二章 イリナの死闘
ミリィ達はイリナの商店街にいた。
イリナの街はドラゴンの谷から程近い場所にある。さほど大きくないが、ミラの城下町へ物資を供給するための重要な拠点なのである。
そのため各地から商人が多く行き来し、商店街もそれなりの規模であり、高級であるレンガ造りの家屋もちらほらと見られる。
商業中心の街だけはあって、経済的にそこそこ潤っているようである。
「情報を集めるならどこがいいと思う?」
ミリィは商店街の人並みを掻き分けながら海斗に問いかけた。
「情報集めなら酒場だろ」
ミリィ達がイリナに入ったのは丁度昼過ぎだった。酒場が繁盛するのは夜と相場が決まっている。
はて、どうしたものかーーとミリィは思案する。
「ねえ海斗! お腹すいた」
と、そこでお昼ごはんがまだなのを思い出した瞬間、ミリィのお腹が、グーと低い音を立てて鳴いた。
「しょうがねぇな」
海斗は周囲をきょろきょろと見渡し、商店街の一角にある一軒のレストランを指さした。
「あそこでいいか?」
海斗が人差し指で示した方向には「ドゴンシェフ」と記された看板が掲げられており、その隣にはかわいい龍の姿のコックさんがフライパンを持っている人形が設置してあった。
お店のキャラクターみたいだ。
「かわいい! 海斗、そこにしよ! しよ!」
「まったく、女ってやつはすぐに外見に惑わされるな」
ひと目で気に入ったミリィは、ぼやく海斗の腕をむんずと掴み、迷わずその店に向かった。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
店内に入ると、いたって普通の対応がなされた。
白く清潔感を醸し出す壁に囲まれた店内。テーブルは、ほとんど満席と言っていい状態である。
商店街だけあって、けっこう人が多く店も忙しいみたいだ。家族連れやアベック、商人から戦士と客層も幅広く、各々が食事に舌鼓をうち、談笑していた。
レストランの立地条件としては最高な場所だなと、ミリィは思った。
席を案内されて早速メニューを開いた。すると、ミリィの目に衝撃的な文字が飛び込んできた。
「あ!」
「どうした! ミリィ!」
ただごとではない様子に気づいた海斗にミリィはメニューを指差して読み上げた。
「ご注文頂いたお客様に洩れなくドラゴンシェフマスコットプレゼント!」
たちまち海斗の目が小さくなっていき、ついに二つの点になってしまった。
「なんだよ、くっだらねぇ。俺先に注文するぜ! ドラゴンのステーキ」
海斗が現実の世界に帰還したみたいだ。
ん? ドラゴンのステーキ? ミリィは海斗の言葉に何か引っ掛かった。
「ちょっと待って、海斗! ドラゴンのステーキってことは、誰かドラゴンを倒した人がいるってことだよね?」
興奮気味にまくし立てられ、状況が全く飲み込めない海斗だったが、はっと気がついたらしい。
「ちょっくら店員に聞いてみるか?」
海斗が店員を呼ぶと、すぐさま若い女の子のウェィトレスがやってくる。
「ご注文お決まりですかぁ?」
ボーとした感じの女の子が笑顔で注文を聞いてきた。見るからに無表情な笑みを含む営業スマイルである。
「このドラゴンのステーキってやつなんだが、ドラゴンを倒した奴がいるってことか?」
女の子は接客業特有の笑顔を曇らせ、一瞬困ったような表情になる。
「お客さまはドラゴンの事を知りたいのですかぁ?」
「その通り」
ミリィが即答する。
「そのことでしたらうちのオーナーが詳しいと思いますが、お会いになりますかぁ?」
「ええ、おねがいするわ」
それほど簡単に会えるものだろうかと訝しく思いながらもミリィは即答した。
「かしこまりましたぁ。ご案内致しますのでこちらにどうぞ」
ミリィと海斗はウェィトレスに促され、席を立ち上がった。
二人が案内されたのは、大きな赤い絨毯がひかれた一室だった。部屋の中心にはテーブルが置かれ、その横と向かい側にソファーと、部屋の隅には本棚が並び、いかにも難しそうな本がきれいに整列していた。
ウェィトレスはこの部屋に案内するや、この部屋でお待ち下さいと言い残し去っていってしまった。
「うへぇ、ひれぇ部屋!」
海斗が率直な感想を漏らしながら部屋にある本を手に取った。
「ソファーで座って待っとこ!」
落ち着きの無い海斗をミリィが大人しく座るように促すが、当の本人はどこ吹く風であった。
「うーむ、この本、文字ばっかで絵がない――」
あたりまえや! と、ミリィは素早く突っ込みを入れる。
そこそこつき合いが長いだけはあって、そこらへんのタイミングは絶妙だ。
と、その時、不意に部屋のドアがノックされた。
ややあって、ゆっくりとドアが開き、一人の老人が部屋に入ってくる。
「この人が、オーナー?」
身長はさほど高くはなく、頭は真っ白な短髪。顎と口には白い髭を蓄え、見るからに高級そうな白のスーツをビシッと着こなしている。
見かけに似合わず、顔には深い皺が刻まれ、その笑顔はどこから見ても人の良いおじいちゃんといった感じである。
オーナーらしき老人は、ミリィと向かいのソファーに腰を降ろすと、慌ててミリィが本棚で本をあさっている海斗をソファーに座るように激しく促した。
渋々海斗が座ったところを見計らい、老人がにっこり笑い、口を開いた。
「ワシがドラゴンシェフのオーナーじゃが、あんた達、ドラゴンについて情報を聞きたいのかね?」
ミリィが軽く頷く。
「はい、ドラゴンのステーキというメニューがありましたので、誰かドラゴンを倒した人がいるんじゃないかって思いまして――」
タダでさえ細いオーナーの目が、一本の線のようになった。
「ほう、それを聞いてドラゴンでも倒すおつもりかな?」
「あったりめぇよ! ドラゴンは俺の獲物だ――ムグ」
ミリィは自分の額を軽く押さえながら、黙ってなさいとばかりに、もう一方の手で海斗の口を塞いでしまう。
オーナーはその光景を眺めながら、ふぉっふぉっと顎髭を撫でながら笑っていた。
「おまえ達は、依頼を受けたみたじゃのう」
ミリィと海斗はお互いの手を止め、コクコクと頷いた。
「しかし、正式に依頼を受けれるのは一組だけなんじゃが」
「え、まだ依頼受けた人達がいるの?」
「ああ、受ける者が少なかったのじゃがお前さん達の来る前に、もう一組おってな。もし、お前さん達が来なかったら、ドラゴンのステーキをメニューから削除して、その者達に依頼請負人を正式決定しようとしていたところじゃよ」
やはり、ドラゴンのステーキは請負人を釣り上げるための餌だったようだ。どうやらミリィ達はギリギリのところで見事に釣り上げられたみたいだ。
となると、このオーナーがダーククリスタル捜索の依頼主だろうか? そして、正式な請負人は一組――ミリィの頭の中で新たな疑問が浮上してくる。
「オーナーさん、あなたがダーククリスタル捜索の依頼主ですか? あと、正式な請負人は一組ってことですけど、どうやって決定するのでしょう?」
ミリィは頭の中の疑問を矢継ぎ早にオーナーにぶつけていく。
「待ってくれんか、一つずつ答えていこうかの」
オーナーは困ったような笑みを浮かべ、悠長にふぉっふぉっと笑う。
この人、わざとジラしているのかしらと、ミリィは上目使いでオーナーを軽く睨んだ。
「まず、依頼を出したのはワシではない」
「そして、請負人の決定は双方が死闘を演じて勝利した方に決定する」
「万が一破れた場合は?」
ミリィの問いにオーナーはまた髭を撫でながら一考している。
ミリィにとって、このようにもったい付けるタイプはムカつく存在以外の何者でもなかった。さらに輪をかけるごとく話しに着いていけない海斗は、堂々と居眠りに勤しむ。自然とミリィのこめかみがピクピクと痙攣を開始した。
「依頼を受けるに当たっての前金の返済に、この店で五ヶ月間は皿洗いでタダ働きしてもらおうかのぉ」
さっきまで真っ赤に染まっていたミリィの顔が、一瞬で真っ青に変わった。
「こら、海斗! 起きなさいよ! 起きろぉ!」
ミリィは気持ちよく夢の中にいる海斗の肩を両手で激しく揺さぶる。
「あ、ミリィ、おはよう――」
「おはようじゃないわよ! あんた! 試合に負けたら五ヶ月タダ働きなのよ!」
海斗は状況が飲み込めず瞼を二、三回ぱちくりする。
「なにいってんだ? 負けなきゃいいんだろ? 俺が負ける事なんてありえねぇ!」
「――こいつわかってんのかなぁ」
ミリィは俯いて軽い頭痛で重くなった額を押さえた。
「それでは準備が出来次第、対戦ステージに案内しよう」
「ちょっと待って!」
ミリィが今までになく強い調子でオーナーを制した。命乞いならもう遅いとばかりにオーナーの目つきが鋭く変わる。
「ご飯まだ食べてないんだけど――」
次の瞬間、オーナーと海斗の顎が力無くガクンと落ちた。
ミリィ達がオーナーに案内されたのは、イリナの街の外れだった。そこに人知れず、ひっそりと建つ大きな建物の前でオーナーの歩みが止まった。
石造りでいかにも頑丈そうな外壁。屋根までもが石で覆われ、まるで小さな砦があるかのように錯覚してしまう。
「しっかしでっけぇな! 誰か住んでるのか?」
海斗が感想を述べるが、民家にしては少し大きめである。
「さぁね」
メガハンバーグセットを軽く平らげて上機嫌のミリィが、お腹を撫でながら上の空で返事をする。
オーナーが建物の唯一、木で作られた扉を開くと、奥のカウンターからオールバックの男が駆け寄ってきた。
「オーナー様ですね!」
ビシッとスーツを着こなし、首には蝶ネクタイ、まるで宿屋の受付けの格好にみえる。
「お仰せの通り地下格闘場は本日オーナー様の貸し切りでございます」
「うむ」
オーナーは一つ頷き、こちらだとミリィと海斗を案内する。
「階段? 地下に降りるみたいね」
「だな――」
石の壁に覆われた階段。その壁に設置されたランプの明かりが、冷たい周囲を淡く照らしている。
三人は薄暗い階段を降りてゆく。
暫く階段を下ると、いきなり出口の視界が明るく開けた。
「これは!?」
「金網のリング?」
二人が目にしたものは、薄暗くとてつもな広い部屋。その中央には正方形の金網があった。
金網を天井からライトの光が照らし、すり鉢状に敷き詰められたイスがそれを囲っている。
「驚いたかね? ここは夜間になると賭け試合で賑わう闘技場じゃ」
「賭け試合!?」
ミリィの目が驚きで飛び出さんばかりに大きく変わった。
参加選手には試合の成績に応じて賭の倍率が設定され、客はどの選手が勝つかにお金を賭ける。
そして、選手の生死は関わらない闇の試合――ミリィは頭の中から賭け試合の記憶を引っ張りだした途端、身震いを覚えた。
自分は今、その選手であるのだと。
「イリナにこんなとこがあったなんてな」
ミリィに比べ、海斗はさほど驚きもせずに金網を眺めている。
「あんた賭け試合したことあるの?」
「ああ、色々なヤツと闘ってきた」
なるほど、それなら海斗の余裕もわかるとミリィは納得した。海斗に賭け試合の経験があるならなんとかなるだろうと、ミリィの気持ちが少し楽になる。
「さて、そろそろ始めようかの。対戦者が金網の中で待ちくたびれておるぞ」
オーナーは最前列の席にどかっと腰をおろし、いつの間に購入したのかホットドックを旨そうに頬張る。
このオーナーの態度にミリィのこめかみがヒクっと動く。
このオッサン、ただあたし達が殺し合うのを楽しみたいんじゃないの?
ミリィは内心で毒づいた。
「ひさびさの死合だ! いくぜ!」
なんでこいつ生き生きしてるの? オーナーといい、海斗といい――あきれ果てたミリィは俯いて額を押さえた。
やたらとハッスルな海斗に促され、やるせない思いを抱えながらミリィは金網に向かった。
ミリィと海斗が金網の唯一の出入り口であるドアを潜ると、ガチャンと音がする。誰かが外から施鍵を施したようだ。
選手が逃げられたら賭が成立しないためである。
賭ける客こそいないものの、ルールは賭け試合のルールで行うとミリィは確信した。
地面は魔法が使われても良いように、土を踏み固められた作りになっている。
逃げ場がない閉ざされた空間。何とも言えない圧迫感と恐怖がミリィを襲った。
ミリィはそれを振り払うかのように赤い髪をかきあげ、後ろに紐で束ねてポニーテールをつくる。
ミリィの戦闘スタイルである。
「待ってたぜ」
「あまりにも遅いから逃げたかと思ったわ」
先に金網に入っていた男女が、しびれを切らさんばかりに挑発的な言葉を浴びせてきた。
「海斗・桐生!」
「ミリィ・カウラ」
海斗がずいっと前に出て名乗ると、ミリィがそれに続く。通常賭け試合では、双方の名前をアナウンスするのだが、非公開の試合であるため海斗が名乗ったのである。
自分が敗れた時に相手の名がわからねば遺恨を残す。そのため互いの名を名乗ることは闘ううえでの礼儀のようだ。
「スミス・デラー」
「ジェシー・ラミル」
ミリィと海斗が名乗ったことにより、対戦者の二人も名乗りを上げて礼を尽くす。
「スタンダードな戦士、魔法使いか――」
スミスと名乗った男。ブロンドの長髪頭でブルーの瞳、戦士にしてはプレートメイル、小手、レッグガードと軽装だ。腰には少し反りがあるソードをぶら下げている。
一方魔法使いのジェシーもブロンドの長髪で瞳もスミスと同じブルーの色である。首から下は黒く大きなマントに覆われている。辛うじて足下のヒールと材質からロングブーツを履いているとわかるくらいだ。
「はぁぁぁぁ――」
海斗が口から息吹を漏らした。
そして顔の前で両拳を交差させ、腰の位置まで下ろす。
正対の構え――カラテの使い手か。
スミスが腹の内で呟き、右足を踏み出す。
そして鞘に指をかけ、鯉口を切った。
抜刀したソードを正眼に構える。
「あんたカラテカかい? だったらこんなことできないねぇ」
ジェシーが挑発すると、両手をスミスのソードに向かって構えた。
「ファイアー!」
ジェシーの両手から大きな火球が飛び出し、スミスのソードに当たった。
低い音とともに、ソードの刀身が炎に包まれた。
「くっそ、これじゃ間合いが計りにくいぜ――」
剣士相手を相手にする時は間合いが重要だ。
ほんの一センチでも間合いが違えば、命を落としかねない。
しかし、海斗の口元が自然とつり上がっていく。
内からこみ上げる戦うことの歓喜――それが海斗をそうさせたのだ。
瞬間。
「ブリザ――ド!」
一瞬にしてスミスの持つソードの炎がジュッっと音を立てて鎮火し、白い刃が露わになった。
見ると、ミリィが両手をスミスのソードに向かって構えている。海斗の呟きに応じてブリザードの魔法を放ったのだ。
「こ、このぉぉぉ!」
ジェシーが眉を釣り上げ、負けじと両手をスミスのソードに向けて構えた。
「ひ!?」
ジェシーは突き刺さるような冷たい視線を感じて構えを解いた。
スミスが鋭い眼光でジェシーを睨みつけ、お前の相手はそっちだと言わんばかりに顎でミリィを指した。
と、その時。
「ごふ!」
スミスが前かがみに退けぞった。
「なに遊んでんだよ! 鯉口を切った時点で死合いは始まってんだろ?」
海斗の右拳がスミスの鎧の保護が無い下腹部にめり込んでいた。
的を射た海斗の忠告に、突きの痛みが消えた。
替わってスミスの頭に怒りで血が昇る。
「くそ!」
叫びざま右上段、いわゆる八双から袈裟にソードを降るう。
海斗は身を退いた。
斬撃は空を切る。
スミスは右足で踏み込む。
斜めに降りおろされたソードが腰位置で静止した。
空振って体が泳いだ隙に、攻撃をたたき込もうとした海斗だったが、スミスが踏み込んで体勢を立て直したことでそれも叶わない。海斗はスミスの隙の少なさに舌打ちする。
「――こいつ、相当できるぜ」
海斗は漏らし、正対に構えた。
「なにぼやぼやしてんだい! あんたの相手はあたいだよ!」
海斗とスミスの攻防に意識がいっていたミリィが、はっと我に返る。
眼前にはファイアーボールが迫っていた。
「くぅっ」
ミリィの口から声が漏れた。
横に転がる。
ファイアーボールが頬をかすた。
轟音が爆ぜる。
ミリィの後方の地面が一瞬大きな炎をあげて炎上した。
「あぶないじゃないの!」
死合いに危ないもへったくれもあったものではない。しかし、ミリィにいたって真面目な顔で抗議され、ジェシーの顔がおちょくられた怒りで歪んだ。
「ふざけたことを!」
ジェシーが再びミリィに向かって両手を構え、ファイアーボールを発射する。
「ふざけてなぁぁい!」
ミリィは叫びざま、左にステップを踏み、迫り来るファイアーボールをかわす。
「えーい、ちょこまかとウザイヤツ!」
ジェシーが懲りずに再びファイアーボールを発射する。
「ハッ!」
ミリィは軽く息を漏らした。
大地を蹴り、体が宙を舞う。
ミリィの体は迫るファイアーボールを大きく飛び越える。
そして着地するや、前方に駆けだした。
「なに!?」
一瞬怯みながらもジェシーのファイアーボールの連射は止まらない。しかし、ミリィは軽快にステップを踏み、右へ左へと炎の着弾をかわしながら突進していく。
ミリィの動きに合わせ、赤いポニーテールが右に、左に靡いた。
「だりゃ!」
ミリィの口から気合いが漏れた。
体が宙を舞った。
靴底が金網を叩いた。
九十度方向転換し、体をひねる。
「なんちゃってトルネード!」
それは海斗の必殺技、カイトルネードの模造品だった。
ジェシーは直感した。魔法では叶わないとみて、打撃できたのだ――と。
しかし。
「この距離で届くかい!」
ミリィがまるで弓を引くように右拳を構えるが、いかんせん、人二人分の間合いが離れ、パンチが届くまでの距離ではなかった。
ジェシーは笑んだ。
その笑みは、揺ぎ無き勝利への確信だった。
両手をミリィに向けて構える。
不意にミリィの口元がつり上った。
「な!?」
遠い間合いで突き出された右拳――そこから突如、炎が燻った。
「えっ?」
あの体勢から魔法なんて――かわせない!
ジェシーは焦る心を払拭しながら、手繰り寄せた熱を拡散させる。
集中していた精神を切り替える。
「ブリザード!」
ジェシーがかざした掌の前面に氷の固まりが現れた。
そこにファイアーボールが着弾する。
水蒸気が立ちこめ、氷は霧となり、宙に散っていった。
ジェシーが目標を捕らえようと目を凝らす。
奴はどこに――着地しているはずのミリィの姿を見失い、ジェシーの顔に焦りの色が現れた。
刹那。
「グゥ!」
低い体勢からの回転足払いがジェシーの足首を強襲した。
ジェシーは鈍痛にうめき声を漏らしていた。
体のバランスを崩した。
頭の中が真っ白になった。
続けて下腹に強い爆発の衝撃を受ける。
「クリスタルボンバー!」
ブリザードでつくりだされた極寒の空間。
そこに高温のファイアーを流すことで水蒸気爆発を誘発させるミリィが得意とする爆裂魔法だ。
爆風で砕け散った氷の固まり。それはスポットライトの光を浴び、まるで水晶のごとくきらきらと輝いた。
「ぐふっ!」
ジェシーの体が爆風に耐えきれず、後方に吹き飛んだ。
背中が金網を打ちつけた。
衝撃音が轟き渡った。
大きく乾いた金属音だった。
金網がジェシーの体の形にへこんでいた。
鉄が伸びきった反動で背中が金網からはがれ、ジェシーはずるずると地面に腰を落としていった。
「勝負あったな」
オーナーはホットドックを一気に平らげると言葉を続けた。
「最初の三角飛びからのパンチはファイアーの魔法を出すためのフェイントか。さらに着地ぎわに回転足払いで体勢を崩しておいて至近距離からの爆裂魔法で完璧にしとめおった」
しかも水蒸気を煙幕がわりに使うとは、なんとも洒落たことをしおるわいと、オーナーは驚嘆の面もちで髭に手を当てる。
「うぅ――」
うめき声を漏らしながら、ジェシーが顔を上げた瞬間、背筋に悪寒が走った。
「!?」
ミリィは険しい表情のままいつでも魔法を放てるように、ジェシーに向かって右手を構えていた。
ミリィの鋭い残心に、ジェシーの闘気は失せ、力無く首をうなだれた。
「ふぅ、あとは海斗ね」
ミリィはジェシーの戦闘意欲が失ったことを確認すると、静かに構えを解き、海斗の攻防に視線を向けた。
海斗は正眼に構えるスミスのソードを、ひたすら睨みつけていた。
正対の構えのまま一歩も動かない。
いや、動けなかった。
ソードはリーチが長いうえに、手首一センチの動きで一メートルは剣先が動く。
しかも、こちらから仕掛けるには隙も見当たらない。
海斗はスミスを分析し、戦いを組み立てるべく思考を巡らした。
周辺が捻じ曲がって見えてしまうほどの緊張、その重圧。
そこに足を踏み入れようものなら、指先一つ、髪の毛一本も動かすことすら許されない。
まさに時が凍りついてしまっているようだった。
その異様なまでに緊迫極まった空気を最初に破ったのは、スミスだった。
「来ないならこちらからゆくぞ!」
スミスはソードを振り上げ、袈裟斬りに斬り降ろす。
海斗が下がった。
斬撃が空を斬った。
すかさずスミスは右足を強く踏み込む。
ソードを返し、左から真横に払った。
足を退き、斬撃から逃れる海斗。
下がる海斗を捕らえんと、スミスはさらに踏み込む。
袈裟、逆胴、ソードを返し、斬り上げ、真っ向斬り降ろし――迫りくる斬撃を海斗は退き、身を反らし、かわし続ける。
「ハッ!?」
その時、海斗の背中が冷たい金網の壁に触れた。
「どうした、後が無いぞ」
スミスは討ち取ったと言わんばかりの表情を浮かべ、柄を右胴辺りに置き、切っ先は後方に構えた。
「この構えは脇構え――」
放たれる太刀筋は袈裟、胴、切り上げ、どこからでもソードを振るえる為、攻撃には適した構えだが、左の守りが薄くなる。
海斗は確認するかのように腹の中で呟いた。
分析が終わり、瞬時に狙いを定める。
左だ――海斗の右膝が振り上がった。
「蹴りか!」
ソードを袈裟に振り降ろす。
途端、海斗の姿が消えた。
思う間もなく、腹に衝撃を受けた。
重い衝撃だった。
肺の中の空気が絞り出された。
スミスの体が後方に泳ぐ。
この技は蹴りではない。
「タックル――か!?」
海斗の左肩がしっかりとスミスの下腹に食い込み、左腕を背中まで回し、逃げられないようにガッチリとロックされている。
奴め、蹴りを出すと見せかけ、攻撃を誘い、懐に飛び込むことでソードの斬撃をかわすと同時に、低い体勢からタックルを極めたのか――スミスはしてやられた怒りと、タックルの苦痛に顔を歪めた。
「くそ!」
スミスは吐き捨て、ソードの柄を海斗の背中に叩きつける。
「グウ!」
硬い柄を利用した打撃。
背中に激痛が走った。
たまらず海斗はスミスの体を突き放した。
「タックルで倒してからのマウントパンチを狙っていたのだろうが残念だったな」
スミスが金網を背に立っていた。
そして、ゆっくりと柄を顔右側面に置き、切っ先を真上に、ソードを垂直に立てた。
海斗はスミスを凝視する。
金網を背にしている為、タックルで倒すのは無理である。
構えは八双。
ならば次の太刀は大きく踏み込んでの袈裟か、真っ向斬り下ろし――海斗は腹の中で呟いた。
そして右足をドンっと強く踏み込んだ。
海斗の挙動にスミスの体が反応した。
海斗が低い体勢で迫る、
またタックルか――スミスは大きく踏み込んだ。
タックルに合わせ、袈裟にソードを振りおろす。
刹那、海斗の姿が消えた。
奴がいない!? そう思う間もなく、目の前が暗転した。
スミスの顔面を地面が叩いていた。
「水面蹴りか!」
オーナーは思わず声をあげた。
「ソードの太刀筋は弧を描くように振り下ろされるが、通常の剣技における太刀筋は相手の腰から上を斬ることを前提としておる。低い体制で地面を滑るような回転足払いを放つ水面蹴りは、剣先の軌道を掻い潜りながら攻撃するには適した技じゃな」
オーナーは精密に組み立てられた海斗の戦略を分析しながら、海斗の格闘家としての才能に関心していた。
「対してスミスのやつは、タックルだと思いこんで、踏み込むもんじゃかから、出足を払われて転ぶのも当然じゃ」
そうこぼすと、オーナーは地面に顔を埋めるスミスに視線を転じる。
スミスは転倒した際に手から滑り落ちたソードを拾おうと、四つん這いのまま手を伸ばす。
しかし、ぴたりと手を止めた。
しまった――内心で舌打ちをする。
すばやく両腕で頭を抱え、地面に突っ伏し、正座をするように足を折り畳む。
それはマウント攻撃へのガードの姿勢だった。
スミスの予想いていた通り、海斗がスミスの背中に馬乗りになった。そして右わき腹にパンチをリズミカルに叩き込む。
く、やはり狙いはマウントパンチか――わき腹に受ける打撃の苦痛にスミスの顔が歪んだ。
激痛から逃れんと頭部をガードしている右腕が、わき腹を隠すように下がった。
それが合図であるかのように、わき腹に叩き込まれるパンチのリズムが途切れた。
――やつめ、これで俺の右側頭部へのパンチを狙っているだろう。
――ならば、これでも――
「くらえ!」
スミスは叫びざま右半身をひねるように右エルボーを飛ばした。
スミスの肘が海斗の側頭部を捉えた。
瞬間、海斗はスミスの腕を両手で掴んでいた。
そして自分の体へ引き寄せた。
掴んだ腕を股の間に挟みこんだ。
「なにぃ!?」
スミスの右腕を両手、両足でロックしたまま、エルボーの勢いに任せて仰向けに倒れこむ。
「腕ひしぎ逆十字固め!」
まさかこんな技が出るとは思ってもみなかったのか、スミスの右腕は見事なまでに伸びきっていた。
完全に入ったな。この体勢から自分の腕を引き寄せてガードすることは不可能に近い。
海斗は間接を極めた手応えに笑みを漏らした。
「早くタップしねぇと右腕頂くぜ!」
海斗が力を込め、体を反らす。
スミスの顔が苦痛で歪む。
額から脂汗が吹き出した。
ミシミシと右腕が悲鳴を上げた。
スミスの全身を激痛が駆け抜けた。
「あのコゾウの勝ちじゃな」
オーナーが口に銜えていた爪楊枝をぷっと吐き出した瞬間、スミスの左手が海斗の足に伸びた。
そして苦痛より開放されるべく二、三回、脛の辺りをタップした。
この瞬間、ミリィ、海斗は正式な依頼の請負人と決定され、スミスとジェシーは五ヶ月間の皿洗いのタダ働きが決定した。
「海斗ぉぉ!」
技を解いた海斗にミリィが駆け寄ってくる。
「楽勝!」
いつものごとく、ミリィは海斗の手のひらをパン! と叩き、勝利の喜びを表現していた。
死合いが終了し、オーナーは初めて対面した部屋に二人を案内していた。
ミリィと海斗が二人がけのソファーに座り、テーブルを挟んで向かい合うように、ドラゴンシェフのオーナーが一人がけのソファーにどっかと腰を降ろしていた。
ミリィの戦闘スタイルであるポニーテールはすでに解かれ、赤髪を背中まで降ろしていた。
「さて、請負人はお前さん達に決定したわけじゃが、そうなるともう一つやってもらわにゃなんらんことがある」
「なにぃ、あれだけのことさせといてまだ何かさせる気かよ!」
海斗がいきり立って猛然と抗議するが、とうのオーナーは目を細めてふぉっふぉっと、悠長に笑っている。
このおっさん、しまいにははったおす! と、ミリィは我慢の限界を過えた瞬間、今まで細かったオーナーの目が鋭く変わった。
「お前さんにこのスクロールを徹夜で暗記してもらう、ぞぉぉぉ!」
オーナーはスーツの内ポケットからスクロールを取り出し、テーブルの上にビラビラーっと、広げた。
なんだ、魔法を覚えるの? 楽勝じゃないのと、ミリィは内心ほくそ笑んだ。
なんといっても魔法はミリィの専売特許だ。
とてつもなく高度な魔法でなければ、基礎ができているミリィにとって他に魔法を覚えることは全く造作のないことだ。
「覚えてもらうのは――」
ミリィはニコニコと余裕綽綽の表情であるのに対し、海斗は、俺には関係ねぇとばかりに、あらぬ方向に視線を泳がせている。
「そこのカラテコゾウ!」
予想の遥か県外にあったところを、オーナーにびしっと指で示された海斗は、もんどりうってソファーから転げ落ちた。
「んだよ、俺に魔法覚えろってのか?」
したたかに後頭部を打ち付けたのか、海斗は頭を押さえながら抗議した。
「魔法カラテカ! カッコいいじゃん!」
あほらしいと呟きながら海斗が立ち上がる。
「依頼を降りるのは勝手じゃが、前金は返してもらわんとのぉ」
またそれかい、このおっさん、とことん根性ひねくれ曲がってやがるぜ――海斗は内心で罵声を浴びせまくる。
と、そのとき、ミリィがクワッと、真剣な面持ちで、ソファーから立ち上がった。
「アッ!」
用事を思い出したなどといいながら、逃げるつもりではあるまいなと言わんばかりのオーナーの鋭い視線がミリィに突き刺さる。
「ドラゴンシェフマスコットまだもらってないけど、ちゃんとくれるんでしょうね?」
一呼吸置いて、ミリィの言葉の意味を理解したオーナーと海斗の顎が同時にガクンと力無く落ちた。