いつか見た未来
「ほんと、グズ」
目の前にあったのは、懐かしい顔だった。
彼は道の端っこで座り込んでいた私のそばに立ち、のぞき込んでくる。
そのことがとても不思議で、ぼんやりとその顔を眺めるしか出来なかった。
よく知っている少年だ。その幼馴染みの少年が小馬鹿にしたようにせせら笑い、私を見ていた。
私は、このときの状況がよくわからず、ただぼんやりとそこに座っているばかりだ。
幼なじみの顔を見てまず思ったのは、懐かしいな、ということ。次に思ったのは、夢かな、ということ。
ぼんやりしながら指折り数える。
そうか、これは、もう、十年も前のはなし。これはきっと、懐かしい夢なんだ。
少年は見慣れた顔よりずいぶん若い、というより、幼い顔をしている。
そういえば、こんな顔だったっけ。
懐かしみながらじっくりと見つめていると、むっとしたように彼の顔がゆがむ。
「聞いてんのかよ。そんなんだからおまえといるといらいらするんだよ」
そういえば、この頃の彼は、こんなだった。
とげとげしい声に、かわいくないな、という気持ちがこみ上げる。
この頃の幼なじみは、いつもいらいらした様子で、ちょっとのことですぐに私を責め立てて、馬鹿にしていた。私はそれが怖くて、必死に彼についていこうとして、でも上手くいかなくて、失敗ばかりで、でも嫌われたくなくて、苦しくてたまらない毎日をすごしていた。
改めて見ると、ほんとにかわいくない。若い彼はとてもかわいくて、とてもかわいげがなかった。
眉間にしわを寄せて、まるで怒っているかのようににらみつけてくる少年。
コレじゃ、あの頃の私は、反抗なんて出来るわけがない。
当時を思い出して、ほんの少しだけ、胸が痛くなる。
でも、これは夢の中で、私はあの頃の私じゃない。
「いらいらするのなら、一緒にいなくて良いよ?」
私はじっと彼を見ていってやった。
ずっと不思議だった。なんでこの頃の彼はこんなにもいじわるだったのか。そのくせして、いつも私のそばにいた。この頃の私はそばにいたくて必死だったから、どうしてかとかそこまで考える余裕がなかったけれど。
「はぁ?」
彼がにらんでくる。きっと、当時の私なら、それだけで口ごもってしまっていただろう。
でも、相手は所詮高校生の彼だ。見知らぬ人ならともかく、子供のころの彼なんて、今更怖いと思わない。
「一人で大丈夫だから、先行って良いよ」
私はゆっくりと立ち上がりながら、あの頃、言いたくて言えなかった言葉を、夢の中で実現する。
驚いた彼の顔に、私は溜飲を下げた。
この頃、結構これで傷ついたんだからね。ちょとぐらい言い返さないとね。
何でもない素振りで、私はぽんぽんとスカートの汚れを払った。
そして言葉を失って私を見つめてくる彼を、まっすぐに見つめ返したところで、私は違和感に気付く。
なに? 頭ががんがんする。
立ち上がってみると、立ちくらみのような、そうでないような、ぐらぐらとするめまいと、頭痛が襲ってくる。体制を整えられないほどではなかったから、何とか踏ん張るけれど、どんどんひどくなる頭痛に足下がふらついた。
「ほら見ろ、俺がいないと困るだろうが!」
なにわけのわかんない言いがかりを……。
ふらついたところを見て、攻撃の隙を見つけたつもりなのだろうか。
とにかく言い返したいんだろうなぁ、なんて、心の中で笑っちゃったけど、体の方はそうもいかない。
あ、ほんとに、立ってるの、ダメかも。
ふらふらするから、迷わずそばにいる彼の手を取る。ほんの少し支えられるだけで、私のふらつきはましになる。ほっとして彼を見上げると、怪訝そうな顔をしながらも、少し驚いた様子の彼の顔があった。
「おまえ、なに掴んで……っ」
そんな彼の顔を真っ直ぐに見つめる。
「困るよ。ひろくんがいなくなったら、私はかなしいよ。でもねぇ、いじわるなひろくんはイヤ。そうやってずっといじわるばっかり言ってたら、私、ひろくんの側にいるの辛くなって、きっと遠くへ逃げちゃうよ」
高校生のころ、私は彼がいじわるばかりするから、離れる気でいた。
少しはあの頃の私の気持ち、わかって欲しい、なんて、夢の中の彼に八つ当たりする。 離れる事を決めるのはすごく辛かった。だってそばにいたい気持ちがなくなったわけじゃなかったから。でもきっとひろくん、私がいなくなっても平気だろうなって考えて、すごく哀しかった。でも、このまま側にいるのが、もっともっと辛く感じたから、遠くの大学を受けることを考えていた。
ほんとに辛かったんだから、このくらいの文句は言っとかないとね。がんがんする頭を抱えて心の中で舌を出す。
だってせっかく中身は十年後の私なんだから、この頃のひろくんに一発がつんと言ってやりたかったのをぶつけてやる。もっともっと怒ってやるんだから。
……って思うけど、頭が痛くて、うまく考えがまとまらない。
「何、言って………」
ひろくんが戸惑った様子で私を見ている。
困ってる、困ってる。
思わずふふって笑って、じっとひろくんを見る。
「……っ、なんだよ」
「ねぇ、ひろくん、私ね、ひろくん大好きだよ」
突然の告白に、彼が固まった。
「え、なっ」
その様子を見て、ふふっと笑いをこぼすと、カッと赤くなった彼が、偉そうに言った。
「す、好きなら付き合ってやってもいいぞ!」
「やだー」
態度が気に入らなくて、ふいっと顔を背ける。
「なんだよ! マヤのくせに、その態度……!」
またそんなこと言って。
真っ赤になった彼からツンとと顔を背けてやる。
「マヤのくせになんて言う人とは付き合ってあげないもーん」
返事がない。ちらっと彼を見ると、真っ赤になって口ごもっている。
困ってる、困ってる。
笑うのをこらえたまま顔を背け続ける。でも、手は掴んだままだ。それを振り払いもせずに、真っ赤な顔で怒った顔して口ごもっている。
ああ、あの頃の彼が、こんな態度だなんて、なんだか、……面白い。
かわいくてちょっと癖になりそう。
いい夢だなー。なんて思いながら、こっそり彼の様子を楽しむ。
ひろくんからしたら、きっととても長かった沈黙の後、ちょっとかわいそうになって、私はため息まじりに話しかける。
「ねぇ、ひろくん。私ねぇ、ひろくんのこと好きだから、ひろくんのそのいじわるな言葉にも、態度にも、傷ついてばっかりだったよ。だからね、もう、一緒にいられないなって思ったんだ。だから、変わらないままだったら、きっと、ほんとに、サヨナラだったよ」
ああ、やばい、頭ががんがんする、痛い。
こらえきれないぐらい目の前がぐらぐらする。
やばい、ほんとにやばい。あれ、これ、夢だよね。
必死でひろくんの手につかまるけど、その力も抜けていく。
ぐらぐらしている目の前で、すごい形相で私を抱き寄せるひろくんが見えて、それから、私の意識はブラックアウトした。
「……マヤ、大丈夫か?」
うっすらと目を開けると、心配そうにのぞき込んでくる、見慣れた彼の顔がある。
「ひろくん……?」
「のど、かわいてないか?」
心配そうなひろくんを見て、辺りを見回して、そうだ、熱出して寝込んでたんだ、と思い出す。
「のど、かわいた」
かすれた声に、待ってなって優しい声をかけてから、彼が水を入れてくる。
「ありがとう」
渡してくれた水を受け取って飲むと、ほっと息をついた。
「大丈夫か?」
「うん、少し、ましになったかな」
笑うと、ほっとした笑みを浮かべる彼。それは、今はもう見慣れた、私の知ってるいつものひろくんだ。
熱を測るように額に手を当てて、それからそっと髪をなでてくれた。そうして離れかけていた彼の手を掴んで引っ張ると「なに?」と不思議そうに首をかしげる。
「あのね、夢を見たよ。高校生ぐらいのころの夢。まだ、ひろくんがいじわるだったころだよ」
ちょっとかすれている声で、ふふって笑いながら夢の話をする。
彼はそれを聞いて、すごーく居心地悪そうに目をそらした。
「あの頃の話はヤメテ」
嫌な夢を見るなぁ……と、ぼそっとつぶやく彼は、あの頃とはずいぶんと違う。
その変化は、突然だった。
もう彼と離れるしかないと思い悩んでいた頃、ある日を境に、彼の態度が突然変わったのだ。
口を開けば嫌味といじわるしか出てこなかった彼は、突然、口をきかなくなった。
私に会っても、口を開きはしても、結局なにも言わずに黙り込むようになったのだ。
元々好かれていなかったとは思っていたけれど、喋りたくもないぐらい嫌いになったのかと思って、悲しかった。
でも、その日は、ちょっと事故で怪我した後で、わざわざ見舞いに来ていたのだから、嫌いならなんで来るんだろうとか、ひどく悩んで苦しかったのを覚えている。
ひろくんには事故の時に迷惑をかけたらしくて、謝ったりもしたけれど、一言も喋らず、ただうつむいて、時々私を見て、何かを言いかけて、結局なにも喋らず帰って行った。
そんな感じのひろくんの態度は、怪我が完治してからも続き、声を出してもせいぜい、ああとかうんとか相槌を打つぐらいで、ひろくんの態度がよくわからなくなっていた。
でも、嫌われてないかもしれないって思えたのは、しゃべらない代わりに、態度がなんだか気を遣うような感じになっていたから。
しばらくすると、無口なりにも、単語で話すようになった。重い物を持っていると「持つ」とか言って、代わりに持ってくれたり、ばたばたしてる時は「危ないから」と言ってさりげなくフォローしてくれたり。
困っていると無言で側にいて、時折手を出してたすけてくれたりするようになった。
「ありがとう……」
ひろくんの様子に戸惑いながらも、そう、前向きな言葉を返せるようになったころ、彼も口数少ないながらも嫌味のない笑顔を向けてくれるようになった。少しぎこちなかった笑顔は、だんだんと普通の笑顔になっていった。
元々、私以外とは普通に話していたし、意地悪な素振りのなかったひろくん。根は優しくて、普通に人を気遣うことの出来る人だったのが、私にも普通に接してくれるようになってきたのがわかった。
そのうちだんだんと単語以外の言葉も交わすようになった。
出てくる言葉は、いじわるな物じゃなくなっていた。気遣う物や、優しい物になっていた。
以前と変わらず、私の側にいてくれたけど、関係はすっかり変わっていた。
私の言葉を待ってくれるようになった。聞いてくれるようになった。言いたいことを言い合えるようになった。
気がつけば、他の人に対してより優しく接してくれるようになっていた。他の人に対してより言いたいことを言い合うのが当たり前になっていた。
お互いが、誰よりも近くて、誰よりも大好きで、誰よりも信頼できる存在になっていた。
そして今は、二人で家族になった。
「夢の中でねー、あんまりひろくんがいじわる言うから、ひろくんのことは好きだけど、そのままならもう一緒にいてあげないって、文句言っちゃったよ。あの頃言えなかったから、ちょっとすっきりした」
笑いながら夢を思い出し、居心地悪そうな彼に追い打ちをかけるように話を続ける。
すると、彼は、それまでの居心地悪そうな素振りから一転して、驚いたように私を見た。
「……その夢、もしかして、おまえが自転車で壁に体当たりして転んで頭打ち付けた時か……いや、まさかな、そんな……」
「きゃー、そんな古い恥ずかしい話思い出さないでよ!」
高校生のころ、彼と登校途中に、やらかしたことのある事故だ。
頭を打ち付けたせいか、その前後の記憶はすっぽり抜けているのだけれど、二日ほど意識を失っていたらしい。
目が覚めたとき、その話を聞いて、ひどいドジッぷりに恥ずかしくて死にそうになった。
「……そういえば、ひろくんが優しくなり出したのって……」
そうだ、あのお見舞いはあの事故だ。怪我したせいで気を遣ってくれてる延長で優しくなったんだったっけ。優しくと言うか、事故したのに馬鹿にしてこなくて、衝撃的だった。終始無言だったのもショックだったけど。
「あの事故直後の記憶って、確かなかったんだよな」
「え?うん、覚えてないよ」
恥ずかしさなのか、熱のせいなのか、顔が熱い。ちらりとひろくんを見ると、からかう様子もなく、考え込んでいる。
「そうか、もしかしたら、おまえのおかげだったのかもな」
ぼそぼそとつぶやく彼の言葉の意味が、よく分からない。
「ひろくん?」
「何でもない。ちょっと、あの頃のことを思い出しただけ」
ひろくんが笑って私の額に手を当てて、「もうちょっと寝てろよ」って促す。
その仕草が、とても優しい。
「私、幸せだなぁ、ひろくんがそばにいてくれて」
目をつむってつぶやく。
「俺も、幸せだよ」
小さな声が、私の耳に届いた。
まだ熱があるせいか、すぐに眠気が襲ってくる。
ひろくんが私の頬をなで額に手を当てる。
ああ、きもちいいなぁ。
「マヤがあのとき、教えてくれたから、俺はあれ以上間違えずにすんだよ」
眠りに落ちかけたとき、彼の声がそう聞こえた気がした。