十六章 骨肉
「こいつ暗黒獣よね? 人間の意思を持っているの?」
レッスルという格闘技におけるシュート(つぶしあい)の意思表示。人間の意思がなければそのような芸当はできようはずもない。
しかし、ナイアードと対峙している暗黒獣は、人間さながらに人差し指を天井に向かって突き上げている。
「そうだろうな――」
海斗がミリィの予想していた答えを返す。
暗黒獣――ドクロの巨人が動いた。
右手を降ろす。
そして右足を引き、半身に構えた。
――やはりキック!? こいつの正体はやはりあいつか?
海斗は顔に現れた一瞬の困惑を振り払う。
ナイアードが右足を後方に踏み込む。
僅かに床が振動した。
腰を深く落とす。
両の手には手刀。
間合いは遠距離。
様子を見るに適した後屈の構えである。
ドクロの巨人の足が床を擦った。
ゆるり、ゆるりと間合いを詰める。
音もなく、気配もない。
存在すらも感じさせない。
気がつくと近距離の間合いだった。
「!?」
声が出ない。
いまの海斗には出す暇もなかった。
――くそ!
内心で吐き捨てる。
左足に力を込める。
瞬間、操縦室が衝撃に揺れ動いた。
素早いローキックがガードで上がったナイアードのふくらはぎを叩いていた。
ナイアードは辛うじてローをカットすることができた。
気がつくと巨人は距離を置いていた。
さすがに技の戻しが早かった。
誘うか――ナイアードが踏み込む。
右足で大きく踏み込んだ。
一瞬遅れて巨人の左腕が霞んだ。
左のジャブだ。
黒い拳がナイアードの右胸を叩く。
ナイアードの踏み込みを制するかのように思われた。
しかし、すでにナイアードの左足が床を蹴って跳ね上がっていた。
上段回し蹴り。
巨人は上半身を後ろに反らす。
ナイアードの左足が弧を描き、回し蹴りは空を切った。
巨人の目に、無防備なナイアードの背が映った。
巨人は重心を前に移動する。
瞬間、巨人の視界からナイアードの姿がかき消えた。
低い体勢からの回転足払い。
水面蹴りだった。
鋼赤のふくらはぎが、巨人の足を刈った。
巨人がうつ伏せで床に倒れ伏す。
「フシィッ」
ナイアードから短い息づかいが漏れた。
素早く身を起こしたナイアードが巨人の頭部を右わきの下に挟み込み、自らの両手をロックする。
「ヘッドロック!」
シンプルであるが、全体重を被せられれば、身動きすることもままならない技だ。
白い頭部に絡みついたナイアードの右腕がギリギリと音を立てる。
「今片づけてやる」
ナイアードとドクロの暗黒獣の死闘に見入っていた雷龍が動いた。
ソードを上段に振り上げる。
「待て!」
それを制した声はナイアードから発せられた。
「海斗!? 何故だ!」
雷龍から響くはアレンの狼狽した声。
「これは俺とこいつとの死合いだ! 姫さんを助けるんだろ? 先に行ってくれ!」
雷龍はソードを下ろし、納刀すると身を返した。
そして頭部を動かしカメラを背後のナイアードに向ける。
「わかった。死ぬなよ――傭兵!」
へ、俺が死ぬかよ――呟き前方スクリーンに向かって口元をつり上げる。
操縦室の前方スクリーンは、部屋を抜け、通路に姿を消していく雷龍を映しだしていた。
「でぇぇぇりゃぁぁ!」
骸骨が軋む。
「ぐっ――ハァァァ!」
巨人の両手が動いた。
床に手をつき、上体を起こし始める。
両膝を立て、ついにドクロの巨人は立ち上がる。
巨人の左腕がナイアードの胴体に回された。
「海斗――桐生――」
「な、に!?」
不意にドクロの口から漏れた野太いしゃがれた声。
大地の底から響いた、そんな声だった。
巨人の重心が沈んだ。
ナイアードの両足が床から離れた。
「バックドロップ!」
いつ投げられたかわからなかった。
自然に投げられていた。
巨人の体が後方に反り返る。
ナイアードの頭部カメラが天井の照明、そして逆さまになった室内と移動していき――衝撃が襲った。
「クソ!」
ナイアードが両腕を広げ、床を叩く。
受け身を取ったとはいえ、鉄の床に叩きつけられた衝撃は大きく操縦室内を揺さぶった。
巨人の体は見事な漆黒の橋を創り出していた。
暫しそのままホールドしていた巨人はブリッジを解き、ゆっくりと立ち上がる。
床の上で大の字になっているナイアードを、血走った眼が見下ろした。
「立て――海斗・桐生」
「なぜ、俺の名を――知っている――」
ショックを吸収するサスペンションという機能のお陰だろうか、巨兵の機能にさほどダメージは見あたらない。
しかし、搭乗者にはシートに体を固定する安全ベルトをしているとはいえ、全身を打ち据えたような衝撃が残った。
そのダメージを感じさせるように、ナイアードがよろりと起き上がる。
「俺は、貴様を殺す使者――だからだ」
答えになってねぇ――海斗はスクリーン越しに、ドクロの眼を睨み据える。
ミリィは二人のやりとりをじっと見守っていた。
いや、二人の間に入ることができなかった。
意思を持つ暗黒獣。そして目の前にいる巨人は言葉まで話している。
そこでミリィは恐ろしい憶測を導き出した。
――もしかしてガルの研究というのは、人間の意思で操ることのできる暗黒獣!?
たしかにダーククリスタルさえあればいくらでも戦力が増強でき、巨兵よりも安上がりかもしれない。
しかし、人の命を弄ぶような所行は許されるはずもない。
ミリィの中で取り留めのない怒りが渦巻いた。
不意にドクロの口が大きく開かれた。
そして、おもむろに口の中に右手を突っ込み、引き抜く。
「これがわかるか?」
右手の人差し指と、親指に小さなモノが挟まれていた。それは巨人の大きさと対比すると、まるで一粒の砂のように小さかった。
「これは――貴様の母の――イハイ――だ」
「なぜ、それを!?」
黒い小さなモノ――亡き母の位牌。
海斗の脳裏を、優しい母の笑顔が掠めた。
和服に身を包み、舞い落ちる桜の花びらの中に佇む美しい母の面影。
巨人が摘んだモノを無惨にもすりつぶすと同時、それはかき消えた。
「てめぇぇぇぇぇ!」
海斗の中で怒りがこみ上げる。
「うあぁぁぁぁ!」
絶叫が木霊した。
同時にナイアードは突進していた。
「海斗!?」
ミリィの声は海斗の耳に届いていない。
それを裏付けるように、ナイアードの右手が巨人の喉に食い込んだ。
そのまま力任せに壁際まで押しやる。
鉄の額をドクロの額に打ち据える。
ドクロの頭を鷲掴みにしては、後頭部を壁に打ちつけた。何度も、何度も。
「海斗――じゃない」
もはや技ではなかった。力のままに、感情のままに、ひたすら打ち据えていた。
ミリィは後方を振り向く。
犬歯をむき出した海斗が、拘束された直立シートで、ひたすら体を動かしていた。ミリィの眼に映ったのは狂気、いや、それを通り越して狂喜を称えた海斗の笑みだった。
ミリィの中を凍てつくような恐怖と、深い悲しみが支配した。
「そんなの――海斗じゃない!」
気がつくと、安全ベルトを外し、ミリィは後部座席に駆け寄っていた。
「やめて! 海斗!」
両手で海斗の肩を掴み、瞳で訴えた。
血走った眼光がミリィを射抜く。
「邪魔を、するなぁぁ!」
視界を遮られ、ナイアードの動きが停止した。
同時に激しい衝撃が操縦室を襲った。
安全ベルトをしていないミリィの体は前方に弾け飛んだ。
「ぐぅ!」
くぐもった呻き声とともに、操縦室の側板にミリィは頭を打ちつける。
「ミリィ!?」
海斗が我に返り、後方を振り向く。
頭の中が真っ白で何があったのか全く把握ができない。
ミリィはぐったりと前方スクリーン下の側板に背中を預け、頭を垂れていた。
前方スクリーンには、黒いドクロの巨人がみるみる小さくなっている。なにかしらの攻撃を受け、ナイアードは、はじき飛ばされたのであろう。
「くそっ、ミリィ!」
海斗はナイアードを無人巨兵モードにして、シートの束縛を解き、ミリィに駆け寄った。
「大丈夫か! ミリィ!」
ミリィの額から液体が滴り、海斗の胴着のズボンを赤く染めた。
「!?」
海斗は上に羽織っている胴着を脱ぎ、袖口を勢いよく破った。そして破られた布を包帯代わりにして、ミリィの額に巻く。
ミリィが吹き飛ばされる以前の状況が、断片的に蘇った。
ひたすら相手を痛めつける。
突き上げる快感。
ミリィの悲しげな瞳。
「すまねぇ、ミリィ――」
海斗は前方スクリーンをちらりと見やった。
巨人はゆっくりとこちらに向かって歩み寄っていた。
海斗はミリィを抱きかかえ、前方席に向かう。
そしてミリィを優しく席に降ろし、安全ベルトをする。
ごめんな、お前を守るはずが傷つけちまって――海斗がそう思った瞬間、再び操縦室を衝撃が襲う。
前方スクリーンに映るは巨人の上半身。
「マウントを捕られた!?」
堅く握られた黒い拳が振り降ろされる度、操縦室の床が跳ね上がった。
海斗は足を捕られながらも、後部座席に向かい、シートに体を預ける。
「サーモスキャンモードォォォォ、オン!」
ナイアードに生命の息吹が注ぎ込まれた。
いくぜ、ミリィ――黒い拳が振り降ろされた刹那、ナイアードの両腕が動いた。
巨人の右腕をしっかりと掴み、鋼の両足が、たすきのように上半身に絡みつく。
「!?」
「三角絞め!」
鋼の足がギロチンのごとく、喉元に食い込む。
腕の間接がミシミシと悲鳴を上げる。
「でぇぇぇぇりゃぁぁぁ!」
「うぅぅごぉぉぉぉ!」
二つの気合いが交錯し、鉄で囲まれた室内に反響する。
黒い筋肉がうねり、背筋が盛り上がった。
右腕に貼り付いた鋼の固まりが、床から浮き上がる。
そしてついに、ナイアードを抱えたまま、巨人は立ち上がる。
まるで肩車を後ろ向きでしているような状態でナイアードがはりついていた。
巨人の両腕に力が迸る。
パワーボムの体勢だ。
瞬間、ナイアードの体が下向きに伸びる。
「こ――れは――」
逆立ち状態で両手を床に着き、両足で挟んだ巨人の上半身を床に叩きつける。
「――フランケンシュタイナー!」
ナイアードの体がバク転で一回転し、巨人の背中は床に叩きつけられる。
「フシィ!」
ナイアードが動く。
短い息づかいと共に、素早く腕をとる。
そして黒い右腕を股に挟み込む。
そのままナイアードが仰向けに倒れる。
鋼の背中が床を叩く。
「腕ひしぎ逆十字!」
しかし、技は極まりきらない。
巨人の両の腕は輪をつくるように、がっしりとロックされていた。
腕ひしぎのガードポジション。
巨人が反撃に転ずる。
体重を素早く、かつ巧みに移動させ、簡単に体勢を入れ替えた。
ナイアードが下になり、巨人が上を取った。
巨人が残った左手に拳をつくる。
それを、ナイアードの胸めがけて振り降ろす。
肉の塊が鋼を打ちつける鈍い音が木霊した。
ナイアードは下から強引にロックを外そうと、両足に力を込める。
両腕で巨人の右腕を引っ張る。
巨人は冷静にナイアードの足のロックを外し、股の間に体を割り込ませ、完全にマウントを取った。
自由になった右腕を織り交ぜ、上からパンチが降り注ぐ。
ナイアードが両腕でそれをガードする。
「!?」
決着がつくまで行われると思われたマウントパンチが突如ぴたりと止んだ。
気がつくと巨人は立ち上がっていた。
そして、ゆっくりと半身になり、構えを取った。
「来い、桐生――」
スタンディングで勝負か――海斗が笑む。
ナイアードが右足を後方に踏み込んだ。
腰を落とす。
重心は真下。
右拳は鳩尾、左の拳は巨人に向ける。
心行くまでやり合おうぜ――そう言わんばかりの攻めの構えだった。
鋼の足が床を擦る。
ごく自然に近距離の間合いを取った。
同時に赤い右足が振り上がる。
ナイアードの突き刺すような右前蹴り。
巨人の左手がそれをたたき落とす。
「ぬ!?」
ドクロの歯が微かに歪んだ。
ナイアードの弾かれた右足はすでに軸足と化していた。
鋼の左足が空気を裂いた。
重さを感じさせる下段回し蹴り。
しかし、蹴りは空を切る。
「なに!?」
次の瞬間ナイアードの頭部カメラが捉えたのは、迫り来る黒い膝。
飛び膝蹴り――思う間もなく、ナイアードの左胸を衝撃が襲った。
たまらず機体が後方によろめく。
「ハァァァ!」
巨人がナイアードの頭部を右わきの下に挟み込んだ。
「D・D――」
ナイアードの両腕が巨人の胴に絡みついた。
「なに!?」
巨人が技に入るよりも早く、巨人の両足が床から浮き上がった。
「ノーザンライト・スープレックス!」
見事な鋼の橋を描き、ナイアードの体が後方に反り返る。
頭蓋骨が鉄の床を打った。
白い頭部にぴしりと亀裂が走った。
ブリッジを解き、ナイアードが先に立ち上がる。
巨人が遅れて立ち上がる。
ナイアードは歩幅が後屈よりも狭い、猫立ちに構えていた。
右足が跳ね上がる。
巨人は顔左側面に迫る蹴りを両手で受ける。
同時にそのまま足を掴み取る。
間接を極める構えだ。
瞬間、ナイアードの左軸足が床を蹴った。
鋼の甲がカーブを描き、巨人の延髄を刈る。
「うごぉ!」
突如襲った激痛に、ホールドしていた鋼の足を手放した。首を庇うようにそのまま数歩退き、半身に構えると、ナイアードも立ち上がり、攻めの構えを取った。
ナイアードが躊躇なく踏み込む。
巨人の左のジャブが頭部カメラを叩いた。
続けざまに強襲する右のローキック。
これを赤い鋼の足がカットする。
そのまま左足を突き出す。
前蹴りだ。
これを巨人に払われると、払われた足で踏み込む。攻撃すると同時に運足で間合いを詰める。
巨人はフットワークで後退していく。
右の正拳突きが巨人の胸元(秘中)に迫る。
それを巨人の左手が内に弾く。
「――フェイク」
手応えの無さに巨人はすかさず右にガードを移す。
右の中段回し蹴りが巨人の脇腹に迫っていた。
中段回し蹴りを寸前でカットする。
巨人の手がカットした左足を掴む。
瞬間、ナイアードの右軸足が床を蹴る。
鋼赤の体が宙を舞った。
骸骨の頭部を両手で掴む。
頭部を抱え込んでの右の飛び膝蹴り。
よろめき、退く骸骨の巨人。
ナイアードは着地するや、後屈に構えた。
すかさず右足が跳ねる。
右の中段回し蹴り。
肉の壁を打ちつけた。
一回、二回、三回と。
蹴りの連打が途絶えた。
両足を肩幅くらいに開き、頭部カメラ前で拳を交差させる。
「はぁぁぁぁぁ――」
低く力強いカラテ特有の呼吸法、息吹。
周囲の空気がビリビリと振動する。
ゆっくりと両拳が腰元まで降ろされていく。
まるでナイアードと海斗の体が一体と化したごとく気合いが練られ、爆ぜる。
「せいやぁぁ!」
気合いと共に放たれた上段回し蹴り。
巨人は屈み、回し蹴りは空を切った。
巨人がナイアードの背後を取る。
受け取れ――海斗にはそう聞こえた。
巨人の両腕がナイアードの胴に巻き付いた。
「ジャーマンスープレックス!」
巨人の体が綺麗な弧を描いた。
それは芸術といえるほど美しいフォームだった。
ナイアードの後頭部、両肩が床に打ちつけられた。
床が細かく振動した。
ブリッジを解き、片膝を着いた巨人。
前方に視線を移すも、ナイアード姿はどこにも存在していない。
立ち上がり、後方を振り向く。
「!?」
巨人の双眼に映ったのは、赤い背中だった。
成長した証、受け取ってくれ――そう言っているかのようだった。ナイアードの姿がいつぞやの海斗と重なった。
「カイトルネードォォォォォ!」
回転の遠心力と、フックのパンチ力が頭蓋骨に集中する。
鋼の拳が巨人の頭部を打ち砕いた。
ナイアードは突進の勢いを残したまま巨人を数歩過ぎて踏みとどまる。
そして、振り返り後屈に構え、残心を取る。
頭部を失った巨人は力無く前のめりに倒れ、青白い光が立ち上った。
ナイアードは両手で頭部カメラを庇う。
光が静まると、巨人が倒れていたであろうその場所に、小さな人影を確認できた。
「は!?」
海斗はナイアードを屈ませると、搭乗口から飛び出した。
「スカル――」
床に倒れていたのは、黒のボディースーツに身を包み、顔には白いドクロのマスクをすっぽりと被った男だった。
「――スカル」
海斗の声に、マスクに空いた穴の奥の瞼が開く。
「海斗・桐生か――」
海斗が頷く。
「マスクを――取ってくれ」
海斗がマスクの後ろのひもをほどき、ゆっくりとマスクを脱がした。
「スカル――ゴッチ」
あのときと変わらない深い皺。
そして白髪。
見間違うはずはない。まさしくスカル・ゴッチその人であった。
「安心しろ。位牌はフェイクだ。死合いを盛り上げる為のアングルというやつだ」
今にも消えそうな掠れきった声。海斗の胸に例えようのない悲しみがこみ上げてきた。
「なぜ、なぜこんなことを――」
スカルは双眼を閉じ、大きく息を吸い込んだ。
「それは――約束だからだ」
「約束?」
スカルは海斗の問いにゆっくりと頷いた。
「海誠・桐生との――な」
「な!? お、親父!?」
信じがたい名を耳にして、海斗は言葉を失った。
スカルはその時の事を思い返すかのように、ゆっくりと語りだした。
桐生道場――そう書かれた看板の下に、昔は立派であったことを感じさせる門が構えられていた。
木製の門は薄汚れ、所々黒く変色していた。
看板を見上げる男。
白髪である外見と対比して、盛り上がりを見せる肉体。それが薄汚れたシャツの上からでもはっきりとわかる。
男は躊躇せずに声を張り上げた。
「ここは有名な道場と聞くが、是非ともカラテなるものを教えてもらいたい!」
暫くして門の向こう側から、砂利を踏みしめる音が近づいてきた。男は期待に胸を膨らませた。
教えを請うという名目で、相手を叩きのめしてきた。自分が最強であることを誇示する為である。
相手が死のうが生きようが叩きのめすことができれば関係がない。
また今日も死合いができる。そう思うと、なんとも言えぬ歓喜が体中に充満する。
門が開き、一人の壮年が姿を現した。
長い白髪を後ろに流し、上は着物を羽織り、下は紫の袴という出で立ちであった。
おそらく、外界の日本という国から流れてきたのだろうと、男は思った。
「門下生は取っておらん。早々に立ち去れ」
お決まりといっていい口上に、スカルは鼻で笑い飛ばす。
「しかし道場の看板が掛かっている。それなら俺が頂く」
「道場破りか――欲しければ持っていけ」
壮年が門を閉めようとした刹那、男の足がそれを制した。
「ますます死合ってみたくなった」
壮年の目がまっすぐに男の瞳を見据えた。その奥に潜むモノを見定めるかのごとくに。
「死ぬか?」
「お主がな」
「退けぬぞ」
「承知」
「名は?」
「――スカル・ゴッチ」
着物姿の壮年は門を開き、スカルの前に歩み出た。
「――海誠・桐生」
そこは野原だった。
踝ほどの高さの草が生い茂る野原。寒々とした風がその雑草を時折振るわせている。
スカルは思った。
なぜこの場所を――空は厚く濁った雲に覆われていた。
海誠が死合いに選んだ場所。そこはレッスルの使い手であるスカルにとって、有利な場所である。
相手のテリトリーでも勝てる自信があるのか、それとも何か企んでるのか――自然と笑みが漏れた。
まるでその状況を楽しんでいるかのように自然と笑んでいた。
そのまま右腕を上げる。
人差し指で天を示す。
レッスルにおける潰し合い。シュートの意思表示だった。
対する海誠はゆっくりと構えた。
両腕は前方に突き出され、右腕は上段で手のひらが下、左腕は下段で手のひらは上。
後屈よりも歩幅が狭い猫立ち。
天地の構えだった。
堅い――スカルはそう感じた。
例えるなら鉄壁の砦。
口から漏れる熱い息吹が周囲の空気を浸食していく。
それは海誠をより大きく感じさせていった。
スカルは右腕を降ろし、半身に構えた。
キックの構えである。
スカルの中で、今までにない緊張が走った。
なにか得体の知れない威圧感。それが彼をそうさせていた。
おもしれぇ――内心で呟くスカルの額を、一筋の汗が伝う。
ゆるり、ゆるりとスカルの足が草をかき分ける。
牽制の左ジャブと同時に踏み込む。
次に放たれたのは左のローキック。
弾かれていた。それも左手一本で弾かれていた。
「せい!」
気がつくと右拳がスカルの顔面に迫っていた。
上段突き――思った瞬間、拳から二本の指がブイの字に生えた。
目つぶし!?――左手で上段突きを跳ね上げた瞬間、水月に激痛が走った。
突き上げるような膝蹴りだった。
にやりとスカルの口元が歪む。
取った――スカルの両手はしっかりと海誠の左膝を掴んでいた。
あとは倒し、間接を極めるだけだ――そう思っていた刹那、喉元に熱い痛みが突き抜けた。
海誠の右手刀がスカルの喉元に食い込んでいた。
「カッ、ガハッ――」
腰を落とし、息を必死に吸い込もうとした瞬間、顔面を重い物で打ち据えられた。
肘打ちだった。
鼻の骨が砕け、血液が喉に流れ込み、呼吸をさらに妨げる。
「ぜぇぇやぁぁ!」
喉元を押さえ、倒された。受け身すらも取ることを忘れ、のたうち回る。
「ぜぇぇぇぇ――エェェェ!」
海誠の声が突如吃哮に変わった。
気がつくとスカルの体は動かなくなっていた。
マウントを取られたのであるが、まるで金縛りにでもあったかのように体は動かなかった。
海誠の拳がスカルの顔面を打った。
何度も、何度も。
スカルの顔面を打ち据える度に、海誠の口からは野獣のような雄叫びが漏れた。
スカルは必死に顔面を拳で守った。
死合いで人を殺すことなど躊躇がなく、自分はいつ死んでもよい。
そう思っていたスカルが初めて感じた感覚。
恐怖という感覚だった。
死など怖くはない、そうであるはずなのに、全身が震えていた。
死ぬのか――そう思った瞬間、スカルの頬に降ってきたのは拳ではなく、一滴の滴だった。
スカルは腫れ上がって半開きの瞼の隙間から目を凝らした。
目に映るは空を覆い尽くすドス黒い雲だった。
雨か――そう思い、半身を起こす。
しかし雨にしては生暖かかった。
「!?」
そこには馬乗りの状態で口元を両手で押さえる海誠の姿があった。
指の隙間からは夥しいほどの血が滴っていた。
「貴様!? 病んでいるのか!?」
海誠は笑み、立ち上がった。
そして吐血と共に言葉を振り絞る。
「人の心の内には魔物が住み着いている――魔物に食われし者の末路だ」
再び口から血液が流れ、草の緑を赤く染める。
「魔物に食われる――?」
海誠はぜいぜいと、苦しげに息をしながら口を開く。
「そうだ。私は闘いの中に生き、強くなることだけを望んでいた。それが――自分の中の闇、即ち魔物を呼び覚ましていった」
「――」
「気がついた時にはすでに、魔物に食われていた。そして闘う本能だけが残った」
「――」
「愛する者の命をも奪ってしまうであろう恐怖に怯え、闘うことを辞めたが――遅すぎた。結果、妻を守ることができなかった」
闘うことへの喜び、本能、強さを求める飽くなき追求心。
――俺と似ている。
スカルはそう思いつつ海誠の言葉に耳を傾けていた。
「お主に頼みがある」
不意に言葉を投げられ、スカルは一瞬戸惑いの色を見せる。
「海斗・桐生。私の息子に会ったら――殺してほしい」
「なに!?」
海誠はそこまでいうと、ふらつく足で踵を返した。
自分の息子を殺してほしい――自身の妻を守れなかったと嘆いている男が、愛すべき息子を殺してほしいとは、まったく合点がいかない頼みであった。
わからぬ――スカルは再び大地に体を投げ出した。
大の字に横たわるスカルの頬を、滴が落ちた。
眼前にはドス黒い雲が広がり、そこからいくつもの滴が落ちてきた。
海誠の吐血の様子を見れば、この先長くはないことがわかる。
死を目前にした男の頼み、受けるしかあるまい――その時、海誠の頼みを何故受けたのか、スカルはわからなかった。
ただ、彼の内には深い悲しみだけが残っていた。
そこまで言うと、スカルはゆっくりと眼を開いた。
「そして、お前を見つけた」
「あの時、俺を殺すつもりだったのか――」
スカルは首を縦に頷いた。
「しかし、殺せなかった。だから――奴との約束を守る為、お前を殺す為、魔物になった」
スカルは苦しげに息を吸い込んだ。
「そして、再びお前と死合えてわかった」
スカルは穏やかな表情で、言葉を次いだ。
「楽しかった。お前と死合えて。強くなったお前を見たい――あの時そう思ったのかもな」
「師匠――」
「俺は弟子を持った覚えはねぇ」
スカルは微笑みながら、優しく海斗の頭を撫でた。
海斗を慈しみ、見つめる眼差しは、まるで父親のごとくであった。
「海誠は――お前が魔物に食われていたなら殺してほしいと俺に頼んだのだと思っていたが――己の代わりにお前を見てほしいということだったの――かもな」
スカルは表情を改め、海斗に問う。
「俺にはないが、お前には守るべきものはあるか?」
守るべきもの――海斗の脳裏にホークの顔が浮かび、そして、ミリィの笑顔が浮かんだ。
スカルの問いに、海斗は無言で頷き返した。
「もし、お前の中の魔物が目覚めたらどうする? 守るはずの命を奪うことになったらどうする?」
母の位牌だと思っていた物を潰された瞬間、解放された己の本能を思い起こす。
そこに芽生えた殺意。
ただ破壊するだけの狂気。
力無くうなだれるミリィの姿。
「その時は――」
暫し沈黙の後、海斗は笑顔で言葉を次いだ。
「魔物よりも強くなってみせる」
「そう――か――」
言葉半ばで、スカルは噎せ込んだ。その口元から流れた血が、赤い線を引いたように顎を伝った。
「これ以上話すな――」
人間の姿に戻って、すぐに息絶えた伝令兵と比べ、スカルはそれよりも長く語り続けていた。
手当をすればまだ間に合うかもしれない――抱え起こそうとする海斗を、スカルの言葉が制する。
「捨て置け。いずれ山野の土となる我が身。それが――お似合いだ」
スカルは瞼をゆっくりと閉じていく。
成すべきことは全て成した。そのような満たされた表情であった。
「楽しかったぜ――海――斗」
腕に抱くスカルの体が重くなった。
その唇は二度と動くことはなかった。
師匠――海斗の胸に熱きものがこみ上げ、それは大きな涙となって滴り落ちる。
「スカル――」
技をひとつひとつ諭すごとく、この身に刻んでくれた師匠。
この技を破ってみろ――今思うと技の名を叫びながら、そう自分に訴えていたようであった。
「ししょおおおおおおお――」
海斗の悲痛なまでの叫びは、鉄に囲まれた空間に木霊し、いくつも、いくつも反響していた。




