95話 雪崩! 危機一髪!
ヴィンスは振り返り、ゴゴゴ……と音がする方に目をやる。
ドロテアもヴィンスと同じ方向を見つめれば、ほど近い山から猛烈な勢いで雪が崩れ落ちてくるのが見えた。
「まさか……今日の晴天で雪が溶けた影響で、雪崩が発生したの……!?」
もしくは、ここ数日で大雪だった影響だろうか。
(ううん、今は原因を考えている場合じゃないわ……!)
雪崩の種類は大きく分けると二つあるが、どちらにせよ、そのスピードは速い。
ドロテアたちがいる場所は樹木が多いため、この辺りに来る頃にはスピードが緩んでいる可能性も考えられるが、この場から早く離れないと万が一ということもある。
「ドロテア、早く俺に掴まれ!」
「……っ、は、はい……!」
ドロテアは迷わずヴィンスの首に両腕を回して、彼にしがみつく。
これが一番、強靭な脚力を持つヴィンスの足手まといにはならないからだ。
「ヴィンス様、雪崩を横切るようにして走ってください……! 決して雪崩の進行方向に逃げてはいけません……!」
「ああ……!」
ヴィンスならば木の上に飛ぶことも可能だが、雪崩の威力によっては倒木することも考えられる。
やはり、雪崩の影響を及ぼさない位置に逃げるのが一番だろう。
「しっかり捕まっていろ……! 良いな……!」
「はい……っ」
そうしてヴィンスは、ドロテアを抱えて全速力で走り出した。
◇◇◇
「ハァ……ハァ……」
雪崩発生から約十分後。
雪崩の危機から逃れたヴィンスは、ドロテアを抱いたまま息を乱していた。
走りづらい積雪の地面、進路を邪魔する樹木、雪崩という恐怖心に、更にドロテアを抱えた状態。
いくらヴィンスでも、疲れないわけがなかった。
「ヴィンス様、助けてくださり、ありがとうございます……! 雪崩は落ち着きましたから、一旦休みましょう! とりあえず私を下ろしてください……!」
「……分かった」
大人しく下ろしてもらえたドロテアは、ヴィンスに抱えてもらった礼を改めて述べ、頭を下げる。
ヴィンスが「当然だ」と言ってくれたので顔を上げると、頬にはひんやりとしたものを感じた。
(これは……)
ドロテアが上空を見ると、続けてヴィンスも見上げた。
「雪か……?」
真っ青な空から、ハラハラと落ちてくる白い結晶。
美しく、つい触りたくなる。
ドロテアが手を前に出すと、手袋の上に落ちた小さな雪は、一瞬にしてじんわりと溶けた。
「晴れているのに、どうして雪が?」
「確かなことは言えませんが、山の雪が風に乗って、飛んできているのかもしれません」
雪崩の発生により、山に積もっていた一部の雪が舞いやすくなっているのか。それとも、山に強風が吹き荒れているのか。
ドロテアはそう補足する。
「なんにせよ、上空は快晴ですから、この雪はそう長くは続かないと思います」
「そうか。お前は本当に何でも知っているな」
「……いえ、私はただの……じゃない。私はヴィンス様の、婚約者ですもの」
「……ふ、言うようになったな」
ヴィンスはニッと口角を上げるが、未だに息が乱れている。相当体力を消費したのだろう。
(それに、降雪と風は、体力回復の妨げになるわ……)
このまま森の出口まで歩き、馬で屋敷に戻るのは、ヴィンスに酷だ。
かと言って、ドロテアにはヴィンスを背負ってやる体力も、彼のように華麗に馬に乗れる運動能力もなかった。
(それなら……)
ドロテアは周辺を見回し、運良く見つけたそれに、「あっ」と声を上げた。
「ヴィンス様、あの洞窟で少し休みませんか? ヴィンス様に無理をしてほしくありません。本当は、私がお助けできたらいいんですが……。申し訳ありません……」
ドロテアが申し訳無さそうな顔で指をさしたのは、数名なら入れそうな大きさの洞窟だ。
あそこなら、雪はもちろん、風も少しは防げるだろうし、雪が積もっていないため、腰を下ろすこともできる。
ヴィンスも洞窟を確認すると、直ぐにドロテアの頭に手を伸ばした。そして、ぐしゃぐしゃっと、彼女の頭を乱雑に撫でる。
「なっ、何ですか……っ」
「俺はいつもドロテアに助けられている。謝罪もいらないし、そんな顔もするな」
「けれど」
「反論するなら、お前の口を塞いで、何も言えなくする。それで良いか?」
「〜〜っ」
ヴィンスの親指で唇をなぞられたドロテアは、顔を真っ赤にして、素早く首を横に振る。
彼には一生、勝てる気がしない。そう思ったのは、かれこれ何度目だろうか。
「……ふ、良い子だ。少し洞窟で休む。行くぞ」
「……っ、は、はい」
それから二人は洞窟内に入り、肩を寄せ合うように腰を下ろした。
ヴィンスの呼吸が少しずつ整っていく様子に、ドロテアはホッと胸を撫で下ろす。
「寒くはないか?」
「は、はい。平気で……くしゅんっ」
「こら、強がるな」
ヴィンスは自在に尻尾を動かすと、ドロテアの体を包み込んだ。
「この方が暖かいだろう?」
ドロテアは頬を緩める。お腹辺りに回されたヴィンスの尻尾を軽く触りながら、ふふ、と笑った。
「はい! それに、幸せです……! もふもふ、もふもふもふ……」
「……相変わらず、幸せそうだな」
(……って、だめだわ! 今はもふもふを堪能している場合じゃなくて……!)
ドロテアは咳払いしてから、真面目な顔を見せた。
「ヴィンス様、先程の話の続きなのですが」
「ああ。俺と両親のことについて、ちゃんと話す」
「いえ、そうではなくて……! 私に心配をかけさせまいと、無理に話さなくて良いとお伝えしたかったのです……っ」
「……何?」
ヴィンスが不思議そうに目を見開いた。
「だって私は、何があってもヴィンス様の味方ですから……!」
「…………」
「ヴィンス様……?」
無言でジッと見つめてくるヴィンスの瞳から、彼の心情の全てを読み取ることはできない。
けれど、彼の瞳に、覚悟が見えた気がした。
「……いや、話す。ドロテアに心配をかけたくないという理由だけじゃない。……俺は、お前に聞いてほしいんだ」
ヴィンスは、小さく息を吸ってから話し出した。