第13話 逸失の記録1【後編】
その一報は、午前四時半という
誰もが眠りの淵に沈む頃、警視庁の一部に届いた。
都内某署、捜査第一課の臨時事務室では
蛍光灯の冷たい明かりに照らされた机上に
無言のまま数枚の写真が置かれていた。
「……鑑識からの報告が上がった。
見たくないなら、目を伏せてくれ」
中年の刑事が低く呟く。
そこには、例の廃神社で発見された、二名の若者の遺体写真があった。
いずれも酷い損壊を受けており
その様は、とてもこの世のものとは思えなかった。
第一発見者の証言によれば、
配信の電波が不安定になった直後
音沙汰のなくなったユーチューバーのメンバーを
心配した他の同行者が
周囲を探索していた最中に偶然遺体の一部を見つけたという。
写真には、真っ赤な血で染まった苔の岩場に横たわる若者の姿があった。
顔の皮膚は丁寧に
─いや、異様なほど無機質に削ぎ落とされ、眼球さえも抉られていた。
まるでそこに“顔”という概念があったこと自体を否定するかのように
のっぺらぼうのような生々しい肉塊だけが残っていた。
「……爪の間に他人の皮膚が詰まっていたそうだ。
相当な抵抗を試みた形跡だ。だが……」
刑事は言葉を切った。
「その皮膚が、本人の物と一致した」
言葉の意味を理解するのに、一瞬時間がかかった。
だが、それが何を意味するか、すぐに分かる。
──自分の顔を、自分で削ぎ落とした。
その非現実的な光景が、写真から臭気となって滲み出てくるようで
室内の空気は一気に淀んだ。
もう一人の遺体には、絞殺されたような痣の跡が
胸部から腹部にかけて存在していた。
だが、それは外部からの締め付けによるものでも
内部から破裂したわけでもなかった。
皮膚の下に、誰かの手が滑り込んで、内部から絞め上げたような
──説明不可能な力が働いた形跡だけが残っていた。
首には、恐怖に駆られた人間が最後に取る本能的な行動、
すなわち自分の身体を傷つけてでも
何かを“引き剥がそうとした”証として
無数の引っかき傷と膿を伴うただれた跡が刻まれていた。
「こんなもん、動物の仕業ってわけじゃない
……いや、人間の手にすら思えねえ」
刑事たちは写真を伏せ、重苦しい沈黙のなか
次なる行動の指示を待った。
その一方でSNSや動画配信サイトでは、
事件直後から無数のコメントが飛び交い、憶測が憶測を呼んでいた。
《あの神社、マジでヤバいって》
《あれ絶対、放送中に“何か”映ってた……》
《コメント読んでた奴なら分かると思うけど、
最後に「後ろにいる」って連投されてたの知ってる?》
ある者はホラーとして興奮し、ある者は事態の深刻さに怯え
またある者は「黒いワンピースの女が見えた」と投稿していたが
いずれの書き込みも数時間と経たずに削除されていた。
さらに不可解な現象が続く。
この配信をリアルタイムで観ていた者たちの中に
体調不良を訴える者が続出し
その中には軽度の視覚障害、幻聴
さらには“見覚えのない顔が夢に出てくる”と証言する者もいた。
当然ながら警察は事件性の有無を確認するべく
関係者に事情聴取を試みたが
残された三名のメンバーの証言は曖昧で
明確な記憶が“飛んでいる”としか言いようのない
齟齬ばかりが残った。
そして、事件当夜の動画は
生配信後数時間でプラットフォームごと削除された。
運営側の公式コメントは
「規約違反のため」と簡素な一言のみ。
動画のアーカイブやスクリーンショットも
次々と消され、誰が何の目的で削除したのか
実態は掴めていない。
ネットでは「国家権力による情報統制」だとか
「新興宗教との関連性」など
ありとあらゆる陰謀論が浮上しては沈んでいった。
──だが、真に恐ろしいのは、そうした
情報の海に溺れた“声なき真実”である。
捜査本部の一室、監視カメラに記録された映像を
解析していた鑑識官が
小さく呟いた言葉が、すべての始まりを告げていた。
「……奇妙だな。事件当夜、配信機材の近くに
土が掘り返されたような跡があった」
「手帳のようなものを拾い上げて、ポケットにしまう仕草が見えたが
──その人物は、メンバーの誰でもない」
「記録には映っていない“何か”が、そこにいた。
……顔が、映っていなかった」
その言葉は、まるで呪いのように室内の空気を変えた。
不可視の恐怖が、
またひとつ人知れず爪を立てた瞬間だった。
(→ 次話に続く)