プロローグ
釣り糸を海に垂らし、竿先をじっと見つめる。魚がかかるのを待ちながら、時折波が岩を噛む音に耳を澄ます。
しばらく釣りに没頭していると、海面で魚が跳ねていることに気づいた。やがて釣り糸が微かに震え、竿先がしなやかに曲がる。これで魚がかかったと分かる。慣れた手つきで魚を引き上げ、引き寄せた魚を手に取る。また失敗か、と思わず口に出した瞬間、遠くから声が響いた。
「陽介、また釣れたぞー」
驚いて声のした方へ振り向くと、まだ三月だというのに半袖に短パン姿の人物がこちらに手を振っている。その手には、軽く五十センチは超えるであろう鯛が握られており、銀色の鱗は太陽の光を浴びて、独特の輝きを放っていた。
「おお圭一、こっちは全然ダメだ。小さいのがたったの二匹しか釣れなかった」
陽介は釣竿を手にしたまま肩を落として答えた。
圭一はにっこりと笑いながら、釣ったばかりの鯛をこちらに向けて言った。
「こっちは大漁だよ。ほら見ろよ、こんなに大きいのも釣れた」
陽介は黙ってその鯛を見つめる。
島育ちのせいか、圭一は釣りの腕前が優れていた。
陽介は圭一の自慢話を聞きながら岩礁に腰を下ろし、話半分に耳を傾ける。圭一の自慢話は止まることなく続き、陽介はただ静かにそれを受け流す。
話に一区切りがつくと、圭一はふっと立ち上がり、陽介に向き直った。
「さて、腹も減ったしそろそろ家に戻るかな。お前も来るか?」
圭一が座っている陽介に言った。
陽介は少し考える素振りをした後、黙って首を横に振る。
「そうか、でも明日はこの辺りに台風が来るって話だぞ」
まじか、と少し驚いた様子で陽介が呟く。
黒羽圭一とは同じ大学の同級生だ。初めのうちは、特に接点もなく顔を合わせることも少なかった。しかし、出身地が近く、釣り好きという共通点があって、今では親友とまで呼べる仲になった。
瀬戸内の島出身だという圭一の島に、陽介は三日前にやってきた。浜辺にテントを張り、存分に趣味に浸っていたというのに、これでは家にお邪魔させてもらう他ない。
「わかった。宿泊費とか飯代とかは後で出すよ」
「気にすんなって。とりあえず家まで案内するよ」
圭一の言葉が終わると、陽介は立ち上がった。絵画の如く穏やかな海に背を向け、二人は浜辺へ歩を進めた。