伊東大蔵の本音
「先生?」
一番古株の門弟・中西昇が、伊東大蔵の顔をうかがう。
伊東は黙って腰を下ろし、道之助の手を握った。
「……改めて、伊東大蔵だ」
「先生!」
門下生たちが驚きの声をあげる。
「道之助、君はなぜ強くなりたい?」
「……」
伊東の色白い手の温かさが、加納に、幼馴染のお花を思い出させた。
――加納。
あんだよ、花。
――アタシに何かあったときは、加納が守ってよね。
なんだ気色悪い。
――守ってよ。
……当たり前だろ。
「道之助?」
気絶をしたのかと思い伊東が心配そうに声をかけた。はっとした加納が、伊東の手を払う。
「触んな気色わりぃ!」
「ははは、すまん。でだ、教えてくれないか。強くなりたい理由を」
「それは、加納には幼馴染が」
藤堂が口を挟もうとするのを察して、加納は瀕死の身体で木刀を投げつける。
「てめえは黙ってろ!」
「……悪ぃ」
「……はぁ、はぁ、別に。メリケン、エゲレス、はぁ、……とにかく異人を、この国から追い出してえ。それだけだ」
「……尊皇攘夷の志を持っているんだね」
「……」
伊東は静かに立ち上がり、木剣を手に取り、ぶんっと一度振った。愛おしそうに木剣を見つめる。
「私はまっすぐなものが好きでね、刀も、家屋も、動物や赤ん坊もいとおしい」
「あ?」
「桜舞う春がすぎれば、蝉時雨と共に夏が来て、紅葉彩る秋を渡り、静かに冬の雪霜に染まっていく、そんなこの国の四季折々の景色も好きだ。私はね、自分が大切に思う、この、真っ直ぐと疑いようのないものを目指し、努めて生きてきた」
「……」
「けどね、この国はいま大きく変わろうとしている。さあ、国の一大事。私はこのまま自分の平和を守り、一介の道場主として一生を終えていいのだろうか。最近いつも悩んでいる」
「回りくどい、あんた何が言いたいんだよ!」
「黙れ」
多聞が加納を制する。初めて聞く実兄の本心に、多聞だけでなく、門弟全員が聞き入っていた。
「人生で大切なことは、信じられる道を選んで行動することだと思うんだ。たとえ他人に馬鹿にされようと、自分の気持ちに嘘をつかずに生きる姿は素晴らしく尊い。だから道之助、君は素晴らしい人物だと私は思う」
「……うるせえよ」
――加納は、この時のことをよく言っていた。初めて、人に褒められた、とな。
――それが、御陵衛士の中心人物、加納道之助と、伊東甲子太郎の出会いだったんですね。
「多聞、顔を洗ってこい。動ける者は怪我をしたものの手当を。昇、いつものをやる、数えてくれ」
「はい」
門弟たちが怪我人を連れて、道場を後にする。鼻血がしたたる多聞は、加納に一瞥をくれると、ふんっと鼻を鳴らして去っていった。
「まだやれるんだよな?道之助」
「あたり、いぢぃいいいい、はぁ、はぁ、はぁ、……当たり前だ」
「嘘つけ!!!!!!」
藤堂が思いっきりツッコんだ。満身創痍のくせにやせ我慢しやがって。
「その意気やよし。今から百数え終わるまで、僕は木剣を持たない。お前はその間に、一度でもいいから、私の身体に木剣を当てなさい」
「なんだよそれは」
「伊藤道場名物、無刀組手だよ」
住み込みの門人・内海次郎が口を挟んだ。先生は速えぞ?
「ここからはうちのやり方だ。面白いだろ。当たればお前の勝ちだ。だがもし、私が避けきったら、うちの門下生になってもらう。いいね?」
「どーでもいい!俺は負けねえから、よっ!!!」
不意打ちの振り下ろしを伊東はしなやかな動きで避ける。
二振り、三振りと、ガムシャラに剣を振るう加納。
しかし、そのどれもかわされる。まるで蝶々を相手にしているようだ。怒涛の攻めを仕掛けたものの、流石に疲れた加納が、息を切らす。
その瞬間。
伊東が道之助の顔面に、一発叩き込んだ。
「何すんだゴラ!」
「ははははは、手を出さないとは言ってないだろ?」
「こん畜生!」
「あんな楽しそうな兄上を見るのは初めてだ」
内海の後ろから、顔を洗ってきた多聞が戻ってきた。あんな顔をするのか。
「加納も凄いぜ多聞。まだあんなに動けてる」
「今のは惜しいぞ、お、まだまだ。まだいけるか?おお、もっと早く。さぁ」
「おりゃあああああああああああ!!!」
「ひゃ~く!」
「お」
百、と数えた中西の声を聴いた伊東は、すかさず足元の木剣を取り、素早く加納の面に振り落とした。
どさっ。
失神する加納。
「時間切れだ」
「加納!?おい加納!!駄目だ、完全にのびてる」
「平助、君もうちの門下生になるかい?」
「え!?いや、まぁ俺は」
藤堂が、別に悪くはないけど、二つ返事で「はい」と言うのもなぁ、などと考えていると、多聞がポンッと肩を叩いた。
「ついでだ。折角だからな」
「いや、ついでって!」
「決まりだ。こっちでいろいろ聞かせてくれ、君たちのことを」
――こうして、加納道之助、藤堂平助の両名は、伊東道場に入門した。しかし半年後、藤堂平助は、もう一つの道場の門人になる。
――二つかけもちしたんですか。
――ああ、名は試衛館。
――試衛館!?それって、あの?
――そう。新選組局長、近藤勇の道場だ。