一か八かで……
私が領主の娘であることは、バレている。
そんな私を、この闇人身売買ブローカーのベンジュリは、購入するのだろうか?
「買うぞ。わしは領主に、なんの恩もない。検問所にその女を引き渡しても、どうせたいした金にもならん。だがハーロル様なら間違いなく、高額な値段で買い取ってくれる。それに今日は、ハーロル様が月に一回、直接地下牢を見て、好みの女を買い取られる日だからな」
コイツは本当に悪党だ!
領主からの通達を、こうもあっさり無視するとは……。
でも世の中なんてこんなものだ。正直者が必ずしも報われるわけではない。
しかし。
困ってしまう。
継母の元に戻るのも、イヤだった。でも変態貴族に買われるのも、嫌だ。でも今の状況では、このどちらかの運命しか残されていない。
そこからは、一か八かだった。
何もしないよりは、ましだ。もしかしたら奇跡的に、逃げられるかもしれない。そう考えた私は、静かにチェストから出て、荷馬車から降りようとした。でも音を立てないなんて無理なこと。床に足がついた瞬間に、音を立ててしまい、あっさりチェストから出たことが、バレてしまう。
「! なんで女がそこにいる!?」
人攫いの男が叫び、ベンジュリが「確かに珍しい。これは高く売れるぞ」と、私をブラウンの瞳で、足元から頭の天辺までなめるように見た。思わず背筋がぞわっとした瞬間。「この女を捕まえろ!」とベンジュリが怒鳴った。
荷馬車が止まった場所は、搬入のための倉庫のようなところ。馬車が出入りする場所は、大きく解放されているが、そこには見張りが沢山いた。
だがこの倉庫は、別の建物とつながっているようで、事務所のような部屋の扉、階段につながる踊り場が見え、いくつか逃げられそうなルートがあった。
ベストな逃走ルートは、勿論外につながる、この倉庫の出入り口。だがそこには、見張りが沢山いる。そこで建物の中へつながる扉を開け、そこに飛び込むようにして、逃げ出すことになった。階段は、地下に向かうと、行き詰る気がしたし、上に行っても、逃げ場はないと思ったからだ。
「待ちやがれ!」
怒鳴り声を聞きながら、建物内の廊下を走る。
心臓が爆発しそうだったし、とにかく「ここから逃げる」とだけ、心の中で何度も唱えた。あとは後ろを振り返らないようにして、ひたすら走る。
家具を搬入していたぐらいだ。この闇人身売買ブローカーの表向きの顔は、家具屋に間違いない。廊下には、まだ店に出していない家具が沢山置かれている。正直、邪魔だった。それでも私の後を追ってくる男達より、私は小柄だし、痩せていたので、走りやすかったと思う。
「そこのガキを、捕まえろー!」
家具屋の店員らしき人物は、突然そんな風に声をかけられても、迅速に動くなんて、無理だった。言葉の意味を、店員が認識している間が、チャンスだ。店員の脇をすり抜け、ひたすら建物の外を目指す。
この突き当りを左に曲がったら、外へ出られるのでは?
そんな場所まで来ることができていた。
日の光がその方角から差し込んでいる気がして、助かる!という気持ちが高まったまさにその時。曲がり角を通過した瞬間、誰かにぶつかり、心底驚く。
跳ね飛ばされ、床に転がるかと思った。でもそうはならなかった。ぶつかった相手が、私の両腕をつかみ、転倒を防いでくれたからだ。
つぶっていた目を、ゆっくり開ける。
さらに顔をあげると、まず目についたのは、アイグラシズ(鼻眼鏡)。薄い紫色のレンズだったので、一瞬、瞳が私と同じ紫色に見えた。ぶつかった衝撃もさることながら、この勘違いで、心臓が大きく跳ね上がった。
髪は、この国の住人らしい焦げ茶色の長髪。後ろで一本に結わかれている。アイグラシズをつけているぐらいだから、鼻は高く、整った顔立ちをしていた。曲がり角の出会い頭でぶつかったにも関わらず、よろめくこともなく、私の転倒を防いだ。長身だし、さぞかしがたいがいいのかと思いきや……。
確かに長身だが、がっしりしている感じはない。この国の男性がよく着ている、オリーブ色の上衣、その中に着ている白のシャツとシトラス色のベストを見るに、着やせしているのだと思った。その服の下は引き締まり、よく鍛えられた肉体があるに違いない――そう思えた。
それに一見ありがちな色とデザインの服を着ているように思えるが、生地が上質だし、仕立てがいいように思える。貴族だろうけど、かなりの上位貴族なのでは……?
アイグラシズ越しに私を見たその美貌の男性は、かなり驚いた様子で目を見開き、そのなめらかそうな唇を開いた。
「君は……」
思いがけずグッとくる声に、心臓がドキッと反応してしまう。
「ハーロル様、その女は売り物でございます! 異国の娘でして、ハーロル様にご紹介するつもりでした。いかがでしょうか!」
ベンジュリの声がしたと思ったら、私を追いかける、闇人身売買ブローカー達に、追いつかれてしまった。皆、一様に、焦げ茶色の髪にブラウンの瞳、黒や緑の似たり寄ったりの服装をしている。一人だけ、レスラーのように、がたいのいい男がいた。この人物が、私を担ぎ、森を抜けた男だろう。
今さらじっくり、私を追う奴らの姿を見ることになっていた。出会い頭でぶつかった男性のせいで、逃げそびれた結果だ。
今さら遅い、と思いつつも、逃げられないかともがいてみると……。ふわっとアニスとバニラが合わさったかのような、エキゾチックで甘い香りがした。
「えっ」と思ったら、後ろからハーロル……つまりは異国の女を好む変態貴族に、抱きしめられていると分かった。
「ベンジュリ、確かにこれは異国のいい女だ。買おう」――最悪だ!と心の中で叫ぶ。
ハーロルは、暴れようとする私のことを、片腕でいとも簡単に抑え込みながら、どうやら腰に着けていたらしい巾着を取り出す。そしてそれをそのまま無造作に、ベンジュリに向けて投げる。
かなり大きい巾着で、中身は重そう。すぐに落下を始め、「おおおっ」とベンジュリは、前のめりにながら、巾着を受け取った。想像以上の重さだったようだ。受け取ったベンジュリは、そのまま床に倒れそうになり、慌てて体勢を整える。そしてすぐさま巾着の中身を確認した。
「! ハーロル様、これは金貨ですが、こ、こんなによろしいのですか?」
「ああ、構わない。今日はいい買い物ができた」
「ハーロル様! 他にも東方から流れてきたという髪が黒く、シルクのように長い女もいます。青黒い髪に、黒い瞳の女もいますが、どうでしょうか」
ベンジュリが、腰ひもに金貨の入った巾着を結わきつけながら、ニタニタと笑顔を浮かべ、尋ねた瞬間。ハーロルの冷たい声が響く。
「ベンジュリ。それだけの金貨があれば、表でやっている家具屋の商品、すべて買えるはずだ。それなのに今言った異国の女を、さらに金を出して買えと言うのか? 今、地下牢に閉じ込めている全員を出せ。それでも釣りはたんまり残るだろう?」
どうやらハーロルは言葉だけではなく、冷え冷えとした視線もベンジュリに投げつけたようで、ベンジュリは慌てて目線を下に向け、「かしこまりました!」と返事をした。
ベンジュリは、部下に地下牢から商品<人間>を連れてくるよう命じる。そして私をさらった男達に、ハーロルから受け取った金貨を何枚か渡すと、こちらへと駆けてきた。
私はひょいとハーロルに抱え上げられ、ベンジュリとハーロルは歩きながら、会話を始めた。その間、私は暴れているが、ハーロルの体は見た目以上に屈強だ。ビクともしない。
「逃亡を防止するための、枷はつけますか? 地下牢には現在、異国の女を含め、二十名ほどの商品があります。そのすべて今日、お持ち帰りになりますか?」
「枷はいらない。無論、全員、連れ帰る」
「幌馬車や荷馬車は、ご用意されていますか?」
「それぐらいサービスでつけろ」
淡々と商品〈人間〉を運び出す算段を立てる、ハーロルとベンジュリに恐怖を感じ、そしてここで悪役令嬢パメラは終った……そう思っていた。
私自身はこの最悪な状況に、とんでもなく気持ちが沈んでいるのに。
表向きの商売――家具屋の店頭に着いたようで、床が陽射しで輝いている。世界は私の不幸とは関係なく、平和を謳歌しているのね――。
「では裏口には、部下を向かわせる」
「かしこまりました、ハーロル様。毎度、ごひいきに」
二人の会話が終わり、私は――床におろされた。
キョトンとして棒立ちする私を見て、ハーロルではなく、ベンジュリが告げる。
「逃げようとしても無駄だぞ。この建物には傭兵が配備されている。つまり変な行動をとれば、弓矢で狙われるということだ。大人しくハーロル様の馬車に、乗るんだな」
ハーロルは枷をいらないと言ったが、そういうわけか。
もう本当に私は、この変態貴族の屋敷へ、連れて行かれるしかないのね。
家具屋から外に出ると、そこには街の人々の日常が、広がっている。
子供連れの母親は、籠にパンと野菜を入れ、笑顔で歩いていた。
少し年配の老人二人組が、ステッキを手に、何やら議論しながら歩いている。
路地裏では酔っ払いが怒鳴り合い、その建物の二階から「うるさいわよ!」と怒鳴る女性が見えた。
野良犬がうろつき、馬車が行き交い、荷馬車が次々と積み荷を運んでいる。
「さあ、こちらの馬車です。お乗りください」
まるで貴族の令嬢に対するような丁重な口調と表情で、ハーロルが私に手を差し出した。本来ならこんな美貌な男性に手を差し出されたら、笑顔になると思う。でもハーロルが変態貴族であると分かっているから、鳥肌が立った。
人身売買で手に入れた商品に、恭しくするなんて。そういうプレイが好きなの、このハーロルは?
チラッと家具屋の建物を見ると、確かに二階の窓からこちらを見下ろす、傭兵らしき男の姿が見えた。
もう終わったと分かっている。それでもなんとか逃げ出せないのかと、本能が私を突き動かす。
「大丈夫です。怖がらないでください。何もしませんから」――嘘だ!と心の中で思う。
そうやって笑顔で自分が人畜無害であると騙し、屋敷についたらきっと、豹変するんだ!
再度、家具屋の建物を見ると、窓を開け、傭兵が身を乗り出していた。
なかなか馬車に乗り込まない私に、逃亡の危険あり――そう判断したのかもしれない。
こうなってはもう、馬車に乗り込むしかなかった。
「そうだ、ハーロル様!」
私が馬車に乗り込み、変態貴族のハーロルも続こうとした時。
家具屋の店先で、私達を見送ろうとしていたベンジュリが、こちらへ駆け寄った。
ハーロルがまだ扉が閉まっていない馬車に背を向け、ベンジュリと向き合う。
扉は閉まっていない。
逃げられる――!
お読みいただき、ありがとうございます!
【お知らせ:完結&ネット小説大賞様から……】
以下作品、完結しました。一気読みできます!
先日ネット小説大賞チーム様から
感想もいただきましたヾ(≧▽≦)ノ
『 断罪回避を諦め終活した悪役令嬢にモテ期到来!?
~運命の相手はまだ原石でした~』
https://ncode.syosetu.com/n5617ip/
ページ下部にあらすじ付きイラストリンクバナーございます☆彡






















































