8話 ドロテア、可愛さの誘惑にめっぽう弱い
人生でこんなに驚いたことがあっただろうか。
──否、ない。ドロテアはそうはっきり答えることが出来るだろう。
それに、恋愛面においては一切経験がないドロテアがこの場を「嬉しいです〜あはは〜」なんて流せるはずもなく。
「レザナード陛下……大変お褒めいただいて有り難いのですが、貴方様のお言葉には、私では到底想像できないほどの責任がつきまとうはずです。……お戯れは──」
まるで子供に嗜めるように。ドロテアが出来得る限り冷静な声色でそう告げると、ヴィンスはぐぐっと顔を寄せた。
「冗談じゃない。からかっているわけでも、軽い気持ちで言っているわけでもない」
「…………っ」
ヴィンスしか視界に入らない程の距離で、力強い黄金の瞳に見つめられ、真剣な声色でそんなふうに言われたら。
(ほ、本当に私のことを好いて……? いや、でも……)
生まれてから二十年、ドロテアは両親に、そして周りに女として無価値のように言われてきた。売れ残りだとも言われたし、妹と比べられて「シェリー様はあんなに可愛いのに」とも言われ、それほど面に出さなかっただけで、何度も何度も傷付いてきた。
「………そんな、わけ……」
だから、先程挙げられた自身の聡明さも自覚しきれていないこともあって、ヴィンスの言葉をそう易々と信じることは出来なかったのだ。
それに、ヴィンスは獣人国の王。それに比べて、ドロテアは他国の子爵令嬢である。
獣人国レザナードとサフィール王国は同盟国であるため、その繋がりを強固とするために政略結婚をすることは十分に考えられるけれど、その場合はどう考えてもドロテアでは格がたりない。
これがもしシェリーであれば『聖女』という称号があるので多少マシだろうが、一般的に考えればヴィンスの相手は公爵家の令嬢か王女から選ぶのが妥当だろう。
「信じられないか?」
「………………」
瞳の奥を動揺で揺らすドロテアに、やや小さな声で問いかけたヴィンスの表情には、怒りはなかった。
ただただ真剣にドロテアを見つめて、形の良い唇の端が僅かに上がった。
「まあ、当然の反応だな。今日会ったばかりの男から求婚されて、おいそれと頷くような者は少ないだろう。ドロテアのような真面目そうな女なら尚更。……今、頭の中がぐちゃぐちゃだろ」
「……っ、申し訳ありません」
「謝る必要はない。だが、今ドロテアの頭の中を支配しているのが自分なんだと思うと、俺は気分が良いがな」
「〜〜っ」
「……さっきからずっと顔が真っ赤だぞ。そんな可愛い反応をされると、是が非でもお前が欲しくなる」
流石にここまで来るとディアナや文官たちもざわつき始め「これ、誰か仲介に入ったほうが良くないか……?」と呟いたのは一体誰だっただろう。
獣人たちは耳が良いため、初めからドロテアとヴィンスの会話は聞こえていたし、口を挟むつもりなど到底なかったのだが、流石にヴィンスの甘過ぎる雰囲気に耐えきれなくなったのだった。
「──陛下、そろそろ彼女を放して差し上げては」
「……チッ、邪魔をするな、ラビン」
ラビンと呼ばれた青年は、ぴしりと凛々しく立った耳が特徴な、兎の獣人だ。
ディアナが帽子を被った姿を真っ先に見せに行ったのも彼である。
「お兄様、舌打ちはよくありませんわ。ドロテア様が怖がってしまいますわよ? それと、ラビンは邪魔をしたんじゃなくて、お兄様のことを思って止めただけのことですからね!」
ヴィンスに駆け寄ってきたラビンにぴたりとくっついてそう言うディアナに、ヴィンスは渋々ドロテアの腰から手を離す。
(た、助かったわ…………)
ディアナとラビンの介入のおかげで一旦ヴィンスと距離を取れたドロテアは、胸に手をやって呼吸を整える。『お前が欲しくなる』なんてこと言われて、平然で居られるわけがなかったから。
(落ち着いて……落ち着くのよドロテア。私は謝罪に来たのよ……お詫びの品も渡したし……許しも得た。後は最後に挨拶をすれば、城を出ても不敬には当たらないはず……)
ヴィンスという男がどういう人物かも知らない上に、身分が違いすぎる相手からの求婚。
とりあえず国に帰ってから対処しようという方針が決まったドロテアは少し落ち着きを取り戻すと、間に入ってくれたディアナとラビンに丁寧に頭を下げてから、ヴィンスと向き直った。
「レザナード陛下、改めまして此度の件、大変申し訳ありませんでした。……では私はそろそろ──」
「誰が帰っていいと言った?」
「…………!」
周りの獣人たちも無意識に背筋を正すほどの威圧感に、ドロテアの額に汗が滲む。
(まずい、これはまずいわ……)
まるで蛇に睨まれた蛙はこんな気持ちなのだろうか。ドロテアは被食者にでもなったような感覚に陥り、反射的に目をギュッと瞑ると「ドロテア」と低い声でヴィンスに呼ばれて、命欲しさに目を開くと。
「お前は一つ勘違いをしているな」
「な、何がでしょうか……」
一気に詰められた距離。腰を屈めたヴィンスの顔が再び至近距離に来たと思ったら、彼は鋭い歯を見せながら微笑んでいた。
「お前の妹の件、ディアナと周りの奴らは許したが、俺は許したと言った覚えはないぞ」
「えっ」
そんな馬鹿な……とドロテアは先程までの会話を思い返すと。
──『お前の謝罪は、こいつらにきちんと届いた』
(た、たしかに!! 姫様にはお許しを頂いたけれど、レザナード陛下は……!)
雰囲気は許しているという感じだったけれど。とも思わなくもないが、確かにヴィンスの言うとおりなので、ドロテアが改めて頭を下げようとすると、それは叶わなかった。
「ドロテア、俺はお前がどれだけ謝っても許すつもりはない」
「……っ」
そう言ったヴィンスに、再び顎を掬われてしまったからである。
まるでキスシーンのような状態なのに、言われていることが絶望的過ぎてドロテアは冷静な判断が出来なくなっていたのか、「では何をすれば……?」と口にしたのが間違いだった。
ヴィンスのニンマリと上がる口角に、やれやれとため息をこぼしたのは、兎の獣人のラビンだった。
「俺の妻になれ。そうすれば謝罪は受け入れる」
「は、はい…………!?」
「その条件しか飲むつもりはない。俺は欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる性格なんでな」
とびっきりの甘い声でそう言われて、ドロテアは内心横暴だと思いつつも、胸がきゅうっと音を立てるのだから困ったものだ。
さも当たり前のように頷いてしまいそうになる自分にハッとしたドロテアは、ブンブンと首をふる。
(いや、いくらなんでも私を本気で好きになんてならないだろうし、身分の差もあるし、独断で決めるものでもないし……!)
しかしそんなドロテアだったが、ヴィンスが耳元に唇を寄せて囁いた言葉に呆気なく陥落するのだった。
「ドロテアお前──俺たちの耳や尻尾が堪らなく好きなんだろう? 見ていれば分かる」
「…………!」
「そこでだ。妻になれば、俺の耳と尾なら好きなだけ触っても良いが」
「……!! はい! なります! ……あっ」
「言ったな? 言質は取ったぞ」
──こうして、ドロテアはレザナード王国の国王、ヴィンスの元に嫁ぐことになったのだけれど。
まさか、これからヴィンスの思いを疑えなくなるくらいに溺愛されることになるとは、このときはまだ夢にも思ってもみなかったのだった。
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