きっかけの居酒屋
――こうして加納は伊東先生と出会い、藤堂は近藤勇、のちの新選組局長と出会った。
文久三年(1863年)二月初め。
伊東道場の稽古場で雑魚寝している藤堂の後ろで、門下生たちが廊下の雑巾がけをし、加納と内海が二人がかりで大きい荷物を運んでいる。藤堂の寝姿を目の端にとらえた加納は、藤堂の尻を蹴飛ばした。
「平助!いつまで寝てんだ?邪魔だてめえ」
「疲れてんだよぉ、あっちとこっちの稽古を行ったり来たりで」
内海が青あざだらけの藤堂の顔を覗きこむ。
「うわあ。よく続いてんな藤堂。うちとかけもちなんて」
えへへ、と藤堂が頭をかくと、加納はぴしゃりと言う。
「中途半端だろ。こっちは辞めちまえよ?お前はついでに入ったんだから」
「ついで?」
「うちの稽古ずいぶん休むようになったよな?俺はお前が中途半端なことをしている間に、ついにあの多聞を倒した」
へっくしゅん!
鼻をすする三木荒次郎(親しいものは多聞と呼んでいる)が、伊東大蔵の正妻であるウメと並んで歩いてくる。
「なぁ多聞?」
「黙れ加納。あれはまぐれだ」
「素直に負けを認めろよ」
「「「お前が言うな」」」
門人総出でツッコミを入れたところで、ウメが吹き出した。
「ふふっ、加納さんが来てから随分にぎやかになりましたね」
「義姉上、加納をおだててはいけません。馬鹿がつけあがるだけです」
「そうかしら」
藤堂は、ため息をついて、伊東先生も隅に置けないよなあ、とこぼした。何が?と内海が尋ねる。
「こんなべっぴんさんの奥方がいるんだぜ?」
「藤堂!」
それは言えてるな、と加納が言葉を続ける。
「文武両道、仁徳のある伊東先生と、才色兼備、清楚で慎ましいおウメさん。似合いの夫婦とはこのことだ。良かったっすよ、旦那が仏頂面の弟の方じゃなくて」
「はい」
ウメが元気よく返し、三木は咄嗟に顔をこわばらせた。
「大蔵樣がうちに婿入りして頂けて本当に良かったと思っています。父が亡くなったあとも、伊東道場がやっていけているのは、大蔵様のおかげ、そういつも母と話しております」
「いやいや、伊東先生も、ウメさんが奥さんだから頑張っているんですよ」
「加納が先生の何を知っているのだ」
内海が苦笑していると、遠くから伊東がやってくる。
「何の話をしているんだい道之助?」
「大蔵様」
ウメが照れくさそうに耳に髪をかける。
「そりゃあ伊東道場最高って話ですよ」
「それは嬉しいな。ああウメ、使いを頼まれてくれないか」
「かしこまりました」
「多聞も一緒に頼む。あと、道之助」
「ん?」
「例の話が決まったから、今度、頼むね」
「え!?本当ですか!!ありがとうございます!」
加納は去っていく伊東に深々と頭を下げる。三木、ウメも伊東に続いていく。
「加納、なんだよ例の話って?」
怪訝な表情の藤堂に、試衛館には内緒だよ、と憎まれ口を叩く加納。
「この野郎」
「なぁお前ら。今から昇と飲みに行くんだけど来るか?」
内海のひと声に、藤堂と加納は顔を見合わせ、声をそろえて答えた。
「「奢りなら」」
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道場からそう遠くない江戸深川佐賀町の居酒屋には、しかめっ面の武士にひょうきんな連れ、豪快な髭面の大男と博識そうな優男、一人でちびちび飲む土佐訛りの浪人など、侍たちでごった返していた。
加納は藤堂と、道場の先輩である中西、内海に連れられて、店内に入っていく。
「とりあえず熱燗四合、お願いします」
「いやあ疲れた疲れた」
全員が履物を脱いで座敷に上がり、あぐらをかく。店員が熱々の徳利を両手で持ってくると、四人は御猪口に注いで飲み始めた。
大勢の店内のため、全員が声を張って話している。
「頑張ってるね加納、ついに多聞まで倒すなんて」
「あとは昇だ」
「ええー怖いー」
加納と談笑する中西の隣に、内海が強引に座ると、ぐいっと詰め寄った。
「なあ昇、俺がいるのに加納に色目使うのはやめてほしいのだけど」
「焼きもち妬いて、次郎ちゃん可愛い」
それを見て、藤堂は酒を吹き出し、口を拭った。
「ちょっといいですか先輩方。お二人ってやっぱり衆道の気がある?」
「衆道?」
「男同士で愛し合うやつだよ」
加納もたまらず吹き出す。
「気持ち悪っ!」
「何だと!」
内海が怒鳴る。中西も顔を火照らせ声を張る。
「女なんてふにゃふにゃしていて、力も弱いし、うるさいだけだよ!その点、うちの次郎ちゃんは素敵だよ?がっしりとした胸板、低い声」
男こそ最高だよ!!!そう豪語する中西の声につられて、奥の男が、興味を惹かれ、千鳥足でフラフラとやってくる。それに気づいた加納は、首をかしげた。
知り合い、か?
「おまんら騒がしいのお!儂もまぜてくれや」
男はくせの強い土佐訛りの方言でそう言うと、卓においてある内海の酒を勝手に飲み干した。ちぢれ毛の髪をゆらし、腹をぼりぼりかく。少し臭い。
「あれ?」
藤堂が男の正体に気づいた。それと同時に加納も思い出す。男は前の道場の、二人の先輩である。
名前は坂本龍馬。
――えええ!!!!!!坂本龍馬!?あの、土佐藩の!?薩長同盟、大政奉還、明治維新の立役者の!?
――ああ、坂本龍馬は、奴等の先輩だったんだ。
「「坂本さん!」」
「あ?おおお!加納に藤堂じゃないかえ!それに、ん?えーと、すまんすまん、忘れてもうた」
「俺達は多分初めましてです」
内海が飲まれた酒を恨めしげに睨みながら言う。
中西が、この人は?と藤堂に尋ねる。
「千葉道場の先輩」
「この人も北辰一刀流ってこと?」
「ん?何じゃおまんらもかえ」
「伊東道場の内海次郎」
「同じく中西昇」
「ほおかえ!伊東先生の噂はよう聞いちょるぜよ!」
「あなたは?」
「わしは土佐脱藩、千葉道場の坂本龍馬ぜよ。以後お見知りおきを」
坂本龍馬はにやりと微笑んだ。