98話 プシュにメロメロ
森から前国王夫妻の屋敷に戻ると、驚いたことに、またもやヴィンスの両親が出迎えてくれた。
屋敷の外で警備している一人の騎士が、近くの山で雪崩が起きていることに気付き、アガーシャたちの耳にも届いたらしい。
二人はすぐにヴィンスのもとに駆け寄り、怪我はないかと尋ねていた。
「問題ありません。それよりも、プシュについてお話したいのですが──」
それから早三十分。
アガーシャたちにプシュを保護をする了承を得たドロテアは自室にいた。
そして、目の前の光景に、「ハァ〜〜〜〜」と息を吐いた。
「可愛い……。本当に可愛いわ……。プシュくん……!」
「本当に可愛いですね! ドロテア様!」
床の一部には、屋敷の侍女に頼んで持ってきてもらった赤いラグ。これは、前までアガーシャの部屋にあったのだが、少し傷んできたために、廃棄予定になっていたものだ。
そんなラグの上にあるのは、これもまた屋敷の侍女に持ってきてもらった、縁に金色の細工が施された浅い皿。『レビオル』で作られる伝統のお皿で、値段もなかなかのもの。
皿の中には、市場に出回っているクヌキの蜜をお湯で薄めたものだ。できるだけ自然のクヌキの密に糖度や濃さを近付けるためである。
クヌキの蜜は、ナッツが厨房に行ってもらってきてくれた。
「キュウ……! キュキュウッ!」
ラグの上に乗ったプシュは、皿に入った薄めたクヌキの蜜を一心不乱に舐めている。
プシュは基本的に雑食なのだが、その中でもクヌキの蜜が大好物なのだ。
因みに、怪我をしていたプシュの左の後ろ足は、屋敷に到着してすぐに治療済みだ。
「ふふ、たくさん食べてね」
「キュウッ……!」
「ああああ! 聞いたナッツ! 今プシュくんが返事をしてくれたわ……!? やっぱりこの子、話しかけられているのが分かるのかしら……!?」
「きっと、ドロテア様のことが大好きだからです! あっ、ナッツもドロテア様が大好きですっ!」
「ナッツ……!!」
可愛いが溢れる空間に、ドロテアは幸せを噛み締める。
(ああ、可愛いが過ぎるわ……!)
プシュはクヌキの蜜でお腹がいっぱいになったから、ラグにころんと寝転がっている。
出会った頃とは信じられないほど、気の抜けた穏やかな表情だ。
足の痛みはあるのだろうが、お腹が満たされたことで、満足したのだろうか。
尻尾を小さくゆらゆらと揺らしている姿も、堪らなく可愛らしく癒やされる。
「それにしてもドロテア様、両陛下がプシュくんを受け入れてくださって良かったですね!」
「ええ、本当に」
「けれど、騎士の方伝いに話を聞いた時は驚きました……! まさか雪崩に遭遇していたなんて……。お怪我がなくて、本当に良かったです。私……ドロテア様に何かあったら……」
こんなにも尻尾が垂れ下がったナッツを始めて見る。
屋敷に戻ってから、ナッツは常に明るく接してくれていたけれど、その実はかなり心配だったようだ。
「ごめんね、ナッツ。心配をかけてしまって……」
「ぷ、ぷっきゅん……。……とっても、とっーても心配でした。……でも」
ナッツは次の瞬間、満面の笑みを浮かべた。
「ドロテア様が無事に帰ってきてくださったので、嬉しさのほうが強いですっ! うふふっ!」
「ナッツ〜!」
──ぶりんぶりんぶりんっ!
これ以上ないくらいに尻尾を振るナッツ。
なんと、プシュもナッツを真似ているのか、激しく尻尾を降り出した。ふりふりふり。
ドロテアは目をカッと見開いて、その光景を見逃さんと凝視する。
(ナッツは相変わらず可愛いし、プシュくんも警戒心を解いて可愛らしい姿を見せてくれる……。ありがとう、ありがとう)
尻尾を振り終えたプシュは、ゆっくりとドロテアに近付いてくる。
ドロテアは両手に差し出し、手のひらにプシュを乗せた。
「キュウキュウキュウ!」
「なぁに? プシュくん」
ドロテアは椅子に腰掛け、必死に何かを訴えるプシュに問いかける。
すると、プシュは左の後ろ足を庇うようにして、ドロテアの膝の上に乗った。プシュは幸せそうに「キュウ!」と高い声を出し、ドロテアの太ももの上でベタッと横になった。
「甘えてくれているのかしら……? 可愛い……! 嬉しい……!」
「お腹がいっぱいになって眠たくなったのかもしれませんね!」
ナッツはクヌキの蜜が入っていた皿を片付け、慣れた手つきで紅茶を入れ始めた。
一方でドロテアは、上目遣いでこちらを見るプシュの頭や背を優しく撫でる。
(だって、まるで撫でてって言っている目なんだもの……。もふもふ……ふわふわ……幸せ……)
ヴィンスにはあまりプシュを触りすぎるなと言われているが、これは不可抗力だ。致し方ない。
ドロテアは顔を綻ばせる。
すると、ノックの音が聞こえたので、そちらに視線を向けた。
「ドロテア、必要かと思ってゲージを借りてきたぞ」
「ヴィンス様、ありがとうございます……! すっかり頭からゲージのことが抜けていました」
ヴィンスが持ってきてくれたのは、プシュが入るのに十分な大きさのゲージだ。
ドロテアはハッとして、プシュを撫でる手を止めた。
ナッツはすかさずヴィンスの紅茶の準備も始めた。
「プシュくん、ヴィンス様がゲージを持ってきてくださったわ。良かったね〜」
「……結局『プシュくん』と呼んでいるのか? そいつがオスだからか?」
「はい。他にも名前を考えたのですが、結局プシュくん以上の可愛い名前が思い付きませんでした」
ヴィンスはゲージにテーブルに置くと、ドロテアの視線の先を見つめた。プシュがこれでもかとドロテアに甘えている姿である。
「……ドロテア。早くプシュをゲージに入れてやれ。眠たいならばここで寝ればいいだろう」
ヴィンスはできるだけ冷静な声色で話す。
プシュが膝の上からいなくなってしまうのは少し寂しかったが、ドロテアは納得し、プシュに手を伸ばした。
「プシュくん、あっちのお部屋に入りましょう?」
「キュウッ!!」
プシュはプイッと顔を反らし、ドロテアの膝の上からてこでも動こうとしない。どうやら、ゲージはお気に召さないらしい。
「……おい、プシュ」
ヴィンスは腰を曲げてプシュに顔を近付けた。眉や瞳に苛立ちが滲んでいる。
「早くドロテアの上から退け。なんなら俺が丁寧にゲージまで運んでやろうか?」
「キュウキュウ!! キュウキュウ!!」
プシュ、憤怒。絶対に離れんと、ドロテアにしがみついている。
ヴィンスは額にブチブチと青筋を立てた。
まさに、一触即発である。
「ま、まあまあ、ヴィンス様! プシュくんはお腹がいっぱいで眠く、ここを動きたくないのだと思います……!」
慌てて間に入ったドロテアに、ヴィンスは小さく息を吐いた。
「……分かった。ドロテアがそう言うなら今は目を瞑る。プシュは希少動物なため、あまり手荒な真似もできないしな」
「ありがとうございます……!」
「キュキュウッ!」
ふふんっ! と誇らしげなプシュに、ヴィンスは再び額に青筋を浮かべたのだった。




