淡い期待
突然、私に話があると、訪問してきたマクシエン。
うっすらと予感はあった。
学校を卒業したから、いよいよ結婚しよう……なんてマクシエンが言い出すことは、ないだろうと思っていた。それでも人間は希望にすがりたいもの。淡い期待は捨てきれない。
学校を卒業し、もう学生ではなくなったマクシエンが、私の惨状に気が付き、救い出しにきてくれたのかもしれない――そんな希望を、どうしても持ってしまう。
急な訪問だったので、私はメイド服のエプロンを外しただけの、黒いワンピース姿。髪はひっつめで、お化粧もしていない。
一着しかないドレスに着替える時間はなかった。お化粧品も道具もない。
来客を迎える男爵令嬢とは思えない姿で、マクシエンの前に立つことになった。
数年前であれば、マクシエンに私を虐待していることがバレないよう、継母は体裁を整えていた。だがロージーとマクシエンが仲良くなると、その体裁を整えることさえ、継母はしなくなっていた。
こうしてみすぼらしい私の姿を見たマクシエンは、ため息をつき、口を開いた。
「パメラ・ライヴリィ、君との婚約は破棄する。義理の妹であるロージーをいじめ、腐った物を食べさせようとしたり、物置に閉じ込めようとしたり。一つ一つが些細なことであれ、君のその性悪な精神は、我が子爵家には相応しくないんだよ」
腐った物を食べさせようとしたり、物置に閉じ込めようとしたりしたのは、私ではない。しかもそれは未遂ではなく、私が実際にやられたことだった。継母とロージーから。結局ロージーも、私が継母に何をされても、見て見ぬフリ。それどころか次第に継母と共に、私へ嫌がらせをするようになっていた。
子爵家には相応しくない性悪な精神。
それは……継母とロージーだと思う。
「それに君の紫の瞳。そんな瞳を持つ者、我がスクリフ子爵領では見たことがない。おそらく、君のような瞳の色の者は、この国にいないぞ。ロージーは異国の奴隷の血が流れているかもしれないと言ったが、そうかもしれないな。その性格の悪さからすると」
性格の悪さを指摘するなら、それもまた継母とロージーだと思うのだけど……。
でもここで反論しても、継母とロージーに潰されるだけだ。それよりもこの婚約破棄の件を、父親は知っているのかしら?という疑問が浮かぶ。
立場的には、スクリフ子爵家の方が格上貴族であることから、婚約破棄を申し出ても、この国の制度上、問題はない。ただ、私とマクシエンの婚約は、先代スクリフ子爵のたっての希望だった。それをこうもあっさり、私の性格が悪いという理由で、破棄できるものなのかしら?
「マクシエン様、パメラが至らない子で申し訳ないですわ。再三注意しても、直らないのですよ。ロージーが平民出身であるからと、馬鹿にしているようで……。でもパメラを責めないであげてください。私がパメラを叱ると、優しいロージーは、心を痛めるのですよ……」
継母は、よくそんな嘘をと思う言葉を並び立て、マクシエンは「ロージー、君はなんて優しんだ」と彼女の手をぎゅっと握っている。その上でマクシエンは、こんなことを言い出した。
「パメラは我がスクリフ家に相応しくないのですが、ロージーは違います。僕はパメラとは婚約破棄しますが、代わりにロージーと婚約させていただきたいと思っているのです」
「まあ」「嬉しいわ、マクシエン様!」
継母は大袈裟に驚き、ロージーは、マクシエンに抱きつく。
「既に両親には相談し、許可をもらっていますし、実はライヴリィ男爵にも許可をいただいていました」
マクシエンの言葉に、私は勿論、継母とロージーも驚いている。
私とマクシエンを婚約破棄させ、マクシエンからロージーにプロポーズさせる。そして事後報告だけ、継母は父親にするつもりだったと思う。まさか先に父親が私の婚約解消を認めていたことに驚きつつも、目論み通りなので、継母とロージーの顔は、次第に笑顔となる。
一方の私は「ああ」と気づいてしまう。
結局、貴族の結婚なんて、当人同士の気持ちより、家同士の思惑が物を言う。マクシエンは私と婚約破棄するが、ロージーと婚約をする。それならばスクリフ子爵家とライヴリィ男爵家との結婚――婚姻関係で両家がより強く結びつく――は、維持されるわけだ。
父親はドライに「それならば問題なし」と判断したのではないだろうか。
どの道、こうなる運命だったのだろう。
悪役令嬢として断罪を回避できても、必ずしもハッピーエンドじゃないんだ。
マクシエンとの婚約破棄は、そこまで悲しいことではなかった。既に彼とは五年近く顔を合わせていないし、ロージーと楽しそうに庭を散歩し、話す姿を見せつけられていたのだ。遅かれ早かれこうなることも、予見できていた。
それなのに涙がこみあげてくる。
悪役令嬢として断罪を回避できても、必ずしもハッピーエンドじゃないんだ……。
その時だった。
唐突に屋敷の扉が開き、エントランスホールにいた全員が、使用人も含め、驚きで振り返ることになる。
こんな風に屋敷に入って来ることができるのは、家族しかいない。つまりは父親と見知らぬ男性、それになぜなのか。ヴィクター・シルヴァーノ・ローゼンクランチ……今さらなのだけど、この国の第三王子であり、ヒロインの攻略対象がいる。王族がいるからか、沢山の騎士もいた。護衛のための騎士達だろう。しかも王家とは違う紋章の、サーコートをつけた騎士も沢山いる。
これは……一体どういうことなの?
「見ての通り、ここにいらっしゃるのはこの国、ローゼンクランチ王国の第三王子、ヴィクター・シルヴァーノ・ローゼンクランチ殿下だ。立ち話をするわけにはいかない。応接室へ移動しよう」
父親の言葉に、皆で応接室へ移動することになった。
応接室へ向かい歩きながら、私が気になっていることは、三つある。
一つ目は当然だが、悪役令嬢が断罪される卒業舞踏会は終っているのに、ヒロインの攻略対象である第三王子のヴィクターがいる理由だ。
二つ目は、そのヴィクターと肩を並べて歩く、銀髪と紫の瞳の端正な顔立ちの男性が、誰なのかということ。
三つ目は、その銀髪と紫の瞳を持つ男性のすぐそばを歩く騎士。おそらくヴィクターの隣を歩く彼の護衛騎士だと思うが、彼もまた銀髪で紫の瞳をしていた。しかもサラリとしたその髪は、長く美しく、その顔をどこかで見たことがあるように感じたのだ。
応接室に入ると、「まずは座りましょう」と父親が言い、銀髪に紫の瞳の男性と並び、三人掛けのソファに座った。ローテーブルを挟んで、対面のソファに母親、ロージー、マクシエン、そして一人掛けのソファに私が一人で座った。奇しくも私の対面には、あの銀髪長髪の護衛騎士が座っている。
「改めて紹介する。ローゼンクランチ王国の第三王子、ヴィクター・シルヴァーノ・ローゼンクランチ殿下だ」
一旦はソファに座った全員がその場で立ち上がり、父親に紹介されることになった。
ヴィクターはさすがヒロインの攻略対象。もう普通にかっこいい。
焦げ茶色のふわっとした髪は父親……国王陛下譲り、碧眼の瞳は母親……お妃殿下譲りだ。シャープな顔立ちで、眉もキリッとしていて、王太子らしい、力強いオーラに溢れている。
悪役令嬢パメラと婚約していないヴィクター第三王子は、婚約者がいないまま、学園に入学していた。でもそれは問題ないだろう。ヒロインがヴィクターを選んだなら、攻略しやすかったはずだ。悪役令嬢に邪魔をされないわけだから。
でも、今朝見たニュースペーパーに、ヴィクターの婚約情報はなかった。ゲームのシナリオでは、悪役令嬢パメラとの婚約破棄&断罪、そしてヒロインと婚約……という流れになる。それは当然のようにニュースペーパーの記事になったはずだ。
そうなると今回、ヒロインは、ヴィクター以外を攻略したのだと思う。さすがに他の攻略対象は、王族ではないので、ニュースペーパーには載らない。社交界に顔を出していれば、王都にいなくても、貴族同士の婚約の情報は耳に入って来る。ところが私は社交界デビューをしていないから……。
ヒロインが誰を攻略したのか。今は分からなかった。
私がそんなことを考えていると、ヴィクターが驚きの情報をもたらした。























































