80話 ルナのなりたいもの
その後、ルナに対してフローレンスにきっちりと謝罪させると、騎士たちと共にセグレイ親子は会場から出て行った。ハリウェルたちが証拠を持ち帰るまで、王城の一番端にある別塔に隔離され、監視されるそうだ。
そして、騒ぎを起こしたセグレイ親子たちが居なくなった会場では、婚約パーティーが再開されることになった。
ドロテアはワインの着いたドレスを着替えてからパーティーに戻り、ユーリカやロレンヌと話したり、他の貴族たちと親交を深めたりして、最後はヴィンスの挨拶によりパーティーは閉幕となった。
「ロレンヌ様。お忙しい中、今日はお越しいただき、本当にありがとうございました」
パーティー会場から退場したあと、ドロテアはヴィンスと共に、馬車に乗り込むロレンヌの見送りに来ていた。
ロレンヌは多忙のため、今からサフィール王国に戻るらしい。
「久しぶりにドロテアの顔が見られて良かったわ。次は仕事が落ち着いているときにゆっくり来るわね。ああ、それと、貴女の家族の様子はまた手紙で伝えるから、安心なさいね」
「……っ、ロレンヌ様、本当に何から何まで、ありがとうございました」
ドロテアが礼を伝えれば、ロレンヌはヴィンスに「ドロテアをよろしくお願いしますね!」と言ってから馭者に馬を走らせるよう指示をする。
続いて、ロレンヌは馬車の窓から少し顔を出して、ドロテアたちに向かって優しく手を振った。
「それじゃあ、またねドロテア!」
「ロレンヌ様! どうか息災で……!」
少しずつ小さくなっていく馬車。ドロテアとヴィンスその馬車に向かって、深く頭を下げたのだった。
ロレンヌを乗せた馬車の姿が完全に見えなくなると、ヴィンスはドロテアに体を向けて声をかけた。
「そろそろ俺たちも行くか」
「はい。もう夜も遅いですしね」
パーティーが始まる前よりも幾分涼しい風が肌に触れて心地良い。
そんな中で、ドロテアはヴィンスに差し出された手を取る。パーティー会場に来たときと同様、帰りも馬車に乗るため、二人が歩き出そうとした、その時だった。
「ドロテア様……!」
「……! ルナ様! どうされましたか?」
会場から走って来たルナは、ドロテアを見つけると急いで駆け寄った。
自然と手を離してくれたヴィンスにドロテアは「ありがとうございます」と礼を伝えると、呼吸が乱れているルナと向き合う。
すると、ルナはヴィンスに向かって「少しだけドロテア様とお話させてはいただけませんでしょうか?」と懇願するように尋ねた。
「ドロテアが良いなら構わん」
「……! 陛下、ありがとうございます……!」
「ドロテア、俺は近くに停めてある馬車に行っているから、話が終わったら来い。良いな?」
「かしこまりました」
その会話を最後にヴィンスが会場の入口付近から居なくなる。
すると直後、勢いよく頭を下げたルナに、ドロテアからは「えっ」という僅かに掠れた声が溢れた。
「ドロテア様、先程は言えなかったのですが、私のことを庇ってくださって、本当にありがとうございました……!」
「! ルナ様、頭を上げてください……!」
「いえ、何度感謝をお伝えしても足りません……!」
一向に頭を上げようとしないルナに、ドロテアは彼女の肩にぽんと手を置いた。
「私は知り得ている情報をあの場で話しただけです。感謝の気持は受け取りましたから、顔を上げてくださいませ。ね……?」
「ドロテア様……なんてお優しい……」
ようやく顔を上げたルナは、やや吊り上がっている目に涙を溜めている。
ドロテアはそんなルナの涙をそっと人差し指で拭うと、「そういえば」と話を切り替えた。
「ルナ様はこれから、どうなさるのですか?」
おそらく、セグレイ侯爵家の名前はこの国の貴族名簿から姿を消されるのだろう。領地や城などは、国に没収されるはずだ。
そうすると、フローレンス付きのメイドだったルナは働き口を無くしてしまう。
とはいえ、ルナが働いているのは主に母親の入院代を工面するためだ。母親の退院が決まった以上、実家の仕事を手伝ったり、どこかに嫁いだりするのだろうか、とドロテアは疑問に思ったのである。
「そのことなのですが……実は、メイドとしてのお仕事を続けようと思っているのです。フローレンス様からの嫌がらせや罵倒は辛かったですが、メイドの仕事自体はとても好きだったので、続けたいな、と……」
「まあ! それは素敵ですね! 以前のお茶会だけでもルナ様が大変優秀であることは見て取れました。きっとルナ様ならどこの屋敷に行こうとやっていけるはずですわ」
「ほ、本当ですか……!?」
ルナのふわふわとした白い耳がピクピクと動き、尻尾が空に向かってびゅんっと上を向く。
その姿にドロテアは悶えそうになるのを必死に耐えていると、ルナが口早に話し始めた。
「実は先程のパーティーで話を聞いたのですが、ドロテア様は専属メイドを探しておられるのですよね!?」
「え、ええ。試験があったり、決まりがあったりで、中々選定には難航していているのですが」
「で、では……! 私がドロテア様の専属メイドに立候補してもよろしいでしょうか!? 今日のドロテア様を見て……貴女様のようにお優しくて、素敵な方が日々を快適に過ごせるよう、誠心誠意お仕えしたいと思ったのです!」
「……!」
決して勢いで言っているわけではないことが分かる、ルナの真剣な声色と瞳。
(ルナ様……)
こんなふうに思ってもらえることが嬉しくて、ドロテアは顔を綻ばせる。
それからドロテアは、専属メイドになるためにはまず王宮メイドに就き、下働きを覚えなければならないこと、専属メイドの試験はかなり厳しいことを話した。
けれど、ルナの覚悟の宿った瞳に影が差す事は一切なかった。
「問題ありません。ドロテア様にお仕えするためでしたら、なんだって頑張れます」
「本当に、意思が固いのですね」
「はい……!」
「……分かりました。では、ルナ様。貴女が入れてくれた紅茶──フィーユを飲める日を、心待ちにしていますね」
フローレンスとのお茶会のときに、見事な技術を披露してくれたルナの姿を頭に思い浮かべながら、ドロテアは穏やかな声色で告げる。
つまりそれは、貴女が専属メイドになれることを願っているということで──。
「……っ、はい!」
ルナの満面の笑みに、ドロテアもつられるように微笑返す。
馬車の窓からそんなドロテアとルナの様子を眺めていたヴィンスは、「生粋の獣人たらしめ」と呟いて、喉をくつくつと鳴らした。