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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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婚約破棄された腹いせに、元婚約者(王太子)の新しいお相手に「よかったわ。とんだ不良債権をもらっていただいて。これで私は晴れて自由の身よ!」と、悔し紛れの捨て台詞を残したら、国が潰れてしまいました。

作者: 大濠泉

◆1


 大陸中央に位置付くトレド王国――。

 その王宮で、新春を祝う舞踏会が開かれていた。

 例年のごとく、若い貴族の令嬢や令息が、百名近く参加している。


 私、フレイア・ミルド公爵令嬢も、当然、純白ドレスを身にまとい、主賓級の扱いで参加していた。

 あと一ヶ月もすれば、婚約者である王太子ライン・トレド殿下と結婚し、将来は王妃にもなろうかという立場だった。

 だから、こうした王家主催のパーティーは外せない。


 現に、お屋敷から王宮の舞踏会場へは、ライン王太子によるエスコートで歩を進めた。

 いつも通り、王太子殿下は柔らかな笑顔を浮かべて、私を導いてくれる。

 ところが、会場に入ってから、彼の態度が急に冷たくなった。

 一気によそよそしくなったのだ。


(あれ? 私、何かマズいこと、しちゃったのかしら?)


 不思議には思ったが、特に意識せず、いつも通りに、私は振る舞った。

 何の落ち度も思い当たらなかったから、気持ちを切り替えたのだ。

 殿下には殿下の事情があるのだろう。

 実際、いまさら舞台中央でダンスをしたいわけでもないんだし、と思い直し、自由行動を始めたのだ。

 こうして、婚約者の態度急変について、さして気にも留めず、私は会場のテーブルに据えられた豪華な食事を頬張っていた。


 すると、ふと気付けば、ステージの壇上に、王太子殿下が昇っているではないか。

 そして、彼の胸元には、私ではない、別の女性を抱き寄せていた。

 ライン王太子は、片手で赤い髪を掻き分け、会場全体に響き渡る声で宣言した。


「私、トレド王国の王太子ラインは、ここに宣言する。

 ついに、真実の愛を見つけた、と。

 ゆえに親同士が取り決めただけの相手、フレイア・ミルド公爵令嬢との婚約を破棄する!

 そして、私が心から愛する女性――パミル・レーン男爵令嬢と新たに婚約し直させてもらう!」


 まさに爆弾発言だった。

 舞踏会場だというのに、一瞬で、華やいだ雰囲気は消し飛んでしまった。

 居並ぶ貴族令息も令嬢も、身じろぎもしない。

 私もどう反応したら良いかわからず、扇子を広げて口許を隠すしかなかった。


 婚約者による思いがけない発言を受け、私、フレイア公爵令嬢は呆然としてしまった。

 金色の髪が逆立ち、碧色の瞳が大きく見開かれる。

 壇上からは、元婚約者の王太子が、青い瞳でジッとこちらを見下ろしていた。

 その隣では、新たに婚約者となったパミル男爵令嬢の黄色の瞳が、興味深そうに輝く。

 どちらの瞳も、私の反応を窺っているようだった。


 私は、未婚の女性にとって、まったく厳しい状況に立たされてしまった。

 幼い頃からの婚約者に、結婚が目前に迫った段階で、婚約破棄をされてしまったのだ。

 しかも、相手の男性は、未婚者の中で、我が国一番の高位者といえる王太子である。

 まず、不祥事を起こしたのは、女性である私、フレイアであろうと、誰もが思うはず。

 何を言わなくとも、男性側が紳士的に事情を秘匿しているのだと、誰もが勘繰る。

 まさか王太子殿下ともあろうお方が、平民のごとく「ついに、真実の愛を見つけた」などという恋愛感情で、婚約破棄をするはずがない、と貴族家の者なら、誰もが思うからだ。


 でも、私は知っている。

 彼――ライン王太子殿下は、身分にふさわしくないほどのロマンチストであることを。


 つまり、若い男のロマンチズムのせいで、私は不幸の道、まっしぐらとなったのだ。

 これから、王家との絆が絶たれ、私の家族にも多大な迷惑をかけることになるだろう。


 でも、私に落ち度があったわけじゃない。

 強いて言えば、ライン王太子のご機嫌を取って、王宮の中庭や、王都の街中で、他人の目にはばかることなく、手をつないで散歩したり、ハグしあったりすれば良かった、と反省するぐらいだ。


 でも、そんな平民じみたマネ、公爵令嬢である私にはハードルが高くてできない。

 手をつないで散歩したいんだったら、せめて殿下の方からリードしてくれなきゃ。

 ああ、そう言えば、ライン殿下、いつか顔を赤らめながら言ってたわね。


「女性の方から、積極的にリードしてくれるのも、なかなか良いもんだね」と。


(そうか。

 殿下をリードして、街中散歩した女性が、あのパミル男爵令嬢ってわけかぁ……)


 私、フレイア公爵令嬢は、意を決した。

 お相手が心変わりしたのなら、仕方ない。

 たしかに、おっしゃる通り、私たちは「親同士が取り決めただけの相手」なのだから。


 私は胸を張って、壇上にある王太子の許へ、ツカツカと歩み寄る。

 そして、王太子と、その胸に抱かれているお相手に向かって、パチンと扇子を閉じて差し向け、凛とした声で言い放った。


「よかったわ。

 とんだ不良債権をもらっていただいて。

 これで私は晴れて自由の身よ!」


 実際には、別にライン王太子から、酷い扱いを受けたことはない。

 特に冷遇もされていない。

 ライン王太子の評判は良く、「不良債権」と呼ばれるいわれなど、まるでない。

 でも、私は悔しかった。

 何の落ち度もないままに、未婚女性として、これから窮地に立たされてしまうのかと思うと、暗澹(あんたん)たる気持ちになる。

 だから、これぐらいの捨て台詞を吐いたところで、バチは当たらないだろう。


 私、フレイア・ミルド公爵令嬢は、こうして一言、捨て台詞を残しただけで、颯爽と身を(ひるがえ)し、会場から立ち去ったのであった。


◆2


 幼少時から婚約関係にあったライン王太子が、筆頭公爵家の令嬢フレイア・ミルドに対して、婚約破棄を宣言した。

 それも、衆目集まる舞踏会の場で――。


 この事件は、当事者たちが思う以上に、トレド王国の貴族社会を揺るがすこととなった。

 結婚間近と言われた、王国最大のビッグ・カップルに、いったい何があったのか。

 瞬く間に、その事件は国中に広まった。



 翌朝、ミルド公爵邸の執務室にて――。


 フレイア公爵令嬢は、父親ハミル・ミルド公爵に、泣きながら報告する。


「お父様、ごめんなさい。

 自分の力が及ばず、一方的に婚約破棄されてしまいました」と。


 いつも明るい娘が、金髪を震わせながら、涙を流す。

 当然、ハミル公爵は、若い貴族令息や令嬢が参加した舞踏会において、ライン王太子が娘を公衆の面前で婚約破棄宣言をしたことを、すでに多方面から聞き及んでいた。


 子煩悩な父親ハミル・ミルド公爵は、口をへの字に曲げる。

 もちろん、怒っているのではない。

 娘が不憫でならなかったのだ。


「森の別荘へ行って、ゆっくり休みなさい」


 父親は愛する一人娘に、気晴らしにバカンスを楽しむよう提案した。

 ミルド公爵家の領地は広く、広大な森林地帯に隣接する別荘地がある。

 その「森の別荘」――南方の別荘地スタイは、〈常夏の地〉とも称されるほど気温が高く、大きな湖と鬱蒼とした森を擁している。

 フレイアにとっては、幼い頃、冬の季節に、よく遊びに行った想い出の場所だ。

 心の傷を癒すためには、もってこいの地に思われた。


「お心遣い、ありがとうございます」


 フレイアはスカートの裾をちょこんと押し上げて、執務室から出て行った。



 自室に戻ると、フレイアは着替えもせずに、仰向けになって、ベッドに倒れ込む。

 そして、馴染みの侍女メリルにお願いした。


「しばらく王都を離れるわ。

 お父様がスタイの別荘で休むように勧めてくださったの。

 そうね――滞在は、ちょっと長くなるかも。

 準備をお願い」


 これからどうしたら良いか。

 今のフレイアには、何も思い浮かばなかった。


 侍女のメリルが褐色の瞳で心配そうに覗き込んでくるので、彼女は声をかける。


「ごめんなさいね。不自由をかけて」


 メリルは慌てて亜麻色の髪を整えてから、姿勢を正す。


「いえ、私はお嬢様が行かれるところなら、何処へでもお供いたします」


「ありがとう。

 カーテン、閉めてくださる?

 今日は、何もする気が起きないわ」


 昨晩、突然、王太子から婚約を破棄されて、気が動転していたのだろう。

 ほとんど一睡もできないままに朝を迎え、お父様であるハミル公爵に申し開きをし、朝食もほとんど手をつけていなかった。

 今になって疲れがドッと出たらしい。

 そのままベッドの上で、スヤスヤと寝入ってしまった。


 そんなお嬢様の様子を見て、侍女メリルはそっと涙を拭う。

 目を覚ましたら、少しは何かを食べてもらおうと、軽い食事を用意するために、部屋を出て、厨房に向かう。


 廊下に出ると、黒髪に黒い瞳をもつ、若い執事シュルツが待ち構えていた。

 彼は、最近、ハミル公爵(旦那様)のお気に入りになって、頻繁に用事を言い渡されるようになっていた。


 執事シュルツは、同僚に語りかけるような口調で問いかける。


「メリル。お嬢様のご様子はどうだい?

 旦那様がいたく気にしておられる」


「そんなこと、言われなくとも、わかってるわよ」


 侍女メリルは亜麻色の髪を掻き分け、悔しがる。


「明るげに振る舞いなさっていた裏で、深く思い悩んでいらっしゃったようです。

 お嬢様の内心を汲めなかったのが、悔やまれます」


 執事のシュルツも、黒い瞳を憂いに沈めて反省した。


「いつも明るくいらっしゃったので、王太子との仲は、てっきり順風満帆かと……」



 若い執事はそのまま執務室に戻って、公爵夫妻に娘フレイアの状態を伝えた。


 父のハミル・ミルド公爵は、娘が一睡もできておらず、今になって眠ったと聞き、ひとまずは安堵の溜息を漏らした。

 ついで、金髪の顎髭に手を当て、小首をかしげる。


「長年仕えている侍女にも、何も言っていなかったとは。

 いったい何があった?

 ライン王太子は優秀で、人格者だと思っていたが……」


 母親であるヒル・ミルド公爵夫人も、碧色の瞳に、悲しみの色を湛えた。


「私たちの娘が『不良債権』とまで、口にしたのですよ。

 何かを知ってしまったに違いありませんわ」


 そう口にして、銀色の扇子を押し広げる。

 ハミル公爵は椅子から身を乗り出した。


「何を知ったというのだ?」


 しかし、夫人も執事も、首を横に振るのみ。

 何も思い当たるところがない。


 ハミル公爵は、ドシン! と大きな音を立てて、椅子に座り直す。


「とにかく、ライン王太子には、このまま王位を継いでもらうわけにはいかない。

 我がミルド公爵家を甘く見た報いをくれてやる。

 今までは俺が王太子の後ろ盾を担ってきたが、手を引かせてもらおう」


 そこで、傍から声がかかった。

 ずっとハミル公爵の傍らで控えていた、白髪の老家令ジッドだ。

 彼こそが公爵家の経営を一手に担ってきた男で、執事シュルツの父親でもあった。


「それでは、第二王子派が幅を利かせてしまいます。

 よろしいのですか、旦那様。

 これまでの政略が無駄になってしまっても――」


 第二王子派は、ハミル・ミルド公爵が、今まで敵対してきた派閥だ。

 第二王子スペア・トレドは、我儘で粗野な性格をしており、すぐに褐色の瞳を怒らせる、瞬間湯沸かし器のような男である。

 後援する派閥も腐敗しており、派閥の領袖たるミッドライト公爵は第二王子に似て脂ぎった小太りの体格で、方々から賄賂を受け取り、私腹を肥やしていると有名だ。

 だから、敵対してきた。


 だが、事情が変わった。

 せっかく婚約者として差し出した可愛い娘を、ライン王太子は愚弄したのだ。

 父親としては、たとえ王太子だろうと、許せるものではない。


「ラインという男など、俺は知らん。

 どうなっても構わん。

 あの恩知らずめ。

 表面的には温厚な素振りをしながら、裏があったのだ。

 それを娘のフレイアは見てしまった。

 ああ、可哀想に。

 このまま縁談を推し進めようとした父が愚かだった。

 なんとしても、ラインめの裏の顔を暴け。

 これは王国の将来を左右する重大案件だ」


 執事のシュルツは頭を下げ、


「はっ!」


 と声をあげるや、執務室から飛び出して行った。

 王宮に勤める官僚たちなどのツテを頼りに、ライン王太子に探りを入れに走ったのだ。


 また同時に、ハミル・ミルド公爵は、長年仕えてきた老家令ジッドに、これからは娘フレイアに仕えるよう申し渡した。

 自分の面倒は、おまえの息子シュルツに見てもらうから、と。


 老家令は喜んで頭を下げた。


◆3


 愛娘を、ライン王太子によって婚約破棄された結果――ミルド公爵家の面々は、狂騒状態に陥っていた。


 その一方で、新たに婚約者となったパミル・レーン男爵令嬢も、内心の動揺を抑え切れない状態になっていた。

 キラキラ輝いていた黄色の瞳も伏目がちになり、昨日まで鮮やかな色彩を放っていた緑色の髪も、着慣れた赤いドレスも、今日は心なしか(くす)んで見える。


 パミル男爵令嬢には、自負するところがあった。

 繊細なところがあるライン王太子の気持ちを汲むことなく、明るい調子一辺倒のフレイア公爵令嬢を、ようやく出し抜くことができた、と。

 見事に、人々からの注目を浴びる場で、「ついに、真実の愛を見つけた」とまで、ライン王太子に言わしめた。

 オンナとして完全に勝利し、将来の王妃の座をゲットしたのである。


 ところが、そう思ったところで、元婚約者から、最後の最後に、思いも寄らぬ捨て台詞を吐かれてしまった。


「よかったわ。

 とんだ不良債権をもらっていただいて。

 これで私は晴れて自由の身よ!」


 そう語って身を(ひるがえ)す、フレイア・ミルド公爵令嬢の姿が、目に焼き付いて離れない。

 まるで身の潔白を明かすがごとき純白のドレスを身にまとい、金色の後ろ髪をなびかせて立ち去るその姿は、婚約破棄を言い渡された負け犬のそれではなかった。

 背筋がピシッと伸び、威風堂々とした、勝利者の姿であった。


 パミル男爵令嬢は、フレイア公爵令嬢から、婚約者のライン王太子を奪ったにもかかわらず、少しも勝利した気分にはなれなかった。


 おかげで、三日後、王宮の応接室で開かれた二人だけのお茶会も、ぎこちないものになった。

 パミル男爵令嬢は、(すが)るような目つきで、ライン王太子に問いかける。


「どういうことですの?

『不良債権』だなんて……」


 新たな婚約者から尋ねられても、王太子殿下は、肩をすくめるばかり。


「まるで思い当たるところがない。

 あんなの、彼女の悔し紛れだよ。

 君は何も気にする必要はない。

 これで晴れて私たちの仲が公認されたんだ。

 会場にいた皆が証人だ」


 ライン王太子は、赤髪をちょっと掻き分けて、青い瞳を細める。

 彼としては、「ついに言うべきことを言った」と満足しているようで、今も悠然とお茶を(たしな)んでいる。


 だが、パミル嬢としては、お茶を(たの)しむどころではない。


(それがマズいのよ。

 皆が聞いてしまった。

 彼女の『不良債権』という台詞を……)


 改めて思い返してみる。

 彼女――元婚約者のフレイア・ミルド公爵令嬢は、こう言った。


『よかったわ。

 とんだ不良債権をもらっていただいて。

 これで私は晴れて自由の身よ!』


 ――この台詞を耳にした者は、誰もが思うことだろう。

 今までライン王太子殿下のせいで、彼女――フレイア公爵令嬢は自由を奪われていた、何かに縛り付けられていたのだ、と。

 何に縛り付けられていたのかは、いまだ定かではない。

 普通に考えれば、暴力が酷い、とか、拘束がキツイとか、ギャンブル癖がある、金遣いが荒いとか、あるいは奇妙な性癖がある、とかが考えられる。

 ところが、これまで付き合ってきた中で、ライン王太子に、そうした粗暴さも悪癖も見られなかった。

 至って紳士的な男性だ。

 だからこそ、自分は、陽気さだけが取り柄のフレイア嬢から彼を奪い取ってみせようと、パミル男爵令嬢は、学園時代からライン王太子を狙っていたのだ。

 何も王妃になりたい、といった政治的野心で動いたわけじゃない。

 国母たる王妃となるには、男爵位では軽すぎる。

 パミル嬢はもとより、そのことをよく知っていた。

 実際、パミル嬢の実家、レーン男爵家の両親は、昨晩、彼女が王太子殿下の婚約者になったと報告したら、腰を抜かさんばかりに驚いて、苦言を呈した。


「恋愛感情だけで結婚するのは、平民の振る舞いだ。

 おまえは我がレーン男爵家を潰すつもりか!?」


 と、お父様は足を踏み鳴らし、お母様に至っては涙ながらに抱きついて懇願する。


「すぐにでも婚約を辞退しなさい。

 貴女はミルド公爵家から怨まれても構わないというの!?

 きっと国王陛下だって良い顔はなさらないわ」


 正直、パミル嬢は、冷や水をぶっかけられた思いだった。

 恋愛感情で燃え上がった熱が、一気に冷めてしまったほどだ。


(これが大人の貴族社会の反応なんだ。

 誰も大人は祝福してくれない……)


 男爵家の娘には、王妃の座は荷が重い――わかっているつもりだったが、やはり甘かったのだ。


 現に、同世代ばかりが集った、あの舞踏会ですら、私が王太子殿下と婚約すると聞いても、水を打ったように静まり返ってしまった。

 だからこそ、フレイア公爵令嬢の捨て台詞が、会場にあれほど響き渡ったのだ。


(そうよ。

 きっと、フレイア嬢は何か、私が知らない、ライン王太子の身の上に「不良債権」と言いたくなるような真実を知ってしまったに違いないわ。

 それゆえに、かえって王太子殿下が彼女を嫌って婚約破棄し、私に婚約者を乗り換えたのかもしれない――。

 でも、まさか、ほんとうに、殿下に裏の顔がおありなのかしら?

 ただでさえ、男爵家の娘が王妃になるというのは、皆から祝福され難い状況なのに。

 もう泣けてきた……)


 パミル・レーン男爵令嬢はテーブルに手を突き、身を乗り出す。


「ほんとうに、何か、私に隠していないわよね?」


 ライン王太子も立ち上がり、真面目な顔で断言した。


「後ろ暗いところなんか、何もない。

 信じてくれ!」


◆4


 それから一時間後――。


 自室に帰り、ライン王太子は頭を抱えていた。

 婚約成立を祝うつもりでお茶会に招いたのに、パミル嬢はカップに手もつけなかった。


 ライン王太子は、自分の赤髪をクシャクシャと掻きむしる。


(ほんとうに、私は真実の愛に目覚めたんだ。

 親の取り決めじゃない、自分の素直な心に従ったうえでの決断だった。

 だから、皆が祝福してくれると思っていた。

 それなのに……)


 フレイア公爵令嬢との婚約破棄を宣言したときも、皆、好意的ではなかった。

 水を打ったように静まり返っていた。

 そして、パミル男爵令嬢と婚約し直すと言ったとき、ハッキリと陰口が聞こえた。


「おいおい、ラインのヤツ、本気(マジ)かよ?」と。


 あれは聞き慣れた声だった。

 学園時代に、いつも一緒につるんでいた友達の一人だ。

 彼らーー学園時代の親友たちはいつも言っていた。


「親の取り決めに従って生きるだけだなんて、死んでるも一緒だ」


「生涯を添い遂げる相手ぐらい、自分の心で決めたいものだ」


 などなどーー。


 そう、今までは、「自分の心に素直になれよ」と皆が笑いかけながら、言ってくれた。

 それなのに、今では皆が、よそよそしくなってしまった。

 肝心の恋人ーーパミル嬢でさえも、僕から距離を取り始めているーー。


(でも、私には、ほんとうに思い当たることなんて、ないんだ。

 フレイア公爵令嬢から「不良債権」呼ばわりされるようなことは、何もしていない。

 誓って言うが、暴力を振るったことも、酒に溺れたことも、性的な行為なんかもしていない。

 元婚約者にも、新しい婚約者とも、キスすらしていない。

 せいぜい手を握るくらいのことだ……)


 たしかに、学園時代から、パミル嬢を好ましく思って、彼女と陰で付き合ってきた。

 婚約者であるフレイア嬢に隠れて、パミル嬢と街中で散策したり、身分を偽ってお忍びで一緒に買い物をしたりした。

 でも、そのたびに、フレイア公爵令嬢に申し訳なく思っていたし、このまま大好きなパミル嬢を日陰者にしてしまってはいけない、と思っていた。


(ーーだから、(おおやけ)にしたんだ。

 せめて同世代の仲間たちからは、僕とパミル嬢の仲を祝福されたかった。

 それだけだ。

 それなのに、フレイア嬢の、あの捨て台詞……。

 「不良債権」ーー!

 あんなでまかせの言葉ひとつで、どうしてここまで私が孤立しなきゃならないんだ……)


 王太子は、再度、頭を抱える。

 そのとき、


「あのう……」


 と、いきなり声をかけられ、ビックリした。

 ドアの方に振り返ると、幼少時から自分に付けられた従者ミーズハラ・ツヤク子爵令息が立っていた。

 臆病な性格の彼のこと。

 きっとノックぐらいはしたのだろう。

 だが、思い悩んでいたせいで、まるで聴こえなかった。

 従者ミーズハラは灰色の瞳をキョドらせながら、痩せギスの身体をモジモジさせる。


「なんだ!?」


 と、思わず、大声で怒鳴ってしまった。

 馴染みの侍従までが、こちらの顔色を窺うようになったことに、腹が立ったのだ。


「国王陛下と王妃殿下がお呼びです。

 至急、執務室へ」


 申し訳なさそうに頭を下げる従者に、思わず物をぶつけてやりたい衝動に駆られた。



 その後、案の定、王宮の国王の執務室では怒号が鳴り響いた。

 ドン・トレド国王陛下が、白髪交じりの顎髭を震わせるほど大激怒したのだ。


「どうして、フレイア公爵令嬢との婚約を、勝手に破棄したんだ!」


 目を怒らせて生唾を飛ばす父王に対し、王太子のライン・トレドは胸をそり返す。


「自分の本心に従ったまでです。

『王太子たるもの、何事に際しても、勇気を持て!』

 と父上もおっしゃっていたではありませんか」


 普段はおとなしめの、手のかからない息子が、妙に反抗的なのが気にかかる。

 国王は椅子に座り直して、息子を見据えた。


「おまえ、何か隠してはおらぬか?」


「何も」


「だったら、なぜ『不良債権』などと評されるのだ!?」


「私が聞きたいくらいですよ!

 用がないんだったら、もう帰りますよ」


 フンと鼻息荒く、王太子は踵を返し、執務室から出て行った。

 父親の国王も、机をドン! と叩くしかできない。



 ライン王太子は、廊下を歩きながら、親指の爪をカリカリと(かじ)る。

 父親からも、例の捨て台詞について詰問されるとは。

 さすがにウンザリした。


 今朝行われる予定だった、「政策勉強会」と称した派閥の集まりにも、誰も出席してくれなかった。

 これまで僕の後見役を買って出てくれたハミル・ミルド公爵が欠席し、これに寄子貴族たちが追随しているようだった。


 さすがは筆頭公爵家の当主。

 政治力がある。

 彼の娘をフったのは、短慮だったかもしれない。


 でも、弟のスペア第二王子は無能なうえに醜聞が多く、誰もが国王の器ではないとわかっている。


 ライン王太子は、拳を強く握り締め、自分に言い聞かせた。


(結局、次代の国王には、私がなるしかないんだ。

 そうした厳然たる事実があるゆえに、私はパミル嬢との「真実の愛」を貫く、と決心したんだ。それなのにーー)


 それにしても、これほどの悪影響をもたらした捨て台詞を残した当人は、今頃どうしているのだろう。


 この酷い状況を挽回する唯一の方法は、婚約破棄宣言をなかったことにして、再び彼女ーーフレイア・ミルド公爵令嬢と寄りを戻すことだろう。

 それしかない。

 だが、さすがにそれはできない。

 次期国王としての、メンツが許さない。


 とはいえ、彼女ーーフレイア公爵令嬢を、もとより嫌っていたわけではなかった。

 パミル嬢との愛を(はぐく)みたいと思っただけで、フレイア嬢とは友達付き合いで良いと思っただけだ。

 だから、彼女が涙を流して「婚約破棄を撤回してください」と懇願してくれば、私の心も揺らいでしまうかもしれないーー。


 王太子は、人生で初めて経験する苦境と孤立の中で、あれこれと思い惑っていた。


◆5


 その頃、問題発言をしたフレイア・ミルド公爵令嬢は、心の傷を癒すため、常夏の地、ミルド公爵領の別荘地スタイに来ていた。

 

 フレイア嬢は、大きなお屋敷のテラスで朝食を食べ終え、まったりとお茶を飲んでいる。


「あら、このお茶、香りが立って美味しいわ。

 ジッドは家令なのに、お茶を淹れるのが上手ね。

 まるで執事のよう」


 白髪の老家令ジッドは、灰色の目を細めた。


「若い頃は、旦那様付きの執事をしておりましたからな。

 私の倅、シュルツにお茶の淹れ方を教えたのも私なのです」


「ああ、なるほど。

 道理で美味しいわけだわ。

 ーーところでジッド」


「はい」


「私は傷物になったのだから、もはや、まっとうな結婚は望めないと思うの」


「そんなことは、ございませんよ。

 ミルド公爵家は貴族筆頭。王家に引けをとりません」


「だからこそ、よ。

 筆頭公爵家に釣り合う家柄って、結局、王家ぐらいでしょ?

 お父様やお祖父様のように、男性なら格下の家からお嫁さんを貰えば良いけど、私のような女性には格下の家からお婿さんを貰いづらいと思うのよね」


 男性は結局のところ、女性に対して優位に立ちたがる。

 というか、優位に立てないと、卑屈になって、付き合いづらくなる。

 普段から、貴族令嬢たちが扇子の陰でささやきあう恋バナから得た結論の一つだ。


「そういえば、私が王太子と結婚して王妃となった場合、お父様は、このミルド公爵家をどうするおつもりだったのかしら?」


「フレイアお嬢様のお子様の一人を当主に据えれば良い、とお考えのようでした」


 なるほど。

 私に何人も子供が出来たら、第二、第三王子とか、王女だとかをミルド家の養子にするつもりか。


 でもーー。


 私は頬を膨らませる。


「お父様ったら、私に何人、子供を産めっていうの?

 そーいうの、計画通りにはいかないものよ。

 それに、どんだけ長生きするつもりなのよ、お父様は!」


「割と楽観的なお方ですからな、旦那様は。

 おかげで私も苦労します」


 ほほほ。


 思わず笑ってしまう。


 たしかに。

 家令ジッドが事実上、ミルド公爵家を取り仕切っていると言っても過言ではない。

 お父様の行き当たりばったりなところの辻褄合わせをしているのが、彼、ジッドなのだ。


 でも、そうした楽観的なところも、容易に挫けないところも、お父様から受け継いでいる気がするので、そこのところは責められない。

 とりあえず、私、フレイアは自分の現状を鑑みて、これから生きていく方針をたてようとしていた。


「とにかく、私は結婚して、何処かの家に嫁ぐのは難しいと思うの。

 だったら、経済的に自立しないとーー!」


「ほう。

 お嬢様がご結婚できないとは思いませんが、経済的に自立しようと思われるのは良いお考えです。

 何か稼ぎを生み出せれば、自由度が増します。

 お嬢様が領地経営する練習にもなりましょうからな」


 ジッドは長い顎髭を撫で付けながら、うなずく。


「幸い、この別荘地スタイは、豊かな資源が眠る森林地帯に隣接しております。

 しかも、この森林の向こう側には大陸一の大国バース帝国がございます。

 交易して儲けるに、格好の土地でございます。

 かねてから、そのように進言しておりましたが、旦那様は手っ取り早く資金を得ようと思われて、北方の産業地帯や鉱山にばかり興味を示され、このスタイのような領地南方は手付かずになっておりました」


「ふうん。

 手付かずってことは、私が好きにしやすいってことね」


「はい」


「で、この森の資源って?」


「まずは珍しい薬草が群生しているところですか。

 他にも、野獣や魔物がたくさん棲息しておりまして、狩りが盛んになっております。

 肉は美味ですし、(さば)いて得た毛皮や骨も、高値で取り引きされております」


「ああ、それで、大勢の男どもが街を歩いていたのね」


「あの森林地帯は我がトレド王国のみならず、バース帝国のほか、四カ国に隣接しておりますゆえ、どの国にも属さない中立地帯となっております。

 ですから、四カ国から冒険者が集まって薬草採取や魔物狩りなどをして生計を立てておるのです」


「決めた!

 私、その冒険者を相手に商売するわ!」


「何を売りなさるので?」


「街をブラついたんだけど、酒場ばかりで、食堂もなければ甘味処もなかったのよね」


「ふむ。

 食事は屋台や酒場で摂っているのでしょうが、たしかに甘味処は見かけませんでした。

 でも、冒険者どもの大半は、むさくるしい男どもですよ?

 果たしてスイーツを食べますかね?」


「食べるわよう。

 だって、疲れたときは、甘いのが一番じゃない?

 コーヒーや紅茶と一緒にいただけるところがあれば、男どもだって通うわよ。

 そうね。喫茶店ーーそうよ。

 甘味処の喫茶店を開くのよ」


「悪くない考えですな。

 実際、冒険者たちは獲物を狩って肉を得てばかりいるせいもあって、主食ばかりに目が行っておりますが、喫茶店でくつろぐことを覚えれば……。

 ーーですが、何か特殊な売り物が欲しいところですな」


「特殊な売り物?」


「初めてできた喫茶店とあらば、珍しさもあって、お客も入るかもしれません。

 ですが、それは初めのうちだけです。

 喫茶店や甘味処が当たるとわかれば、多くの店がお茶やスイーツを売り出しにかかるでしょう。

 そうした動きに対処するためにも、他のどの店にも真似できない特殊な売り物があれば良い、と思うのです」


 老家令がそう語り、腕を組んでいると、いきなり横合いから声がした。


「でしたら、お嬢様。

 このマンゴはどうでしょう?」


 そう口を挟んできたのは、侍女のメリルだ。

 お茶やコーヒーを淹れてくれるのが家令ジッドなら、ケーキやプリンなどのスイーツを作ってくれるのは侍女メリルなのだ。

 そのメリルが、今現在、私、フレイアがフォークを突き刺して口に運ぼうとしているデザートを指さした。


「マンゴ? これのこと?」


 私は黄色い果実を口に入れて、もぐもぐと食べてみる。

 たしかに、甘くて美味しい。

 桃よりも肉厚で、甘さと酸味が絶妙に溶け合って、一気に味わえるかんじだ。


 私はメリルの両手を握った。


「たしかに、これはイケるわ。

 ありがとう、メリル。

 ーーでも、このマンゴが特殊な売り物になるのかしら」


 コホンと咳払いして、メリルは答える。


「そこなんですよ。

 私、現地調査を兼ねて、森の中に入ってみたんですが、このマンゴがたわわに樹木に実っておりまして、試しにこうして調理いたしましたら、美味しいのなんの。

 それなのに、誰もマンゴを樹木からもぎ取ろうとせず、落ちたマンゴの実は打ち捨てられたままなんですよ。

 地元の酒場のオヤジさんたちに尋ねましても、

『誰もこんな気色の悪いものは食べない』

 というんです」


「気色の悪い?

 美味しいんですけど」


「ねえ」


 女二人でマンゴを頬張りながら、小首をかしげる。

 すると、はっははは、と老人が笑った。

 老家令ジッドが解答を出してくれた。


「それはミダス教の経典に、『神々がマンゴを食べた結果、力を失って、魔物に遅れをとった』とか、『古代の王女が、マンゴを食べて自殺した』などと、記されているからですよ」


 ミダス教とは、大陸南方で普及している一大宗教だ。

 我がトレド王国以外の、ベース帝国などでも多数の信者がいる。

 この森林地帯周辺ではミダス教が厚く信奉されているため、現地人はマンゴを食べていないのだそうだ。


「美味しかったけどーーマジで大丈夫なの?」


 フレイアがお腹を押さえながら、不安そうに尋ねる。

 老家令はゆっくりとうなずく。


「もちろん、心配ございませんよ。

 ミダス教徒が少ない我がトレド王国では、マンゴは珍品の甘味として、主に病者に与える滋養強壮薬として用いられております。

 旦那様もお嬢様も、お風邪をひいたときなどには、マンゴをヨーグルトに混ぜて召し上がっていただいておりましたよ」


「じゃあ、安心安全だわ。

 薬に使われているぐらいなんだもの」


 そこで、当然とも言える疑問を、メリルが口にする。


「でも、だったら、どうして王国に出回っていないのでしょう?」と。


 これまた、老家令が答えた。


「トレド王国内で、マンゴが実る場所は、ここ別荘地スタイをはじめとした、我がミルド公爵家領地内にしかないからですよ。

 旦那様がマンゴ採取に力を入れておりますれば、稀少な滋養強壮薬としてだけ出回るという現状は、とうに改善されていたでしょうな」


 私、フレイアはパシン! と手を叩いた。


「やったわ!

 要するに、こーいうこと!?

 まず、マンゴを国内で産出する地はここ、ミルド領内にしかない。

 そして、近隣諸国は宗教上の理由で、マンゴに手出しできない。

 ――だったら、私たちで、マンゴが採り放題、稼ぎ放題じゃない?」


 侍女メリルと手を取り合って、私は歓喜の声をあげた。


「ほんとうは美味しいんだし、経典にどのように記されていようとも、ミダス教徒って、たしか食材に禁忌(タブー)はなかったはずよね?

 だったら、秘密のフルーツとして、マンゴを特殊な、私の店ならではの売り物として、売り出せるんじゃないのかしら!?」


「そうですね。

 外見でマンゴとバレるのに問題があるとすれば、ジュースやゼリーなどに加工して売ると良いですね!」


 侍女がそう言って手を合わせると、老人は深々とお辞儀をする。


「それでは、さっそく喫茶店を出すための物件と人員を手配いたしましょう。

 その後に、加工するための職人も王都から呼び集めて確保いたします」


 老家令ジッドは、今やフレイアお嬢様付きの秘書官となっていた。


 フレイア・ミルド公爵令嬢は、長年、許婚者であった王太子から突然、婚約破棄され、事実上、王都から逃げ出すはめに陥っていた。

 だが、今ではすっかり気を取り直し、前向きになっていた。


◆6


 フレイア・ミルド公爵令嬢が、南方の静養地で前向きに動き出していた頃ーー。

 王都に残された人々は反対に、皆、すっかり後ろ向きになっていた。

 フレイア公爵令嬢の捨て台詞、「不良債権」という言葉に引きずり回されていたのだ。


 ライン王太子が、必死に、「私に問題は、何もない!」と訴える。

 が、かえって「後ろ暗い何かがあるのではないか」と、皆が疑心暗鬼になっていく。


 フレイア嬢の父親ハミル・ミルド公爵も、ライン王太子を見捨てて、かつての政敵、第二王子派の領袖ミッドライト公爵とすら、手を結ぼうと画策していた。



 その一方で、ドン・トレド国王も、密かに我が子ラインの調査をするよう隠密部隊に命じていた。


 国王直属の隠密部隊とは、サーマス伯爵率いる、近衛騎士団から選りすぐった百名程度の少数精鋭部隊で、本来は敵国との戦闘直前に敵情を探るなどの斥候役を果たす部隊だ。

 が、平和な時代にあっては、実質的に、王家専属の探偵・諜報機関となっていた。


 すると、隠密部隊長サーマスは、意外な報告をドン・トレド国王にもたらした。

 国王の妻、アモレ・トレド王妃が、不審な動きをしている、というのだ。

 彼女の実家であるコダヨ侯爵家に、頻繁に連絡を入れており、近々、王宮内で使者と接触する手筈になっている、という。


(そういえば、アレは定期的に実家に帰っているな……)


 息子ラインではなく、妻のアモレ王妃が、監視の網に引っかかったのは意外だった。

 ドン国王は、顎髭を撫でつけ、思案する。


 たしか、自分の父親、先代王までは、王妃が実家に帰るのを許さなかった。

 外戚が力を持つことを警戒してのことだ。


(子供であった時分は、常々、お母様が可哀想に思えてならなかった。

 だが、今ならわかる。

 王家の安寧は、国家にとっても重要な案件。

 外部からの干渉は極力排除せねばならない。

 余も王妃の実家帰りを規制すべきだったか……)


 反省した王様は、サーマスに対し、自分自身が隠密部隊に同行すると訴える。

 当然、隠密部隊の隊長は、目を剥いて驚いた。


「ま、まさか! 玉体をお運びするには及びません」


 国王ドン・トレドは、青い瞳でサーマスを見据える。


「いや、わが妻の動向を探るのは、夫が直に行うべきことだ。

 息子のことと言い、これは家族の問題なのだ。

 余が家族をおろそかにしていた報いを、今、受けている。

 同行させてくれ」


 ドン国王は、なかなかに頑固だ。

 自身も幼少の頃から剣術を学び、相当な手練でもあったから、実戦も辞さない気風を持ち合わせている。


 ふぅと隠密部隊長は溜息をついた。


「指示には従ってもらいますよ」


「承知した」


 愛用の短剣を懐に忍ばせながら、王は受諾し、直に妻である王妃の監視に入った。

 すぐにも王妃が実家からの使者と王宮内で接触するはずなので、隠れて探りを入れることにしたのだ。



 トレド王国の王宮全体が、近頃、何かと騒々しくなっていた。

 特に王家の動きが、いつもと違うようになっていた。


 王宮内の不穏な空気はやがて、貴族社会全体を覆っていく。

 その不穏な空気のど真ん中に、ライン王太子、新しい婚約者パミル・レーン男爵令嬢がいた。

 彼らは今日も、王宮の応接間で婚約者同士の語らいをしていたが、まるで気もそぞろで、うわの空だった。


 テーブルを挟んで面と向かってお茶をする最中にも、ライン王太子はソワソワしていた。

 じつは、ドン国王陛下とアモレ王妃殿下との仲がぎこちなくなっているのを、王太子が感付き、驚き呆れるとともに、責任を感じていたからであった。

 自分が婚約者を替えたばかりに、まさか両親の間柄すら悪くなってしまうとは、想像もしていなかった。


(父上と母上は、あれほど仲睦まじい夫婦であったのに……)


 落ち込んだライン王太子には神経性の湿疹が出来ており、ポリポリと指で掻く。

 さらに、今朝、剣術の稽古のときに転んで、軽い怪我をしていた。

 その結果、腕と足に腫れ物や、引っ掻き傷がいくつもできている。


 それを目にして、婚約者パミル・レーン男爵令嬢は内心、あ!? と声をあげた。


(「不良債権」ーーつまり、王太子のお身体に、何か問題がある、ということなのでは?

 まさか、病気なの?)


 単なる腫れ物であったが、それを伝染病の予兆ではないか、とまで疑い始めたのだ。

 それほどまでに、彼女も追い詰められていた。


「ライン殿下。私、急用を思い出しましたわ。

 今日のところは、この辺で……」


 挨拶もそこそこに、婚約者パミル嬢は席を立ち、帰ろうとする。


(病気が伝染したら困るわ……)


 パミル男爵令嬢は、そう思って、逃げるようにして、王宮から出て行こうとした。

 スカートの裾をたくし上げて、ひたすら廊下を進んだのである。


 そして、ちょうど中庭を突っ切る渡り廊下を走る、その途上ーー。


 庭の隅で、見慣れた顔の男が、大勢の不審者に囲まれているのを、パミル嬢は見た。

 見慣れた顔ーーそれは王太子の従者ミーズハラ・ツヤク子爵令息だった。

 五、六人の、王宮に似合わない、砕けた服装をした男どもを相手に、ペコペコと頭を下げ、痩せギスの身体を頻繁に折り曲げていた。

 ミーズハラはライン王太子の傍らに立っていて、パミル嬢も何度か顔を合わせたことがある、王太子に長年仕えてきた従者である。

 ひょっとしたら、彼は王太子の裏の顔を知っていて、そのせいで尻拭いに奔走しているのかもしれない。


 婚約者パミル嬢は彼に同情して、ミーズハラと目が合った瞬間、ペコリと頭を下げた。



 一方、従者ミーズハラの方は両目を見開き、冷や汗を流した。


(なぜ、こんなところに王太子殿下の婚約者が?

 ひょっとして、俺が長年に渡ってやってきたことがバレたのかーー!?)


 じつは、従者ミーズハラは、ギャンブルの負けが(かさ)んで、ライン王太子の名義で多額の借金をしていたのだ。

 不審者に取り囲まれていたのは、借金を取り立てられている現場であった。


 このとき、婚約者パミルにはわからなかったが、王太子の従者ミーズハラは、自分が借金を取り立てられていると彼女にバレたと信じてしまった。


(王太子殿下に報されてはマズい!)


 借金取りには、「近日中に返済する」と約束して、急いでパミル嬢を追いかける。

 すぐに、黒い扇子を手にした、赤いドレス姿を見つけて、声をかけた。


「どちらへ行かれますか?」


 背後から声をかけられ、パミル嬢が振り向くと、目の前に、王太子の従者ミーズハラ・ツヤク子爵令息が、息を切らせながら立っていた。

 ライン王太子に対して、同じように不信感を感じる者同士に違いない。

 そう親しみを感じて、パミル嬢は素直に答えた。


「密かに王宮から出たいのよ」


 本来なら、いまだにお茶会を続行している時刻だ。

 勝手に王宮から退出するのも、衛兵などから見咎められるかもしれない。

 そうした懸念を持っているのを敏感に察したミーズハラは、ニカッと白い歯を見せた。


「表門に向かうと、密かに王宮から出ることは不可能です。

 裏口に向かいましょう。

 幸い、王宮へ来られたお客様が乗っていた馬車は皆、裏口に停めてあるのですよ」


 安心したパミル嬢は、ミーズハラの導きに従って進んでいく。

 すると、四方を壁に囲まれた、暗がりへと入り込んでしまった。

 行き止まりである。


「これは? いったい、ここはーー」


 不思議に思ってパミル嬢が振り向くと、いきなりお腹に剣を突き立てられた。

 王太子の従者ミーズハラが、王太子の婚約者パミル・レーン男爵令嬢を刺したのだ。

 パミル嬢はお腹に当てた手が真っ赤に染まっているのを見て、息を呑む。

 そして、眼前のミーズハラの顔を見た。


「な、なぜ……?」


 パミル嬢はそうつぶやくと、膝を落として、倒れ込む。

 訳もわからないままに、黄色の瞳を見開いたまま、息絶えてしまった。


 一方のミーズハラも、灰色の瞳を見開き、凶器の短刀を手にしたまま震えていた。

 足下には赤いドレスを着た女性の死体が横たわり、みるみる血溜まりが広がっていく。

 自分が借金していることを隠すため、反射的に刺してしまった。

 が、このあと、どうしたものか、わからない。

 とりあえず、今日中は誰も来ない、自分専用の個室となっている侍従の控室に、彼女の死体を隠そうとは思っていた。

 ここは、その部屋の近くなのだ。


 でも、それから先はーー?


(どうしよう……)


 ミーズハラ・ツヤク子爵令息は、息が詰まるほどに動揺していた。



 一方、その頃、アモレ・トレド王妃も、激しく動揺していた。


 王宮から中庭に出て、温室の植物園へと向かう。

 そこで実家から派遣されたオトコと逢引きする手筈になっていた。

 その「オトコ」とは、なんとアモレ王妃の実兄マオート・コダヨ侯爵であった。

 王妃が、今では実家のコダヨ侯爵家の当主となっている兄を呼びつけていたのだ。


 妹のアモレは、兄の精悍な顔付きを見た途端、「ああっ!」と感嘆の声をあげて、しなだれかかった。

 兄のマオート侯爵も、王妃を優しく抱きかかえる。

 兄の胸板に頬を押し付けながら、王妃はささやいた。


「お兄様。息子のラインが、フレイア公爵令嬢に婚約破棄を宣言したのをご存知?」


「ああ。もちろん」


 ドン国王とハミル・ミルド公爵が取り決めた息子と娘の婚約を、息子のライン王太子が勝手に破棄し、男爵家の娘と婚約を結び直すと宣言した。

 結婚を間近に控えた段階で、突然の、非常識極まりない婚約破棄で、それだけでもライン王太子の資質を疑問視されても仕方のない所業であった。

 が、それに加えて、婚約を破棄されたフレイア公爵令嬢がライン王太子のことを「不良債権」呼ばわりにした、という事実も、様々な尾鰭がついた状態で、(ちまた)で噂されていた。

 王妃の実家であるコダヨ侯爵家の当主の耳にも、当然、噂話ともども入り込んでいる。


 妹の王妃は、窺うような目で兄を見上げつつ、尋ねた。


「お兄様はハミル・ミルド公爵とご懇意でしたわよね。

 まさか、私たちのことを漏らしたりは……」


 兄のマオート侯爵は、顔を真っ赤にする。


「バカな!

 そんなこと、口外するはずないだろう。

 第一、バレるはずがない。

 誰にも言ってない!」


 それでも、妹の目から、猜疑の色は消えない。


「でも、ライン王太子が私たちの息子だと知ったならば、『不良債権』と言い捨てられるのも道理だわ。

 ですから、きっとーー」


 そこまで王妃が口にした段階で、


「なんだと!?」


 という怒号が温室内に響き渡った。

 大樹の陰から、ドン・トレド国王が姿を現したのだ。

 草むらに潜んでいた隠密たちの制止を振り切っての登場だった。


 ドン国王を含めた五人の隠密部隊は、サーマス隊長の指揮のもと、きっちりアモレ王妃の後を付けていた。

 周囲への警戒に乏しい王妃を追跡することは簡単だった。

 それに国王も剣術を長く習ってきたため、すり足が上手で、難なく潜行できた。

 隠密部隊はその大半を近衛騎士から調達しているが、彼ら若手騎士よりも覚えが良いぐらいだった。

 だが、いくら隠密行動に長けていようと、激発してしまってはどうしようもない。

 サーマスは、王妃と侯爵の二人を、温室の出入口を封鎖して捕縛しようと目論んでいた。

 しかし、ドン国王が怒りに任せて姿を現したので、計画は霧散してしまった。


 国王は、自分の妻であるアモレ王妃を指さしながら、吼えた。


「妃! 其方は『ライン王太子が私たちの息子だ』と言ったな!?

 前々から、おまえたち兄妹は親しすぎると思っていたが、まさか近親相姦までなしておるとは……」


 げええええ!


 王様は、自分の妻が裸になって、実兄と(むつ)み合う姿を想像して、吐いた。


 妻が実兄とデキているーーそう部下から報告されただけなら、驚くだけで済んでいたかもしれない。

 しかし、夫である自分が、直接、妻の語らいを耳にしてしまった。


 愛する長男が、妻の不義密通の子供ーーしかも実の兄との近親相姦の子供だったとは!


「違うの、違うの!」


 アモレ・トレド王妃は兄から身を離し、必死に首を横に振る。

 だが、ドン・トレド国王陛下は顔を真っ赤にして、全身の震えを抑えようがなかった。


「何が違う!?

 貴様、マオート・コダヨ侯爵!

 何か申してみよ」


 マオート侯爵は、妹であるアモレ王妃を背後から手を出し、再び抱き寄せる。


「仕方なかったのです。

 愛しているのです」


「実の妹だぞ!?」


「それでも、です」


 ドン国王は懐から愛用の短剣を取り出し、鞘を投げ捨てた。

 抱き合うコダヨ侯爵兄妹は、顔からすっかり血の気が退いていた。


「くそ!

 こんな気持ち悪い女を、今まで国母たる王妃に据えていたとは、とんだ恥晒しだ。

 しかも、トレド王家のーー余の血を、まったく受けておらんのか、ラインの奴は!

 まったくの『不良債権』だわ!

 そこへ直れ!

 誅殺してくれる!」


 いやあああ、と叫びながら、アモレ王妃は、兄から離れて逃げ出した。

 逃すか! とばかりに、王様は短剣を突き立てる。

 逃げ惑って背中を晒した王妃は、ブスリと、背中から剣を突き立てられた。


「キャアアア!」


 アモレ王妃は断末魔の叫び声をあげると、口から吐血した。

 ドス黒い血であった。


 うつ伏せになって地に倒れ込む妹を目にして、マオート侯爵も反射的に剣を抜いた。


「お、王が乱心なされた!」


 王妃の兄がそう叫ぶのを耳にすると、ドン・トレド国王が地団駄を踏んだ。


「ふざけるな!

 余は乱心なぞ、しておらぬ。

 ライン王太子は余の子ではなかった。

 王妃が実の兄との間で作った子だったのだ!」


 糾弾する王に対し、家臣のマオート侯爵は剣を構えた状態で、喉を震わせる。


「し、証拠は!?」


 国王陛下は、獅子の如く吼えた。


「証拠なぞ、必要ないわ!

 これは証拠の有無の問題ではない。

 おまえらも聴いたであろう?

 アモレ王妃の言葉を。

『ライン王太子が私たちの息子だ』と!」


 国王からのご下問に、サーマス伯爵率いる隠密部隊の面々はうなずくしかない。

 彼らはいずれも草木の背後に隠れていたが、しっかり聞き耳を立てていた。


「ちっ!」


 王妃の兄マオート・コダヨ侯爵は剣を振り回し、取り囲もうとする隠密らを薙ぎ払って、逃亡した。

 彼、マオートも、ドン国王と同じく、幼少時から剣技を磨いていた。

 二人はじつは剣術試合を何度か手合わせしたことがある手練同士だ。

 二人が親睦を深めたのも剣術道場でのことで、妹のアモレを妻に迎え入れたのも、互いに剣術を高め合う信頼関係が、ドンとマオートの二人の間に築かれていたからであった。

 だからこそ、その剣術を通して得た信頼を裏切られた、ドン国王の怒りと悲しみは深かったのだ。


 ドン・トレド国王は、青い瞳に怒りの炎を宿して、隠密部隊に命令した。


「追え!

 追って、マオートのヤツを捕まえよ。

 生死は問わぬ!」


 王は血濡れた剣を手にしたまま、温室から出て、王宮へと戻る。

 妻であるアモレ王妃の死体は、放置したままだった。


 ざわざわーー。


 王宮勤めの官僚や女官たちは、返り血を浴びた国王の姿を目にしてざわめいた。

 その只中で、王様は叫んだ。


「アモレ王妃とマオート侯爵の兄妹による謀叛だ!

 王妃は誅殺したが、マオートめを取り逃した。

 ヤツを(かくま)う者は誰であろうと厳罰に処す!

 それにライン王太子ーーあ奴は余の息子ではなかった。

 とんだ『不良債権』であったわ。

 即座に捕縛して、廃嫡にせよ!」


 両目を血走らせて吠える国王陛下を(なだ)められる者は、誰もいなかった。


◆7


 王妃の兄にして、今や国王に対する謀叛人となったマオート・コダヨ侯爵ーー。

 そんな彼が、王宮で逃げ込める場所といえば、ひとつだった。

 愛する妹との間に出来た一粒種ーーあと少しでトレド王国の王冠をかぶれるはずであったライン王太子の許だ。


 王宮奥深くの自室で、鬱々(うつうつ)としていたラインの許に、いきなり赤い髪を振り乱し、全身に返り血を浴びた伯父さんーー母の兄が現れた。


 ライン王太子は目を見開いて驚いた。


「マオートの伯父さん?

 その姿はーーいったい、何があったのです!?」


 マオート侯爵は、部屋へと入って来るなり、重大事件を口にした。


「殿下の母上ーー私の妹であるアモレ王妃は殺された。

 殿下の父上ーードン国王陛下の手によって!」


「ま、まさか!?」


 ライン王太子は口をあんぐりと開けた。

 ここ最近、両親の夫婦仲が(こじ)れているとは気づいていたが、まさか殺人事件にまで発展するとは。

 マオートの伯父さんは、


「ここに辿り着くまでに、騎士やら衛兵やらを何人も斬った。

 幸い、まだ無傷だが、俺は王に追われている」


 と現状を語り、血濡れた上着を脱いで、ガッシリとした筋肉質の身体を晒す。


 王太子は生唾を呑み込むと、


「とりあえず、逃げましょう」


 と、伯父さん(じつは実父)を外へと導いた。


 ライン王太子は、現在、唯一、信頼している従者の許へと走る。

 孤立する王宮内にあって、どこか不安げな眼差しをしながらも、いまだにベッタリと自分に従っている侍従ミーズハラ・ツヤク子爵令息が、今夜は一人で従者控室にいるはず。

 王宮内でも鬼門に位置付くこの場所辺りは、奥の院のさらに奥にあって、王家の者しか知らないし、王家以外の者は足を踏み入れることもできない。

 いくら国王の命令を受けても、すぐには騎士や衛兵では立ち入ることはできないと思われた。

 かと言って、当然、ドン国王自身は、この場所まで踏み込むことはできる。


(父上が突撃してくるまでに、なんとかしないと……)


 王太子は理由も定かにできないままに、雰囲気に飲まれる形で、伯父さんを王宮から逃がそうと考えていた。


 が、侍従の控室の扉を開けた途端、思いもしなかった光景にぶつかった。

 その部屋の床の上に、婚約者であるパミル・レーン男爵令嬢の死体を発見したのだ。


「な!?

 こ、これは、パミル嬢!」


 慌てて抱き上げ、呼びかけるも、彼女は応えない。

 緑の髪が鮮血に染まり、白眼を剥いて、絶命していた。


 部屋の奥の壁際に、従者ミーズハラが亡霊のように突っ立っていたので、


「これは、どうしたことだ!?」


 と叫ぶ。


 が、事情を問うても、ミーズハラは口籠るだけ。


「何があった!?

 どうして私の愛する婚約者が、このようなありさまにーー!」


 立て続けに問いかける主人に対し、従者はか細い声で反問する。


「そちらこそーー殿下自らが、こんな従者ごときの部屋に、なぜ……」


 ここで声を出したのは、王太子に導かれてここまでやって来た伯父さんーーマオート侯爵だった。


「国王陛下が、王妃殿下を突然、斬った。

 陛下が乱心なされたのだ。

 おそらく、この女性も……。

 そうか。

 この娘が王太子殿下の新しい許嫁(いいなずけ)であったか。

 可愛らしいお嬢さんだ。

 私なら、この娘との仲を祝福してやれたのだがな……」


 初めて、自分がパミル嬢と婚約し直したのに賛同してもらえて、ライン王太子は嬉し涙をこぼした。

 思い起こせば、この母上のお兄さんであるマオート侯爵は、いつも自分に優しかった。

 父上である国王陛下以上にーー。


 涙を拭う王太子を、マオート侯爵は肩に手を当て、慰める。

 もはや果たされることはなくなった若い二人の結婚後の前途に思いを馳せて、二人はしんみりとする。


 そうした主人たちの様子を見て、従者は思った。


(すべての責任を『乱心した国王陛下』に押し付ければ、とりあえずこの場は逃げ切れられるのでは?

 いや、ひょっとしたら、借金取りどもも、この王家分裂騒ぎに巻き込んで、謀殺することができるかもしれないーー)


 その雰囲気に、従者のミーズハラは全面的に乗っかることにしたのだ。

 灰色の瞳を瞬かせながら、小声で言い訳する。


「殿下の婚約者であらせられるパミル嬢は、この部屋の近くで、何者かによって刺し殺されていました。

 いたたまれなく思い、とりあえずはこの部屋に遺体を運び、明朝にでもライン殿下に彼女が亡くなったことをお知らせしようかと……」


 その途端、いきなりライン王太子は、拳を振り上げて、


「おおおお!」


 と、叫び声をあげた。


「父上か!?

 それとも、ミルド公爵!?

 ーーええい、どちらでも良い。

 それほどまでに、私の『真実の愛』の邪魔立てをしたかったのか。

 人でなしどもめ!

 相手が誰だろうと、許しはしない!」


 ライン王太子の慟哭に寄り添って、マオート侯爵は再び血濡れた剣を握り締めた。


「一連の殺人事件は、ドン国王による陰謀だったのだ。

 アモレ王妃も、パミル嬢も、殺された。

 おまけにライン王太子を廃嫡にする?

 冗談ではない。

 そんなことでは、我らがトレド王国はどうなる?

 次期国王が、おらぬではないか!

 私はドン国王の横暴は認めない。

 ライン王太子殿下。

 貴方こそが次代の国王だ!

 君が王冠をかぶってこそ、我が妹アモレ王妃、そして悲劇の許嫁パミル嬢の供養が果たされるのだ!」


 マオート侯爵の訴えに煽られ、ライン王太子も剣を握り締めた。


「わかった。マオート卿。

 急ぎ其方の領地に参ろうぞ。

 そして、真のトレド王国を新たに興すのだ!」


◆8


 その頃、王都から遠く離れた、ミルド領内の別荘地スタイではーー。


 フレイア・ミルド公爵令嬢は嬉しい悲鳴をあげていた。

 マンゴを原料にしたデザートを主体に据えた喫茶店が、大繁盛していたのだ。


 もっとも、別荘地スタイの中で、最も豪華絢爛で巨大なミルド公爵家のお屋敷の一階部分を丸ごと開放して喫茶店にしたのだから、当たらないはずがない。

 現地の人々や諸国から参集した冒険者たちにとっては、領主館が一般公開されたも同然だったから、物見遊山のごとく、館内の様子を覗きたい者も多く、大勢が押し寄せたのだ。


 身にまとう防具のデザインから、露骨に外国人とわかる連中も多数乗り込んで来ていて、特に彼らの間でマンゴを原料にしたスイーツが好評だった。


 私、フレイア・ミルド公爵令嬢も、店主として顔を出し、中庭に展開するテラス席まで、一つ一つ見て回る。

 すると、いつも私の店に入り浸る連中がいることがわかった。


 冒険者のような格好をしているが、単なる平民とは違う。

 わざと雑に着こなしているが、防具の下の衣服の生地が良い。

 言ってみれば「不思議なほど、身なりの良い冒険者」という感じだ。

 その中心人物で、冒険者パーティー「夕闇の(ふくろう)」のリーダー、マックが、銀色の髪を掻き分けながら、私に対して、からかうように問いかけてくる。


「なあ、ミルドの店主様。

 いろんなスイーツにかかってる黄色い甘い液体だけど、これ、何を原料にしてるんだ?」


「貴方、何の神様を信じてるの?」


「もちろん、ミダスの経典に記された神々さ」


「そう。だったら、教えない」


「何だよ、それ?」


 ミダス教で忌避されているマンゴを使ってるとは、教えられない。

 が、教義上、彼らミダス教徒には、特に食べ物の規制がないのを良いことに、マンゴの汁を絞った液体を、アイスに混ぜたり、ゼリーにして提供していた。

 我が喫茶店では、家令ジッドが入れたコーヒーや紅茶とともに評判が良い。


 冒険者マックは食い下がる。


「ねえ、ミルドのお嬢様、だったら取引しない?

 原料は何かは問わないからさ、この美味しいの、帝国で独占販売させてよ。

 ね、良いだろ?」


 帝国というのは、森林の向こう側に広がる大帝国バースのことだろう。


「あら。貴方、冒険者なんでしょ?

 おかしいじゃない?

 取引って」


「いやあ、俺の知り合いの商人がさ、ここの店に興味あるって言うんだ」


「じゃあ、その商人さんがじかに来てくれないと」


「なんだよ、ケチ!」


 私は、彼の膨れっ面を見て、笑いが込み上げてくる。

 これじゃあ、露骨にお里が知れちゃってる。

 おそらくマックは偽名で、バース帝国のお貴族様か何かなのだろう。

 私がトレド王国の公爵令嬢と知ってなお、このような軽い口調を保てるということは、それなりの身分であることを(あか)している。


 実際に、冒険者マックが何者なのかは、そのうち家令のジッドの手によって明らかになるだろう。

 ジッドはすでにバース帝国の商人ギルドに手を回しており、帝国に点在する手付かずのマンゴ林が群生する土地を幾つも買い取っている。


 どうやら、バース帝国におけるミダス教徒のマンゴ忌避は相当なもので、「マンゴは呪われたモノなので、その樹木を刈ることでも呪いがかかる」と信じていた。

 おかげで、マンゴ林がある土地は安値で買い叩ける。


(バース帝国でウチのマンゴ商品を出回らせるのは、マンゴ林の土地をあらかた買い漁った後ってことになりそうね)


 マック率いる「夕闇の(ふくろう)」が退店したあと、私は、フンフンと鼻歌交じりで、喫茶店の裏方、厨房の方に顔を出す。

 すると、家令ジッドに呼び止められ、執務室へと誘われた。

 そこで、お父様の手紙による、トレド王国の近況がもたらされた。


 私、フレイア・ミルド公爵令嬢は、思わず甲高い声をあげてしまった。


「ええーーっ! それって、ほんとなの!?」


 ドン・トレド国王陛下が、アモレ王妃殿下を誅殺。

 そのうえ、ライン王太子は廃嫡となったという。


 寝耳に水とは、このことだ。


「なんで?

 王様、王妃様とあれほど仲がおよろしかったのに。

 それに、どうして急にライン殿下が廃嫡になったのよ?

 まさか、パミル男爵令嬢をお相手にしたから?」


「そうではなく、じつはライン殿下は、アモレ王妃様が不義密通した結果生まれた子で、陛下のお子ではなかったとのことで」


「あちゃあーー、そりゃ、陛下もお怒りだわ」


 改めて私は、ジッドから渡された手紙に目を通す。

 手紙に記された文面を見れば、お父様がどれほど興奮して書いてたのがわかる。

 字が踊っていた。


『まさに、おまえが言った通り、アレは〈不良債権〉だった。

 あんなヤツと婚約させて、すまなかかった。

 俺だけではなく、陛下も後悔している』


 私は思わず苦笑い。


(いや……婚約破棄された腹いせに、適当に言っただけなんだけどーー)


 それが真実というものだが、さすがに、ここまで事態が深刻になっては、いまさら口にはできない。


「では、誰がお世継ぎに?」


 と、素朴な疑問を口にした。


 ラインが廃嫡となれば、残るのは第二王子。

 あの、赤髪で小太りのスペア・トレドしかいない。


(でも、アレは無しだよね……)


 と、さすがに思う。


 あの第二王子の聞かん坊ぶりは幼少期から有名だったし、後援者のミッドライト公爵も賄賂ばっかりせしめていて、評判がすこぶる悪い。

 私が口にするまでもなく、ジッドも眉間に皺を寄せる。


「次代の王が誰になるのか、今のところは、わかりません。

 なにせスペア殿下は不人気ですから」


「さぞ婚約者になったパミル嬢も、お辛いでしょう」


 本音を言えば、ざまぁといった気分もあるが、さすがにライン殿下が廃嫡ということになったら、国母たる王妃様になる計画もパーってことになる。

 さぞ、悔しいことだろう。


 そう思っていると、私にお茶を汲んできた侍女メリルが、私の耳元でささやいた。


「それがーー元王太子殿下によれば、彼女ーーパミル男爵令嬢も、王妃様ともども、陛下によって誅殺された、と、訴えておいでだそうで」


 え!? まさか、死んじゃったの?


 さすがに驚いて、両手を口に当てた。


「へ? なんで?」


 私が尋ねると、侍女メリルも首を振るばかり。

 反対側の耳元で、今度は家令ジッドが口添えする。


「パミル嬢については、詳細がわかっておりません。

 もっとも、元王太子のライン殿はそう公言しておられますが、陛下ご自身は、

『知らぬ。そんな女を誅してはおらぬ』

 とのことで」


 私はもう、事態を理解することを放棄した。

 もとより、こうした政治的ないざこざを追いかけるのは、趣味じゃない。


(もう。何がなんだか……)



 実際、このとき、トレド王国の王都は騒然としていた。


 王妃の実家であったコダヨ侯爵家の勢力と、元王太子ラインを支持する勢力が、新生トレド王国の建国を宣言し、王国の東を領地にして割拠したのである。


 当然、ドン・トレド国王陛下は、これを許さない。

 ライン一派を謀叛勢力と見做して、掃討作戦を開始する。

 王党派の勢力を糾合し、これにハミル・ミルド公爵ら有力貴族が呼応した。


 十日を経ずして、ライン率いる新生トレド王国軍と、ドン率いるトレド王国軍が激突。

 その結果、ラインが負傷して新生軍は四散した。

 マオート侯爵の奮戦によってなんとか勢力を維持するも、マオートは死亡。

 新生トレド王国は、誕生してすぐに大幅な領土縮小に見舞われた。


 一方のドン国王も、激戦の最中、ラインとマオートを狙って深追いしすぎて左腕を斬り落とされる重傷を負ってしまう。

 その結果、指揮権がハミル公爵に移され、軍を退いた。

 謀叛勢力地を半分ほど奪取したものの、首魁のラインを討ち損ね、滅ぼし切ることはできなかった。


 このとき、第二王子スペアを掲げる勢力は、日和見の態度に出ていた。

 ラインにもドンにも就かずに、中立的な位置に立ちながら、漁夫の利を狙う。

 特に、参謀役のミッドライト公爵はかなりの曲者で、外国勢力を呼び込んで、自分たちの領土を広げようと企んでいた。


 ちなみに、敗戦後、勢力の復旧を目論んだラインが、この第二王子派と手を結ぼうとして、ミーズハラ子爵令息を使者として派遣している。

 だが、交渉の席上で、何か粗相をしたらしく、第二王子スペアが癇癪を起こしてミーズハラを斬殺し、新生トレド王国は、第二王子派を取り込むことに失敗した。

 第二王子スペアいわく、「ミーズハラとかいう奴の目が気に入らない。コイツは悪い奴だ」とのこと。

 その結果、密かにラインと手を結ぼうと考えていたミッドライト公爵は頭を抱えることとなった。


 こうして混迷の度がますます深まって、文字通りの内乱となり、トレド王国は大分裂してしまった。



 そうした厳しい状況だからなのだろう。

 ハミル・ミルド公爵が、娘に送った二通目の手紙によれば、


 「おまえは、しばらく王都に帰ってこなくて良い。

  危ないし、俺もおまえを構う暇はない」という。


「今現在の戦況は?」


 と私、フレイアは改めて尋ねるが、ジッドも白髪頭を横に振るばかり。


「わかりませんが、確実にトレド王国は分裂してしまいました。

 これから何年も騒動が続くでしょう」


 そうなると、心配なのは、せっかく軌道に乗り始めた、自分たちの事業である。

 私、フレイアが問い、家令ジッドが答える問答が続いた。


「この地にまで、混乱は波及してくるでしょうか?」


「ミルド公爵家の力を削ごうとすれば、手出ししてくるかも。

 ですけど、おそらく鉱山地区や産業区域で揉めるでしょう。

 この地は別荘地ですから、特には狙わないかと」


「ほっ。

 でも、資金繰りも大変でしょうから、これから先、お父様に頼るのは難しいわね」


 私が腕を組んで思案しようと構えるも、家令ジッドはニヤッと笑う。


「資金については、心配要りません。

 経済状態は、じつは旦那様の本家よりも豊かな収益になってます」


 家令ジッドが手を伸ばしていたのは、この喫茶店だけではなかった。

 ここ最近の不穏な空気を察して、隣のバース帝国から型落ちの兵器を大量に仕入れて、これをミルド公爵家を介してトレド王国内に搬入してボロ儲けをしていた。

 しかもその収益を、すべて私、フレイア名義のものにしていたのだ。


 我が家の老家令は優秀すぎる(もっとも、「死の商人」っぽいところはいただけないが)。

 だが、これもお父様の勢力を有利にするために使われているのなら、致し方ない。


 でもーー。


 私は両手を合わせる。


「だったら、お父様には秘密にしないと。

 せっかくの儲けを、内紛に無駄使いされるほど馬鹿げたことはないわ」


 家令ジッドも、当然とばかりに目を細めて、うなずく。


「はい。

 旦那様も、お嬢様に対しては、

『この地の防衛に専念せよ』

 と命じておられますから、問題なくやり過ごせましょう」


 仮に収益があるのが露見しても、領土防衛に使いましたと言えば、当座は納得してくれる、との見通しだ。


 さらに家令ジッドは報告する。

 バース帝国の海で、マンゴ林が密集する無人島を発見した、という。

 その島の購入を考えて、帝国政府と交渉を始めるとのこと。


「なんて頼もしいことでしょう!」


 私、フレイアは上機嫌になった。


「その島を買い取れたら、本国の戦禍がこの別荘地にまで及んできても、逃げ込む場所が出来たってことね!

 それは良いことだから、今のうちに、いつでも外国に飛べるよう、重要な物をいつでも持ち出せるよう準備しておかなくっちゃ」


 お父様とともに、紛争(くすぶ)る王都で、頑張って戦う?

 そんなの、冗談じゃない。

 争いごとは、もううんざり。

 私は悠々自適な生活を送らせてもらうわ。


 いったん家令と離れて、自室で、いつでも遠くへ引越せるように準備をし始めた。

 すると、再び、家令ジッドによって、執務室に呼び出され、新たな報告を受けた。


「お嬢様。

 さる有力者の口利きで、例の無人島を買い取ることができました。

 それだけではなく、もし内乱に巻き込まれそうになったら、大陸最大のバース帝国が、お嬢様を(かくま)ってくれるという確約が取れました」


 執務室を見渡すと、見慣れた男性が来客用ソファに腰を落ち着けていた。

 冒険者パーティー「夕闇の梟」のリーダー、マックが、今回はビシッとした正装で居住まいを正していたのだ。


 例の冒険者らしき人々は、やはりバース帝国のお偉いさんだった。

 しかも、想像よりもお偉く、うるさく言い寄って来てた彼、マックが、帝国の第七皇子だったらしい。

 ほんとうの名前は、ダイン・バースという。

 改めて見てみると、金色に輝く瞳は知性に溢れ、細身ながら筋肉質な体躯をしている。

 剣士として冒険者登録しているようだが、ほんとうに剣術の手練のようだ。

 彼ら、バース帝国の面々も、隣のトレド王国が紛争状態になったのを知っていた。


「ミルド公爵家のフレイア嬢。

 いざとなったら匿うばかりでなく、ご希望とあらば、兵をお貸ししますよ」


(それって、私を取り込んで、王国を侵略するってことじゃ……)


 私、フレイア公爵令嬢は微笑みを浮かべながら、やんわりとお断りした。


「要りませんよ、兵だなんて。

 私はのんびり過ごしたいだけなんです」


 私の発言を耳にして、意を得たりとばかりに、バース帝国の皇子は、いつもの冒険者らしい口調に戻っていた。


「いや、俺も本心を言えば、政治に関わるなんてゴメンだ。

 これからも、気儘に冒険者として過ごすつもりだ。

 出来れば、この森でずっと魔物を狩って暮らしたい。

 実際、この森は素晴らしいからね。

 それに、中立地帯とはいえ、事実上、今じゃ、この森は君の支配下だ。

 加えて、君はマンゴの無人島を買い取ったんだって?」


「耳が早いわね」


 私が吐息を漏らして、家令の顔を窺うと、苦笑していた。

 どうやら、帝国領の海域にある無人島を買い付ける際、口を利いてくれた「有力者」というのは、彼のことらしい。


「もし君がそこへ引っ越すのなら、俺も連れてってくれよ。

 無人島には、どんな魔物や野生生物がいるかわからない。

 そんなときには頼りになるぜ、俺のパーティーは」


 バース帝国の皇子サマが率いる、身なりの良い冒険者たちーーそれって帝国の近衛騎士団ってことでしょ?

 さすがに察しがついちゃうわよ。


 でもーー。


「たしかに助かるわ、皇子様。

 これから先、何かと物騒になりそうだから」


 私は椅子に腰掛けたままながら、丁寧にお辞儀をする。

 すると、帝国の皇子様は、スックとソファから立ち上がった。


「心配いらないよ。

 いつも僕が君と一緒にいるから」


 そう言うと、いきなり片膝立ちして指輪を差し出す。


「ちょっと待ってよ。なに? プロポーズ?」


 思わぬ展開に、目を白黒させてしまった。

 でも、お相手の皇子は平然とした様子だ。


「とりあえずは婚約ってことで。

 俺は冒険者らしく、自分の意思で結婚相手を決めたいんだ。

 兄上たちには無理だけど、皇位継承争いに興味がない七男坊だからこそ、できる自由なんだ。

 さすがに、相手が誰でも良いってわけにはいかないけど、でも、相手が君なら申し分ない。

 つい最近まで、トレドの王太子の婚約者であった、立派な貴族の令嬢でもあるし、商売の知見もある。

 僕の両親も、きっと気に入るよ」


(「僕の両親」って、帝国の皇帝ご夫妻ってことよね?

 大変なことになりそう。

 でも、せっかく出来たツテだし……)


 私、フレイア公爵令嬢は、ちょっと気後れした。

 急展開すぎる気がしたのだ。

 それに、トレド王国の今後によって、自分の立場が大きく左右されるであろう現状を鑑み、即答を控えてしまった。


「しばらく考えさせて。

 今は無人島の視察に出向くための準備に専念したいの」


 私の警戒をよそに、皇子様は軽い調子だった。


「いいよ。

 そのときは俺も一緒について行くから。

 いいな!?」


「おおう!」


 と、身なりの良い冒険者たちは、いっせいに拳を振り上げる。


 老家令は身を屈めて、私の耳元でささやいた。


「良いではないですか。

 お嬢様の安全確保のために、またとない協力者です。

 私も侍女も、いえ、公爵様も、皇子とのご結婚は大賛成ですよ。

 ライン王太子殿下のような『不良債権』ではないですからね」


 私は思わず苦笑いを浮かべる。

 でも、警戒は解けない。


「まだ、わからないわ。

『冒険者に扮した皇子サマ』って、ほんとうなら、もっとも怪しいシチュエーションなんだから」


 家令ジッドは目を細める。


「なら、よくお知りになるためにも、お付き合いなされては」


「わかってるわよ」


 私は膨れっ面ながら、正面にいるダイン・バース皇子に向けて、指を差し出した。


「婚約なら、お受けいたしますわ。

 お家の事情で決められるのは、もうコリゴリなんで」


「ありがとう」


 即座に笑顔を浮かべた皇子が、私の手に指輪を嵌める。

 そして、私の手を取って、片膝立ちの姿勢から立ち上がった。


 わあああ!


 周囲で祝福の声があがる。


 そうした祝福の最中で、私、フレイア・ミルド公爵令嬢は、しみじみと思い返した。


(まったく、人生って、なにが起こるか、わからないわね……)


 腹いせに放った、たった一言がきっかけで、王国が大混乱になってしまうだなんて。


 そして、婚約者だった王太子は廃嫡。

 新たな婚約者も死亡。

 王妃殿下も国王陛下によって誅殺された。

 その結果、多数の貴族が謀叛。

 さらに、外国勢力の介入してくるーー。

 このままでは、ほんとうに王国が潰れてしまいそう。


 その一方で、私、フレイアは、自活の道と豊かな資産、そして仲良しの帝国皇子と新たに婚約することになるなんてーー。


(言葉の力って凄いわ。これからは不用意な発言は慎まなきゃ……)


 と、改めて思う、フレイア公爵令嬢であった。

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不良債権 この捨て台詞一つで、ドミノ倒しのように連鎖崩壊していく王国 逆臣 ミズハーラを斬り棄てた第二王子 ボンクラという世評とは違い、意外に真実を見る目を持っていたり… (但し、政治能力は皆無ww)
まぁ、諸々の事がなくても「婚約者が居るのに別の女とイチャコラする男」なんて、その時点で立派な「不良債権」ですわなぁ…┐(´∀`)┌
マオート・アモレ兄妹最悪…… 近親相姦で托卵しといて王座乗っ取り画策とか一つも利がないやん……不良債権にも程があるわ その上息子までだまくらかして王家簒奪に走るとかクズでしょマオート 裏切られた王様可…
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