1話︰森岬村へ
「野津山、5時回るまでに終わらせとけよ」
いつも通りのモップとブラシ。
周りの社員からの視線が集まる。
高校生が会社の清掃員のバイトなんかしているから珍しいのだろう。けれど構わず手を動かす。
なぜなら俺はこの仕事に誇りを持っている。………な訳がない。無心でこなしている。外を歩いても学生生活を満喫している高校生を目にするだけ。だったらこっちのほうがずっと楽に感じる。
いつも通り仕事を終わらせ、早く帰ろうとした時、横の部屋から会話が聞こえてきた。
「学生時代、しっかり勉強しててよかったな」
「でなきゃ俺たちも今『あれ』だっかもな」
聞こえてくる会話の『あれ』は、何を指しているか言われなくてもわかった。俺だって、少し前までは普通だったのに。ああ、もう今日で辞めよう。明日からどうするのかとかは何も考えていないが、ちょうど今日が給料日だったのもあり勢いで決心してしまった。誰もいないボロ屋のアパートの家に帰り、家賃滞納の知らせを無視してそのまま布団へ。
朝起きるとバイトの時間を過ぎていた。そりゃそうだ。昨日何も考えず辞めるとか考えてたからアラームをセットしていない。どうするか。
「よし、もう死ぬか」
生きていてもただ辛いだけだ。でもこのまま死ぬのも嫌だ。給料も入った事だし、最後にどこか旅しよう。必要な荷物を詰めて自分にとっての唯一の高級品とも言えるキャリーケースを引いて家を出る。そもそも旅が好きだったからと一応残しておいたのが役に立った。最後の居場所だったボロ家を後にする。
―家を出てから3日。東京から出発し、なんだかんだで今は和歌山の海沿いの田舎町にまで来てしまった。この3日間は全てを忘れられて楽しかった。
しかし日も暮れて、通帳の数字は一桁に近づいてきたしお腹も減った。海岸に降り、浜辺の崖にふらふらともたれる。俺の人生ももう終わりか。夕日が綺麗だ。別に後悔はない。これまでを振り返る。
「いい人生だった⋯⋯…いや…悪いか」
「最後の言葉にしちゃあ、しょぼいな」
「だって別に何も……うぇっ」
いつの間にか横におじさんが座っていた。
え?なんで?誰?なんかちょっと笑ってるし。
「なんや、 うぇっ って。そんなん言われたら、泣くで」
「そりゃなんか言うでしょ、急に横にいるんですから」
「んで、なんや見た感じ、自分、死のうしてんの」
「なんて言うか、まあ…」
「そうか」
おじさんは立って俺を見る。
「なんか知らんけどとりあえずうちきいや。夜やても外は暑くて耐えられんわ。小龍包なってまうわ。」
何だこの人は。最後の一言が無かったらかっこよかったのにな。でももしかしたら何か未来が変わるかも。死ぬくらいならもう着いて行こう、そう決心した。
「ほい、着いたで」
そう言われて見えてきたのはごく普通の一軒家。2階はあるようにもないようにも見えるくらいの高さ。
「で、急に中まで入れちゃったけども、死にそうなふりして人んち上がって貴重品とか盗んだりとか、そんなやつちゃうよな?」
「そんな人いませんよ。ていうか、だとしたら聞くタイミングミスってますよ」
「やんなやんな。そらそうや」
ひとりで笑っている。気楽な人だ。
「あー、の前に名前一応言うとこか。わしは前井勝や。で、今年還暦やで。還暦な。」
「あ、えと、野津山自由です」
「自由......珍しい名前やな。の割に死のうとかしたり自由ちゃうな。ん、逆に自由か?自由奔放に生きていたんかな。ええこっちゃ。」
「今の日本は腐ってます」
「反日を家にあげてもうたんか。趣味はデモか?」
「そういうんじゃないです」
これまでの自分に関することを勝さんに話す。
俺、野津山自由は去年まで普通の生活を送っていた。母と父との3人家族。高校にも通っていたし、友達もいた。けれど去年の夏、交通事故で両親が亡くなった。急に自分以外の家族を全員失ったショックは大きくて、先生や周りの人達は支えてようとしてくれたのに、学校には行かなくなって、仲良くしていた親戚の当てもなかった俺は1人で暮らし始めた。その後の生活は楽しいものではなかった。
「…なるほどな。そんで1人でずっと過ごして限界きてヤケクソなって小籠包なろうとしたんか」
「いや……あーうん、はい、そうです」
「こんな不幸が襲ってくる。やから日本は腐ってるんと」
「はい」
「なるほどな」
「はい」
「にしてもな」
「はい」
「主語デカいな」
「…はい」
本当はわかっている。助けてくれようとした人もいたのに、自分が全て無駄にし続けた事は。
「なんや、高校生やのにえらいハードな人生送ってるんやなあ。で、これからどないすんの」
死ぬつもりでここまで来たし、金も家も何も無い。
そう言うとおじさんが口を開いた。
「そうか。じゃあ金やるわ」
「はい?」
突然のことに戸惑う。
「いや、ありがたいですけど…すぐに尽きてまた同じようになるんです。住むあてもないし、お気持ちだけ頂きます。それに…」
「じゃあ家もやるわ」
「ありがたいですけどまたすぐに尽き………はい???」
なんて?なんつった?この人。
「ん?」
「ん?」
「なんやあと。何が足りんねん。車か?」
「いや、え、えと…家をあげるって言いました?」
「使ってない家が近くにあるし、そこ、住みいや。お前さんが誰かわし全然知らんけども、なんかこのまま死なれてもわしの名誉に関わるからな」
「名誉……出会ってすぐの人なのに?」
「おん」
「家を?」
「おん」
「あげる?」
「おん」
どんどん怪しくなってきた。なにか裏があるんじゃないか。けれど、俺にはこれ以外に選択肢がない。
「あげるていうても貸すって感じやし。まあ燃やしたり壁突き破らんかったりとかせんかったら好きにせえや。家具も1式あるしな。今日はもう遅いから、ここ、泊まっていき。わし特性のシュウマイ、食わしたるわ」
そこは小籠包じゃないのか。
こうして、悩む暇もなく会ったばかりのおじさんに生活援助をしてもらうことになった。なんでこんなに良くしてくれるんだろう。人生運が回ってきたということなのか。
「てか、自分、まずここがなんてとこか知ってるん?」
「いえ、何も」
「知らんとようこんな端んとこまで来たな。『森岬村』言うとこや。明日あんたの住む家見たあと好きにこの村回ったりし。特に何もない田舎町やけど案外楽しいかもしれんで。あ、学生もちょこちょこおるし、せっかくやし仲良くなっときいや」
いろいろとまだ聞きたいこともあったけど、それは明日にしよう。
その日は大きな期待と、それに勝る不安と困惑を胸に眠りについた。




