第18話 逸失の記録4【前編】
志摩と矢代が廃神社に訪れてから三日後。
再び犠牲者が現れる事になる。
深夜0時を過ぎた頃
涼やかな風が、茨城県大洗町にある
大洗磯前神社の境内を吹き抜けていた。
神社の灯りは薄暗く、月明かりさえも
遊び心をくすぐるかのように、
恐怖を孕んだ静けさの中に漂っていた。
若いカップル、健太と美咲は、
肝試しのためにこの場所を選んだのだ。
「本当にここ、怖いかな?」
美咲が駆け寄る。
若干の不安と好奇心が
入り混じった視線を健太に向けた。
「大丈夫だって、ちょっとした肝試しだよ。
俺がいるから安心しな」
健太は笑顔を作ってみせたが、
内心は
不安を拭いきれなかった。
彼は夜の神社が持つ
神秘的な雰囲気を
肌で感じつつ、彼女を
安心させようと必死だった。
彼らは神社の境内へと
足を踏み入れた。
静寂の中に、
木々のさざめきが時折聞こえる。
冷たい石の階段を上り
神社の本殿に着いたその時、
美咲はふと何かに
引き寄せられるような
感覚を覚えた。
「健太、何か変な感じがする…」
美咲は目を細め、
周囲をぎょろりと見渡す。
「気のせいだよ。まさに肝試しって感じ」
健太はおどけた様子で
彼女を笑わせようとしたが、
内心で何かが
彼を不安に陥れていた。
時間が経つにつれ、
健太の表情は
次第に硬くなっていった。
美咲が話しかけるたびに
彼の眼はどこか上の空に向かい、
心ここにあらずといった様子だ。
「ねぇ、どうしたの?なんか様子おかしいよ?」
美咲は不安を抱え、彼の腕に触れる。
「・・・・・・呼ばれてる。行かなきゃ。」
突然、健太が呟いた。
その顔は青白く、
まるで何かに
取り憑かれたかのようだった。
「え、何を言ってるの!?」
美咲は焦り、腕を強く掴む。
だが彼は振りほどくようにして、
ふらふらとした足取りで
神社の奥へと歩き出そうとする。
「健太!待って!」
叫びながらも、
彼女は立ち止まるしかなかった。
健太はすでに
彼女の声を聞いていないようだ。
「行かなきゃ…」
その言葉を繰り返しながら、
暗闇の中へと消えていった。
美咲は混乱した。
周囲には誰もおらず、静かな神社の中に
ただ彼女だけが取り残された。
恐怖のあまり、彼女は声を絞り出す。
「健太!どこに行ったの!?」
返事はない。
彼女は慌てて
神社内を探し回ったが、
すぐに諦めて警察に
電話をかけることにした。
「お願い!彼氏が
神社でいなくなったんです!」
震える声で伝えると、
警察はすぐに来ると約束した。
待つ間、緊張と恐怖が彼女を包む。
やがて、赤いパトカーのサイレンが響き
警官が二人、車から降りてくる。
彼女は彼らに事情を説明し、
助けを求める。
片方の警官が神社内に入って探索し、
もう一人が彼女の隣に立ち、
冷静に状況を整理する。
「彼氏はどこに行ったの?
最後に見たのはいつ?」
冷静な口調で訊ねる警官に、
美咲は必死で答える。
「さっきまでは一緒に…でも、
急におかしくなって、どこかへ…。」
泣きそうな声が漏れた。
数分後、警官は探索を終え
「……だめだ。見つからない」
と報告し、美咲を自宅まで送ることになった。
翌朝、唐突に訪れた恐怖は
まだ彼女の胸に残っていた。
静かな街に響く
犬の吠える声が何とも耳に残る。
老人が愛犬と散歩の途中、
大洗公園の展望台付近を
通り過ぎたとき、
何かが目に入った。
腹ばいに倒れている男性。
老人は驚き、息を飲む。
滑らかな肌が白く
まるで布を被っているかのような不気味さ。
彼は急いで携帯電話を取り出し
110番した。
警官が到着すると
すぐに老人から事情を聴取し
倒れた男性の姿を確認する。
無反応なその顔に
彼らは思わず身を引いた。
冷静に判断し、
仰向けにすることに。
その瞬間、
恐怖が警官の中で広がった。
”顔が削ぎ落とされた”状態で、
すでに息絶えていた。
「これは…どうなってるんだ…?」
一人の警官が言葉を失った。
筑波大学附属病院――。
そこに勤務している
医師の一人
**松井 雄介**(まつい ゆうすけ)。
当直である彼は今、
助手の佐藤と二人で
解剖室に立っていた。
静かな解剖室で、松井は
その日行われる検死に備え
新たな緊張感を覚えていた。
冷たい器具や
真っ白なスモックが散らばる中、
彼は工作台の上に
横たわる男性の遺体を見つめた。
「異常なほど滑らかに削がれた顔…」
松井は深い息をつき、観察を開始する。
外部観察の段階で、目の周りや
鼻、口といった部分が
異常に滑らかに削がれている様子を確認する。
……恐ろしさに目が眩む。
「何という異様な光景だ…」
心の中でささやき、
冷静を取り戻そうとしたが
目の前の物体に恐怖が込み上げてくる。
彼はさらに観察を続けるが、
首元にひどく傷んだ跡を見つけた。
その様子は、まるで
誰かに引っ掻かれたかのようだ。
痛々しい痕跡に
思わず目を逸らさなければならない。
「こういうケースは初めてだ…」
彼は気合を入れ、再び外部観察に戻る。
次に腹部に目を移す。
そこには黒い痣があり
彼はじっとその部分を見つめる。
どす黒く変色した皮膚
直感的に何か悪い兆しを感じた。
「この痣がどこから来たのか…」
松井は思考を巡らせる。
腹部を開けると
異常が待っているのかもしれない。
心拍が早くなるのを感じながら
彼は手袋を装着し、ついにメスを持つ。
胃に到達すると、
彼はスプーンを用いて
内容物を掻き出した。
その時、
何かが引っかかるような感覚を覚えた。
「これは……繊維?」
彼は驚愕の表情を浮かべた。
何か異様なものが胃の中に存在していた。
その繊維は赤のようでいて
黒いような不思議な色で
助手の佐藤も
不思議そうに首をかしげる。
「何の繊維だろう。手掛かりになりそうだが…」
彼らはこれを
一種の証拠として記録するが、
それが何を示すのかは
誰も分からなかった。
傷跡や肝臓の異常、
さらには繊維が引き起こす恐怖。
松井は吐き気を堪えながら
慎重にサンプルを採取する。
「病理検査に回さなければならないな…」
冷静に、必要なサンプルを助手に手渡す。
胃と肝臓の異常に見舞われたこの遺体は
彼の心に悪夢を刻み込み続けた。
「全てが解決に繋がることを願っている。
しかし、この恐怖は…」
松井は目を閉じ、
事務的に作業を進めながらも
心の中で呼ぶ声が
遠くから脳裏に迫る。
「何が起こるのか…
どれほどの悪夢が待っているのか」
胃から取り出された繊維。
可視化された傷跡。
そして不気味な痣。
それを見つめる松井の目には、
決して消えない恐怖が宿っていた。
彼は最後の作業を終え、
サンプルを病理検査に委ねると
やがて静寂の中に
安堵のため息が零れる。
松井がぽつりと呟く。
「何故胃の中から繊維が……。
一体何なんだ、あれは?
それに、首元の引っ掻き傷。
黒い痣……」
初めて目にした
”顔を削がれている”遺体。
それだけでも十分に
混乱しているのに
感情も思考も
酷くかき回されている
そんな感覚に陥る。
「……何なんだ」
苛立ちが松井を静かに包む。
それは、まだ見ぬ真実への
不安が満ちていることを示唆していた。
(→ 後編へ続く)