には鋭く長い爪が生えている。二本の後足は全身の体重を支えるに十分なほど太く筋肉が盛り上がりをみせている。鋭角な顔の鼻の辺りに長い髭、頭には二本の角がある。
その大きな口からは炎を吐き、鋭い牙は岩をも砕く巨大生物ドラゴンをミリィは生まれて初めて目の当たりにした瞬間だった。
「今、空気が――震えた――」
ドラゴンの圧倒的なスケールに暫し呆然と立ち尽くしていたミリィだったが、なじみのある空気の震えを感じ我に返った。
「海斗!?」
慌てて辺りを見渡すと、ドラゴンの足下の小さなシルエットにピタリと視線が止まった。ミリィはその豆粒位のシルエットは海斗であると確信し走り出した。
「海斗!」
海斗はドラゴンのすぐ足下に仁王立ちをしていた。
サイズを対比すれば、まるで人間と豆粒ほどの大きさくらいだ。ドラゴンは足下の海斗の存在には気づいていない様子で、暢気に欠伸などをしている。
「はぁぁぁぁ――」
海斗の口からカラテカ特有の呼吸法「息吹」が漏れる。
腹の底から響く息吹の鼓動は周囲の岩壁に反響し、一帯の空気を震わせた。
海斗の下腹に全身の気が流れ込んでいく。
その流れに身を任せ、腰を落とし、右足を後方に踏み込んだ。
両の拳を構える。
接近戦の間合いに有効な双手の構えだった。
あたかも静寂な時にとけ込んでしまったかのような動作は、そこに海斗の存在があることを感じさせない。まるで海斗の存在が「無」であるかのように。
――俺は強くならなきゃならねぇ!
――相手がたとえドラゴンでも。
――俺は――そいつより強くならなきゃなねぇ!
海斗の中で静かに熱いものがふつふつと湧きあがってくる。
そして全身にたぎる熱いマグマのようなものが頂点に達した。
気合いとともに右足を放つ。
「せいやぁぁ!」
ドスっと、重い音を立て、海斗の右中段回し蹴りがドラゴンの小指にめり込んだ。
「ギャァァァース!」
ドラゴンは口を大きく開き、耳をつんざかんばかっりに苦痛の叫びをあげた。
「うしっ!」
すかさず海斗はびしっと、下段払いの構えをとった。
「海斗!」
「ミリィか?」
海斗の背後からミリィが息を切らせながら声をかけてきた。
「一体ドラゴンに何したの?」
ミリィは怪訝そうな面持ちで、空に向かって苦痛の叫びをあげているドラゴンを見上げた。
「いや、あれよ――」
海斗はニヤリと笑みを浮かべ、自分の足の爪先を指さした。
「お前もあるだろ、タンスの角に小指を打ちつけたこと」
「はぁぁ?」
海斗の言葉が理解不能なのか、何とも気の抜けた声を上げたミリィは二、三回、瞼をぱちくりさせる。
「するってぇとなにかい? ドラゴンは海斗の足に小指をぶつけたとでもいうのかい?」
海斗は満足そうに笑みを浮かべながら頷いた。
「まぁ、そんなとこだな」
ミリィもタンスの角に爪先をぶつけ、悶絶した経験がある。たしかにあれは地獄の苦しみだと、ミリィは妙に納得してしまった。
「っていうかさ――」
ミリィが何か言い掛けた瞬間、周囲の空気の温度が急激に上昇した。
「相手さん怒らせちゃったみたいだよ!」
ドラゴンが大きな口を開いた。
周囲の空気がさらに上昇した。
二人に向かって高温のファイアーブレスが迫った。
「しまった! ヤツに見つかったか!?」
普通見つかるでしょ! と突っ込みを入れながら、ミリィは素早く後方に飛び退いた。
すると、右側に海斗の姿が写った。
ミリィよりも一瞬早く退いていたらしい。
「さって、ぼちぼちいきましょうかね」
ミリィは呟くと、白いリボンを取り出して髪をかきあげ、ポニーテールを作った。
「――で、どんな作戦でいくの?」
「まず、ドラゴンを右に誘導させる!」
海斗になにやら案があるらしい。ミリィは海斗の指示に従うことにした。
ミリィはドラゴンの顔に両手を掲げた。
精神を集中させる。
体内の熱を手繰り寄せる。
両手に集まった熱は、凝縮され、温度を上げる。
そして限界まで上がった熱をはじき出した。
「これでもくらいなさい!」
ミリィが叫んだ瞬間、両手から灼熱のファイアーボールがドラゴンの顔面に向かって発射された。
火球がドラゴンの顔面に着弾するや、ゴーという、低い音をたてながら大きな炎がドラゴンの顔を包み込んだ。
「命中!」
「ギャース!」
ドラゴンは大きな雄叫びをあげ、足下の豆粒を踏みつけようと、ドスドスと暴れだした。
二人が右の壁に向かって走り出すと、ドラゴンが大きな体を揺らしながら二つの豆粒を追いかける。
「よし、こんなもんか」
海斗は立ち止まり、右側にそそり立つ高い壁と、ドラゴンを交互に見渡す。
「つぎは? どうすんの?」
「俺を壁のあの辺りにぶっ飛ばしてくれ」
海斗が壁を指さした瞬間、ミリィは海斗が意図していることがようやく理解できた。
「らじゃ!」
ミリィは短く意味不明な返事を返すと、海斗に両手を構えた。
精神を集中させる。
そして精神を手のひらの前に伸ばす。
すると、ミリィの周囲の空気がまるで磁石が鉄を吸いつけるように、凄まじい勢いで掌の先に集まってきた。
「ストーム!」
ミリィの掌から凄まじい風圧の空気が海斗に向かって放たれた。
周囲の空気を空間に閉じこめ、圧縮し、瞬間的に解き放つストームの魔法である。
空気の固まりが海斗に直撃した。
海斗の体が、宙に舞った。
体を踊らせ、高い壁に向かっていく。
眼前に岩の壁が迫った。
「ダリャァァァ!」
あわや激突寸前で海斗の口から気合いが漏れた。
両足で壁を蹴りつけた。
方向転換し、体をひねった。
ドラゴンの横顔が視線に写った。
海斗の体が空気を引き裂き、ドラゴンの顔面に迫る。
「カイトルネェェードォォォォ!」
まるで研ぎ澄まされた一本の矢が突き刺さったかのようだった。
ドラゴンの左目には、海斗の右腕が肩の辺りまでめり込んでいた。
「アンギャー!」
鼓膜が破れんばかりの甲高いドラゴンの悲鳴に、海斗は思わず自由なほうの指で耳栓をしてしまう。
「海斗! やったの?」
足下のずっと下からかすかにミリィの声が聞こえた。
「おう! っていうか、ぬけねぇ」
目に異物が刺さったためか、ドラゴンの左目の瞼が堅く閉ざされ、海斗の腕が挟みこまれていた。さらに、腕の根本まで突き刺さってしまい、引っこ抜くには困難なことこのうえない。
ドラゴンは左目に走る激痛のためか、首をブンブン振り回し、まるで地団太を踏むようにドスドスと暴れ回っている。
ドラゴンの巨体が踊る度に、大地はまるで大波が起きたかのごとくに激しく振動した。
なんか状況悪化してない? と思いつつ、ミリィは暴れる大地に足を取られながら、遙か上空にいる海斗を見上げていた。
とっさにブリザードの応用魔法である、相手の心臓の運動だけを静止させる即死魔法を使うかと一瞬考えたミリィだったが、これだけ的が動き回っていたら心臓にだけ的を絞ることは困難を極める。
かといって攻撃魔法を使えばドラゴンの顔に引っ付いている海斗にもダメージを与えかねない。
ここは海斗が自力で腕を引っこ抜いてもらうのを待つしかない。
「クッソ、ぬけねぇ」
まるで大根でも引っこ抜くかのような体勢で、海斗は右腕を引き抜こうと力を込めるが、ブンブンと振り回され、なかなか足に力が入らない。
グリグリと右腕をこじると、わずかに食い込んでいる腕が動いた。こじったところに隙間ができたらしい。
海斗はすかさず体勢を整え、一気に右腕を引っこ抜く。
「せいやぁぁ!」
鮮血で赤く染まった右腕が、ドラゴンの瞼の間からズルリと姿を現した。
「抜けた!」
しかし、体の支えが無くなったため、海斗の体はいとも簡単にドラゴンに振り落とされてしまう。
「落ちた!」
ミリィは海斗の様子を珍妙な解説をしながら見守っていたが、不意にドラゴンの顔から豆粒みたいな物が落下したことを確認した瞬間、慌てて両手を構えた。
豆粒がどんどん大きさを増していく。
豆粒は、海斗であると確認できるほどの大きさでミリィに迫った。
「ストーム!」
落下している海斗の体が、ミリィの頭上でピタリと静止する――が。
「疲れた」
ドサッという音をたて、海斗がミリィの上から降ってきた。
「ナイス! ミリィ!」
「アイスじゃないわよ! 人をクッションにしといて」
したたかに頭をぶつけたためか、ボケたのかはミリィ本人しか知らない。
「どうする? もう策がねぇ」
ミリィのボケを軽くスルーしながら海斗は立ち上がった。
「一度体勢を立て直したほうがいいね」
辺りを見渡すと、この広間の入り口からずいぶん離れてしまっている。
「といっても、一時避難できるような場所なんて――」
海斗も辺りを見渡すと、不意にミリィの肩を叩いた。
そしてある方向を指で示してみせる。
「見ろ、ドラゴンの股の下だ」
海斗が指した先には、壁に小さい穴がぽっかり空いている。丁度人一人が入れるくらいだろうか。入り口に戻るよりは遙かに近いが、ドラゴンの股の下を潜らなければならない為、かなりのリスクを伴う。
迷っている暇はない。こうしている間にもドラゴンがのっしのっしと、二人に迫ってきているのだ。ミリィは海斗に向かって両手を構えた。
「ちょっと待て! また飛ぶのかよ!?」
「言い出しっぺは海斗でしょ!」
ミリィが言い終わると同時に、海斗の姿が遙か前方に消えていった。
「ああぁぁ――」
悲痛な叫びをあげながら、海斗の体は超低空にすっ飛んでいき、ドラゴンの股をくぐり抜け、見事なコントロールでぽっかり空いた穴の中に吸い込まれていった。
「ナイスシュート!」
海斗が穴の中に消えていったのを確認したミリィは、両手を自分の後ろに向かって構える。
「さて、あたしも行きましょうかね!」
呟いた瞬間、ミリィの後方に砂埃がふきあがり、掌の先に圧縮された空気が体を前方に運ぶ。
「ヤホーイ」
ドラゴンの股の下を猛烈な速さで潜り抜け、壁の穴の中にスポンと入り込んだ。
「いた、いたた!」
飛んできた勢いのまま、全身で地面を滑るように着地したミリィの体がズルズルと音を立てて停止した。
「いったぁ、あちこちすりむいたよ――あれ、海斗?」
トンネルかと思われていた穴はそれほど深くなく、一歩進むと視界が広く開けた。
「――これって」
「ああ、ドラゴンが守っているお宝みたいだな」
傍らから海斗がミリィに歩み寄ってきた。二人は広い空間の中央で横たわっている巨大なモノに視線が釘付けになっていた。
「巨兵!?」
「いや、巨兵の改良型、魔法巨兵の試作機、雷龍だ」
「雷龍――」
ミリィは魔法巨兵の名前を復唱した。
なるほど見ると、全身は重厚そうな鉄のボディーに緑色をベースとした塗装が施され、鋭角なフォルムの頭部に装備された二本の角が龍を想像させる。
そして、両腕には雷をイメージしたような黄色のラインが走っている。立ち上がればドラゴンくらいの大きさはあるであろうその巨体は、見る者をして圧倒させるには十分すぎる迫力だ。
その出で立ちから想像する様は、まさしくその名にふさわしい。
「雷の龍――雷龍かぁ」
海斗は呟くと、仰向けに寝そべっている魔法巨兵、雷龍に歩み寄った。とその時、二人の背後の壁が大きな音をたてて大きく揺れた。
「海斗! ドラゴンがここ嗅ぎつけたみたい!」
「来い! ミリィ!」
海斗が雷龍によじ登り、胸の部分の搭乗口を開く。
なぜ海斗が開け方を知っていたかその時は考えもせず、ミリィは促されるまま雷龍によじ登り、搭乗口の中に体を滑り込ませた。
「よし、ミリィ、前方の席に座って正面の台の上にあるパネルってヤツにサンダーを流せ!」
「え、海斗、何で知ってるの?」
面くらいながらもミリィは、言われるまま席に着く。
今はそんなことよりも一刻を争う。
コイツが動かせるかどうか。
ドラゴンに太刀打ちできうる可能性を、この雷龍にかけてみるしか手はないのだ。
席の前方に備え付けられたパネルと呼ばれる装置に両手をかざす。
意識を手のひらの前に伸ばす。
意識の空間の空気を振動させ、原子の摩擦で静電気を起す。
原子の振動が加速するにつれ、金色の淡い光が増長していく。
膨れ上がる静電気はバチバチという乾いた音を立てる度に、周囲が感光した。
ここで極限まで増幅した静電気を一気に放出する。
「サンダー!」
「よし! エル、アール同時押し!」
ミリィの後方の席に着いていた海斗が確認するように叫ぶ。
イスの両サイドに付いている大きめのボタンを同時に押し込む。
とたんに周囲が明るくなり、ウイーンと外界で開発されたモーターと言われる装置が唸りをあげ始めた。
「マジ!? 電源入った!? 動くの?」
海斗は自分の席の前に備え付けられたスイッチを二つ、カチカチと下に倒すと搭乗口が閉まり、大きな窓のようなものが雷龍の眼前に広がる世界を映し出す。
「なに? 大きな窓?」
「これは外界で開発された、ソクリーンってやつだ」
すかさず海斗が外の景色を映し出す大きな窓のような物の解説を加える。
「スクリーン?」
ミリィは聞き慣れない言葉に困惑しながも、海斗語を無意識のうちに翻訳していた。
「ああ、正確にはソックリーム・モニッターだ」
自信満々に答える海斗に、へぇ、スクリーン・モニターと言うのかと、またもや海斗語を翻訳しながら、初めて目の当たりにする外界の装置に関心の眼を向けた。
「いくぜ!」
海斗は左手近くに突き出たレバ―をぐいっとひっぱる。
連動して、大きな山が動くかのように、ゆっくりと魔法巨兵の体が起きあがっていった。
前方の巨大なスクリーンと呼ばれる装置に映し出された風景がグルグルと回り、わけがわからないながらも、何とも言えない激しい興奮の波に飲み込まれていくミリィ。
「すごい! 動いた!」
気がつけば歓喜の声を漏らしていた。
前方スクリーンには、ゴツゴツとした岩の壁が映し出されている。雷龍はどうやら二本足で直立しているようだ。
「サーモスキャンモード、オン!」
海斗が叫んだ瞬間、スクリーンの左下に直立した人型のシルエットと、同じく直立した雷龍の絵らしきものが表示された。人型のシルエットは髪型といい、なんとなく海斗に似ているとミリィは感じた。
よく注意してみると、人型のシルエットの右腕が赤くなると、雷龍の形をした絵の右腕が大きく上に上がる。
「はて?」
ミリィは、もう一度注意して二つの画像を見比べる。
今度は、シルエットの右肩の辺りが赤くなると、雷龍の絵の右腕がグルグルと回った。
「筋肉を動かした時に発生する熱を感知して、筋肉の部位、熱量で移動距離、速さ、角度を計算して、巨兵の動きに連動させてるんだわ――」
両手、両足だけで巨兵を操作し、人間と同じ素早く、複雑な動きをさせるのは困難である。どれほど素早くかつ正確な操作であっても、操縦者の脳で判断して実際に巨兵がその動作をするまでタイムラグが発生する。
しかし、このシステムなら、発生するタイムラグを極めて短くすることが可能であろう。なんてすごい技術なのかと、この代物を作った技術者の頭脳にミリィは驚嘆した。
「ん? でも、海斗のシルエットがさっきから直立したままって、なんでだろ?」
突如ミリィは猛烈に後方を振り向きたい衝動に駆られた。もう気にしだしたら止まらない、といった感じである。
意を決してちらっと、横目で海斗の姿を見たその刹那。
「プッ――」
クックック、とお腹を抱えながら、吹き出しそうなのを必死でこらえ、やっとのことで正面に視線を戻した。
なんと、海斗の座っていたシートが、まるでベッドを壁に立てかけたようにピンと真っ直ぐ上に向かって直立し、そこに海斗の体がベルトのようなもので動けないように拘束されていたのである。
真剣な面持ちで拘束され、モゴモゴともがいている姿は、とても鞭が似合いそうだと勝手に想像して、吹き出しそうになったのであった。
「わ!」
ミリィが必死に笑いを堪えていると、突如ミリィのお尻が、シートから浮き上がるような感覚が襲った。雷龍の体が下に沈んだようだ。
「待たせたな! 本番いくぜ!」
正面スクリーンの隅に視線を移し、雷龍の姿を確認すると、右足を引き、腰を落とした後屈立ちに映像が変化している。
いつもの海斗の構えと寸分も違わない。
「らじゃ!」
ミリィは短く返事を返すと、緩んでいた唇を堅く結び、前方の巨大スクリーンを睨みつけた。
雷龍は重心を後ろに置いた後屈立ちの状態から、腰をひねった。
右拳を一気に突き出す。
「せいやぁぁ!」
雷龍のスピーカーと言われる装置を介して拡張された海斗の気合いが、正面の壁に反響して辺り一体に響きわたった。
雷龍の右正拳は正面に立ちはだかる岩の壁を粉々に打ち砕いていた。
「アンギャー!」
ドラゴンの甲高い悲鳴が轟いた。
無数の粉々になった岩が、雪崩が起きたかのように崩れ落ちた。
もうもうと砂埃が舞い上がる。
砂埃が晴れた前方には、ドラゴンが横倒しの格好で倒れていた。
壁に体当たりする瞬間、正拳突きがカウンター気味にヒットしたため、ドラゴンは雷龍からかなりの距離まで吹き飛んでいた。
「速攻!」
雷龍は大地を蹴り、ドラゴンに突進を開始した。
前傾姿勢で突進してくる雷龍の存在に気づいたドラゴンは、小さい前足を使いなんとか起きあがる。
「く、間にあわねぇ!」
倒れているうちに間接を取れると思った海斗だが。
――あんなに素早く起きあがりやがって、計算が狂っちまった。
奴の筋肉が盛り上がった二本の足と、長く太い尻尾。
三角形のような体型は安定感があり、いざとなれば尻尾を支えに後方に転ぶことを回避できる。
タックルをして転倒を狙うは困難だ。
――倒すことができなきゃ、ファイア―ブレスの餌食になっちまう。
海斗は思わず舌うちをした。
ドラゴンとの距離が詰まる。
「海斗!」
ミリィが叫んだ瞬間、ドラゴンの口が大きく開いた。
ファイアーブレスの体勢だ。
ドラゴンの口から炎がくすぶる。
「クッ!」
海斗の口から気合いが漏れた。
雷龍の体が反転した。
鋼の体が宙に舞った。
両の足で大きな鉄の扇子を広げた。
「フライング二ールキック!」
雷龍の右の踵がまるで斧を振り下ろすかのようにドラゴンの頭頂にヒットした。
「ギャブ!」
ドラゴンはブレスを吹き損ね、奇怪な叫びをあげた。
そのままバランスを崩し、後方に退く。
雷竜の背中が大地を叩いた。
砂埃が一面に舞い上がった。
大地は大波のように振動する。
「やべ!」
仰向けに倒れ込んでいた雷龍は、素早く起きあがった。
反撃を警戒し、大地を蹴って後方に飛び退く。
ニールキックは技を放った後、大地に倒れ込む為、大きな隙ができる。
あぶねぇとこだったと、海斗は苦笑した。
ドラゴンが体勢を立て直すのを待たずして、雷龍は右足を後方に踏み込み、腰を落とし、掌を開いた円心の構えを取った。
ドラゴンは間合いに踏み込んだ。
ファイアーブレスの間合いだ。
大きな口から、炎が吹き出した。
ファイアーブレスが雷龍に迫る。
雷龍は送り足で後退し、間合いを保ち、ブレスをかわす。
しかし、雷龍の背後には、徐々に小高い岩の壁が迫る。
確実にかわすスペースが奪われていく。
「次に奴の拳が戻った瞬間、(懐に)入り込む!」
「らじゃ! やっちゃって!」
ドラゴンが吹き付けるファイアーブレスを突きに例えた表現は海斗らしいと、ミリィは軽く苦笑した。
突如、ジリジリと後退する雷龍の足が止まった。
ドラゴンは口を開ける。
口内から燻った炎。それは灼熱の炎に変わり、雷龍に迫った。
雷龍は退き足で大きく後ろに退いた。
炎が雷龍の胸元を焦がした。
炎が萎み、小さく煙が立ち上った。
雷龍が動いた。
左手が振り下がった。
左足が大地を蹴った。
「せい!」
鉛のように重い中段回し蹴りが、ドラゴンの胸に食い込む。
ドラゴンは衝撃を受け退いた。
苦痛の叫びを上げる。
甲高い吃哮が鼓膜をつんざいた。
「取れる!」
間髪入れず、雷龍はドラゴンの背後に回り込んだ。
左腕を首に絡ませる。
それを右腕にロックする。
右手でドラゴンの頭部を掴み固定する。
左腕と体で相手の喉を挟み込み、締めあげる。
「チョーク・スリーパー!」
完全に入った――海斗が笑む。
「どうだ、レッスルの技の味はよぉぉ!」
首が無駄に長い分、首を両足で挟み込みんで、固定するところは俺のオリジナルだけどなと、内心で続け全身に力を込める。
「でりゃぁぁぁぁ!」
海斗が気合を入れると、雷龍の左腕がドラゴンの喉を強烈に絞り上げる。
「グ――ア――ス!」
ドラゴンは悲鳴にならない悲鳴を喉から絞り出しながら、雷龍を振り落とそうと首を振り回し、雷龍の体を壁に叩きつける。その激しい衝撃は操縦室を大きく振動させた。
「しぶてぇ! なかなか落ちねぇ!」
海斗の叫びに焦りの色が現れる。
「――なんとかしなきゃ」
パネルにしがみつき、激しい衝撃に顔を歪めながら、ミリィは真っ白になりつつある頭の中を払拭するように深呼吸する。そして一つずつ、会心の一手を探っていく。
――魔法巨兵の力って巨兵を凌ぐはずなのに、魔法巨兵と巨兵の違いって、魔法使いが動力を供給するだけなの?
――いや、魔法使いが乗り込むには、もっと大きな理由があるはず――ミリィは左手から放たれるサンダ―の魔法を延々と吸収し続ける卓状パネルを、じっと見つめた。
「まさか――」
ミリィは右手をパネルにつける。
意識を集中させる。
そしてパネルの向こう側に意識を伸ばしてみた。
「――やっぱり入った」
ミリィの意識がパネルをすり抜け、雷龍の内部に入り込んだ。こうなればしめたもの。
体中の熱を意識に送り込む。
意識を先へ先へと伸ばす。
熱は他の熱を取り込み、温度を増幅させる。
やがて増幅された熱が頂点に達っした。
伸ばされた意識が雷龍の右手でピタリと止まる。
「ファイアー!」
ミリィが叫んだ瞬間、ドラゴンの頭部を掴む雷龍の右手がみるみる赤くなり、ついに炎をあげた。
「な!?」
海斗が突然吹きあがった炎に、驚きで絶句する。
「いっけぇぇぇ!」
ミリィの気合いに相呼応して、炎がその勢いを増した。
ドラゴンの頭部を炎が包み込み込んだ。
ドラゴンは徐々に力を失い、ついにその巨体は大地に沈んでいった。
雷龍は技を解いてゆっくりと立ち上がりる。
ドラゴンに向かい、腰を落とす。
そして拳を定め、双手に構えた。
倒れた相手の反撃を警戒する残心といわれるものだ。
鋭い牙を覗かせていたその顔は、原型を残すことなく黒い消し炭に変わっていた。
「終わった――」
海斗は呟くとサーモスキャンモードを解除し、シートの束縛から解放されるや、びしっと下段払いの構えをとった。
「うし!」
張りつめていた緊張の空気が緩み、何とも言えない安堵感が二人を包み込んだ。
「楽勝!」
ミリィは振り向いて、いつものように海斗の手をパン! と叩いた。
「魔法巨兵が魔法巨兵たるゆえんは、魔法が使えるから――でしょ?」
ミリィは海斗に向かってウィンクすると、海斗は苦笑いしながら、頭を掻いた。
「いや、知らん。俺スクロ―ルの説明、後半寝てて聞いてなかった」
「あ、はぁ――?」
なんとも力の抜けた声をあげ、何も聞いていなかったことにしよう! そうだよね? 聞いてないよね? ミリィ? と、強く自分に言い聞かせ、現実逃避に走るミリィだった。