第20話 逸失の記録5【前編】
連続する“顔削ぎ事件”は、まるで何かに導かれるかのように
日本各地の古びた神社を舞台に繰り返されていた。
千葉・船橋の白幡神社で発見された凄惨な遺体からちょうど一日後。
長野県安曇野市の山間に佇む満願寺の裏手、朽ちかけた鳥居の下で
またひとつ、皮膚を削がれた死体が発見される。
翌日には群馬県伊勢崎市の龍神宮の山道脇。
さらにその次は栃木県足利市の門田稲荷神社の社殿裏。
続くように、山梨県甲州市の諏訪神社、神奈川県鎌倉市の宇賀福神社
埼玉県所沢市の桜木神社と、毎日のように報告される死体はすべて
同じ特徴を有していた。
顔面の皮膚は無残に削ぎ落とされ、首筋には深い引っ掻き傷
腹部には不気味な黒痣。
そして、胃の中からは共通して“繊維”のような異物が見つかっている。
これらの異常な状況は、各地の警察においても
無視できない連続性を示していた。
午後二時、非常事態を受けて召集された司法解剖担当医たちが
ひとつの会議室に顔を揃えていた。
部屋の照明は妙に鈍く、重く垂れこめた空気が漂っている。
刑事・志摩重蔵(しま じゅうぞう)は、テーブルに並ぶ資料に目を落とし
隣の矢代洸一(やしろ こういち)は静かに全体を見渡していた。
「お集まりいただきありがとうございます。既にご存知かと思いますが
我々はここ数日間で発生した連続殺人事件の法医学的所見について
皆さんの報告を伺いたい」
志摩の低く抑えた声が響く。
最初に口を開いたのは
千葉大学附属法医学教育研究センターに所属する
女医・白石美琴。
三十代半ば、理知的な顔立ちと落ち着いた口調で知られる
法医学のエキスパートだ。
「白幡神社での遺体ですが……やはり“顔皮剥離”
そして表皮下出血を伴う黒痣が腹部に広がっていました。
首の引っ掻き傷は自死では説明がつきません。
非常に強い力で、爪かそれに類するもので
引き裂かれたものと考えられます」
その言葉に、志摩は無言で頷く。
「そして、胃の内容物から、布繊維のようなものが……」
次に報告したのは、群馬県警から派遣された
解剖医・川崎文彦。
五十代前半の男性で、長年法医学に携わってきたベテランだ。
「こちらでも状況は同じです。顔の皮膚は
非常に鋭利なもので削がれていましたが、刃物特有の切創痕とは
微妙に異なる断裂痕があり、まるで“引き裂いた”ような……。
胃の中からも同様の繊維が出てきました。
焦げたような痕もあり、何らかの異常熱が加わっていた可能性もあります」
続いて報告に立ったのは、若手ながら冷静な分析で評価の高い
栃木県警の解剖医・安藤楓。
二十代後半の女性で、今回の異常性に強い不安を抱いていた。
「同様の痕跡が見つかっています。顔の削がれ方も
引き裂くというより“削ぎ落とす”……人間業ではないとすら感じられました。
胃の中の繊維は、人工的な化繊と思われる素材でした。
何か、決まった意図があるように思えてなりません」
報告を聞くたびに、志摩も矢代も言葉を失っていった。
他にも山梨・神奈川・埼玉の各県から集められた法医学者たち──
中年の男性医師で言葉少なな山口克則
壮年の女性医師・遠藤光代
初老の男で、異常事案に特化してきたという熊谷仁志
彼らも同様の見解を示した。
誰もが同じような遺体を、異なる場所で異なる日に見たにもかかわらず
その状態は“まるでコピーされたかのように”一致していた。
室内に沈黙が落ちる。
矢代が小さく息を吐き、声を発する。
「……何か、儀式的な意図があると考えるべきかもしれませんね。
ここまで酷似しているとなると」
「だが、それを誰が……そして何のために?」
志摩が低く呟いた。
医師たちは互いに視線を交わし、再び重苦しい沈黙に包まれる。
「……顔の皮膚を削ぐ。腹部の黒痣。
首の引っ掻き傷。
そして、繊維。
まるで何かを“封じている”か、“開いている”ようにも思える。
だが、現実的な説明ができん」
川崎がそう言い残し、疲れたように椅子に沈んだ。
志摩と矢代は報告のすべてを書き留めた資料を手に、部屋を後にした。
国道を走る車内。
志摩がハンドルを握り、矢代が助手席に座っている。
「で、今日の訪問先って……誰に会うんです?」
矢代が問いかける。
志摩は短く、会えばわかるとだけ答えた。
「そりゃまた、意味深な……」
車は都内にある雑居ビルの一角に差しかかる。
看板には『月刊オカルトクロス編集部』の文字があった。
エレベーターを上り、編集部の扉を開ける。
中では数人の編集者がバタバタと作業していた。
「すみませーん。佐伯さん、いますか?」
編集室の奥から、カジュアルな服装の中年男性が顔を出す。
その男、佐伯彰人(さえき あきひと)は
オカルト雑誌界隈ではちょっとした有名人だった。
「やあ、刑事さんたち……とうとう来たね」
志摩が静かに頷く。
「……例の“顔を削がれた死体”の話、もう知ってるんだろ?」
佐伯は頷き、机に山積みになった資料を指差した。
「……全部、“神域消失”伝承と繋がってる可能性がある。
神社が存在する場所には昔から“結界”があって
それが破られたとき、何かが現れるって話だ。
お二人さんは今、その“始まり”を
追ってるだけに過ぎないのかもしれない」
刑事二人は、思わず顔を見合わせる。
「まさか……この世のものじゃないっていうのか?」
佐伯はニヤリと笑った。
「だったら、怖いかい? それとも……もっと知りたいか?」
重たい空気が編集部を包み始めていた。
(→ 後編へ続く)