告白もしてないのにふられたので泣いていたら、イケメンのお兄さんを引っかけた
ずっと、憧れていた人がいた。
「おまえ、遠藤と仲良いよな、いっつもなに話してんの? てか、話し合う?」
聞こえてきたのはクラスの男子の声だった。
「仲良いって分けじゃないけど、話すとそこそこ面白いよ。本の趣味似てるし」
「へー。遠藤って絶対おまえに気があると想うんだけど、告白とかされたらどうする?」
私の話だった。そして、話し相手は私がずっと憧れている彼だ。
立ち聞きなんて良くない、なんて考えも及ばないほどに私は動揺していた。そこから立ち去った方が良いなんて考えにも及ばずに、自分が話題にされていることに呆然として、聞くとか聞かないとか、逃げ出すとか留まるとか、そんな意識すらなくそこに立ち尽くして、その話の流れをそのまま聞いてしまっていた。
「それは、ちょっと困るかなぁ……。嫌いじゃないけどさ、友達としては良いけど、彼女にするにはちょっと地味だろ? それでなくてもちょっとクラスでもちょっと浮いててかわいそうなのに、俺まで相手にしなくなったら、なんか憐れ? っていうか」
「うわ、ひどっ」
「ひどっておまえさぁ、じゃあ、告られて答える?」
「いや、俺遠藤とは親しくないし」
笑いながらの会話は、何気ない物で、だからこそ分かる。それが本心なんだと。悪意すら感じられないほどの、何でもない会話。当たり前に私を見下して、かわいそうだからかまっているだけという、純然たる事実。
それを受け止めるだけの余裕は、私にはなかった。
事実、彼の言う通り私には友達が少ない。数少ない友達だって、私のことを一番に好きって言う人はいないだろう。数少ない友達の中でも「一応話す友達の一人」程度の位置だ。
私は話すのは苦手で、うまく周囲に溶け込めなくて、いつも無難に過ごすことばかりを考えていて、結局、誰にも気持ちを許せず、誰からも気持ちを許してもらえない。
彼が話しかけてくれるのが、とてもうれしかった。笑いかけられて、本の話をして、何でもないことで盛り上がって楽しかった。
でも、彼の言動は同情から来る物だったのだ。
気付かれないようにその場を離れて、惨めさに歯を食いしばった。
悔しくて、情けなくて、哀しくて、涙がこぼれそうだった。
人気のない鉄橋下の河原でこっそり泣いた。電車が通り過ぎる音に隠れて、声を上げて泣いた。
ぐずぐず、ぐずぐず泣いて、たくさん泣いて、日が傾いてから、涙をぬぐって顔を上げた。
少しだけ、すっきりした。すっきりした気持ちで見た夕焼け空はとてもきれいで、少しだけ笑うことができた。
よしって思う。
大丈夫、明日は、何でもないふりして学校へ行ける。何でもないふりをするのは、得意だから。私のことを、そんなにじっくり見てくれる友達もいないから、きっと気付かれることもないから。
自分で自分の傷をえぐって、ちょっと切なさが再燃しそうなのをこらえながら、顔を上げて歩き出したときだった。
「ねえ、なんで泣いてたの?」
後ろから声がかかった。
えっと驚いて振り向くと、いつからそこにいたのか、男の人が一人立っていた。
「え?」
改めて驚いて見つめる私に、彼がにっこりと笑った。
「知らない人になら話せる事ってあるでしょ? それだけ泣きたいことなんだろ? 話してみなよ」
私より5つぐらいは年上だろうか。二十代前半ぐらいのその人は、クラスの男子よりずっと大人の男の人の顔をしていて、でも整った顔立ちは女性とは違ったきれいさがあって、見ほれるほどにかっこいい笑顔だった。
卒業式の日に顔を合わせた友達は、一瞬固まって、笑顔になって驚いた。
「うっわ、かわいい! なんか遠藤ちゃんっぽくないけど、すごく良いよ!」
興奮した様子で可愛い、可愛いと褒められて、私は「そうかな」と言いかけて「ありがとう」と言い直した。
「卒業式に気合い入れたね!」
からかう友達の言葉は、決して馬鹿にした物ではなく、私の気持ちを盛り上げるための褒め言葉に近い物ばかりだった。
「変じゃない?」
照れくささを隠さずに笑うと、みんなが「もっと早くそれをすれば良かったのに!」「イメチェン大成功だって! 大丈夫!」と笑顔で励ましてくれる。
笑いながら、ふと視線を感じて振り返ると、びっくりした顔の彼が私を見ていた。
私は勇気を出して、何でもないふりをしながら笑って軽く手を振る。
最後だもん、失敗しても平気。
今までやったことのない仕草に、私はどきどきした。
『そうだよ、少しずつ、練習すれば良い』
耳に残っている声が甦ってきて、私は自然と笑顔になる。大丈夫、上手くできたかは分からないけど、一歩前進。ちょっとずつ、慣れていこう。
友達に視線を戻して、私は笑った。下手でも、苦手でも、好きな気持ちも、うれしい気持ちも、ちょっとずつ出していこう。それで失敗しても、そんな気持ちを笑われても、伝わらないよりきっといい。
今日、そんな風に前向きに思えるのは、あの人のおかげだ。
昨日、帰ろうとした私に声をかけてきたのは、美容師のお兄さんだった。
戸惑う私に「話してみなよ」と促した声がとても優しくて、うれしかったのに、また涙があふれた。涙をこぼしながら、うれしい気持ちが勝手に顔に出て笑ってしまう。
きっとすごく不細工な顔になってたのに、彼は「やっぱりいい笑顔だなぁ」と、とても優しそうな目を向けてくれた。
促されるまま話をしてしまったのは、誰かに話したかった気持ちもあるだろうし、少しだけ交わした会話なのに、あんまり優しい声を出すから彼に気を許してしまっていたせいだろう。
自分らしくなかったと思うのだけれども、なぜか彼と話すとき、私はいつものように緊張もしなかったし、初対面の人への戸惑いも覚えなかった。無理に話さないとなんて思う必要もなく、沈黙さえも心地よいと思える、そんな居心地の良さを覚えていた。
だから、ぽつぽつと、憧れていた彼に、同情で相手されていた惨めさを話した。彼を好きと言うほど強い気持ちではなかったかもしれない。でも、憧れる気持ちは、限りなく好きに近い気持ちだった。それを笑われたことが、哀しかった。とても惨めで、自分がどうしようもなく価値のない人間に思えた。
話を聞き終わった彼は、自分を美容師だと言った。まだ見習いなんだけどね、と少しだけ照れくさそうに笑って。
突然どうしてそんな話を……と思えば、「髪を切ろうよ」と、彼が笑った。
「髪?」
「うん、内気で引っ込み思案な雰囲気を、一気に変えよう!」
全体的に、重いんだよね……。
などと言いながら、一つにまとめてある髪を、ざくざくと触る。
そう、私の髪はさらさら、なんて感じのきれいな髪じゃない。剛毛な上に、髪質も悪くてばさばさだ。自分の手入れじゃ、どうしてもセットしようと思ってもうまくいかない。
「で、でも、私、手入れとか上手くできなくて……」
「大丈夫、いつも簡単にできる髪型とかも教えてあげるし」
「でも……」
「見返そうよ。可愛くなって「くっそー!!」って思わせてあげようよ」
美容師さんの言葉に、少し考える。私は、彼を見返したいのだろうか。逃がした魚は大きかったって思わせたいのだろうか。
きっと、そう思われたのならすっきりするだろう。でも、私は、彼を見返したいわけじゃない。もし彼がごめんって思ってくれるなら、私の容姿が変わったから手のひらを返すように言われても、全然うれしくない。向けた気持ちが、向けられてなかったのが、哀しかっただけだ。
「……。そんなこと、望んでないです」
「じゃあ、自信持って、にっこり笑いかけられるようになろう?」
「笑いかける……?」
「そう。今までの自分に自信を持って、にっこり笑いかけて、ありがとうって気持ちを込めて言うのなら、どう? 卑屈なままじゃ、顔を上げるのも人に笑いかけるのも難しい時ってあるだろ? 容姿の良し悪しなんて、その人の表面の一つの評価にすぎないけどさ、でも、それに自信が少しでも持てることで、背中をまっすぐに伸ばせるきっかけにはなるもんだよ。見た目は目に見える評価だから、わかりやすく自信をつけていく足がかりにはなるもんだ。ねえ、明日の卒業式、彼と目を合わせたくないなんて、背中を丸めることがないようにさ、きれいになって、自信持って笑顔を向けてやりなよ。ありがとうって心から言ってみな?」
卑屈にならずに、笑顔で彼にお礼の気持ちを伝える。胸の中に、すとんって、落ちてきた。
悲しかったのは、きっと、伝わってなかったと感じたからだ。彼の事なんて、知っているのはほんの一部だけれど、でも、確かに優しい人だ。彼に話しかけてもらえて、本当にうれしかった気持ちが伝わっていたら、それを馬鹿にするように話したりしない人なんじゃないかって思う。
「……うん。伝えたい、です。笑って、ありがとうって、言えるようになりたいです」
でも、確かに今の私にはハードルが高くて。
「髪、切ってもらえますか? 可愛く、してもらえますか?」
顔を上げて、まっすぐに美容師のお兄さんを見上げた。彼の顔がぱっと笑顔になる。
「任せて。君の笑顔が最高に映えるように、可愛く仕上げてあげるから」
そうして、私は今までやったことがないような髪型になっていた。
「すごい! ふわふわで、すっごく柔らかそうな髪になってる! 顔もなんかすっきりしてる!」
どう手をつけて良いか分からなかった眉も、きれいに整えられてすっきりとし、短くなった髪は、不安になるぐらいがっつりとすかれて、剛毛の髪は重力に逆らって空気をたっぷりふくんだ、ふんわりとした雰囲気へと大変身だった。
「元が悪くなかったからね。見せ方を変えるだけで、だいぶ可愛く変身できただろ?」
美容師のお兄さんも大満足のようだった。
「はい!」
とはいえ、うまく笑顔で言えるかどうか不安になった私に、美容師のお兄さんは笑った。
「その笑顔をそのまま向けてやれば良い」
「そ、そのままですか?」
ちょっと顔がこわばった。意識すると、表情筋がこわばるのが自分で分かる。
「そう。もう一回俺に向けて笑ってみて」
いざ言われると緊張した。でも、鏡を見てうれしかった気持ちを思い浮かべて彼に笑いかけた。
「こんなかんじ?」
「そうだよ、少しずつ、練習すれば良い」
美容師のお兄さんがふんわりと笑みを浮かべた。
「……君」
ずっと憧れてた彼の名前を呼ぶ。
「あ、何……?」
卒業式の後に声をかければ、彼がぎこちなく笑う。私は少しだけ笑みを浮かべて、ゆっくりと息を吸った。
「一年間ありがとうね。話しかけてくれたり、本の話ができたり、あなたのおかげで、この一年楽しく過ごせた。ほんとに、うれしかったの。私、一人でいることも多かったから、きっと気も遣ってくれてたよね。気にかけてくれてありがとう。じゃあ、元気でね」
ゆっくり、でも、一気に言いたいことを言うと、ほっとして顔が緩む。
あ、私、ちゃんと笑えた。
これで、きっと、良いよね。
ほんとに、うれしかったよ。どうか、あなたの中で私のことが嫌な思い出になりませんように。私は、あなたがくれた優しさやうれしさを忘れないから、どうか。
手を振って友達の所に戻ろうとした。
「遠藤」
少し焦った様子で彼が私を呼び止めた。
「俺も、おまえと話すの、楽しかったよ。ありがとう」
私は一瞬驚いて、でも笑って頷いた。
それが嘘でも本当でも、どっちでもいい。そう言ってくれた彼の気持ちを、大切にしたいと思ったから。
友達と一緒に、校門を抜け高校を卒業する。
「美菜子ちゃん」
校門の所に立っている人がいた。私を名前で呼ぶその人は、こうしてみてもやっぱりかっこいいと思う。
「え、遠藤ちゃん、誰?!」
「えっと……」
友達に視線を向けられて、なんて答えようか戸惑う。美容師さん、って答えたら、なんで美容師さんがここにいるのか、とか。詳しく説明するわけにもいかないし。
「俺は、美菜子ちゃんの恋人候補? まだ、了承して貰ってないけどね」
さりげなく隣に並んですっと自然に手を握られて、そんなことを言われたものだから、かぁっと顔に血が上る。
「りょ、亮介、さん…っ」
「照れた顔、かわいい」
楽しそうに笑う顔は、やっぱりかっこよくて、はっと周りを見ると、友達以外のクラスメートまでチラチラとこちらをうかがっているのに気付く。
「ど、どうしてここに?」
「やっぱり、朝セットしたのが大丈夫かも見たいし……何より、未来のカレシとしては、せっかくの美菜子ちゃんの卒業式、見たいし?」
「未来の彼氏?!」
「だめ?」
こ、これは、もしかして、見返してやろうの一環なのかな?
本当に良いのに。
「……そんなに、心配しなくても大丈夫ですよ。ちゃんと笑ってお別れできましたから」
こそっと耳打ちをすると、美容師のお兄さんは軽く笑って頭をなでた。
「じゃあ、踏ん切りもついただろうし、堂々と口説くだけだよ」
「ウソ……」
「ほんと。泣いた後、顔を上げてすっきりした顔で歩き出した美菜子ちゃんに一目惚れしたんだ。専属の美容師、欲しくない?」
笑いながら、今朝彼がセットしてくれた、ふわふわの髪を、すっとなでられて、私は挙動不審になりながら何度も頷いた。
「何コソコソと話してんのよ!」
突っ込みを入れられて慌てて振り返ると、ニヤニヤ笑う友人達がいる。
「後で、どうなったか教えてよね」
「たまには遠藤ちゃんの恋バナとかも聞きたいし?」
こんなからかわれ方、今までなくて、真っ赤になる。
「打ち上げの連絡はメールに入れとくから、末永く爆発しやがれ!」
べーっと舌出しながら叫んで私をその場から追い出すように彼の元へ突き飛ばしたのは、先日フリーになった友達だ。見せつけんなこのヤローと自虐ネタをぶっ込んで、速攻でツッコミ入れられてる。
みんなに見送られながら思った。
あれ? 結構、私、大切にされてる?
相手にされてないなんて思ってたけど、思った以上に、私は友達としてみてもらえていたのだろうか。
うれしい。きっと、彼がいなかったら、そんなことさえ気付かずに、彼女たちと疎遠になっていたかもしれない。
「うん、メール待ってる!」
笑顔で手を振って、彼女たちと別れた。
隣には、当たり前のように亮介さんがいる。
やっぱり、この人の隣はほっとする。慣れない感覚なのに、隣にいることに不安を覚えない。隣にいるのが当たり前のような安心感がある。
亮介さんって不思議だなぁ、なんて想いながらと校門を出ようとしたときだった。
「にらんでる男いるけど、知り合い?」
振り返ると、じっとこちらを見ている人が確かにいた。ずっと憧れていた彼だ。
どうしたんだろうと思いながら、とりあえず笑って手を振ってみる。
すると突然我に返った様子で、彼がぎこちない笑みで手を振ってきた。
「美菜子ちゃん、行こう」
亮介さんにうながされて、わたしはうなずいた。
昨日あんなに泣いたのに、そんな苦しささえ、もう遠い。悲しかったことよりも大事なことに目を向けさせてくれた人がいたから。
「亮介さん、ありがとう」
私は、高校を、卒業した。
「後悔、先に立たず、ってね」
まっすぐ前を向いて歩く彼女には聞こえないように、小さくつぶやく。
昨日、彼女が聞いているとも知らずに彼女を傷付けたのが、あの男なのだろう。
照れたのか、自覚してなかったのか、見栄を張ったのか、どちらにしろもう遅い。
鉄橋の下で大泣きしている姿を見たときは、実はちょっと引いた。すごいなーとこっそり眺めていたのだが、泣き止んだ後の何気ない動きに、心臓をわしづかみにされた。
あんなにぐずぐず泣いていたのに、驚くほどきれいに背筋を伸ばし、口元に笑みさえ浮かべて、まっすぐに前を向いたのだ。
だからといって、何がどうというわけではない。けれどその姿を見て、良いな、と思った。直感的に、好きだと思った。きれいだと、目が離せなかった。
目立つ子ではないだろう。取り立ててきれいというわけでもないだろう。けれど、どうしようもなく惹かれた。
小さな、自分への偽りが、どうしようもないところで足下をすくうことがある。
自業自得だよ。
俺は、君と違って間違うつもりはないから。
せいぜい指をくわえて後悔すれば良い。彼女を傷付けた報いだ。
少しずつ、だんだんとこの子はきれいになるだろう。自分にはその手助けができる。自分が良いと思った心根のきれいさが表情や雰囲気に現れるようになるのは、もう少し先だろうけれど。きっと、もっとずっときれいになる。その時にそばにいるのは自分でありたいと、並んで歩きながら願いを込めた。