9話 聖女は能天気
──サフィール王国、ランビリス邸では。
「シェリー、少し話があるんだが、良いかい?」
「あらお父様、どうなさったの?」
ドロテアがヴィンスから熱い求婚を受けている一方で、自室にいたシェリーは突然現れた父にニコリと微笑む。
そんなシェリーの側には色とりどりの可愛らしいドレスを持ったメイドたちが数人おり、ちょうど今度の建国祭に着ていくドレスの候補を選んでいるところだった。
「おや、邪魔をしてしまって済まないね、シェリー」
「構いませんわ? 結局私はどれを着たって似合うのだし! うふふ」
愉快そうに言ったものの、実はシェリーの内心は少し不満が募っていた。
というのも、今メイドたちに持たせているドレスは、数日前にランビリス家で購入したものと、婚約者である第三王子のケビンが以前の生誕祭のときにプレゼントしてくれたものだったからだ。
(もう、ケビン様ったら。建国祭まであと一ヶ月だというのに、いつになったら新しいドレスを贈ってくださるのかしら)
ケビンと婚約者になってから早二年。生誕祭や建国祭、宮廷舞踏会などの大きな催事の前になると、彼は必ずドレスやジュエリーの贈り物をしてくれた。
美しい故に『聖女』の称号を与えられたシェリー。その美しさに惚れたケビンは、シェリーにぞっこんだったのだ。シェリーがより一層美しくなるためならば、金に糸目はつけなかった。
(ま、最近公務がお忙しいって言っていたから、忘れているのね。今度顔を見せに行ったときに、それとなくドレスの話をしようかしらっ! もう! しょうがないんだから!)
シェリーはそう自己完結を済ませると、メイドたちに一旦ドレスをしまうよう指示をする。
そして、父が座るソファの向かい側のソファへと腰を下ろしてから用件を伺うと、瞠目することとなった。
「……知り合いに王城で勤める文官がいるんだが、そいつからとある話を聞いてな。……理由は分からないが、近々『聖女』の称号を廃止しようとする話が出ているらしいんだ」
「えっ?」
(何? 何で? どういうこと?)
しかしシェリーが詳細を聞こうにも、父もそれ以上のことは知らないらしい。
シェリーはうーんと頭を捻る。
けれど、元から頭が良くない上、幼少期から両親に見た目のことばかり気遣われ、勉強なんてしたらサフィール国の教えに引っかかる恐れがあるからと言われていたシェリーには、何一つも思い浮かばなかった。
それにこういうとき、ドロテアがいれば色々調べたり考えたりして答えを導き出してくれていたからだ。
(もう! 何でお姉様いないのよ! 獣への謝罪なんてさっさと済ませて戻って来たら良いのに。ちょーーーっとだけ、頭は良いんだから! というかそれしか取り柄がないのだし)
シェリーからしてみれば、自分の尻拭いに行ってくれているというドロテアへの感謝なんてそこにはなく。父も同じだったのか、「ドロテアの奴が帰ってきたら直に調べさせるか」という始末だった。
父の言葉にコクリと頷いたシェリーはおもむろに口を開く。
「けれどお父様『聖女』の称号が無くなるかもしれないとして、それ程大きな問題ではないわ?」
「国で三人しか賜っていない称号だぞ!?」
「それくらいは知ってるわよ〜。でもだって、私は美しいから『聖女』なのであって、『聖女』だから美しいのではないわ?」
「ま、まあ……確かに……」
そう、だから『聖女様』と呼ばれなくなることは多少寂しいけれど、特段大きな問題ではない。
シェリーの言葉に父は少し安堵し、同時にぽろりと本音を零した。
「『聖女』じゃなくなったら殿下との婚約が白紙になるんじゃないかと一人焦っていたが……たしかにシェリーの言う通り、お前の美しさが変わらぬならそんなことは有り得ないな」
(お父様そんなことを思っていたの? 失礼しちゃうわ)
ケビンだって、『聖女』だからではなく『シェリー』だから婚約者に選んだに決まっている。問題なんてあるわけがない。
ましてや白紙になんてなるはずはないのだ、絶対に。
このときのシェリーは、そう思っていた。
まさか一週間後、あんなことになるだなんて夢にも思わずに。
◇◇◇
「あら……もうこんな時間。そりゃあ眠気も来るわよね……」
ドロテアは椅子に座った状態でうーんと腕を伸ばすと、時計の針が夜更けを指していることに気付き、求婚されてからの怒涛の数時間に思いを馳せた。
「──売れ残りだと言われた私が婚約」
数刻前、ヴィンスに求婚されたドロテアは、彼の耳と尻尾が触り放題ということに釣られて、つい婚約を承諾してしまった。
とはいえ、その段階ではまだ口約束だったので逃げ道はあったものの、直ぐ様ヴィンスから『婚約誓約書』を出され、やや威圧的に「早く書け」と言われれば、拒否権はないに等しかった。
ドロテアはまさかそんな書類に自分の名を刻むことになるとは夢にも思わなかった。夢の結婚への第一歩である。しかし。
「……まさか相手がレザナード陛下だなんて……昨日までの私には信じられないわね」
メイドが食後に入れてくれた紅茶を飲みながら、ドロテアは頭を抱える。
「ああ……まさかこんなことになるなんて……けれど、やらなきゃいけないことをまず終わらせないと」
ドロテアの為に急遽用意された豪華な部屋で、ボソリと呟く。南向きの大きな部屋は、おそらく最上級のもてなしなのだろうに、喜んでばかりはいられないのだ。
「陛下は実家に婚約の説明を書いた手紙と、私が署名した婚約誓約書を送ると言っていたけれど、そこに私からの手紙も添えてもらいましょう」
いくら愛されなかったとはいえ家族だ。最低限の連絡くらいはしなくてはならないだろう。
「それにロレンヌ様と、あと同僚たちにも手紙を書かないと。いきなり侍女を辞めるだなんて不義理な真似はしたくないけれど、これはもはや私ではどうにもならないしね……」
というのも、部屋に案内してもらう前、ドロテアが一度国に帰りたいと頼んだときのことだ。
『家族やお世話になっている方へ、一度ご挨拶をするために帰国しても良いでしょうか?』
『……駄目だ』
『えっ。理由を聞いても宜しいですか?』
『ドロテアの両親が婚約誓約書にサインし、その書類が俺の手に届くまでは絶対帰さない。遅くとも数週間のことだろう。悪いが我慢してくれ』
──ドロテアは子爵家の娘なので、婚約には両親の許可がいる。
そのため、確実に婚約が結ばれてからではないと、ドロテアを国へ戻すことが不安だと、ヴィンスがそう言ったのだ。
「そんなに私、信用ないかしら……?」
それに、ヴィンスは本当ならば直に婚約ではなく結婚をしたいらしいのだ。
しかし、獣人国の男性が他国の女性と結婚する場合は、必ず半年の間は婚姻を結べない法律が定められている。他国の女性が嫁いできて、実は違う男の子を妊娠していました、なんてことになったら目も当てられないからである。
「まあ、とにかく、今日は手紙を書いたら休みましょう。流石に疲れたわ……」
眠たいながらも、美しい文字をすらすらと綴っていくドロテアは、手紙の内容の主役であるヴィンスのことを頭に思い浮かべて、おもむろに小さく微笑んだ。
「……けど、綺麗だとか、聡明だとか、大切にするとか、欲しいだなんて言われたことなかったから、嬉しかったな」
ヴィンスの内心はどうであれ、求婚自体は飛び跳ねるほど嬉しかったドロテアは、カーテンの隙間から見える満月に、目を奪われる。
「月が綺麗ね……」
明日からどんな生活が待っているのだろうと、不安と期待が入り混じった夜を過ごした。
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