いませんでした
トロン子爵の令息とポロ伯爵令嬢の話を聞いた周囲の貴族は「なんてひどいことを」「公爵家の令嬢に対し、そんな暴挙に出るとは」「やり過ぎだ」と批判の声が上がる。さっきの同情の声は、二人の証言で、完全に消されてしまった。
「ユーリー伯爵。あなたはアステアの父親でもある。言いづらいだろうが」「殿下」
父親は蒼白の顔のまま、無念そうに目をつむり、でも口を開いた。
「自分は確かにアステアの父親です。ですが、自分はユーリー伯爵家の当主であり、殿下にとっての臣下です。忠臣として見たままを話したいと思います」
そこで父親は、私と同じ碧眼を悲しそうに曇らせ、こちらを見た。だがその瞳とは裏腹に、語られる事実は残酷だ。
「外務大臣との会議を終えた足で、私は中庭の小道を歩いていました。会議を終え、自分の執務室へ戻る必要があったのですが、気分転換で中庭を通ることにしたのです。そこで向かい側から歩いてくる、トロン子爵の令息が目に入りました。この時間、多くの貴族が中庭にいました。彼に目がいったのは、離れを見ていたからです。つられるように離れを見て、すぐにエントランスホールの吹き抜けの大きなガラス窓が見ました。殿下がいらっしゃる。自分の娘がいる。そしてどちらかのご令嬢がいる――そう思いました」
そこで父親は一度言葉をのみ、肩をこわばらせ、大きく息をはいた。そして意を決した表情で、話を再開した。
「なんだか三人は言い争っているように見えました。思わず立ち止まり、どうしたのかとじっと見守ることになったのです。気づくと、自分やトロン子爵以外の大勢の貴族も足を止め、離れを見ていました。そしてそれは突然起きました。娘が……令嬢を階段から……突き落とそうと……」
父親が黙り込み、私は胸が苦しくなる。その心中を思うと、胸が張り裂けそうだった。
「突き落とそうしたのですが、それを殿下が止めてくださいました。……娘は、娘は、とても真面目で優しい子です。あれは何かの間違い。魔が差しただけだと思います。どうか、婚約は破棄でも構いません。ですが殿下、極刑だけは……」
父親がその場で崩れ落ち、私が駆け寄ろうとするのをマーティンが制した。代わりにこの舞踏会に来ていた母親と妹……スーザンが駆け寄った。
この様子を見た周囲の貴族は、私の家族に同情の目を向け、私には……石でも投げつけかねない冷たい視線を送っている。
「どうだ、アステア。ぐうの音も出まい。あきらめて」
「いませんでした」
「?????」
マーティンとベアリリスが顔を見合わせ、きょとんとしている。両親とスーザンは固まっていた。この期に及んで何を言い出すつもりかと思っているのだろう。
「ですから私は、その日その時その場所には、いませんでした」
「はっ! 自分の父親も証人なのに、ここにきてよくまあそんなことを言い出せたな」
「私にも証人がいますから、殿下」
「何?」
美青年として知られるマーティンの顔がゆがむ。そこには「この状況を覆すことができる証人などいない」という顔だった。それは……そうだろう。代表してこの三人が前に出て証言した。だが父親は「気づくと、自分やトロン子爵以外の大勢の貴族も足を止め、離れを見ていました」と言っていたのだ。目撃者は多数いる。
「殿下、私の証人をご紹介してもいいでしょうか」
「ふん。こちらはいくらでも証人を用意できる。紹介できるものなら、その証人とやらを紹介するがいい」
「ありがとうございます」
マーティンに対し、頭を下げた私は、彼の後ろに控える一人の人物を見た。未来の義母になるはずだった人物だ。真紅のシルクのドレスを着て、国宝級のピンクダイヤモンドのペンダントをつけている。アップにした髪に飾られたティアラのダイヤモンドも、シャンデリアの明かりを受け、キラキラと輝いていた。
「王妃殿下、あの日は私の泣き言の相談に乗っていただき、ありがとうございました。せっかくアドバイスをいただきましたが、どうやらこの婚約を続けることは、難しいようです」
私の言葉に王妃殿下――メリア王妃は、同意を示すように頷いた。
もし私が前世の記憶を取り戻していなかったから、こうはできなかった。だが私は前世で乙女ゲームをプレイした時の記憶がある。マーティンによる断罪がどのように行われるか、それは分かっていた。よって、彼らの罠に落ちないため、策を練った。
ゲーム内において。マーティン達はアステアの父親までを証人とし、彼女のことを追い詰めた。アステアがいくら否定しても、多くの証人により、悪役令嬢として彼女は絞首刑となり、ヒロインはハッピーエンドを迎える。
証人の数では勝てない。ならば質で勝負だ。
たった一人の証人で、マーティン達が用意した茶番を覆す。
覆す――これをこの世界で、この国でできる人物は、限られている。
だから。
メリア王妃を証人にすると決めた。