74話 赤ワインと薄紫色のドレス
ダンスタイムが終わると、ディアナは少し休憩してきますわ、とラビンをお供にして控室へと歩いていった。
他の貴族の多くは再び談笑を始め、そんな彼らの様子をヴィンスの隣で見ているドロテアは、『セゼナ』に視察に行った際お世話になった、コアラの獣人のユーリカが目に入った。
(パーティーが始まって直ぐに挨拶に来てくださったけれど、今度は私から話しかけてみようかしら)
視察の後のレーベやフウゼン染めについては報告は受けているものの、領主であるユーリカに直接話を聞いてみたい。
そう思ったドロテアが、ヴィンスにその旨を伝えようと思っていたときだった。
「陛下、会場の外に到着されたようです」
「ああ、分かった。ご苦労」
側近の一人がヴィンスにそう声を掛けたことで、ドロテアは何度か目を瞬かせた。
「ヴィンス様、どなたが到着されたのですか?」
側近を下がらせたヴィンスに尋ねれば、彼は一考える素振りを見せてから、口を開いた。
「…………ああ、知り合いがな」
「……?」
言葉に間がある。それにこの濁し方は、あまり聞かれたくないのだろう。
ドロテアはそれ以上問うことはせずに口を噤むと、ヴィンスが申し訳無さそうに眉尻を下げた。
「すまないドロテア、少しだけ会場を離れても大丈夫か?」
「……そのお方を出迎えに行く、ということでしょうか?」
「そうだ。本来ならパーティーの開始にはいらっしゃるはずだったんだが、おそらく道中のトラブルか何かで遅れたんだろう。あの方を一人で入場させるわけにはいかないからな」
「挨拶も済んでいますし、そういうことでしたら、もちろん構いません」
国王であるヴィンスがわざわざ出迎えるとは一体相手は誰なのだろう。現時点でパーティー会場に有力貴族は大勢集まっているし、今日は他国の王族等を迎える予定はなかったはず。
(うーん、気になる。けれど、さっき言葉を濁された以上、もう一度聞いてもきっと答えは返ってこないわよね……)
ヴィンスは無駄なことはしない。言えないなら言えないなりの理由があるはずだし、彼の言葉遣いからして、その来賓者はそれ相応の立場であることは間違いない。
「直ぐに戻る。悪いが、少しだけ待っていてくれ」
「はい。お気を付けていってらっしゃいませ」
だからドロテアは、疑問は一旦頭の隅に追いやって、ヴィンスの背中を見送った。
──そしてその後、ドロテアはユーリカに話しかけようと足を踏み出した、のだけれど。
「……あの、ドロテア様」
ドロテアはとある人物に声を掛けられ、その聞き覚えのある声に一瞬驚きながらも、冷静な表情に直ぐに戻してから振り向いた。
「ルナさん……じゃない、ルナ様。ごきげんよう」
右手に赤ワインが入ったグラスを持った、フローレンス付きのメイド、ルナである。
今回の婚約パーティーは国中の貴族に招待状を送ってあったので、彼女がパーティーに来ていることはおかしなことではなかった。
ただ、ドロテアは事前にパーティーに参加する貴族たちの一覧を見るにあたって、ルナが参加することには驚いたものだ。
彼女の生家──シーリル男爵家は困窮しているため、敢えて社交界には参加しないと思っていたからである。
「ルナ様は、今日はご参加いただきありがとうございます」
しかし、それを態度に出しては失礼だ。ドロテアはいつものように冷静に、そして美しいカーテシーを見せる。
続いてルナもカーテシーを見せれば、そんな彼女にドロテアはふわりと微笑んだ。
「今日のパーティー、楽しんでいただけていますか?」
「は、はい。それは、もう……」
「そうですか。それは何よりですわ」
笑顔を浮かべながらも、ドロテアはどこか元気のなさそうなルナをじっと観察する。
流行遅れの形の赤色のドレス。体型にあっておらず、やや彼女には小さいように見受けられる。
このパーティーに参加するために、ドレスを準備しなければならず、急ぎ揃えたのだろうか。
(もしくは、誰かのお下がりをもらったか)
「ルナ様は今日はお一人で?」
「は、はいっ。……その、どうしても、陛下の婚約者であられるドロテア様に、お話ししたい事がありまして……」
元気がない、どころか何かに怯えるようにして言葉を吐き出すルナ。フローレンスの給仕をしているときも、どこか不安そうな、苦痛に耐えるような様子はあったが、今日の姿はその時の比ではなかった。
体の震えが伝達し、彼女の手にある赤ワインも僅かに波打っている姿は、自ら望んでパーティーに来たようには思えず、ドロテアの頭にはとある考えが浮かんだ。
(もしかして、ルナ様は強制的にこの場に来るよう言われている……? その人物にドレスも準備してもらった……? そうだとして、じゃあ理由は……?)
その人物については簡単に思いつくが、如何せん理由が分からない。
しかし、ルナの様子からして何かに怯えていることは間違いなかったので、ドロテアは彼女に少し近付くと、覗き込むようにして「大丈夫ですか?」と尋ねた。
「……っ」
そんなドロテアの問いかけに、ルナは息を呑んでビクリと体を震わせる。
そして、その直後、事件が起こった。
「近寄らないでください……!」
ルナが大声でドロテアを拒絶した瞬間、彼女は右手に持っている赤ワインが入ったグラスを思い切り傾け、そこから溢れたワインはドロテアの薄紫色のドレスの一部を赤く染め上げた。
「え……っ」
大勢が集まるパーティーで、そんなルナの行動は目立ち、近く居た貴族たちがルナがドロテアにワインを掛けたとして、ざわつきが広がっていく。
「……っ、ルナ様」
明らかにわざとだろうルナの行為に対し、ドロテアは対応に困り、ルナの名前を呼ぶことしかできなかった。
(どうして、こんなことを)
カタカタと全身を震わせ、泣きそうな顔をしているルナが、自分自身の意思でそんなことをしているとは到底思えなかった。だが、ルナの意図が読めない以上、ヴィンスの婚約者としてドロテアは変な対応を取ることはできない。
周りの貴族たちのざわつきが広がっていく中で、ドロテアはルナを観察するように見つめる。
すると、ルナは真っ青な顔を上げ、酷く怯えた瞳でドロテアを見つけてから大きく息を吸い込んだ。
「あっ、貴方のように、もうすぐ平民に下るような女には、今の姿がお似合いよ……!!」
「……!」
そして、ルナのそんな発言の直後。ルナの後ろ側──少し離れたところからこちらを嘲笑うような表情で見つめているフローレンスに、ドロテアは大方の予想がついた。